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浦井健治

サイズダウンして深くなった『ビッグ・フィッシュ』

 再演と言っても、そのままじゃなかった。11月6日(水)マチネ、シアタークリエ。
 
ミュージカル『ビッグ・フィッシュ』
脚本/ジョン・オーガスト 曲・作詞/アンドリュー・リッパ
翻訳/目黒条 訳詞/高橋亜子
演出/白井晃
出演 川平慈英 浦井健治 霧谷大夢 夢咲ねね 藤井隆 JKim 深水元基
   佐藤誠悟 東山光明 小林由佳 鈴木蘭々 ROLLY
 
 初演を観たのが去年、のような気がしてたんだけど2017年なんだって。時の経つのはあまりに早い。
 お話に変化はないので、ストーリーは以前のレビュー( →ここ)を読んでいただくとして、大きく変わった演出について。
 芝居が、深くなった!
 
 出演者は初演時と変わってないので、これは演出の変化によるもの。ハコが日生劇場からクリエに変わるのに合わせて、たくさんいたアンサンブルを切って、全てをメインの役者だけで演じる。その他大勢の役も、メインの役者たちが代わる代わる衣装を変えて出る。大劇場に合っていた賑やかしの場面(浦井くんがカウボーイ姿してた)などは無くなり、そのかわり家族の曲がいくつか増えた。
 それは大ボラ吹きの父親エドワード(川平慈英)のホラ話を楽しく見せることよりも、家族の(夫婦と親子の)気持ちを表現する方へシフトしたということで、これが大成功。初演よりずっと沁みて、ラストには不覚にも涙が・・・。
 パンフを買ってないので、どの曲が減りどの曲が増えたか、正確にはわからないのだけど、少なくとも、最初の方で母サンドラ(霧谷大夢)とウィル(浦井健治)で歌う歌は、初演ではなかったはず。父親を理解できず苛立つウィルに、サンドラが「おとうさんは一生懸命に生きてきたのよ、わかってあげて」と息子を諭す歌。これが出色の出来。
 初演の時も、霧谷大夢の演技はとてもよかったんだけど、今回曲が増えたことで、彼女の老若の演じ分けの素晴らしさが倍増。相手の素晴らしさに呼応するタイプの浦井健治の歌も、心のこもりかたが倍増。二人で歌うこの曲だけじゃなく、ウィルひとりの「Stranger」が沁みることといったら! 「Stranger」はコンサートなどでよく歌う曲なので何度も聴いてるんだけど、芝居の流れの中で役になりきって歌った時が格別だわ。
 ラスト近く、死に瀕して怯えるエドワードを抱き寄せて励ますサンドラの歌が、また素晴らしくて。この曲は初演でもあったはずなのに、今回の芝居の構成で夫婦や親子の関係がくっきりしたおかげで、このシーンの刺さりかたが全然違ったの。泣くよね(鬼の目にも涙ってやつ)。
 エドワードがいなくなったベッドに腰掛けて涙するウィルの姿も、初演の時とは比べ物にならないくらい、じーんときてしまって参った。
 
 演出は別に泣かせにきたわけじゃないと思う。夫婦と親子の間の気持ちをちゃんと描くほうへ舵を切ったら、いろんなシーンが有機的に働くようになって、見ている私たちもグッと入り込んだ、ってことよね。いろんなシーンが有機的に働くようにする、っていうのが演出の腕なので、再演は白井演出の勝利。マダムの中で、前回(KAATの新作ミュージカル)の失敗を完全に挽回してくれた感じだわ。

『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を味わう その2

 結局、千秋楽まで、4回も観てしまった。ちょっと、予定外。9月4日(水)ソワレ、六本木EXシアター。9月28日(土)マチネ、Zepp Tokyo。9月29日(日)マチネ千秋楽、Zepp Tokyo。

『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』
作/ション・キャメロン・ミッチェル  作詞・作曲/スティーヴン・トラスク 
翻訳・演出/福山桜子  歌詞/及川眠子  音楽監督/大塚茜
バンド/DURAN  YUTARO  楠瀬タクヤ 大橋英之 大塚茜
出演 浦井健治 アヴちゃん(女王蜂)


 マダムが最初に観に行ったのは9月1日。初日の翌日だった。全体的に芝居がソワソワしてて、あまりよくなかった。それは、その1に書いた通り。このままでは、ヘドウィグのコスプレをした浦井健治で終わってしまうぞ、という危機感があったの。
 でも、4日に観に行ったら、すごく修正されてた。浮ついたところがなくなって、MCのあいだも浦井健治本人が顔を出すようなことはなくなり、ちゃんと最初から最後まで役を演じられるようになっていた。それから、尻上がりに良くなっていって、千秋楽は貫禄すら感じられるようになってた。
 だから、これまでに見たことのない浦井健治を見せてくれたし、今まで到達したことのない場所に行ったな、と思うし、役者として新しいステージに入った、と感じるの。
 もう、少年(が入ってる役)は出来ないし、しなくてよいし、王子ではなく、王をやるべきだし、大人の男のほうへ、踏み出したね。
 そういう意味で、このタイミングでヘドウィグをやってよかったのよ。
 これは、浦井ファンとしての素直な気持ち。
 
