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音楽

ただ美しいこと。と、深く美しいこと。

 万難を排して、平日の夜に駆けつけたよ。2月18日(水)19時、国際フォーラム、ホールA。

『YOSHIO INOUE sings Disney~One Night Dream!』
出演 井上芳雄 /スペシャルゲスト 坂本真綾

 
 5000人収容できるホールがほぼ満員だった。その5000分の1となってきたー。
 コンサートは二部構成になっていて、もちろん二部とも曲は全てディズニーのものなんだけれども、趣は全然違っていてね。第一部は、「アラジン」のために作られた「Proud of Your Boy」という曲を全体のテーマに据えて構成されていた。
 これ、もう、反則でしょお? ホールを埋める観客の半分以上が母である人たちだし、そうでなくても必ず母から生まれた人たちなわけなので、井上芳雄の良い声で「これまで期待を裏切ってきたけれど、貴方の自慢の息子になるようにするよ、お母さん」というような歌を切々と歌い上げられたら、みんな全滅。ホントに、ずるいとしか言いようのないような構成になってて、まいったー。
 美しい旋律で美しい内容の詞を美しい声で歌う。
 ともすれば、キレイごとになってしまう。マダムはキレイごとがとても苦手なの。少し前までの井上芳雄だったら、やっぱりキレイごとの域を出なかったと思うのだけれど。
 でも彼、違ってきてる。
 母は母で、いつも母性愛にあふれてるわけじゃなく、時に押し付けがましいし、利己的。息子は息子で、いつも親孝行なわけじゃなく、普段は親を忘れ、疎ましく思うし。母は期待し過ぎるし、息子は期待にうんざりする。それが普通の親子だったりする。ので、歌のような美しい瞬間は、人生の間にホンの一瞬表われる幻のようなものなの。井上芳雄は、美しい歌詞の後ろに隠れてる苦いものを従えて、深い美しさを表現できるようになったね。歌の演技力が、深くなった。
 
 第二部は、普段の井上芳雄に戻り、ちょっと刺のあるMCを飛ばしつつ、ゲストの坂本真綾とデュエットしたりして、楽しいコンサートだった。でも、第一部で喋りを我慢していた時の方が、歌の力があったような気がするのよ。不思議ね。
 
 この日、同じ5000分の1として、浦井健治と山崎育三郎とが聞きに来ていたね。山崎育三郎は本人そのままだったけど、浦井健治は「星ノ数ホド」のローランドになっててオーラ消してたわ。おもしろい奴。

旋律の記憶

 音楽はマダムの苦手分野と言えるかもしれない。好きな音楽の幅は狭いの。どうしても、言葉(歌詞)で聴いてしまうからかもしれないわ。
 でも、意外なことにマダムの頭の中には、沢山の旋律がしまいこまれていた。
 

 小さい頃、マダムの家ではずっとクラシック音楽が聴こえていた。歳の離れた兄が筋金入りのクラシック狂だったから。でもマダム自身は取り立てて好きにはならなかったし、深い関心を持ったこともなかったの。やがて兄が実家を離れるとそれっきり、マダムとクラシック音楽との縁は切れてしまった。
 ところが、ところが。少し前のことになるけど『のだめカンタービレ』の映画版を観て驚いたわ。
 千秋がオーケストラを指揮をする曲、のだめがピアノを弾く曲など、使われている全ての曲を、マダムは知ってたのよ。いや、曲名は知らないの。作曲者もわからないの。だけど、旋律を憶えてたのよ。流れてくると、一緒にハミングしたくなるくらい。次にどんな旋律が流れてくるか、ちゃんと知ってたの。全曲、ね。
 三つ子の魂とか、門前の小僧とかってこういうことかしら。とにかく、驚いた。ン十年間、マダムの脳の中のかたすみに小さく折り畳まれて、しまいこまれていたのね。のだめを観なかったら、折り畳んだままだったのかも。
 

 全曲、知っていた中で、曲名を知っていたのはガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」だけだったんだけど、逆にこの曲だけは実家で聴いた覚えがなかった。そのことを最近、兄に話してみたら、兄はあっさり「そりゃそうだ。僕はラプソディ・イン・ブルー、大嫌いだからね」と答えたの。さもありなん。
 

