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ハイバイ

演劇の宇宙の広がり『世界は一人』

 ハイバイのつもりでつい、シアターイーストに行ってしまいそうだった。3月8日(金)ソワレ、東京芸術劇場プレイハウス。

 

パルコ・プロデュース『世界は一人』
作・演出/岩井秀人
音楽/前野健太
出演 松尾スズキ 松たか子 瑛太 平田敦子 菅原永二 
   平原テツ 古川琴音 

 

 2月16日に『ヘンリー五世』を観劇してから何も観ない3週間を経て、『世界は一人』を観た。そうしたら「演劇って、なんて広い広いジャンルなんだろう!凄くない?この広がり」って、世界中に向かって叫びたくなったマダム。あっちも演劇でこっちも演劇で、どっちも好きだなんて。自分の中に無限の愛を抱える幸せ。

 なんかね。

 

 凄いところに岩井秀人は突き抜けちゃったよ。
 ハイバイで、日常の人間関係をひたすら追求していて、掘って掘って掘りまくっていったら、別世界に到達した感じ。

 

 びっくりと、しみじみと、ずしーんとが、混ぜ合わさってやってきた観劇後の、なんとも言葉にならない感情を、これから書いてみるけれど、果たして、伝えられるのかしらん。
 

 

 まずは、びっくりから。

 

 見たこともないミュージカルだったのよ。
 この芝居のことを音楽劇だ、と紹介している方がたくさんいたんだけど(作者自身もそう言ってる)、マダムは敢えて「ミュージカル」だ、と言いたいの。だって、これは歌入りのお芝居ではなくて、台詞から繋がる感情が歌になっていってるんだもの。これをミュージカルと言わずに、何がミュージカル?
 マダムは日本発のオリジナルミュージカルが出てくるのを心待ちにしていたのだけれど、まさか岩井秀人から出てくると思っていなかった。いつも劇中で使われる曲の選曲がどんぴしゃりなので、感心していたんだけど、一気にミュージカルまで行ってしまうなんて。
 舞台上にバンドがいて、ギターを抱えた前野健太は完全に役者の一人のようにいつもいて、効果音のようにシャウトするし、役者たちも皆、台詞の流れの中で歌う。

 3人の幼馴染(松尾スズキ、松たか子、瑛太)が、辛い人生を生きて行く物語。
 岩井秀人は、ハイバイでの作風からわかる通り、人生を見る目の容赦ない人。簡単に慰めたり励ましたりしない人。それは重々承知しているマダムだけど、今回のこの容赦なさは、どうだろう。これまでにない救いのなさなの(←これがなんと褒め言葉)。
 吾郎(松尾スズキ)と良平(瑛太)と美子(松たか子)は、北九州のとある町で育った幼馴染。吾郎はお人好しで押されがち、良平は要領がいいと自分だけは信じてる子供で、美子は不動産収入たっぷりな金持ちの家の子で、でも親からネグレクトされている。
 三人がそれぞれの悲惨な時間を経て大人になっていく様子を、これといって悲惨を強調せずに淡々と、描いていく。簡単に感情移入されることを、拒んでいるかのよう。
 大人になった吾郎は東京に出るが、お人好しな性格が災いして、人を騙したり陥れたりして稼ぐような仕事をどんどんしてしまう。美子は、ネグレクトされ続けて心を病み、自宅マンションから飛び降り自殺を図って病院に運ばれる。長期入院の末にやっと退院すると、親は不動産を売り払って雲隠れしており、美子は文無しで宿無しの身分に転落する。
 そんな吾郎と美子が東京で偶然再会するシーンで、歌われる歌が、素晴らしくて。正確な歌詞ではないんだけど「これまでのことを話さずに生きよう。辛い過去には触れずにおこう」という歌。松たか子は、歌で役の心を表現させたら日本一の女優ね。この歌が沁みること沁みること!
 ミュージカルの歌が人物の心の声だとするならば、この曲こそがミュージカルの歌だよ。芝居の後も、メロディが耳に残って離れない。
 しかも歌詞に乗せている言葉が、実に日本人メンタリティ(というか、岩井メンタリティ?)。再会した二人は、お互いに知らない人のふりをして会話するのよ。一目見て互いに察知したの。過去が辛すぎて、それに触れたら心が壊れてしまうことを。そういう歌。

