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横田栄司

『アテネのタイモン』二回目

 二回目の観劇。12月27日(水)マチネ、彩の国さいたま芸術劇場大ホール。

 評判が良く、平日の昼間にもかかわらず満席で、当日券にもたくさんの人が並んでいたわ。
 芝居自体は初日の方が面白かったんだけど、それはやっぱり色々と初めて見る驚きとかドキドキ感が違うからね。二回目は逆にリラックスして観られたの。そうしたら、いくつか細かいことに気づいたりした。例えば、小さな役で台詞を言う人が違っていたり、踊り子たちがタイモンの周りに侍る形が変化してたり、火事の時赤い借用書の紙が舞い散るんだけど、途中から黒い紙に変わっていくのを確認できたり。火事の煙が今日は多いな、と思ったり。アペマンタスの纏う毛皮が熊っぽいのからキツネっぽいのに変わってたり。
 演技も日々、変化していくものなんだね。カッキーは通路での演技にすっかり慣れて、空いてる座席に座ってみたりしてた。マダムは通路脇の席だったので、彼がマントを翻しながら横を通るたび、いい香りがするなあ・・・なんて思ってた。

 プログラムは普通買わないことにしてるんだけど、今回は買ってよかった。凄く素敵な写真と、メインの四人のロングインタビューと、すべての役者さんの一言が載ってる。それと、吉田鋼太郎VS横田栄司、藤原竜也VS柿澤勇人の対談が載ってるんだけど!横田ファンはこの対談を見逃してはならないと思うわ。

 稽古場見学に始まって1ヶ月間マダムは、ほぼこの公演のために生きてきたので、いま、どっと疲れが押し寄せている。でも、心地よい疲れなので、このまま寝正月に突入するのもいいかしらね。

祝 第1回芸術監督作品『アテネのタイモン』その2

 これほど1幕と2幕が、まるで別の芝居のようなテイストのシェイクスピア作品って、他にあったかしら?

 2幕は暗い森の中。セットが、ひんやりと湿気を帯びた深緑色で美しい。日本の森とは樹の姿が違うし、想像するアテネの森とも違い、一番近いのはイギリスの森、のような気がした。
 破産して、アテネの街を出て、タイモンは穴蔵暮らし。アペマンタスに似たボロをまとって、木の根を掘っては齧っている。アテネにいた頃の面影はない。そこへ次々と彼を知る人たちがやってきて、禅問答みたいな会話をする2幕が、圧倒的に1幕より面白いんだけど、それも1幕あってこそ。
 タイモンのところへは、アルシバイアディーズの一群が来て、アペマンタスが来て、強盗たちが来て、フレヴィアスが来て、画家と詩人が来て、元老院議員たちが来る。彼らとの長い不毛な対話。誰とも共感しない。台詞の連なりは、読んでも殆ど理解不能なのに、吉田鋼太郎の声で聞くと、タイモンの人間への絶望の深さ、人間的なものへの徹底した拒否がぐんぐん浮かび上がってくる。台詞がどんな感情から生まれているかを正確に読み取る優れた演出家と、それを正確に、しかもパワフルに演じることができる優れた役者。両方が彼の中に同居してる。ちょっと奇跡だ。だから、吉田鋼太郎演出の時、役者吉田鋼太郎も一番いい演技をするのね。
 
 藤原竜也や横田栄司とのがっぷり四つの会話を観たいというマダムの願いは、ついに叶えられたよ。藤原アペマンタスは1幕こそ苦戦していたけれど、タイモンとサシでの演技になった時、逃げることのできない対話の波に飲み込まれ、心を決めて身を任せたようだった。二人の会話は、人間を信じるなんてくだらないという一点で一致するんだけれど、タイモンは、だからこそもう生きないと決め、アペマンタスはそれでも生きると決め、互いを認め合って別れる(と受け取ったのだけれど、違うかしら)。ののしりあい殴り合って、最後に抱きあってしまった時、演技の高みに上り詰めたように見えて、マダムはちょっと、芝居の中身とは違う部分で感じるものがあったの。藤原竜也はこれでもう一度、舞台を面白いと思うようになれるだろうか。そうあってほしいのだけれど。
 横田フレヴィアスとタイモンのシーンは、他のどの対話とも違っていた。他の対話では常時主導権を握ってるタイモンが、ここでは受け身になるんだよね。気が触れたのか触れたふりしているのか、タイモンはフレヴィアスを知らないそぶりで逃げるけれど、横田フレヴィアスはタイモンを逃がさない。強靭な誠実さでタイモンの心をこじ開けるの。そしてタイモンの「正直な男がたった一人だけいる・・・その一人とは、執事だ・・・」という台詞で、こっちはフレヴィアスとともに、心の涙腺決壊だよ・・・。もう、このシーンは一切の雑音なく、芝居の中に入り込んで観た。なんかね、終わってほしくなかった、このシーンが(無理を言うな、無理を)。


 大劇場での演出は初めてだったけれど、よく知っているさい芸の空間をフル活用し、蜷川御大の遺産ともいうべきスタッフの力を借り、ベテランから若手まで共に歩んできた役者さんたちを集めて、隅々まで台詞術の行き届いた、美しくて面白い舞台が出来上がってた。凄く満足。
 最後に極々個人的なことをひとつ。30年来の友達が、初めてさい芸の大舞台を踏み、大事な役を演じるのを見届けたの。感慨ひとしお。長く生きてくると、こんな凄いこともあるのね。嬉しかった。

