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芝居レビュー

新派『黒蜥蜴』再演を観る

 11時半始まりって、ちょっと早いよね。6月16日(土)午前の部、三越劇場。

六月花形新派公演『黒蜥蜴』全美版
原作/江戸川乱歩 脚色・演出/齋藤雅文
出演 喜多村緑郎 河合雪之丞 春本由香 伊藤みどり
   秋山真太郎 今井清隆 ほか

 昨年観て面白かったので、再演をまた観に行ってきた。昨年のいつだったっけ?と振り返ったらきっちり1年前の6月17日(土)だったのよ(レビューは→ここ )。
 初演は、新派としてかなりの冒険であったらしい。でもそれが好評だったので、この再演があるわけだし、11月には新橋演舞場で『犬神家の一族』をやることになってる!いい企画ね〜、めっちゃ楽しみ。

 再演といっても、攻めの姿勢は変わらなかったので、それも嬉しかった。基本的な筋立ては全く同じだけど、より客を喜ばせようという工夫が詰め込まれ、パワーアップしてた〜。
 なかでもいちばん増えたのは、主演の明智小五郎役の喜多村緑郎の色気!
 初演時のポマードで撫でつけた髪型をやめて、パーマをかけた(?)クルッとした巻き髪にしていたし、白塗りを限りなく薄くして、自然な感じに。新派のしきたりから更に一歩踏み出したの。そうしたら素敵さ倍増。登場の瞬間からただならぬ色気がダダ漏れていて、マダムはちょっと倒れそうになった。
 殺陣のシーンも増えていて楽しかった。宝石「クレオパトラの涙」を手にした黒蜥蜴を追って警察と盗賊たちと明智の部下が入り乱れてのシーン、明智小五郎の大立ち回り。そしてなぜか何度も着替える(見世物小屋に逃げ込む設定だから、まあおかしくはないんだけど)。京劇風の殺陣の時は京劇風の衣装に着替えてくれてて(しかも似合う)、そういうところサービスが行き届いてるね〜(去年も言ったけど、劇団新感線と通じるところがあるよ)。脇を固める役者さんたちも歌舞伎の訓練を積んだ人たちだから、動きの良いこと。
 立回りのあと黒蜥蜴と二人きりになって、明智は結局彼女を逃がしてあげるんだけど、初演時はこのシーンで、敵同士の二人の間でシンパシーを確認する程度だった。それが今回は、なんと明智は黒蜥蜴にキスしちゃうんだよ〜。踏み込んでる、踏み込んでる。
 
 黒蜥蜴役の河合雪之丞は変わらぬ美しさ。どんなに派手な着物もドレスも似合っちゃう。そして宝石商の令嬢役の春本由香は、初演の時のぎこちなさが完全に払拭されて、すごく上手くなってた。歌も上手かったよ。
 刑事役が昨年は永島敏行だったのが、今年は今井清隆になった。なので役の設定も銭形警部風から、洋行帰りのキザな刑事に変更されて、歌ったり踊ったり、ピアノを弾いたりしてくれた。サービス満点。
 
 全美版と銘打ってたんだけど、全美っていうのは完璧!と言う意味だそうで。明智と黒蜥蜴の悲恋物語に焦点をキッチリ合わせて、ほんとに完璧ないい芝居だった〜。黒蜥蜴相手に恋に落ちた明智に、観客が(ていうかマダムが)恋に落ちたんだった。
 
 学生の頃(ってどんだけ前よ)、女形と女優が同居する新派という芝居に対してどうも馴染めない感情を持っていたの。でもそれからン十年経ち、男女の壁なくいろんな役をやる役者たちも見慣れたし、そのあたりには何の抵抗もなくなった。面白い芝居を、そして真実のある芝居を観せてもらいたいだけよね。

 公演期間中ほぼ毎日2公演なんだけど、平日も11時半始まりと15時半始まりなの。歌舞伎仕様なスケジュールだけど、これ観られるの、ホントに有閑層だけね。マダムがここでどんなに宣伝しても、大抵の友人たちは働いているから観られないよ。平日の夜の回数をいくつか増やすことを考えてほしい。本当に新派が生き残りたいのであれば。