 二人は結婚し、北九州の町に戻る。吾郎が職を求めて公民館に行くと、そこにはひきこもりから抜け出そうとしている良平がいた。良平もまた、人との距離感が上手く測れないまま大人になってしまったの。
 吾郎と美子の間に子供が生まれ、美子は子供を溺愛し、激しい過干渉になるのだが、吾郎はそれを止めることができない。子供(平田敦子!)は外の世界を異常に怖がり、家を訪ねてきた良平に部分的(子供の分身=古川琴音)に救い出されるのだけれど・・・。
 お話は、とりたてて結論のようなものはなく、そこで終わっている。
 
 ハイバイで研ぎ澄まされてきた手法が、縦横無尽に舞台を作っている。ただ演技だけで子供時代から大人まで表現すること。枠組みしかないドア(ハイバイドア)を開け閉めすれば、どんな空間も瞬時に作れること。音楽が、状況の身も蓋もなさを限りなく増幅すること。
 そして、安易な感動を寄せつけないこと。
 言葉が見つからなくて、困っているのだけど、今マダムが言えるのは、岩井秀人が日本のカウリスマキになったみたいだ、ってことです。

ハイバイ15周年記念同時上演『て』と『夫婦』 続いて『夫婦』

 夏休み終わって、仕事の初日の夜、観劇。誰がこんなスケジュール組んだの?8月23日(木)ソワレ、東京芸術劇場シアターウェスト。

 

劇団ハイバイ15周年記念同時上演『夫婦』
作・演出/岩井秀人
出演 山内圭哉 岩井秀人 遊屋慎太郎 瀬戸さおり 渡邊雅廣
   川上友里 八木光太郎 菅原永二

 

 『夫婦』も再演なので、以前の記事をまず読んでね、と言おうとしたら、記事が無かった。よく考えてみたら初演は、テレビ中継で観たんだったわ。
 なので、少しあらすじを書かなくちゃね。
 
 作家の岩井秀人本人と、その両親の物語。
 『て』でも書かれているように、岩井家の父親は酒乱で、子供達は散々殴られてきて、そのせいもあって岩井秀人は5年間ひきこもっていた、という人なのね。そして、今回は晩年の両親に焦点を当てて『夫婦』を作った。

 父の危篤の知らせを受けて秀人(菅原永二)が病院に駆けつけると、そこには痩せこけて変わり果てた父の姿(人形)があった。看病してきた母(山内圭哉)や姉(瀬戸さおり)の話を聞くと、肺がんの手術が上手くいかず、その後の治療も説明足らずで納得がいかない様子。そうこうするうち父は亡くなり秀人は、医師だった父の皮肉な最期や、母との馴れ初めなどを知っていく。
 と書くと重々しい一代記のようだけど、そこはハイバイだから、一筋縄ではいかない。外面のいい父だけど、家の中では子供に理不尽な暴力を振るう。結婚前はいっぱしの男女平等論を喋っていたのが、結婚後は「釣った魚に餌をやるやつがどこにいる」とか言って母をどこへも連れて行かない。そんな酷いエピソードを、サラッと飄々と乾いたタッチで描きつつ、話は進む。
 再演だけど、母と現在の秀人役以外は、役者が代わっている。前回父親役だった猪股俊明が隣りの劇場で『て』のほうに出演中のため、『夫婦』の父親は岩井秀人が演じる。マダムはこれが、ちょっと怖かったの。いや、殴る父親だから怖いんだけど、猪股俊明の演技がフィクションの名演技だとすると、岩井秀人の演技はノンフィクションの要素が入っていて、それが怖かったんだよね。
 
 あんなに酷い目にあったのに、父の最期の闘病に母は寄り添い、病院の対応に不満を述べ、父が亡くなった今、彼の業績をちょっと誇りにしてるところがあったりする。腹腔鏡手術の草分けの人であったので、母がその手術を受けた時、傷口を見せびらかしたりして嬉しそうなの(ふんわり大らかな母に山内圭哉がすごく似合うんだけど)。
 前回はそんな母の様子に、ちょっと呆れている視線が感じられたのだけれど、今回はその視線が随分と薄れていて、芝居全体が、母の気持ちで覆われていたので、マダムはもやもやしてしまった。
 「家庭内では暴力ふるってたけど、仕事では業績を残したからまあいいよねー」っていうつもりはこの芝居にはないはずだけど、ちょっと感じられてしまったので、当惑しちゃって。
 どうしてそんな風に感じたのか、いろいろと考えて、記事にするまで時間がかかってしまったけど、結局原因は解明できなかった。
 もしかしたら、こんな風にいつまでもモヤモヤさせることが演出家の狙いだったのかな。術中にハマったわ。

