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浦井健治

続 これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』

 『ヘンリー五世』もう一度観に行ってきた。5月29日(火)マチネ、新国立劇場中劇場。
 行ってよかった。

 浦井ヘンリーが相当良くなっていた!
 滑舌も良くなってたんだけど、それ以上に、王らしい威厳とやんちゃな部分との接合部が滑らかになって、一人の人間としての説得力が増してたの。
 『ヘンリー四世』のときから思ってたのは、ハルって孤独だなってことだったんだけど、王になったらもっともっと孤独になった。本心を語るのは独白の時だけなんだもの。戦いには勝っても、王冠も衣装も血塗られてしまって、清々しかったハルはもう何処にもいなくなってしまった。ヘンリーの孤独がひしひしと感じられて、ラストは胸が痛いくらい。
 
 1度目の時の席はかなり上手よりの端っこだったの。で、2度目はいちばん後ろだけど真ん中ブロック。
 そうしたら見え方が全然違ってて。ていうか、舞台の奥のほうで起きてることが見えてなかったのよ、1度目は。
 特に戦闘シーンは、舞台前方で起きていることと、後方に遠く見える様子が上手く相乗効果を作るようにできていて、イギリス軍の振る旗や上から降りてくる巨大な旗が空間を自在に分けて美しくて、ダイナミック。殺陣は多くない分、布の使い方で、見ごたえあるシーンになってたね。
 
 このシリーズがここまで続いてきて圧巻は、いちばん最後の「説明役」たちの挨拶の台詞だった。台本では説明役はひとりだけど、鵜山演出では数少ない女優(大勢の役者の中でたった3人!)たちに締めを任せた。「ヘンリー五世は・・・世界に冠たる支配権を彼の息子に残しました・・・だが彼を取り巻く多くのものが政権を争うことになり・・・イギリスにも血が流されました。そのいきさつはすでにこの舞台でごらんにいれております
 これはシェイクスピアが自分の一座で、本を書いた順番に上演して『ヘンリー五世』にたどり着いたことを示しているのだけれど、それをそのまま説明できる鵜山組は素晴らしいよ。同じように歩んできたのだもの。
 浦井健治、岡本健一、中嶋朋子をはじめとして、ひとつひとつ取り組んできて、一座になった。
 なので、マダムとしては、これで終わりとは思いたくない。

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その3

 全体的にフランスとの戦争の話だと思い込んでたマダムだったけど、鵜山版『ヘンリー五世』は、意外なほど笑いに満ちて楽しく、わかりやすく、戦闘シーンは短く、テンポよく作られていた。そして、隅々までよく練られて配された役者さんたちの、上手いこと!

 真っ先に名前を挙げなければいけないのは、なんと言っても、「ニラの騎士」フルーエリンの横田栄司。ウェールズ訛りのフルーエリンの台詞は、さしすせそが、しゃししゅしぇしょに翻訳されていて(小田島訳の真骨頂)、ただでさえ大変なシェイクスピアの台詞が早口言葉の練習のようになっていたの。読んでも何を言ってるのかわからないフルーエリンの台詞が、横田栄司の声で聞くとちゃんとわかって、めちゃくちゃ可笑しい。ピストル(岡本健一)との掛け合いは抱腹絶倒。「俺の名前は?」「ピシュトル」「ピ、ス、トル!」「ピシュトル!」「違う!ちゃんと言え!ピストル!」「ピ…。」って、もう可笑しすぎて、うちに帰って本でその箇所を探したけど見当たらない。アドリブだったのね。思い出して再度笑うマダム・・・。
 
 もう一人名を挙げなければいけない人は、フランス軍司令官の鍛治直人。台詞の声量となめらさかが申し分なく、聞いていて心地よいこと。そして空間の使い方が上手いの。おフランス漂う、覇気のないフランス側にあってただ一人、場を仕切って次のシーンへどんどん繋げていくのが、見事なのよ。
 このシリーズはヘンリー六世上演の時から、新劇の劇団出身の役者さんたちが沢山出演して、歴史劇の屋台骨を支えてきたんだけど、なかでもやっぱり文学座って凄いって思うよ。今回、これまでの常連だった今井朋彦が出てなくて、マダムはとても寂しかったんだけど、その分を横田栄司と鍛治直人でさらっていったから脱帽だー。
 
