最近の読書

浦井健治

様式美な『王家の紋章』再演

 春うららな平日。仕事を休んじゃったよ。4月13日(木)マチネ、帝国劇場。

ミュージカル『王家の紋章』
原作/細川智栄子 あんど芙〜みん
脚本・作詞・演出/荻田浩一 作曲・編曲/シルヴェスター・リーヴァイ
出演 メンフィス:浦井健治 キャロル:新妻聖子 
   イズミル:平方元基 ライアン:伊礼彼方 アイシス:濱田めぐみ
   イムホテップ:山口祐一郎 ほか

 初演を観て、結構お腹いっぱいだったので、再演に行くかどうか、迷ったの。
 殆ど浦井メンフィスの定点観測みたいな意味で、行ってみることにしたのだけれど、初演の時は日程の都合を優先して失敗したので、今回はキャストの組み合わせを吟味して、新妻キャロルの日に行ってみた。
 それはやはり正解だったね。初演に比べて、キャロルの細やかな感情の揺れが出ていたし、たとえば同じ遺跡のお棺の上の花を素手で取り上げるにしても、恐る恐るな感じがあって、「え?素手で?」みたいな反感は起きなかったしね。ラブシーンもちゃんとしてたしね。
 
 再演にあたって、演出家は色々と手を加えていたの。装置はだいぶ派手になって、初演のスカスカ感はかなり解消されていたし、衣装もメンフィスは多分、増えてたように思う。でも、一番手を加えたのは、台本ね。
 一幕については、余分な枝葉を取り除いて整理して、だいぶわかりやすくなったなあと思った。でも二幕になったら、話がスッキリしすぎて内容の深みのなさが露呈したような。アイシスの姉の横恋慕も後ろに引っ込み気味だったし。やっぱり二幕はイケメン三人(メンフィスとイズミルとライアン)を観ててくださーい、みたいになってて、それが初演より強化されて様式美になってるんだった。マダムは(あまり詳しくはないんだけど)宝塚みたい、とちょっと思った。
 結局、どこをどう直そうが、もともとテーマに深さが無い以上、味わいを増すことは難しいのね。あとは様式美をどんどん極めるしか手がないのかもしれない。
 
 浦井メンフィスは、傲慢不遜な王様の部分は変わらず、でもキャロルに恋をし始めてからの歌声が、初演よりも、優しい声になっていて、「キャロルと出会って変化するメンフィス」を精一杯表現していたわ。マダムはその優しい歌声が好きなので、それが聴けて嬉しかった。けれど、彼の役者としての力量も幅も歌の力も、こんなものではないものではないと考えているので、もっと深い(深刻な役、という意味ではないの。やり甲斐のある役、と言う意味です。)役をやらせてあげたいとしみじみ思ったのだった。
 

浦井くん、芸術選奨新人賞受賞

 ビッグニュースが飛び込んできたよ!
 我らが浦井健治が、平成28年度芸術選奨<演劇部門>文部科学大臣新人賞を受賞した〜。
 やった〜!おめでとう!
 文科省もたまには良いことするよー。えらーい(この件に関しては)。
 文科省のHPで受賞の理由をしっかり読んできたんだけど、この1年間の「タイプの異なる4作品で、俳優としての進化を強く印象付けた。」ってことだ。4つの作品とは、『アルカディア』『あわれ彼女は娼婦』『王家の紋章』そして『ヘンリー4世』ね。全部、観てるっ!当然〜。

 今年の出演予定作は全てミュージカルだし、半分は再演。マダムとしては1作くらいは手強いストレートプレイをやってほしかったの。それが役者としての可能性をもっと押し広げてくれるだろうと期待しているから。いや、そんなことより、演技の稲妻に出会いたいから!
 でも、マダムの願いを聞き入れて(?)、映像に出演するのを最小限にして舞台に精進してくれてることを、ホントに感謝してる。来年の『ヘンリー五世』も決まってることだし、それまでは頑張って生きることにしてるから、まあいいかしらね。

 おめでとう。浦井くん自身と、浦井健治ファン(つまりマダムたち)、本当におめでとう!