ハイバイ15周年記念連続上演『て』と『夫婦』 まずは『て』

 少し久しぶりの劇場。8月19日(日)マチネ、東京芸術劇場シアターイースト。

 

劇団ハイバイ15周年記念連続上演 『て』
作・演出/岩井秀人
出演 浅野和之 猪股俊明 平原テツ 安藤聖 田村健太郎 湯川ひな
   能島瑞穂 今井隆文 岩瀬亮 松尾英太郎 佐野剛 長友郁真

 

 

 

 『て』はマダムが初めてハイバイと出会ってファンになった、記念すべき作品。前回観た時から数年だよなぁ、と過去のブログを探したら、なんともう5年も経っていたわ。劇団10周年の時だったの。びっくり。そのときの記事は→ここ 。基本的に同じ台本で、同じ演出なので、どんな芝居なのかは、5年前の記事を読んでね。
 
 5年前に主役(?)のお母さん役をやったのは岩井秀人本人で、とても魅力的だった。がっちり男性の骨格の岩井秀人が、おかっぱのかつらとワンピースで、演じる。女を演じるからといって、何も特別な型や技術を使うわけじゃない。女を演じる、のではなくて、母(通子)という役を演じるの。そのやり方に、なるほど、と頷いたのよね。
 そして今回は、その役になんと浅野和之登場!浅野和之がハイバイにゲスト出演するというセンス(浅野さんとハイバイの両方の)の良さに唸るばかりだ。
 浅野和之は、『ベッジ・パードン』で11役(13役だっけ?)を演じ分けたことのある怪優であるので、何の心配もいらなかったし、本当にもう…すごかった。特に最後の、夫に対する積もり積もった心情を叫ぶようにぶつけるところ、怒りと恨みと情けなさと絶望の混じり具合が、他の誰にも真似のできない迫力だったわ。
 
 前半、次男の次郎(田村健太郎)の視線で描き、同じ時間の流れを、後半は母の視線で描く。5年前は、両方をバランス良く見られたマダムだったけど、今回は完全に母視線。浅野和之だからってことじゃなく、自分がそういう年齢になったというごく個人的理由なんだけどね。
 母が本当は行きたかった同窓会に行かなかったことを内緒にしつつ、参加した友人から電話がかかってきて様子を聞き、「森田くん、独身なの?私…森田くんと結婚すればよかった」と口走ってしまう。そこで架空の「リバーサイド」が遠くから刺すように聞こえてきて、母が40年の来し方を一瞬で絶望的に振り返る(という風に見えた)その演出、冴え渡ってた。圧巻。
 
 他の人物もリアリティがありすぎて、うんざりするくらいだった(褒めてる)。平原テツの長男も、たむけんの次男も、安藤聖のいい子風無神経な長女も。ほんとにさ、名ばかりの家族なんか、あっさり解消できたらいいのに。
 ハイバイの岩井秀人の前に、家族神話なんか全面的に崩壊だわ。
 
 さて、すぐに『夫婦』の上演も始まる。行かねば。

さいたまゴールドシアター番外公演『ワレワレのモロモロ2018春』

 さい芸の稽古場に行くのは『アテネのタイモン』稽古場見学以来だ。5月12日(土)マチネ、彩の国さいたま芸術劇場大稽古場。

 

さいたまゴールドシアター番外公演『ワレワレのモロモロ2018春』
構成・演出/岩井秀人
出演 百元夏繪 高橋清 石井菖子 田村律子 大串三和子 森下竜一
   谷川美枝 竹居正武 遠山陽一 小林充子 佐藤禮子 益田ひろ子
   小川喬也 神尾冨美子

 

 昨年『薄い桃色のかたまり』でマダムを震撼とさせたゴールドシアター。今年はハイバイの岩井秀人を演出に迎えて公演を打つというので、またまた心憎い人選だなあと感心しつつ、観に行ってきたの。

