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芝居レビュー

楽しさと物足りなさと『ブロードウェイと銃弾』

 日比谷はなんだか綺麗になりつつある。2月17日(土)マチネ、日生劇場。

『ブロードウェイと銃弾』
脚本/ウディ・アレン オリジナル振付/スーザン・ストローマン
演出/福田雄一
出演 浦井健治 城田優 平野綾 保坂知寿 愛加あゆ
   ブラザートム 鈴木壮麻 前田美波里 ほか


 浦井健治と城田優が二人主役の、華やかなミュージカル。
 浦井健治演じるデビッドは翻弄される新米脚本家で、オロオロしまくりのところがなんだか本人を感じさせて可愛かったし、歌声は甘くて伸びやかだったし、城田優演じるチーチはマフィアの子分なんだけどダンディで、ダンスシーン(タップが素敵)もカッコいいし、楽しいミュージカルだった。アンサンブルもレベルが高かったし。とりあえず、なあんにも考えず、二人のイケメンをたっぷり堪能。
 
 で、見終わった後は、何にも残らなかった!
 楽しかったんだからそれでいい、とも言える、のかもしれないけど。
 でもよく考えると、いろいろわかんない。デビッドが作ろうとしてた芝居がどんな芝居なのか全然わからなかったので、チーチが思いついたアイデアがどれほど良いものなのか、ピンとこない。そこがわかんないと、二人の関係性もちゃんと伝わってこないし。マフィアのボスも、どこかゾッとする怖さが欲しかったし、チーチがオリーブを殺しちゃうのも、殺しは殺しなので、チーチの冷酷さがちゃんとあったほうがいいしね。
 デビッドが、エレンとヘレンを行ったり来たりするところも、男の情けなさを存分に描いて欲しかったな〜。主役だからって、抑えめにしてるのかしら?
 デビッドは、いったいどんな男だったんだろ?
  
 で、ここからは作品からちょっと離れてしまうかもしれないんだけれどさ。
 
 昨年末の総括の記事を書いた後むむむと思ったのは、ここのところ何年にも渡ってマダムが肩入れしてきた浦井健治の名前が、記事の中に一度も出てこなかったことでね。
 もちろん彼が出演している作品は全部観ているし、毎回感じるところ、楽しいところはあるんだけれども、マダムが期待する(というより期待とか想像とかをはるかに上回ってびっくりする)演技はしばらく観られていないの。今回の『ブロードウェイと銃弾』もしかり。コメディだから、っていう単純な話じゃない。
 『ブロードウェイと銃弾』に関して言えば、彼だけの問題じゃなくて、1本の芝居として深みがないの。
 禁酒法時代のギャングの話とか、ギャングが芸能界の後ろ盾だったりする話は、たくさんあって(例えばジャージー・ボーイズにもしっかり出てくるでしょ?)、ウディ・アレンはその伝統にのっとって、その伝統を知り尽くしたうえで、パロディのようなそうじゃないようなものを作ったんだと思うのね。で、向こうではウディ・アレンだけじゃなくて、役者も観客も肌でわかるのでしょう。でも日本の若手の役者さんたちは、そういうバックボーンが無いのよ。そこを演出家が放置すると、楽しくても深みや苦味がない話が出来上がっちゃう。 
 でも演出家が放置した部分を、自分でちゃんと埋めて作り上げるのも、主役の役割とも言えるわけで。全部は埋められなくても少しは、できないとね。
 まあ、本人が読んでないのに、こんなこと書いたってしょうがないわけだけど。
 浦井く〜ん、期待してるよ〜。

『ヒッキー・ソトニデテミターノ』を観る

 今年は芸劇に通うことが多くなりそう。2月11日(日)マチネ、東京芸術劇場シアターイースト。
 
ハイバイ公演『ヒッキー・ソトニデテミターノ』
作・演出/岩井秀人
出演 岩井秀人 チャン・リーメイ 松井周(古舘寛治の代役) 田村健太郎
   能島瑞穂 平原テツ 猪俣俊明 高橋周平 藤谷理子 佐野光来(声の出演)



 ハイバイを観ることはいつも、チクチクと痛いことだ。
 「て」も「おとこたち」も「夫婦」もとんでもない名作だけれど、だからこそ観る側の心を削りかねない諸刃の刃。マダムはそこが好き。ドSなのかしら・・・?
 