 ただ作品の出来という点から見たら、いろいろ残念だ。もっと凄いものにもなったと思うと、惜しい。そして、役者浦井健治の出来は、作品の出来と完全にシンクロするから、ターニングポイントにはなっても、代表作にはならなかった。
 彼の舞台は、たいてい尻上がりに良くなっていく。ファンはみんな進化と呼んで、楽しんでいるし、マダムもそういう部分がないわけじゃない。だけど、今回は余りにも出だしが悪すぎたので、そのわけを考えていたの。そして、千秋楽まで観て、思い至ったのは、演出家はこれを芝居だと思って稽古してなかったのではないかということ。
 その1でも書いたけれど、キャメロン・ミッチェルがやるとき、彼は殆どヘドウィグそのものだから、芝居じゃない部分があるのかもしれない。だけど、浦井健治にはヘドウィグの要素は何もないので、隅々まで演出されていなければいけないのよ。MC部分は客の反応を見ながら、と考えていたとすれば、甘いよ。
 幕が開いて、バンドの煽りに客が乗せられているとき、浦井ヘドウィグは、舞台の上に役者が自分しかいないことに愕然としたのではないかしら。(それでも一人でなんとか芝居の領域に引き戻したのはえらかったけれど。)イツァーク(アヴちゃん)は元々ロック歌手だし、バンドのメンバーはバンドそのものだし、どんなに稽古をしてても、ノリノリの客の前では芝居を忘れがちだ。アヴちゃんは必死に、役から逸脱しないように自分を律していて立派だったけど、バンドの人たちは要らないアドリブが多かった。楽日近くなると、途中でナイフや銃を出してヘドウィグに怒られるアドリブもあって、シリアスなシーンを台無しにしそうになった。これは芝居であって、バンドも「アングリーインチ」というバックバンドであって、その役から逸脱してはいけないのよ。それを徹底できなかったのは演出の責任だよ。
 お客さんと作っていく・・・とかって言葉は、逃げだ。芝居はノリじゃない。
 キャメロン・ミッチェルだって、そこは物凄く計算して、作っているはずだ。ライブのふりをした、演劇なんだから。
 
 ベルリンの壁の東側で、貧しく、見捨てられたゲイの少年が、壁を越えるためにどんな犠牲を払ったのか。なのに、越えた後、あっさり壁が崩れたことを知って、どれほどの絶望があったのか。イツァークとザグレブで出会って連れ出すとき、同じように犠牲を求めるヘドウィグの中に、どんな揺れ動きがあるのか。嫉妬や老いと、どう向き合って生きていくのか・・・ヘドウィグの壮絶な人生をどうすれば、隅々まで描き出せるか、演出はもっともっともっと戦ってほしかった。どこまでも戦い甲斐のある作品じゃないの?
 
 それでも、名作は名作である理由があって、ヘドウィグの怒りや悲しみを表現してる曲の数々が、マダムの心を揺さぶってやまなかった。役として歌う浦井健治の歌の説得力! コンサートやCDで何度も聴いている「Midnight Radio」がヘドウィグの声で歌われると、全然別の哀しみと力強さを運んでくる(ただ、訳詞は、三上博史のものの方が耳に届くのだけど)。ヘドウィグが歌い、最後にトミーが返歌として再度歌う「Wicked Little Town」が刺さることといったら!
 これは芝居の流れの中で聴くから、良いのよ。歌だけど、セリフなの。あまりにも心に沁みて、涙流れる。
 
 
 9月はヘドウィグの月だった。秋の訪れとともに祭りは終わった。
 マダムも平常心に戻ります。

『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を味わう その1

 怒涛の9月の始まり、始まり。9月1日(日)ソワレ、六本木EXシアター。
 
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』
作/ション・キャメロン・ミッチェル  作詞・作曲/スティーヴン・トラスク 
翻訳・演出/福山桜子  歌詞/及川眠子  音楽監督/大塚茜
バンド/DURAN  YUTARO  楠瀬タクヤ 大橋英之 大塚茜
出演 浦井健治 アヴちゃん(女王蜂)
 
 なんか、巨大な期待と不安とで、マダムは押しつぶされそうだったの。自分が出演するわけでもないのにね。おかしいよ。
 
 これまでの日本での舞台、全然観てないし、キャメロン・ミッチェルが来日した一昨年(だっけ?)の簡易舞台と、映画を観たことがあるだけなので、別に何も、詳しいわけじゃないんだけど。
 難しい芝居だね、これ。
 ヘドウィグは、すごく屈折してる人。東ベルリン生まれで、父親はアメリカ兵で、一度も会ったことがなく、母親からも愛されない子供時代を過ごし。大人になって、自らもアメリカ兵と恋に落ちて、性転換手術を受けて(でも失敗して1インチ残っちゃう)、アメリカ兵と一緒にアメリカに渡り、すぐに捨てられて。今は、ドラアグクイーンの格好でロックミュージシャンとしてステージに立ち、自分を裏切った若いミュージシャンへの恨みつらみを語る・・・。
 で、これの作、演出、主演をしてたのがキャメロン・ミッチェルなんだけど、彼は殆どヘドウィグそのものなのよね。自分とヘドウィグの境界線が曖昧なの。だって、自分の内面を芝居にしたんだもんね。
 でも、浦井健治が演じる時には、すみずみまで演じなければならない。彼自身の中にはヘドウィグのような屈折はないから、全部、きっちり、演じなければいけないし、演出が行き届かなくてはいけない。
 そこがまだ、うまくいってない部分がある。特に客いじりするシーンで。ちゃんと演出がされてなくて、浦井健治本人が顔を出しちゃう。かわいくなっちゃうんだよ。すれっからし感がなくて。何回か続くと、ヘドウィグじゃなくなってしまいそう。最初から堂々とヘドウィグでいてくれなくちゃ。
 アヴちゃんはいいのよ、彼は境界線が曖昧な人だから(ドレス姿、かっこ良かった!)。でも浦井健治は生粋の役者なので、地を出す必要はないし、意味もないの。
 一見ライブのようで、ライブじゃなく、これは芝居なんだから。

