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日記・コラム・つぶやき

2019年8月10日 (土)

馬とトラック

 父について書いたことは殆どなかったのだけれど。
 マダムの父は、大正の半ば生まれの人で、青春時代は思い切り戦時中とかぶっていた。徴兵もされ、戦争に行った。
 嫌な思い出が多かったのだろう、当時のことについてあまり話してくれたことはないのだけれど、晩年、マダムが母の介護に実家に通っていた頃、聞かせてくれた話を、今日は書くね。
 父は大学に行き、その間徴兵猶予されていたのだけれど、やがて打ち切られるように卒業させられ、即、徴兵された。徴兵されると、まず訓練がある。父は関東に住んでいたが、送られたのは広島だかの、訓練所だった。
「着くとすぐ、二つのグループに分けられたんだよ」と父は言った。「分けるときには別に理由とかなくて、偶然だったね」
 二つというのは、乗馬訓練か、運転訓練かのどちらかだった。父が入れられたのは運転訓練のグループで、大きな軍用トラックの運転を覚えるのだ。
「そのトラックがおんぼろでね。ちゃんとしてるやつは戦地に持ってってしまったからなのか、訓練用のトラックはだいたいガタがきていた。鍵をさして回しても、一回じゃエンジンがかからないんだよ」
 エンジンがかからないと、父は殴られた。車がポンコツなのに、兵隊のせいにして殴るのだ。
 たまに一回でエンジンがかかると、ああ、今日は殴られないで済む、と思う。でも大抵ほかのことでケチをつけられ、結局父は殴られる毎日だった。そんな目にあったのは父だけだったのか?
「そんなことはない。みんな殴られていた。でも大学卒は目をつけられてたんだよ。大学を出てると、訓練後は一兵卒ではなくてすぐ将校(?)になるので、手が出せなくなるから、今のうちに殴っておこうというわけだよ」
 訓練なんていうものではない、醜いいじめだ。それが横行し、父はただただ耐えた。
 しかし、その横では、もっと恐ろしいことが進行していた。
「乗馬訓練のほうでは、集められてた馬は乗馬用の訓練がされてない馬だったんだよ。農家から取り上げた農作業用の馬ばかりで、人を乗せたことがないから、みんな、落ちるわ踏まれるわで、けが人続出だよ。死んだやつもいた」
 毎日のように、怪我人が運び出されるのを感じつつ、父は黙って我が身の幸運を思ったそうだ。運動神経の良くない自分が乗馬訓練させられていたら、即、死んでいたかもしれない。おんぼろトラックのエンジンのせいで殴られるほうがまだマシだ。
「だいたい、乗馬訓練したって、戦地に行ったら馬なんかいない。馬が与えられる身分の人間なんか、ほんの一握りだしね。意味のない訓練なんだよ」
「あのとき乗馬訓練のほうに入れられていたら、今ここにこうしていなかったかもしれないからなあ」
と、そのとき父は笑って、マダムの子供達の頭を撫でた。
 
 愚かな人たちが上に立ち、命令し、反論できない状況になったら、それはもう地獄だ。
 だからせめて、今、家で、職場で、友人同士で、違うと思うなら意見を表明しなければいけないのよ。
 たとえ、たわいのない芝居についてであっても、意見を言わなくなったら、そこから衰退が始まる、とマダムは思ってる。
 

2019年5月16日 (木)

