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『熱海殺人事件』おまけ

 マダムの人生で3度の『熱海殺人事件』観劇の記録を、ここに載せるね。
  自己満足!Img_0524

いのうえひでのり版『熱海殺人事件』

 とうとうその日がやってきた。12月12日(土)マチネ、紀伊國屋ホール。

『熱海殺人事件』
作 つかこうへい  演出 いのうえひでのり
出演 風間杜夫(木村伝兵衛)
   平田満(熊田留吉)
   愛原実花(片桐ハナ子)
   中尾明慶(大山金太郎)

 比べてはいけない。思い出してはいけない。でもそれは無理。見ないほうがいいの?でも、見ないのも無理。懐かしさをこらえるのも無理。
 なんとも言えない緊張感が自分の中にあるのをじっと堪えて、とうとうこの日が来たの。33年ぶりに『熱海殺人事件』を観る日が。
 マダムにとって、つかこうへい劇団解散後、初めて観る、つかこうへいの芝居でもある。解散後、マダムは一度も、つかこうへい作品を舞台では観ていない。

 この芝居については、ストーリーを説明しないよ。ちゃんとしたレビューでもない。もう、マダムの徒然なるままに。

 心の準備はできていたので、取り乱したりはしなかった。客電が落ち、暗闇に「白鳥の湖」が流れ始めたとき思わず、ああ、と溜息をもらしてしまいそうになったけれど、それを飲み込んだあとは、もう大丈夫だったわ。落ち着いて、楽しんで観たの。
 演出は、基本、つか版に忠実だった。衣装は色こそ違えど、木村伝兵衛はタキシード、熊田刑事はツイードっぽいスーツ、大山金太郎はつなぎ。ハナ子だけがミニスカポリスじゃなかったけど。音楽の入れ方や、それぞれの人物の登場の仕方、照明の当て方や、小道具など、「ああそうそう。こんな風だった」と頷くことしばしば。いのうえひでのりは、コアな、つかこうへいチルドレンだったのね。
 かといって、懐かしい昔を再現しよう、というわけじゃないのね。ちゃんといま見て面白い芝居を作る、ってことを普通に目指してもいて、そのさじ加減はかなり計算してる。だから、マルマンライターからジャスティン・ビーバーまで、時代の幅が限りなく広い演出だったわ。初めて観た人はどんなふうに思ったでしょう? マダムはこの芝居が血肉化しちゃってるので、そこはちょっとわからない。

 風間杜夫と平田満は演出を受けるまでもなく、かつてのまま演じてた。二人とも60を過ぎてるわけだから、全てがかつてのままってわけにはいかない。勢いもエネルギー量も。だけどそれを、蓄えた芸の力で補えばいいなんて思ってはいないようだった。つか劇団の芝居は勢いとエネルギーで出来てるわけだから。二人とも今の全力で、走ってた。それはやはり、昔のようにはいかないけれども。
 マダムが『熱海殺人事件』を見るのは、今回が3回目。1回目は1976年11月、2回目は1982年4月、そして今回。1982年の時、マダムは風間杜夫の木村伝兵衛を観て恋に落ちた。1週間くらいぼーっとなって、何も手につかなかったの。舞台上の風間杜夫と眼が合うと妊娠する、とさえ言われてた頃よ。あの時紀伊國屋ホールを覆い尽くしてた彼の妖気は、今はもうなかった。あれだけは、時代とともに消えてしまったんだね。(でもやっぱりマダムは風間ファンを辞める日は来ないと知ったの。)
 驚いたのは平田満。彼は1回目の1976年の時から熊田刑事なんだけど、ほとんど変わってない。最初からおじさんぽかったとも言えるけど、40年印象の変わらない役者って、なんなのかしら(毛色は違うけど笠智衆みたい)。そして今回しみじみとわかったことは、つかこうへいの芝居を支えてた大黒柱は、平田満だったんだ、ってこと。華やかさは他の役者に譲っていたけど、一番太い大黒柱は平田満だったんだ。
 