祝 第1回芸術監督作品『アテネのタイモン』その1

 初日前夜から興奮状態。自分でもよくわからないテンションに。12月15日(金)ソワレ、さいたま芸術劇場大ホール。

彩の国シェイクスピア・シリーズ第33弾『アテネのタイモン』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/松岡和子
演出・主演/吉田鋼太郎
出演 藤原竜也 柿澤勇人 横田栄司 大石継太 間宮啓行 谷田歩
   河内大和 松田慎也 浅野望 松本こうせい 星和利 杉本政志
   坂田周子 千賀由紀子 林佳世子 ほか

 待ったわ。
 待ちくたびれた、と言っていいと思う。
 吉田鋼太郎演出のシェイクスピアは、なんと 劇団AUNの『十二夜』以来、ほぼ6年ぶりなのよ(『十二夜』の翌年の『冬物語』の時は、母が亡くなって、マダムは観に行けず)。ほんとにもう、待ちくたびれたわー。ブログ10年やってんのに、半分以上は待ってたんだからね。
 そのうえ、読んでもよくわからない『アテネのタイモン』だし、劇場もいきなり4倍位大きいし、どうなるんだろう、って期待と不安が渦巻いちゃってこの1ヶ月くらい、マダムの心はさい芸のまわりをグルグル回っていたのよ。
 でも、待った甲斐があったー。面白かったー。吉田演出の真骨頂!
 マダムはずっと言ってたのよ。今、日本語で上演するシェイクスピアで一番面白い演出をするのは、吉田鋼太郎だって。それが証明されたのよ!どうだどうだ〜。

 このあと観ることが決まってる人は、ここで引き返してね。予習はいらないから。

 

 芝居は1幕と2幕に分かれているんだけど、お話も真っ二つに分かれている。
 1幕目は、アテネの街で裕福に暮らすタイモン(吉田鋼太郎)が客に贅沢なふるまいをし過ぎて破産し、誰も助けてくれないことを知って怒りが爆発するまで。タイモンの屋敷を舞台に、華やかで賑やかなシーンが続く。
 2幕目はうって変わって暗くて静かな森の中。人間に恨み骨髄のタイモンが森の穴蔵で暮らし、訪ねてくる人間と議論の末、次々追い返し、死んでいく(?)までを描く。

 幕開きが素晴らしいの。開演10分前くらいから舞台に役者さんたちが現れ始めて声を出して歩き回る。蜷川御大の舞台でよくあった、見慣れた、懐かしい光景。それだけで観客は喜んじゃって、吉田鋼太郎が現れたらもう拍手が起きちゃうし、そこへまた「ただいま」だなんて言うもんだから、客席はすでに歓喜の悲鳴。まあ、なんて心憎い演出なの。
 そして彼の「さあ、始めようか」の一声で、役者たち全員が舞台の前面にぎっしりと並び、挨拶とともに音楽がなって、一斉にみんな踊り始める。緊張を一気に解かれて、芝居の世界にサッと引き込まれる瞬間。
 このオープニングのダンス、華やかで本当に楽しい!まずはダントツに、ミュージカル出身の柿澤勇人の素敵さにシビれる。そしてもう一人の注目の人は河内大和。彼の美しい立ち姿と鍛えたキレの良さがなんと、ダンスに生かされるとは。すばらしー。
 役者さんたちによる芝居の幕開けを告げるダンスが、やがてタイモンの屋敷で開かれている宴のダンスとなり、お話が始まるこの出だし、つかみはバッチリだ。
 1幕目はとにかく嘘と追従のオンパレード。金のなる木ならぬタイモンに、びっしりと群がる人々。見え見えのお世辞や追従に、大枚叩いて饗すタイモン。お世辞にも歯が浮くけど、もてなすタイモンの台詞もまた「本気なのか?」と疑うような美辞麗句が並んでて、すごく人間関係が上っ面なの。その中で、浮かれてない人間が3人いるのね。哲学者アペマンタス(藤原竜也)と軍人アルシバイアディーズ(柿澤勇人)と、タイモンの執事フレヴィアス(横田栄司)。
 藤原アペマンタスは1幕目はちょっと苦戦してた。華やかな人々の中たった一人ボロを着て歩き回り、皮肉な言葉を投げるんだけど、ほとんどが相手がいない状態で喋らなくちゃならない。すると、彼の台詞術のクセで詠ってしまうのね。でもアペマンタスは皮肉屋だから、詠うのはちょっと違うとマダムは感じたの。もっと、カラッとドライでいいのではないかしら。
 アペマンタスは哲学者ゆえにタイモンたちと逆の意味で浮世離れしてる。なので、ほんとに真っ当な感覚でいるのは執事フレヴィアスだけ。横田フレヴィアスの台詞は、1幕目のなかで際立つ、心に嘘がない台詞。似合いすぎ。優しい役柄を、演じる役者がさらに優しくする。
 アルシバイアディーズは軍人だから浮かれてない。カッキー、堂々のシェイクスピアデビュー。彼だけ別の展開があって、アテネの元老院と対立して追放を命じられ、怒りまくるシーンがあるんだけど、台詞が見事で、舌を巻いたよ。かっこいいし。ようこそ、シェイクスピア界へ。メッチャ、歓迎する〜!
 