ロバート・キャンベル著『井上陽水英訳詞集』を買う

 ロバート・キャンベルの『井上陽水英訳詞集』(講談社)という本を買った。3000円近くするズシリと重い本だ。
 
 実を言えば、今、マダムは失業中なのね。失業保険をもらいつつ、仕事を探しつつ、暮らしてる。
 失業保険も出ているし、蓄えも少しはあるから、別に今すぐ困るわけではない。けれど、何が困ると言って、仕事をしていないと、余計なお金がかかるの。
 時間がたくさんあるので、長いことあっていなかった友達に連絡を取って会いに行く。ずっとほったらかしになっていた家の中の小さな不具合を直したり、壊れたものを買い替えたり、手を入れる。忙しくてチャレンジできなかった料理を作ってみる。少し遠くまでドライブしてみる。・・・皆お金のかかることなの。
 芝居のチケットは大半が失業前に買ってあり、今はその予定を粛々とこなしている。時間があるからといって、更に予定を詰め込んだら、たちまち予算オーバーだから、そこはブレーキがかかる。・・・というよりも、予算だけじゃなく、なにか精神的にもブレーキがかかってる。
 フランスかどこか、失業者はタダで美術館とか劇場(?)とかに入れると聞いたことがある。失業してみて思うけど、それはなかなか理にかなってるよ。仕事がないという状態は、精神的に不安定になりやすいから、そういう娯楽が必要なんだよ。でもいちいちお金がかかるから、そうそう出かけてもいられない。
 というわけでマダムは、前にも増して図書館にせっせと通い、せっせと本を読んでいる。
 マダムの小さな家の本棚はぎっしりと詰まっているので、これまでもなるべく本は図書館で借りるようにしてきた。本を増やさないように努力してきた。お金も場所も節約できて、図書館はあらゆる意味でマダムの味方だ。今、一番はまっている作家は、津村記久子。
 
 しかし、どうしても、自分のものにして、ゆっくりと好きなときに好きなだけ読んだり眺めたりすることが必要な種類の、本があるのね。
 ロバート・キャンベルが『井上陽水英訳詞集』を出したと知ったのは2、3日前だったのだけれど、マダムのための本だ、と直感したの。もう絶対に手に入れなければならない。
 というわけで読み始めている。まあ、なんという、豊かな言葉の世界なんだろう。
 お金に問題がないのなら、ずっとこの世界に没入したままでもいいくらいなんだけど。
 まあ、そういうわけにはいかないよね。
 
 こんな状態がずうっと続くなら、どうしても入手したい本がもう一冊あってね。今もまだ、手に入るだろうか。トリュフォーの『ヒッチコック 映画術』という本だ。トリュフォーがヒッチコックにインタビューした本で、ヒッチコックの作品をほぼ網羅している。
 この本を読みながら、ヒッチコックの作品のビデオを一つづつ観ていく。
 もうそりゃ、人生の夏休みだね。
 いや、冬休みかしらね、この歳だしさ。

2019年2月 1日 (金)

最悪の1月

 ブログの更新が滞り、申し訳ない。
 諸事情あり、予定したことがふっとんでしまい、いきなり暇になった。
 暇だわ、さてどうしようかなぁと、力が抜けたら、あっという間にインフルエンザにかかったのだった。かかったのは20年ぶりくらいかしら。子供がかかって看病したことは複数回あっても、その都度うつらずにきた。なのに、当面の目標を失った途端、この体たらくである。
 1週間は完全に家に閉じこもり、食欲もなくて、熱が下がってもぼんやりしていた。その後の1週間は仕事に出かけてはいたものの、それがやっと。食欲が完全回復し、頭が回るようになってきたのはこの数日のことだ。もともとの体力が低空飛行なので、こういう時に戻るのに時間がかかってしまう。
 やっとこさ、いつものペースになってきたら、もうすぐ2月。
 あと一週間で『ヘンリー五世』も開幕だし、エンジンかけねば、と思った1月31日。
 雇い止めにあった。3月いっぱいで今の仕事は終わり。
 最悪だ。
 予感はあった。のだけれど、一方で楽観的な見方もできる状況だったので、「あー、そうきたか」という感じ。
 いろいろ、考え直さねばならない。
 このブログの存続も。
 観劇予算、足元から崩れる・・・。
 
 まあ、すぐにはやめませんよ。観なくちゃならないシェイクスピアが何本か、それに『ヘドウィグ』もあるんだし。
 
 とりあえずは『ヘンリー五世』の初日に行きますんで、そこからはしばらく通常運転しますね。

2017年5月13日 (土)

復帰前の挨拶

 ご無沙汰しました。
 いろいろ片付いてきたので、観劇生活を再開したいと思ってる。
 その前に、この1ヶ月くらい読んだ本を紹介するね。本について話すことはなかなか機会がないので。