『アイヌ オセロ』を観る

 ここのところ中央線利用率が高くなってる。6月9日(土)ソワレ、国際基督教大学ディッフェンドルファー記念館、東棟オーディトリアム。

シェイクスピア・カンパニー『アイヌ オセロ』
作/ウィリアム・シェイクスピア 脚本/下館和巳、渡邉欣嗣
共同演出/秋辺デボ、下館和巳
出演 犾守勇 石田愛 香田志麻 加藤㮈紀 中野莉嘉 ササキけんじ
   水戸貴文 及川寛江 藤井優 増田寛子 千葉絵里奈
 

 シェイクスピア・カンパニーという劇団については以前から、なんとなく聞いてはいたのね。シェイクスピア作品を東北に置き換え、台詞も東北弁で演じる劇団だということで、活動の本拠地は仙台らしい、と。
 ひょんなことから仙台在住の役者さんと知り合いになって、今回の東京公演に行ってみることにしたの。
 東北弁、わかるかなぁと少し不安だったんだけど、それは全く問題なかった。むしろ、東北弁が生き生きと伝わってきて、楽しかった。
 
 『オセロー』の舞台を幕末の仙台藩に移し替え。蝦夷地(北海道)をロシアの侵略から守るために仙台藩は、アイヌの男を将軍としてとりたてている。それがオセロ(オセロー)で、妻デズマ(デズデモーナ)は仙台藩の武士の娘。ヴェニスにとってのムーア人を、仙台藩にとってのアイヌ民族に置き換えていて、その辺なかなか上手いよね。
 オセロははっきりそれとわかるアイヌの民族衣装を着ていて、デズマも最初のシーンでアイヌの衣装を着せられ、マタンプシというアイヌの刺繍入りの鉢巻を額に巻かれてオセロの妻となる。そのマタンプシが例の誤解の刺繍入りハンカチの代わりとなる。道具立てはバッチリ。
 
 役者さんたちは女性が多いので、仙台藩の武士は殆ど女性が男役をしていて。台詞は声量も滑舌も良くて、こちらにちゃんと届くのだけれど、やっぱり女性が男役をやるにあたっては何か演出上の工夫が必要なのではないかしらね。男っぽく演じることで手一杯になってしまう。そのせいもあって、仙台藩側のリアリティが相対的に下がってしまってる。役の立場は説明できているのだけれど(たとえばデズデモーナの父親だな、ってことはわかる)、その人らしさまで演技で出せてはいない(娘を愛しているのか、所有物として、取られたから怒ってるのか、取った男がアイヌだから怒っているのか、どう気持ちを収めたのか、がわからない)。
 演出にアイヌの秋辺デボを迎えているので、アイヌ側の描写は凄くしっかりしている。アイヌの踊りや衣装は見応えがあるのだけれど、そのアイヌを差別しながらうまく利用している仙台藩側の描写が薄い。具体的な描写が足りないの。アイヌに対する差別感情の描写もね。それがとても残念。だって、設定の置き換えがこんなにうまくいっているのだから、もっと驚くような面白いものができたと思うし、差別というものの正体にも迫れたと思う。
 たとえば。デズデモーナが仙台藩士の娘ならば、最初の姿はいかにもな日本髪や着物姿がよかったんじゃないかな。それを脱いで、アイヌの衣装に着替えれば、デズデモーナの並々ならぬ決意がそれだけでわかるでしょう? エミリアの衣装もよくわからなかった。彼女はどっち側の人なんだろう?
 イヤーゴーが内地人とアイヌの混血、という設定は台詞に出てきて、面白い発想だとは思ったのだけれど、それは、仙台藩側の差別感情を描き切れてこそ生きる設定なので、不発だった。
 
 役者さんたちはみな、台詞については凄く訓練していて、東北弁の台詞もよくわかったの。一方で、他の人の台詞に対する反応が弱い。自分の台詞がない時もその役で居られるかどうかがとても大切なことで、芝居を面白くするのはそこだから。
 オセローは威厳があって、強いが不器用な武人らしかった。自信がある時と、嫉妬で狂っている弱さとの、落差がもっとほしかったな。
  イヤーゴーはなかなか面白かった。東北弁で不満やら妬みやら悪口やらをタラタラと聞かされると、ホント可笑しくて。イヤーゴーって魅力的な役だって再認識した。