 長いシリーズ、ずっと出続けている役者さんたちに関しては、演技以外も毎回が楽しみ。勝部演之は何回めの司教かな?とか、立川三貴と木下浩之は『六世』の時から金髪でおフランスだったわとか、那須佐代子はまた岡本君とキスする役だねとか(『リチャ三』のときリチャードとエリザベスだったからさ)。
 そしてフランス側の衣装がブルーに金の縫い取りでおしゃれなのに、イギリス側はなんとなくくすんでてグレーっぽいの。それも『ヘンリー六世』に続いていくと考えたら、なるほどって思う。ヘンリー六世の衣装は、みんなグレーのマントだったのよ。
 
 芝居の終わり方が、『ヘンリー六世』に続く!っていう感じだったから、シリーズは一区切りなんだろうかとマダムは不安。もう劇団みたいなものでしょう?ここで解散はして欲しくないの。
 もう一度見に行くので、続編もまた書くね。まとまってないけど、とりあえず今日はここまで。
 
 
 
 

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その2

 前回の『ヘンリー四世』から1年半くらい経っているわけなんだけれど、そしてその間浦井健治はほとんど休むことなく舞台に立ち続けているわけだけれど、マダムはずっと「こんなもんじゃないだろ」と思っていたの。
 すっかりビッグネームになってしまった(そしてマダムも非力ながらその片棒を担いだ)彼だけど、彼の天賦の才は徹底的に演出された時にのみ発揮されるもので、とりあえず真ん中に据えておけばどんな役もできてしまうような俳優ではないのよ。
 そして技術はまだまだ発展途上よ。今回だって、声量も足りないし、長ゼリフを聴かせる技量もあと三歩だ(一歩ではない)。同じ舞台に立つベテランの役者さんと比べたら、わかるでしょう?(ハムレットを望む声があるし、マダムも期待はするけど、ハムレットやるならその前に長期休暇を取って文学座の研究所に入ってみるのはどうかな。あるいは新国立劇場の研究所とか。中堅の俳優も学び直しが必要な時があるでしょ?)
 辛口はさておき。

 技術的なことはいくらでも突っ込めるけど、それでも彼でなければならないヘンリー五世。純白の王の姿は本当に美しいし、凛々しい。どんどん汚れて血みどろになってもなお汚くない(きれいはきたない、きたないはきれいってこのことか!)。威厳を保とうとしても、時折ハルの顔がのぞくところがなんて魅力的。バードルフの処刑を言い渡す時の動揺や、フランス王たちとの交渉の席で王女の顔ばかり見てしまう子供じみた表情・・・。
 浦井ヘンリーが終始努力を強いられている一方で、今回の岡本健一はなんて自由なんだろう!シリーズでこれまでは、必ず敵対する貴族を演じてきたのに、ついに庶民オンリーに。アドリブも出て、めちゃくちゃ楽しそうなの。この自由度は、彼の幅をさらに広げるような気がする。(でも、リチャード二世をやらせて苦悩する顔が見たいと思ってしまうマダムはドSだろうか?)
 そして中嶋朋子。どうやっていたいけな十代のお姫様をやるんだ、と思ったけど。できちゃうんですね。本当の十代の女優ではできないだろう、自分を無理やり納得させていく王女の演技が、この人ならでは。化け物という褒め言葉がありますけど・・・素晴らしい。

 あー、時間が足りないわ。その3で、ほかの役者さんのことを書くわね。

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その1

 なんだかドキドキしながら劇場へ。5月19日(土)マチネ、新国立劇場中劇場。

『ヘンリー五世』
作/ウィリアム・シェイクスピア 訳/小田島雄志
演出/鵜山仁
出演 浦井健治 岡本健一 中嶋朋子 立川三貴 木下博之 田代隆秀
   横田栄司 勝部演之 那須佐代子 鍛治直人 松角洋平 ほか
 

