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浦井健治

ミュージカル俳優浦井健治ファンのための、メタル「マクベス」予習講座 その2

 その2、遅くなってごめんなさい。

 新感線の「メタルマクベス」は、1980年代のメタルマクベスという名のバンドのお話と、それから300年後の2280年のお話が並行して進むようにできています。
 シェイクスピアの「マクベス」っぽいお話は2280年の方で描かれていきますが、なぜかそっちは、登場人物にエレキギターの名前がついているのです。それでちょっと、ややこしい感じになるんですが、登場人物対照表を作ってみましょう。
 

シェイクスピアの    新感線版の
「マクベス」      1980年 /  2280年    
マクベス        マクベス / ランダムスター    浦井健治
マクベス夫人      ローズ  / ランダムスター夫人  長澤まさみ
バンクォー       バンクォー/ エクスプローラー   橋本じゅん
マクダフ        マクダフ / グレコ        柳下大
ダンカン王       元社長  / レスポール王     ラサール石井
マルカム王子      元きよし / レスポールJr     高杉真宙

 
 名前を憶えておく、というよりも、「これが暗殺される王様」とか「これが逃げた王子を説得に行く貴族」とかっていう「設定」がざっと頭に入っていれば、もう大丈夫。迷いなく芝居の世界に入っていけます。
 宮藤官九郎は自分でもバンドをやってるだけあって、かっこいいギターの名前がいろいろ出てきます。しょぼい役にヤマハとかつけてたり、グレコ(日本製のギター)の息子の役名がローマンで、急にギターと関係なくなったり(グレコ・ローマンってレスリングの言葉じゃなかったっけ?)、ふざけてて楽しいです。
 宮藤官九郎の台本は、原作「マクベス」のツボを心得た上で色々とアレンジして遊んでいるので、原作のあらすじを理解したら、こだわりを捨てて楽しんでくださいね。
 
 「回る劇場が初めてなのでちょっと心配」という声も聞きましたが、別に360度っていっても観客の後ろでは演技しないので、観客の私たちが努力しなきゃいけないところは何もないです。
 大変といえることがあるとすれば、行くまでが大変。辺鄙な場所だから。それと、ちょっとした飲み物とかお菓子とかは手前の大きな駅などで調達しておかなければなりません。劇場の周りには店などはないから。終演後、友だちとお喋りしたくても、劇場から離れてからでないと、店どころか雨風をしのぐ建物すらありません。
 なので、そのあたりは準備万端おこたらず、劇場に向かいましょう。
 
 マダムは11月中にいちど観て、あとは千秋楽に行くつもりです。楽しみ〜!
 千秋楽報告の記事は来年となるので、まずは11月の記事に皆さんおいでくださいね。まだ少し先ですが、楽しみに待ちましょう。 
 

ミュージカル俳優浦井健治ファンのための、メタル「マクベス」予習講座 その1

 お約束どおり、浦井ファンでメタルマクベスのdisc3しか観ない方のため、予習講座いたします〜。
 disc1をすでにご覧になった方や、シェイクスピアに慣れてる方、劇団新感線に慣れてる方は、読み飛ばしてください。

 
 新感線の「メタルマクベス」は、シェイクスピアの「マクベス」の翻案物ですが、これが実に「マクベス」らしいお話になっています。脚本の宮藤官九郎すごい。「マクベス」に対する理解が深い。
 原作を全然知らなくても楽しめますけれど、原作を知ってると尚いっそう楽しめるので、少し予備知識を仕入れましょう。
 「マクベス」はシェイクスピア作品の中ではいちばんわかりやすい、シンプルな本ですので、まずは読んでみることをお勧めします。マダムは小田島訳に馴染んでいますが、初めて読む方は、注が多い松岡和子訳もいいかと思います。
 でも・・・読んだけどわかんないとか、読む暇がない、という人のために、特別にあらすじを解説しちゃいます。
 ちょっと長いですけど、マダムのあらすじ、かなりわかりやすいと思いますよ〜。

 
✴︎✴︎✴︎✴︎シェイクスピアの「マクベス」あらすじ✴︎✴︎✴︎✴︎

 
 昔々、スコットランドを治めているダンカン王の配下に、マクベスとバンクォーという将軍がいました。二人は戦いに長けた勇敢な軍人で、王からの信頼も厚く、そしてまた親友同士でもあります。
 あるとき、激しい戦で勝ち、二人は戦場から王のもとへ戻ろうとしていて、森の中で、三人の魔女に出会ったことから、運命が変わってしまいます。
 魔女は、マクベスに「今はグラームズの領主だけど、これからコーダーの領主になるし、そのあと王様にもなるよ」と予言します。マクベスは笑って、取り合いません。
 バンクォーが「俺にも何か予言しろよ」と催促すると、魔女は「あんたは王様にはなれないけど、王様の先祖になれる」と予言します。二人はとりあえず機嫌が良くなって森を去ります。
 が、このすぐあとダンカン王から伝令が来て「軍功の褒美として、マクベスにコーダー領を授ける」と言ったことから、マクベスとバンクォーの顔色が変わります。魔女の一つ目の予言が、実現したのです。
 こうなるとマクベスは、次の「王様になれる」という予言が気になって仕方ありません。一方バンクォーも、マクベスの野心が急激に膨らんできたのを察します。
 