 なので前半は、どうも乗れなかった。
 だけど、話が進むにつれ、浦井健治が消えていって、歌が、ヘドウィグその人の歌う歌となっていって・・・最後の「ミッドナイトレディオ」がとても、とても良かった。カツラもドレスもメークも全部剥ぎ取ってしまって、裸で歌う「ミッドナイトレディオ」が、切なくて哀しくて無様で、でも誇りに満ちていて、素敵だった。今までに見たことのない浦井健治を見た、と思った。
 前半をもうちょっと手直しして、全編通じてヘドウィグであり続けて欲しい。そうしたら、最後はもっと高みに登りつめることができるよ。
 
 あとは、歌詞が聞こえてこないのは、なんでかなぁ。訳詞のせい?音響のせい?
 歌詞だけど、ミュージカルだから、セリフでもあるので、聞き取りたいんだよねー。
 
 まあ、何度か行くし、千秋楽までしっかり見守るつもり。また報告するね。

深さの足りない『笑う男』

 暖かくて穏やかな観劇日和。4月20日(土)マチネ、日生劇場。

『笑う男 ー永遠の愛ー』
原作/ヴィクトル・ユゴー
脚本/ロバート・ヨハンソン 音楽/フランク・ワイルドホーン
歌詞/ジャック・マーフィー 演出/上田一豪
出演 浦井健治 夢咲ねね 朝夏まなと 宮原浩暢 石川禅 山口祐一郎 ほか
 
 本邦初公開のミュージカル。
 あらすじは、ホームページなどにあるので、書かないね。
 衣装が凝っていて、すごく素敵。装置も工夫があって楽しい。音楽も美しい旋律。役者は、芸達者が揃ってる。なので、これから文句言う箇所のうちせめて2つくらいちゃんとしてたら、普通に見応えある芝居になったのに。終わった瞬間、マダムは心の中で「え゛〜っ⁉︎⁉︎⁉︎」と叫んだの。残念度が高い。
 
 
 観た友人たちが口々に言ってるように、とにかくお話に深みがない。どれくらい浅いかというと、潮干狩りが出来るくらい。深いところがないの。
 17世紀のロンドン。赤ん坊のときにさらわれて、口の両端を裂かれて、見世物小屋に出されて、人さらいからも捨てられ、拾ったもらった興行師のところで、やっと居場所を得て生きてきた青年グウィンプレン(浦井健治)が、主役。今、さらっと言ったけど、この、世にも過酷な運命を背負ってるはずのグウィンプレンの造形が、まるっきり明るくて元気で愛されてて、出てきた瞬間から幸せそうなので、ずっこけた。異形の人なのに、内面に抱えているものが全くないの。これでいいと本当に思ってるのか、演出家。
 盲目の妹(として育った)デアと二人、繰り広げるショーも、グロさがなく、怖いもの見たさのゾクゾク感が皆無。口を裂かれた男が「笑う男」として自分を売り物にしている場末の見世物小屋。題名にもなっている「笑う男」のお披露目なのだから、もっと強烈なインパクトがないと。
 デアの造形も、ワンパターン。脚本にも書き込まれてないんだろうけど、儚げで無垢、なのはわかるけど、それだけでヒロインとして魅力的とは思えない。妹として接してきたグウィンプレンの気持ちが、恋に変わる瞬間がちゃんと描かれていない。いつから恋になったの?
 デアにとっての恋敵、ジョシアナ公爵(朝夏まなと、好演!)は面白い存在なんだけど、これもパターンっぽい造形なのよ。出てくる女が、峰不二子みたいな肉感的ファムファタルか、宮崎アニメのヒロインみたいな小ちゃくて可憐な純真無垢、の両極端な二種類しかないの。底が浅い浅い。
 
 マダムがビックリしたのは、グウィンプレンが実は、貴族の息子だったということで、貴族の館に連れて行かれ、ボロの服から純白の凛々しい衣装に着替えさせられるところの演出。衝立が外されたら、なんとそこに現れたのは・・・国王ヘンリーだった!と言いたいくらいの、キングオーラが出てたの。いやあ、素敵なのよ、浦井健治。
 でもね、ここでキングオーラ出てるの、完全な間違いだとマダムは思うのよ。だって、グウィンプレンがいくら貴族の血筋だったにせよ、ずっと最底辺の暮らししてた人なのに、美しい衣装着せられた途端、キングオーラが出ちゃまずいでしょう?
 浦井健治はヘンリー王やって、マクベスもやってるから、ああいう凛々しい衣装を着せると、自動的にキングオーラが出ちゃうの。でも、演出家が「そこでキングオーラ出さないで」と指示すれば、出さないこともちゃんとできるんだよ。だから演出家が出さない指示するどころか、喜んで出させてたとしか思えない。ファンサービスのつもりだとしたら、ファンをバカにしてるよ。コスプレを見たいわけじゃないのよ。
 本人の素敵さを切り売りするのではなく、役を演じきった時に出るオーラを見せてほしいの。そのためにお金を払ってるの。わかってる?
 
