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マダムの青春遍歴

マダムの青春遍歴その2 最初の1枚は「ひこうき雲」

 青春遍歴その1を書いてからちょっと時間が経ってしまったので、是非その1 を読み返してから、続きを読んでね。

 荒井由実のファンクラブ創設者のひとりだった兄は、布教活動のためか、マダムにステレオを解禁してくれた。といっても、「これだけは勝手に聴いてもよいコーナー」が作られ、オススメのポップスのレコードを置いてくれたのであって、クラシックレコードなどは依然として手を触れてはいけない場所にガードされていた。
 が、勝手に聴いていいラインナップは、振り返ってみて凄い…。
 時期は少し曖昧だけど、記憶だけで、挙げてみると。
 
 荒井由実「ひこうき雲」「ミスリム」
 五輪真弓「少女」
 石川セリ「パセリと野の花」
 はっぴいえんど「風街ろまん」「はっぴいえんど(ゆでめん)」
 鈴木茂「BAND WAGON」
 シュガー・ベイブ「SONGS」
 矢野顕子「JAPANESE GIRL」
 Carole King「Tapestry」

(少ししてマダムはここに自分で、カーペンターズのアルバムやビートルズの赤と青のアルバムを買い足した。自分には基本が足りない気がしてた。)
 
 もっと色々あったと思うけど、今すぐ思い出せるのはこれくらい。
 なんでここにキャロル・キングの「Tapestry(つづれおり)」があったのかといえば、彼女が世界初の女性シンガーソングライターであり、ユーミンは日本版キャロル・キングを目指して売り出された人だったから。ユーミンを知るには「つづれおり」を聴いていなければならない、ということだったのかしらね。
 ま、そのようなことは、ぼんやりした中学生だったマダムの知る由もない。
 
 学校から帰るととりあえず、どれか聴いたね。それから犬の散歩をして、夜は歌番組見て、本をがんがん読んでベルばらやエースをねらえも読んで、友達に手紙書いて日記もつけて、めっちゃ忙しかった。
 「ひこうき雲」と「ミスリム」はこの中でもいちばん最初に聴いて、いちばん何度も聴いたアルバム。ステレオでレコードを聴く、聴き始めが荒井由実の2枚のアルバムだった。なんという贅沢なことか。
 少女の気持ちを、大人が勝手に代弁するのではなく、言葉を持った少女自身が歌にする。その時、聴いているマダムもまた少女であったので、もう、沁みるしかなかった。
 今、聴いてもこの2枚は、どこひとつとっても古くない。40年以上経っているというのに。でもそれは、当然といえば、当然。作詞作曲の天才少女だった荒井由実の自己表現を、松任谷正隆がアレンジし、細野晴臣や林立夫や鈴木茂が演奏し、バックコーラスに山下達郎と大貫妙子と吉田美奈子が加わっている・・・わけなんだもの。そりゃあ、超一流のアルバムよね。あの頃は、そんなこと全然知らずに聴いていたわけだけど。
 
 中学3年になるという春休みのある日、マダムはついに、荒井由実のコンサートに行った。未だ大して売れず、一人でのコンサートはできなかったのか、ハイ・ファイ・セットとのジョイントコンサート。兄たちファンクラブが全面バックアップしていたので、ときおり会報作りを手伝っていたマダムは、後ろの方に入れてもらえたのだった。
 そのコンサート会場が、なんと紀伊國屋ホールだった!マダムはもちろん初、紀伊國屋ホール。(そして運命の『熱海殺人事件』観劇まであと1年半!)
 ただね。マダムはもう、そのコンサートの様子を全然憶えていない。どんな曲目を歌ってくれたのかも、憶えていないの。そして翌日の日記には一言だけ「期待はずれだった」と、書いてる・・・。
 端的に言って、デビュー当時の荒井由実の歌唱力は、ライブにふさわしいものではなかったし、バンドもまた、レコード作りを支えた一流のメンバーとはあまりにも差があったのね。
 アルバムは素晴らしいのだけど、コンサートは全く再現性がなかったのだった。
 
 かたや、マダムは毎日のように、生で歌う西城秀樹を聴いていたの(見ていた、というべきだろうか)。彼や、当時の歌謡界のキングであった沢田研二を毎日のように見ていて、どんなときもレコードと同じかそれ以上のパフォーマンスをしてみせるのを、当たり前のように享受していたのだから、ユーミンとの落差は大きかった。
 