 2009年の『ヘンリー六世』三部作一挙上演から9年かけて、ここまで辿り着いた。一緒に歩んできた感いっぱいで、感無量なマダム。
 
 一方で、『ヘンリー五世』の予習は呼びかけるのがとても難しくて、ブログにはアップできなかったの。すまない・・・。
 だってね、こればっかりはマダムも舞台は観たことがなくて、本は読んでみたもののピンとこず、せいぜい『ヘンリー四世』の時の人間関係を思い出しておくくらいのことしか、自分自身もできなかったの。
 唯一、BBCのホロウクラウンシリーズで『ヘンリー五世』を観た記憶が頼り。だけど、あれはあれで主役のトム・ヒドルストンが素敵すぎてスター映画になっちゃってた感が否めない。結局、心構えなし、あたま空っぽの状態で、観劇の日を迎えたの。
 でも、ぜんぜん難しいことはなくて。面白かった〜。3時間があっという間。
 
 芝居って、演出家が本をどう解釈しイメージしたのかを、目の前で見せてくれるものだ。そう捉えた時、鵜山演出が『ヘンリー六世』以来ずっと見せてくれたものは、なんて豊かだったことか! 役者を育て、カンパニーの絆を確かなものにしてゆき、それぞれ1本の芝居として面白く作りながら、シリーズとして、大きな時代のうねりと権力争いの諸行無常を描き得た。新国立劇場のプロデューサー、鵜山さん、大勢のすべての座組の人たち。マダムをここまで連れてきてくれて、ホントにありがとう。
 
 『ヘンリー四世』で自由に遊びまわっていたハル王子は、王座につき、ヘンリー五世となった。覚悟して王となったヘンリーのその後は、苦い人生だ、というのが鵜山演出の解釈なのね。
 王座に就いた時の純白の衣装は、戦闘を繰り返すたび、返り血でどんどん汚れていく。軍の規律を守らせるために、かつての遊び仲間を処刑しなければならない苦痛。アジンコートの戦いの奇跡の勝利は、なぜだか喜びを呼び込まない。生き残ったピストルは、かつてのフォルスタッフのような庶民の本音を高らかに叫んではくれず、仲間は全員死んでひとりぼっちになっていく。ラストのヘンリーの深紅の衣装は、赤バラの赤なのだけれどマダムには、完全に血に染まって白いところがなくなったかのように見えたよ。
 鵜山演出の真骨頂は、ヘンリーが戦勝国の王としてフランス側にすべてを要求するところ。
 マダムはホロウクラウンシリーズ版と真逆な展開に驚き、そして納得したの。
 ホロウクラウンでは、フランス王たちが皆腰掛けていて、ヘンリーはずっと立ったままだ。フランス王たちが不遜で、ヘンリーはなんだか謙虚。でも鵜山版では、ヘンリーだけが腰掛けていて(しかも偉そうに・・・でも当然だよね、勝った側なんだから)、フランス王以下全員、おびえながら並んで立ってる。そして王女を残して全員が退出する時の、フランス王妃の怯えた辛そうな顔といったら!戦利品として娘が奪われていくのがわかっていても、もう止めることができないのよ。
 そのあとの、王女キャサリンを口説くシーン。ホロウクラウンでは、ヘンリーは優しくて紳士的で、礼儀正しくキャサリンの愛を求めていて、めっちゃトムヒが素敵なんだけど、鵜山版を見たら、ありゃ嘘だな、と思っちゃったマダム。だって、戦利品として王女との結婚はもう誰の目にも明らかで、別に腰を低くして相手を説得する必要なんかないんだもの(あくまで、当時の戦国の世の習いとして、ね)。
 だから口説く必要のない相手とわざわざ一対一になって、ほとんど襲いかかってる浦井健治、じゃなくってヘンリーってさ・・・キャサリンに一目惚れしたのかもしれないけど、勝てば官軍でやりたい放題に見えたし、それが鵜山演出だったのよ。(ただこのシーンが下品にならないのは、浦井ヘンリーだからなんだよね。)
 でもそこにマダムは納得したよ。当時の王や王族に、個人としての幸せなんてほぼ無いんだってこと。だからこそ婚礼を暗示して終わるラストが悲劇の始まりとして、『ヘンリー六世』につながっていくの。
 そして観終わった人はみな、次にまた『ヘンリー六世』を観たくなってしまうの。エンドレス。こりゃ、鵜山魔術だね・・・。
 
