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岡本健一

2019年10月12日 (土)

『終夜』 夫婦であること 親子であること と生きること

 秋の初日といってもいい冷んやりした午後。10月6日(日)マチネ、風姿花伝。
 
『終夜』
作/ラーシュ・ノレーン  翻訳/岩切正一郎
演出/上村聡史
出演 岡本健一 栗田桃子 斉藤直樹 那須佐代子
 
 同じラーシュ・ノレーン作の『ボビー・フィッシャーはパサデナに住んでいる』を、同じ風姿花伝で観て唸ったのが記憶に新しいと思ったのだけど、もう5年経ってるんだって(そのレビューは http://madam-viola.tea-nifty.com/blog/2014/08/post-2bd7.html ) 。5年!? ちょっとショックだ。深く考えないようにしよう。
 『終夜』は、『ボビー・フィッシャー』と同じく、得られぬものを求めるが故に絶望する夫婦の、一夜の物語。
 
 なかなか面白かった。圧倒されたというわけじゃなく、「いるよねー、こういう奴」と心の中でうんざりしながら引き込まれてた感じ。登場人物4人全員がダメな奴なの。
 精神科医だけど、自分の妻や子供の精神状態にはなすすべのない中年男ヨン(岡本健一)。
 ヨンの(2度目の)妻で、アル中気味でエキセントリックなシャーロット(栗田桃子)。
 ヨンの弟で、妻に対するマザコン(という表現で、伝わるかしら?)の激しいアラン(斉藤直樹)。
 アランの妻で、ずっと家庭のために自分を抑えて生きてきたが、今、初めての恋愛に夢中なモニカ(那須佐代子)。
 
 ヨンの母親が死んで、葬儀を終え、ヨンは妻のシャーロットと、帰宅する。疲れはてているのに、シャーロットがヨンの弟夫婦を「ウチに泊まっていけば?」と誘ったことがわかり、ヨンは怒りを爆発させる。彼は、弟のアランと仲が悪く、ずっと疎遠だったのだ。果たしてアランとその妻モニカが泊りにやってきて、地獄のような一晩が始まるの。
 4人は一見、まともな社会生活を営む大人なのだけれど、その実、全員が問題山積で、心が破れそうな人間ばかり。ヨンは一度結婚に失敗していて、別れた妻との間にティーンエイジャーの娘がいるのだけれど、娘は引き取った母親からネグレクトにあっている。引きこもり、過食症になり、壊れそうな娘との電話を、ヨンは切ることができず、ずっと受話器を上げたままにしておく。結局、受話器は、その夜の修羅場を電話線の向こうへ全て筒抜けにすることになる。
 ヨンは精神科の医師らしいのだけど、私生活の人間関係はメチャクチャ。周りにいる人間を一人も助けることができない。娘は過食症だし、2番目の妻シャーロットはアル中気味で、ヨンを愛しているといいつつ激しく罵り続ける。弟のアランは、母親に冷たかったとヨンを責め、骨壷を引き取ると言ってきかない。しっかり者の弟風だけど、実は妻の心が若い男に向いてることで、中身はボロボロだ。
 酒が入ってどんどん遠慮がなくなるむき出しの会話から、それぞれの人物像が見えてきて面白いのだけど、マダムはなぜか、重いとか、刺さるとかはあまりなかった。ものすごく知ってる世界だ、と思ったの。場面がヨンのマンションの無機質なリビングだけなので、外国の感じもまったくなくて、翻訳劇であることを示すのが呼び合う名前だけ。これがもし、洋一郎と沙織と晃と萌子、みたいな名前だったら、そのまま日本の現代劇になりそう。
 というのはね、描かれてる男と女のあり方や、関係性が、日本の状況ととても近いの。男たちは見え方は違えど、結局マザコンで、女に母親になってもらうことしか考えてないし、子供に対しても、親になりきれず、最終責任を女に負わせようとする。女が(妻が)解決してくれると期待してるから、いつまでも自分で問題を向き合うことをしないの。
 一方、女は女で、いつまでも母親役をしなければならないことに絶望してるくせに、男と離れられず、どこにいっても男の精神的ケア役をつい引き受けてしまう。モニカは若い恋人に夢中だけど、その男からも結局精神的母親役を期待されて応えてしまっているのだ。
 アランが海外単身赴任している間に、すっかり夫婦間が冷え切り「俺の帰る(温かい)家庭が、ないよ〜。俺は一体どこに帰ればいいんだ〜!」って泣いてるのなんか、心当たり有りまくりよ。日本のアラン、周りにいすぎで、笑える。
 