 ラプソディ・イン・ブルーを初めて聴いたのがいつだったか、おぼろげながら思い出してきたわ。
 たしか1980年代の中頃、ホンダのCMに使われたのじゃなかったかしら。雨上がりの石畳にホンダのプレリュード(?)が停まっていて、そこへふんわりした衣装のバレリーナたちが踊りながら集まり散じていく、幻想的な映像だった。ラプソディ・イン・ブルーの、真ん中あたりの、突然変調して、ゆったりとした旋律になるところ。そこが使われていた、と思う。
 たかが30秒かそこらの映像と音楽の美しいマッチングに、マダムは惚れ惚れした。そのCM見たさに毎週、ある番組にチャンネルを合わせた気がする。「素晴らしき仲間(たち?)」という30分番組で、ホンダが一社で提供していたと思うのだけど・・・ここまでくると、自分の記憶がどこまでが記憶で、どこからが捏造なのか、よくわからない。
 

 でも1980年代後半からこの曲がテレビでいろいろと使われだしたのには、ちゃんと訳がある。作者の版権が切れて、自由に使えるようになったからよ。のだめでも、テーマ曲としてじゃんじゃん使われて、うちの子供はのだめの曲だと思い込んでるくらい。
 

 一度どうしても書きたかった、旋律の記憶についてでした。

あの素晴らしい愛をもう一度

 加藤和彦が亡くなって、丸2年になるそう。もうそんなに経ったんだね。
 10月16日の命日を前に、NHKBSでドキュメンタリー番組をやっていたので、食い入るように見てしまった。

HV特集『天才音楽家加藤和彦・栄光と苦悩』
 BSプレミアム10月15日(土)22:00


 
 加藤和彦が世に出たとき(若干20歳)マダムは凄く小さな子供だったから、今回のドキュメンタリーで初めて知ったことが沢山あったの。
 例えば学生バンドを始めたとき既にお洒落で格好良くて日本人離れしてたことや、「イムジン河」が発売中止になり、代わりの曲(悲しくてやりきれない)を15分で作曲したこと。
 吉田拓郎の「結婚しようよ」のアレンジを担当して、ドラムスを使わずに膝を叩く音を入れたのも、私財を投げ打ってコンサート用のスピーカーをロンドンから初めて輸入したのも、加藤和彦だったこと。
 安井かずみと出会い結婚してからは、片時も離れず、公私ともに二人で一つだったこと。彼女から生み出される詩が彼を刺激して、いい曲が出来る。いいアレンジが出来る。ジュリーの「危険なふたり」も竹内まりやの「不思議なピーチパイ」も加藤和彦のアレンジだったこと。
 その安井かずみが亡くなったあとは、音楽活動は休止状態になって表舞台から遠ざかり、市川猿之助のスーパー歌舞伎の音楽を担当したりしてた(!)こと。
 最近は木村カエラをボーカルにサディスティックミカバンドを再結成したり、アルフィーの坂崎幸之助と「かずこう」を組んでアルバムを出したり、いろいろなイベントで昔の曲をまた歌ったりしていたが、そういう仕事を「楽だね」と言っていたこと・・・。

 番組は、1時間半。ナビゲーターがおよそ加藤和彦のことはなにも知らないだろう高良健吾だったこと以外は、とてもよく出来ていたわ。加藤和彦と付き合いの深かった人たちがちゃんとインタビューに答え、彼の人となりを凄く率直に話してた。彼の輝かしさも、見せないようにしていた苦しみも。「イムジン河」の作詞家松山猛は、「詩があって初めて曲が作れる人だったから、ズズ(安井かずみ)がいなくなってからはつらかったんじゃないかな」と遠い眼になった。亡くなる一週間前に電話で話したという高橋幸宏は、「俺、うつ病でさ、薬飲んでるんだよ」という彼の言葉を語る時、カメラの前で少し涙眼になり震えているようだった。最後の音楽活動のパートナーだった坂崎幸之助は、言葉の端々に苦悩が感じられたわ。そりゃそうよね。一緒にステージに立ちながら、加藤和彦の心の中にぽっかり空いた空洞に気づけなかった、という思いは悔いとして一生残るだろう。辛いよね。


 彼が亡くなったときマダムはすぐ追悼の記事を書いた(→ここ  )。あのとき思ったことは今も変わらない。それどころか、この番組を見て、さらにその意を強くしたの。
 加藤和彦は、一心同体だったパートナー安井かずみを亡くして、そのあとを追ったのだ。

