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イキウメ

『終わりのない』で宇宙酔い

 渋谷で乗り換えずに三軒茶屋に行くルートを模索中。渋谷駅、大変すぎる。11月1日(金)ソワレ、世田谷パブリックシアター。
 
『終わりのない』
脚本・演出/前川知大
出演 山田裕貴 安井順平 浜田信也 森隆二 森下創 大窪人衛
   奈緒 清水葉月 村岡希美 仲村トオル
 
 Coming soon!
 
 

イキウメ『獣の柱』を観る

 毎回待ちに待ってるイキウメ公演。6月1日(土)ソワレ、シアタートラム。
 
『獣の柱』
作・演出/前川知大
出演 浜田信也 安井順平 盛隆二 森下創 大窪人衛
   村川絵梨 松岡依都美 薬丸翔 東野絢香 市川しんぺー
 
 少し前のことになるけれど、とある芝居を観に行った時、客席で浜田信也を見かけたことがある。その時のマダムの衝撃といったらなかった。なんと彼は、ごく普通の青年だったのよ。
 舞台上の人外感があまりにもハンパなく、印象がそれ一色なものだから、素の彼が普通の人(ただしやたら美しい)なのに暫く呆然としてしまったの。
 今回の『獣の柱』でも、やっぱり人外感は凄くて、しょっぱなに「僕は喋っていません。貴方がたの脳に直接語りかけています」と彼が話すと、ホントにそうかも、と思ってしまうのだった。イキウメ教という新興宗教があったら、マダムはあっという間に洗脳されそうだ。
 でもこれが、イキウメン(浜田信也、安井順平、盛隆二、森下創、大窪人衛)だけじゃなく、見たこともない新人もまた人外感が凄かったから更に驚いた。薬丸翔という役者、初めて観たの。
 それで再認識したのは、やっぱり前川知大の演出力の強靭さ。細部に渡るまで、しっかりとイメージがあって、その通りに役者の演技を導いていく。だから出演者は劇団員でなくてもみんな、イキウメンとイキウィメンになっちゃう。
 演出家なら、皆これくらい演出力を発揮してほしい(無理難題言ってる?)。
 
 再演なのだそうだけれど、マダムは初見。それで今回、色々と理解できない、というか、頭の中のパズルがぴったり嵌らないような所があって、ストーリーを説明することは、やめたいの。なんか上手くできそうもない。
 
 巨大な柱が天から降りてくると、人々はその柱を眺めることで圧倒的な幸福感に満たされ、他のこと(食べること、寝ること、その他生活の全て)を一切しなくなり、放っておけば死に至る。麻薬のような、魔術のような、その柱の存在が象徴しているのは、天災のようでもあり、原子力のようでもあり、宇宙人の侵略のようでもあり、はたまたインターネット中毒のようでもあって、作家はそれをわざと明確にしていないのね。
 でもそういう、個人の力では抗いようもない巨大な異変というものを、観客に見せることの、この劇団の技は本当に凄い。役者の演技のみならず、音楽や効果音、照明なども全て演出のイメージ通りに動いて、実際にはない巨大な柱が天から降りてきたことを、観客に納得させてくれる。イメージを体感させてくれる。音楽はかみむら周平で、なんとサイモン・ゴドウィンの『ハムレット』の音楽も担当した同一人物。『ハムレット』の場面転換時の安っぽい音楽とは、天と地ほども違うことに、マダムは感じ入ったわ。優れたスタッフからどんなアイディアを引き出せるか、それもまた演出家の力なのね。
 
 柱が降りてきた地域では、柱を見ないで生活できないから、人々は皆難民になる。そして柱のない地域に入植して、開墾し、新しい生活の場を作っていく。
 とにかく生活を営み、生き抜くこと。その基本になるのがイキウメ作品では、食べること=食べ物を作ること(農業)である。前川知大の芯にいつもあるもので、食料を生産し、食べて、生きていこう、自然な死が訪れるときまで・・・というテーマを体現しているのが、山田(安井順平)だ。安井順平の、淡々と、飄々と、毎日、やるべきことを積み重ねていくんだよ、力入れ過ぎずに。という演技が、浜田信也の人外感にしっかり対抗していて、話がSF一色になることを防いでる。
 山田が、人々を救った伝説のおじいさんとなった50年後、柱の魔力に捕まらない新人類が生まれて、新しい時代になっていく。でもそれは、いつのまにか宇宙人に洗脳されてしまった世界のようでもあり、混沌としてる。ラストの方では、マダムはちょっと混乱して、腑に落ちないままだったけれど、この、答えの出なささが、今回演出家が目指したものなのだろうな、と思い、混沌は混沌のままにしておくことにした。
 