 お世辞と追従の波のあと、破産寸前のタイモンに対して、手のひらを返したように冷たくなる人々。描写がくり返しになって、本だと退屈に思えるのだけれど、舞台は演出のアイデアがいっぱいで、飽きなくて、わかりやすくて、笑っちゃうところもたくさんあって。タイモンからの借金の申し入れを断る人々は、カウチに寝そべってワイン飲んでたり、風呂入ってたり、酒場でクダ巻いてたりする。演じる谷田歩、杉本政志、松田慎也も皆テンポが良くてノリが良くて、すごく楽しい。
 そして、誰からも援助が得られないとわかって、人々の裏切りにタイモンの怒りが爆発するのだけれど、この怒りのパワーが半端ではない。これはもう、吉田鋼太郎ならでは。そしてこれこそシェイクスピアならでは。日常生活では絶対感じられないような(もし感じたら凡人には到底耐えられないような)感情の振り幅なの。本当に久しぶりに、パワー全開の吉田鋼太郎を見た!
 この怒り爆発のシーンで、まさか屋敷を燃やしてしまうとは思わなかった。そういう台詞は確かにあるけど。燃える屋敷の前でタイモンが吼える。凄まじいシーンだけど、照明がにじむように美しくて。そして赤い借用書の紙切れが轟々と舞って、少しだけ蜷川演出のことを思い出したマダムだった。
 
 やっぱり長くなる。2幕目については、その2で。

『アテネのタイモン』稽古場見学日記 その3

 鋼太郎さんが遂に役者として稽古場に立たれたと聞き、再び見学に行ってきました!(ちなみに最初にその情報を得たのは、カッキーのツイートからでした。)
 時期が重なって、ブログ10周年記念企画のようになってますが、嬉しい偶然です。
 その1その2 を読んでから、どうぞ。
 

 12月6日(水)午後、再び大稽古場に伺いました。
 1度目に伺ったときには『NINAGAWAマクベス』のシンガポール公演のため留守だった役者さんたちが、皆もどってきていて、日本のシェイクスピア俳優集合度がさらに増していました。そして、やはりシンガポールから戻られたのでしょうか、故蜷川御大の写真が、真ん中の机の上に置かれています。

 「あとは俺だけなんだよな〜」と言いながら、タイモンの衣装をつけた鋼太郎さんが板の上に上がりました。
 演出家の椅子にいるときにはぴったり隣にいた記録係はもう、いませんでした。その代わり舞台に一番近いところにプロンプター(という呼び名でいいのでしょうか?)が二人ついて、鋼太郎さんの稽古をフォローします。びっしりメモが書かれた台本を手にしていますが、これ、殆ど台詞の流れを暗記していないと務まりません。演技に目を凝らし、台詞が止まって鋼太郎さんと目が合った瞬間に、次の台詞のきっかけを教えてあげなければならないのです。先日の記録係といい今回のプロンプターといい、最重要な、縁の下の力持ちですね。

 「あとは俺だけなんだ」と聞いて私が思い浮かべたのは、周りが完全に出来上がっているところへ鋼太郎さんがピタリと収まる、というような図だったのですが、それは完全に裏切られました。4幕3場はタイモンのところへさまざまな人が訪れては去っていきますが、新しい相手役が現れるたびに鋼太郎さんは稽古を止めて、新しいアイデアをどんどん試すのです。相手役の役者さんたちも、受けて立ちます。
 アルシバイアディーズの一行が通過する場面も、フレヴィアスとの別れも、画家と詩人が訪ねて来る場面も、どんどん変化していきます。鋼太郎さんはまるで、たった今思いついたかのように「こうしてみよう」「ああしてみよう」と言い、やってみると俄然芝居が活気づくので、ちょっと魔法にかかったようになってしまいます。見ているスタッフや役者さんたちも固唾を飲んだり、ドッと笑ったりして、思わず引き込まれていました。
 でも、あとから思い返すと、たった今思いついた訳がないのでした。このお芝居の影の主役は「カネ」なのですね。どの演出も、それぞれの人物の「カネ」に対する態度をくっきりさせることにベクトルが向かっています。そうやってテーマに沿った人物描写をすれば、おのずと面白くなるように本ができているのです。感心して見てるのは私だけじゃなかった。「おもしろいな〜」「よくこんな本、書いたよな〜、シェイクスピア」という声がスタッフの方から漏れたのを、私は聞き逃しませんでしたよ!
 
 長い4幕3場の稽古が終わり、次のシーンに移る時、藤原くんが鋼太郎さんに「大丈夫なの?ヘロヘロに(なってるんじゃない?)」と、わざと心配していない風なそっけない言い方で、実は気遣っていました。そう、ここはタイモンが出ずっぱりなだけでなく、ご自身の演出のせいで更に膨大なエネルギーが必要になっています。で、鋼太郎さんの藤原くんへの返答は「シェイクスピアハイだ(から大丈夫)」ですって。ランニングハイならぬシェイクスピアハイについては、鋼太郎さんのインタビュー記事で見たことがあった気がしますが、こういう時に使うのかと、聞いてにやにやしてしまいました。
 主演と演出を兼ねる時の方法を整理しますと。
① 信頼できる人を代役に立てて、まず他の役者さんたちとスタッフに全体の流れをわかってもらう。
② 頃合いを見計らって、自分も役者の方に加わる。
③ そうしながら細部の演技の演出をどんどん加えていく。全体のバランスを演出補に常にチェックしてもらいながら、進める。
④ プロンプターを立てて、同時に自分の台詞の曖昧さも修正していく。
 特別に効率の良いやり方があるわけではありませんでした。全て計算があって進めているのですが、それでも凄く凄く大変。そして最後の最後にシェイクスピアハイが助けてくれる、ということでしょうか。
 