『ビッグ・フィッシュ』を観る

 黄色と青の組み合わせは大好き。2月12日(日)マチネ、日生劇場。

『ビッグ・フィッシュ』
脚本/ジョン・オーガスト 音楽・詞/アンドリュー・リッパ
演出/白井晃
出演 川平慈英 浦井健治 霧矢大夢 赤根那奈 藤井隆
   JKim 深水元基 りょうた 鈴木蘭々 ROLLY ほか

 
 とても良いミュージカル。楽しくて、美しくて、ほろ苦くて、じーんとする。
 やっぱり、どんなにきらびやかに作ってあっても、物語の底を流れるテーマがなくては良いものはできないのだわ。

 大袈裟な語りが大好きな父エドワード(川平慈英)と、そんな父を斜めに冷ややかに見ている息子ウィル(浦井健治および子役のりょうた)の物語。
 結婚を控えてウィルは、しばらく離れていた実家に時々行くようになるの。実家は彼にとって少し苦い思い出のあるところ。父エドワードの何事も大袈裟に語るところが、ウィルは苦手なの。
 そこから回想になって、ウィルが幼い頃、エドワードが話してくれたあらゆる体験談が、夢のように次々舞台上で繰り広げられるのが楽しい。若い頃に夜の森で魔女に出会い、自分の一生(特にどんなふうに死を迎えるか)について予言をきいたこと。故郷の村に巨人がやってきて、みんなは恐れたけど自分だけは友達となって一緒に旅したこと。奥さんのサンドラとは、サーカスで働いている時に出会って、一目惚れしたこと・・・だけど、幼い頃は楽しかった父の話も、年を重ねるごとにウィルは、胡散臭さを感じるようになる。実際、大人になったウィルとは、親子の真面目な会話が成立しない。釣り上げた魚の大きさが何倍にも語られるように(ビッグ・フィッシュ!)、全てが嘘くさく、押し付けがましくて、ウィルは本当の父はどんな人なのか、さっぱり理解できない。
 その気持ちを歌った歌「Stranger」が素晴らしいの。自分の父親で、いろんな話をしてくれたけれど、でも「知らない人」なんだ、よくわからないんだ、遠いんだ、って歌ってる。この曲、浦井健治単独コンサートのとき歌ってくれたんだけど、そのときと印象が全然違ってた。コンサートのとき「まだ白井さんの演出を受けてないので譜面通りに歌います」ってヘンな前置きして歌ってくれたんだけど、そしてそのときも、なかなか良い曲だなとは思ったけれども、演出を受けウィルという役になって歌うと、こんなにも切々と胸にくる歌になる。役者歌、ますます健在だー。
 
 結婚したウィルにもうすぐ子供が生まれるという頃、エドワードの病気が見つかり、死期が近いことがわかる。それと同時に、ウィルは父の机の中から、知らない家の権利書を発見して、父には秘密がある、と思うのね。権利書にはエドワードの名前の他に、見知らぬ女性の名もあって、ウィルは、この家があるエドワードの故郷の町に行ってみることにするの。お父さんには、お母さんの他に女がいたんだ、とウィルは考える。お父さんは、それを隠すために、あんなホラ話ばかりしてきたに違いない!
 果たして、権利書の示す住所には小さな家があり、テラスで編み物をしている老女がひとり。ウィルが近づいていくと、彼女ジェニーはひと目でエドワードの息子だとわかり、話してくれるの。エドワードが家族にも話さなかった、故郷の町に起こったこと。エドワードがジェニーにしてくれた全てのことを。
 大袈裟な父が隠していた本当のことは、ウィルのわだかまりを解かすのだけれど、それと同時にエドワードには死が訪れるの。
 父親の隠された秘密がわかってやっと「Stranger」じゃなくなったときには、もうこの世にはいない。それって、人生の真実かもしれないね。
 