 繰り返しになるけど、役者は皆すごい演技だ。村川絵梨、松岡依都美、東野絢香という女優たちも、どうしてこんなに劇団員のようになってしまうのかしら。観客のみならず、役者をも洗脳してしまうのか、イキウメ教。恐るべし。

『ゲゲゲの先生へ』を観る

 また観てからだいぶ時間が経ってしまった。10月14日(日)マチネ、東京芸術劇場プレイハウス。

『ゲゲゲの先生へ』
原案/水木しげる 脚本・演出/前川知大
出演 佐々木蔵之介 松雪泰子 白石加代子 手塚とおる 池谷のぶえ
   水上京香 水田航生 浜田信也 盛隆二 森下創 大窪人衛

 観てから時間が経ってしまったので、思ったことだけちょっと書きますね。
 水木しげるの作品をちゃんと読んでいないマダムなので、どのあたりが水木しげるっぽいのか、よくわからないで観たの。でもお話は全部理解できたし、とにかく楽しかった。
 ふだん接してきたイキウメの前川作品と何も違わないスタンスが貫かれていて。なんのスタンス、って、もちろん人外の存在(それが妖怪であれ、吸血鬼であれ、ロボットであれ)との距離の取り方のスタンス。人との間に明確な線引きをしない。地続きな感じ。八百万の神、という言葉がしっくりくる世界観。
 
 平成60年、ていう絶対こない未来の設定。たまにしか子供が生まれないので国家が出産を管理している。生まれた子供も取り上げられてしまう。そんな街から、若い恋人たちが逃げてきたのが過疎の村のあばら屋で、食うや食わずの男が一人、住んでいる。その男、根津(佐々木蔵之介)は、二人を匿う代わりに、二人の持ち金を全部巻き上げて床下に隠してしまう。金に汚いワルにしか見えない根津だけど、なぜかほとんど食べ物を口にしない。「30年もここに住んでいるんだ」といい(30年前というのは平成30年なわけなので、それが我々の現在)、そこに住むことになった顛末を語り始める・・・。根津は半分妖怪になりかけた人間だった。
 
 根津の若いころを演じる浜田信也を始め、イキウメン(浜田信也、盛隆二、森下創、大窪人衛)は脇を固めて、何役も演じ、いつのもように楽しませてくれる。彼らは人外を演じるのは慣れたものだよね。森下創なんて、人外生物そのものだ(褒め言葉)。
 でも人外を演じたらイキウメンより上手がいた!白石加代子その人。いやあ、もう素晴らしかった。彼女が舞台にいる間、セリフがなくても彼女ばかりに目がいってしまった。根津を騙して魂を抜き取ろうとする妖怪おばばなんだけど、別に妖怪らしく演技してるところはなくて、ただ、根津との会話にいつも0.01秒くらいの間があるだけなの。それは魔法の間。その間の中で何かが揺れる感じで、絶対普通の会話ではなくなる。何一つ突飛な演技をしたりはしてないのに。彼女の周りの空間がゆらりと揺れて見える・・・もう白石加代子自身が八百万の神!
 マダムは白石加代子を35年くらい前に早稲田小劇場で観て以来、何度となく観てるんだけど、こんなに楽しかったのは初めてじゃないだろうか?昔から妖怪っぽい演技をしてたけど、そういう演技をしなくなって、削ぎ落とされて、ほんとの妖怪になった感じ。
 
 白石加代子が凄すぎて、周りが霞みそうだったけど、出演者は、手塚とおるをはじめとして全員が妖怪だった。よくぞこんなに妖怪っぽい役者ばかり集まったものだわ。
 いつものイキウメ公演のような、真実をグッと突きつけてくるようなところはないんだけど、楽しくて幸せな舞台だった。