 でもいちばんビックリしたのは、ラストよ。
 ヴィクトル・ユゴーが書いたのは、確かに、デアの死を悲しむあまり後を追うグウィンプレン、っていうラストだったのかもしれないけど、この芝居の流れで、グウィンプレンが死ぬのは唐突すぎて、全然受け入れられない。死ぬには生命力ありすぎるグウィンプレンの姿だし。死の影、全くなし。
 そもそも、デアのこと、いつから妹としてじゃなく、恋人として愛してたのか、どうしてそうなったのか、描かれてないからね。死ぬほど好きだったの?聞いてないけど?とマダムは思った。
 デアが死んで悲しい、っていうところで芝居を終わらせるべきだったんじゃないの? あるいは、グウィンプレンが死ぬほどデアを愛してたことを、ちゃんとそれまでに描いてくれてればいいけどさ。
 原作は古い時代に書かれたものだし、今やるには今やるなりの意味をちゃんと考えて、芝居を作ってほしいんだよ。原作にそう書いてあるのでそうしました、じゃダメなの。
 
 育ての親役の山口祐一郎や、影の悪役の石川禅が、すごく楽しそうに自分なりの小芝居を混ぜて演じてて、そこは結構楽しく見たけど、それだって、演出家の意図をもっと浸透させなくちゃいけないでしょ。上手い人たちの演技がバラバラで、一つの芝居としてのうねりになってこない。
 演出っていうのは、立ち位置決めたり、出入りをさばいたりすることじゃないんだよ!(怒)
 
 
 これでも、役者の人気でチケット完売だとしたら、再演とかになってしまいそう。だから、演出については皆であちこちで文句を言おう。万が一再演になっても、いろいろ手直ししなくちゃいけないってことを、東宝には肝に銘じてもらいたいから。衣装もセットもそのままでいいけど、演出は大いに反省してもらいたいよ。
 マダムとしては、浦井健治には残された30代の数年を無駄に過ごしてほしくないから、こんなの再演なんかじゃなくて、いい演出家と組んで早く「ハムレット」やったほうがいいと思った。強く、そう思った。
 

新年のご挨拶と、炎の報告

 あけましておめでとうございます。
 今年も、マダム ヴァイオラと、このブログをよろしくお願いいたします。
 
 さて、大晦日にメタマク3の大千秋楽に行ってきたので、ちょっとここで炎の報告を。
 最初にせりが上がってきてランディ浦井の姿が現れると、劇場中から「キャーーーーーーッ‼︎◯#△♡‼️」という黄色い声が飛び、完全にメタルのコンサート会場と化した。それがメタマクっていう芝居にぴったり。このままハイテンションで、芝居じゃなくなっちゃうかも?って思ったけど、キャストの人たち、すごーい。あの雰囲気でも、普通に着実に芝居を進めていって、いつしか観てる方も楽日だってことを忘れるくらい、芝居に没頭したの。まあ、本当にランディ浦井の演技の素晴らしかったこと。歌のキレ、殺陣のキレ、最高潮だった。浦井健治という人は、役が自分の中に完全に入った時、いちばん自由になる人。
 長澤夫人も3回観た中で最高の演技。
歌もしっかりものにして、ドスの効いた声も自由自在。ランディ夫妻の悲劇が、マダムの心を掴んで離さない。終わらないでくれ、と思いながら観てたの。
 カーテンコールは30分の特別バージョンで、本番にはない「リンスはお湯に溶かして使え!」とか「ダイエースプレー、買ってこいや」とかも歌って、大盛り上がり。最後は、キャスト全員で客席に向かって餅を撒いて、締めた。
 心から満足した年の暮れでした。
 
 新しい年が始まったけど、マダムはまだランディロスかも。

 でも、次の観劇の予定が迫ってきてる。
 またいい出会いが色々あるよ、きっと。
 皆様、今年もよろしく。芝居を心から楽しむためにも、世の中がまともに戻るようみんなで踏みとどまろうね。

進化するマクベス浦井 『メタルマクベス』disc3 2回目

 皆があんまり浦井健治が進化してる、って言うから、千秋楽まで待ちきれず、また行っちゃった。12月24日(祝)マチネ、IHIステージアラウンド東京。

新感線⭐︎RS『メタルマクベス』disc3
原作/ウィリアム・シェイクスピア 脚本/宮藤官九郎
演出/いのうえひでのり
出演 浦井健治 長澤まさみ 高杉真宙 柳下大 峯村リエ 栗根まこと
   吉田メタル 冠徹弥 小沢道成 橋本じゅん ラサール石井 ほか

 驚いたね。
 浦井ランダムスター(マクベス)、上手くなってた。そのうえ、2ヶ月近く公演してて、3倍くらい元気になっているのよ〜。バケモンだわ〜(←大絶賛)。
 11月に観たときは、自分の力を見極めてるところだったのか、配分を考えてる風だったのね、殺陣とか、歌とか。最初の方は抑えめで、ラストのためにエネルギーをとっとく感じ。
 それがもう、抑えなくてもやれるってわかったのか、最初から全開。一番最初にせりが上がって登場するときから、オーラ出しまくり。もともと歌は上手いんだけど、メタルらしい歌い方がすっかり身について、歌の力、増し増し。
 例えば、なんども歌われる「私の体はサソリでいっぱい」は、サソリが殺意になり失意になるあたり韻を踏んでる感じがあって、宮藤官九郎の面目躍如な歌なんだけれど、夫妻で思いっきりシャウトしてロックで歌い、ランダムスターひとりで哀しみをたたえて歌い、最後の方ではいっちゃってる感じで歌う。歌の技術を縦横無尽に使って、ホントに聴かせてくれる。そして一瞬たりとも役を離れない。全て台詞として歌っていて、全部ちゃんと意味が聞こえ、感情が伝わる。素晴らしい!