 そのほかのことについては、その2でまた書くね。とりあえずみんな、アンケートに『リチャード二世』を同じ座組で、と希望を書くこと!

楽しさと物足りなさと『ブロードウェイと銃弾』

 日比谷はなんだか綺麗になりつつある。2月17日(土)マチネ、日生劇場。

『ブロードウェイと銃弾』
脚本/ウディ・アレン オリジナル振付/スーザン・ストローマン
演出/福田雄一
出演 浦井健治 城田優 平野綾 保坂知寿 愛加あゆ
   ブラザートム 鈴木壮麻 前田美波里 ほか


 浦井健治と城田優が二人主役の、華やかなミュージカル。
 浦井健治演じるデビッドは翻弄される新米脚本家で、オロオロしまくりのところがなんだか本人を感じさせて可愛かったし、歌声は甘くて伸びやかだったし、城田優演じるチーチはマフィアの子分なんだけどダンディで、ダンスシーン(タップが素敵)もカッコいいし、楽しいミュージカルだった。アンサンブルもレベルが高かったし。とりあえず、なあんにも考えず、二人のイケメンをたっぷり堪能。
 
 で、見終わった後は、何にも残らなかった!
 楽しかったんだからそれでいい、とも言える、のかもしれないけど。
 でもよく考えると、いろいろわかんない。デビッドが作ろうとしてた芝居がどんな芝居なのか全然わからなかったので、チーチが思いついたアイデアがどれほど良いものなのか、ピンとこない。そこがわかんないと、二人の関係性もちゃんと伝わってこないし。マフィアのボスも、どこかゾッとする怖さが欲しかったし、チーチがオリーブを殺しちゃうのも、殺しは殺しなので、チーチの冷酷さがちゃんとあったほうがいいしね。
 デビッドが、エレンとヘレンを行ったり来たりするところも、男の情けなさを存分に描いて欲しかったな〜。主役だからって、抑えめにしてるのかしら?
 デビッドは、いったいどんな男だったんだろ?
  
 で、ここからは作品からちょっと離れてしまうかもしれないんだけれどさ。
 
 昨年末の総括の記事を書いた後むむむと思ったのは、ここのところ何年にも渡ってマダムが肩入れしてきた浦井健治の名前が、記事の中に一度も出てこなかったことでね。
 もちろん彼が出演している作品は全部観ているし、毎回感じるところ、楽しいところはあるんだけれども、マダムが期待する(というより期待とか想像とかをはるかに上回ってびっくりする)演技はしばらく観られていないの。今回の『ブロードウェイと銃弾』もしかり。コメディだから、っていう単純な話じゃない。
 『ブロードウェイと銃弾』に関して言えば、彼だけの問題じゃなくて、1本の芝居として深みがないの。
 禁酒法時代のギャングの話とか、ギャングが芸能界の後ろ盾だったりする話は、たくさんあって(例えばジャージー・ボーイズにもしっかり出てくるでしょ?)、ウディ・アレンはその伝統にのっとって、その伝統を知り尽くしたうえで、パロディのようなそうじゃないようなものを作ったんだと思うのね。で、向こうではウディ・アレンだけじゃなくて、役者も観客も肌でわかるのでしょう。でも日本の若手の役者さんたちは、そういうバックボーンが無いのよ。そこを演出家が放置すると、楽しくても深みや苦味がない話が出来上がっちゃう。 
 でも演出家が放置した部分を、自分でちゃんと埋めて作り上げるのも、主役の役割とも言えるわけで。全部は埋められなくても少しは、できないとね。
 まあ、本人が読んでないのに、こんなこと書いたってしょうがないわけだけど。
 浦井く〜ん、期待してるよ〜。