イキウメの『図書館的人生vol.4』

 観たい芝居はなぜこうも、上演時期がかぶるのかしら。5月20日(日)マチネ、東京芸術劇場シアターイースト。

イキウメ『図書館的人生Vol.4 襲ってくるもの』
作・演出/前川知大
出演 浜田信也 安井順平 盛隆二 森下創 大窪人衛
   小野ゆり子 清水葉月 田村健太郎 千葉雅子

 あまりに忙しく、今書くことができませんので、時間ができたら書きたいと思います。とりあえず、観た事実だけメモしました。

『散歩する侵略者』を観る

 早く観たくてソワソワしていた。11月11日(土)マチネ、シアタートラム。

イキウメ『散歩する侵略者』
作・演出/前川知大
出演 浜田信也 安井順平 盛隆二 大窪人衛 森下創
   内田慈 松岡依都美 板垣雄亮 天野はな 栃原楽人

 傑作だ〜。
 観終わって、身も心も作品世界と一体化してしまい、幸せで・・・全然ブログが書けずにいたの。脳の客観性が、とろけてしまったらしくて。
 つまりマダムの客観性をもとろかすような、舞台だったのよ。
 
 これから観る人は、絶対読んじゃだめよ。
 


 イキウメファン歴は自慢できるほど長くはないんだけど、マダムの知る限り、イキウメの芝居はどれも、人間と異人種がせめぎ合う。
 今回は、「宇宙人」が侵略してくる話。地球を侵略する前にまず、地球人について情報収集するため、スパイを送ってくるの。
 だけど、宇宙人には形がなくて、こっそり生き物の身体を乗っ取って活動する。はじめ金魚の体を乗っ取った宇宙人は、すぐ間違いに気づき、金魚を掬った人間の身体へ移動する。脳も乗っ取っているから、乗っ取られた人間の記憶もそのまま。言葉も使える。だけど、言葉が意味する「概念」については未知。そこで宇宙人は地球人から「概念」を学び取る。概念を吸い取られた人間は、その概念を失ってしまう。「家族」の概念を取られたら「家族」がなんだったかわからなくなるし、「禁止」の概念を取られたら「禁止」することができなくなるし。取られた概念によっては、社会生活が続かなくなるの。
 出てくる宇宙人は三人。真治(浜田信也)と天野(大窪人衛)とあきら(天野はな)は、それぞれ別の場所で身体を乗っ取り、街をうろつきながら出会う人間から概念を収集したり、人間の体を探求しようとして包丁を刺してみたり、人間をガイドにして手っ取り早く仕事を片付けようとする。
 なかでも真治は、何も知らずに「病気の」彼の面倒を見てしまう妻の鳴海(内田慈)と共に、この物語の主人公だ。
 いつの間にかイキウメの主演俳優へと成長した浜田信也の、人外感がすごくて。人の形をした謎の生き物そのもので、妻にとっては中身が完全に他人なのに結婚した記憶はちゃんとあるという、なんとも気持ち悪い相手。その気持ち悪さを過不足なく演じてて、ほんとに浜田信也に惚れ惚れする。
 最初は全く話の通じない真治が、散歩から帰ってくるたびに少しずつ話が通じるようになって、鳴海はだんだん彼に対する愛情を取り戻すようになってくる。この、概念をちょっとずつ奪ううちにだんだん人間らしくなっていくプロセスの、芸の細かいことといったら!役者の演技にも、それを引き出す演出にも、身もだえするほかはないわ。
 
 もちろん浜田信也のみならず、10人の役者がすべて素晴らしくて褒めていると終わらないので、あと一人だけマダムが絶賛するとしたら、大窪人衛ね。彼は、最初から最後まで変わらない宇宙人らしさで、すごく怖いの。得体の知れなさが体から顔から声から、わらわらと染み出してる。もう、大好きだ。
 
 話は宇宙人たちが三者三様に情報収集を行い、やがてお互いを探し出して集合、というところへ進んでいく。その間に、概念を奪われた側のことも描かれるの。鳴海の姉は「血縁」の概念を取られて鳴海との関係がわからなくなってしまうし、医師は「禁止」の概念を取られて面会「禁止」を解いてしまうし、「所有」の概念を奪われた男は徹底した平和主義者になって、反戦運動を開始する。そのあたりはシリアスでもあるけど、笑っちゃうところもたくさんあって、テーマが壮大であるにもかかわらず、フランクに楽しんで観ていられるの。
 