 演出も、少しずついろんなところを手直ししてて、マクベス像がよりはっきりした。2回目見て思ったのは、上昇志向が強いのはやはり夫人の方なの。ランダムスター(マクベス)が魔女によって掘り出されてしまう欲望は、王になりたい欲じゃなく、殺したい、破壊したい欲望なんだね。時折、自分の破壊欲が恐ろしくなって、尻込みしたり、ふらついたりするんだけど、夫人の上昇志向が彼の逃げ場を塞いでいく。
 長澤まさみの演技は大きく変わらなかったけど、ずっと芯が通ってて、彼女も役を離れてしまう瞬間がないの。凄くいいコンビ。だからもう、完全にランダムスター(マクベス)夫妻の物語になってて、ふたりで舞台をかっさらっていった。
 
 なので、随所にちりばめられている、かなりくだらないギャグが邪魔だな、と改めて思うマダム。友人の言葉が言い得て妙だったのだけど、新感線はサービス精神がありすぎて「フルコース出してる途中に、サービスでちょいちょいカツ丼を出してくる」のが、玉に瑕。カツ丼も好きだけど、今は食べたくないって思うわけよ。
 だから、王様への報告は1回でいいし、ラスクの話も1度でいいし、夫人が飛び道具使うのも3回目はいらないし、門番の頭に斧が刺さるのも1度で充分だし、エクスプローラー(バンクォー)が吐くところもいらない。これで30分短くできるよ。(門番が立ちションするところもいらないという意見もあるけど、「尿意継承者」っていうギャグが面白いのでそこは許す。)シェイクスピアの中でも最も短くて無駄のない話なのに、長くしすぎだよ。それなのに、他の登場人物の大切なシーンをカットしちゃってるしね。
 
 でもね、マダムはもともと全く新感線ファンじゃないけど、ギャグは新感線の客へのサービスだし、生命線でもあるわけでしょ。そのギャグが邪魔だと感じるほど、ランダムスターの物語が強大だっていうことはさ、浦井健治が新感線を突き抜けちゃった、ってことなんじゃない? それほど「マクベス」っていう役を生きちゃってるってことなの。
 浦井健治はやっぱり、マダムの見込んだシェイクスピア俳優だったのよ。

浦井健治の、いっちゃってるマクベス 『メタルマクベス』disc3 その2 そして日本のオリジナルミュージカルについて

 昔からこのブログを読んでる人は知ってると思うけど、実はマダムはミュージカルが苦手。日本人がやるミュージカルって、なんだか、文字通りとってつけたような感じがして、受け入れ難かったの。いろいろと凄いものに出会った今でも、その気持ちは根強くある。
 輸入物の常として、メロディと日本語の訳詞があってなかったり、役者の表現が感情を表しきれなかったりするでしょう? 最近、日本のオリジナルミュージカルもあるけど、相変わらず外国の作曲家に曲を書いてもらうことが多いし。なんで?って不思議に思ってた。
 
 でも『メタルマクベス』は完全な日本のオリジナルミュージカルだ。
 もちろん原作はシェイクスピアだし、宮藤官九郎の脚本も、ちゃんとマクベス。なんだけど、歌詞も音楽もすべて日本人スタッフなわけだし、面白いのは、場所を日本に(豊洲だよね)し、出てくるのは実はみんな日本人なのに、時代を未来に持って行ったので、ランディとかレスポールとかグレコとかいう名前にも違和感がなくて、でも別に演技は日本人のままでよくて…という、なんでもありの状態を作り出してる。無国籍状態を作り出すのは新感線の得意技だけど、ただ、宮藤官九郎は、新感線の普段の得意技に、輪をかけて上手い仕掛けを作った。それが現代(といっても1980年代)のメタルバンドが未来を予言するような歌を作っていた、っていう二重構造ね。それによって、2218年の世界のランディもエクスプローラーも王様も王子も、日本人のメンタリティのままで全然オッケーになってる。本当に上手い脚本だわ。
 
 音楽もオリジナル。歌詞は完全にクドカンワールドだし、曲はホントに歌詞にぴったりで、芝居の中に溶け込んでる。未亡人の歌(マクダフ夫人の歌)なんてサザエさんのパロディだし、そうかと思えばキャラメルの歌みたいにじんわり沁みてくる曲もあり、歌謡曲から演歌調から、そしてもちろんメタルロックまで、テイストが耳に馴染んでくるものばかり(まあ、ちょっとうるさかったり、しつこかったりするんだけどね)。

 そうそう。言い忘れてたけど、1980年代のマクベス浦井のバンドの衣装が、すごく好き。衣装の中で一番好きだ〜。
 金色の巻き髪のカツラに、金の縫い取りがキラキラのブルーのジャケットで、まるでオスカル!(でも本人がインタビューの時に「アルフィーの高見沢さんじゃん」って言ってるのを聞いたら、それ以外に考えられなくなってしまった。)で、その高見沢スタイルでギターを弾く(ふりだけど)ところが、凄くかっこいいのよ。形が、メチャクチャさまになってる!
 浦井健治はリズム感が抜群にいいよね。リズム取りながらギターを弾くシーンや、メタルに合わせて首を振るところや、殺陣のシーンまで、そのリズム感が生きてる。彼のダンスのキレの良さも。
 
 えっと、話をミュージカル問題に戻すと。
 今のところ日本のオリジナルミュージカルの真ん中辺にいるのは、浦井健治ってことになるのではないかしら?
 だって、彼の代表作には『アルジャーノンに花束を』や『デスノート』があって、今この『メタルマクベス』も加わったわけでしょ? (残念ながら『デスノート』は台本と作曲が日本人じゃないけどね。)
 別に本人が意図して選んできたわけじゃないと思うけれど、これは彼の特別な立ち位置を示している気がする…。だから、ミュージカルが苦手なマダムも、彼の舞台にはしつこく付いて行ってみようと思うわけなの。
 うわー、なんだか真面目なその2になっちゃった。
 とにかく、『メタマク3』は千秋楽にも行くので、浦井健治のひとまずの集大成を見届けてまいりまする。
 そう、ひとまずの。だって、来年は、遂に、アレだもん。