 役者さんたちがみんな、なかなか良かった。歌も踊りも演技も上手い人たちが揃ってる。これ、日本のミュージカルだと、まだなかなか無いことなのよ。
 サンドラ役の霧矢大夢、初めて見たけど、老夫婦のときと回想シーンの若いときが交互にやってきても、どちらも自然で、上手いなあって思ったわ。若いときの踊りがとても可愛かった。
 川平慈英は言わずもがなの上手さだったわ。そして、マダムは30年くらい前に初めて彼の名前を憶えた日のことを思い出した。あれは坂東玉三郎初演出の「ロミオとジュリエット」。主演の真田広之を見に行ったんだけれど、劇場を出たときには「誰、このティボルトやってる人。なんなの、このインパクト。かびらじえいっていうのか・・・」ってことで頭がいっぱいだったあの日のことを。
 さらに演出の白井晃。回想シーンが楽しくて美しかったんだけど、ふと、遊機械全自動シアターの円形劇場がよぎった。これももう30年前になるのね・・・。
 遠くまで来ちゃったよ。と思っちゃったマダムでした。
  

速報!浦井ヘンリー五世、再び

 きゃっほー!
 みんな、もう聞いてる?
 新年早々、来年の話なんだけど、2018年5月、新国立劇場で『ヘンリー五世』の上演が決まったよ!!
 主演は勿論、浦井健治その人。やった〜!これまでの鵜山組、続行よ。
 喜びのあまり今、うちで「We will Rock You」かけながらひと踊りして、マダムは、ツイッターのアイコンをヘンリー五世仕様にしたので、ツイッターの方もよろしくね。(ていうか、受験生の母の顔はどこにいったのかしら〜〜〜?)

 ヘンリー四世、観なかった人はもう、後悔してるでしょ?
 そうだよ、シリーズなんだから、見続けると喜び倍増なのよ。
 来年まで、頑張って生きるぞー。

『ヘンリー四世』第二部再見と、シリーズ再考

 無理を押し通して、もう一度行ってきた。12月14日(水)マチネ、新国立劇場中劇場。『ヘンリー四世』第二部 ー戴冠ー。
 本当はもう一度、通しで見たいところだったけれど、そういうわけにもいかず、二部だけとなったの。どうして二部かというと、今井法院長さまとハル(というかヘンリー五世)の丁々発止のシーン、一度目はマダムの席からは二人が完全に被ってしまってて、表情がほとんど見えなかったんだもん。

 二度目は後ろの方しか席はなかったんだけど、ほぼ真ん中を選べたので、二人のシーンだけじゃなく、すべてのシーンが見渡せて、満足だったわ。
 やっぱり、「ヘンリー四世とハルの最期の会話→王の死→ヘンリー五世と法院長との火花散る会話と、和解→戴冠そしてフォルスタッフ達との別れ→ラスト」という畳み掛けていく構成が凄いし、ハルからヘンリー五世への変化がダイナミックで素晴らしいよね〜。繰り返し観たいけど、それは叶わないので、目に焼き付けようと必死なマダム。
 この新国立劇場のシェイクスピアシリーズ、中継のテレビ放映もないし、DVDの売出しもないどころか、舞台写真すらほとんど残らないのよ。こんなに面白く、それぞれの役者さん達が輝いているのに、その痕跡が全く残らないの。見た人の記憶の中に残るのみ・・・。舞台は一期一会なのが運命とはいえ、ちょっと、あんまりなんじゃないかしら?


 多くの人が結集して面白いものを作っているのに、今回は結構空席もあった。マダムは新国立劇場の宣伝力の無さにがっかりしたよ。浦井ハルと岡本ホットスパーとB作フォルスタッフの写真入りのチラシくらい作ればよかったのに。それだけでも観客動員が違ったと思うわ。
 それとね。
 国立劇場で製作した芝居は、みんなのものだと思うので、劇場に来られない人にも観るチャンスがあるべきよ。イギリスのNational Theatre Live みたいなものは望むべくもないけど、せめて記録映像くらい、図書室で見られるようにしてほしい。他の作品は見られるのに、このシェイクスピア歴史劇シリーズが見られないのは、おかしい。(大々的に売りだせと言っているのではなく、せめてせめて図書室で閲覧可能にしようよ、と言っているのよ?)
 だってね、今マダムが大学生だったとして、「シェイクスピアの歴史劇の日本での上演」についてレポートを書きたいと思ったら、手掛かりは蜷川演出のDVDしか無いわけでしょ?同時期に、さい芸と新国立で、ヘンリー六世やヘンリー四世やリチャード三世が上演されているのに、片っぽしか資料が無いわけで。
 これがどこかの劇団が独占で製作したものなら、文句を言ってもしょうがないけれど、国立劇場で製作したものの記録が公開されてないのって、ぜっっったいおかしいです!
 