 『ヒッキー・ソトニデテミターノ』。「ヒッキー・カンクーントルネード」の続編で再演だけど、マダムはシリーズとしても初めて観た。「ヒッキー」とは、ひきこもりのこと(©岩井秀人)で、文字通り、ひきこもりの人たちが外に出てみたとき起きる悲喜こもごもを、ヒリヒリしたユーモアを加えながら直視してる物語。
 ほんとにね、直視してる。辛いところ、痛いところを避けない。オブラートにくるまない。逸らさない。そして、良いとか悪いとか断定しない。こんなところまで描いたらつい、断定したくなってしまいそうなのに、断定しない岩井秀人は実はとても強い人だ。本当に強い人は強そうに見えないのね。
 
 舞台は周りを四角く渡り廊下で囲った、ごく簡単なセット。その中に木製のテーブルやベンチや椅子が適宜置かれていて、途中、役者自身でどんどんそれを組み替えながら演技していく。それだけで家、外、施設、それぞれの部屋、電車内など次々場面転換していくのは、いつものハイバイならではだけれど、役者のスイッチの切り替えが見事。演技中でない役者もはけてしまわずに舞台上にいることが多いのだけれど、気配が消えているので、今は誰の場面なのか、混乱することはない。それとも、マダムがハイバイの手法に馴染んだということかしら。
 
 太郎(田村健太郎)は13歳から10年間、家から出ていない。いつも二階の自室にこもっている。最近は父(平原テツ)にも母(能島瑞穂)にも会いたがらず凶暴になるので、太郎が食事に降りてくるときには、父母は別室に逃げている。母は進んで息子の奴隷のようになり、父はリストラに遭って息子のことを抱えきれなくなっている。そして両親は、ひきこもりの人たちが寄り集まって暮らすリハビリ(?)施設に、息子のことを相談する。施設の相談員黒木(チャン・リーメイ)と森田(岩井秀人)は、太郎を家にひとりきりにする「兵糧攻め」を画策し、やがて太郎は父母に対する恨み骨髄ながら、施設に入ることになるの。
 施設には、家を出たけれど結局施設の外へは出られないヒッキーたちがいっぱいいる。太郎が話をするようになった斉藤(松井周)は48歳で、26年間ひきこもってきたベテラン。施設の自室にこもり、想像(妄想)をたくましくして、妙なメニューのあるレストランに入ってしまったらどう注文するかとか、道を訊かれたらどこまで正確に答えればいいかとかを、練習する毎日。真面目に穏やかに微笑みながら、自分の中のメビウスの輪をぐるぐる廻っている斉藤。マダムにとっては主役、と言ってもいい役だった。演じる松井周は、体調不良の古舘寛治の代役で、なんと台本を持ったまま舞台に立ったのだけれど、それがもう、斉藤の練習ノートにしか見えず、素晴らしかった。たった二日の稽古で主役に躍り出るなんて、ちょっとした奇跡よ。立ち会えて、幸運なマダム。
 話は太郎と斉藤の行く末(それも明るくない行く末)に向かうのだけれど、ここにきっちり絡んでくるのが相談員の森田。自身もひきこもりだった森田は、同じ相談員の黒木のようには断言もできないし、強くもない。どうして家を出られたのか、家を出てよかったか。家を出て楽しいか。そもそも何のために家を出たのか。家を出なければいけないものなのか。ヒッキーたちから詰め寄られると、いちいち考え込み、言い淀む。そりゃそうよね、正直であればあるほど即答はないもの。「家を出た方が幸せになれる可能性があるなら、出た方がいい。不幸になる可能性もあるけど」という、励ましなのかさっぱりわからない言葉しか、森田の口からは出てこないの。
 ラスト、不幸な結末を受け止め、慟哭することもなく、ただ自分の内でなんとかしようとする森田を、観客が今度は受け止めなければならない。

 この森田富美男という役は岩井秀人自身がモデルで、初演の時は吹越満が演じたのだそう。吹越満だったら、もっとブラックよりのユーモアがありそう。それを今回は自分で演じることを選んだ。それはどうしても、森田という人の苦しみがやがて岩井秀人自身の苦しみに見えてくる、プラスにせよマイナスにせよ、そういう効果がある。承知の上で、あえてやってみたのね。こんな例えがいいかわからないけど、鶴が自分の羽を機に織り込んでいくのを見てしまったような気がした。
 おかげですっかり他人事では済まされなくなってしまった。ほんとに私たちと地続きにいる、と感じたの。少なくともマダムは完全に地続きだ。森田も、黒木も、斉藤も、太郎の両親も、太郎でさえも、ね。
 