 マクベスは自分の城に帰り、夫人に魔女の予言の話をします。すると夫人はすっかり予言に取り憑かれてしまい、自分たちの城に泊まりに来るというダンカン王を「暗殺しましょう」と言い出します。マクベスはそこまで考えていなかったのでびっくりしますが、夫人に焚きつけられ、結局その気になってしまいます。
 そしてダンカン王は王子のマルカムや大勢の部下を引き連れて、マクベスの城に泊まりにやってきます。マクベスは王の寝室に忍び込み、王を殺害し、眠らせておいた従者たちに、血のついた刀を握らせ、罪をなすりつけます。マクベス夫人も一緒に加担します。
 翌朝、ダンカン王が死んでいるのが発見されると、マルカム王子は身の危険を感じて、いち早く脱出します。マクベスはこれ幸いと、王の暗殺を企てたのは王子だったということにし、まんまと自分が王座に座ってしまうのです。
 
 王となったマクベスは、魔女の自分への予言が当たったので、「バンクォーが王様の先祖になる」という予言が目障りとなってきます。マクベスには子供がいません。こんな思いをしてせっかく王になったのに、バンクォーの子孫に王座をくれてやるのか、と考えると腹がたつのです。そして、かつての親友バンクォーとその息子の暗殺を命じます。暗殺者たちはバンクォーを殺害しますが、息子のフリーアンスには逃げられてしまいます。
 マクベスはバンクォー殺害の報告を受けたあと、なに食わぬ顔で宴会を開き、「バンクォーがいなくて残念だねえ」などとうそぶきますが、空いている席に血みどろのバンクォーの幻が見えて、半狂乱になります。マクベス夫人は必死にその場を取り繕いますが、貴族たちはマクベスが怪しいことに薄々気づき、マクベスへの信頼は崩れていきます。
 
 マクベスはいつ誰が裏切るかも、という疑心暗鬼からどんどん残虐な独裁者になっていきます。マクベスに対して批判的な貴族マクダフは、打倒マクベスの旗を上げるため、イングランドに逃げているマルカム王子のもとへ、説得工作に出かけます。王子は、罠ではないかと警戒し、マクダフをいろいろと試した結果、彼の言葉が真実だと受け入れて、打倒マクベスの旗を上げます。
 しかし、その頃、マクダフの留守宅には、マクベスの刺客が乱入し、マクダフの妻と息子は殺されてしまいます。それを知ったマクダフは、復讐の鬼と化し、マルカム王子を立ててスコットランドに攻め入ります。
 
 マクベスが吹っ切れた独裁者になっていくのに対して、あれほど強い野心があったマクベス夫人のほうは、心が壊れてしまいます。夢遊病になって、夜な夜なベッドから起きだしては、「血の跡が消えない」とつぶやきながら、必死に手を洗うような仕草を繰り返します。夫人を看病していた医師と召使いは、その様子から事の真相(ダンカン王の暗殺)を知ってしまい、震え上がります。やがて、完全に気がふれたマクベス夫人は城の窓から身を投げて死んでしまうのでした。
 
 一方マクベスは、ひとり森へ行き、魔女たちにもう一度予言をもらおうとします。魔女はマクベスに二つの予言を授けます。一つは「バーナムの森が動いてやってくるまで、マクベスは負けない」。もう一つは「女の股の間から生まれた者には、マクベスは負けない」。これを聞いてマクベスは自分は安泰だと思い込みます。「バーナムの森が動く」なんて事はありえないし「女の股の間から生まれてない奴」なんかいない。だから自分は負ける事はない。そう確信して、マクベスは、家臣もほとんどいなくなった城で、悠々と攻撃を待ち受けます。
 が、見張りの者が真っ青になって「バーナムの森が近づいてきます!」と報告したので、マクベスは半狂乱になります。マルカム王子軍は、木の枝を頭上に掲げて森に紛れながら進軍してきたのでそれが、「バーナムの森が攻めてくる」かのように見えたのです。マクベスの周りにわずかに残っていた家来も、恐怖のあまり逃げ出します。王子軍はついに、マクベスの城に攻め入ります。
 それでもマクベスは勇敢に戦い、敵を蹴散らしていきます。復讐に燃えるマクダフが遂にマクベスを見つけます。マクベスは「女の股から生まれた奴には俺は負けないんだ」と自信たっぷりでしたが、マクダフはそれをあざ笑って言い放ちます。「俺は帝王切開で生まれたんだ。女の股の間から生まれちゃいないんだよ!」
 マクベスは愕然となり、魔女の予言に弄ばれてきたことを悟ります。が、時はすでに遅く、マクダフの手によってマクベスは討ち取られます。
 