本番こそいちばんのワークショップ 劇団AUN『から騒ぎ』

 チケットを買った時にはこんなハードスケジュールになるとは思っていなかったのだけれど。6月2日(土)マチネ、現代座会館現代座ホール。

劇団AUNワークショップ公演『から騒ぎ』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/小田島雄志 監修/吉田鋼太郎
演出/長谷川志
出演(B組) 杉本政志 岩倉弘樹 松尾竜兵 山田隼平 橋倉靖彦 星和利
   河村岳司 砂原一樹 松本こうせい 飛田修司 池谷駿 桐谷直希
   齋藤慎平 悠木つかさ 水口早香 近藤陽子 宮崎夢子

 昨年から始まったAUNのワークショップ公演。
 昨年夏の『間違いの喜劇』の時は、ほぼほぼ若手のみの公演だったのだけれど、今年の『から騒ぎ』はベテランもかなり参加していて、本格度が増していたの。舞台は幾つかの植え込みが置かれているだけのシンプルな装置。植え込みは、壁にも柱にもなり、もちろん植え込みとしても活躍するんだけど。
 『から騒ぎ』のストーリー説明は今更しないでいいよね。
 
 賑やかなダンスのシーンから始まって、男勝りなベアトリスと自称女嫌いのベネディックの言葉の応酬へ一気に畳み掛けるので、昨年の『間違いの喜劇』と同じように、ずっと笑って2時間を過ごすのかと思ったの。でも、そうじゃなかった。
 『から騒ぎ』ってのは、ほんとに喜劇なのかしら?
 と、考えちゃうくらい、シリアスなシーンは凄くシリアスだった。
 まあ、そう言いながらもマダムは3分の2くらいは笑ってたんだけど。でも残りの3分の1は、胸詰まる思いで見つめてしまったし、最後ちょっと泣けてきそうだった。その重みはかなりのもので、今回、長谷川演出はこの3分の1の側を重点的に仕掛けていたと思われるの。
 例えば照明の当て方が顕著だった。普通のシーンでは全体に明るく照明が当たってるんだけど、悪役ドン・ジョンが出てくると分かり易い程暗くなって、悪巧みのシーンを演出する。最後の方のヒーローの葬儀(ホントは死んでないんだけど)のシーンでも照明を全て消して、参列者の持つろうそくの灯りだけで演技し、鎮魂歌が歌われる中、墓の前に佇むクローディオだけにゆっくりとスポットが当たっていくのも、台本に書かれてるシリアスな部分はちゃんとシリアスに、という演出方針だったのかも。
 だから、笑って始まり、最後は笑って終わる…んだけれども、一言で喜劇といってしまうのは躊躇する、沢山の感情が押し寄せてくる舞台になっていたの。
 
 主役の四人の若者達の描き方が、とても丁寧で良かった。ベアトリス(水口早香)はまるで『じゃじゃ馬馴らし』のキャタリーナのように始まるのだけれど、従姉妹のヒーローが陥れられた時には、ヒーローのために自分の身を捨てても徹底的に献身する。その両面がちゃんと一人の人物の中に矛盾なくあるのが感じられたの。
 ベネディック(山田隼平)は、さらに多面的で。女嫌いの状態から始まり、ドン・ペドロたちの策略に引っかかってあっさり恋に落ちるハイテンション、おバカな状態を経て、ベアトリスのヒーローへの思いに打たれてクローディオに決闘を申し込む凛々しさまで、あらゆる顔を見せてくれた。地はイケメン枠ではないと思うけど、決闘を申し込むところはちゃんとイケメンに見えるからね。役をとことん演じきると役者はみんなイケメンになる。
 一方、クローディオ(松尾竜兵)は地のイケメンを大いに生かして、一本気な青年を演じてた。愛したヒーローを嘘を信じたせいで拒絶し、憎み、死なせ、嘘だったとわかると、死ぬほど後悔して嘆く。松尾クローディオを見ていたら、マダムは突然『冬物語』のリオンティーズだ!と思ったの。リオンティーズが20年くらいかけて到達する憎しみと許しと喜びを、クローディオはほんの数日で駆け抜けるんだね。若いから身体がもつんだよ、と妙に所帯染みたことを思ってしまうマダム。
 そしてヒーロー(悠木つかさ)。彼女は可愛らしい容姿なのでつい若手のように思ってしまうけれど、AUNの中ではベテラン女優で、ホントに上手い人。疑うことを知らない少女がどん底に陥れられ、そこから立ち直ってクローディオを許して受け入れる大人の女になるまで、やはり数日で駆け抜けるんだけれど、彼女が演じると余計な力が入っていなくて、見ているこちらは凄く楽に物語に付いていけるの。最後、ベールで顔を隠してクローディオと相対する場面も、彼女の沈黙だとマダムも余計な力を入れずに待っていられるんだよね。
 