 

『秘密の花園』を観る

 備忘録。1月27日(土)ソワレ、東京芸術劇場シアターイースト。

『秘密の花園』
作/唐十郎 演出/福原充則
出演 寺島しのぶ 柄本佑 玉置玲央 川面千晶 三土幸敏
   和田瑠子 福原充則 池田鉄洋 田口トモロヲ

 極寒の疲れ、ハンパなく、意識がなくなることもあったので、レビュー書けません。
 でもこれは主演女優を飽くことなく眺めるための芝居だと感じ、寺島しのぶは実力ある人だけど、2時間半眺めて飽きないようなタイプではないと思いました。少なくとも、マダムはけっこうすぐ飽きた。
 一方で柄本佑は、かつて映画で共演した佐藤浩市が「顔がずるい」と賞賛(?)していた通り、眺めていて飽きない顔なのね。役者同士で「ずるい」と感じるのも無理ない、と妙なところで感心した。

文学座附属演劇研究所『美しきものの伝説』

 生まれてこのかた一番寒い日に、寒いと評判の場所に出かけた。1月26日(金)ソワレ、文学座アトリエ。

文学座附属演劇研究所2017年度 研修科卒業発表会
『美しきものの伝説』
作/宮本研 演出/西本由香
出演 A組 
島村抱月(先生)=溝井翔太郎 大杉栄(クロポトキン)=柳谷駿輔
伊藤野枝=田中佑香 堺利彦(四分六)=鈴木智加寿 
沢田正二郎(早稲田)=齊藤一輝 荒畑寒村(暖村)=光山恭平
平塚らいてう(モナリザ)=音道あいり 神近市子(サロメ)=青柳幸歩 
辻潤(幽然坊)=押川諒  ほか

 寒い寒いと聞かされていたので、お腹と背中にカイロを張り付け、客席でもダウンを着たまま座っていたの。準備がよかったのか、格別寒くはなかった。薄〜いひざ掛けも用意されてた。客席はびっしり満員で(卒業を見届けようという家族もたくさんいたのね)集中力があり、良い雰囲気だった。

 いやあ、面白かった!
 前半は、なんとなく覚束ない感じも見え、長ゼリフになるとこちらに届かなくなるところもあったんだけど、休憩の後、一気に盛り返した。後半はみんな役を生き、その役の人にしか見えなくなっていき、役が語る演劇論と人生論が切実に伝わり、抱月が死に、大杉栄と伊藤野枝が殺される日の朝で終わるラスト、全員が出てきて歌うと、涙がこみ上げた。「花を咲かそう。死ぬほど生きた人がいる」という歌詞に打ちのめされる思い。

 明治から大正にかけて、演劇界を生きた人たち、その周りにいた社会運動家たちの物語。江戸時代まで歌舞伎しかなかった演劇界で、新しい芝居を作ろうとした島村抱月。初めてのスター女優であった松井須磨子。娯楽劇と芸術劇の二つに、演劇を分けて考えることはありなのか、という今も解決しない問題。それぞれの主義に従い、民衆の権利を獲得しようという運動を展開する人たち。自由を獲得しようとする女たち。そのなかで起こる恋愛沙汰と、常に監視されながらの暮らし。思想は人々を助けることができるのか?という根本的な問い。
 
 やっぱり本が良いの。演技に多少瑕疵があっても、しっかりした脚本は役者を助けてくれさえするのね。そして若い人たちは、3時間の本番の中で成長する。幕開けの瞬間はまだどこか素の自分がいるんだけど、演じている間にどんどんそれが消えていき、役そのものを生きるようになっていった。(本当のプロなら幕開けの瞬間からその役でいられるのだろうけど。)
 内容も、若い人が演じるべき物語なのよ。どんなに上手くても実年齢がかけ離れた人では、ラストの歌の意味が違ってしまう。
 
 島村抱月をやった溝井翔太郎や大杉栄の柳谷駿輔が、目を引いた。今、舞台の若手はみんな似たようなイケメンだらけになってつまらないので、中身のしっかりある人に活躍していってほしいな。演技の上手い人こそ、イケメンである(マダムの格言)。
 