 安直な結論に至らない、ある意味、絶望的な終わりかたなのも、すんなり納得した。問題と向き合わない限り、ずっとこのまま。
 
 役者はみんな手練れのうまさで、嫌な奴を見事に体現してた。小さい小屋ならではの緊張感の伝わり。岡本健一がきめ細やかに、自身と同年齢の中年男を演じてるの、新鮮だった。そうだよ、彼、中年だったんだよね。普段、忘れがちだけど。贅沢だなあ、こんな近距離で見つめてて。
 
 一つ疑問点があって。ヨンとシャーロットの間の子供って、小さいんだよね?家の中であんなにわめいてたら、起きてきちゃうのが普通じゃない?それとも、あの子供は、まぼろし?
 疑問を解決するために再見するには、3時間40分はちと長いけどね。 

2019年5月 7日 (火)

『ピカソとアインシュタイン』を観る

 連休中の大手町。閑散としてて、歩きやすいこと! 4月29日(月)マチネ、よみうり大手町ホール。
 
『ピカソとアインシュタイン 〜星降る夜の奇跡〜』
作/スティーヴ・マーティン 翻訳/香坂隆史 ドラマターグ・演出補/池内美奈子
演出/ランダル・アーニー
出演(ローズーチーム)岡本健一 川平慈英 水上京香 吉見一豊 間宮啓行 
   香寿たつき 松澤一之 村井良大 三浦翔平
 
 1997年と2000年に、岡本健一と川平慈英の主演で上演されたものの、新訳での再再演なのだそう。
 当時マダムは泥沼の(?)子育て真っ最中で、この公演のことは知る由もなかった。なので今回も予備知識なく、初見だったのだけれど。
 出演者はみんな芸達者で、美しく楽しい舞台だったわ。
 ただ、この台本(世界初演は1993年だそうだ)は20世紀のもので、もう賞味期限が切れているのでは?と感じたことも事実。その辺りも含め、ネタバレありで書いていくね。
 
 
 舞台はパリのバー「ラパン・アジール」。そして時は1904年。
 アインシュタインはまだ相対性理論を発表する前だし、ピカソもまだ無名の時代に、偶然二人がラパン・アジールで出会っていたなら…という想像上の、ある夜の物語。
 アインシュタイン(川平慈英)は、髪ボサボサで、突拍子もない発想を自信たっぷりに喋る若者。今日も、どこか別のバーで待ち合わせしている女性を、わざわざ違うラパン・アジールで待っている。待つ間、店主のフレディ(間宮啓行)やウェイトレス(香寿たつき)や、客のギャストン(松澤一之)と話すのだが、彼が天才的な物理学者とは誰も知る由もない。
 そこへシュザンヌ(水上京香)という若い女が現れ、一同はその美しさにすっかり目を奪われる。シュザンヌは一夜を共にした若い画家のことを探していて、彼との情熱的な出逢いについて語る。そこに偶然やってきたピカソ(岡本健一)こそシュザンヌの相手だったのだが、女たらしのピカソは彼女の顔をすっかり忘れていて、初めて会ったつもりでシュザンヌを口説く。
 そこで繰り広げられるゴタゴタの中から、やがてアインシュタインとピカソは自分たちが求める真理について語り始め、物理学者と画家はこの世紀を自分たちが切り開く、と意気投合する。二人の夢(妄想?)の中に、未来からの訪問者(明らかにエルビス・プレスリー。三浦翔平)が現れて、二人を祝福し、ラパン・アジールは星降る夜となる・・・。

 というようなお話。最初のうちはリアルな会話劇のようで、途中から一気にファンタジーになる。
 リアルな、といってもスティーブ・マーティンだから、どこまでも温かなコメディなんだけど。
 岡本健一、川平慈英をはじめ、皆上手い人たちなので、さりげない会話も聴いていて面白く、飽きさせない。その中でマダムが感心したのは、シュザンヌをやった水上京香。
 出てきた瞬間から若い美しさで、周りの目を奪い、ピカソとの夜の話をあけすけに喋りながらも下品にならない女・・・これはとても難しい役。若くなくてはいけないので、当然若い女優がやるわけだけど、こういう役をやって説得力ある人、なかなかいないよ。日本の女優だと、普段可愛らしいことを求められがちなので、美しくて魅力的で媚びなくて強い、っていうのが演れない人がほとんど。水上京香って誰?と思ったんだけど、『ゲゲゲの先生へ』に出てたらしい。衣装が違いすぎて、記憶と一致しないわ。
 