 そして、どんどん洗練されていく舞台美術、舞台効果。舞台の真ん中に小さな坂があって、その上と下と、坂の下に亀裂が入っていて、亀裂の中と外、というふうにさりげなく空間を分け、照明の当て方一つで場面転換し、同時進行もできる。ホリゾントには美しい海や地球や月が現れ、一瞬の時間も途切れることなく、密に芝居が進行する。空間の使い方が見事で、うっとりしてしまう。
 
 圧巻はラストだ。
 あらゆる概念を学び取ってほぼほぼ人間らしくなった真治が、鳴海と別れて宇宙へ帰ることを告げ、鳴海は絶望する。真治と別れたくなくて。一方の真治は、その鳴海の気持ちが理解できない。というのも、彼にはまだ収集できなかった概念が残っていたから。それを、鳴海は自分が真治に「あげるよ」と言う。真治がいなくなるのなら、もういらないから、と。迷いながら、真治は、それを奪う。
 「愛」の概念を奪われた時、鳴海は静かに笑っているだけだ。
 が、奪った真治は、受け取ったものの巨大さに泣き叫ぶ。崩れ落ち、泣き叫び、鳴海を抱きしめる。そこにはもう、「宇宙人」の姿はない。人間になった真治が崩れ落ちている。
 人間を人間たらしめている最後の概念は、愛だった、という結末に、マダムは泣いた。
 

 役者は年々演技に磨きがかかり、ホンも演出ももはや向かうところ敵無し、圧倒的な完成度の劇団ね。このままずうっと行ってほしい。

 

『天の敵』追記 台本読んでみた

 今頃は大阪公演の千秋楽、上演中かしら?イキウメの『天の敵』。
 数日前に出たばかりの悲劇喜劇7月号に台本が掲載されていて、読んでみたの。
 難解なところはひとつもない。読んでいて、飛躍についていけないとか、意味不明なセリフとか、全くないの。メチャクチャ読みやすい!
 それでいて、もしも、芝居を観る前にこの台本を読んでいたとしても、イキウメのあの舞台を想像することは全くできない、と思われ。例えば限りなく新劇風に演出することも可能な本だし、映像にもなりそうな本なので、そういう想像はできるんだけれども、イキウメ独特のかっちり組み立てられた美しい演出は、やはり観なくてはわからない。イキウメの手法を知っていても、事前に到底想像はできない。
 台本を書く才と演出する才は、それぞれ別物なのね。それでいて、どちらもちょっと天才的である・・・おそるべし、前川知大。

 台本の掲載にあたって、作家の短いインタビューが載っていて、どんな作品から影響を受けているかという問いに、なんと
「書きながら手塚治虫の漫画みたいだと思ってました。」
という言葉があり!マダムはにっこりしてしまったわ。芝居を見ながら「火の鳥」のイメージが脳裏をよぎったのも、あながちマダムの独りよがりじゃなかったんだね。

生きることの愛おしさ イキウメ『天の敵』

 二日連続の芸劇通いだ〜。5月28日(日)マチネ、東京芸術劇場シアターイースト。

イキウメ2017年春公演『天の敵』
作・演出/前川知大
出演 浜田信也 安井順平 盛隆二 森下創 大窪人衛
   小野ゆり子 太田緑ロランス 松澤傑 有川マコト 村岡希美

 これはね、なんの予備知識もなく観たほうがいい。だから、このネタバレ三昧のブログはもちろんのこと、劇場でもらったチラシのあらすじすら読まないほうがいい。なので、観る予定がある人は、ここで引き返してね。観終わったら、また来て、一緒に盛り上がって。
 
 
 
 美しい芝居だった〜。
 
 後ろの壁一面に並べられたガラス瓶。薬膳用の食材が入っているのだけれど、そのひっそりと並んだ何百という瓶の前に、綺麗に磨かれたキッチンや大きな冷蔵庫やテーブル、ソファなどがある、少しばかり無機質感漂うキッチンアトリエ。
 イキウメのいつもの公演と同じように、休憩や暗転はなくて、唯一つのスタイリッシュなセットに、カーテンを引いたり、部分的に光を当てたりして、場面転換する。それが観る側の意識を一瞬も逸らさない、計算されたなめらかさなの。効果音の入り方、光の筋の表れ方、消え方。それと役者の演技とが、寸分の隙なく組み上がっていて・・・なんて美しい芝居なんだろう!
 