浦井健治の、いっちゃってるマクベス 『メタルマクベス』disc3 その1

 遂にやってきた。11月25日(日)マチネ、IHIステージアラウンド東京。

新感線⭐︎RS『メタルマクベス』disc3
原作/ウィリアム・シェイクスピア 脚本/宮藤官九郎
演出/いのうえひでのり
出演 浦井健治 長澤まさみ 高杉真宙 柳下大 峯村リエ 栗根まこと
   吉田メタル 冠徹弥 小沢道成 橋本じゅん ラサール石井 ほか

 

 そう。遂にやってきたの。浦井健治が、四大悲劇に挑戦する日が。
 これは、ちゃんとマクベスである。なので、「マクベス? 経験あります。」と言っていいの。
「シェイクスピア? シェイクスピアならヘンリー六世とリッチモンドとベンヴォーリオとギテリアスとトロイラスとハル王子とヘンリー五世、そしてマクベスやってますが、なにか?」
って、言っていいのよ〜!(なにか抜けていないだろうか?ちょっと心配なマダム。)
 
 マクベスの翻案としては超すぐれものの宮藤官九郎脚本。森で魔女に会い、王になると予言されたせいで、自分の中の隠された欲望に気がついてしまう将軍とその妻の話。ちゃんとマクベス。初演(内野聖陽と松たか子)に比べて、マクベス(ランダムスター)夫妻にぎゅっとフォーカスした演出になった。
 見れば見るほど、よくできた脚本だわ。原作にないシーンがいくつもあるけど、それは全て、原作を補い、宮藤官九郎的解釈を表すために書き加えられてる。
 例えば、王は暗殺される直前、ランダムスター(マクベス)と語らうし、殺された後も、幽霊となって何度も話しかけてくる。それによって、ランダムスターの戦い(殺戮)は、当初言っていた「王のために戦」っていたのではなく、「家族のため」でもなく、ただ「殺しが好きだからだ」という狂気の結論に至る。
 ランダムスター夫人(マクベス夫人)については、たくさんたくさん加筆されて、本当に納得するし、原作の唐突さ(途中からマクベス夫人は全く出てこなくなる)を払拭してるの。自分が煽ったせいでこんな状況になってることを後悔する台詞もあるし、ランダムスターに「ごめんね、あたしのせいで」とあやまったりする。バルコニーの欄干を乗り越え、ニヤリと笑って落ちていくシーンもちゃんとある。
 そういう、夫妻の気持ちの流れをきちんと押さえた演出だったし、浦井&長澤コンビがそれにきちんと応えた舞台だった。
 最初にマクベスが歌う歌「キレイは汚い、ただし俺以外」で、「俺は愛妻家〜」ってシャウトするけど、芝居の最後には「ほんとだ。愛妻家だ」って感じるのよ。宮藤官九郎、さすがだ。

 
 王を殺してのし上がり、自ら王となってからの狂気をはらんだ浦井ランダムスターの演技と、心が壊れてしまった夫人を慰める歌が、素晴らしい!うっとりだ〜。
 というのも、マダムの席は2列目ど真ん中でね(また?なんか最近妙に運がいい)。この大きな回る劇場で2列目は全体が見えづらいし、巨大スクリーンが近すぎて気分が悪くなりそうだったから、映像はなるべく見ないようにしてたの。disc1とdisc2観てわかってたから、そこは文字通り目をつぶって。
 その代わり、眼の前で繰り広げられる役者の演技と表情をガン見。だから、前半の、どこか不安げな、強気と弱気が交差する浦井ランダムスターの表情もよく見えたし。後半、どんどん狂気にとらわれて酔ったようになってる、白目剥いて完全にいっちゃってるところも見えたし。崩壊した夫人の肩を抱いてキャラメルの歌を歌うときの、少し涙ぐんだような優しい眼差しも見えたし。
 繰り返し出て来る殺陣のシーンでも、最初のうちは舞うようで、後半はどんどんエンジンがかかり、最後が一番キレがいいってことを、うっとりしながら見届けたし。浦井ランダムスターがギリギリまで前に出て舞台の縁に足をかけて、客席を煽りながら歌うときには、2メートルの至近距離! あんな大きな空間にいるのに、気分はスズナリなのだった。なんて贅沢。
 長澤まさみのランダムスター夫人も、期待以上だった。歌の巧さでは濱田めぐみや大原櫻子に負けてるんだけど、演じるっていう点では負けてない。なによりスタイルが美しくて、夫妻で並ぶとすごく絵になるし、似合っていたの。過去の浦井作品の中でも、こんなに似合う相手役っていなかったのでは?
 浦井健治の持つどこか中性的な佇まいと、長澤まさみの持つさっぱりした女ぶりとが、いい組み合わせなの。演技の相性も良い。何度も言うけど、夫人を慰める「キャラメルの歌」のシーンが抜群。泣けてくるよ。
 
 夫妻にフォーカスして加筆してるのに、ギャグのシーンは減らさない。それが新感線なわけだけど、その分、描ききれずにいろいろ削られてる。
 例えば。マクダフが、他国へ亡命している王子に会いに行くシーンは、本当は二人にとって最大の見せ場。王子はマクダフが罠を仕掛けに来たかもしれないと思い、戦う気がないように装うし、マクダフはその王子の態度に絶望し、激しく嘆く。
 そのシーンがまるまるカットされ、二人は会った途端に、意気投合して打倒マクベスを叫ぶので、二人とも役がすっかり軽くなってしまった。そのシーンがあるからこそ、マクダフの、妻子を殺された悲しみと恨みが倍増する。なのにそのシーンがないので、いまひとつマクダフのラスボス感が膨らまないのよ。
 妻子といえば、マクダフの殺される子供は、本当は一人じゃない。殺される時、マクダフ夫人はもう一人「生まれたばかりの赤ん坊」を抱いているはずだけど、そこはカット。
 赤ん坊といえば、原作のマクベス夫人の台詞に「私は自分の子をこの手に抱いたことがあります」というのがあって、マクベス夫人は子供を失くしたことがあるんだな、とわかるんだけど、その台詞も設定もカット(マクベス夫人の赤ん坊についての台詞と、マクダフ夫人が子供を産んだばかりなのは二つで一つの設定ーーコントラストなのだ)。若い夫妻だと、赤ん坊の存在は余計な設定になるから、カットしたのかな。
 