 命かけてと誓った日から
 素敵な思い出残してきたけど
 あのとき同じ花を見て
 美しいと言ったふたりの心と心が
 今はもう通わない


 これは恋が終わりを告げたことを悲しむ歌。だけど今、死によって相手を失った加藤和彦自身の歌のように思える。彼は、あの、素晴らしい愛をもう一度、と願った。
 願って、生きてはみたけれど、あの素晴らしい愛はもう無いんだと知った。ひとりでは心は通わないんだと知った。彼女の代わりになる人はもう現われないんだと知った。
 遺書には「死にたいというわけではない。ただ、生きているのがいやになった」と書いてあったのだそう。
 凡人には行けない遥か高みまで登り詰めた人は、刺激の無い平坦な道をラクして歩くことが逆に苦痛だったのよ。

 悲しいけれど、なんて言ったらいいのだろう・・・わかったの。誰も彼を止めることは出来なかったのだろうと。

 

変わるし

 心底やる気をなくさせてくれる暑さね。
 日本はもう熱帯になったらしいから、庭のある人は、みんなバナナを植えたらどうかしら? 山も花粉症の元の杉を切っちゃって、バナナの森にする。で、夏はゴロゴロしながら過ごして、おなかが減ったらバナナをもいで食べるの。そうやってなんとか夏をやり過ごす。ね? 熱帯であくせくすると死んじゃうよ。

 観劇の予定が9月まで無くて、最近ちょっと禁断症状で手に震えが。子供につきあって、『借り暮らしのアリエッティ』とか『インセプション』とかを観てはみたけど、震えは治まらない。
 どうにもならずテレビを眺めていたら、矢野顕子のコンサート&ドキュメントをやっていてね。なんだか肩の後ろに積み上がってたらしいものが、ガラガラと音を立てて崩れ去るような唄を歌ってたのよお
 唄の題名は『変わるし』という。作詞作曲、矢野顕子本人。
 詩の内容が凄い。〜大切な親も猫も死んじゃう。あたりまえだけど、あきらめられない〜 と唄ったあとに〜大好きだった人もいつの間にか意識の外。あたりまえじゃないけど、あきらめてね〜 なんて言っちゃうの。〜一生懸命育てた子も、帰っちゃこないし〜 とかさ。そして〜眼に見えるもの、みんな変わるし。涙も忘れる〜 とジャズ風に軽く明るくあっけらかんと唄うのよー。
 マイリマシタ。
 同年代のシンガーソングライター(って言葉も死語?)、たとえば竹内まりやの売れ筋べったり感覚やユーミンのいつまでも恋愛感覚に比べ、なんと自由であることか。
 しばらく癖になりそう。なにか重たくなってきたら、自分に向かってにっこり笑って「変わるし!」と言ってやるのが。

未知の領域を目指してたマイケル

 公開がもうすぐ終了となる『THIS IS IT』を、すべりこみで観てきた。

 リハーサル映像とは全然思えない完成度。
 もうこれだけでおなかいっぱい。
 言葉がないよ。カッコよすぎて。
 少しでもマイケル・ジャクソンに興味がある人は必ず大画面で観た方が良いよ、としか、言いようがない。

 マイケルにとっては音楽は歌うだけじゃなく、躯が動くものだったのよね。だからダンスがダンスだけで完結しないの。歌うことは踊ることだし、踊れば声が出るものなの。歌ったら躯が動いちゃうの。
 周りで一緒に踊っているダンサーはもちろん一流で、素晴らしいんだよ。だけど、やっぱりマイケルひとり、断然違う。周りのダンサーは音楽に合わせて踊ってるんだけど、マイケルは音楽を踊ってる、っていうか。音楽そのものを体現してる、っていうか。フレッド・アステアがジンジャー・ロジャースと踊っているように、音楽をパートナーとして踊っているの。だから、キマルところがバシバシキマッているのに、動きがソフト。力んだところがないの。
 リハーサルだから観客はいなくて、その場面に出演していないダンサーやスタッフが見ているだけなんだけど、彼らはもうすっかりお客になっちゃってて、マイケルの歌に感動しちゃってて、叫んでるんだよね。
 マダムだって映画館で椅子に座って画面を観てても、踊り出したくなっちゃう。声を上げたくなっちゃう。拍手もしたくなっちゃう。いや、しないんだけれどね、映画館だからさ。