 初演から20年経って、岡本健一も川平慈英も何十倍も上手くなってると思うのだけれど、やはりこれは若者の芝居なので、当時、観たかったな。すごく瑞々しかったに違いないもの。
 その点では、マダムが行かなかったブルーチーム(アインシュタインを村井良大、ピカソを三浦翔平、プレスリーを岡本健一!)の方が台本に合っていたかもね。
 ただし、それでも、この台本を今、上演することで伝わることはなんなのかしら、という疑問は拭えない
 だってこれは、20世紀を代表するような学者と芸術家(とロックンロールの創始者)の物語で、20世紀末にみんなが「今世紀を振り返り、次の世紀へ進んでいこう」とするための芝居。20世紀末に、最も旬だった本なの。
 だから21世紀に入ってもう20年近く経っちゃってて、しかも、9.11や3.11を経験してしまった私たちにとっては、凄く古びた台本なのね。今やるためには、何かを変える必要があった。
 
 それでね、改めてチラシの解説をよく読むと、「奇しくも日本が平成から新元号に変わる、時代の幕開けに本作が上演される。」と書いてあった。
 やられたね。新元号にあやかろうという企画だったのか。もう全然、的外れというほかない。
 むしろ、全くそんなこと関係なく、この芝居を今やる意味をちゃんと考えていれば、何か違うものになった可能性があるのに。
 
 「芝居はプロデューサーで選べ」と言ってくれた人がいるので、この芝居のプロデューサーが誰なのか名前を探してみたけど、チラシのどこにも載ってなくて、サイトにも載ってなかった。
 これじゃ選びようがないよね。

2019年2月 5日 (火)

祝!岡本健一 読売演劇大賞最優秀男優賞

 我が岡本健一が、今年の読売演劇大賞の最優秀男優賞に選ばれた!めでたい〜!
 おめでとう、岡本くん。
 
 申し訳ないけれど、アイドルだったとき、バンドとしては殆ど興味はなかったの。でも、彼がまだ男闘呼組にいた頃、ドラマの演技を見て、マダムは「何、この子、すごい。魅力的だぞ〜」って思ったんだった。今から30年くらい前のこと。
 それからしばらくして、彼が舞台に惹かれ、活動を舞台に絞ったのを目の当たりにして、マダムはずっと、心の中で応援してきた。このブログでもずうっと、彼のことを推してきたの(皆さま、是非是非、「岡本健一」カテゴリーの記事の数々、この際お読みくださいね)。
 彼はもっと楽な道を選ぼうと思えば選べた。楽に稼ごうと思えば稼げた。
 でも、舞台に立つことに魅了されて、自ら演劇人となることを選んだの。
 そのことがしみじみ、嬉しい。そして、ありがとうって彼に言いたい。
 彼の演技には、役を表現したいというこころざししかない。なのに、色っぽい。
 正直言って、今回の受賞作品が最優秀だったかどうか、マダムはちょっと首をかしげる。彼の出演作で、もっと凄いのがあったぞ、とは思う。でもね、つまりは、彼のこれまでの歩みの全てが受賞作、ってことだよね。

 
 でね、この際なので、業界の方たちに言いたいけど、彼が出演してきたシェイクスピア作品の映像を、みんなが見られるようにしてくださいよ!
 岡本健一の『タイタス・アンドロニカス』のエアロン。『ヘンリー六世』と『リチャード三世』のリチャード。これは彼の代表作でしょ!しかも、公共の劇場で作っている。我々の税金が投入されている。見せなさい!みんなの財産なのよ。
 いったい誰が邪魔しているの?
 
 文句はさておき。
 岡本くん。これからも、自分がいいと思う作品に出て、いいと思う役にチャレンジしてね。その選択に何も文句は言わない。ただ、観に行くだけよ。ずっとね。

2018年5月30日 (水)

続 これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』

 『ヘンリー五世』もう一度観に行ってきた。5月29日(火)マチネ、新国立劇場中劇場。
 行ってよかった。

 浦井ヘンリーが相当良くなっていた!
 滑舌も良くなってたんだけど、それ以上に、王らしい威厳とやんちゃな部分との接合部が滑らかになって、一人の人間としての説得力が増してたの。
 『ヘンリー四世』のときから思ってたのは、ハルって孤独だなってことだったんだけど、王になったらもっともっと孤独になった。本心を語るのは独白の時だけなんだもの。戦いには勝っても、王冠も衣装も血塗られてしまって、清々しかったハルはもう何処にもいなくなってしまった。ヘンリーの孤独がひしひしと感じられて、ラストは胸が痛いくらい。
 