 はい、これが「マクベス」のあらすじです。
 何度か読んで、あらすじが頭に入ったら、その2で「メタルマクベス」の登場人物表と見比べてみましょう。では、少し時間をくださいね、その2を書きます。

『ミュージカル ゴースト』を観る

 久しぶりの日比谷かもしれない。8月25日(土)マチネ、シアタークリエ。

『GHOST THE MUSICAL』
脚本・歌詞/ブルース・ジョエル・ルービン 
音楽・歌詞/デイヴ・スチュワート&グレン・バラード
演出 ダレン・ヤップ
出演 浦井健治 咲妃みゆ 平間壮一 森公美子 ほか

 かっこよくて優しくて愛に満ちて、恋人を守ろうとする幽霊サムの役。
 これはもう、浦井健治を堪能しなさい、という演劇の神様の思し召しであるので、その命令に従ったマダム。堪能しました!素敵だった〜。歌も更に磨きがかかっていたし!彼の歌声がホントに好きだ〜(告白)。
 あらすじは、書かないでいいよね?

 これまでこういう、ど〜んとした王道ラブストーリーをやったことがあまりなかったでしょう?だから、なんとなく心配だったのね。それと、相手役という問題もあるし。
 モリー役はWキャストなので、もう一人の方はどんな感じだったのかわからないのだけれど、咲妃みゆは細身のジーンズがよく似合う普通の女の子、をさりげなく演じていて、なかなか良かったの。歌声も透明感があって、浦井サムとの相性がとてもいいと思った。
 なので、堪能できたし、うっとりもできたし、満足〜。
 
 で、ここからは作品全体についてね。
 原作映画は公開時に見てるんだけど、その時楽しんだだけで、すぐ忘れてしまった。お話の底はあまり深くない。ミステリーとしては、誰が犯人かわかりやす過ぎるし。まあ、深すぎないから、多くの人に気軽に受け入れられたのかもしれない。
 だから今頃になってこれがミュージカルになった理由は今ひとつピンと来ない。今回の演出を見ても、「なるほど。ここに目をつけて、今ミュージカルにしようと思った訳か」と納得できるところはなかったの。もっと、こうすればいいのに!と思うところが次々現れて。
 一番思ったのは、幽霊の特殊撮影的な効果の使い方に、斬新さがなくて、なんかこう、中途半端ってこと。プロジェクトマッピングとか成熟期を迎えてるのに、アイデアが古いよ。せっかく使い所が山ほどあるのに。死体から幽体離脱するところや、壁抜けするところや、念力みたいなパワーが噴出するところ…。例えばイキウメとかハイバイとかの演出だったら、さしたる舞台効果なしに役者の演技だけで見せちゃうかもしれないし、例えばルパージュの演出だったら「え?今の何?どうやったの?スローモーションで見せて!」って言いたくなるような手品を見せてくれそうでしょ? でも、そのどちらでもなく、いちばんありきたりな手を使ってしまってたの。わかりやすいっちゃ、わかりやすいんだけど。
 中途半端といえば、時代設定の出し方も。映画公開当時の時代を、現代に変更しているんだけど、携帯とPCを出してるだけよね。
 アンサンブルの演技もキメが荒かった。歌もダンスも上手い人たちが集まっていたけど、そのシーンそのシーンで違う役なのだから、役を演ってほしいのよ。そのあたりは演出されてなかったのかな。
 例えばオフィスのシーンなんか、もっともっとニューヨークのビジネス街!の雰囲気がほしいよ〜。みんなちゃんとスーツが似合ってほしいし、PCの打ち方も「振り付け」じゃなくて「演技」をしてもらいたいし。浦井サムも、銀行員をしてる時は髪が顔にかからないようにした方が良かったと思うし(ビジネスマンの髪型の理想は、ほら、ロバート・レッドフォードみたいな感じよ。例が古いけど)、スーツももっと上質な感じが良かったなあ、エリートビジネスマンなんでしょ?
 セットの方にお金をかけすぎ。セットは普通でいいから、も少し衣装に気を使ってほしかった。
 まあそんな中、別格だったのは森公美子のオダ・メイ。お話の胡散臭さをねじ伏せる存在感。素晴らしかったわ。全く肌の色を変えていないのに、黒人としての誇りがあって、ほかの人との違いを見せつけていたの。彼女がいたからこの物語が成立したのね(これは原作映画もそうで、ウーピー・ゴールドバーグの演技があったから成立した物語なの。だから森公美子はちゃんとその役割を果たしたのよ)。
 