「文藝別冊 総特集 くらもちふさこ」2017年4月発行
 くらもちふさこの凄さを改めて、噛みしめるための特集。マンガの技法を極め続けた人の、今も止まらない歩みに、ため息。

「向田邦子シナリオ集Ⅲ 幸福」
 持っていたシナリオ本を人に貸して返ってこなくて、この最高傑作が本棚になくて。文庫で出てるのを発見して買ったら、また読んでしまい、全て知っているのにまた感激してしまったわ。皆さん、これが彼女の最高傑作です。

「日本会議の研究」菅野完著
 長年新聞を読んでいても、知らないことがたくさんある。そのことを痛感するし、黙ってはいられない気持ちになるわ。

「ブラッカムの爆撃機」ウェストール著
 宮崎駿による解説(?)と飛行機の解説図が、ウェストールへの偏愛を語っていて、プラスアルファの楽しみ。

「海街diary8 恋と巡礼」吉田秋生
 1冊出ると、繰り返し読み、さらに1巻からまた読み返してしまう。楽しい。

「悟浄出立」万城目学
 今読みかけ。

「グレート・ギャツビー」フィッツジェラルド 村上春樹訳
 今、再読中(予習)。

 ラインナップの脈絡のなさに、クラクラする。忘れてるものもあるかも。
 今後は芝居のことだけじゃなく、本のことももう少し書けたらいいんだけどね。
 それと、さっき気がついたんだけど、今年の12月で、このブログが10周年を迎えるかも?! えーっ!もう10年経っちゃうのお? やだなあ、もう。年取るわけだわ。まさかの10年・・・。
 というわけで、観劇生活、再開です。

2017年4月 5日 (水)

ジキルとハイドとマダムと私

 かれこれ8年も前のこと、ブログなるものを始めてみようとしたとき、タイトルはキャッチーに、と考えた。内容からすれば「主婦の観劇日記」でよかったのだけれど、そこは少し特色が出るように、とね。思えば、よくぞ『マダム ヴァイオラ』なるものを思いついたと、我ながら感心する。
 そこからマダム文体みたいなものが生まれたせいで、このブログは続いてきたのよね。普段なら上手く言えないことも、この文体を使えばズバリと言うことができ、照れくさいようなことだって、ノリで表現できてしまう。
 マダムという世を忍ぶ仮の姿を手に入れたのよ。

 そこからはジキルとハイドさながら、二人の人間が自分の中にいるのだった。日々の生活、仕事、家庭、両親を見送ったこと・・・実人生の方は、けっこう待ったなしで次々課題を突きつけてくるものね。それを陰ながら支える仮の姿。実人生で疲れ果てても、マダムヴァイオラの方はけっこう余裕で芝居を堪能してたりするんだった。疲れてるからこそ、芝居に対して鋭敏で、受け取るものが大きかったりするんだった。二人の間を行き来することで、なんだかバランスをとっていられたの。
 ところが。

 最近、気がついたのだけれどね。
 どうも、実人生の方が、世を忍ぶ仮の姿化してきてるのよ!ジキルがハイドに乗っ取られたみたいに。
 それはたぶん、実人生の方の課題が少しずつ片付いていき、仕事はお金のために淡々とこなし、家では断捨離する、というような波風のない日々がやってきて、その中に何があるかというと、とりたてて何もない。実人生の影が薄いこと!
 一方、マダムヴァイオラには、8年もブログをやってきただけのことはあり、心を開いて芝居を語れる友が沢山現れていて。実人生と、豊かさがまるっきり逆転しちゃってる感じ。
 ジキルはハイドに乗っ取られる前に、ハイド諸共消えてみせたわけだけど。そんな物騒な話ではなくてね。なんか、このままマダムヴァイオラに乗っ取られても、それはそれでいいのかな、なんて思ってさ。

2015年8月19日 (水)

ズッキーニはお好き?