 出番が終わって、タイモンの衣装をその場で脱いで着替え、鋼太郎さんは演出の椅子に戻ります。そこからはセットの移動があるシーンをチェックしていきます。そういう場面になると、どこか蜷川演出テイストが感じられるんですね。意識してそうしている部分もあると思いますが、これはさいたま芸術劇場で作っているから、というのが大きいのではないでしょうか。ゴールドシアターの『薄い桃色のかたまり』のときも同じように感じたのですが、長く蜷川演出を支えてきたスタッフの方達が、同じように真摯に岩松演出や吉田演出を支えようとすると、おのずと芝居の隅々からそのテイストが立ちのぼってくる、そんな気がしました。
 
 稽古場見学は十分すぎるほど刺激的でした。恋愛も権力闘争も嫉妬もなく、離れ離れの家族も間違われる双子も男装する女の子も出てこないんですが、これもまた紛れもないシェイクスピアだったんです。
 来週末にはいよいよ開幕です。ワクワクする気持ちをうんと貯めて、本番を待ちたい。
 皆さんも是非、ご一緒に。予習は特に要らないです(たぶん)!

『アテネのタイモン』稽古場見学日記 その2

 その1をアップしたらすぐ、皆さんから反応をいただきまして、記録係が演出家の隣にいるスタイルは広く行われているみたいなのですね。四季の浅利慶太さんは、そのメモを記録係の女優さんに読み上げさせた、とか。

 
 40分を越えるシーンを終えて、「ではダメだしをしよう」と言って鋼太郎さんは初めて席を立ちました。周りにびっしりと役者さんが集まって、ダメだしを聞きます。私の場所からはところどころしか聞こえなかったのですが、それは「ダメ」を「出す」という否定的なものじゃなくて、演出家のイメージを説明し、そのイメージから外れる部分を修正する、という感じでしょうか。アペマンタス役の藤原くんとは特に時間をとって話されていました。
 
 休憩のあと、同じシーンを始めから繰り返します。
 今度は、途中芝居を止めて、台詞や立ち位置を直しながら進んでいきます。アルシバイアディーズが去って、哲学者アペマンタスが登場してきました。
 藤原くんがこれまでシェイクスピアでやってきた役は、直情型で朗々と喋る役が殆どでしたが、今回の捻くれた哲学者はちょっと勝手が違います。一回目の通しの時は、まだ手探りな感じでした。でも二回目は、ときどき芝居を止めて、鋼太郎さんが自分の代役の長谷川さんの台詞まわしを直します(鋼太郎さんがタイモンの台詞を言うと、やはり全然違って、圧倒的です)。そうすると藤原くんもそれにパッと反応して口調が変わります。会話が立体的になり始める瞬間が見えて、ドキドキしました。
 だいたいこのシーンは、タイモンの長い長い台詞があって、アペマンタスがそれに茶々を入れるみたいな会話なので、はじめにタイモンありきなところがあるんですね。鋼太郎さんが長〜い台詞の、ここはこういう気持ち、これをきっかけにその気持ちが冷め、次のこの辺りから狂った状態に戻る、みたいな、タイモンの揺れ動きを一気に説明されたときには、私はもう唖然。へええええー、そうなのかー、と。小田島訳と松岡訳の両方を読んでいったのに、そんなこと何一つ読み取れない自分の凡人感にハンパなく満たされた瞬間でした。
 
 そしてシーン最後に登場するのが執事フレヴィアスです。横田さんが現れた瞬間、場の空気がガラリと変わり、もうフレヴィアスそのものでした。台詞を言い始めたら、言わずもがなです。上手いわ〜って心の中で感嘆しました(すみません。このような上から目線の言い方で。でも、本当にそう思った。うそはつけません)。そしてこのシーン、鋼太郎さんと二人でやるんだーと思ったら、ちょっともう、たまりません。稽古なのに、すでに感無量な私。
 鋼太郎さんと横田さん、そして藤原くんがシェイクスピアでがっぷり四つに組む瞬間を、私はずっと待っていましたので。共演はされていても、役によっては一緒のシーンがないことも多いし、火花散る会話のやり取りはずっと見られずにきましたが、とうとうその日が来るんです!
 
 すっかり興奮してしまいました。主演俳優が演出を兼ねる時、どんなやり方をするのか、についてちゃんと分析したかったのですが。途中から完全に観客になってしまって、冷静さは吹き飛んでしまったのでした。
 この日の稽古は、2時ごろから始まって、4時間あまり。まばたきも忘れるほど集中して見学しました。役者さんたちも、自分の出番がない時は、長机の側に座って、食い入るように稽古を見ていました。静かだけど熱と活気、そして朗らかさ溢れる稽古場でした。
 さて、鋼太郎さんはいつから役者の側に立たれるのでしょうか?「あと少し経ったらね」とおっしゃってましたが、そこをまた、見たいものです。再度、見学がかないましたら、また皆さんにご報告したいと思います。

『アテネのタイモン』稽古場見学日記 その1

 さいたま芸術劇場で12月に上演される『アテネのタイモン』。稽古場見学に行ってきました!
 日本のシェイクスピア俳優の80%(マダムヴァイオラ社比)が集合している稽古場を見学できるなんて・・・興奮と緊張のあまり、朝から肩凝りしてしまう私。
 見学日記を書くにあたりいつもの「敬称略」ではとても書けないので、役者さんのことは、私がふだん心の中で呼んでいる呼び方を使わせていただきますね。失礼があったらご容赦を。

