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岡本健一

続 これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』

 『ヘンリー五世』もう一度観に行ってきた。5月29日(火)マチネ、新国立劇場中劇場。
 行ってよかった。

 浦井ヘンリーが相当良くなっていた!
 滑舌も良くなってたんだけど、それ以上に、王らしい威厳とやんちゃな部分との接合部が滑らかになって、一人の人間としての説得力が増してたの。
 『ヘンリー四世』のときから思ってたのは、ハルって孤独だなってことだったんだけど、王になったらもっともっと孤独になった。本心を語るのは独白の時だけなんだもの。戦いには勝っても、王冠も衣装も血塗られてしまって、清々しかったハルはもう何処にもいなくなってしまった。ヘンリーの孤独がひしひしと感じられて、ラストは胸が痛いくらい。
 
 1度目の時の席はかなり上手よりの端っこだったの。で、2度目はいちばん後ろだけど真ん中ブロック。
 そうしたら見え方が全然違ってて。ていうか、舞台の奥のほうで起きてることが見えてなかったのよ、1度目は。
 特に戦闘シーンは、舞台前方で起きていることと、後方に遠く見える様子が上手く相乗効果を作るようにできていて、イギリス軍の振る旗や上から降りてくる巨大な旗が空間を自在に分けて美しくて、ダイナミック。殺陣は多くない分、布の使い方で、見ごたえあるシーンになってたね。
 
 このシリーズがここまで続いてきて圧巻は、いちばん最後の「説明役」たちの挨拶の台詞だった。台本では説明役はひとりだけど、鵜山演出では数少ない女優(大勢の役者の中でたった3人!)たちに締めを任せた。「ヘンリー五世は・・・世界に冠たる支配権を彼の息子に残しました・・・だが彼を取り巻く多くのものが政権を争うことになり・・・イギリスにも血が流されました。そのいきさつはすでにこの舞台でごらんにいれております
 これはシェイクスピアが自分の一座で、本を書いた順番に上演して『ヘンリー五世』にたどり着いたことを示しているのだけれど、それをそのまま説明できる鵜山組は素晴らしいよ。同じように歩んできたのだもの。
 浦井健治、岡本健一、中嶋朋子をはじめとして、ひとつひとつ取り組んできて、一座になった。
 なので、マダムとしては、これで終わりとは思いたくない。

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その3

 全体的にフランスとの戦争の話だと思い込んでたマダムだったけど、鵜山版『ヘンリー五世』は、意外なほど笑いに満ちて楽しく、わかりやすく、戦闘シーンは短く、テンポよく作られていた。そして、隅々までよく練られて配された役者さんたちの、上手いこと!

 真っ先に名前を挙げなければいけないのは、なんと言っても、「ニラの騎士」フルーエリンの横田栄司。ウェールズ訛りのフルーエリンの台詞は、さしすせそが、しゃししゅしぇしょに翻訳されていて(小田島訳の真骨頂)、ただでさえ大変なシェイクスピアの台詞が早口言葉の練習のようになっていたの。読んでも何を言ってるのかわからないフルーエリンの台詞が、横田栄司の声で聞くとちゃんとわかって、めちゃくちゃ可笑しい。ピストル(岡本健一)との掛け合いは抱腹絶倒。「俺の名前は?」「ピシュトル」「ピ、ス、トル!」「ピシュトル!」「違う!ちゃんと言え!ピストル!」「ピ…。」って、もう可笑しすぎて、うちに帰って本でその箇所を探したけど見当たらない。アドリブだったのね。思い出して再度笑うマダム・・・。
 
 もう一人名を挙げなければいけない人は、フランス軍司令官の鍛治直人。台詞の声量となめらさかが申し分なく、聞いていて心地よいこと。そして空間の使い方が上手いの。おフランス漂う、覇気のないフランス側にあってただ一人、場を仕切って次のシーンへどんどん繋げていくのが、見事なのよ。
 このシリーズはヘンリー六世上演の時から、新劇の劇団出身の役者さんたちが沢山出演して、歴史劇の屋台骨を支えてきたんだけど、なかでもやっぱり文学座って凄いって思うよ。今回、これまでの常連だった今井朋彦が出てなくて、マダムはとても寂しかったんだけど、その分を横田栄司と鍛治直人でさらっていったから脱帽だー。
 