 ハイバイの芝居はいつも、役者の一人が先に出てきて、携帯を切ってね、とか飴の袋をチリチリ開けるのはやめてね、とか話すのだけれど、それも同じように前説が行われ、うんうん、ここまではハイバイだぞ、と頷いた。
 セットも、木の枠だけの箱状のセットを部屋に見立てて、時折窓が開いたり、部屋の大きさが変わったりする。ハイバイの『て』を連想させるような自由度の高いセットなの。
 しかし。ハイバイの『ワレワレのモロモロ』の作り方(役者それぞれの苦い失敗談を元に皆で芝居を作る。)は知っていたので、構成は予想どおりだったんだけど、しょっぱなが冷蔵庫を買い換える話で、それ以上の意味もそれ以下の意味もない話だったのでビックリしたの。しかもその主役たる百元夏繪が風邪で全く声が出ないとのことで、マイクを持って舞台に立ち、それでも声がほとんど聞こえないというハプニングの嵐。
 彼女の声があまりにも出ないので、途中で、彼女のセリフを皆で手分けして喋ります、という断りがはいるシーンもあったりして、全体的に凄く助け合いの精神が感じられる舞台になった。観ている観客の側も、頑張れ、と心の中でエールを送りながらの観劇で、なんか筋がどうとか意味がどうとかより、その助け合いを固唾を呑んで見守るのがこの芝居の目的のようになっていって。
 そういえば、『薄い桃色のかたまり』のときには随所にネクストシアターの役者たちが配置され、守護神のように岡田正が輪の中にいたのね。でも今回はゴールドの役者のみだってことに、今更ながら気づいて、ハラハラするマダム。
 
 6つの話のオムニバス形式になっていて、冷蔵庫を買い換える話から、戦争中の記憶の話まで、様々な題材を扱っていたけど、題材の中身をあれこれ考えさせることよりも、それに向き合う今の役者としての姿(歳をとって、スムーズには動けずセリフも滑らかには出てこず、時折たちすくみ、お互い助け合う)をとにかく見せ続けることに意味がある、ということなのかな。
 
 客席には演出の岩井秀人はもちろん、ネクストシアターの役者たちも見に来ていて、観客と一体となってハラハラしつつ暖かく見守った1時間40分だった。
 
 これ、オムニバスだから成立したけど、1時間40分で1本の芝居を作るとしたら、やはりネクスト(またはそのような役割ができる役者)の力を借りないと無理なのではないかしらね。
 この日はアフタートークがあって、岩井秀人と演劇ジャーナリストの徳永京子、それにさい芸の制作の渡辺弘、という顔ぶれのお話が聞けたのだけれど、それはまた別記事でね。
 
 

『ハイバイ、もよおす』を観る

 すごく久しぶりの横浜。7月29日(土)ソワレ、KAAT神奈川芸術劇場、大スタジオ。

 

『ハイバイ、もよおす』
作・構成・演出/岩井秀人
出演 岩井秀人 上田遥 川面千晶 永井若葉 平原テツ
   黒田大輔 田村健太郎 伊東沙保 岩瀬亮 後藤剛範 ほか

 

 いつものシリアス路線から少し外れて、「ハイバイが遊んでみた」番外編。3本のお話のオムニバスだった。
 1本目はロールプレイングゲームのパロディ(?)。ゆるーい感じのパロディだった。役者さんたちのメチャクチャ弾けてる様子が楽しかったんだけれど、マダムはゲームを殆どやらないので(テトリスみたいな単純なものしかやったことがなく)、ゲームをよく知ってるらしい観客が大ウケしているところに付いていけなくて、とても悔しかったの。
 2本目はニセモノ大衆演劇。銀色の長い髪のかつらに白塗りの平原テツが主役なの。それだけでかなり笑える。岩井秀人による前説があって、「大衆演劇は写真を撮ってオッケーの世界なのでそれにならって、この芝居に限り、どんどん携帯で撮っていいですし、芝居の後どんどんツイッターに挙げてください」とのことだった。マダムは撮らなかったんだけど、客席では携帯を掲げる人がたくさんいたし、殺陣とか、見栄を切る(?)場面では、撮影タイムともいうべき長〜い間が取られていた。ツイッター上に挙げられた写真を見て、「ハイバイに何が起こったんだ?!」と思った人もいるだろうけれど、これはこれでハイバイらしかったよ。大衆演劇にある「役者が自分の演技に酔ってる感」は全然なくて、すごく客観的だったの。
 3本目「ゴッチン娘」は、配られた解説によればハイバイのニセモノ。でも、マダムはこれが一番面白くて、ってことはシリアスな岩井秀人の語り口が好きだってことだな、と再確認したんだけど。
 主役のゴッチン(後藤剛範)は、筋骨たくましい小学生の女の子。「かわいいよ、似合うよ」と言ってくれる両親を気遣って、フリフリのワンピースを似合わないのに無理やり着ている。好きな男の子がいるけど、自分は「男の子を好きになるなんてふさわしくない容貌だ」と思っているから、我慢している。クラスメートや先生から気を使われていることに気づいていて激しく傷ついているのだけれど、周りを気遣い、それすら表に出さないようにしている。そういう女の子。あまりにも自分を抑え込みすぎて、遂に爆発し山へ逃げ込み野生化してしまうという、『おおかみ子供の雨と雪』も真っ青な激しい展開が、凄く可笑しくて、結構悲しいの。解説だと「ニセモノ」って言ってるけど、マダムはニセモノとは思えず「あー、これぞハイバイ」と感じて、満足したの。
 全体的にゆるーい感じだったけれど、ゆるくやってもハイバイはどこまでもハイバイらしくって、安心して帰ってきた。