 アイデアも満載なの。映像とのコラボが沢山用意されているんだけど、なかでも驚いたのは『三つ数えろ』(ハワード・ホークス監督 1946年作品)の映像と合成して、マイケルがハンフリー・ボガートと共演してるシーン。抜群にセンスがいいのよ。もちろんいいスタッフがついているのだろうけれど、なによりマイケル自身が音楽だけじゃなく、映画についても深い知識があるんだね。古くから蓄積されたものへの敬意を持って、勉強し続けてきたんだと思う。その飽くなき追求こそが、才能なのよ。

 最後の方で、マイケルがスタッフ全員の輪の中で、ライブへの意気込みを静かに語りかける。「観客に現実世界を忘れさせよう。未知の領域を拓いて、ファンに見せよう」
 もう。泣きたかったよ。映画館じゃなかったら。

 芝居も同じライブ。未知の領域を拓く人を、マダムは待ってる。

加藤和彦の死を想う

 ずっと忙しくて、ブログを書きたいという意欲がなかったのだけれど。こんなことに触発されて書くことになるなんて、ホントに悲しくてやりきれない気持ちになるわ。

 

 加藤和彦が亡くなったね。
 マダムが子供の頃にはもう、音楽界(のみならず、時代の)の最先端を行く人だった。よく知られる『帰って来たヨッパライ』にしても『イムジン河』にしても、マダムはその時点では子供過ぎて、意味を感じることなんて出来はしなかったんだけれど、とにかく日本人離れしたスタイリッシュさが子供心にときめくものがあった。才気に溢れ、ユーモアに富み、言いたいことを決して声高に叫んだり生々しいまま突きつけたりはしない。何気ない顔して飄々とやってのける。乾いたダンディズムそのもの。あの容貌からして、それを体現していた。なんてカッコいい人だったの。
 その憧れの気持ちは何十年も経った今も、変わらなかったのに。
 その格好良さが、最後に彼の命を奪ってしまったの。
 どんなに苦しくても、泣きわめいたり叫んだり、誰かに助けを求めたりは、自分自身が許さなかった。そんな格好悪い加藤和彦を、自分で受け入れられなかったんだわ。

 マダムが強く思ったことはふたつ。

 ひとつはね、これは後追い自殺だってこと。
 彼にとって、安井かずみはただの奥さんではなかったのよね。もっと大きな意味での人生のパートナーだったのよ。互いの才能を高めあい、触発しあう、唯一無二の関係。だから彼女を失って、他の人にその役割を求めたけれど、安井かずみの代わりが出来る人などいなかった。
 安井かずみが亡くなって随分と経つけれど、それでも加藤和彦の死は、彼女の後を追ったものだと思う。

 もうひとつはね、今度のことでマダムは伊丹十三のことを思い出さずにはいられなかったの。年代や活躍した分野こそ違うけれど、二人は驚くほど似ている。その才気、そのスタイリッシュさ。スタイリッシュの殻の中に実は一人で抱え込んでいた、計り知れない大きな絶望。あれほどの才能がありながら、やるべきことはもう全部やってしまったと、自分で自分を見切ってしまったところも。格好悪く生きるのは嫌だよ、って逝ってしまったところも。

 人はパンのみで生きるにあらず、っていうでしょ? 陳腐な言葉だけれど、人間は生き甲斐を必要とする。加藤和彦のような才気ある人と、凡人のマダムでは、生き甲斐の中身に天地ほどの差はあるけれど。
 それでも人は生きる意味を必要とする。
 そのことを痛感しながら、加藤和彦の死を少しずつ受け入れて、生きて行こう。

マイケル・ジャクソンについての二、三の考察

 そろそろほとぼりも冷めた頃なので、マイケル・ジャクソンのことが書きたい。

 人の好みというものはどうも、生まれながらに傾向が決まっているところがありはしない?
 マダムの音楽の趣味はとても限られたもので、語るべきことなど何もないけれど、中学生くらいの頃からラジオなどで耳にして「いい声だなあ」と惹かれる歌い手をあとから調べると必ず黒人だったの。およそリズム感など備わっちゃいないマダムなんだけど、ジャクソン5やスティーヴィー・ワンダーの声とリズムには躯の底から突き動かされるものがあって。人類の最初の母はアフリカにいたというけれど、なんだか、マダムのDNAにも呼びかけてくるのよ、ブラック・コンテンポラリー。