 

 11月25日(土)午後、さいたま芸術劇場の大稽古場に、伺いました。
 大稽古場は、前の廊下を歩く時チラッと中が見えたことはありますが、入るのはもちろん初めてです。
 足を踏み入れると、聞きしに勝る広さです。大劇場の舞台プラス袖くらいの面積と、高い高い天井。片側の壁はいちめんの鏡張りになっています。床にはラインが引かれていて、緞帳が下りてくる位置や、センターの位置、上手と下手の切れる位置などが全部わかるようになっています。劇場と全く同じ立ち位置で稽古が出来る、故蜷川御大自慢の稽古場です。
 片側にずらりと長机が並んでいて、スタッフの方達が腰かけていました。真ん中に一つだけ木製の机があって、いかにも演出家の席、という感じでしたが、鋼太郎さんはそこには座らず、一つ奥に座ります。あとで伺ったら、この木製の机は故蜷川御大の席なのだそうです。今も、御大の魂は稽古場にあるよ、ということなのでしょう。
 
 今回見学するにあたり、私がいちばん知りたかったのは、主演俳優が演出を兼ねる場合、いったいどんなやり方で稽古するのだろうということでした。
 私は以前にも一度、鋼太郎さんの稽古場を見学したことがあります。劇団AUNの『十二夜』の稽古場でしたが(レポートは→ここ )、そのときの鋼太郎さんの役はマルヴォーリオで、重要な役ではあるけれど、主役ではない。今回のタイモンに比べたら、台詞の量も出演時間も、ずっと少なかったわけです。タイモンはほぼ出ずっぱりだし、いったいどうするんだろう、と興味津々だったのです。

 4幕3場をやります、というアナウンスがあって、役者さんたちが衣装をつけて舞台に集まり始めました。AUNの長谷川志さんがタイモンの代役で、衣装をつけ、現れたので、なるほど、と思いました。彼はAUNの若手公演の演出を手がけたこともある人で、『十二夜』のときも鋼太郎さんの代役をされてましたから。
 一回通してみよう、と鋼太郎さんが声をかけ、稽古が始まりました。
 始まって、いきなりびっくりです。長谷川さんがタイモンの台詞を全部憶えていたのにも驚きましたが、その台詞まわしが鋼太郎さんにそっくりだったので。シェイクスピアの台詞を客に伝わるように喋るにはこうする、という吉田鋼太郎イズムみたいなものが浸透しているのに感心してしまいました。海外の舞台でいうところのアンダースタディというのは、こういう存在なのでしょうか。
 4幕3場は、無一文になったタイモンが森の洞窟で隠遁しているところへ、以前の知り合いが次々やってくるシーンです。最初に武将アルシバイアディーズが現れます。カッキーはスレンダーな青年なので、武将ってどうなのかしら?と思っていましたが、軍服姿がメチャ格好いい! 怜悧な武将という感じ。そして後ろに屈強な兵士たちが控えているんですが、谷田さんや河内さんが甲冑を着けて睨んでいると迫力十分です。むき出しの腕の筋肉に、つい目がいってしまいますね。贅沢な配役です。
 アルシバイアディーズが去った後、哲学者アペマンタスが現れ、そのあと執事フレヴィアスが現れて、タイモンと物別れになるこのシーン、続けると40分以上になります。まず通してみると言った通り、鋼太郎さんは一度も芝居を止めず、片時も目を離しません。そして気がついたことがあると、目は離さないまま、次々口に出します。「今のところもっと早く出て」とか「今の台詞、縮める」とかそういったことを鋼太郎さんが小声で言うと、それを隣にぴったり張り付いている記録係の人(いちばん若い女優さんでしょうか?)が台本に付箋をつけてどんどんメモしていきます。鋼太郎さんは自分でメモしたり台本に目を落としたりはせず、稽古する役者さんたちから目をそらさないのです。はー、なるほどー、と私は心の中で何度も言ってました。(これが当たり前のやり方なのかどうか、私にはわかりません。鋼太郎さんの稽古しか見たことがありませんから。)

 通しが終わると、役者さんたちを集めて、さっきメモしてもらったことを含め、長いダメだしがありました。それを受けて「もう一度やってみよう」といって始まった次の稽古が、ちょっと凄かったんですが、長くなりましたので、その2で書くことにします。

チェーホフの深さを知る 『ワーニャ伯父さん』

 忙しい9月の到来ね。9月2日(土)マチネ、新国立小劇場。

シス・カンパニー公演『ワーニャ伯父さん』
作/アントン・チェーホフ
上演台本・演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演 段田安則 宮沢りえ 黒木華 山崎一 横田栄司
   水野あや 遠山俊也 立石凉子 小野武彦 伏見蛍(ギター演奏)

 

 ご贔屓の横田栄司、初チェーホフだというので、すごく楽しみにしていたの。春頃、早々と戯曲も読んで、予習していたのよ。で、きっとこの役だろうと思ったアーストロフだったんで、狂喜乱舞。
 しかし、戯曲読んでもね、ピンとくるやらこないやら。これでも最後まで読めるようになったのは、芝居道を深めたからか、年の功なのか。
 ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出のチェーホフは、2年前の『三人姉妹』がとても面白かったから、今回もきっと大丈夫と思っていた。そして思った通り、わかりやすく、飽きないように演出されていたの。予習してなくても、みんな理解できたと思う。
 さて、今から、思いっきり本題に入るので、これから観るかたはここで引き返してください。ネタバレとはまた違うんだけど。