 一つだけ気になったのは、橋本じゅんのバンクォーの存在感がなぜか弱かったこと。出番も多いし、何も削られてないし、幽霊となって現れるシーンなんて、しつこいくらい描かれているんだけどね。
 思うに、主役の二人を見守る役目になりすぎてて、バンクォーの何パーセントかが、後輩を盛り立てる橋本じゅん、になっちゃってたのかも。
 
 まだ書き足りないことがある気がするけど、今日はもう書けないわ。思い出したら、その2を書くね。 

ミュージカル俳優浦井健治ファンのための、メタル「マクベス」予習講座 その2

 その2、遅くなってごめんなさい。

 新感線の「メタルマクベス」は、1980年代のメタルマクベスという名のバンドのお話と、それから300年後の2280年のお話が並行して進むようにできています。
 シェイクスピアの「マクベス」っぽいお話は2280年の方で描かれていきますが、なぜかそっちは、登場人物にエレキギターの名前がついているのです。それでちょっと、ややこしい感じになるんですが、登場人物対照表を作ってみましょう。
 

シェイクスピアの    新感線版の
「マクベス」      1980年 /  2280年    
マクベス        マクベス / ランダムスター    浦井健治
マクベス夫人      ローズ  / ランダムスター夫人  長澤まさみ
バンクォー       バンクォー/ エクスプローラー   橋本じゅん
マクダフ        マクダフ / グレコ        柳下大
ダンカン王       元社長  / レスポール王     ラサール石井
マルカム王子      元きよし / レスポールJr     高杉真宙

 
 名前を憶えておく、というよりも、「これが暗殺される王様」とか「これが逃げた王子を説得に行く貴族」とかっていう「設定」がざっと頭に入っていれば、もう大丈夫。迷いなく芝居の世界に入っていけます。
 宮藤官九郎は自分でもバンドをやってるだけあって、かっこいいギターの名前がいろいろ出てきます。しょぼい役にヤマハとかつけてたり、グレコ(日本製のギター)の息子の役名がローマンで、急にギターと関係なくなったり(グレコ・ローマンってレスリングの言葉じゃなかったっけ?)、ふざけてて楽しいです。
 宮藤官九郎の台本は、原作「マクベス」のツボを心得た上で色々とアレンジして遊んでいるので、原作のあらすじを理解したら、こだわりを捨てて楽しんでくださいね。
 
 「回る劇場が初めてなのでちょっと心配」という声も聞きましたが、別に360度っていっても観客の後ろでは演技しないので、観客の私たちが努力しなきゃいけないところは何もないです。
 大変といえることがあるとすれば、行くまでが大変。辺鄙な場所だから。それと、ちょっとした飲み物とかお菓子とかは手前の大きな駅などで調達しておかなければなりません。劇場の周りには店などはないから。終演後、友だちとお喋りしたくても、劇場から離れてからでないと、店どころか雨風をしのぐ建物すらありません。
 なので、そのあたりは準備万端おこたらず、劇場に向かいましょう。
 
 マダムは11月中にいちど観て、あとは千秋楽に行くつもりです。楽しみ〜!
 千秋楽報告の記事は来年となるので、まずは11月の記事に皆さんおいでくださいね。まだ少し先ですが、楽しみに待ちましょう。 
 

ミュージカル俳優浦井健治ファンのための、メタル「マクベス」予習講座 その1

 お約束どおり、浦井ファンでメタルマクベスのdisc3しか観ない方のため、予習講座いたします〜。
 disc1をすでにご覧になった方や、シェイクスピアに慣れてる方、劇団新感線に慣れてる方は、読み飛ばしてください。

 
 新感線の「メタルマクベス」は、シェイクスピアの「マクベス」の翻案物ですが、これが実に「マクベス」らしいお話になっています。脚本の宮藤官九郎すごい。「マクベス」に対する理解が深い。
 原作を全然知らなくても楽しめますけれど、原作を知ってると尚いっそう楽しめるので、少し予備知識を仕入れましょう。
 「マクベス」はシェイクスピア作品の中ではいちばんわかりやすい、シンプルな本ですので、まずは読んでみることをお勧めします。マダムは小田島訳に馴染んでいますが、初めて読む方は、注が多い松岡和子訳もいいかと思います。
 でも・・・読んだけどわかんないとか、読む暇がない、という人のために、特別にあらすじを解説しちゃいます。
 ちょっと長いですけど、マダムのあらすじ、かなりわかりやすいと思いますよ〜。