 1度目の時の席はかなり上手よりの端っこだったの。で、2度目はいちばん後ろだけど真ん中ブロック。
 そうしたら見え方が全然違ってて。ていうか、舞台の奥のほうで起きてることが見えてなかったのよ、1度目は。
 特に戦闘シーンは、舞台前方で起きていることと、後方に遠く見える様子が上手く相乗効果を作るようにできていて、イギリス軍の振る旗や上から降りてくる巨大な旗が空間を自在に分けて美しくて、ダイナミック。殺陣は多くない分、布の使い方で、見ごたえあるシーンになってたね。
 
 このシリーズがここまで続いてきて圧巻は、いちばん最後の「説明役」たちの挨拶の台詞だった。台本では説明役はひとりだけど、鵜山演出では数少ない女優(大勢の役者の中でたった3人!)たちに締めを任せた。「ヘンリー五世は・・・世界に冠たる支配権を彼の息子に残しました・・・だが彼を取り巻く多くのものが政権を争うことになり・・・イギリスにも血が流されました。そのいきさつはすでにこの舞台でごらんにいれております
 これはシェイクスピアが自分の一座で、本を書いた順番に上演して『ヘンリー五世』にたどり着いたことを示しているのだけれど、それをそのまま説明できる鵜山組は素晴らしいよ。同じように歩んできたのだもの。
 浦井健治、岡本健一、中嶋朋子をはじめとして、ひとつひとつ取り組んできて、一座になった。
 なので、マダムとしては、これで終わりとは思いたくない。

2018年5月26日 (土)

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その3

 全体的にフランスとの戦争の話だと思い込んでたマダムだったけど、鵜山版『ヘンリー五世』は、意外なほど笑いに満ちて楽しく、わかりやすく、戦闘シーンは短く、テンポよく作られていた。そして、隅々までよく練られて配された役者さんたちの、上手いこと!

 真っ先に名前を挙げなければいけないのは、なんと言っても、「ニラの騎士」フルーエリンの横田栄司。ウェールズ訛りのフルーエリンの台詞は、さしすせそが、しゃししゅしぇしょに翻訳されていて(小田島訳の真骨頂)、ただでさえ大変なシェイクスピアの台詞が早口言葉の練習のようになっていたの。読んでも何を言ってるのかわからないフルーエリンの台詞が、横田栄司の声で聞くとちゃんとわかって、めちゃくちゃ可笑しい。ピストル(岡本健一)との掛け合いは抱腹絶倒。「俺の名前は?」「ピシュトル」「ピ、ス、トル!」「ピシュトル!」「違う!ちゃんと言え!ピストル!」「ピ…。」って、もう可笑しすぎて、うちに帰って本でその箇所を探したけど見当たらない。アドリブだったのね。思い出して再度笑うマダム・・・。
 
 もう一人名を挙げなければいけない人は、フランス軍司令官の鍛治直人。台詞の声量となめらさかが申し分なく、聞いていて心地よいこと。そして空間の使い方が上手いの。おフランス漂う、覇気のないフランス側にあってただ一人、場を仕切って次のシーンへどんどん繋げていくのが、見事なのよ。
 このシリーズはヘンリー六世上演の時から、新劇の劇団出身の役者さんたちが沢山出演して、歴史劇の屋台骨を支えてきたんだけど、なかでもやっぱり文学座って凄いって思うよ。今回、これまでの常連だった今井朋彦が出てなくて、マダムはとても寂しかったんだけど、その分を横田栄司と鍛治直人でさらっていったから脱帽だー。
 
 長いシリーズ、ずっと出続けている役者さんたちに関しては、演技以外も毎回が楽しみ。勝部演之は何回めの司教かな?とか、立川三貴と木下浩之は『六世』の時から金髪でおフランスだったわとか、那須佐代子はまた岡本君とキスする役だねとか(『リチャ三』のときリチャードとエリザベスだったからさ)。
 そしてフランス側の衣装がブルーに金の縫い取りでおしゃれなのに、イギリス側はなんとなくくすんでてグレーっぽいの。それも『ヘンリー六世』に続いていくと考えたら、なるほどって思う。ヘンリー六世の衣装は、みんなグレーのマントだったのよ。
 
 芝居の終わり方が、『ヘンリー六世』に続く!っていう感じだったから、シリーズは一区切りなんだろうかとマダムは不安。もう劇団みたいなものでしょう?ここで解散はして欲しくないの。
 もう一度見に行くので、続編もまた書くね。まとまってないけど、とりあえず今日はここまで。
 
 
 
 

2018年5月24日 (木)