 
 
 

 マダムはチェーホフをずっと敬遠してきたので、『ワーニャ伯父さん』を観るのも今回が初めてなの。だから、すっごく的外れなことを言うかも知れないんだけど、とにかく感じたところを正直にいうとね。
 難解なところはなかったし、ところどころ笑いながら楽しく観た。エレーナ(宮沢りえ)が伸び伸びした演技。自身を切り売りするのではない、演技らしい演技をしていて役に入り込んでいて、「宮沢りえ」感がなくて、エレーナだった。
 そして、アーストロフの横田栄司も期待通りだった。殆ど主役と言ってもいいくらい、ずっと舞台にいてくれて、いい声でずっと穏やかに話してくれていたので、婆やになったつもりで聴き入ってた。ラストの方は、もっともっとフェロモン出しまくってもいいんじゃないの?と思ったけどね。後から芝居全体についてよーく考えてみたら、エレーナやソーニャが言ってる言葉通りの「ハンサム」になっちゃうのも違うのね。なかなか、さじ加減の難しい役。
 上手い役者さんばかりが揃っているので、ちゃんと、その役の、エゴイスティックさや、すぐ諦めちゃうところや情けなさが、ありありと描き出されて、さすがチェーホフ、めちゃくちゃイライラさせられるんだった(褒め言葉です)。

 全体としては面白く観たの。それでいいはずなのに、終わった後、釈然としない気持ちが残って。どうしてなのか、あれこれ考えたわ。
 ギターで、既成曲が流れるのが邪魔だったから? それは、ちょっとあったの。この曲、なんだっけ?と意識がそっちに行って、心が芝居から離れる。でも、それは決定的なことではない。
 いろいろ考えて、ワーニャ伯父さん(段田安則)とソーニャ(黒木華)の造形が違うのだ、とわかった。マダムが求めているものと違う、と言ってるのではないのよ。戯曲が指し示しているものと違うと思った。 
 この二人が違うので、他の人たちの演技としっかりとかみ合わない隙間ができてしまう。パズルがきちんとはまらない感じ。

 ワーニャ伯父さんは、田舎で農園を経営しながら、妹の夫セレブリャーコフ(山崎一)にずっと仕送りしてきた。都会で文学を研究している大学教授への強い憧れが、田舎の、退屈で貧しい暮らしを耐えるよすが、だったのね。
 だけど、妹はとうに死に、職を失ったセレブリャーコフが転がり込んでくると、こんな俗物の生活をずっと支えてやってたんだ、とわかっちゃう。自分は、47歳にもなるのに、自慢するような妻も子も仕事もなくて、これまでやってきたことはバカみたいだった・・・だから、愕然とし、憤りもしている。その一方で、セレブリャーコフが連れてきた後妻エレーナがとびきり美しいので、文句や愕然や憤りをちょっと脇において、ポワワーンとしている。
 ワーニャ伯父さん、というのは、そういう47歳の男なのよ?まだ取り返せるかも知れない、と思っちゃうギリギリの年齢ではある。
 これは見てるだけで、滑稽だし、可笑しいし、哀しい・・・はずなの。
 だけど、段田安則のワーニャは違ったの。演技がスクエアだし、なんていうか・・・年取りすぎている。ポワワーンに現役感がないよ。ワーニャ伯父さん、というより、ワーニャ爺さんぽい。ヴォイニーツカヤ夫人(立石凉子)を「おかあさん」と呼ぶのが最後までしっくりこなかった。
 ちょっと実年齢と離れ過ぎていたのかもしれないね。
 
 一方のソーニャは、セレブリャーコフと、死んだヴェーラ(ワーニャ伯父さんの妹)の間の娘なのね。ヴェーラの死後、実家に引き取られ、ワーニャ伯父さんや、祖母のヴォイニーツカヤ夫人と暮らしてきた。農園の経営を手伝い、忙しくて、若い娘らしい時間は全くないの。彼女のただ一つの楽しみは、時々屋敷にやってくる医者のアーストロフに会うこと。なぜ彼女がアーストロフに惹かれているかというと、彼女の生活圏に、他にまともな恋愛対象が皆無だからなの。アーストロフがめっちゃイケメンだから、ってわけでは全然ないのよ。半径5キロ圏内に、他にまともな男がいないんだもの(これは役者がイケメンかどうかには、全く関係がない。アーストロフという役はそういう役だってこと)。で、アーストロフの方は、気立てのいいソーニャに全く見向きもしない。なぜかというと、ソーニャが不器量だから。
 そう。ここが問題なの。だって、黒木華、美しいんだもん。全然、不器量じゃない。なので、アーストロフが見向きもしない理由が、わからなくなってしまう。
 ソーニャっていうのはさ、たぶん、例えば若い頃の杉村春子や、若い頃の吉田日出子や、若い頃の伊沢磨紀がやるような役なのね。彼女たちは不器量だけど、あまりに上手いので美しく見える、そういう大女優なんで。
 黒木華は、宮沢りえとはタイプが違うけれど、やっぱり美人なので、ラストの人生終わった感の漂うセリフが、身に沁みてはこない。まだまだこれからいいことあるでしょ、という気がしてしまうのよ。
 でもこれも役者を責めているのではないの。黒木華が美しいのは、始めからわかっていることだ。
       