 という訳で色々つっこんだけど、これは再演する時になおしてね。そうしたらかなり良い作品になるよ〜。
 王道ラブストーリーもいけるってことがわかったので、さあ、これからどういう道を行くのだ、浦井くん?

続 これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』

 『ヘンリー五世』もう一度観に行ってきた。5月29日(火)マチネ、新国立劇場中劇場。
 行ってよかった。

 浦井ヘンリーが相当良くなっていた!
 滑舌も良くなってたんだけど、それ以上に、王らしい威厳とやんちゃな部分との接合部が滑らかになって、一人の人間としての説得力が増してたの。
 『ヘンリー四世』のときから思ってたのは、ハルって孤独だなってことだったんだけど、王になったらもっともっと孤独になった。本心を語るのは独白の時だけなんだもの。戦いには勝っても、王冠も衣装も血塗られてしまって、清々しかったハルはもう何処にもいなくなってしまった。ヘンリーの孤独がひしひしと感じられて、ラストは胸が痛いくらい。
 
 1度目の時の席はかなり上手よりの端っこだったの。で、2度目はいちばん後ろだけど真ん中ブロック。
 そうしたら見え方が全然違ってて。ていうか、舞台の奥のほうで起きてることが見えてなかったのよ、1度目は。
 特に戦闘シーンは、舞台前方で起きていることと、後方に遠く見える様子が上手く相乗効果を作るようにできていて、イギリス軍の振る旗や上から降りてくる巨大な旗が空間を自在に分けて美しくて、ダイナミック。殺陣は多くない分、布の使い方で、見ごたえあるシーンになってたね。
 
 このシリーズがここまで続いてきて圧巻は、いちばん最後の「説明役」たちの挨拶の台詞だった。台本では説明役はひとりだけど、鵜山演出では数少ない女優(大勢の役者の中でたった3人!)たちに締めを任せた。「ヘンリー五世は・・・世界に冠たる支配権を彼の息子に残しました・・・だが彼を取り巻く多くのものが政権を争うことになり・・・イギリスにも血が流されました。そのいきさつはすでにこの舞台でごらんにいれております
 これはシェイクスピアが自分の一座で、本を書いた順番に上演して『ヘンリー五世』にたどり着いたことを示しているのだけれど、それをそのまま説明できる鵜山組は素晴らしいよ。同じように歩んできたのだもの。
 浦井健治、岡本健一、中嶋朋子をはじめとして、ひとつひとつ取り組んできて、一座になった。
 なので、マダムとしては、これで終わりとは思いたくない。

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その3

 全体的にフランスとの戦争の話だと思い込んでたマダムだったけど、鵜山版『ヘンリー五世』は、意外なほど笑いに満ちて楽しく、わかりやすく、戦闘シーンは短く、テンポよく作られていた。そして、隅々までよく練られて配された役者さんたちの、上手いこと!

 真っ先に名前を挙げなければいけないのは、なんと言っても、「ニラの騎士」フルーエリンの横田栄司。ウェールズ訛りのフルーエリンの台詞は、さしすせそが、しゃししゅしぇしょに翻訳されていて(小田島訳の真骨頂)、ただでさえ大変なシェイクスピアの台詞が早口言葉の練習のようになっていたの。読んでも何を言ってるのかわからないフルーエリンの台詞が、横田栄司の声で聞くとちゃんとわかって、めちゃくちゃ可笑しい。ピストル(岡本健一)との掛け合いは抱腹絶倒。「俺の名前は?」「ピシュトル」「ピ、ス、トル!」「ピシュトル!」「違う!ちゃんと言え!ピストル!」「ピ…。」って、もう可笑しすぎて、うちに帰って本でその箇所を探したけど見当たらない。アドリブだったのね。思い出して再度笑うマダム・・・。
 
 もう一人名を挙げなければいけない人は、フランス軍司令官の鍛治直人。台詞の声量となめらさかが申し分なく、聞いていて心地よいこと。そして空間の使い方が上手いの。おフランス漂う、覇気のないフランス側にあってただ一人、場を仕切って次のシーンへどんどん繋げていくのが、見事なのよ。
 このシリーズはヘンリー六世上演の時から、新劇の劇団出身の役者さんたちが沢山出演して、歴史劇の屋台骨を支えてきたんだけど、なかでもやっぱり文学座って凄いって思うよ。今回、これまでの常連だった今井朋彦が出てなくて、マダムはとても寂しかったんだけど、その分を横田栄司と鍛治直人でさらっていったから脱帽だー。
 