地を這うような面白さ ハイバイの『ワレワレのモロモロ』

 初めての劇場だったから早めに行ってみたら、異常に早く着いてしまったわ。12月17日(土)マチネ、アトリエヘリコプター。
 
ハイバイ『ワレワレのモロモロ』東京編
「ほほえみのタイ」作・上田遥
「トンカチ」作・池田亮
「いとこの結婚」作・平原テツ
「深夜漫画喫茶」作・師岡広明
「親父とノストラダムス」作・荒川良々
「山、ネズミ、かめ」作・岩井秀人
「『て』で起こった悲惨」作・永井若葉
「きよこさん」作・川面千晶
構成・演出/岩井秀人
出演 荒川良々 池田亮 上田遥 川面千晶 永井若葉
   長友郁真 平原テツ 師岡広明 岩井秀人

 
 初めて行ったアトリエヘリコプターは、倉庫を改造したような小さな空間で、初めてなのにメチャクチャ懐かしかった。学生の頃、しょっちゅう行ってたような気がして。
 でも、このトイレに行くのもひと苦労のちっちゃな小屋で、なんと途中休憩ありの2時間半という、けっこうな大作だったの。それぞれ役者たちが自分の経験を下敷きにしたホンを書き、演出家がまとめていった、15分くらいの作品8本の短編集、といったところ。そしてさすが、ハイバイに集まってくる役者ね、どのエピソードもこれぞハイバイだなと感じられる、高揚感のない、地を這うような面白さ(褒め言葉ですから!)。
 貧乏海外旅行の危ないおかしさとか、子供の頃どうして母親は自分を虐待したのかの分析とか、いとこの結婚相手から突きつけられた「売れてない俳優」としての自分とか、深夜の漫画喫茶の暗黒バイト生活の話とか・・・ネタとしては暗く、悲惨なものばかりなんだけれども、そこはハイバイ。突き放した客観的なタッチと、凄く簡略化しているのにとても具体的なセットと演技によって、悲惨さすら滑稽で、可笑しくてたまらない。ずっとクスクス笑いが止まらなかった。
 全部のストーリーを説明したって野暮なだけなんで、ひとつだけ取り上げるとしたら、もうこれっきゃない。「『て』で起こった悲惨」。

 『て』は、ハイバイの代表作で、寝たきりのお婆さんを囲む家族の軋轢を、違う人物の視点から同時に見られるように描いた、不思議なリアルさが響く作品。マダムは『て』を観ていっぺんにハイバイファンになったの。そしてその時、寝たきりのお婆さんをやってたのが、永井若葉。ハイバイになくてはならない、他にありえない存在感の女優である。
 その永井若葉が語る、『て』の稽古中に起きた苦すぎる思い出。『て』の地方での再演を前に、役を取り替えて演じてみるという稽古が行われたときのこと。一人の役者の勘違いといってもいいような演技をきっかけに、演出家の目標を失った口撃が、なぜか永井若葉に。あまりに理不尽な口撃にさらされた永井若葉は、そのあと声帯から出血してしまい、全く声が出なくなった。どうも、ほぼほぼ事実だったようで。
 逆上していく演出家岩井秀人を演じる本人の演技が、素晴らしすぎて、涙が出るほど笑った。自分の醜態(?)をこんなふうに客観的に演じることができるなんて、すごい演出家&役者。それにしても、稽古中にこんなに我を失っちゃうことがあるのね。
 