 ズッキーニが大好きなの。
 あの、ぴかぴかした深い緑色を見ると、つい買ってしまう。それでラタトウーユをたくさん作り過ぎて、子供にうんざりされてしまうのね。で、自分でせっせと食べる。子供はどうもズッキーニが苦手のよう。
 「お母さんは子供のとき、ズッキーニ、好きだったの?」と訊かれた時には、ビックリしたわ。
 「お母さんが子供のとき、ズッキーニは無かったの」と答えたら、子供の方もビックリしたみたいだった。
 そう。マダムが子供のとき、日本にズッキーニは無かった。

 ズッキーニを初めて食べたのは、いつ頃かしら? 実ははっきり憶えてる。今から四半世紀くらい前、イタリアで食べたんだった。当時、友達がフィレンツェに住んでいて、何週間か彼女のアパートに転がり込んで、イタリアを満喫したことがあったの。友達は料理好きで、毎晩彼女のイタ飯を御馳走になったんだけど、ある日、輪切りにしたズッキーニをオリーヴオイルで炒めたのが出てきて、「これ、なあに?」と訊いたんだったわ。「ズッキーニだよ」「おおおー、これが噂のズッキーニかー」というような会話がなされたと記憶している。マダムはそのとき名前だけは知っていたのね。料理本とかに輸入野菜として出てたから。食べたこともあったのかもしれない。でも実物をちゃんとズッキーニと認識して食べたのは、その時が初めてよ。
 それから四半世紀が経ち、ズッキーニは、田舎のスーパーにも普通に並ぶ野菜となった。数年前まではまだ高級感があったけれど、いまではもう、初夏には1本100円を切ることもあって、完全に普通の野菜として定着したわ。
 マダムが子供の頃には無かった・・・と思う野菜、けっこうあるよ。
 ズッキーニやパプリカはもちろんだけど、ブロッコリーなんてものもなかったし。自分の来し方なので思い出せるけど、子供の方はそんなこと知らない。今スーパーに沢山並んでるものが、たかだか30年前にはなかったものだとは、教えなければわからないことなのよね。
 そんなこんなで、ラタトウーユを食べながら、突然思い出したことがある。時代考証的な疑問について。昔々、友人と話した断片的な会話を。

 やはり四半世紀前くらいのことになるかしらね。もっと、前かしら?
 
 当時、小さな映像制作会社で働いていたマダムは、本という本はネタを探すために読んでいた。マダムだけじゃなく、マダムの周りも。もし、映像にするとしたらっていうシミュレーションをいつもしててね。とある大ベストセラーについて時代考証的な疑問を発見した。それはかの有名な村上春樹の、かの有名な「ノルウェイの森」。
 「ノルウェイの森」を知らない人は少ないと思うけれど、ごく簡単に説明すると。70年安保闘争の頃、学生時代まっただ中の主人公ワタナベトオルが、緑と直子という、二人の女の子の間でうろうろする物語。緑には病気のお父さんがいて、トオルはひょんなことから見舞うことになる。トオルは、ほとんど何も食べなくなった病人に、キュウリを食べさせることに成功し、緑を感動させるのだけれど。
 問題はこのキュウリのところ。
 病室になんでキュウリなんかがあったのか、緑とトオルが推測する。トオルが「キウィの間違いなんじゃないの?」みたいなことを言うのね。
 マダムと友人は、この「キウィ」にひっかかってしまったのよ。
 1970年頃、キウィは日本にあったかしら? 
 あったとしても、一般的ではなかったんじゃない?
 作者自身が70年代に大学生だったのに、筆が滑ったのかしら。
 
 ちなみに、今更「ノルウェイの森」にケチを付けようという訳ではないの。もう、あまりにも時効すぎる内容だし、小説の本質には関係ないことだし。
 だけど。小説で読んでいる時は通り過ぎてしまうような小さな疑問でも、もし映像や芝居になって、台詞に「キウィ」が出てきたら、それは全体に影響するようなインパクトを持ってしまうかもしれない。その台詞のせいで、作り上げようとした70年代の雰囲気が、台無しになってしまうかもしれないのよ。
 原作から台本を作る時、何を選び何を選ばないか。小さいことの積み重ねだけど、凄く大きなことなのよね。
 四半世紀を過ぎて「ノルウェイの森」は映画になった。マダムは観てないのだけど。