 それと、美術に石井強司の名前があって、しみじみ嬉しかった。つかこうへいが「蒲田行進曲のとき、俺に階段の装置を作らせまい、作らせまいとする。装置を作りたがらない装置家」と褒めて(?)いた人。今も健在なのね。
 
 途中、劇中劇というのかな、『人形の家』の一場面を関西弁など使った完全現代アレンジで見せてくれたんだけど、これが秀逸。出て行く決心したノラと、止めようとする夫の会話が、完全に今の日本に移し替えられてて、笑うと同時に、まんま当てはまるなんて日本ってやっぱり遅れてる・・・と実感する。このシーンは完璧に演出家の手柄ね。『人形の家』を本公演で是非!

いのうえひでのり版『近松心中物語』

 満員の客席。1月20日(土)マチネ、新国立劇場中劇場。

シス・カンパニー公演『近松心中物語』
作/秋元松代 演出/いのうえひでのり
出演 堤真一 宮沢りえ 池田成志 小池栄子
   市川猿弥 立石凉子 小野武彦 銀粉蝶 ほか

 二組の男女が心中していく物語。近松が書いたいくつかの心中物をミックスして作家が作り上げたストーリー。
 忠兵衛(堤真一)と梅川(宮沢りえ)は美男美女の正統派悲恋で、与兵衛(池田成志)とお亀(小池栄子)はダメ男とそれに溺れてるダメ女のバカップル。二組の心中話が同時進行するところが、この芝居のよくできたところ。かたっぽだけだと、単調で厚みのない話になっちゃうもんね。
 蜷川御大の出世作であり、20年以上に渡って役者を替え演出も手を加えて上演が続いてきた有名作品。マダムは1981年に帝劇で観てる。
 
 今回の客席は、平均年齢若干高めだけど老若男女ほどよく、キャストの華やかさとセットの豪華さ、彩りの鮮やかさもあり、よりわかりやすく演出したいのうえひでのりの腕前冴え渡ってて、楽しく観たの。高く組み上げた木組みのセットを盆に載せて素早く動かし、場面転換の時間も江戸の町の賑わいを作り出してて、大掛かりなセットを使わせたらいのうえ演出は本領発揮なのね。ホントにエンターテインメントだ。
 四人の主要キャストは役にぴったり。忠兵衛の実直さ、梅川の美しさと希望のなさ、与兵衛のいい加減さ、お亀の愛嬌ある嫉妬深さがそれぞれ滲み出てて、堪能したの。特に堤真一が素晴らしいよ〜。
 正統派悲恋組の方が演じるのは難しい。だって、二人の人物設定が描かれてるシーンは少ないし、どんどん話が進むから、形ばっかりになりかねない。宮沢りえには美しさという説得力が始めからあるけれど、堤真一の方は、すごく考えて、練りに練って忠兵衛を作り上げたと思う。実直さだけが取り柄で生きてきた男が、女に惚れ込み女に実直に向き合ったら、実生活のほうが崩壊してしまう。その道筋を、ブレずに演じていて、忠兵衛がどういう人か、納得したの(蜷川版の平幹二朗は美しかったけど、生きている人という感じがしなかった)。
 
 そう。とても楽しくて、満足したんだけれど、驚いたことに、観ているうちにどんどん1981年の記憶が呼び起こされてしまって。マダムも若かったし、すごいインパクトだったのね。一度しか観てなくて、その後中継映像観たわけでもないのに、これほど呼び起こされるとは。寝た子が起きてしまった。比べずにはいられない。
 でも、昔の話は聞きたくないよ、という人もいると思うので、ここでは比較の話はしないでおく。別記事を書くね。
 
 この日は、お亀と与兵衛の死ぬ死なないで揉めてるシーンで、与兵衛の鬘が取れるというハプニングがあった。すぐ付け直して、芝居は途切れず続行したし、そうでなくても可笑しくて客席は笑ってばかりいるシーンだったので、さらに笑いを取るための仕掛けだったんじゃないか(そんなわけないけど)と思えるほど自然に、大笑いして過ぎていった。感心したのは、カーテンコールで、このことについて謝る、というか触れてみせた、そのやりかた。
 カーテンコール自体はごく真面目にやって、一番最後に主要キャストが背中を向けて、舞台奥へとゆっくり歩き去っていく。そのとき、宮沢りえが隣にいる池田成志に向かって、手で「鬘が取れちゃったでしょ?」みたいな仕草をしたの。で、池田成志はちょっと頭をかいて「ごめん」的な仕草で応えた。客席は拍手しつつ大笑い。言葉で変に「すみませんでした」とか言われるよりずっと、気持ちがいい収まり方だったの。百戦錬磨の宮沢りえ、流石だ。
 