 長いシリーズ、ずっと出続けている役者さんたちに関しては、演技以外も毎回が楽しみ。勝部演之は何回めの司教かな?とか、立川三貴と木下浩之は『六世』の時から金髪でおフランスだったわとか、那須佐代子はまた岡本君とキスする役だねとか(『リチャ三』のときリチャードとエリザベスだったからさ)。
 そしてフランス側の衣装がブルーに金の縫い取りでおしゃれなのに、イギリス側はなんとなくくすんでてグレーっぽいの。それも『ヘンリー六世』に続いていくと考えたら、なるほどって思う。ヘンリー六世の衣装は、みんなグレーのマントだったのよ。
 
 芝居の終わり方が、『ヘンリー六世』に続く!っていう感じだったから、シリーズは一区切りなんだろうかとマダムは不安。もう劇団みたいなものでしょう?ここで解散はして欲しくないの。
 もう一度見に行くので、続編もまた書くね。まとまってないけど、とりあえず今日はここまで。
 
 
 
 

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その2

 前回の『ヘンリー四世』から1年半くらい経っているわけなんだけれど、そしてその間浦井健治はほとんど休むことなく舞台に立ち続けているわけだけれど、マダムはずっと「こんなもんじゃないだろ」と思っていたの。
 すっかりビッグネームになってしまった(そしてマダムも非力ながらその片棒を担いだ)彼だけど、彼の天賦の才は徹底的に演出された時にのみ発揮されるもので、とりあえず真ん中に据えておけばどんな役もできてしまうような俳優ではないのよ。
 そして技術はまだまだ発展途上よ。今回だって、声量も足りないし、長ゼリフを聴かせる技量もあと三歩だ(一歩ではない)。同じ舞台に立つベテランの役者さんと比べたら、わかるでしょう?(ハムレットを望む声があるし、マダムも期待はするけど、ハムレットやるならその前に長期休暇を取って文学座の研究所に入ってみるのはどうかな。あるいは新国立劇場の研究所とか。中堅の俳優も学び直しが必要な時があるでしょ?)
 辛口はさておき。

 技術的なことはいくらでも突っ込めるけど、それでも彼でなければならないヘンリー五世。純白の王の姿は本当に美しいし、凛々しい。どんどん汚れて血みどろになってもなお汚くない(きれいはきたない、きたないはきれいってこのことか!)。威厳を保とうとしても、時折ハルの顔がのぞくところがなんて魅力的。バードルフの処刑を言い渡す時の動揺や、フランス王たちとの交渉の席で王女の顔ばかり見てしまう子供じみた表情・・・。
 浦井ヘンリーが終始努力を強いられている一方で、今回の岡本健一はなんて自由なんだろう!シリーズでこれまでは、必ず敵対する貴族を演じてきたのに、ついに庶民オンリーに。アドリブも出て、めちゃくちゃ楽しそうなの。この自由度は、彼の幅をさらに広げるような気がする。(でも、リチャード二世をやらせて苦悩する顔が見たいと思ってしまうマダムはドSだろうか?)
 そして中嶋朋子。どうやっていたいけな十代のお姫様をやるんだ、と思ったけど。できちゃうんですね。本当の十代の女優ではできないだろう、自分を無理やり納得させていく王女の演技が、この人ならでは。化け物という褒め言葉がありますけど・・・素晴らしい。

 あー、時間が足りないわ。その3で、ほかの役者さんのことを書くわね。

これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』その1

 なんだかドキドキしながら劇場へ。5月19日(土)マチネ、新国立劇場中劇場。

『ヘンリー五世』
作/ウィリアム・シェイクスピア 訳/小田島雄志
演出/鵜山仁
出演 浦井健治 岡本健一 中嶋朋子 立川三貴 木下博之 田代隆秀
   横田栄司 勝部演之 那須佐代子 鍛治直人 松角洋平 ほか
 