日韓合同公演『ペール・ギュント』

 今年は三軒茶屋にたくさん通ったな〜。12月10日(日)マチネ、世田谷パブリックシアター。

『ペール・ギュント』
原作/ヘンリック・イプセン 翻訳/クァク ボクロク
上演台本・演出/ヤン・ジョンウン 上演台本翻訳/石川樹里
出演 浦井健治 趣里 マルシア ユンダギョン ソドンオ キムボムジン
   チョウヨンホ 浅野雅博 石橋徹郎 古河耕史 ほか

 
 イプセンの有名な戯曲だけれど、あんまり上演されることがなくて、マダムは初見。ここのところ忙しくて、予習もままならなかったんだけど、見終わって思ったのは、予習しててもしてなくても変わらなかったかなあ、と。
 お話自体が好みじゃなかった。自分探しって言葉は好きじゃないな。演出もマダムが最近苦手としている串田和美に通じる匂いがあって、正直、あまりピンとこなかった。ビジュアルは綺麗で楽しかったのだけれど。
 なので、以下、二、三、感じたことを書いて、短く終わりにするね。

 
 日韓合同公演で、半分が韓国の役者さんだったのだけれど、存在感で日本の役者を圧倒していた。彼らの動きには目を見張ったの。一人一人の身体能力、台詞の強さ、いずれも日本の役者は負けてしまってるなあ、と。
 もちろん演出家が韓国の人だから、感覚的に通じるかどうかで、日本の役者はハンデがある。
 それとね、彼らの台詞は韓国語。舞台の上に字幕が出る。そうすると、耳から聞こえる台詞の音の強さと、目から入ってくる字幕の漢字の強さで、インパクトが2倍になるのよね。日本人の役者は、聴覚だけに訴えているので圧倒的に不利。主演の浦井健治はずっと出ずっぱりで凄くがんばっているのだけれど、早口になると意味が聞き取れない箇所があり、こちらの集中力が切れてしまう。
 演出家は、日本語の台詞の良し悪しまで指摘してはくれないのよね、きっと。外国人演出家には日本人の演出補が必要なんじゃないかと感じたわ(プルカレーテの時の谷賢一のような存在が)。

 ペールって美しいけど、中身はろくでなしなのだろうと思う。浦井ペールにはろくでなし感が足りないと思った。彼本人が持っている人の良さや優しさがにじみ出てしまっていて(それはそれでいいのかもしれないが)、どうしてもろくでなしになってしまう人間の業の深さが表現できていないよ。
 でも演出されれば、彼は表現できるんじゃない? 細かく要求されずに任されると、本人の普段の性格からはみ出たものは表現できないんだよね、きっと。(やっぱり日本人演出補が必要だったんじゃない?)
 一緒に見た友人たちは意外とあれでよかった意見だったんだけど、マダムは腑に落ちなかったの。そこんとこは、好みの問題になってしまうんだろうか?

進化した『デス・ノート』

 今月の、好きな役者の芝居、最後を飾る。9月16日(土)マチネ、新国立中劇場。

『デス・ノート THE MUSICAL』
原作「DEATH NOTE」
音楽/フランク・ワイルドホーン 演出/栗山民也
歌詞/ジャック・マーフィー 脚本/アイヴァン・メンチェル
出演 浦井健治 小池徹平 唯月ふうか 髙橋果鈴 濱田めぐみ
   石井一孝 別所哲也 ほか