 というわけで、蜷川版『近松心中物語』の話へと続く。

マンガのページをめくるような『プルートウ』

 蜷川芸術監督がいなくなってから、とんと行かなくなってた、シアターコクーン。1月16日(火)ソワレ。

『PLUTO プルートウ』
   鉄腕アトム「史上最大のロボット」より
原作/浦沢直樹✖️手塚治虫 上演台本/谷賢一
演出・振付/シディ・ラルビ・シェルカウイ
出演 森山未來 土屋太鳳 大東駿介 吉見一豊
   吹越満 柄本明 ほか9人のダンサーたち。

 今年の観劇初め。
 昨年の初演の評判が良くて、観たいと思ってたの。テレビで中継もやってたんだけど、チラッと見て、あ、これは絶対ナマで観るべき、と直感して消してしまったくらい。そして、初演よりさらにバージョンアップしてるという話だ。
 演劇が、贅沢な総合芸術だってことを思いっきり味わわせてくれる、刺激的な舞台。
 身体能力ハンパない9人のダンサーが黒子的な役割を果たすんだけど、それが、見たことのないような美しい動きの黒子なの。組み合わせると大きな平行四辺形になるいくつものパネルをキビキビと動かして、次々と場面転換していくんだけど、それがマンガのコマ割りを彷彿とさせ、マンガのページをめくっていくような気持になる・・・。
 さらにアトム(森山未來)やゲジヒト(大東駿介)やその妻ヘレナ(土屋太鳳)たちロボットのロボット感を出す役割も、ダンサーたちが務める。例えば。ロボットが洋服のボタンを留めるとき、人工知能が「ボタンを留めるぞ」と決め、そのために「手をこう動かすぞ」と命令を下し、手がそのように動く(かすかにピー、カシャと音がするような)・・・その一瞬の神経の流れを、周りにいるダンサーたちが表現するの。演じる役者一人の演技だけに、ロボットらしさを背負わせない。周りのダンサーの何本もの手や足がロボット役の体に沿ってうごめき、役者の動きより一瞬早い命令系統の流れを、しなやかに表現してみせる。こんなの、見たことない!どうすればこんなことができるの? もうやみつきになって、ゲジヒトがシャツを着るシーン、20回くらい繰り返されてもいいと思った。
 
 そして気が付いたのだけど、ダンサーたちの動きは、マンガの表現を舞台の表現へ転化した稀有な瞬間。これまでもマンガ原作の舞台は数々あれど、原作のストーリーと人物の性格を写し取ろうとしたものばかり。でもこの『プルートウ』は、ストーリーだけじゃなく、マンガの表現を、舞台の表現に転化しようとして、成功しているのよ。
 マンガの、人物の外側の空間がゆがんだり暗くなったり、心の中のきしみが擬音となって(ゴゴゴゴーッとかボボボボーッとかゾワゾワとか、etc)飾り文字で描かれたり、マンガ独自の表現があるでしょ?人物の絵以外の部分が実はとても重要。そこのところを、ダンサーが担って表現してるの!こんなこと初めてよ。シェルカウイ、すごーい。
 
 圧巻はアトムが空を飛ぶ(当然だ、アトムなんだから)ところ。アトムが飛ぶシーンはね、「アトムになったつもりの3歳児をお父さんとお母さんが持ち上げて飛ばせてあげる」みたいな、超ベタなやり方なの。それなのに、森山未來とダンサーたちがやると、ホントにバビューンって飛んでいくんだよー。同じ人間とは思えない。
 巨大ロボットプルートウも、ダンサーたちが操るんだけど。『戦火の馬』のパペットに負けてなかった。死んでいくプルートウがひどく悲しそうに見えた。
 
 役者さんたちはみんなよかった。特に、もちろん森山未來、本領発揮。そして、テレビの演技があまり好きじゃないのでどうかしら、と思っていた土屋太鳳が、顔じゃなくて体全体で演技するととても魅力的なことに気づいた。