        *        *        *
  
 イギリスで上演中の「ハムレット」で、ホレイショー以下、ハムレットを取り巻く友人たちが全員女に改変されていると聞き、マダムの心は踊った。シェイクスピアには、そういう改変の余地がある。成功するにせよ、失敗するにせよ、試みを受け入れる間口の広さが、シェイクスピアにはある。上演台本が残されているだけで、ト書きも年齢指定も何もないしね。
 でも、チェーホフは細かな条件をつけて、ピンポイントで書いている。すごく繊細なパズルのよう。一箇所ずらしただけで、全体が狂う。
 そういえば、2008年に藤原竜也主演の『かもめ』を観た後、しばらく『かもめ』のことばかり考えていて。あの時も、作家トリゴーリン(母の愛人)の年齢を変えたことで全体が違ってしまったなあと思ったのよ。
 
 芝居を観終わってこんな風にあれこれ考えるのは、とても楽しい。そして、これだけ考えることができたんだから、やっぱりケラ演出は侮れない。 

『エレクトラ』を観る

 予習する暇はなかった。4月15日(土)ソワレ、世田谷パブリックシアター。

りゅーとぴあプロデュース『エレクトラ』
原作/アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス「ギリシア悲劇」より
上演台本/笹部博司 演出/鵜山仁
出演 高畑充希 村上虹郎 中嶋朋子 横田栄司
   仁村紗和 麿赤児 白石加代子

 マダムはギリシャ悲劇、あまり得意ではないのよ。神様がなんでも決めちゃうのが不服なの。
 だから、今回は、初見の高畑充希への関心と、横田栄司の良い声に聞き惚れに行ったの。
 最初に言っちゃうけど、アイギストス(横田栄司)の出演時間があまりに短く、1幕終わった時点で帰ろうかと思ったよ。聞き惚れる暇がないほど、短かった!
 なんてもったいないことをするの?ずいぶんじゃないの。
 でもそれは、芝居そのもののお話ではない。だからこれ以上は言わないことにする。

 ギリシャ悲劇には全く詳しくないので、何一つ偉そうなことは言えないけれど、なんだかはっきりしない舞台だったの。
 違和感があったのは、名のある達者な役者さんが揃っているのに、演技のメソッド(というか、発声法とかテンポとか色合いとか、リアリズムなのかとか演技の向かう方向)がバラバラな感じがしたこと。白石加代子は早稲田小劇場の白石加代子だし、麿赤児はアングラだし、横田栄司は文学座だし、中嶋朋子は鵜山組シェイクスピアの演技だし、高畑充希はテレビドラマに出ているときとあまり違わないし。なので、演技(の種類)がかみ合ってなくて、シーンを重ねても、こちらの気持ちが積み上がっていかないのね。
 鵜山演出は大抵、たとえば昨冬の『ヘンリー四世』のように、緻密に積み上がっていって、最後にはちゃんと受け取れるものがある。のだけれど、今回は、散漫で、なにがやりたかったのか、焦点をどこに持って行きたかったのか、わからなかったわ。
 台本にかんして素朴な疑問なんだけど、アイスキュロスとソフォクレスとエウリピデスはそれぞれ作風ってものはないの? それを無視して簡単に合体させられちゃうもんなんだろうか? やたらに軽くて、一本スジが通らない感じがするのは、やっぱりこの台本のせいじゃないのかしら?
 
 初見の高畑充希に関して言えば、なかなか面白い舞台女優になりそう。期待大〜。だけどまだ、相手と相乗効果を生む感じにはならないので、オレステスとエレクトラの二人だけの会話だと、聞いてるのが辛い。グダグダになっちゃうのね。
 でもそのオレステス(村上虹郎)、2幕になってイピゲネイアと二人のシーンは、なかなか面白かった。それはもう、中嶋朋子の力なの。もっと早く出てきてくれればよかったのに。
 
 芝居自体がどうも印象散漫なので、マダムは途中で他のことをいろいろ思い浮かべたのだけれど。一番思ったのは、同じ頃の同じ登場人物を描いていても、ギリシャ悲劇とシェイクスピアだと、こうも違うのかってこと。
 マダムにとってのアガメムノンといえば、同じ鵜山演出のシェイクスピア『トロイラスとクレシダ』の鍛冶直人アガメムノンなの。どんな場所にも自分のディレクターズチェアを運んでって座る指揮官アガメムノン。
 『トロイラスとクレシダ』のアガメムノンやギリシャの将軍たちは、みんな等身大の人間で、なにより合理的に描かれていたの。合理的で、ドライで、名より実を取る考え方が浸透している感じ。
 同じアガメムノンという名の人物でも、ギリシャ悲劇の中にいるのは、神と対峙し、実ではなく名を選び(だって生贄に自分の娘を差し出しちゃうんだもの)、そのせいで妻に殺されてしまうような男。ドライさは全然無い。
 比べると、シェイクスピアはすでに、今の私たちと同じような目線で人間を見ている。ギリシャ悲劇は、やっぱり私たちと同じ地平には無いものなのかもしれない。等身大の人間じゃないんだよね、描いているものは。
 とすれば、今回の舞台は、ギリシャ悲劇らしくなかった。イメージとして壮大さがなくて、隣のお姉さんがお母さんを嫌ってる話みたいになっちゃってたもの。それで、最後にお母さんを許して、自分もお母さんになろう!なんてさ。まるっきり隣のお姉ちゃんのお話でしょ?
 