 
 初演から2年。
 もとのお話にそれほど深みはないわけなので、めっちゃ感動、とはならないのだけれど、それでも色々と進化して、洗練されていたので、感心したの。
 
 浦井健治の夜神月も、小池徹平のLも、すごく上手くなっていた。初演の時は、もっと一本調子だったのが、浦井ライトは、だんだん邪悪になっていく変化が表情や声に細かく現れていたし。小池Lは、以前は猫背のまま歌うのが苦しそうだったんだけど、いまやあの猫背があたりまえになったのかしら。歌の安定度、抜群。
 キャストも、死神リュークは吉田鋼太郎から石井一孝に、ライトの父が鹿賀丈史から別所哲也に代わって、全体のバランスが良くなったね。吉田リュークはどうしたって舞台全体をさらっていてしまう感があった。石井リュークも基本的に同じ演技だったんだけど、芝居全体の中に溶け込んでいた。演出が全体を修正できたのだと思う。
 更に、アンサンブルも上手くなって、歌に厚みが出ていた。マダムはプログラムを買わないので、細かい配役の変化はよくわからないけど、メンバーも変わり、人数も増えたのかしら。ライトの父を囲む刑事たちも、グレードアップしてたの。
 なので、このお話が持ちうる限りの厚みが加わって、なかなか良作に育ってた。惜しいのは、唯一つ、衣装ね。死神の衣装のデザインは素敵なのだけれど、夜神月を含む若者の服が、ダサいの。妹も相変わらず、変な組み合わせの衣装で、かわいそうだし。今時、その辺を歩いている若者の方がよっぽどおしゃれ。渋谷のスクランブル交差点でライトとミサミサが出会うところなんか、もっとスタイリッシュになってもいい場面なのに、若者たちが垢抜けないので、渋谷らしくない。それからミサミサのコンサートシーンだって、衣装次第でもっともっとカッコよくできて、見せ場の一つになるのに。
 衣装問題さえクリアできたら、このミュージカルは、傑作まではいかないまでも佳作として残っていくことができるよ!主役クラスの顔ぶれが変わったとしても。
 
 そう。マダムは今回2列目という良席だったので、かぶりつきで浦井ライトの演技を堪能した。どんどん変わっていく表情や、いい声や、歌の演技力をたっぷり味わって、すごく幸せだったの。そして「でも、もうこれが最後だな」と思ったのよ。高校生を演じるのは。
 童顔だし、声が若いし、演技力でやれてしまうんだけれども、もう少年の体型じゃないんだもん。
 これは文句ではなくてね、そろそろ高校生の役を卒業し、大人の男の役をやってもいいんじゃないか、と思ったわけなの。わかるでしょう?
 『デスノート』というミュージカルが、マダムの予想に反して佳作に育ってきているので、再再演とかがあるかもしれない、と感じたの。でもそれは、次の人に手渡して、もっと違う、大人の役に進んでいってほしい。どんな役だって、できるもの。
 
小柄な小池徹平のほうは、あと5年くらいLが出来そうな感じだったけどね。

様式美な『王家の紋章』再演

 春うららな平日。仕事を休んじゃったよ。4月13日(木)マチネ、帝国劇場。

ミュージカル『王家の紋章』
原作/細川智栄子 あんど芙〜みん
脚本・作詞・演出/荻田浩一 作曲・編曲/シルヴェスター・リーヴァイ
出演 メンフィス:浦井健治 キャロル:新妻聖子 
   イズミル:平方元基 ライアン:伊礼彼方 アイシス:濱田めぐみ
   イムホテップ:山口祐一郎 ほか

 初演を観て、結構お腹いっぱいだったので、再演に行くかどうか、迷ったの。
 殆ど浦井メンフィスの定点観測みたいな意味で、行ってみることにしたのだけれど、初演の時は日程の都合を優先して失敗したので、今回はキャストの組み合わせを吟味して、新妻キャロルの日に行ってみた。
 それはやはり正解だったね。初演に比べて、キャロルの細やかな感情の揺れが出ていたし、たとえば同じ遺跡のお棺の上の花を素手で取り上げるにしても、恐る恐るな感じがあって、「え?素手で?」みたいな反感は起きなかったしね。ラブシーンもちゃんとしてたしね。
 