 2009年の『ヘンリー六世』三部作一挙上演から9年かけて、ここまで辿り着いた。一緒に歩んできた感いっぱいで、感無量なマダム。
 
 一方で、『ヘンリー五世』の予習は呼びかけるのがとても難しくて、ブログにはアップできなかったの。すまない・・・。
 だってね、こればっかりはマダムも舞台は観たことがなくて、本は読んでみたもののピンとこず、せいぜい『ヘンリー四世』の時の人間関係を思い出しておくくらいのことしか、自分自身もできなかったの。
 唯一、BBCのホロウクラウンシリーズで『ヘンリー五世』を観た記憶が頼り。だけど、あれはあれで主役のトム・ヒドルストンが素敵すぎてスター映画になっちゃってた感が否めない。結局、心構えなし、あたま空っぽの状態で、観劇の日を迎えたの。
 でも、ぜんぜん難しいことはなくて。面白かった〜。3時間があっという間。
 
 芝居って、演出家が本をどう解釈しイメージしたのかを、目の前で見せてくれるものだ。そう捉えた時、鵜山演出が『ヘンリー六世』以来ずっと見せてくれたものは、なんて豊かだったことか! 役者を育て、カンパニーの絆を確かなものにしてゆき、それぞれ1本の芝居として面白く作りながら、シリーズとして、大きな時代のうねりと権力争いの諸行無常を描き得た。新国立劇場のプロデューサー、鵜山さん、大勢のすべての座組の人たち。マダムをここまで連れてきてくれて、ホントにありがとう。
 
 『ヘンリー四世』で自由に遊びまわっていたハル王子は、王座につき、ヘンリー五世となった。覚悟して王となったヘンリーのその後は、苦い人生だ、というのが鵜山演出の解釈なのね。
 王座に就いた時の純白の衣装は、戦闘を繰り返すたび、返り血でどんどん汚れていく。軍の規律を守らせるために、かつての遊び仲間を処刑しなければならない苦痛。アジンコートの戦いの奇跡の勝利は、なぜだか喜びを呼び込まない。生き残ったピストルは、かつてのフォルスタッフのような庶民の本音を高らかに叫んではくれず、仲間は全員死んでひとりぼっちになっていく。ラストのヘンリーの深紅の衣装は、赤バラの赤なのだけれどマダムには、完全に血に染まって白いところがなくなったかのように見えたよ。
 鵜山演出の真骨頂は、ヘンリーが戦勝国の王としてフランス側にすべてを要求するところ。
 マダムはホロウクラウンシリーズ版と真逆な展開に驚き、そして納得したの。
 ホロウクラウンでは、フランス王たちが皆腰掛けていて、ヘンリーはずっと立ったままだ。フランス王たちが不遜で、ヘンリーはなんだか謙虚。でも鵜山版では、ヘンリーだけが腰掛けていて(しかも偉そうに・・・でも当然だよね、勝った側なんだから)、フランス王以下全員、おびえながら並んで立ってる。そして王女を残して全員が退出する時の、フランス王妃の怯えた辛そうな顔といったら!戦利品として娘が奪われていくのがわかっていても、もう止めることができないのよ。
 そのあとの、王女キャサリンを口説くシーン。ホロウクラウンでは、ヘンリーは優しくて紳士的で、礼儀正しくキャサリンの愛を求めていて、めっちゃトムヒが素敵なんだけど、鵜山版を見たら、ありゃ嘘だな、と思っちゃったマダム。だって、戦利品として王女との結婚はもう誰の目にも明らかで、別に腰を低くして相手を説得する必要なんかないんだもの(あくまで、当時の戦国の世の習いとして、ね)。
 だから口説く必要のない相手とわざわざ一対一になって、ほとんど襲いかかってる浦井健治、じゃなくってヘンリーってさ・・・キャサリンに一目惚れしたのかもしれないけど、勝てば官軍でやりたい放題に見えたし、それが鵜山演出だったのよ。(ただこのシーンが下品にならないのは、浦井ヘンリーだからなんだよね。)
 でもそこにマダムは納得したよ。当時の王や王族に、個人としての幸せなんてほぼ無いんだってこと。だからこそ婚礼を暗示して終わるラストが悲劇の始まりとして、『ヘンリー六世』につながっていくの。
 そして観終わった人はみな、次にまた『ヘンリー六世』を観たくなってしまうの。エンドレス。こりゃ、鵜山魔術だね・・・。
 
 そのほかのことについては、その2でまた書くね。とりあえずみんな、アンケートに『リチャード二世』を同じ座組で、と希望を書くこと!