 マイケル・ジャクソンの凄さは、歌と踊りが渾然一体となってるところにあったよね。スリラーのビデオクリップを初めて見た時、マダムが真っ先に思い出したのは、古いMGMのミュージカル映画。名画座で何度か観たお気に入りの『イースター・パレード』や『バンド・ワゴン』『巴里のアメリカ人』などなど、ね。たとえば、あの有名な『雨に唄えば』のジーン・ケリーが雨に濡れながらタップを踏むシーン。そんな後世に残る映画の名シーンと肩を並べるくらい、スリラーの映像は素晴らしかったわ。
 なによりも歌を宣伝するための映像、じゃなくなってた。小さな一つの映画と言ってもいい。歌も踊りも美術も、全てを統括する発想のユニークさがずば抜けてた。
 なんの記事で読んだのかもう忘れてしまったけれど、MGMの最高のスターであり踊り手であったフレッド・アステアが、当時のマイケルの踊りを見て「すばらしい」と賞賛したとか。やはり天才は天才を認めるものなのよ、ジャンルを越え世代を越えて。
 マイケルはその後、ポール・マッカートニーなんかともコラボしてたけど、マダムは踊りの方でアステアとコラボしてほしかった。とは言っても、アステアはもうとっくに引退したおじいさんだったんだけれどね。

 マイケル・ジャクソンの声もリズム感も、それからあの躯の切れのよさも、黒人ならではのものだったのにね。どんなに日本人が憧れても、持つことが出来ないものを持っていたのにね。でも彼はそういうありのままの自分を受け入れて生きていくことが、できなかった。もがいている様子が顔に刻まれていくのを見ていて、とても悲しかったよ。

 ちなみにマダムのお気に入りの曲&ビデオクリップは、『スリラー』もいいけど『Leave Me Alone』です。踊りはないんだけど、徹底的にふざけてるところが好きなんだよね。

19/80

 60才辺りの人のことを「アラカン」って言うんだってね、「アラウンド還暦」を縮めて。アラフォーって聞いた時、なんだか作為的流行を感じて嫌だったんだけど、アラカンまで行くと許しちゃう。(しかし、アラカンがもともと誰のことだったか知っている人はマダムの年代でも少ないはず。だが、それはいいとして)
 そのアラカン世代まっただ中の人の、めちゃカッコイイ、コンサート中継映像を見たよ。

 『人間60年 ジュリー祭り』

 今から10年以上前になるけど、マダムはちょっとした病気になり3週間くらい入院してたことがあってね。手術したあとしばらくは点滴に繋がれてて、ベッドの上でホント閑だったのよ。で、小さなCDプレーヤーでイヤホンしてずっと音楽を聴いてたの。そしたら担当の看護婦さん(マダムよりちょっと年上だったなあ)が「音楽、何、聴いてるの?」って訊いてきたの。「歳、近い患者さん、珍しいからね。ちょっと気になって」
「え。ご存知かどうか・・・。Charです」
「ああ!もちろん、知ってるわよー。なるほど、その世代かー。わたしはねー、ジュリーのファンだったのよお、昔」
 マダムは別にアイドル時代のCharのファンだったわけではなく、ギタリストとして不動の地位を築いてからファンになったんだけど、そのようなめんどくさいことを説明する必要もないから、黙ってた。その看護婦さんはちょっと遠い眼になって、ため息まじりに言ったの。
「ジュリー、本当に素敵だったからねえ。でも中年になって、あんなに太っちゃうなんて思いもしなかったからね・・・」