 でもね、凄くつまんなかった訳でもないのが不思議なの。だって、観終わって1週間近く、あーでもないこーでもないって考えていたんだもの。こんなに反芻できるなんて、まるっきりつまらなかったら、ないもんね。

 
 さて、マダムはゴールデンウィークに引越しを予定しております。かなり忙しく、またインターネット環境が一瞬途切れることもありますし、次の更新までには間が空きますこと、お許しを。また、コメントをアップしたりお返事したりも、遅くなってしまうかもしれませんので、ご承知おきくださいね。


 
 

横田栄司 in チェーホフ!

 私生活的に忙しくて、しばらく劇場に行けないマダム。
 家のPCには、楽しみな芝居の予告が色々届くんだけど、やれ、来年2月だの、来年5月だの、来年9月だの!いくら面白そうでも、来年の話なんか、生きる糧にならなーい。
 そこへ、飛び込んできた、このニュースに、マダムは踊った〜!
 今年9月、ケラ演出のチェーホフ『ワーニャ伯父さん』に横田栄司出演〜。やったー、超楽しみ! ケラ演出のに出る、ってところが肝心でね。だって、一昨年のケラ演出『三人姉妹』がマダムが初めて面白いなあって感じたチェーホフだったから。それまでチェーホフはピンと来たことがなかったの。ケラリーノ・サンドロヴィッチ自身で上演台本を作ってる、ってところがミソなのではないかしらと、マダムは思っているのだけれど。
 はやる気持ち抑えきれず、『ワーニャ伯父さん』を読んでみた。
 実はうんと若い時、上演を観てるはず・・・なんだけれど、全然憶えてなくてね。確か俳優座の舞台だったということ以外、なあんにも憶えてない。ダメな舞台だったかどうかもわからないの。だって、マダムは寝てたのかもしれないしね。本も読んだと思うのに、何一つ覚えてないの。
 でも今回、読みながら、あーこの役は宮沢りえだよねー、あーこっちが黒木華だねきっと、あー、それでこれ、じゃなくてこっちが横田栄司!だって、あっちが段田安則だから・・・とか色々、色々思い浮かべたら、なんだか凄く面白く読めたの。役者を嵌め込んで読むと、会話が立体的になって、何も起こらなくても、面白いの。まあ、マダムの年の功もあるかもしれないけど。
 あ〜、早く彼がどの役をやるのか、知りたいなあ。あのいい声のセリフに、耳傾けたい。
 今年の横田栄司のラインナップは凄いのよ。だって、4月に鵜山演出のギリシャ悲劇でしょう? 9月がケラ演出のチェーホフでしょう? そしてたぶん(これは勝手にマダムが決めてるの。だって吉田鋼太郎芸術監督第1作に彼がいないなんて、ありえないからっ。)12月に吉田鋼太郎演出のシェイクスピアだよ?!
 マダムが好きな役者さんの中でも、こんな凄いラインナップの人はほかにいない。ちょっと、来てるぞ〜って思う。
 ほんとによかった。マダムも今年はこれで生きていける。だって、やっぱり一番好きなのはストプレなんだもん。ミュージカルも悪くはないけどさ・・・。でも。
 ぎっちり中身の詰まったストレートプレイに浸りたい。

 
 
 
 

『お気に召すまま』追記

 シアタークリエの『お気に召すまま』について、記事内容に言葉が足りてないところがあるようなので、補足するね。

 マダムは演出が気に入らなかったんだけど、「設定を1960年代のアメリカにもっていった」ことそのものが気に入らなかったんじゃないのよ。さらに言えば、その演出が失敗してるから批判してるわけでもないの。そもそも失敗なのか成功なのか判断材料がなさすぎだし。
 それが日本人の観客にどんな効果をもたらすか、演出家がよく考えてないのがありありとわかるので、嫌だったの。

 面白いと思ったから演出家は、その設定を選んだわけでしょう? ならば、日本人の観客に面白さをわかってもらおうと努力をしてほしいのよ。そのためには、自国で演出するのとは違う努力が必要となる。それが他国で演出する、ということなのではないかしら?
 努力したけど失敗してしまってる、というのとは、今回の舞台は違うと感じたわ。
 あのままでアメリカ人は面白さをわかるんだよ、っていうんなら、向こうで上演してるものをそのまま来日させればいいわけなのでね。マダムだって、もしブロードウェイでこういう演出を見たら、別の見方、別の反応ができると思う。

 もしこれがシェイクスピアじゃなくて、三島由紀夫の戯曲だったら、演出家はもっと身構えるでしょう?
 シェイクスピアは自分たちのところが本場だから身構えがいらない、と思っていないかしら? それが嫌なの。そして、依頼する側も、そちらが本場なのでおまかせしますっていう態度があるでしょ?(ミュージカルの時の作曲の依頼とかも、同じ精神構造が感じられるよ。)どっち向いて芝居作ってんの?と思うの。お金払って観てるのは、私たちです。
 
 ちなみに、これは役者さんたちを批判してるんじゃないんです。役者さんたちには全く関係がないこと(というか、どうしようもないこと)だから。
 むしろ、役者さんたちだけは私たち観客の方を向いてくれている、と思う(あたりまえのことといえば、そうなんだけど)。

 あー、またホントのこと、書いちゃったな〜。
 エネルギーがいるんで、大変なのよ、ホントのことを言うのって、ね。

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