翔ぶまで待ちたい『岸リトラル』

 やる側が大変な芝居は、見る側だって大変なのだ。2月24日(土)マチネ、シアタートラム。

『岸リトラル』
作/ワジディ・ムワワド 翻訳/藤井慎太郎
演出/上村聡史
出演 岡本健一 亀田佳明 栗田桃子 小柳友 鈴木勝大
   佐川和正 大谷亮介 中嶋朋子

 
 『炎アンサンディ』が母の物語だとすると、『岸リトラル』は父の物語、かしら?いや、父と息子、の物語だね。
 
 あまりにも圧倒的だった『炎アンサンディ』の記憶(レビューは→ここ )に、身構えながらトラムに向かったのだけれど、身構え方が間違っていたようなの。もっともっと、リラックスして観たらよかった。
 自分の心の中で何かが起きるのを待っていたけど、最後まで起きることなく終わってしまって。芝居が発展途上なのを感じた。でも、そもそも、何かが起きるような芝居じゃなかったのかもしれなくて。その辺、腑に落ちないままなの。

 難民の子として安全な国で育った青年、ウィルフリード(亀田佳明)が、疎遠になっていた父イスマイル(岡本健一)の死を知らされ、遺体を父の祖国レバノンに埋葬するまでのお話(ただし、芝居には一言もレバノンとは出てこない。作家の出身を知っているので、そうだろうなと思いながら観る)。最初は、遺体を国外へ運び出す許可を得るために、ウィルフリードが裁判官か誰かに事情を説明しているシーン。そして許可を得た後、イスマイルの遺品のトランクを受け取って、開けてみると、そこには息子への出せなかった手紙がぎっしり詰まっている。それを読み始めると、遺体が話しだして、父(の遺体)と息子は語らいながら、レバノンを彷徨う。
 メチャクチャ荒唐無稽な話しの運び。父母をほとんど知らず、親類に育てられたウィルフリードは、妄想の中に友達がいて、辛くなると妄想が助けに現れるんだけど、それがアーサー王の円卓の騎士ギロムラン(大谷亮介)の姿をしてるの。
 さらに、ウィルフリードの埋葬の旅を同行取材するスタッフたちが出てくる。これがまた、現実なのかわかりにくい。すごく半端な出方だし。
 遺体は喋るわ、円卓の騎士は出てくるわで、どこからが現実でどこからが夢なのか判然としないの。それでいいのなら、いいと思いたかったんだけど、思えなかったのよ。なにか、立ち上ってきてほしかったんだけど!
 やっぱり始めのうちはもっと現実らしく始まったほうがよかったんじゃないのだろうか・・・そもそも棺が舞台の上に垂直に立ってる状態で現れるのがもう、現実らしくないので、これが演出の狙いなのだろうけれど。で、夢(悪夢も)のほうは夢のほうで、軽みというか浮かび上がる感じがあまりないの。舞台全体がずっとモノトーン(実際の色ではなくて、基調が)。
 
 レバノンに着いたウィルフリードは父の遺体を入れた籠を背負い、埋葬にふさわしい場所を探して、歩き回る。ウィルフリードは父と母の出会いや、自分が生まれた時のことをやっと知ることができる。旅の途中、現地の若者がひとり、またひとりと、旅に加わる。みんな、父や母を亡くしている。内戦の最中、父と気付かずに父を殺してしまった青年もいる。皆、傷を負っている。彼らはウィルフリードの旅に自分たちを重ね合わせ、イスマイルの埋葬を、自分たちの親の埋葬のように思って旅を続け、やがて海にたどり着く。このくだりは内戦への鎮魂がこもっていて、とてもいいの。一方で、その過程でウィルフリードが解放されていくようには見えない。ウィルフリード自身の鎮魂の旅でもあるのに、彼の変化の表現が足りない。
 ウィルフリードは岸辺で、父の遺体に重りをつけ、海に葬る。
 このシーンはクライマックスだと思うし、腐敗し始めた遺体を水で洗うシーンは、青い塗料を塗りつけるという実験的な演出だった。だけど、弾けないんだよね、なぜか。
 レバノンの岸辺といえば、地中海なのよ。もっと残酷なくらい光がまぶしく、青さも明るくて、そこに沈んでいく・・・みたいなカタルシスがほしかった。何が足りなかったのか・・・そうなるには、もう少し稽古(逡巡)の時間があったほうがよかったのかもしれないわ。
 