 一方で、テレビの中の歌謡曲のアレンジは、かっこよくない!…ということにもマダムは気がつき始めていた。そして同じ頃、格好良さとライブのうまさの両方ある歌を聴くことになって、マダムの中で、歌謡曲はどんどん後退していったんだよね。
 格好良さ、そしてライブの圧倒的うまさ。山下達郎と金子マリの登場だ。

 その3に続きます。のんびり待ってね(って、待ってる人いるのか…)。

マダムの青春遍歴その1 それは西城秀樹から始まった

 西城秀樹が亡くなったのは5月のこと。
 マダムの中で長いこと彼は、向田邦子のドラマ「寺内貫太郎一家」の周平さん、だった。それ以外のことは、思い出しもしなかったんだけど。
 
 彼の死のショックはじわじわと沁みてきて、化石のような記憶のカタマリを溶かし、40年位思い出さなかったことが蘇ってきた。
 彼のシングルレコードを買った、と思うの。しかもそれはマダムが生まれて初めて自分で買ったレコードではなかったか、と。
 だけど、その後レコードをどこにしまったのか見た憶えがなくて、もう曲の題名すら思い出せなかった。「傷だらけのローラ」とか「ヤングマン」みたいな超有名曲ではないの。私はなんのレコードを買ったのでしょう? って、他人が知るわけがないよね。
 気になってしょうがないので、腰を据えてYouTubeで1曲1曲聴いていった。そうしたら、見つけたよ、マダムがシングルレコードを買った曲。イントロが始まった瞬間、すぐわかったの。もちろん全部歌えた。心震える。
 音楽ってすごい思い出し方をするものだ。聴いていた時の身体感覚がよみがえるんだもの。あの頃、テレビの中で歌う彼の稲妻にうたれたのよ。その後いろいろな稲妻を浴びることになるマダムの、人生最初の稲妻。その時の胸が痛いような気持ちを、まざまざと思い出し、ちょっと慄いたの。そうだよ、凄く好きだったんじゃん・・・始まりは西城秀樹だったんだ。
 せっかく買ったレコードだけど実際に家で、かけたかどうか怪しいの。というのは、当時マダムのうちにあったステレオは大学生の兄のもので、兄の部屋にあり、その横には兄が収集したクラシックレコードがびっちり置いてあって、「絶対に触ってはいけない」と言い渡されていたから。
 かけられないかもしれないレコードを、それでも買ったなんてね、健気だ・・・その時の自分がなんだか可愛いな、と思う。
 
 その曲は「ちぎれた愛」という曲。途中に「好きだーっっっ」って絶叫の台詞入りで、やっぱりこんなもの、家でかけられるわけがないのだ。それに別にかけなくても不自由はなかった。だって当時は毎日テレビで歌番組があり、ほぼ全てが生放送だったから、だいたい毎日西城秀樹が生で歌う姿を見ることができたからね。
 今になって、デビューして1年目くらいの彼が歌う姿をYouTubeで見て驚いたのは、べらぼうに歌が上手くて表現力が半端ないってことだった。当時マダムはただ稲妻に打たれっぱなしの中学生だったから、彼の歌がとんでもなく上手いことにすら気付かなかった。まあ、ファンの女の子たちの殆どが歌を聴いてるっていうより、彼のセクシーさを全身全霊で受け止めるのが精一杯だったんだよね。
 順を追って彼の曲を聴いてみると、「ちぎれた愛」の1曲前の「情熱の嵐」から好きになったらしい。曲の耳馴染み方が全然ちがう。そして1年半後の「傷だらけのローラ」まで熱心なファンだった。
 でも、そこでぷっつり、マダムの熱は切れてる。あんなに好きだったのに、どうしたんだろう。なにがあったんだろう。
 それを追求する前に。

 
 ほぼ同じ1年半、同時進行で、マダムの音楽的(文化的?)環境は、どんどん外部から刺激が与えられていった。テレビとは真逆の方向からそれは、やってきたの。
 大学生だった兄が仲間と一緒に、とある新人女性歌手のファンクラブを立ち上げた。同好会みたいなファンクラブで、ガリ版刷りの手作りな会報を出して。100人にも満たない会員数だったと思うけど、それでもアンケート用の返信ハガキが家にたくさん届くようになった。マダムも彼女の最初のアルバムを繰り返し聴いて、とても好きになって、アンケートの集計なんかを手伝ったりした。
 その歌手の名前は、荒井由実。

 その2に続く。
 

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