 少しばかり冗長なところがあると思ったけれど、それは芝居のせいというより、原作のせいなのではないかしら。『プルートウ』は読んでないけど、浦沢直樹のほかの作品はどれもちょっとずつ冗長だとマダムは感じたおぼえがある。溜めがありすぎるの。そこが好きって人もいると思うけど。
 そういう意味でも、実に原作に忠実な、画期的な舞台だった。
 

『アテネのタイモン』二回目

 二回目の観劇。12月27日(水)マチネ、彩の国さいたま芸術劇場大ホール。

 評判が良く、平日の昼間にもかかわらず満席で、当日券にもたくさんの人が並んでいたわ。
 芝居自体は初日の方が面白かったんだけど、それはやっぱり色々と初めて見る驚きとかドキドキ感が違うからね。二回目は逆にリラックスして観られたの。そうしたら、いくつか細かいことに気づいたりした。例えば、小さな役で台詞を言う人が違っていたり、踊り子たちがタイモンの周りに侍る形が変化してたり、火事の時赤い借用書の紙が舞い散るんだけど、途中から黒い紙に変わっていくのを確認できたり。火事の煙が今日は多いな、と思ったり。アペマンタスの纏う毛皮が熊っぽいのからキツネっぽいのに変わってたり。
 演技も日々、変化していくものなんだね。カッキーは通路での演技にすっかり慣れて、空いてる座席に座ってみたりしてた。マダムは通路脇の席だったので、彼がマントを翻しながら横を通るたび、いい香りがするなあ・・・なんて思ってた。

 プログラムは普通買わないことにしてるんだけど、今回は買ってよかった。凄く素敵な写真と、メインの四人のロングインタビューと、すべての役者さんの一言が載ってる。それと、吉田鋼太郎VS横田栄司、藤原竜也VS柿澤勇人の対談が載ってるんだけど!横田ファンはこの対談を見逃してはならないと思うわ。

 稽古場見学に始まって1ヶ月間マダムは、ほぼこの公演のために生きてきたので、いま、どっと疲れが押し寄せている。でも、心地よい疲れなので、このまま寝正月に突入するのもいいかしらね。

『ミュージカル ヘッズ・アップ!』を観る

 無謀なスケジュールだった。12月16日(土)マチネ、KAAT神奈川芸術劇場大ホール。

『ミュージカル ヘッズ・アップ!』
脚本/倉持裕
演出/ラサール石井
出演 哀川翔 相葉裕樹 橋本じゅん 青木さやか 池田順矢
   中川晃教 大空祐飛 今拓哉 ほか

 久々にアッキーの歌を聴きたくて行ってみた。
 今、レビューを書く時間が取れないので、記録のみ、あげておくね。あとで、書きます。 

祝 第1回芸術監督作品『アテネのタイモン』その2

 これほど1幕と2幕が、まるで別の芝居のようなテイストのシェイクスピア作品って、他にあったかしら?

 2幕は暗い森の中。セットが、ひんやりと湿気を帯びた深緑色で美しい。日本の森とは樹の姿が違うし、想像するアテネの森とも違い、一番近いのはイギリスの森、のような気がした。
 破産して、アテネの街を出て、タイモンは穴蔵暮らし。アペマンタスに似たボロをまとって、木の根を掘っては齧っている。アテネにいた頃の面影はない。そこへ次々と彼を知る人たちがやってきて、禅問答みたいな会話をする2幕が、圧倒的に1幕より面白いんだけど、それも1幕あってこそ。
 タイモンのところへは、アルシバイアディーズの一群が来て、アペマンタスが来て、強盗たちが来て、フレヴィアスが来て、画家と詩人が来て、元老院議員たちが来る。彼らとの長い不毛な対話。誰とも共感しない。台詞の連なりは、読んでも殆ど理解不能なのに、吉田鋼太郎の声で聞くと、タイモンの人間への絶望の深さ、人間的なものへの徹底した拒否がぐんぐん浮かび上がってくる。台詞がどんな感情から生まれているかを正確に読み取る優れた演出家と、それを正確に、しかもパワフルに演じることができる優れた役者。両方が彼の中に同居してる。ちょっと奇跡だ。だから、吉田鋼太郎演出の時、役者吉田鋼太郎も一番いい演技をするのね。
 