 あのとき見つけた小さな疑問は、疑問のまま四半世紀を過ぎて、まだ脳裏に残ってた。マダムの脳の中には、こんなふうにどうでもいいことが埋まってる。そして、ふとした折に(たとえばズッキーニについて子供と話した時に)、記憶の底から急に現われるんだわ。
 そして、こんなふうにブログに書いちゃえば、その記憶を成仏(?)させることができるの。日記じゃだめなのよね。そこがブログの凄いところだわ。

2015年6月17日 (水)

永久保存版の寿命

 先日、友人から送ってもらった、とあるお宝映像を見ようとして、DVDをうちのテレビにセットしたところ、読み込めなかったの。
 え、なんでよ、どうしてよ?!と、機械に弱いマダムはテレビの周りを走り回ったが、読み込めないことに変わりはなかった・・・。

 うちのテレビは、ブルーレイレコーダー内蔵のテレビなのね。それで、レンタルのDVDは見られるんだけど、どうも録画したDVDは読み込めないらしい。でも、最近までその事実に気がつかなかったの。というのもこの間まで、うちのテレビにはプレイステーション3がつながっていてね。テレビの方には録画用のディスクが入ってることが多いもんだから、マダムはDVDを見る時には、プレイステーションを使って見てたのよー。それで全然、不自由してなかった。
 ところが子供が下宿するにあたって、プレイステーションを外して持って行ってしまった。マダムとしては、テレビがあれば全然OKと思ってたから、寝耳に水の事態よ。そのお宝映像のみならず、マダムが永久保存版として録画しておいた芝居の中継など、見られなくなってしまった! 困った。
 やむなく、DVDプレーヤーを買うしかない、と考え、熱帯雨林で検索してみたら、なんと・・・中古しか売ってない。DVDプレーヤーは製造中止のようなのだった。
 え? つまり、マダムが永久保存版だと思ってせっせと録画してきたものの「永久」ってのは、10年くらいのことだったの?
 その前に、ビデオテープにせっせと録画した時代もあった。ていうか、実はマダムの手元にはまだ、ビデオテープも沢山残ってる。デッキは20年くらい(たぶん)前に買ったもので、かろうじてまだ現役なの。で、いろんな人から、早くそれをディスクに移せと言われたりしたんだけど、やってない。
 マダムはそういうめんどくさいこと、嫌いなのよっ!
 だから、デッキが壊れたらもうおしまいよっ!マダムが録画して持ってる堤真一の『タンゴ冬の終わりに』も、歌のフレーズが消されてない『天保十二年のシェイクスピア』も、風間杜夫のひとり芝居三部作も、全部おしまいおしまいおしまいっ!

 惜しいと思う人は、マダムを助けなさい。
 マダムはもう、嫌になっちゃったんだよ。

 永久保存版の永久なんてさ、たかだか10年だとしたら、馬鹿馬鹿しいじゃないさ。子供の頃から大事にしてる本は、黄ばんでかび臭いけど、まだちゃんと読めるよ。孫に譲り渡せるわ。永久、まで行かないにしても、永久保存版という言葉に少しは真実味があるでしょ。それに比べて映像ときたらさ?
 ま、いいのよ。どうせ、放映した会社には保存されてんでしょ。マダムががんばって永久とか思う必要なんかないもんね。

 ああ。いきがってみたけど、DVDが見られないのはホントに困る。
 中古のプレステ3を買う、という究極のプランも浮上して、マダムは混乱のただなかにあるわ・・・。

2014年12月10日 (水)