 長いシリーズ、ずっと出続けている役者さんたちに関しては、演技以外も毎回が楽しみ。勝部演之は何回めの司教かな?とか、立川三貴と木下浩之は『六世』の時から金髪でおフランスだったわとか、那須佐代子はまた岡本君とキスする役だねとか(『リチャ三』のときリチャードとエリザベスだったからさ)。
 そしてフランス側の衣装がブルーに金の縫い取りでおしゃれなのに、イギリス側はなんとなくくすんでてグレーっぽいの。それも『ヘンリー六世』に続いていくと考えたら、なるほどって思う。ヘンリー六世の衣装は、みんなグレーのマントだったのよ。
 
 芝居の終わり方が、『ヘンリー六世』に続く!っていう感じだったから、シリーズは一区切りなんだろうかとマダムは不安。もう劇団みたいなものでしょう?ここで解散はして欲しくないの。
 もう一度見に行くので、続編もまた書くね。まとまってないけど、とりあえず今日はここまで。
 
 
 
 

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その2

 前回の『ヘンリー四世』から1年半くらい経っているわけなんだけれど、そしてその間浦井健治はほとんど休むことなく舞台に立ち続けているわけだけれど、マダムはずっと「こんなもんじゃないだろ」と思っていたの。
 すっかりビッグネームになってしまった(そしてマダムも非力ながらその片棒を担いだ)彼だけど、彼の天賦の才は徹底的に演出された時にのみ発揮されるもので、とりあえず真ん中に据えておけばどんな役もできてしまうような俳優ではないのよ。
 そして技術はまだまだ発展途上よ。今回だって、声量も足りないし、長ゼリフを聴かせる技量もあと三歩だ(一歩ではない)。同じ舞台に立つベテランの役者さんと比べたら、わかるでしょう?(ハムレットを望む声があるし、マダムも期待はするけど、ハムレットやるならその前に長期休暇を取って文学座の研究所に入ってみるのはどうかな。あるいは新国立劇場の研究所とか。中堅の俳優も学び直しが必要な時があるでしょ?)
 辛口はさておき。

 技術的なことはいくらでも突っ込めるけど、それでも彼でなければならないヘンリー五世。純白の王の姿は本当に美しいし、凛々しい。どんどん汚れて血みどろになってもなお汚くない(きれいはきたない、きたないはきれいってこのことか!)。威厳を保とうとしても、時折ハルの顔がのぞくところがなんて魅力的。バードルフの処刑を言い渡す時の動揺や、フランス王たちとの交渉の席で王女の顔ばかり見てしまう子供じみた表情・・・。
 浦井ヘンリーが終始努力を強いられている一方で、今回の岡本健一はなんて自由なんだろう!シリーズでこれまでは、必ず敵対する貴族を演じてきたのに、ついに庶民オンリーに。アドリブも出て、めちゃくちゃ楽しそうなの。この自由度は、彼の幅をさらに広げるような気がする。(でも、リチャード二世をやらせて苦悩する顔が見たいと思ってしまうマダムはドSだろうか?)
 そして中嶋朋子。どうやっていたいけな十代のお姫様をやるんだ、と思ったけど。できちゃうんですね。本当の十代の女優ではできないだろう、自分を無理やり納得させていく王女の演技が、この人ならでは。化け物という褒め言葉がありますけど・・・素晴らしい。

 あー、時間が足りないわ。その3で、ほかの役者さんのことを書くわね。

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その1

 なんだかドキドキしながら劇場へ。5月19日(土)マチネ、新国立劇場中劇場。

『ヘンリー五世』
作/ウィリアム・シェイクスピア 訳/小田島雄志
演出/鵜山仁
出演 浦井健治 岡本健一 中嶋朋子 立川三貴 木下博之 田代隆秀
   横田栄司 勝部演之 那須佐代子 鍛治直人 松角洋平 ほか
 

 2009年の『ヘンリー六世』三部作一挙上演から9年かけて、ここまで辿り着いた。一緒に歩んできた感いっぱいで、感無量なマダム。
 
 一方で、『ヘンリー五世』の予習は呼びかけるのがとても難しくて、ブログにはアップできなかったの。すまない・・・。
 だってね、こればっかりはマダムも舞台は観たことがなくて、本は読んでみたもののピンとこず、せいぜい『ヘンリー四世』の時の人間関係を思い出しておくくらいのことしか、自分自身もできなかったの。
 唯一、BBCのホロウクラウンシリーズで『ヘンリー五世』を観た記憶が頼り。だけど、あれはあれで主役のトム・ヒドルストンが素敵すぎてスター映画になっちゃってた感が否めない。結局、心構えなし、あたま空っぽの状態で、観劇の日を迎えたの。
 でも、ぜんぜん難しいことはなくて。面白かった〜。3時間があっという間。
 