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その2

 前回の『ヘンリー四世』から1年半くらい経っているわけなんだけれど、そしてその間浦井健治はほとんど休むことなく舞台に立ち続けているわけだけれど、マダムはずっと「こんなもんじゃないだろ」と思っていたの。
 すっかりビッグネームになってしまった(そしてマダムも非力ながらその片棒を担いだ)彼だけど、彼の天賦の才は徹底的に演出された時にのみ発揮されるもので、とりあえず真ん中に据えておけばどんな役もできてしまうような俳優ではないのよ。
 そして技術はまだまだ発展途上よ。今回だって、声量も足りないし、長ゼリフを聴かせる技量もあと三歩だ(一歩ではない)。同じ舞台に立つベテランの役者さんと比べたら、わかるでしょう?(ハムレットを望む声があるし、マダムも期待はするけど、ハムレットやるならその前に長期休暇を取って文学座の研究所に入ってみるのはどうかな。あるいは新国立劇場の研究所とか。中堅の俳優も学び直しが必要な時があるでしょ?)
 辛口はさておき。

 技術的なことはいくらでも突っ込めるけど、それでも彼でなければならないヘンリー五世。純白の王の姿は本当に美しいし、凛々しい。どんどん汚れて血みどろになってもなお汚くない(きれいはきたない、きたないはきれいってこのことか!)。威厳を保とうとしても、時折ハルの顔がのぞくところがなんて魅力的。バードルフの処刑を言い渡す時の動揺や、フランス王たちとの交渉の席で王女の顔ばかり見てしまう子供じみた表情・・・。
 浦井ヘンリーが終始努力を強いられている一方で、今回の岡本健一はなんて自由なんだろう!シリーズでこれまでは、必ず敵対する貴族を演じてきたのに、ついに庶民オンリーに。アドリブも出て、めちゃくちゃ楽しそうなの。この自由度は、彼の幅をさらに広げるような気がする。(でも、リチャード二世をやらせて苦悩する顔が見たいと思ってしまうマダムはドSだろうか?)
 そして中嶋朋子。どうやっていたいけな十代のお姫様をやるんだ、と思ったけど。できちゃうんですね。本当の十代の女優ではできないだろう、自分を無理やり納得させていく王女の演技が、この人ならでは。化け物という褒め言葉がありますけど・・・素晴らしい。

 あー、時間が足りないわ。その3で、ほかの役者さんのことを書くわね。

2018年5月21日 (月)

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その1

 なんだかドキドキしながら劇場へ。5月19日(土)マチネ、新国立劇場中劇場。

『ヘンリー五世』
作/ウィリアム・シェイクスピア 訳/小田島雄志
演出/鵜山仁
出演 浦井健治 岡本健一 中嶋朋子 立川三貴 木下博之 田代隆秀
   横田栄司 勝部演之 那須佐代子 鍛治直人 松角洋平 ほか
 

 2009年の『ヘンリー六世』三部作一挙上演から9年かけて、ここまで辿り着いた。一緒に歩んできた感いっぱいで、感無量なマダム。
 
 一方で、『ヘンリー五世』の予習は呼びかけるのがとても難しくて、ブログにはアップできなかったの。すまない・・・。
 だってね、こればっかりはマダムも舞台は観たことがなくて、本は読んでみたもののピンとこず、せいぜい『ヘンリー四世』の時の人間関係を思い出しておくくらいのことしか、自分自身もできなかったの。
 唯一、BBCのホロウクラウンシリーズで『ヘンリー五世』を観た記憶が頼り。だけど、あれはあれで主役のトム・ヒドルストンが素敵すぎてスター映画になっちゃってた感が否めない。結局、心構えなし、あたま空っぽの状態で、観劇の日を迎えたの。
 でも、ぜんぜん難しいことはなくて。面白かった〜。3時間があっという間。
 
 芝居って、演出家が本をどう解釈しイメージしたのかを、目の前で見せてくれるものだ。そう捉えた時、鵜山演出が『ヘンリー六世』以来ずっと見せてくれたものは、なんて豊かだったことか! 役者を育て、カンパニーの絆を確かなものにしてゆき、それぞれ1本の芝居として面白く作りながら、シリーズとして、大きな時代のうねりと権力争いの諸行無常を描き得た。新国立劇場のプロデューサー、鵜山さん、大勢のすべての座組の人たち。マダムをここまで連れてきてくれて、ホントにありがとう。
 