 東京編と謳ってあるので、今後シリーズ化が期待できるよね。また観に行こう。
 一週間のうちに、シェイクスピアからハイバイまで、観ちゃって。演劇って本当に幅広いなあ。マダムにはどっちも必要だわ。

ハイバイに場違いなスタオベ

 二日連続の芸劇通い。4月17日(日)マチネ(東京千秋楽)、東京芸術劇場シアターイースト。

 

 

 

劇団ハイバイ公演『おとこたち』

 

作・演出/岩井秀人
出演  菅原永二 平原テツ 松井周 用松亮

    安藤聖 永井若葉

 

 

 

 

 2014年初演のものの再演。マダムは初演を観て、すっかりハイバイのファンになってしまったんだった。今回は、初演の時ちょこっと出演していた岩井秀人はもう出てなかった。それと、森田の役が松井周に変わってた。あと、若干の変更はあったと思うけれど、基本的に同じ芝居であったので、ストーリーや構成、この劇団の凄いところの分析などは、初演の時のレビューを是非、読んでね。レビューは→ここ 。長くはないけど、魅力は書き尽くしてるから。
 読んだ?
 
 それでね、再演だったし、初演を観た時のインパクトが強かったから記憶にしっかり残ってるし、つまり、次何が起きるか、知ってるわけよね?結末も知ってるわけなの。それなのに、途中から呼吸を忘れるほど、食い入るように観てしまって。
 終わった時、こんなに感動するか?っていうくらいの感動の嵐がマダムを襲い、もう自分を抑えることができず、凄い勢いで立ち上がって、拍手しまくってしまったのよ。
 ハイバイでまさかの、スタンディングオベーション。
 他の人が立ち上がらないことが信じられなかったわ。何やってるの、みんな?これにスタンディングしないで、いつスタンディングするというの?!
 それでふと見渡すと、マダムの周りには結構男性客が座ってたんだけど、みんな、茫然自失で、青くなって、打ちのめされてる感じだったの。それを見て、ちょっと微笑んでしまった。・・・悪魔か、マダムは?
 
 前回、おとこたちの演技に舌を巻き、その演技は変わらず素晴らしかった。そして今回、出番は少ないがおんなたちの演技が凄い、と気がついた。初演の時と大きく変わったことはなかったんだけど、間(ま)の上手さに磨きがかかってたの。
 森田は奥さんがいて、愛人もいる。そして、奥さんと愛人が連絡を取っていることに気がつかない。この設定も怖いけど、奥さんと愛人が電話で話すところが、本当に怖い。怖さがゾクゾクするほど魅力的。特に言葉が出てくるまでの間(ま)が、ただの間ではない。リアルを追求した究極の間。互いの声を聞いて、おんなたちは協力して森田を追い詰めようと、瞬間、心を決める。数秒で、おんなが何を考え、逡巡し、どう言葉を選び出したかをちゃんと表現している間(ま)なの。ぎっちりと詰まった数秒間。痺れる〜。
 上演を繰り返しても、絶対に「型」にならないリアルな演技が、ハイバイの真骨頂なのね。

 前回、ハイバイは手法そのものがテーマだ、とマダムは感じた。そこに大きな変更はないけど、敢えて付け加えるとすると。
 『おとこたち』のテーマは、現実に向き合って生きてないおとこたちの人生を描き出す、ということね。向き合おうとしてても、結局自分がラクになれる部分しか見えないし、見ない。舞台の上のおとこたちがそのリアルを私たちに見せてくれる時、観客の側のおとこたちもまた、現実に向き合ってこなかったことが露呈する。
 だって、見終わった後、女性客は脳細胞が活性化して元気になってるのに、男性客はなんだか、がっくりして帰っていくんだもの。初めて知ったみたいに、落ち込んでる。これまで直面しないで済ませてきたのね。
 だけど。それを正確に見抜き表現する岩井秀人って、何者かしら。普通の「おとこたち」の部類には入らない、特別な人に違いないわ。 

 