 昨年の『間違いの喜劇』のときも思ったけれど、シェイクスピアの上演の基本は、役者が台詞を言うときは誰に向けてどんな気持ちで言うのか、はっきりわかるように言ってくれること。そして台詞を言っていない役者は全力で、しゃべっている役者に対して反応すること。この、たった二つ。この二つがあれば、面白いシェイクスピアが出来るの。四人の若者たちが恋に落ちたり、苦しんだりするとき、周りにはぎっしり登場人物たちが集まって顔を寄せ合って、一緒に笑ったり憤ったりするから、台詞の意味が何倍にも膨らんで伝わってくる。長谷川演出はちゃんとツボを心得てる。
 
 若い人たちの台詞も全部しっかり聞き取れた。ところどころ力が入りすぎてる箇所もあったけれど。そこは硬軟自在なベテラン勢にまだかなわない。
 
 沢山笑って、楽しかった一方で、『から騒ぎ』の多面的なところも味わえて、とても満足。吉田鋼太郎イズムをしっかり受け継ぎながら、長谷川演出はこれからもっと、長谷川イズムも出していけるのじゃないかしら。ワークショップシリーズ、どんどんやってほしい。

円熟の岩松了『市ケ尾の坂』

 観たい芝居はなぜこうも、上演時期がかぶるのかしら(その3)。6月1日(金)ソワレ、本多劇場。

『市ケ尾の坂』ー伝説の虹の三兄弟
作・演出/岩松了
出演 大森南朋 麻生久美子 三浦貴大 森優作 池津祥子 岩松了

 どんどん溜まっていくので恐ろしいのですが、必ず書きます・・・。とりあえず、観た事実だけメモしました。

草彅剛の挑戦『バリーターク』

 観たい芝居はなぜこうも、上演時期がかぶるのかしら(その2)。5月25日(金)ソワレ、シアタートラム。

『バリーターク』
作/エンダ・ウォルシュ 演出/白井晃
出演 草彅剛 松尾諭 小林勝也 ほか

 長年SMAPのファンだった(といってもいいと思う。コンサートとか行ったことないけど)マダムでも、彼らの芝居はほとんど観たことがない。チケット、手に入らないんだもん。唯一観られたのは稲垣吾郎主演のこまつ座だった。その他は、エントリーすらできなかったこともあって、ここ数年は最初っから諦め気味だったの。
 だから今回はもう、奇跡。奇跡の最前列・・・嗚呼。
 そして、マダムのPCでは、ちゃんと彅の字も出る。みんな、見えてる?
 
 これは草彅剛のための芝居だったのだと思うけど、難しいところを狙ったなあ、白井晃。
 セットは、台所も風呂も完備してるやや広めの古びたワンルーム。壁には鳩時計があったり、絵が飾ってあったり、すごく高いところにドレッサーがくっついていたりする。細部が、遊機械全自動シアター時代の白井演出を思い出させるような作り。
 でもこの部屋にはドアがない。
 