 『ヘンリー四世』で自由に遊びまわっていたハル王子は、王座につき、ヘンリー五世となった。覚悟して王となったヘンリーのその後は、苦い人生だ、というのが鵜山演出の解釈なのね。
 王座に就いた時の純白の衣装は、戦闘を繰り返すたび、返り血でどんどん汚れていく。軍の規律を守らせるために、かつての遊び仲間を処刑しなければならない苦痛。アジンコートの戦いの奇跡の勝利は、なぜだか喜びを呼び込まない。生き残ったピストルは、かつてのフォルスタッフのような庶民の本音を高らかに叫んではくれず、仲間は全員死んでひとりぼっちになっていく。ラストのヘンリーの深紅の衣装は、赤バラの赤なのだけれどマダムには、完全に血に染まって白いところがなくなったかのように見えたよ。
 鵜山演出の真骨頂は、ヘンリーが戦勝国の王としてフランス側にすべてを要求するところ。
 マダムはホロウクラウンシリーズ版と真逆な展開に驚き、そして納得したの。
 ホロウクラウンでは、フランス王たちが皆腰掛けていて、ヘンリーはずっと立ったままだ。フランス王たちが不遜で、ヘンリーはなんだか謙虚。でも鵜山版では、ヘンリーだけが腰掛けていて(しかも偉そうに・・・でも当然だよね、勝った側なんだから)、フランス王以下全員、おびえながら並んで立ってる。そして王女を残して全員が退出する時の、フランス王妃の怯えた辛そうな顔といったら!戦利品として娘が奪われていくのがわかっていても、もう止めることができないのよ。
 そのあとの、王女キャサリンを口説くシーン。ホロウクラウンでは、ヘンリーは優しくて紳士的で、礼儀正しくキャサリンの愛を求めていて、めっちゃトムヒが素敵なんだけど、鵜山版を見たら、ありゃ嘘だな、と思っちゃったマダム。だって、戦利品として王女との結婚はもう誰の目にも明らかで、別に腰を低くして相手を説得する必要なんかないんだもの(あくまで、当時の戦国の世の習いとして、ね)。
 だから口説く必要のない相手とわざわざ一対一になって、ほとんど襲いかかってる浦井健治、じゃなくってヘンリーってさ・・・キャサリンに一目惚れしたのかもしれないけど、勝てば官軍でやりたい放題に見えたし、それが鵜山演出だったのよ。(ただこのシーンが下品にならないのは、浦井ヘンリーだからなんだよね。)
 でもそこにマダムは納得したよ。当時の王や王族に、個人としての幸せなんてほぼ無いんだってこと。だからこそ婚礼を暗示して終わるラストが悲劇の始まりとして、『ヘンリー六世』につながっていくの。
 そして観終わった人はみな、次にまた『ヘンリー六世』を観たくなってしまうの。エンドレス。こりゃ、鵜山魔術だね・・・。
 
 そのほかのことについては、その2でまた書くね。とりあえずみんな、アンケートに『リチャード二世』を同じ座組で、と希望を書くこと!

2018年3月 1日 (木)

翔ぶまで待ちたい『岸リトラル』

 やる側が大変な芝居は、見る側だって大変なのだ。2月24日(土)マチネ、シアタートラム。

『岸リトラル』
作/ワジディ・ムワワド 翻訳/藤井慎太郎
演出/上村聡史
出演 岡本健一 亀田佳明 栗田桃子 小柳友 鈴木勝大
   佐川和正 大谷亮介 中嶋朋子

 
 『炎アンサンディ』が母の物語だとすると、『岸リトラル』は父の物語、かしら?いや、父と息子、の物語だね。
 
 あまりにも圧倒的だった『炎アンサンディ』の記憶(レビューは→ここ )に、身構えながらトラムに向かったのだけれど、身構え方が間違っていたようなの。もっともっと、リラックスして観たらよかった。
 自分の心の中で何かが起きるのを待っていたけど、最後まで起きることなく終わってしまって。芝居が発展途上なのを感じた。でも、そもそも、何かが起きるような芝居じゃなかったのかもしれなくて。その辺、腑に落ちないままなの。