 そんな正論は別として、新国立劇場のシェイクスピアシリーズ舞台写真集を作ってもらいたいな。『ヘンリー六世三部作』『リチャード三世』『ヘンリー四世二部作』全部を網羅する解説付き舞台写真集、限定3000部。すぐ、売り切れると思うけど?
 マダムは役者の写真集って、あまり興味が無いの。スタイリストがついて、こっち向いて微笑んでる写真ばっかりのやつ。それよりも、舞台写真集が欲しい。だって、役者が一番かっこいいのは、演技している時だから!
 浦健や岡健ファンのマダムの下心は脇に置いておいても、舞台写真を眺めながら、面白かった芝居を思い起こして感慨に耽るのは、芝居好きの楽しみの一つ。舞台写真集を、パンフレット番外編として、作ってくれい〜!
 
 
 なんだか、シリーズ再考とは話がずれてしまった。戻そう。
 『ヘンリー六世』三部作が作られた時、かなり無謀な企画として、成功が危ぶまれていたらしいのだけれど、ワクワクするようなものが出来上がって、観客から自然と続編(『リチャード三世』)を望む声が出て、そして今に至ったわけ。役者さんたちも7年前から変わらぬ顔ぶれだったりして、完全に劇団化してる。だからこれを続けて欲しい。
 次は『リチャード二世』かしら、とマダムは想像する。岡本リチャードと浦井ボリングブルックかしらね・・・・(遠い目)。
 『ヘンリー四世』のラストの高揚感を忘れないうちに、次を企画してくれるよう、メッチャ期待してるからね!

ロック少年が選択する王という孤独〜『ヘンリー四世 二部作』を観る その3

 シェイクスピアの場合、題名(タイトルロール)が必ずしも主役ってわけじゃないのよね。『ジュリアス・シーザー』とか『シンベリン』とか、『ヘンリー六世』とかも。
 だから『ヘンリー四世』もそうだよね、と理解していたし、主役はやっぱりハル王子なのでしょう。けれど、見ていて思ったの、ほんとにそうだろうか?これはあきらかに「ヘンリー四世」をめぐる物語、なんじゃないかしら?と。
 いや、ヘンリー四世とハル王子の親子をめぐる物語、ということかな。それが鵜山演出の、この芝居についての答えね。

 
 第二部もやはり二つの対比でできていたわ。フォルスタッフたちがまったりと遊んでいる世界と、ハルが父王と和解し王となる決意をしていく宮廷内の世界。ハルは、フォルスタッフたちのところに現れはするんだけど、心は既に病に倒れた父王のことでいっぱいなの。
 第二部、王(中嶋しゅう)と浦井ハルの演技がホントに素晴らしかった。
 王が死を目前にして、王位簒奪の罪の意識と必死に戦っている心がよく伝わってきたし、ハルもまた、宮廷人たちがフォルスタッフを探している=自分を探している=父王の身に何かあった、とすぐに察知して駆けつけるの。そして、王冠のシーン。
 王が息を引き取ったと思い込んでハルが王冠を持ち去るところから、二人の長い台詞のやり取りで、和解していくこのシーン。もう、息を止めて聴き入ったの。何も言うことはない。凄く沁みた。
 こんなことをこんな時言うのはなんだけれど、マダムはずっと中嶋しゅうの演技が苦手だった(ただの好みの問題とは思うのだけれど)。でも、このヘンリー四世は憂のたちこめた枯れた様子がぴったりだったし、浦井ハルとの相性が良かったんだと思う(そこにも、『ヘンリー六世』以来の役者同士の信頼関係がたぶんに影響してるよ。劇団のベテランと若手のような)。中嶋しゅうによって浦井ハルの演技が引き上げられたことはもちろん、浦井ハルとのやり取りが中嶋しゅうを更に王らしくした、とも言えると思うの。
 