ブルボン王朝の復活

 いろんなものがじわじわと値上がりして、生活を圧迫してる。これから暮らしが楽になるなんてこと、なさそう。1年半経って、ムチャクチャ景気がわるくっても、あのとき国民は値上げを承認してくれた、って言って、容赦なく消費税も上がるんだね、きっと。
 もともとマダム家のエンゲル係数は低い方なの。問題はエンゲキ係数の方。観たい芝居がどんどん増え、今年は例年の予算を遥かにオーバーしてしまって。心を鬼にして取捨選択を断行しているんだけど、面白いものが多過ぎる。それに、チケットに付随する手数料とか発券料とかナントカ料とか、そこに全部消費税が載るのよ? 来年も観たいものが目白押しなので、何かを削って赤字を防がねば。マダム家は国債発行できないからさ。
 というわけで、もともと低いエンゲル係数を更に下げなくてはならないことになった。
 子どもが大きくなって、ひと頃よりおやつを食べなくなったので、ここのところ、少し高くて量も少ないけど美味しいお菓子を、買うようにしてたの。ちょっと食べて幸せになるのがいいなあと思って。
 でもそんなこと、言っていられないわ。これからは、ブ○ボンの袋菓子をちょっとずつ食べていただくことにする。しばらく買わないでいたけど、まとめ買いしよーっと。ブ○ボン王朝の復活だー。
 許してね、子ども。母のエンゲキ係数を支えるためだよ・・・。

2014年4月30日 (水)

思い出のケーキ

 怒濤の5月をひかえて、少しばかり充電中のマダム。
 とはいえ、私生活的には忙しくて、空き家となった実家の片付けに追われてた。

 実家の近くには今はすっかり寂れてしまった商店街があり、かつては八百屋、肉屋、魚屋、豆腐屋などがずらりと並んでて、マダム家の食卓を支えてくれてた。なかでもちょっとしたハレの日を演出してくれた小さな洋菓子店のことが忘れられないの。
 洋菓子店は、名をエーデルワイスといった。寡黙な旦那さんが菓子職人(今でいうパティシエね)として奥のほうでケーキを作り、美人の奥さんが1坪くらいの小さな店のガラスケースの前で客を出迎えてた。個人商店なので、ケースに並ぶケーキの数はいつも決まっていて、日曜日の午後などに出遅れると、もうほとんど売り切れという日もあった。小さいながらも、人気の高いお店だったの。
 学生時代、実家なのになぜか一人暮らしを余儀なくされたマダムは、ときどき、エーデルワイスに出向き、1個か2個、ケーキを買った。そんな買い方も全然許される、地元のお店だった。だけど、その後、どんなに有名な、値段の高いケーキを食べても、あの時のケーキには敵わないと思うのよ。それほど上品で、甘さや滑らかさのバランスが絶妙なケーキだったの。
 しばらく実家を離れていたマダムが、再びそのケーキに戻ったのは、子供が生まれてからだったわ。小さな子供を連れて実家を訪れると、父や母は孫が来たからと、ケーキを買いにいった。孫をダシにしてたけど、エーデルワイスのケーキが大好きだったので、食べたくてしかたなかったみたい。母は、何に対しても保守的な人であったので、選ぶのはいつ何時もイチゴのショートケーキと決まっていた。父は好奇心旺盛で新しい物好きだったので、新商品が出ると試してたけど、一番好きなケーキはマダムと一致していた。そのケーキは、キリッシュトルテという名がついていた。
 エーデルワイスのキリッシュトルテは、マダムのそこそこ長いケーキ人生の中で金字塔のようなケーキ。ココア生地のスポンジと生クリームを何層かに重ね、途中のクリーム層に洋酒漬けのチェリーが入っている。生クリームで飾られた上にひとつチェリーが載っている。ただそれだけ。ただそれだけ、なんだけれども、ココア生地の肌理の細かさも、生クリームの控えめな甘さと滑らかさも、チェリーに沁みた洋酒の薫りを引き立たせるためにあって、全てがかけ算となって美味しいケーキを作り上げていたの。
 
 ところが、ある頃からケースの中にキリッシュトルテを見かけなくなった。いつ行ってもないので、訊いてみると、店の奥さんから意外な答えが返ってきた。「キリッシュトルテは最近、作らなくなったんです。アルコールを使ってないケーキをお求めのお客さんが増えたので」
 ショックを受けたけれど次の瞬間、マダムはたたみかけたわ。「では、ホールで買うから、作ってもらえますか?」この際、ホールの半分を自分で食べることになってもやむを得まい、とマダムは思ってた。ていうか、食べたかった、のかもしれない。でも、奥さんは首を振った。
 「洋酒漬けのチェリーが、輸入品の缶詰なんですけど、ひと缶がとても大きいんです。缶を開けたら、しばらくキリッシュトルテを作り続けないといけない。でも、それほどは売れないので、缶詰を仕入れることもやめてしまって。もう作れないんです」申し訳無さそうに、奥さんは言った。
 その後も、マダム家ではエーデルワイスのケーキを買い続けた。けれど、金字塔のキリッシュトルテを食べることはもう、かなわなかった。
 