 芝居って、演出家が本をどう解釈しイメージしたのかを、目の前で見せてくれるものだ。そう捉えた時、鵜山演出が『ヘンリー六世』以来ずっと見せてくれたものは、なんて豊かだったことか! 役者を育て、カンパニーの絆を確かなものにしてゆき、それぞれ1本の芝居として面白く作りながら、シリーズとして、大きな時代のうねりと権力争いの諸行無常を描き得た。新国立劇場のプロデューサー、鵜山さん、大勢のすべての座組の人たち。マダムをここまで連れてきてくれて、ホントにありがとう。
 
 『ヘンリー四世』で自由に遊びまわっていたハル王子は、王座につき、ヘンリー五世となった。覚悟して王となったヘンリーのその後は、苦い人生だ、というのが鵜山演出の解釈なのね。
 王座に就いた時の純白の衣装は、戦闘を繰り返すたび、返り血でどんどん汚れていく。軍の規律を守らせるために、かつての遊び仲間を処刑しなければならない苦痛。アジンコートの戦いの奇跡の勝利は、なぜだか喜びを呼び込まない。生き残ったピストルは、かつてのフォルスタッフのような庶民の本音を高らかに叫んではくれず、仲間は全員死んでひとりぼっちになっていく。ラストのヘンリーの深紅の衣装は、赤バラの赤なのだけれどマダムには、完全に血に染まって白いところがなくなったかのように見えたよ。
 鵜山演出の真骨頂は、ヘンリーが戦勝国の王としてフランス側にすべてを要求するところ。
 マダムはホロウクラウンシリーズ版と真逆な展開に驚き、そして納得したの。
 ホロウクラウンでは、フランス王たちが皆腰掛けていて、ヘンリーはずっと立ったままだ。フランス王たちが不遜で、ヘンリーはなんだか謙虚。でも鵜山版では、ヘンリーだけが腰掛けていて(しかも偉そうに・・・でも当然だよね、勝った側なんだから)、フランス王以下全員、おびえながら並んで立ってる。そして王女を残して全員が退出する時の、フランス王妃の怯えた辛そうな顔といったら!戦利品として娘が奪われていくのがわかっていても、もう止めることができないのよ。
 そのあとの、王女キャサリンを口説くシーン。ホロウクラウンでは、ヘンリーは優しくて紳士的で、礼儀正しくキャサリンの愛を求めていて、めっちゃトムヒが素敵なんだけど、鵜山版を見たら、ありゃ嘘だな、と思っちゃったマダム。だって、戦利品として王女との結婚はもう誰の目にも明らかで、別に腰を低くして相手を説得する必要なんかないんだもの(あくまで、当時の戦国の世の習いとして、ね)。
 だから口説く必要のない相手とわざわざ一対一になって、ほとんど襲いかかってる浦井健治、じゃなくってヘンリーってさ・・・キャサリンに一目惚れしたのかもしれないけど、勝てば官軍でやりたい放題に見えたし、それが鵜山演出だったのよ。(ただこのシーンが下品にならないのは、浦井ヘンリーだからなんだよね。)
 でもそこにマダムは納得したよ。当時の王や王族に、個人としての幸せなんてほぼ無いんだってこと。だからこそ婚礼を暗示して終わるラストが悲劇の始まりとして、『ヘンリー六世』につながっていくの。
 そして観終わった人はみな、次にまた『ヘンリー六世』を観たくなってしまうの。エンドレス。こりゃ、鵜山魔術だね・・・。
 
 そのほかのことについては、その2でまた書くね。とりあえずみんな、アンケートに『リチャード二世』を同じ座組で、と希望を書くこと!