ハイバイ『おとこたち』追記

 あー、ビックリしたよ〜。
 NHKの夜7時のニュースが終わったあと、なんとなくそのままにしてたら、ハイバイの『おとこたち』の舞台の映像が流れたの。・・・え? なんでだ?
 7時半からのクローズアップ現代。今夜のテーマは「男たちの生きづらさ」だったのね。それで、ハイバイの映像がちょっと流れたあと、感想を述べる観客(中年の男性)数人。「いやあ・・・辛かったですね。特にラストが」とか「こんなものを観て、どうしたらよいか・・・他の人はどう受けとめているんでしょう?」とか。重くて、受けとめかねている様子だったわ。
 それに対し、演出家の岩井秀人は「笑うこともせずに、まともに受けとめちゃう人がけっこういるので、少し驚きました」とコメント。ほんと、そうだわね、とマダムも頷いたの。
 レビューでも書いたけれど、『おとこたち』の登場人物たちは、べつに目新しくない。昔からずっと、こういう男たちはいたんだと思うの。ジタバタしてて、嘘つきで、裏表があって、現実を受け入れられない男たち。ちょっと昔の日本映画の中にはゴロゴロしてたような気がする。ただ、ハイバイの描き方が新しくて鋭いので、改めて、感じ入ることができるのよね。
 芝居も映画もドラマも、女子供のものになっちゃって、男たちは観てないんだよね。だから、実人生に向かい合う訓練ができてないのよ〜。

 

 ハイバイの客席は老若男女入り交じってて、いい客席だったよ。(そうそう、マダムが観た回にはクドカンが来てた。終わったあと「面白かったねえ!」と話しかけてしまいそうになり、言葉を飲み込んだわ。)
 劇場が女たちのものになって久しいけれど、かつてつかこうへい劇団に熱狂してた男たち、そろそろ退職して暇ができたでしょ。劇場に帰っておいでよ〜。

 

ハイバイ『おとこたち』を観る

 地下街を通って、劇場へ。7月5日(土)ソワレ、東京芸術劇場シアターイースト。

 

劇団ハイバイ公演 『おとこたち』
作・演出 岩井秀人
出演 菅原永二 平原テツ 岡部たかし 用松亮
   安藤聖 永井若葉 岩井秀人

 
 マダムがハイバイを初めて観たのがちょうど1年前(の時のレビューは→これ )。心掻き乱される面白さに唸ったの。さらに、昨年秋の、岩松了の『月光のつつしみ』のハイバイバージョン(の時のレビューは→これ )も、なかなか面白かった。
 去年観た岩井脚本は、ハイバイが何度か上演してる代表作『て』だったんだけど、今回は新作。でも、変わらぬ緻密さで、高いクウォリティだったよー。
 『て』がどちらかというと女たちの話だったのに対し、今回は題名からわかる通り、男たちの話。
 幼なじみの4人の男たちが、集まっては酒を飲みつつ、カラオケもしつつ、喋っていくと、その時々の彼らの日常がぐんぐん浮かび上がってくる・・・という筋立て。これだけ聞くと普通過ぎて、どこが面白いのかわからない。岩井秀人の芝居の面白さは、演出の手法にあり、それがそのままテーマといってもいいので、説明が難しくて、レビューが遅くなっちゃった。
 セットは、シンプルだけど、これがまたよく考えて作られている。二つの高さの違う部屋(というか床)がならんでいて、その前にさらに男たちが集まるカラオケバー(?)のソファとテーブルの場所があって、つまり、いつも3カ所で芝居が同時進行できるように出来ているの。一番高い位置にある部屋の壁は、なんとプロジェクションマッピング仕様になっていて、男たちの現在の年齢がひそやかに示されたり、ゲームセンターで興じるゲームの手元が映し出されたりして、演劇の最新鋭の道具に対しても、ハイバイにはハイバイの使い方があるんだ、って感心したの。
 幼なじみの男たちは最前列のカラオケバーのソファに座っては、近況をぼやいたり、自慢したり、相談したりするのね。そのとたんに、彼の家や、仕事場や、愛人の部屋とかが後ろの二つの舞台上に現れて、その実態がわかる仕組み。男たちが、幼なじみに喋ることが出来るのは物事のホンの一面に過ぎなくて、現実に起きていることは、彼らが自覚しているより遥かに辛辣で深刻だったりするんだけど、どういう結果が出ても男たちは、実態の方をちゃんと理解するには至らない。自分が思う自分、友人が見てる自分、観客が見ている実態。この3つが一致することはないの。このずれこそが、岩井秀人の描きたいことなのよ。
 そして、演出家はこの3つのどれが本当なのか、ジャッジしないの。どれも本当であり、人生の真実はひとつじゃなく、ずれてるもんである、というのがテーマなのね。その描き方が素晴らしくて、2時間が短い、短い。
 演出は、新劇的なリアリズムを地面だとすると、そこから30センチくらい浮き上がった状態でずっと進むような感じ。この不思議な浮遊感覚がハイバイの魅力で、一度取り憑かれると癖になるよ。
 