 父が亡くなり、足を悪くした母が施設に入るのと時を同じくして、エーデルワイスは突然、店を閉めた。ケーキを作ってきた旦那さんが体調を崩されて、引退することにしたらしい。
 実家に誰もいなくなり、集う人も無くなったとき、その象徴だったケーキも姿を消してしまったの。
 実家の最後の住人だった母が昨年亡くなって、一周忌を過ぎたこの冬、マダムと兄は、実家を畳むことを決めて、片づけに励んだ。これでもう終わり、という日、車であの洋菓子店の前を通り過ぎた。シャッターが下りた、素っ気ない建物の様子をかいま見て、いろんなことが終わったなあとしみじみ感じるところがあった。
 
 生きている者は、先に進まなくちゃいけないわ。
 というわけで、マダムは進む。

2013年3月11日 (月)

3.11とホラー映画

 今日は3月11日。日本人にとって特別な日なので、マダムもちょっと、芝居から離れて。
 知り合いが関わっているドキュメンタリー映画を観てきたので、そのお話をします。2月23日(土)、オーディトリウム渋谷にて。

『3.11後を生きる』
製作・監督 中田秀夫

 中田秀夫監督は、言わずと知れた『リング』などのホラー映画で有名な監督なのだけれど、一方で地味にこつこつとドキュメンタリー映画を撮ってきた。でもこれまでの作品はいずれも、崇拝する映画監督について語るものだったり、ハリウッドで映画を撮った時の体験を語るものだったりして、映画に関して限定だったのね。
 その人が撮った3.11後。どんなものなのか、見当もつかずに観に行ったの。

 映画は、生き残った人へのインタビューが連なって出来ていた。
 墓石に名を刻む石屋の親方は、ただひたすら「3月11日没」と刻み続ける、その辛さを語る。
 妻を津波で流された高校の先生は、妻が亡くなった時の様子を淡々と語った後、「私には過ぎた女性でした」と付け加えた。口調に変化はないけれど、頬をとめどもなく涙が流れ落ちる。
 妻も子供も、家族一切を失った漁師は、自分だけが船を沖に出してて助かった。船を出しにいく時に「お前たちも高台に逃げろ」となぜ言わなかったのかを悔やみ続けてる。
 略奪などは一切無かったことになってたけれど、実はスーパーの衣料品などは、どんどん盗られていったという証言もあった。だけど、全てを失って着替えも持たない人が、壁に大穴が空いたスーパーから服を盗ったからといって、警察は逮捕することはしなかった。暗黙の了解で、見て見ぬ振りをしたらしい。マダムはこの部分に凄く心動かされたよ。「略奪なんかしない行儀の良い日本人」というイメージを守ることより、やむにやまれず生きるために服を盗った人を見逃そうとするおまわりさんの行動の方が、ずっとずっと人間として素晴らしい。公では褒められないのかもしれないけれど、マダムはここでそっと賞賛しておくわ。
 
 実はこの映画は3.11の半年後には完成していた。でもすぐに公開には至らなかった。その辺の事情について、上映後のトークショーでも監督は明かさなかったけれど、この映画がきれいごとでは済まない部分に触れていたから、なかなか公開できなかった、ということなのかしら?
 だけど、そここそが、テレビで見慣れた「感動的な」ドキュメントとは一線を画すところだったの。
 きれいごとは巡り巡って、結局人を不幸にする、とマダムは思うわ。
 
 中田監督は、5月に公開するホラー映画『クロユリ団地』がヒットしたら、『3.11後』第二弾を撮りたい、と語っていた。ホラーが苦手なマダムはここで宣伝することで、協力したいの。ホラーが好きな方、前田敦子が好きな方、成宮寛貴が好きな方、勝村政信のファンの方、是非、『クロユリ団地』を観に行ってくださいね!

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