 
✴︎✴︎✴︎✴︎シェイクスピアの「マクベス」あらすじ✴︎✴︎✴︎✴︎

 
 昔々、スコットランドを治めているダンカン王の配下に、マクベスとバンクォーという将軍がいました。二人は戦いに長けた勇敢な軍人で、王からの信頼も厚く、そしてまた親友同士でもあります。
 あるとき、激しい戦で勝ち、二人は戦場から王のもとへ戻ろうとしていて、森の中で、三人の魔女に出会ったことから、運命が変わってしまいます。
 魔女は、マクベスに「今はグラームズの領主だけど、これからコーダーの領主になるし、そのあと王様にもなるよ」と予言します。マクベスは笑って、取り合いません。
 バンクォーが「俺にも何か予言しろよ」と催促すると、魔女は「あんたは王様にはなれないけど、王様の先祖になれる」と予言します。二人はとりあえず機嫌が良くなって森を去ります。
 が、このすぐあとダンカン王から伝令が来て「軍功の褒美として、マクベスにコーダー領を授ける」と言ったことから、マクベスとバンクォーの顔色が変わります。魔女の一つ目の予言が、実現したのです。
 こうなるとマクベスは、次の「王様になれる」という予言が気になって仕方ありません。一方バンクォーも、マクベスの野心が急激に膨らんできたのを察します。
 
 マクベスは自分の城に帰り、夫人に魔女の予言の話をします。すると夫人はすっかり予言に取り憑かれてしまい、自分たちの城に泊まりに来るというダンカン王を「暗殺しましょう」と言い出します。マクベスはそこまで考えていなかったのでびっくりしますが、夫人に焚きつけられ、結局その気になってしまいます。
 そしてダンカン王は王子のマルカムや大勢の部下を引き連れて、マクベスの城に泊まりにやってきます。マクベスは王の寝室に忍び込み、王を殺害し、眠らせておいた従者たちに、血のついた刀を握らせ、罪をなすりつけます。マクベス夫人も一緒に加担します。
 翌朝、ダンカン王が死んでいるのが発見されると、マルカム王子は身の危険を感じて、いち早く脱出します。マクベスはこれ幸いと、王の暗殺を企てたのは王子だったということにし、まんまと自分が王座に座ってしまうのです。
 
 王となったマクベスは、魔女の自分への予言が当たったので、「バンクォーが王様の先祖になる」という予言が目障りとなってきます。マクベスには子供がいません。こんな思いをしてせっかく王になったのに、バンクォーの子孫に王座をくれてやるのか、と考えると腹がたつのです。そして、かつての親友バンクォーとその息子の暗殺を命じます。暗殺者たちはバンクォーを殺害しますが、息子のフリーアンスには逃げられてしまいます。
 マクベスはバンクォー殺害の報告を受けたあと、なに食わぬ顔で宴会を開き、「バンクォーがいなくて残念だねえ」などとうそぶきますが、空いている席に血みどろのバンクォーの幻が見えて、半狂乱になります。マクベス夫人は必死にその場を取り繕いますが、貴族たちはマクベスが怪しいことに薄々気づき、マクベスへの信頼は崩れていきます。
 
 マクベスはいつ誰が裏切るかも、という疑心暗鬼からどんどん残虐な独裁者になっていきます。マクベスに対して批判的な貴族マクダフは、打倒マクベスの旗を上げるため、イングランドに逃げているマルカム王子のもとへ、説得工作に出かけます。王子は、罠ではないかと警戒し、マクダフをいろいろと試した結果、彼の言葉が真実だと受け入れて、打倒マクベスの旗を上げます。
 しかし、その頃、マクダフの留守宅には、マクベスの刺客が乱入し、マクダフの妻と息子は殺されてしまいます。それを知ったマクダフは、復讐の鬼と化し、マルカム王子を立ててスコットランドに攻め入ります。
 
 マクベスが吹っ切れた独裁者になっていくのに対して、あれほど強い野心があったマクベス夫人のほうは、心が壊れてしまいます。夢遊病になって、夜な夜なベッドから起きだしては、「血の跡が消えない」とつぶやきながら、必死に手を洗うような仕草を繰り返します。夫人を看病していた医師と召使いは、その様子から事の真相(ダンカン王の暗殺)を知ってしまい、震え上がります。やがて、完全に気がふれたマクベス夫人は城の窓から身を投げて死んでしまうのでした。
 
 一方マクベスは、ひとり森へ行き、魔女たちにもう一度予言をもらおうとします。魔女はマクベスに二つの予言を授けます。一つは「バーナムの森が動いてやってくるまで、マクベスは負けない」。もう一つは「女の股の間から生まれた者には、マクベスは負けない」。これを聞いてマクベスは自分は安泰だと思い込みます。「バーナムの森が動く」なんて事はありえないし「女の股の間から生まれてない奴」なんかいない。だから自分は負ける事はない。そう確信して、マクベスは、家臣もほとんどいなくなった城で、悠々と攻撃を待ち受けます。
 が、見張りの者が真っ青になって「バーナムの森が近づいてきます!」と報告したので、マクベスは半狂乱になります。マルカム王子軍は、木の枝を頭上に掲げて森に紛れながら進軍してきたのでそれが、「バーナムの森が攻めてくる」かのように見えたのです。マクベスの周りにわずかに残っていた家来も、恐怖のあまり逃げ出します。王子軍はついに、マクベスの城に攻め入ります。
 それでもマクベスは勇敢に戦い、敵を蹴散らしていきます。復讐に燃えるマクダフが遂にマクベスを見つけます。マクベスは「女の股から生まれた奴には俺は負けないんだ」と自信たっぷりでしたが、マクダフはそれをあざ笑って言い放ちます。「俺は帝王切開で生まれたんだ。女の股の間から生まれちゃいないんだよ!」
 マクベスは愕然となり、魔女の予言に弄ばれてきたことを悟ります。が、時はすでに遅く、マクダフの手によってマクベスは討ち取られます。
 

 はい、これが「マクベス」のあらすじです。
 何度か読んで、あらすじが頭に入ったら、その2で「メタルマクベス」の登場人物表と見比べてみましょう。では、少し時間をくださいね、その2を書きます。

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