楽しさと物足りなさと『ブロードウェイと銃弾』

 日比谷はなんだか綺麗になりつつある。2月17日(土)マチネ、日生劇場。

『ブロードウェイと銃弾』
脚本/ウディ・アレン オリジナル振付/スーザン・ストローマン
演出/福田雄一
出演 浦井健治 城田優 平野綾 保坂知寿 愛加あゆ
   ブラザートム 鈴木壮麻 前田美波里 ほか


 浦井健治と城田優が二人主役の、華やかなミュージカル。
 浦井健治演じるデビッドは翻弄される新米脚本家で、オロオロしまくりのところがなんだか本人を感じさせて可愛かったし、歌声は甘くて伸びやかだったし、城田優演じるチーチはマフィアの子分なんだけどダンディで、ダンスシーン(タップが素敵)もカッコいいし、楽しいミュージカルだった。アンサンブルもレベルが高かったし。とりあえず、なあんにも考えず、二人のイケメンをたっぷり堪能。
 
 で、見終わった後は、何にも残らなかった!
 楽しかったんだからそれでいい、とも言える、のかもしれないけど。
 でもよく考えると、いろいろわかんない。デビッドが作ろうとしてた芝居がどんな芝居なのか全然わからなかったので、チーチが思いついたアイデアがどれほど良いものなのか、ピンとこない。そこがわかんないと、二人の関係性もちゃんと伝わってこないし。マフィアのボスも、どこかゾッとする怖さが欲しかったし、チーチがオリーブを殺しちゃうのも、殺しは殺しなので、チーチの冷酷さがちゃんとあったほうがいいしね。
 デビッドが、エレンとヘレンを行ったり来たりするところも、男の情けなさを存分に描いて欲しかったな〜。主役だからって、抑えめにしてるのかしら?
 デビッドは、いったいどんな男だったんだろ?
  
 で、ここからは作品からちょっと離れてしまうかもしれないんだけれどさ。
 
 昨年末の総括の記事を書いた後むむむと思ったのは、ここのところ何年にも渡ってマダムが肩入れしてきた浦井健治の名前が、記事の中に一度も出てこなかったことでね。
 もちろん彼が出演している作品は全部観ているし、毎回感じるところ、楽しいところはあるんだけれども、マダムが期待する(というより期待とか想像とかをはるかに上回ってびっくりする)演技はしばらく観られていないの。今回の『ブロードウェイと銃弾』もしかり。コメディだから、っていう単純な話じゃない。
 『ブロードウェイと銃弾』に関して言えば、彼だけの問題じゃなくて、1本の芝居として深みがないの。
 禁酒法時代のギャングの話とか、ギャングが芸能界の後ろ盾だったりする話は、たくさんあって(例えばジャージー・ボーイズにもしっかり出てくるでしょ?)、ウディ・アレンはその伝統にのっとって、その伝統を知り尽くしたうえで、パロディのようなそうじゃないようなものを作ったんだと思うのね。で、向こうではウディ・アレンだけじゃなくて、役者も観客も肌でわかるのでしょう。でも日本の若手の役者さんたちは、そういうバックボーンが無いのよ。そこを演出家が放置すると、楽しくても深みや苦味がない話が出来上がっちゃう。 
 でも演出家が放置した部分を、自分でちゃんと埋めて作り上げるのも、主役の役割とも言えるわけで。全部は埋められなくても少しは、できないとね。
 まあ、本人が読んでないのに、こんなこと書いたってしょうがないわけだけど。
 浦井く〜ん、期待してるよ〜。

日韓合同公演『ペール・ギュント』

 今年は三軒茶屋にたくさん通ったな〜。12月10日(日)マチネ、世田谷パブリックシアター。

『ペール・ギュント』
原作/ヘンリック・イプセン 翻訳/クァク ボクロク
上演台本・演出/ヤン・ジョンウン 上演台本翻訳/石川樹里
出演 浦井健治 趣里 マルシア ユンダギョン ソドンオ キムボムジン
   チョウヨンホ 浅野雅博 石橋徹郎 古河耕史 ほか

 
 イプセンの有名な戯曲だけれど、あんまり上演されることがなくて、マダムは初見。ここのところ忙しくて、予習もままならなかったんだけど、見終わって思ったのは、予習しててもしてなくても変わらなかったかなあ、と。
 お話自体が好みじゃなかった。自分探しって言葉は好きじゃないな。演出もマダムが最近苦手としている串田和美に通じる匂いがあって、正直、あまりピンとこなかった。ビジュアルは綺麗で楽しかったのだけれど。
 なので、以下、二、三、感じたことを書いて、短く終わりにするね。

 
 日韓合同公演で、半分が韓国の役者さんだったのだけれど、存在感で日本の役者を圧倒していた。彼らの動きには目を見張ったの。一人一人の身体能力、台詞の強さ、いずれも日本の役者は負けてしまってるなあ、と。
 もちろん演出家が韓国の人だから、感覚的に通じるかどうかで、日本の役者はハンデがある。
 それとね、彼らの台詞は韓国語。舞台の上に字幕が出る。そうすると、耳から聞こえる台詞の音の強さと、目から入ってくる字幕の漢字の強さで、インパクトが2倍になるのよね。日本人の役者は、聴覚だけに訴えているので圧倒的に不利。主演の浦井健治はずっと出ずっぱりで凄くがんばっているのだけれど、早口になると意味が聞き取れない箇所があり、こちらの集中力が切れてしまう。
 演出家は、日本語の台詞の良し悪しまで指摘してはくれないのよね、きっと。外国人演出家には日本人の演出補が必要なんじゃないかと感じたわ(プルカレーテの時の谷賢一のような存在が)。