 遂にヘンリー四世が亡くなり、放蕩の衣装を脱ぎ捨て、ハルは美しい白い衣装をなびかせて現れた。このとき、あのヘンリー六世の父だな、とマダムが感じたことはもう話したわね。そして、フォルスタッフたちとの別れのシーン。既にハルには孤高ともいえる雰囲気が漂い、小物のフォルスタッフが通じる馴れ合いは無くなっていた。ハルの前にはまったく別の道が伸びていたのよ。
 木で組まれたセットの道を、王冠をかぶったハル、いえ、ヘンリー五世が登っていく。すべての人々が(前王も)それを見上げている。誰も登っていない高みで、彼はゆっくりと遠くを見渡す。そしてそっと目を閉じる。ロック少年が、王という孤独を引き受けた清々しさに、劇場中が満たされた。
 ラストシーンにはもう台詞はなかったけれど、今年マダムが一度も経験していなかった浦井健治の演技の稲妻を、浴びることができたんだった。
 やっぱりさ、シェイクスピアってすごいと思う。こんな演出が可能なのだものね。
 

ロック少年が選択する王という孤独〜『ヘンリー四世 二部作』を観る その2

 フォルスタッフと言ったらマダムは、3年前の蜷川演出での吉田鋼太郎を思い出さずにはいられない。(そして松坂桃李のハルも、ね。)そのインパクトが強かったから今回、佐藤B作の配役を聞いても、どんな風になるのか、全然見当もつかなかったの。見当がつかないので、逆に楽しみだったとも言える。
 そうしたら、これもまた良い味のフォルスタッフで、目からウロコ、だったわ。しわがれた声は、台詞の多さで少し潰れたのかとも思えたけれど、それでも全ての台詞がちゃんとこちらに届いただけじゃなく、しわがれた声自体も味わい深かったの。
  思ったのは、演出の大きな違い。蜷川版では本を大きくカットし、ハルとフォルスタッフ二人の関係性に重きが置かれていたのに対し、鵜山版ではハルは、フォルスタッフだけじゃなく、みんなと仲が良いし、一番仲良くしてるのはフォルスタッフじゃなくてポインズなのね。本当の気持ちをフォルスタッフには話さないけど、ポインズには話すじゃない?「父上が病気だからといって塞ぎ込むのはいかんとは思うんだが(中略)、俺はやはり悲しいのだ。悲しくてたまらないのだ」って。
 そして佐藤B作のフォルスタッフは、すごく小物。みみっちいじーさんなの。これが肝心なの。第二部に入ると、小物感が満載。兵を集める時には兵役逃れを賄賂で見逃してやるし(ていうか、それがフォルスタッフの収入源)、戦地にはことが終わってから到達するし、帰る時は寄り道するし、ハルが王になったことを聞いて真っ先に自分が成り上がることしか思い浮かばないし。愛すべき人ではあるけど小物、ってところが重要で、だからこそ最後に王となったハルにさよならされても、見ているマダムは悲しくなかった。しかたない、というか、そうあるべきだよね、と思えたの。(3年前の蜷川版の時は悲しかったよ、だってハルとフォルスタッフがめっちゃ仲良かったからさ。) 
 
 
 7年前の『ヘンリー六世三部作』のときから、ほぼ同じ顔ぶれでやっているこのカンパニーは、もうシェイクスピア劇団といってもいい。その固定ファンたるマダムは、いろいろと楽しかった。劇団員の誰が、どの役をやるかが、とても楽しみでしょ?
 だってね。浦井健治はヘンリー六世とヘンリー七世(リッチモンド)をやってきて、今回ヘンリー五世でしょう?かたや岡本健一はリチャード三世やってて、ホットスパーは納得だけど、そのあとピストルでしょう?(もう本当に楽しませてくれたわ、まさか新国立で「We Will Rock You」を歌ってくれるとは思わなかった。ホットスパーよりエネルギー要ったのでは?)
 柄が悪くて女癖の悪い王子をやってた今井朋彦が、義の人、法院長だったり。悲嘆にくれてる王妃だった那須佐代子が、クイックリー夫人だったり。勝部演之がもう何度見たかしらと思う大司教だったり。鍛治直人が、あらゆる役でずーっと舞台上にいたり。ほんと楽しかったのよ。