 役者たちは、ひとりとしてイケメンじゃないし、素敵とかいう言葉からはほど遠いのだけれど、凄く魅力的なの。上手さをことさら感じさせないくらい、上手いんだと思うわ。
 芝居の面白さを語るとき、セットや衣装の美しさや、役者の見目麗しさや、物語の壮大さや、歌や踊りの楽しさやカタルシスが語られることが多い。マダムもそれを語ることが多い(かも)。だけど、そういうものを全部取り去ってもなお、芝居には心掻き乱す魅力がある。その原点みたいなものが、ハイバイにはある。
 だからマダムは、岩井秀人が岩松了の弟子スジだとは聞いてるわけだけど、岩松了の舞台より、かつてのつかこうへい劇団を思い出してしまうの。どこが似てるのかということはマダムもまだ言葉にできてない。ので、ゆっくり考えて、また書くことにするわね。

演出のつつしみ

 あー、レビューがすっかり遅くなっちゃった。是非観たいと思ったから、ヨコハマまで出かけていったのよー。しかし、遠いわ。ちょっとした旅行。旅公演ってこういうこと? 9月21日(土)マチネ、神奈川芸術劇場大スタジオ。

 

ハイバイ 『月光のつつしみ』
作・岩松了  演出・岩井秀人
出演 能島瑞穂 松井周 平原テツ
   永井若葉 上田遥 坂口辰平

 

 6月に初めてハイバイを観た時、これは岩松了派だわ、って感じたの。そしたら、今度はその岩松作品をやるというから、ははーん、と思った。
 若い夫婦の家に、夫の姉が居候している。姉は教師だったのだが、不祥事があって辞めざるをえず、転がり込んでいるの。そのわりに姉のほうは堂々としている。一方若い妻は当然、遠慮気味で小さくなっていて、夫も妻を気遣う。
 そこにさらに、その姉弟の幼なじみが、結婚したばかりの妻を連れて訪れる。このふたりがまた、微妙な雰囲気で、なんだかうまくいってないみたい・・・
 というようなお話なんだけれど、今の説明は、最後まで観たマダムが整理してるものでね。そこは岩松戯曲だから、起承転結がはっきり、なんてことはないし、だれひとり心の内を明白に語ったりはしない。それどころか、人物の関係を把握するのにも時間がかかるの。観客は理解する前に脱落する人が続出する(寝ちゃうってことね)。
 確かに実人生は、関係がすぐわかるような台詞に満ちてはいない。だけど普通、作家はそれをいかに自然に提示するかに腐心するでしょ? なのに岩松了はどっちかっていうと、提示しないことに腐心してるのよ。
 岩松了が演出すると、もっと提示しないように、それどころか観客の理解力を試すような、言ってしまえば意地悪としか思えないような芝居になる。のだけれど。
 これはハイバイの芝居。岩井秀人の演出はどこまでも台本に忠実ではあるんだけど、意地悪な心は無いの。真摯で慎み深い。だから、マダムは岩松演出よりもずっと理解も出来たし、会話のずれ具合にくすくす笑いもしたし、最後まで面白く(寝ないで)観たよ〜。
 
 ラストの、月の光が射すシーンが、なんていうか、岩松戯曲らしい慎み深さなの。舞台効果の見せ場はここだけなんだから、普通もっと力が入るはず。だけど、光の射してくる窓は、黒い紙を貼ってある小さな窓枠がぶら下げてあるだけで、舞台上であれを窓と呼ぶかしら?と思うような、そっけないもの。そこから月が窺えるわけじゃないの。
 それでも、その素っ気ない窓枠のあたりに、かろうじて舞台効果と言えるような薄い光が当たるとき、小さな実人生の可笑しみの余韻が残る。月光の慎み深さは、演出の慎みそのもの。大声でテーマを語りたくないのね。
 
 岩松了の意地悪に疲れて、もう観なくてもいいかな・・・と思ってるマダムなんだけど、こうしてハイバイがやると、なんだか面白い。岩井秀人とはウマがあうみたい。
 しばらくハイバイは観るつもり。

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