 それにしても岡本健一と中嶋朋子はやっぱり百戦錬磨だ。この二人があと何人かいてくれたら・・・とチラリと思ってしまったのは、言わないほうがよかったかしらん・・・。

『クライムズ オブ ザ ハート 心の罪』を考える

 好きな役者さんの舞台が次々。9月9日(土)マチネ、シアタートラム。

『クライムズ オブ ザ ハート 心の罪』
作/ベス・ヘンリー 翻訳/浦辺千鶴 
演出/小川絵梨子 
出演 安田成美 那須佐代子 伊勢佳世 渚あき
   斉藤直樹 岡本健一

 
 観に行って1週間以上経つけれど、レビューをなかなか書き出せなかった。
 というのも、興味深く観たんだけれど、腑に落ちない気持ちがマダムを覆っていたから。
 一方で、この顔ぶれでウェルメイドなのに、土曜のマチネでも空席が目立つ状態だったの。そこへもってきて、さらに内容に対して疑問を呈すれば、公演の邪魔をしてしまう気がして。もちろん、マダムの個人的な感想なんか、さしたる影響ないよ、と言われればその通りなんだけれど。
 
 アメリカ南部の田舎町の、三人姉妹のお話。
 女が、銃を構えて、誰かに発砲する。が、それが誰なのかは、少しの間伏せられて、舞台上の家のセットに、疲れ果てた顔の長女レニー(那須佐代子)がヨロヨロと帰ってくるところから本当のお話が始まる。レニーは、入院中の祖父の見舞いに行って、帰ってきたところで、更に三女ベイブ(伊勢佳世)が引き起こした事件を解決するため、家を離れている次女メグ(安田成美)の帰りを待っている。

 最初の方の会話の中ですぐに、ベイブが夫をピストルで撃ってしまったことがわかって、ああ、さっきの出だしのシーンはそういうことか、と思うんだけど、謎を引っ張ることなく解明しちゃったので、ちょっと肩透かしだったの。謎でもなんでもなかったんだな、って。
 出だしのシーンは、台本に最初からあるのかしら? あるよね。
 
 それから美しい次女が帰ってきて、更に保釈されたベイブも帰ってきて、三人姉妹が揃い、そこへ隣に住む従姉妹のチック(渚あき)やベイブの弁護士バーネット(岡本健一)やメグの元彼ドク(斉藤直樹)が次々やってくる。会話の中から、三人姉妹の境遇や、今抱えている問題がだんだん浮かび上がってくるの。
 父親は、姉妹が小さい頃に失踪し、母親は自殺。姉妹は祖父母の住む今の家に引き取られたこと。今は、年老いた祖父と長女のレニーだけがこの家に住み、レニーは恋人もなく、仕事と祖父の介護で疲れ果てていること。美人のメグは歌手をしているという話だったが、とっくにやめていて、事務員として働いていること。ベイブの夫は上院議員だけれど、DV男であること。が、ベイブが夫を撃ったのは、それ以外に重大な理由があること。
 