 これは122年生き続けてきた男の一代記。
 菜食の人気料理家、橋本和夫(浜田信也)は、その経歴に謎がある。ジャーナリストの寺泊(安井順平)は、彼が、戦前に食餌療法を提唱していた長谷川卯太郎という医者の孫なのでは?と当たりをつけて、取材に臨むの。
 ところが、橋本は「私は長谷川卯太郎の、孫ではありません」と否定。当てが外れた寺泊に、「私は長谷川卯太郎本人です」と断言するの。もちろん、寺泊は真に受けない。だって、本人だったら122歳ってことになるんだもの。
 信じない寺泊に、話が「長くなりますよ、いいですね?」と念を押して、橋本(というか長谷川卯太郎)の物語が始まる。
 話の運びは、イキウメにしてはやけにシンプルで、まっすぐ。橋本イコール卯太郎なのか、という謎は数分であっさり種明かしされ、時間の流れもほぼ一方向で進む。だけど、この「あるときから一切の食事をとることをやめ、人の血液を飲む(飲血)」ことで、不老不死の身体を得た、奇想天外な男の物語。奇想天外だけど、所謂吸血鬼のお話とは一線を画していて、あくまで彼は人間なのよね。ほんの少しだけ中心線がずれているけど、人間なの。
 血液の入手の仕方も、人間としての道理すれすれ。いちおう病院から手に入れている。もちろんそれは彼を研究材料としている医者たちのどこかヨコシマな欲望に支えられてはいるのだけど。
 話は、戦争中に対ロシア戦線で彷徨い、飢えに苦しんだ若いときに始まり、輸血用の血液を飲み始めて、どんどん健康になり若返ったせいで、年をとった妻も若返りたくなって飲血を始めてしまったり。でも、何も食べることができないことで妻は気が狂って死に至り。研究のため援助してくれていた先輩医師も年老いて死に。卯太郎自身は、若いままなので怪しまれるため、職を転々とし、ついには戸籍も身分も失って。そして放浪の間に、ヤクザの友達ができるけど、友達はすごく若いまま呆気なく命を落とす。
 100歳を過ぎて、卯太郎に転機が訪れる。菜食主義の人の血液を飲んだら、体質に変化が現れ、これまでダメだった太陽光の下も歩けるようになる。そして、菜食主義の若い伴侶、恵(小野ゆり子)を得て、やっと満ち足りた日々を過ごすことができたの。
 こうやって周りはどんどん年をとって死んでいくのに、自分だけは若い姿のまま生き延びて122年。彼はもういいや、って思うのね。もう、終わりにしよう。最後に美味しい鰻を食べて、それで終わりにしようって。
 語り終えた卯太郎はとても清々しいんだけれど、インタビューを終えた寺泊はソファに座り込んだまま、涙する。なぜかといえば、寺泊は不治の病いを得ていて、死と向き合っているから。卯太郎と同じ道に踏み入れれば、死なない選択がある。だけど、卯太郎の物語を聞いて、死があるからこそ、生きることが尊いと知ってしまったから・・・。
 
 役者は10人しか出てないけど、全員が素晴らしい演技だった。イキウメンの5人は勿論のこと、ゲスト出演の5人も、ぴったりとこの世界の住人になっていて、隅々まで行きわたる演出の凄さと、きっちり応える役者の凄さに、ひれ伏したくなっているマダムなの。
 常々「演技の上手い人こそイケメン」と言ってるんだけど、こうみんながみんな素晴らしいと、誰かの名を挙げるのも困っちゃう。と言いつつ、浜田信也の微妙に普通じゃない人感、森下創の完全にイっちゃってる人感、大窪人衛の脳を突き抜けてる声、に魅了されたと白状しておくわ。