 藤原竜也や横田栄司とのがっぷり四つの会話を観たいというマダムの願いは、ついに叶えられたよ。藤原アペマンタスは1幕こそ苦戦していたけれど、タイモンとサシでの演技になった時、逃げることのできない対話の波に飲み込まれ、心を決めて身を任せたようだった。二人の会話は、人間を信じるなんてくだらないという一点で一致するんだけれど、タイモンは、だからこそもう生きないと決め、アペマンタスはそれでも生きると決め、互いを認め合って別れる(と受け取ったのだけれど、違うかしら)。ののしりあい殴り合って、最後に抱きあってしまった時、演技の高みに上り詰めたように見えて、マダムはちょっと、芝居の中身とは違う部分で感じるものがあったの。藤原竜也はこれでもう一度、舞台を面白いと思うようになれるだろうか。そうあってほしいのだけれど。
 横田フレヴィアスとタイモンのシーンは、他のどの対話とも違っていた。他の対話では常時主導権を握ってるタイモンが、ここでは受け身になるんだよね。気が触れたのか触れたふりしているのか、タイモンはフレヴィアスを知らないそぶりで逃げるけれど、横田フレヴィアスはタイモンを逃がさない。強靭な誠実さでタイモンの心をこじ開けるの。そしてタイモンの「正直な男がたった一人だけいる・・・その一人とは、執事だ・・・」という台詞で、こっちはフレヴィアスとともに、心の涙腺決壊だよ・・・。もう、このシーンは一切の雑音なく、芝居の中に入り込んで観た。なんかね、終わってほしくなかった、このシーンが(無理を言うな、無理を)。


 大劇場での演出は初めてだったけれど、よく知っているさい芸の空間をフル活用し、蜷川御大の遺産ともいうべきスタッフの力を借り、ベテランから若手まで共に歩んできた役者さんたちを集めて、隅々まで台詞術の行き届いた、美しくて面白い舞台が出来上がってた。凄く満足。
 最後に極々個人的なことをひとつ。30年来の友達が、初めてさい芸の大舞台を踏み、大事な役を演じるのを見届けたの。感慨ひとしお。長く生きてくると、こんな凄いこともあるのね。嬉しかった。

祝 第1回芸術監督作品『アテネのタイモン』その1

 初日前夜から興奮状態。自分でもよくわからないテンションに。12月15日(金)ソワレ、さいたま芸術劇場大ホール。

彩の国シェイクスピア・シリーズ第33弾『アテネのタイモン』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/松岡和子
演出・主演/吉田鋼太郎
出演 藤原竜也 柿澤勇人 横田栄司 大石継太 間宮啓行 谷田歩
   河内大和 松田慎也 浅野望 松本こうせい 星和利 杉本政志
   坂田周子 千賀由紀子 林佳世子 ほか

 待ったわ。
 待ちくたびれた、と言っていいと思う。
 吉田鋼太郎演出のシェイクスピアは、なんと 劇団AUNの『十二夜』以来、ほぼ6年ぶりなのよ(『十二夜』の翌年の『冬物語』の時は、母が亡くなって、マダムは観に行けず)。ほんとにもう、待ちくたびれたわー。ブログ10年やってんのに、半分以上は待ってたんだからね。
 そのうえ、読んでもよくわからない『アテネのタイモン』だし、劇場もいきなり4倍位大きいし、どうなるんだろう、って期待と不安が渦巻いちゃってこの1ヶ月くらい、マダムの心はさい芸のまわりをグルグル回っていたのよ。
 でも、待った甲斐があったー。面白かったー。吉田演出の真骨頂!
 マダムはずっと言ってたのよ。今、日本語で上演するシェイクスピアで一番面白い演出をするのは、吉田鋼太郎だって。それが証明されたのよ!どうだどうだ〜。

 このあと観ることが決まってる人は、ここで引き返してね。予習はいらないから。

 

 芝居は1幕と2幕に分かれているんだけど、お話も真っ二つに分かれている。
 1幕目は、アテネの街で裕福に暮らすタイモン(吉田鋼太郎)が客に贅沢なふるまいをし過ぎて破産し、誰も助けてくれないことを知って怒りが爆発するまで。タイモンの屋敷を舞台に、華やかで賑やかなシーンが続く。
 2幕目はうって変わって暗くて静かな森の中。人間に恨み骨髄のタイモンが森の穴蔵で暮らし、訪ねてくる人間と議論の末、次々追い返し、死んでいく(?)までを描く。