 どこから入ってきたのかわからない二人の男A(草彅剛)と男B(松尾諭)が、この部屋の住人。彼らはけたたましい目覚しの音でベッドから飛び起き、ご機嫌で飛び跳ねながら朝ごはんのシリアルを食べ、懐かしの80年代の音楽をバックに踊り狂い、よくわからない会話をし、バッタリと眠り、再び目覚しの音で飛び起きる。一見楽しそうな二人を見ていても、ちっとも楽しくならないのは、いつまでも二人が何者なのかが見えてこないから。
 繰り返しが苦しくなる頃、突然向かい側の壁がゆっくりと倒れ、外界が顔を出す。草に覆われた外界から、不気味な老人(小林勝也)が現れて、詩的な言葉を吐きながら「もう時間だよ」と告げる。「明日、どちらか一人がこの家を出なさい。出て12歩あるいたところで、俺がこの銃で撃つ。そういう決まりだ」と。AとBは既知のこととして、その言葉を受け入れ、Bが年上なのでBが行くことになるの。
 でもその時がやってきて、もう一度壁が倒れると、Aが出て行く。心を決めていたのはAの方で、Bも当然のようにそれを受け入れる。Aが撃たれるところは見えない。壁が閉まり、 Bはこのまま一人で暮らしていくのか?それはそれで地獄のようだ・・・と思えるんだけど。
 すると、ただの壁だった部分に、小さく穴が開いて光が差し、そこから幼い女の子がひっそりと入ってくる。Bはあっけにとられて女の子を見つめる。女の子が部屋の中に進むと穴はぴったりと塞がり、また窓もドアもない部屋で、Bは女の子と暮らしていかなければならない。いつまで続くのかわからない時の営みを、耐えなければならない・・・。
 
 というようなお話だった。観てない人は、これを読んで、わかるかしら?わからないよね。だって、観てもよくわからなかったから。
 ある意味で、人生そのものを表わしている、とも言える。私たちはどこから来たのか知らないし、いつまで人生というこの部屋にいられるのかも知らないし、或る日突然終わりを迎えるのかもしれない。一緒に生きる仲間も、選べないこともある。運命が与えた条件を受け入れて生きるしかない。
 そういうことが描きたいのかも、とは思った。でもこれは観終わって随分考えた後に理解したことなの。観ている最中は、訳がわからなかった。
 で、たぶん、訳がわからなくてもいいのよね、瞬間瞬間を興味深く観続けられたら、それでいいのよ。
 そういう観点から見たら、草彅剛は、とてもよかったの。とにかく体のキレが良くて動きがシャープ。見ているだけでワクワクする。意味が深まっていかない会話でも、彼が喋ればみんな、聞く。そういう信頼関係みたいなものを、観客との間で構築できちゃう。ライブで鍛えた力だね。
 でも残念ながら松尾諭が弱くて。彼の容貌はこの役にぴったりだったんだけど、動きに面白みがないし、台詞は真面目なだけ。この意味不明な流れに、乗っていけてないの。もう少し不条理な世界へ跳ぶことができていたなら。
 死神的な老人役の小林勝也は、詩的な台詞を美しく聞かせてくれたんだけど、『ビッグ・フェラー』の時(あれ、なん年前だっけ?)に比べたら、怖さが小ちゃくなっちゃったな・・・。
 
 いろいろ言っちゃったけど、舞台役者としての草彅剛は期待通りだった。また観られるといいな、彼の舞台。

続 これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』

 『ヘンリー五世』もう一度観に行ってきた。5月29日(火)マチネ、新国立劇場中劇場。
 行ってよかった。

 浦井ヘンリーが相当良くなっていた!
 滑舌も良くなってたんだけど、それ以上に、王らしい威厳とやんちゃな部分との接合部が滑らかになって、一人の人間としての説得力が増してたの。
 『ヘンリー四世』のときから思ってたのは、ハルって孤独だなってことだったんだけど、王になったらもっともっと孤独になった。本心を語るのは独白の時だけなんだもの。戦いには勝っても、王冠も衣装も血塗られてしまって、清々しかったハルはもう何処にもいなくなってしまった。ヘンリーの孤独がひしひしと感じられて、ラストは胸が痛いくらい。
 