 彼女たちの抱える問題はそれぞれ深刻なんだけれど、行き交う会話の中では思わず笑ってしまうことも多くて、コメディタッチな芝居。レニーが誰にも祝ってもらえない誕生日を自分で祝おうとしたり、ベイブが自殺を図ろうとしても首を吊るための縄をかけた梁が折れたり、深刻と滑稽が同居している物語なの。丁寧に演出されている、とも感じたわ。
 そうなんだけど、いろいろよくわからないことがあって、わからないまま芝居が終わってしまったの。たとえば、家の(セットの)構造がどうしても理解できなかったのよ。玄関らしい場所があって、レニーが鍵を開けるシーンがあるにもかかわらず、全然違う場所から他人が出入りしたり、窓があるのかないのか、外を歩いてる人とアイコンタクトがあったりするの。その法則が最後まで腑に落ちず、気になるのが煩わしかった。
 いつの時代のお話なのかも、なかなかわからなくて。セットや衣装などからは判断できず、唯一のヒントはダイヤル式の電話。そこから、1970〜80年代かなあ、と推測した。それと、アメリカ南部の田舎町らしいことはセリフでわかるのだけれど、セリフでわかる以上の空気感、圧迫感、差別感などは流れてこない。ベイブが黒人の男の子とセックスしてしまったことが、致命的な醜聞になるんだろうとは思うんだけれども。思うけれども、それがどれくらいの重大さなのか、よくわからないんだよね。ベイブの感じている深刻さはともかく、写真を見せられた弁護士や、姉のメグの反応はなんだか鈍いし。
 もともとこっちには1980年頃のアメリカ南部について予備知識がなさすぎるから。
 日本の観客はみんなこんなもんだと思うけど。
 
 いちばんわからないのは、題名かも。全然違う邦題をつけられたら、よかったのに。

 わからなすぎたので、新聞の批評を読んでみたら、ベイブの相手の黒人の男の子の年齢設定、もとの本では15歳となっているところを20歳に変更したのはどうしてか、と書かれていて。それで、ますますわからないことが増えてしまったのだった。
 さらに、気になったのは、亡くなった中嶋しゅうが、メグの元彼の役をやるつもりだったのか?ということで、もはや芝居の出来とは何の関係もないよね。すみません。
 
 期待していた岡本健一の演技の稲妻は不発だった。本筋を背負う役ではなかったからね。でも彼は役の大きさに関係なく、なりきってしまう。今回の、切れ味の悪そうな人の良い新米弁護士も、上手いなあと思ったし。
 イキウメを退団して全力活躍中の伊勢佳世が、役の幅をどんどん広げていくのには感心しちゃった。それがいちばんの収穫だったわ。

速報!浦井ヘンリー五世、再び

 きゃっほー!
 みんな、もう聞いてる?
 新年早々、来年の話なんだけど、2018年5月、新国立劇場で『ヘンリー五世』の上演が決まったよ!!
 主演は勿論、浦井健治その人。やった〜!これまでの鵜山組、続行よ。
 喜びのあまり今、うちで「We will Rock You」かけながらひと踊りして、マダムは、ツイッターのアイコンをヘンリー五世仕様にしたので、ツイッターの方もよろしくね。(ていうか、受験生の母の顔はどこにいったのかしら〜〜〜?)

 ヘンリー四世、観なかった人はもう、後悔してるでしょ?
 そうだよ、シリーズなんだから、見続けると喜び倍増なのよ。
 来年まで、頑張って生きるぞー。

深夜の岡本健一

 スマスマが終了してしまって、マダムはいよいよテレビで見るものがなくなったわ。家族がいなくて一人の時、テレビはほとんど点いていない。CDか、iPadで音楽をかけてる。
 年越しの時も、子供が見ているカウントダウンコンサートの様子を片目でチラ見してたぐらいだったんだけど、そこに岡本健一の姿を発見した時には、眼を普段の2倍くらいの大きさに見開いてしまったよー。
 なんという格好良さ・・・・色っぽーい!
 マダムは岡本健一のアイドル時代、殆ど憶えていない。役者岡本健一となってからのファンだからね。それだって勿論、かっこいいのも色っぽいのも承知してたわ。承知していたのですけれども!
 いや〜、ホントにアイドルだったんだな〜。ギターをしゃくりあげる(?)ような仕草がたまらん。中年になって更に磨きがかかっているね〜、オーラ全開。
 