 難民の子として安全な国で育った青年、ウィルフリード(亀田佳明)が、疎遠になっていた父イスマイル(岡本健一)の死を知らされ、遺体を父の祖国レバノンに埋葬するまでのお話(ただし、芝居には一言もレバノンとは出てこない。作家の出身を知っているので、そうだろうなと思いながら観る)。最初は、遺体を国外へ運び出す許可を得るために、ウィルフリードが裁判官か誰かに事情を説明しているシーン。そして許可を得た後、イスマイルの遺品のトランクを受け取って、開けてみると、そこには息子への出せなかった手紙がぎっしり詰まっている。それを読み始めると、遺体が話しだして、父(の遺体)と息子は語らいながら、レバノンを彷徨う。
 メチャクチャ荒唐無稽な話しの運び。父母をほとんど知らず、親類に育てられたウィルフリードは、妄想の中に友達がいて、辛くなると妄想が助けに現れるんだけど、それがアーサー王の円卓の騎士ギロムラン(大谷亮介)の姿をしてるの。
 さらに、ウィルフリードの埋葬の旅を同行取材するスタッフたちが出てくる。これがまた、現実なのかわかりにくい。すごく半端な出方だし。
 遺体は喋るわ、円卓の騎士は出てくるわで、どこからが現実でどこからが夢なのか判然としないの。それでいいのなら、いいと思いたかったんだけど、思えなかったのよ。なにか、立ち上ってきてほしかったんだけど!
 やっぱり始めのうちはもっと現実らしく始まったほうがよかったんじゃないのだろうか・・・そもそも棺が舞台の上に垂直に立ってる状態で現れるのがもう、現実らしくないので、これが演出の狙いなのだろうけれど。で、夢(悪夢も)のほうは夢のほうで、軽みというか浮かび上がる感じがあまりないの。舞台全体がずっとモノトーン(実際の色ではなくて、基調が)。
 
 レバノンに着いたウィルフリードは父の遺体を入れた籠を背負い、埋葬にふさわしい場所を探して、歩き回る。ウィルフリードは父と母の出会いや、自分が生まれた時のことをやっと知ることができる。旅の途中、現地の若者がひとり、またひとりと、旅に加わる。みんな、父や母を亡くしている。内戦の最中、父と気付かずに父を殺してしまった青年もいる。皆、傷を負っている。彼らはウィルフリードの旅に自分たちを重ね合わせ、イスマイルの埋葬を、自分たちの親の埋葬のように思って旅を続け、やがて海にたどり着く。このくだりは内戦への鎮魂がこもっていて、とてもいいの。一方で、その過程でウィルフリードが解放されていくようには見えない。ウィルフリード自身の鎮魂の旅でもあるのに、彼の変化の表現が足りない。
 ウィルフリードは岸辺で、父の遺体に重りをつけ、海に葬る。
 このシーンはクライマックスだと思うし、腐敗し始めた遺体を水で洗うシーンは、青い塗料を塗りつけるという実験的な演出だった。だけど、弾けないんだよね、なぜか。
 レバノンの岸辺といえば、地中海なのよ。もっと残酷なくらい光がまぶしく、青さも明るくて、そこに沈んでいく・・・みたいなカタルシスがほしかった。何が足りなかったのか・・・そうなるには、もう少し稽古(逡巡)の時間があったほうがよかったのかもしれないわ。
 
 それにしても岡本健一と中嶋朋子はやっぱり百戦錬磨だ。この二人があと何人かいてくれたら・・・とチラリと思ってしまったのは、言わないほうがよかったかしらん・・・。

2017年9月17日 (日)

『クライムズ オブ ザ ハート 心の罪』を考える

 好きな役者さんの舞台が次々。9月9日(土)マチネ、シアタートラム。

『クライムズ オブ ザ ハート 心の罪』
作/ベス・ヘンリー 翻訳/浦辺千鶴 
演出/小川絵梨子 
出演 安田成美 那須佐代子 伊勢佳世 渚あき
   斉藤直樹 岡本健一

 
 観に行って1週間以上経つけれど、レビューをなかなか書き出せなかった。
 というのも、興味深く観たんだけれど、腑に落ちない気持ちがマダムを覆っていたから。
 一方で、この顔ぶれでウェルメイドなのに、土曜のマチネでも空席が目立つ状態だったの。そこへもってきて、さらに内容に対して疑問を呈すれば、公演の邪魔をしてしまう気がして。もちろん、マダムの個人的な感想なんか、さしたる影響ないよ、と言われればその通りなんだけれど。
 
 アメリカ南部の田舎町の、三人姉妹のお話。
 女が、銃を構えて、誰かに発砲する。が、それが誰なのかは、少しの間伏せられて、舞台上の家のセットに、疲れ果てた顔の長女レニー(那須佐代子)がヨロヨロと帰ってくるところから本当のお話が始まる。レニーは、入院中の祖父の見舞いに行って、帰ってきたところで、更に三女ベイブ(伊勢佳世)が引き起こした事件を解決するため、家を離れている次女メグ(安田成美)の帰りを待っている。

 最初の方の会話の中ですぐに、ベイブが夫をピストルで撃ってしまったことがわかって、ああ、さっきの出だしのシーンはそういうことか、と思うんだけど、謎を引っ張ることなく解明しちゃったので、ちょっと肩透かしだったの。謎でもなんでもなかったんだな、って。
 出だしのシーンは、台本に最初からあるのかしら? あるよね。
 