 1度目の時の席はかなり上手よりの端っこだったの。で、2度目はいちばん後ろだけど真ん中ブロック。
 そうしたら見え方が全然違ってて。ていうか、舞台の奥のほうで起きてることが見えてなかったのよ、1度目は。
 特に戦闘シーンは、舞台前方で起きていることと、後方に遠く見える様子が上手く相乗効果を作るようにできていて、イギリス軍の振る旗や上から降りてくる巨大な旗が空間を自在に分けて美しくて、ダイナミック。殺陣は多くない分、布の使い方で、見ごたえあるシーンになってたね。
 
 このシリーズがここまで続いてきて圧巻は、いちばん最後の「説明役」たちの挨拶の台詞だった。台本では説明役はひとりだけど、鵜山演出では数少ない女優(大勢の役者の中でたった3人!)たちに締めを任せた。「ヘンリー五世は・・・世界に冠たる支配権を彼の息子に残しました・・・だが彼を取り巻く多くのものが政権を争うことになり・・・イギリスにも血が流されました。そのいきさつはすでにこの舞台でごらんにいれております
 これはシェイクスピアが自分の一座で、本を書いた順番に上演して『ヘンリー五世』にたどり着いたことを示しているのだけれど、それをそのまま説明できる鵜山組は素晴らしいよ。同じように歩んできたのだもの。
 浦井健治、岡本健一、中嶋朋子をはじめとして、ひとつひとつ取り組んできて、一座になった。
 なので、マダムとしては、これで終わりとは思いたくない。

イキウメの『図書館的人生vol.4』

 観たい芝居はなぜこうも、上演時期がかぶるのかしら。5月20日(日)マチネ、東京芸術劇場シアターイースト。

イキウメ『図書館的人生Vol.4 襲ってくるもの』
作・演出/前川知大
出演 浜田信也 安井順平 盛隆二 森下創 大窪人衛
   小野ゆり子 清水葉月 田村健太郎 千葉雅子

 あまりに忙しく、今書くことができませんので、時間ができたら書きたいと思います。とりあえず、観た事実だけメモしました。

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その3

 全体的にフランスとの戦争の話だと思い込んでたマダムだったけど、鵜山版『ヘンリー五世』は、意外なほど笑いに満ちて楽しく、わかりやすく、戦闘シーンは短く、テンポよく作られていた。そして、隅々までよく練られて配された役者さんたちの、上手いこと!

 真っ先に名前を挙げなければいけないのは、なんと言っても、「ニラの騎士」フルーエリンの横田栄司。ウェールズ訛りのフルーエリンの台詞は、さしすせそが、しゃししゅしぇしょに翻訳されていて(小田島訳の真骨頂)、ただでさえ大変なシェイクスピアの台詞が早口言葉の練習のようになっていたの。読んでも何を言ってるのかわからないフルーエリンの台詞が、横田栄司の声で聞くとちゃんとわかって、めちゃくちゃ可笑しい。ピストル(岡本健一)との掛け合いは抱腹絶倒。「俺の名前は?」「ピシュトル」「ピ、ス、トル!」「ピシュトル!」「違う!ちゃんと言え!ピストル!」「ピ…。」って、もう可笑しすぎて、うちに帰って本でその箇所を探したけど見当たらない。アドリブだったのね。思い出して再度笑うマダム・・・。
 
 もう一人名を挙げなければいけない人は、フランス軍司令官の鍛治直人。台詞の声量となめらさかが申し分なく、聞いていて心地よいこと。そして空間の使い方が上手いの。おフランス漂う、覇気のないフランス側にあってただ一人、場を仕切って次のシーンへどんどん繋げていくのが、見事なのよ。
 このシリーズはヘンリー六世上演の時から、新劇の劇団出身の役者さんたちが沢山出演して、歴史劇の屋台骨を支えてきたんだけど、なかでもやっぱり文学座って凄いって思うよ。今回、これまでの常連だった今井朋彦が出てなくて、マダムはとても寂しかったんだけど、その分を横田栄司と鍛治直人でさらっていったから脱帽だー。
 