 その岡本健一の舞台『炎 アンサンディ』が3月に再演される。初演で観なかった方!マダム絶賛のおすすめです。絶対、観るべき。彼だけじゃなくって、出演者全てが素晴らしい。
 実はマダムは見に行かないかもしれないの。私生活的に一番忙しい3月だから。それに初演の印象が脳に焼き付いているので、それを大切にしておこうかな、って・・・(土壇場で気持ち翻るかもしれないけど)。
 でも、観てない方には強制的おすすめします。
 初演のままの演出なら、岡本健一のエアギター姿が見られるかもよ。

『ヘンリー四世』第二部再見と、シリーズ再考

 無理を押し通して、もう一度行ってきた。12月14日(水)マチネ、新国立劇場中劇場。『ヘンリー四世』第二部 ー戴冠ー。
 本当はもう一度、通しで見たいところだったけれど、そういうわけにもいかず、二部だけとなったの。どうして二部かというと、今井法院長さまとハル(というかヘンリー五世)の丁々発止のシーン、一度目はマダムの席からは二人が完全に被ってしまってて、表情がほとんど見えなかったんだもん。

 二度目は後ろの方しか席はなかったんだけど、ほぼ真ん中を選べたので、二人のシーンだけじゃなく、すべてのシーンが見渡せて、満足だったわ。
 やっぱり、「ヘンリー四世とハルの最期の会話→王の死→ヘンリー五世と法院長との火花散る会話と、和解→戴冠そしてフォルスタッフ達との別れ→ラスト」という畳み掛けていく構成が凄いし、ハルからヘンリー五世への変化がダイナミックで素晴らしいよね〜。繰り返し観たいけど、それは叶わないので、目に焼き付けようと必死なマダム。
 この新国立劇場のシェイクスピアシリーズ、中継のテレビ放映もないし、DVDの売出しもないどころか、舞台写真すらほとんど残らないのよ。こんなに面白く、それぞれの役者さん達が輝いているのに、その痕跡が全く残らないの。見た人の記憶の中に残るのみ・・・。舞台は一期一会なのが運命とはいえ、ちょっと、あんまりなんじゃないかしら?


 多くの人が結集して面白いものを作っているのに、今回は結構空席もあった。マダムは新国立劇場の宣伝力の無さにがっかりしたよ。浦井ハルと岡本ホットスパーとB作フォルスタッフの写真入りのチラシくらい作ればよかったのに。それだけでも観客動員が違ったと思うわ。
 それとね。
 国立劇場で製作した芝居は、みんなのものだと思うので、劇場に来られない人にも観るチャンスがあるべきよ。イギリスのNational Theatre Live みたいなものは望むべくもないけど、せめて記録映像くらい、図書室で見られるようにしてほしい。他の作品は見られるのに、このシェイクスピア歴史劇シリーズが見られないのは、おかしい。(大々的に売りだせと言っているのではなく、せめてせめて図書室で閲覧可能にしようよ、と言っているのよ?)
 だってね、今マダムが大学生だったとして、「シェイクスピアの歴史劇の日本での上演」についてレポートを書きたいと思ったら、手掛かりは蜷川演出のDVDしか無いわけでしょ?同時期に、さい芸と新国立で、ヘンリー六世やヘンリー四世やリチャード三世が上演されているのに、片っぽしか資料が無いわけで。
 これがどこかの劇団が独占で製作したものなら、文句を言ってもしょうがないけれど、国立劇場で製作したものの記録が公開されてないのって、ぜっっったいおかしいです!
 
 そんな正論は別として、新国立劇場のシェイクスピアシリーズ舞台写真集を作ってもらいたいな。『ヘンリー六世三部作』『リチャード三世』『ヘンリー四世二部作』全部を網羅する解説付き舞台写真集、限定3000部。すぐ、売り切れると思うけど?
 マダムは役者の写真集って、あまり興味が無いの。スタイリストがついて、こっち向いて微笑んでる写真ばっかりのやつ。それよりも、舞台写真集が欲しい。だって、役者が一番かっこいいのは、演技している時だから!
 浦健や岡健ファンのマダムの下心は脇に置いておいても、舞台写真を眺めながら、面白かった芝居を思い起こして感慨に耽るのは、芝居好きの楽しみの一つ。舞台写真集を、パンフレット番外編として、作ってくれい〜!
 