 それから美しい次女が帰ってきて、更に保釈されたベイブも帰ってきて、三人姉妹が揃い、そこへ隣に住む従姉妹のチック(渚あき)やベイブの弁護士バーネット(岡本健一)やメグの元彼ドク(斉藤直樹)が次々やってくる。会話の中から、三人姉妹の境遇や、今抱えている問題がだんだん浮かび上がってくるの。
 父親は、姉妹が小さい頃に失踪し、母親は自殺。姉妹は祖父母の住む今の家に引き取られたこと。今は、年老いた祖父と長女のレニーだけがこの家に住み、レニーは恋人もなく、仕事と祖父の介護で疲れ果てていること。美人のメグは歌手をしているという話だったが、とっくにやめていて、事務員として働いていること。ベイブの夫は上院議員だけれど、DV男であること。が、ベイブが夫を撃ったのは、それ以外に重大な理由があること。
 
 彼女たちの抱える問題はそれぞれ深刻なんだけれど、行き交う会話の中では思わず笑ってしまうことも多くて、コメディタッチな芝居。レニーが誰にも祝ってもらえない誕生日を自分で祝おうとしたり、ベイブが自殺を図ろうとしても首を吊るための縄をかけた梁が折れたり、深刻と滑稽が同居している物語なの。丁寧に演出されている、とも感じたわ。
 そうなんだけど、いろいろよくわからないことがあって、わからないまま芝居が終わってしまったの。たとえば、家の(セットの)構造がどうしても理解できなかったのよ。玄関らしい場所があって、レニーが鍵を開けるシーンがあるにもかかわらず、全然違う場所から他人が出入りしたり、窓があるのかないのか、外を歩いてる人とアイコンタクトがあったりするの。その法則が最後まで腑に落ちず、気になるのが煩わしかった。
 いつの時代のお話なのかも、なかなかわからなくて。セットや衣装などからは判断できず、唯一のヒントはダイヤル式の電話。そこから、1970〜80年代かなあ、と推測した。それと、アメリカ南部の田舎町らしいことはセリフでわかるのだけれど、セリフでわかる以上の空気感、圧迫感、差別感などは流れてこない。ベイブが黒人の男の子とセックスしてしまったことが、致命的な醜聞になるんだろうとは思うんだけれども。思うけれども、それがどれくらいの重大さなのか、よくわからないんだよね。ベイブの感じている深刻さはともかく、写真を見せられた弁護士や、姉のメグの反応はなんだか鈍いし。
 もともとこっちには1980年頃のアメリカ南部について予備知識がなさすぎるから。
 日本の観客はみんなこんなもんだと思うけど。
 
 いちばんわからないのは、題名かも。全然違う邦題をつけられたら、よかったのに。

 わからなすぎたので、新聞の批評を読んでみたら、ベイブの相手の黒人の男の子の年齢設定、もとの本では15歳となっているところを20歳に変更したのはどうしてか、と書かれていて。それで、ますますわからないことが増えてしまったのだった。
 さらに、気になったのは、亡くなった中嶋しゅうが、メグの元彼の役をやるつもりだったのか?ということで、もはや芝居の出来とは何の関係もないよね。すみません。
 
 期待していた岡本健一の演技の稲妻は不発だった。本筋を背負う役ではなかったからね。でも彼は役の大きさに関係なく、なりきってしまう。今回の、切れ味の悪そうな人の良い新米弁護士も、上手いなあと思ったし。
 イキウメを退団して全力活躍中の伊勢佳世が、役の幅をどんどん広げていくのには感心しちゃった。それがいちばんの収穫だったわ。

2017年1月12日 (木)

速報!浦井ヘンリー五世、再び

 きゃっほー!
 みんな、もう聞いてる?
 新年早々、来年の話なんだけど、2018年5月、新国立劇場で『ヘンリー五世』の上演が決まったよ!!
 主演は勿論、浦井健治その人。やった〜!これまでの鵜山組、続行よ。
 喜びのあまり今、うちで「We will Rock You」かけながらひと踊りして、マダムは、ツイッターのアイコンをヘンリー五世仕様にしたので、ツイッターの方もよろしくね。(ていうか、受験生の母の顔はどこにいったのかしら〜〜〜?)

 ヘンリー四世、観なかった人はもう、後悔してるでしょ?
 そうだよ、シリーズなんだから、見続けると喜び倍増なのよ。
 来年まで、頑張って生きるぞー。

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