 長いシリーズ、ずっと出続けている役者さんたちに関しては、演技以外も毎回が楽しみ。勝部演之は何回めの司教かな?とか、立川三貴と木下浩之は『六世』の時から金髪でおフランスだったわとか、那須佐代子はまた岡本君とキスする役だねとか(『リチャ三』のときリチャードとエリザベスだったからさ)。
 そしてフランス側の衣装がブルーに金の縫い取りでおしゃれなのに、イギリス側はなんとなくくすんでてグレーっぽいの。それも『ヘンリー六世』に続いていくと考えたら、なるほどって思う。ヘンリー六世の衣装は、みんなグレーのマントだったのよ。
 
 芝居の終わり方が、『ヘンリー六世』に続く!っていう感じだったから、シリーズは一区切りなんだろうかとマダムは不安。もう劇団みたいなものでしょう?ここで解散はして欲しくないの。
 もう一度見に行くので、続編もまた書くね。まとまってないけど、とりあえず今日はここまで。
 
 
 
 

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その2

 前回の『ヘンリー四世』から1年半くらい経っているわけなんだけれど、そしてその間浦井健治はほとんど休むことなく舞台に立ち続けているわけだけれど、マダムはずっと「こんなもんじゃないだろ」と思っていたの。
 すっかりビッグネームになってしまった(そしてマダムも非力ながらその片棒を担いだ)彼だけど、彼の天賦の才は徹底的に演出された時にのみ発揮されるもので、とりあえず真ん中に据えておけばどんな役もできてしまうような俳優ではないのよ。
 そして技術はまだまだ発展途上よ。今回だって、声量も足りないし、長ゼリフを聴かせる技量もあと三歩だ(一歩ではない)。同じ舞台に立つベテランの役者さんと比べたら、わかるでしょう?(ハムレットを望む声があるし、マダムも期待はするけど、ハムレットやるならその前に長期休暇を取って文学座の研究所に入ってみるのはどうかな。あるいは新国立劇場の研究所とか。中堅の俳優も学び直しが必要な時があるでしょ?)
 辛口はさておき。

 技術的なことはいくらでも突っ込めるけど、それでも彼でなければならないヘンリー五世。純白の王の姿は本当に美しいし、凛々しい。どんどん汚れて血みどろになってもなお汚くない(きれいはきたない、きたないはきれいってこのことか!)。威厳を保とうとしても、時折ハルの顔がのぞくところがなんて魅力的。バードルフの処刑を言い渡す時の動揺や、フランス王たちとの交渉の席で王女の顔ばかり見てしまう子供じみた表情・・・。
 浦井ヘンリーが終始努力を強いられている一方で、今回の岡本健一はなんて自由なんだろう!シリーズでこれまでは、必ず敵対する貴族を演じてきたのに、ついに庶民オンリーに。アドリブも出て、めちゃくちゃ楽しそうなの。この自由度は、彼の幅をさらに広げるような気がする。(でも、リチャード二世をやらせて苦悩する顔が見たいと思ってしまうマダムはドSだろうか?)
 そして中嶋朋子。どうやっていたいけな十代のお姫様をやるんだ、と思ったけど。できちゃうんですね。本当の十代の女優ではできないだろう、自分を無理やり納得させていく王女の演技が、この人ならでは。化け物という褒め言葉がありますけど・・・素晴らしい。

 あー、時間が足りないわ。その3で、ほかの役者さんのことを書くわね。

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その1

 なんだかドキドキしながら劇場へ。5月19日(土)マチネ、新国立劇場中劇場。

『ヘンリー五世』
作/ウィリアム・シェイクスピア 訳/小田島雄志
演出/鵜山仁
出演 浦井健治 岡本健一 中嶋朋子 立川三貴 木下博之 田代隆秀
   横田栄司 勝部演之 那須佐代子 鍛治直人 松角洋平 ほか
 