 そしてね。『ヘンリー六世』から観てるマダムに、今回は、そのご褒美がやってきたの。
 ハルが遂に王となり、長い裾を引く衣装で現れたとき、生地の風合いは違えど同じシルエットの衣装を着ていたヘンリー六世の姿がまざまざと思い出され・・・そっくりなのに(あたりまえよ、同じ浦井健治なのだから)、ヘンリー六世のはかなげな佇まいとはまったく違う、自信と決意に満ちたヘンリー五世だったからね・・・ああ、あの人のお父さんはこういう人だったんだ、と感じ入って。
 大河ドラマってこういう感慨をもたらすんだな、としばし幸福感に浸ったのよ。

 さらに、その3に続くね。どこまでもダラダラと書いてしまうのだ・・・楽しくて。

ロック少年が選択する王という孤独〜『ヘンリー四世 二部作』を観る その1

 たった1ヶ月ちょっとなのに、芝居ロスで体調までおかしくなってしまったわ。待ちに待ったこの日。12月10日(土)マチネ&ソワレ、新国立劇場。

『ヘンリー四世 第一部 混沌』
『ヘンリー四世 第二部 戴冠』

作/ウィリアム・シェイクスピア
翻訳/小田島雄志
演出/鵜山仁

出演 浦井健治 岡本健一 勝部演之 今井朋彦 那須佐代子 
綾田俊樹
   ラサール石井 田代隆秀 鍛治直人 中嶋しゅう 佐藤B作 ほか

 二本の芝居なのだけれど、これはやはり二つで一つの芝居。シェイクスピアは商売人ね。一部を観たら、二部を観ないわけにいかないもの。スターウォーズみたい。なので、記事もひとつのものとして書くわね。
 推敲する時間がないんで、思いついたまま書き並べるんで、読みにくいでしょうけど、許されよ。
 まるっきりネタバレするよ。
 
 すごく面白かったー! 
 浦井ハルはメッチャ可愛いし、岡本ホットスパーはメッチャかっこいいし、B作フォルスタッフは「あー、これぞ等身大の(等身大がすごく大きいんだけど)フォルスタッフ」と思ったし、そのほかの役者たちそれぞれの見せ場が楽しくて、笑ったり、息を呑んで聞き入ったりできて、幸せだったの〜。
 鵜山演出は、いつも思うけれど、誠実。だから、納得いく時いかない時はあっても、彼がどのようにこの本を解釈し、イメージしたかが、こちらにちゃんと手渡される。それで、マダムは信頼を寄せてるんだー。
 今回、事前に本を読み返して臨んだけれども、マダムの思いもしない解釈で手渡された!『ヘンリー六世』以来の、「やってくれるじゃないの」感満載なのだった。
 
 セットは木で組んだ巨大なおもちゃみたい。
 最初のシーンで、ヘンリー四世(中嶋しゅう)が貴族たちに嘆いてみせている様子を、木のセットの上から、あるいは、舞台の周りから全ての登場人物が見つめている。ヘンリー四世が戴く王冠も細かい木で組んであって、はかない、もろい感じが象徴的なの。
 第一部は、二つの対比で、出来ていた。一つは王を囲む貴族たちの諍いの世界。もう一つはハル王子(浦井健治)が遊ぶ庶民の世界。
 ハルの造形にまず、軽く驚き。金色の髪がパンクっぽく逆立ち、鋲を打った派手なジャンパーを着て、ヘッドホンでクイーンを聞いている少年。ガム噛んでても不思議じゃない。まあ、芝居だから、それはさすがにないんだけど。
  その姿だから、フォルスタッフたちと悪ふざけしているときも違和感なく溶け込んでてヤンキーなのだけれど(笑顔がやんちゃで可愛い)、でも、本当に心から仲間となっているかというと、そういうわけじゃないのが、佇まいからわかるの。
 どんなに和気藹々とののしりあってても、小物なフォルスタッフたちが立ち入ることのできない部屋が心の中にあって、ハルはひとりでその部屋をぐるぐる歩き回っているような・・・・そんなふうに感じられた、表情や言葉の端々から。
 それでいて、最初に父王に呼び出されて話をするとき、ポケットに手を突っ込んだままだったりして、反抗期のロック少年そのままなの。
 