 再演にあたって、演出家は色々と手を加えていたの。装置はだいぶ派手になって、初演のスカスカ感はかなり解消されていたし、衣装もメンフィスは多分、増えてたように思う。でも、一番手を加えたのは、台本ね。
 一幕については、余分な枝葉を取り除いて整理して、だいぶわかりやすくなったなあと思った。でも二幕になったら、話がスッキリしすぎて内容の深みのなさが露呈したような。アイシスの姉の横恋慕も後ろに引っ込み気味だったし。やっぱり二幕はイケメン三人(メンフィスとイズミルとライアン)を観ててくださーい、みたいになってて、それが初演より強化されて様式美になってるんだった。マダムは(あまり詳しくはないんだけど)宝塚みたい、とちょっと思った。
 結局、どこをどう直そうが、もともとテーマに深さが無い以上、味わいを増すことは難しいのね。あとは様式美をどんどん極めるしか手がないのかもしれない。
 
 浦井メンフィスは、傲慢不遜な王様の部分は変わらず、でもキャロルに恋をし始めてからの歌声が、初演よりも、優しい声になっていて、「キャロルと出会って変化するメンフィス」を精一杯表現していたわ。マダムはその優しい歌声が好きなので、それが聴けて嬉しかった。けれど、彼の役者としての力量も幅も歌の力も、こんなものではないものではないと考えているので、もっと深い(深刻な役、という意味ではないの。やり甲斐のある役、と言う意味です。)役をやらせてあげたいとしみじみ思ったのだった。
 

浦井くん、芸術選奨新人賞受賞

 ビッグニュースが飛び込んできたよ!
 我らが浦井健治が、平成28年度芸術選奨<演劇部門>文部科学大臣新人賞を受賞した〜。
 やった〜!おめでとう!
 文科省もたまには良いことするよー。えらーい(この件に関しては)。
 文科省のHPで受賞の理由をしっかり読んできたんだけど、この1年間の「タイプの異なる4作品で、俳優としての進化を強く印象付けた。」ってことだ。4つの作品とは、『アルカディア』『あわれ彼女は娼婦』『王家の紋章』そして『ヘンリー4世』ね。全部、観てるっ!当然〜。

 今年の出演予定作は全てミュージカルだし、半分は再演。マダムとしては1作くらいは手強いストレートプレイをやってほしかったの。それが役者としての可能性をもっと押し広げてくれるだろうと期待しているから。いや、そんなことより、演技の稲妻に出会いたいから!
 でも、マダムの願いを聞き入れて(?)、映像に出演するのを最小限にして舞台に精進してくれてることを、ホントに感謝してる。来年の『ヘンリー五世』も決まってることだし、それまでは頑張って生きることにしてるから、まあいいかしらね。

 おめでとう。浦井くん自身と、浦井健治ファン(つまりマダムたち)、本当におめでとう!

『ビッグ・フィッシュ』を観る

 黄色と青の組み合わせは大好き。2月12日(日)マチネ、日生劇場。

『ビッグ・フィッシュ』
脚本/ジョン・オーガスト 音楽・詞/アンドリュー・リッパ
演出/白井晃
出演 川平慈英 浦井健治 霧矢大夢 赤根那奈 藤井隆
   JKim 深水元基 りょうた 鈴木蘭々 ROLLY ほか

 
 とても良いミュージカル。楽しくて、美しくて、ほろ苦くて、じーんとする。
 やっぱり、どんなにきらびやかに作ってあっても、物語の底を流れるテーマがなくては良いものはできないのだわ。