 還暦を迎えたジュリーが、ドームコンサートをする、そこで今までの曲を全部唄う、という話はだいぶ前から聞き及んでいたの。で、あの看護婦さんは行くかなあ?とか思い出したりして、ね。
 マダムはジュリーの熱狂的ファンだったことはないんだけど、でも70年代のヒット曲はほとんどそらで唄えるよ。危険なふたり、勝手にしやがれ、時の過ぎ行くままに、憎みきれないろくでなし、カサブランカ・ダンディ、ダーリング、TOKIO、ストリッパー、サムライ、あなたに今夜はワインをふりかけ。ビジュアルも含めて圧倒的な存在感で歌の世界を作り上げる、希有な歌い手だったもの。(その頃の映像を見なおすと、今のアイドルたちは比べようもなく吹けば飛ぶような軽さだ。今の子たちがグループになってる理由がよくわかる。ひとりじゃ、背負いきれないんだよ。)それでも6、7時間かかるコンサートに行くのは、物理的にも精神的にもハードルが高くて、遠慮してしまった。なによりマダムなんかが行っちゃ、熱狂的ファンに失礼な気がして。だから、NHKがカメラを入れてたって聞いて、しめしめと思ったのだけど。NHKったらたった1時間半しか放映しないんだもの。愕然。ダメだよねえ、ずっと封印してた曲も含めて80曲唄うっていうのに。60才を迎えた歌手がドームで80曲唄うっていう一世一代のイベントなのに、6時間も唄い続けることが奇跡なのに、なぜ全部中継しないんだっ!(それともDVD出すから、それを買ってね、ってことなのかしらん)
 中継は19曲だった。80ぶんの19。
 まあ、行かなかった人間にはそのくらいしか味わえなくて当然なのかも。ぐすっ。

 で、録画しといたのをやっとさっき、見たの。素晴らしかったです。
 30年前のビジュアルが脳裏に焼きついてるので、最初、すっかりおじさんになったジュリーに、うーむと思ったんだけど。衣装はあいかわらず派手だけど、もう化粧っけなしのすっぴんだったし。でも、見てるうちに、そんなこと、どうでもよくなったー!だってもう、歌がいいんだものーっ!声が、若い時と全く変わらない艶と声量なの。表現力はさらにアップしてるの。それが唄い続けても、変わんないの。飛んだり跳ねたり走ったりするの。なのに息切れせずに唄えちゃうの。なんていい声なんだ!なんて情感たっぷりなんだ!なんてカッコいいんだ!うっとり・・・。
 1曲1曲が作品なのよね。こう唄う、こう表現する、こう伝える。ジュリーの中で明確なイメージがあり、それを声で具現化するために、あらゆる努力をしてきた。そういう人のコンサートだった。今までの貯金でなんとか唄っちゃう、なんて気はこれっぽっちもない。そのたびごとに突き詰めて努力を重ねて、作品を作ってきた、そういう人の輝くばかりの60才コンサート。「60にもなって、3万人の前で唄えるなんて、こんな幸せなことはない」とジュリーは言ったけど、その言葉をナマで聞けたファンだってこんな幸せなことはないよね。うらやましーっ。ああ、せめて、今度、芝居、行くぞー。

 最後の方をたまたま見たうちの子供が「このおじさん、凄い。いくつなの?」って言うから、「60才よ。でも走ったり跳ねたりしても、この声なの。こんなに唄えるの。それに比べ、あなたの好きなアラシ、情けなくない?あんなに若いのに、踊ると口パクで」と思わずマダムはまくしたてた。子供も「ホントだ」って認めたよ。
 ということでアラシもアラカンには負けたわけなのでした。へへーんだ。

銀色の髪のキャロル

 むかしむかし子供だった頃。うんと歳の離れた兄の部屋には、大人っぽい魅力的なものがいろいろとあるように思えた。そのひとつが、大袈裟なくらいどっしりしたステレオセットと大量のレコード。
 丁寧な扱い方を厳しく教え込まれたあと、レコードのうちのほんの一部を聞く許可がおりた。繰り返し聞いて、今でもこよなく愛してる『Tapestry つづれ織り』はその中の一枚だったの。ピアノを弾きながら歌うスタイルを初めて知り、その魅力に捕われたまま今に至ってる。
 あれから30年以上がたって、その人の歌声を直に聴く日が来るなんて。
 キャロル・キングの来日公演。東京国際フォーラムAホール。22日夜。
 66歳になるというキャロル・キングの声は、聞き慣れたレコードの声よりも遥かに力強かった。ピアノの音も。遠く離れた席だったけれど、オペラグラスで覗くと『Tapestry』のジャケットと同じ波打つ髪が、ライトに照らされて輝いてる。ただ、髪は白いものが混じっているのか、金というよりは銀色に見えた。
 彼女がアンコールで You've got a friend を歌い始めたときには自然と涙があふれてきて。同じ空間にいることが信じられないまま、2時間は夢のように過ぎてった。

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