 2009年の『ヘンリー六世』三部作一挙上演から9年かけて、ここまで辿り着いた。一緒に歩んできた感いっぱいで、感無量なマダム。
 
 一方で、『ヘンリー五世』の予習は呼びかけるのがとても難しくて、ブログにはアップできなかったの。すまない・・・。
 だってね、こればっかりはマダムも舞台は観たことがなくて、本は読んでみたもののピンとこず、せいぜい『ヘンリー四世』の時の人間関係を思い出しておくくらいのことしか、自分自身もできなかったの。
 唯一、BBCのホロウクラウンシリーズで『ヘンリー五世』を観た記憶が頼り。だけど、あれはあれで主役のトム・ヒドルストンが素敵すぎてスター映画になっちゃってた感が否めない。結局、心構えなし、あたま空っぽの状態で、観劇の日を迎えたの。
 でも、ぜんぜん難しいことはなくて。面白かった〜。3時間があっという間。
 
 芝居って、演出家が本をどう解釈しイメージしたのかを、目の前で見せてくれるものだ。そう捉えた時、鵜山演出が『ヘンリー六世』以来ずっと見せてくれたものは、なんて豊かだったことか! 役者を育て、カンパニーの絆を確かなものにしてゆき、それぞれ1本の芝居として面白く作りながら、シリーズとして、大きな時代のうねりと権力争いの諸行無常を描き得た。新国立劇場のプロデューサー、鵜山さん、大勢のすべての座組の人たち。マダムをここまで連れてきてくれて、ホントにありがとう。
 
 『ヘンリー四世』で自由に遊びまわっていたハル王子は、王座につき、ヘンリー五世となった。覚悟して王となったヘンリーのその後は、苦い人生だ、というのが鵜山演出の解釈なのね。
 王座に就いた時の純白の衣装は、戦闘を繰り返すたび、返り血でどんどん汚れていく。軍の規律を守らせるために、かつての遊び仲間を処刑しなければならない苦痛。アジンコートの戦いの奇跡の勝利は、なぜだか喜びを呼び込まない。生き残ったピストルは、かつてのフォルスタッフのような庶民の本音を高らかに叫んではくれず、仲間は全員死んでひとりぼっちになっていく。ラストのヘンリーの深紅の衣装は、赤バラの赤なのだけれどマダムには、完全に血に染まって白いところがなくなったかのように見えたよ。
 鵜山演出の真骨頂は、ヘンリーが戦勝国の王としてフランス側にすべてを要求するところ。
 マダムはホロウクラウンシリーズ版と真逆な展開に驚き、そして納得したの。
 ホロウクラウンでは、フランス王たちが皆腰掛けていて、ヘンリーはずっと立ったままだ。フランス王たちが不遜で、ヘンリーはなんだか謙虚。でも鵜山版では、ヘンリーだけが腰掛けていて(しかも偉そうに・・・でも当然だよね、勝った側なんだから)、フランス王以下全員、おびえながら並んで立ってる。そして王女を残して全員が退出する時の、フランス王妃の怯えた辛そうな顔といったら!戦利品として娘が奪われていくのがわかっていても、もう止めることができないのよ。
 そのあとの、王女キャサリンを口説くシーン。ホロウクラウンでは、ヘンリーは優しくて紳士的で、礼儀正しくキャサリンの愛を求めていて、めっちゃトムヒが素敵なんだけど、鵜山版を見たら、ありゃ嘘だな、と思っちゃったマダム。だって、戦利品として王女との結婚はもう誰の目にも明らかで、別に腰を低くして相手を説得する必要なんかないんだもの(あくまで、当時の戦国の世の習いとして、ね)。
 だから口説く必要のない相手とわざわざ一対一になって、ほとんど襲いかかってる浦井健治、じゃなくってヘンリーってさ・・・キャサリンに一目惚れしたのかもしれないけど、勝てば官軍でやりたい放題に見えたし、それが鵜山演出だったのよ。(ただこのシーンが下品にならないのは、浦井ヘンリーだからなんだよね。)
 でもそこにマダムは納得したよ。当時の王や王族に、個人としての幸せなんてほぼ無いんだってこと。だからこそ婚礼を暗示して終わるラストが悲劇の始まりとして、『ヘンリー六世』につながっていくの。
 そして観終わった人はみな、次にまた『ヘンリー六世』を観たくなってしまうの。エンドレス。こりゃ、鵜山魔術だね・・・。
 
 そのほかのことについては、その2でまた書くね。とりあえずみんな、アンケートに『リチャード二世』を同じ座組で、と希望を書くこと!

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