 大袈裟な語りが大好きな父エドワード(川平慈英)と、そんな父を斜めに冷ややかに見ている息子ウィル(浦井健治および子役のりょうた)の物語。
 結婚を控えてウィルは、しばらく離れていた実家に時々行くようになるの。実家は彼にとって少し苦い思い出のあるところ。父エドワードの何事も大袈裟に語るところが、ウィルは苦手なの。
 そこから回想になって、ウィルが幼い頃、エドワードが話してくれたあらゆる体験談が、夢のように次々舞台上で繰り広げられるのが楽しい。若い頃に夜の森で魔女に出会い、自分の一生(特にどんなふうに死を迎えるか)について予言をきいたこと。故郷の村に巨人がやってきて、みんなは恐れたけど自分だけは友達となって一緒に旅したこと。奥さんのサンドラとは、サーカスで働いている時に出会って、一目惚れしたこと・・・だけど、幼い頃は楽しかった父の話も、年を重ねるごとにウィルは、胡散臭さを感じるようになる。実際、大人になったウィルとは、親子の真面目な会話が成立しない。釣り上げた魚の大きさが何倍にも語られるように(ビッグ・フィッシュ!)、全てが嘘くさく、押し付けがましくて、ウィルは本当の父はどんな人なのか、さっぱり理解できない。
 その気持ちを歌った歌「Stranger」が素晴らしいの。自分の父親で、いろんな話をしてくれたけれど、でも「知らない人」なんだ、よくわからないんだ、遠いんだ、って歌ってる。この曲、浦井健治単独コンサートのとき歌ってくれたんだけど、そのときと印象が全然違ってた。コンサートのとき「まだ白井さんの演出を受けてないので譜面通りに歌います」ってヘンな前置きして歌ってくれたんだけど、そしてそのときも、なかなか良い曲だなとは思ったけれども、演出を受けウィルという役になって歌うと、こんなにも切々と胸にくる歌になる。役者歌、ますます健在だー。
 
 結婚したウィルにもうすぐ子供が生まれるという頃、エドワードの病気が見つかり、死期が近いことがわかる。それと同時に、ウィルは父の机の中から、知らない家の権利書を発見して、父には秘密がある、と思うのね。権利書にはエドワードの名前の他に、見知らぬ女性の名もあって、ウィルは、この家があるエドワードの故郷の町に行ってみることにするの。お父さんには、お母さんの他に女がいたんだ、とウィルは考える。お父さんは、それを隠すために、あんなホラ話ばかりしてきたに違いない!
 果たして、権利書の示す住所には小さな家があり、テラスで編み物をしている老女がひとり。ウィルが近づいていくと、彼女ジェニーはひと目でエドワードの息子だとわかり、話してくれるの。エドワードが家族にも話さなかった、故郷の町に起こったこと。エドワードがジェニーにしてくれた全てのことを。
 大袈裟な父が隠していた本当のことは、ウィルのわだかまりを解かすのだけれど、それと同時にエドワードには死が訪れるの。
 父親の隠された秘密がわかってやっと「Stranger」じゃなくなったときには、もうこの世にはいない。それって、人生の真実かもしれないね。
 
 役者さんたちがみんな、なかなか良かった。歌も踊りも演技も上手い人たちが揃ってる。これ、日本のミュージカルだと、まだなかなか無いことなのよ。
 サンドラ役の霧矢大夢、初めて見たけど、老夫婦のときと回想シーンの若いときが交互にやってきても、どちらも自然で、上手いなあって思ったわ。若いときの踊りがとても可愛かった。
 川平慈英は言わずもがなの上手さだったわ。そして、マダムは30年くらい前に初めて彼の名前を憶えた日のことを思い出した。あれは坂東玉三郎初演出の「ロミオとジュリエット」。主演の真田広之を見に行ったんだけれど、劇場を出たときには「誰、このティボルトやってる人。なんなの、このインパクト。かびらじえいっていうのか・・・」ってことで頭がいっぱいだったあの日のことを。
 さらに演出の白井晃。回想シーンが楽しくて美しかったんだけど、ふと、遊機械全自動シアターの円形劇場がよぎった。これももう30年前になるのね・・・。
 遠くまで来ちゃったよ。と思っちゃったマダムでした。
  

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