 
 話の運びが、セットと同じように実にスタイリッシュで、聞くとおぞましい「飲血」をめぐる物語なのに、おどろおどろしい感じは全くなくて。本も演出も役者も、惚れ惚れするような上手さで、特別な世界にいとも簡単に巻き込まれてしまう。
 片時も物語から離れることなく観続けたマダムだけれど、途中、2回ほど別のイメージがフラッシュバックしたの。それはね。
 ひとつは。食べることを拒否して即身成仏と化した時枝(森下創。この人にしかできない!)の幻(なのか幽体離脱した心、なのか)と卯太郎が出会うところ。時枝はもう神様みたいだったんだけど。このシーンでマダムの脳裏に、むかーし読んだきりの手塚治虫の「火の鳥」のあるシーンが浮かんだ。火の鳥の生き血を飲んだために不死となった猿田彦が、何千年も生き、もはや身体は朽ちて「意識」だけになっても生きていて、生物(人間は死に絶えてる)に語りかけ、神の声だと思われてしまうシーン。
 ふたつめは。卯太郎が全てを語り終え、「もう終わりにしようと思います」と言ったとき。マダムの脳裏をよぎったのは、佐野洋子の「100万回生きたねこ」だった。自分のことしか愛していない猫が百万回も蘇って生き直してきたのに、自分以外の猫を愛する人生を得て、もう生まれ変わらなかった、というお話。
 
 マダム自身が何を連想したか、ということはさておき、『天の敵』には生きるということはどういうことか、という問いかけがたくさん詰まってる。そんな言葉は一度も出てこないけれど、そして大仰な場面転換も舞台効果もないけれど、イキウメの舞台は「悠久の時」を感じさせてくれる。生きることを愛おしいと感じさせてくれる。

 
 最後に余計なことかもしれないけれど。もう少しチケット代を上げてもいいよ。その代わりもう少し長く上演してください。再見したくても上演期間が短いので、なかなか行けないから。二度、三度と噛みしめたい芝居だからね。

そしてトラムは世界になる イキウメの『太陽』 その3

 その3から読む方はいないと思うけれど、完全にネタバレしますからね。要注意。

  演出家は、細部にわたって演出のイメージがあって、また、その指示を隅々まで具現化する役者たち。劇団というものの力を見たよ。
 そしてやはり、本が素晴らしい!
 最初の方は、ノクスとキュリオの違いを際立たせて、対立構造を印象付けていき、この芝居の世界のルールがみんなに浸透したところで、個別の問題に一気に切り込むんだよね。
 だから展開が早く、次々にクライマックスがやってくる。
 
 森繁と鉄彦の物語に、マダムは何度か泣きそうになったのだけれど、最初のクライマックスは、夜明けを前にして、友達の命を助けるために友達の手を切り落とすシーン。そのために鉄彦が奮い起さなければならなかった勇気は、どんなSF映画のヒーローやヒロインよりも、切実にマダムの胸を打ったの。
 でもそれは、芝居のまだ中盤。
 そのあと、鉄彦は叔父とも戦うし、叔父は関係ないところで大きな落とし穴に落ちて死ぬ。鉄彦のノクスになりたい気持ちと、森繁の、キュリオのままの鉄彦が好きだという気持ちがぶつかり、喧嘩になるシーンもある。
 結がノクスになることを選び、ウィルスを体に入れるシーンも、どうしてキスなのかはよくわからなかったけど、衝撃的で、目を奪われるし。
 なによりも、マダムがちょっと泣いちゃったのは、ノクスになって別人と化した結が父親に会いに来たシーンね。泣き崩れる草一の気持ちが、こちらに乗り移ってくるようで、みぞおちの辺りが痛くなって。少しでも安全なところへ我が子を逃がしたいという願いと引き換えに、それまでの親子の情が完全消滅することの、胸が引き裂かれるような思い。
 そのシーンと並行して、鉄彦はキュリオでいることを選ぶ。それは熱い感動のシーンではなく、それを選んだら選んだで、苦しいことや辛いこともあり後悔もあるかもしれないと思える苦いシーンでもあるの。
 そして、 結のノクス化のきっかけを作ってしまった医師は、ノクスとしての人生を捨てようとする。裸になって、日が昇るのを待つ。死ぬ前にもう一度、太陽を見るのだ、と言って。
 
 観終わって、残るのは、人類(私たち)は、どうするの?という巨大な問いかけね。
 
 舞台を観てから映画を観ようと思っていたのだけれど、今は迷っているの。この余韻に浸っていたいから。
 それにこの名作を映像にするには、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を『ブレードランナー』にするくらいの力技がいるしね・・・。
 シアタートラムを全世界にするくらいの問題を描くイキウメと、家族の中の小さな人間関係を追求するハイバイと。
 この二つの劇団があれば、人生の全ては描き出せちゃうんじゃないの?とさえ、今、マダムは考えている。

そしてトラムは世界になる イキウメの『太陽』 その2

 私たちは、大量のSF的な映像を見てきているでしょう? 