 一方のホットスパー(岡本健一)は、よく言えば血気盛ん、悪く言えば争うのが大好きな瞬間湯沸かし器的な男。戦争で手にした捕虜を、上司である王に引き渡さなかったことから叱責され、猛烈に反発するの。怒り出すと、冷静さはなくなってしまい、周りが手をつけられなくなる。勇ましいんだけど、この我を失うところが、指導者としては致命的な欠点なのよね。周りの大人たちも、彼の無謀に引きずられてしまうの。
 このホットスパー側の描き方は、オーソドックスで、貴族らしい衣装だった。(ホットスパーは長い髪を編み込んで後ろに束ねていて、メッチャ素敵!)ただ、少しハル王子に比べて大人っぽすぎるかな、と思った。無鉄砲な若者感が、衣装から匂ってこないのがちょっと残念だったかも。ハルの派手なロック少年に対抗して、黒光りするライダースーツかなにかだったら、危ない若造な感じが出てよかったんじゃない?(今、ちょっとそんな岡本健一を想像してしまって、ドキドキするマダム。似合うよ、きっと)
 衣装はともかくとして、ホットスパーは文字通りホットで、ハルの方はどこかクール。そして、戦場で二人は一騎打ちになるわけだけど(そしてホットスパーの方が百戦錬磨なんだけど)、この殺陣、二人の役者が文字通り全身全霊でやってて、こちらも固唾を飲んで見守ったの。それでね、思ったのは、やっぱり、頭の芯がクールな人の方が勝つんだな、ってこと。戦争だけ百戦錬磨でも、王様にはなれないんだよね、ってこと。
 
 たいしたこと言えてないうちに、長くなってるので、続きはその2で。
 
 

ミュージカル俳優浦井健治ファンのための、「ヘンリー四世」講座 その3

 その3、遅れてしまい、ごめんなさい。
「ヘンリー四世」だけを読んだのでは、イマイチ理解できないところが出てきてしまいます。そこで知っておきたいのは、この作品の大前提になっている歴史的事実。一番のポイントはここです。

5. 王様(ヘンリー四世)は何をそんなに悩んでいるのか?

 王様は、しょっぱなからイライラしているのですが、それは息子のハル王子が放蕩息子だからというだけではありません。
 実はこのヘンリー四世、正統な皇太子から王になった人ではないのです。
 王家の血筋なのは間違いないのですが、従兄弟である前王(リチャード二世)がダメな王様だったので、戦って、彼を無理やり退位させ、自分が王様になった。リチャードを幽閉し、結局は死に追いやった。それがヘンリー四世です。
 リチャード二世から王位を簒奪したときには若く血気盛んで自信満々だったけれど、年を取ってくるにつれて、自分が正統な王でないことが気になっていきます。部下である貴族たちも、王に対して少しでも不満があると「あいつは本当は王になるべき奴じゃなかったんだ」とか「我らが王にしてやったのに、今の偉そうな態度はなんだ」とか裏で言うのです。王と呼ばずに、王となる前のボーリンブルックという名前で呼ばれるときは、たいてい悪口なわけなのです。
 ですから王様は、自分が死んだ後、王位を巡って争いが起きるのではないかと、気が気ではない。死ぬ前に、悪い芽は摘んでおこうと必死なのです。それなのに息子は親の気も知らないで遊んでいる。だから、ますますイライラしてしまうのです。

 一方のハル王子が、なぜ父王に逆らって遊んでいるのか。
 そこは何も書かれていないのですが、マダム的解釈では、父王の「後ろ指さされない、王様らしい王様でありたい」みたいな変なプライドに対して、素直になれないところがあるのでは?と思えますね。

 この王位の正当性問題は、「ヘンリー四世」のお話全体を覆っている空気の色を決めていると言ってもいいでしょう。そういう意味では、題名が「ヘンリー四世」であるのも、うなずけます。

 そして結局のちのちには、王位を巡って貴族たちは真っ二つに分かれて戦う内戦に突入してしまう。それを描いたのが「ヘンリー六世」三部作なわけです。
(ちなみにヘンリー四世が若いとき王位を奪ったのを描いたのが「リチャード二世」という芝居です。いずれ、新国立劇場でやってくれないかなあ、とマダムは期待しています。もちろんリチャードが岡本健一、ヘンリー・ボーリンブルックを浦井健治で。