 ペールって美しいけど、中身はろくでなしなのだろうと思う。浦井ペールにはろくでなし感が足りないと思った。彼本人が持っている人の良さや優しさがにじみ出てしまっていて(それはそれでいいのかもしれないが)、どうしてもろくでなしになってしまう人間の業の深さが表現できていないよ。
 でも演出されれば、彼は表現できるんじゃない? 細かく要求されずに任されると、本人の普段の性格からはみ出たものは表現できないんだよね、きっと。(やっぱり日本人演出補が必要だったんじゃない?)
 一緒に見た友人たちは意外とあれでよかった意見だったんだけど、マダムは腑に落ちなかったの。そこんとこは、好みの問題になってしまうんだろうか?

進化した『デス・ノート』

 今月の、好きな役者の芝居、最後を飾る。9月16日(土)マチネ、新国立中劇場。

『デス・ノート THE MUSICAL』
原作「DEATH NOTE」
音楽/フランク・ワイルドホーン 演出/栗山民也
歌詞/ジャック・マーフィー 脚本/アイヴァン・メンチェル
出演 浦井健治 小池徹平 唯月ふうか 髙橋果鈴 濱田めぐみ
   石井一孝 別所哲也 ほか

 
 初演から2年。
 もとのお話にそれほど深みはないわけなので、めっちゃ感動、とはならないのだけれど、それでも色々と進化して、洗練されていたので、感心したの。
 
 浦井健治の夜神月も、小池徹平のLも、すごく上手くなっていた。初演の時は、もっと一本調子だったのが、浦井ライトは、だんだん邪悪になっていく変化が表情や声に細かく現れていたし。小池Lは、以前は猫背のまま歌うのが苦しそうだったんだけど、いまやあの猫背があたりまえになったのかしら。歌の安定度、抜群。
 キャストも、死神リュークは吉田鋼太郎から石井一孝に、ライトの父が鹿賀丈史から別所哲也に代わって、全体のバランスが良くなったね。吉田リュークはどうしたって舞台全体をさらっていてしまう感があった。石井リュークも基本的に同じ演技だったんだけど、芝居全体の中に溶け込んでいた。演出が全体を修正できたのだと思う。
 更に、アンサンブルも上手くなって、歌に厚みが出ていた。マダムはプログラムを買わないので、細かい配役の変化はよくわからないけど、メンバーも変わり、人数も増えたのかしら。ライトの父を囲む刑事たちも、グレードアップしてたの。
 なので、このお話が持ちうる限りの厚みが加わって、なかなか良作に育ってた。惜しいのは、唯一つ、衣装ね。死神の衣装のデザインは素敵なのだけれど、夜神月を含む若者の服が、ダサいの。妹も相変わらず、変な組み合わせの衣装で、かわいそうだし。今時、その辺を歩いている若者の方がよっぽどおしゃれ。渋谷のスクランブル交差点でライトとミサミサが出会うところなんか、もっとスタイリッシュになってもいい場面なのに、若者たちが垢抜けないので、渋谷らしくない。それからミサミサのコンサートシーンだって、衣装次第でもっともっとカッコよくできて、見せ場の一つになるのに。
 衣装問題さえクリアできたら、このミュージカルは、傑作まではいかないまでも佳作として残っていくことができるよ!主役クラスの顔ぶれが変わったとしても。
 
 そう。マダムは今回2列目という良席だったので、かぶりつきで浦井ライトの演技を堪能した。どんどん変わっていく表情や、いい声や、歌の演技力をたっぷり味わって、すごく幸せだったの。そして「でも、もうこれが最後だな」と思ったのよ。高校生を演じるのは。
 童顔だし、声が若いし、演技力でやれてしまうんだけれども、もう少年の体型じゃないんだもん。
 これは文句ではなくてね、そろそろ高校生の役を卒業し、大人の男の役をやってもいいんじゃないか、と思ったわけなの。わかるでしょう?
 『デスノート』というミュージカルが、マダムの予想に反して佳作に育ってきているので、再再演とかがあるかもしれない、と感じたの。でもそれは、次の人に手渡して、もっと違う、大人の役に進んでいってほしい。どんな役だって、できるもの。
 
小柄な小池徹平のほうは、あと5年くらいLが出来そうな感じだったけどね。

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