 邪悪なフォースに乗っ取られた人とか、地球外からやってきたどんな形にも変化しちゃう生物とか、それと戦う勇気ある主人公とか。
 それはたいてい、外側に敵をおいて、どう戦うかの物語でしかない。
 でも、劇団イキウメの作り出す物語は、全然違う。私たちの現実と表裏一体のSF。どんな瞬間のやるせなさも、苦しさも、輝きも、遠い世界のものではなく、すべて私たち自身がどう生きるかという物語なの。
 だから、見ていて、とても苦しい瞬間があるわ。胸がつぶれそうになる瞬間もある。涙がこみ上げてしまう瞬間もあるの。
 
 現実と表裏一体のSFを作り出すための、一番の大きな仕掛けはノクスという人種の設定。あまりにもよく考えられた設定!
  従来の人間(キュリオ)に比べて、身体能力が高く、免疫的にも強く、精神的にもポジティブで強い。だけど、太陽の下には出られない。太陽の下で育つものを食料としているのに、太陽の下には出られない。それは支配的な階層となっても、結局は生物としての大きな欠陥を抱えているということなの。
 そして、「精神的に強く、ポジティブ」というところが、諸刃の刃だ。それはつまり、悩みは少なく、葛藤はしないで済み、逡巡することがなく、誰かの苦しみに気づくことがなく、誰かの悲しみに共感することがしにくい、ということ。心が小さくなってしまってるの。
 圧倒的にポジティブであるためには、心を縮小しなくてはならなかった、ということなの。
 それって実は、SFなんかじゃない。この世界の、現実なのじゃない?
 ノクス役の演技が、素晴らしい。みんな異様に背筋がまっすぐで、無駄のない動きと白い肌。玲子役の伊勢佳世の、感情の振り幅の狭い、張り付いたようなにこやかさが鮮やかだし、盛隆二の強引な前向き感も、それから一人だけ上手さの飛び抜ける安井順平も、キュリオだった時の記憶が土台に残ってしまっている感じを出していて、どれだけ上手いんだ、って思う。
 そしてマダムが今回、惚れてしまったのは、見張り番、森繁役の浜田信也! 
 他の3人のノクスが転向組(薬物療法でキュリオから転身した)であるのに対し、彼だけはノクスから生まれた二世。純ノクス。転向組が転向したからこその差別意識を持っているのに対し、森繁はキュリオに対して偏見がなく、まっすぐな好奇心を持ってるの。もう、普通の人間でしょ? でも佇まいがちゃんとノクスなのよ。どんな訓練したのかしら。
 驚いたのは、鉄彦との喧嘩のシーン。激しく殴り合い、組んず解れつになるんだけど、拳のよけ方が森繁と鉄彦じゃ違うのよ。鉄彦は普通の男の子の喧嘩なんだけど、森繁は、飛んでくる拳を倍速で捉えて分析して、一番エネルギーを無駄にしないよけ方をするの。そういう風に見えるの。「一割くらいはサイボーグ」な感じの動き。とんでもなく難しいと思うんだけど、まるでずっと、そうやって生きてきたかのように自然なの。凄すぎる。
 
 一方のキュリオ側がまた、素晴らしい。こちらは私たちそのものなんだけれど、思想のかけらもない小物で邪悪な奥寺役の森下創が、ほんとに憎たらしいし、運命を受け止め続ける女、岩本幸子は何時もながらの安定感だし、娘を安全な方へ逃がそうとして別れを選ぶ中村まことの朴訥さがたまらないし。キュリオからノクスへ転向する結役の清水葉月(客演、よね?)の変貌ぶりが、ショッキングだし。
 そしてやっぱり大窪人衛の鉄彦だよー。このあいだの「焼肉ドラゴン」で中学生にしか見えなかったんだけど、今回は18歳の役。幅のある子役? 
 鉄彦と森繁が、少しずつ距離を測りながら友達になっていく会話のリアリティが、マダムを引きつけて離さない。
 
 9人の役者が全員素晴らしいということは、演出家が偉い、ということよ。リアリティを紡ぎ出すために、どれほど考えに考え、細部を演出したのかしら。
 その3で、もう少し、褒めたたえたいわ。
 