 幕開きが素晴らしいの。開演10分前くらいから舞台に役者さんたちが現れ始めて声を出して歩き回る。蜷川御大の舞台でよくあった、見慣れた、懐かしい光景。それだけで観客は喜んじゃって、吉田鋼太郎が現れたらもう拍手が起きちゃうし、そこへまた「ただいま」だなんて言うもんだから、客席はすでに歓喜の悲鳴。まあ、なんて心憎い演出なの。
 そして彼の「さあ、始めようか」の一声で、役者たち全員が舞台の前面にぎっしりと並び、挨拶とともに音楽がなって、一斉にみんな踊り始める。緊張を一気に解かれて、芝居の世界にサッと引き込まれる瞬間。
 このオープニングのダンス、華やかで本当に楽しい!まずはダントツに、ミュージカル出身の柿澤勇人の素敵さにシビれる。そしてもう一人の注目の人は河内大和。彼の美しい立ち姿と鍛えたキレの良さがなんと、ダンスに生かされるとは。すばらしー。
 役者さんたちによる芝居の幕開けを告げるダンスが、やがてタイモンの屋敷で開かれている宴のダンスとなり、お話が始まるこの出だし、つかみはバッチリだ。
 1幕目はとにかく嘘と追従のオンパレード。金のなる木ならぬタイモンに、びっしりと群がる人々。見え見えのお世辞や追従に、大枚叩いて饗すタイモン。お世辞にも歯が浮くけど、もてなすタイモンの台詞もまた「本気なのか?」と疑うような美辞麗句が並んでて、すごく人間関係が上っ面なの。その中で、浮かれてない人間が3人いるのね。哲学者アペマンタス(藤原竜也)と軍人アルシバイアディーズ(柿澤勇人)と、タイモンの執事フレヴィアス(横田栄司)。
 藤原アペマンタスは1幕目はちょっと苦戦してた。華やかな人々の中たった一人ボロを着て歩き回り、皮肉な言葉を投げるんだけど、ほとんどが相手がいない状態で喋らなくちゃならない。すると、彼の台詞術のクセで詠ってしまうのね。でもアペマンタスは皮肉屋だから、詠うのはちょっと違うとマダムは感じたの。もっと、カラッとドライでいいのではないかしら。
 アペマンタスは哲学者ゆえにタイモンたちと逆の意味で浮世離れしてる。なので、ほんとに真っ当な感覚でいるのは執事フレヴィアスだけ。横田フレヴィアスの台詞は、1幕目のなかで際立つ、心に嘘がない台詞。似合いすぎ。優しい役柄を、演じる役者がさらに優しくする。
 アルシバイアディーズは軍人だから浮かれてない。カッキー、堂々のシェイクスピアデビュー。彼だけ別の展開があって、アテネの元老院と対立して追放を命じられ、怒りまくるシーンがあるんだけど、台詞が見事で、舌を巻いたよ。かっこいいし。ようこそ、シェイクスピア界へ。メッチャ、歓迎する〜!
 
 お世辞と追従の波のあと、破産寸前のタイモンに対して、手のひらを返したように冷たくなる人々。描写がくり返しになって、本だと退屈に思えるのだけれど、舞台は演出のアイデアがいっぱいで、飽きなくて、わかりやすくて、笑っちゃうところもたくさんあって。タイモンからの借金の申し入れを断る人々は、カウチに寝そべってワイン飲んでたり、風呂入ってたり、酒場でクダ巻いてたりする。演じる谷田歩、杉本政志、松田慎也も皆テンポが良くてノリが良くて、すごく楽しい。
 そして、誰からも援助が得られないとわかって、人々の裏切りにタイモンの怒りが爆発するのだけれど、この怒りのパワーが半端ではない。これはもう、吉田鋼太郎ならでは。そしてこれこそシェイクスピアならでは。日常生活では絶対感じられないような(もし感じたら凡人には到底耐えられないような)感情の振り幅なの。本当に久しぶりに、パワー全開の吉田鋼太郎を見た!
 この怒り爆発のシーンで、まさか屋敷を燃やしてしまうとは思わなかった。そういう台詞は確かにあるけど。燃える屋敷の前でタイモンが吼える。凄まじいシーンだけど、照明がにじむように美しくて。そして赤い借用書の紙切れが轟々と舞って、少しだけ蜷川演出のことを思い出したマダムだった。
 
 やっぱり長くなる。2幕目については、その2で。

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2018年2月
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