 以上がマダムの「ヘンリー四世」講座です。
 台本を読むヒマがなくても、とりあえずこのくらいの大前提さえ頭に入っていれば、芝居を楽しめるんじゃないかなあと思った次第です。
 サクッと説明、なんて言って、やっぱりちょっと長くなってしまいました。お許しを。

覚めたくない夢の一夜〜浦井健治初コンサート

 ヘンリー四世講座の続きをアップする前に、この日が来てしまった。9月29日(木)18:30〜、東京国際フォーラム、ホールA。

 
KENJI URAI 15th Aniversary Concert
Wonderland

 
 1週間くらい前からソワソワして落ち着かなかったマダム。遠足を前にした子供みたいだったのだけれど、それは浦井健治本人も同じだったのかもしれない。オープニング、「彼方へ」というオリジナル曲を歌いだしだ時、どうも、いつもの彼の感じと違ったの。バックと合ってないような、というか、音程が定まらないようなフワフワした感じ。
 あとから振り返ってみれば、初めて一人でコンサートをすることになった彼は、やはり緊張と、極度の興奮状態にあったのでしょう。何曲か歌ううちに、フワフワはおさまっていったの。
 大舞台の主役を何度も務めてきても、やっぱりコンサートとなると別物。マダムが思うに、彼は、役があれば、どんな大舞台でも大丈夫なんだと思う。その役に入りきっているから、緊張や興奮を追いやってしまえるのね。だけど、初めての単独コンサートになると、生身の自分ひとりだから、コントロールに時間がかかったのじゃないかしら。

 披露した曲はアンコールを含め27曲だったけれど、そのうちオリジナルは2曲だけ。あとはすべて、ミュージカルナンバー(あ、1曲だけ、仮面ライダーの曲だった)。自分がこれまでやった役もあれば、目指している(?)役の曲もあったんだけど・・・もう、凄いとしか言葉が見つからない!

 彼自身、「細胞が曲を(役を)憶えている」と言っていたんだけど、1曲1曲それぞれの役が天から降りてくる。「闇が広がる」(「エリザベート」より)とか「ぼくわかしこくなりたい」(「アルジャーノンに花束を」より)とかになると、1曲の中で違う人格も降りてきて、次々入れ替わって歌うの。浦井健治、貴方はイタコなの?
 役そのものの歌でこっちを圧倒しておいて、歌い終わると、とんでもない素のキャラクターでグダグダMCになるので、そのギャップの繰り返しで、マダムの神経はズタズタになっていくのだった・・・(褒めてます)。
 
 ミュージカルに詳しくないマダムなので、知らない曲もあったけれど、すべての曲に聴きごたえあり。でも、マダムが特に好きなのは、「どうやって伝えよう」(「ロミオ&ジュリエット」より)。「ミッドナイトレディオ」(「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」より)。安定の「闇広」。もう舞台では聴くことができない「ぼくわかしこくなりたい」。
 それと意外にも「美少女戦士セーラームーン」のタキシード仮面をやった時の歌「Tuxedo Versus」が気に入った! いかにもアイドルっぽい曲調なんだけど、彼によく似合っていて、この路線を続けていたら正統派アイドルになっていたかもね、と思ったの。
 途中、コーラスの人に歌を任せて、ダンスを披露したんだけど、キレッキレで素敵だった! これまたアイドルっぽい。何人かで揃って踊っていても、彼だけに目がいく。マダムはダンスのどこがどうかは言えないけど、何かが違う。そういう風に振り付けられているからなの?それとも、彼のダンスにそもそもオーラがあるからなの?これからはもっと沢山ダンスも見たーい!
 
 本当に夢を見ているようで、その夢からずっと覚めずにいたいと願ってしまう夜だったわ。
 彼の体の奥底にある扉を開いて、エネルギーを放出するには、「役」というものが必要なのよね。それこそが役者のあかし。台詞も歌も踊りも、その扉から出てくるものなの。
 
 一夜限りの、ということではあったけれど、またそのうち、コンサートやって!
 次はマダムももう少し落ち着いて、聴けると思うから。

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