そしてトラムは世界になる イキウメの『太陽』 その1

 5月はスケジュールがきちきちで、やっとこの日が来た。5月21日(土)マチネ、シアタートラム。

劇団イキウメ公演『太陽』

作・演出/前川知大
出演 浜田信也 安井順平 伊勢佳世 盛隆二 岩本幸子

   森下創 大窪人衛 清水葉月 中村まこと

 
 観終わった瞬間、もう何もいらない、と思った。

 この芝居の余韻だけあればよい、と。

 未見の方は、とにかく観て。すべての演劇ファンに、強く強く薦めるわ。こんな本、こんな演技、こんな演出が、存在するんだってことを、世界に向かって大声で叫びたい。みんな、観てー! だって今を逃したら、イキウメの芝居は来年までないのよ。(嗚呼、なぜ、ないの?)
 
 ネタバレします、これから観ることが決まってる人は、後で読んでね。
 イキウメを観るようになって、まだ日が浅いマダムだけれど、この劇団の「現実と表裏一体のSF」感みたいなものは、既に体得している。
 『太陽』はその究極の形ね。
 見事だわ。
 舞台はシンプルに黒一色の板が張られていて、真ん中に階段がある。階段の上と下に大きなスペース、さらに下の舞台は上手と下手にそれぞれ1段低いスペースがある。つまり、舞台の上に緩やかにつながった4つのスペースがあり、それを自在に使うことで、時間も空間も瞬時に切り替わり、別の場所の出来事が同時進行することも可能なの。
 舞台上すみに小さなテーブルと椅子、下の上手にベンチが置かれているほかは、何もないセット。そして、ホリゾントには巨大な太陽が現れるための無数のライトが、まあるく設置されている。
 幕開き、男が、グルグルに縛られた人を連れてきて、放置する。やがて夜が明けて、ホリゾントの巨大な太陽が輝きだすと、縛られた人は激しく苦しんだあげく、動かなくなる。
 時は近未来、特殊な病原菌に侵されながらも生き残った、不老の人種ノクスは、従来の人間(キュリオ)よりも免疫的に強く、精神的にもポジティブで、圧倒的な優位性がありながら、太陽の下に出ることはできない。太陽の光を浴びるとノクスは死んでしまう。だから、芝居は男の殺人で始まったわけ。
 この殺人をきっかけにノクス側は、殺人犯を出したキュリオの村を弾圧し、経済封鎖する。耐えられない人間たちの流出が続き、ノクスになる方法も開発されて、村の人口は減っていった。
 そしていきなり10年後。経済封鎖が解かれ、村とノクス自治区との境界で、ノクスの見張り番森繁(浜田信也)が見張りをしていると、村の少年(いや、青年?)鉄彦(大窪人衛)が寄ってくる。鉄彦はノクスに憧れ、ノクスの友達が欲しくて、森繁に話しかける。森繁は始めは警戒しながらも、鉄彦を受け入れていく。
 一方、元はこの村の出身者で薬物でノクスになった医師金田(安井順平)は、10年ぶりに派遣医師として、村に足を踏み入れる。同輩だった草一(中村まこと)がすっかり老けてしまったことに金田は驚く。
 さらにもう一方、元は村の出身者で、草一の妻だった玲子(伊勢佳世)は、同じノクスの夫征治(盛隆二)との間に子供ができず、養子をもらうことを考える。玲子は、村に置いてきた娘の結(清水葉月)を、ノクスにすることを画策する。
 
 お話は、森繁と鉄彦の友情の行方、ノクスに転向したことを後悔し始める金田、ノクスになることを選んでいく結、の3つの柱があり、3つがあざなうように進んでいくの。途中、逃亡していた殺人犯の奥寺(鉄彦の叔父、森下創)が帰ってきて、大事件が起きたり、鉄彦の母純子(岩本幸子)と、草一との淡い恋が見えたりしながら、芝居はずっと、緊迫した状態を保ったまま、進む。そして、結はノクスになることを選び、鉄彦はノクスにならずにキュリオとして生きることを選ぶラストへと向かうの。
 
 ストーリーをいくら説明しても、この芝居の素晴らしさは全く伝わらないわ。隔靴掻痒だー。
 演技について、その2で思い切り語ることにするので、待っててね。
 
2019年12月
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