 
 なんだか、シリーズ再考とは話がずれてしまった。戻そう。
 『ヘンリー六世』三部作が作られた時、かなり無謀な企画として、成功が危ぶまれていたらしいのだけれど、ワクワクするようなものが出来上がって、観客から自然と続編(『リチャード三世』)を望む声が出て、そして今に至ったわけ。役者さんたちも7年前から変わらぬ顔ぶれだったりして、完全に劇団化してる。だからこれを続けて欲しい。
 次は『リチャード二世』かしら、とマダムは想像する。岡本リチャードと浦井ボリングブルックかしらね・・・・(遠い目)。
 『ヘンリー四世』のラストの高揚感を忘れないうちに、次を企画してくれるよう、メッチャ期待してるからね!

ロック少年が選択する王という孤独〜『ヘンリー四世 二部作』を観る その3

 シェイクスピアの場合、題名(タイトルロール)が必ずしも主役ってわけじゃないのよね。『ジュリアス・シーザー』とか『シンベリン』とか、『ヘンリー六世』とかも。
 だから『ヘンリー四世』もそうだよね、と理解していたし、主役はやっぱりハル王子なのでしょう。けれど、見ていて思ったの、ほんとにそうだろうか?これはあきらかに「ヘンリー四世」をめぐる物語、なんじゃないかしら?と。
 いや、ヘンリー四世とハル王子の親子をめぐる物語、ということかな。それが鵜山演出の、この芝居についての答えね。

 
 第二部もやはり二つの対比でできていたわ。フォルスタッフたちがまったりと遊んでいる世界と、ハルが父王と和解し王となる決意をしていく宮廷内の世界。ハルは、フォルスタッフたちのところに現れはするんだけど、心は既に病に倒れた父王のことでいっぱいなの。
 第二部、王(中嶋しゅう)と浦井ハルの演技がホントに素晴らしかった。
 王が死を目前にして、王位簒奪の罪の意識と必死に戦っている心がよく伝わってきたし、ハルもまた、宮廷人たちがフォルスタッフを探している=自分を探している=父王の身に何かあった、とすぐに察知して駆けつけるの。そして、王冠のシーン。
 王が息を引き取ったと思い込んでハルが王冠を持ち去るところから、二人の長い台詞のやり取りで、和解していくこのシーン。もう、息を止めて聴き入ったの。何も言うことはない。凄く沁みた。
 こんなことをこんな時言うのはなんだけれど、マダムはずっと中嶋しゅうの演技が苦手だった(ただの好みの問題とは思うのだけれど)。でも、このヘンリー四世は憂のたちこめた枯れた様子がぴったりだったし、浦井ハルとの相性が良かったんだと思う(そこにも、『ヘンリー六世』以来の役者同士の信頼関係がたぶんに影響してるよ。劇団のベテランと若手のような)。中嶋しゅうによって浦井ハルの演技が引き上げられたことはもちろん、浦井ハルとのやり取りが中嶋しゅうを更に王らしくした、とも言えると思うの。
 
 遂にヘンリー四世が亡くなり、放蕩の衣装を脱ぎ捨て、ハルは美しい白い衣装をなびかせて現れた。このとき、あのヘンリー六世の父だな、とマダムが感じたことはもう話したわね。そして、フォルスタッフたちとの別れのシーン。既にハルには孤高ともいえる雰囲気が漂い、小物のフォルスタッフが通じる馴れ合いは無くなっていた。ハルの前にはまったく別の道が伸びていたのよ。
 木で組まれたセットの道を、王冠をかぶったハル、いえ、ヘンリー五世が登っていく。すべての人々が(前王も)それを見上げている。誰も登っていない高みで、彼はゆっくりと遠くを見渡す。そしてそっと目を閉じる。ロック少年が、王という孤独を引き受けた清々しさに、劇場中が満たされた。
 ラストシーンにはもう台詞はなかったけれど、今年マダムが一度も経験していなかった浦井健治の演技の稲妻を、浴びることができたんだった。
 やっぱりさ、シェイクスピアってすごいと思う。こんな演出が可能なのだものね。
 

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