 若い二人の役者は、たぶんみっちりと稽古を積んで、いのうえ演出を体に叩き込んだのでしょう。なかなかよかった。愛原実花は上手くはないけど、立ち姿が綺麗で動きがシャープ。つかこうへいの娘と聞いたけど、似てなくて安心したわ。そして大山金太郎役の中尾明慶である。
 彼、本当に大変だったと思うんだけど、加藤健一の大山金太郎を見てないわけだし、大変さの重みを知りようもない。それがかえってよかったね。つか劇団なんて彼にとっては生まれる前の出来事な訳だから。
 彼がロックを歌いながら現れた時、観客の8割くらいが「あ、マイウェイじゃないのか」って思ったと思うけど、それだって知ったこっちゃないもんね。選曲はマイウェイじゃなくて、正解。加藤健一の深く丸みを帯びたシナトラばりの声があってこそのマイウェイだから。
 若い二人だけのシーン(熱海の海辺で殺人に至るまでの、切ない会話)は、初めて見るような気持ちになった。そしてこのシーンに真実があるからこそ、伝兵衛がどんなに過激なことを言おうと、熱海は成立する。
 
 面白く観たわ。そしてわかったことは二つあって。
 一つは、『熱海殺人事件』は古くない。細かな小道具などを今に合うように変えていくだけで、今も通用する芝居であるということよ。
 一つは、こんなに判りやすい芝居だったんだ、ということ。初めて上演された時には、誰も聞いたことのないセリフが飛び交っていたから、みんな驚いたわけだけど、あれから40年経ち、演劇界にも観客側にも、つかチルドレンが行き渡ったんだね。「つか語」「つか的切り返し」「つか的舞台効果」などがすっかり馴染んだってことよ。
 40年経って、とうとう『熱海殺人事件』は古典になったのだわ。
 

観客にしかなれなかった、つかチルドレンのために

 ここのところ体調優れず、気になっていたライブ上映も見に行かず、ブログも書けず、ダラダラしてたんだけど。でも、転んでもただでは起きないマダム。寝転がりながら、本読んでたの。出来たてホヤホヤの、つかこうへいの伝記(!?)。あまりにも面白く、最近、こんなに寸暇を惜しんで読んだ本など、他に見当たらないわ。
 


『つかこうへい正伝 1968-1982』

 長谷川康夫 著  新潮社刊(2015.11月)

 

 これはね、もう、マダムのようなつかチルドレンにとっては、待ちに待った本。分厚くて高いけど、つかチルドレンは絶対買うべし!マダムのブログからポチッと押して買うべし〜。よくぞ、書いてくれた、長谷川康夫。大変だったろうけど、この役目はやっぱり彼しか背負えなかったと思うわ。

 2010年7月、肺がんを公表していたつかこうへいが亡くなったあと、新聞やネットやテレビで、追悼の言葉や特集が乱れ飛んだわけだけど、どれもみな、マダムの心を代弁してくれることはなかったの。演劇はとてもマイノリティであるし、世間から見るとどうも、つかこうへいはまず「直木賞作家」らしい。マダムにとってはつかこうへいはつかこうへいなのに。そしてまた、演劇界に残された彼の功績を、私達は知っているけれど、形として残っているのはNHK所蔵の、最近の中継録画1本きりで。死後、すぐにそれが放映されて、「あ・・・、これを代表作と皆が思ってしまうのは、困るぞ・・・」とマダムは思ったのよ。思って、記事も書いた。
 また、若い役者たちは、異口同音につかこうへいへの感謝と、歯の浮くような絶賛の言葉を述べるだけで。褒め殺しっていう言葉をみんな知らないのかしら、と歯がゆかった。もう死んじゃった人を褒め殺しするなんて、この逆説、つかこうへいならどんな風にこき下ろしたかしらね。それとも、もう死んじゃったあとは、まんざらでもないのかしら。

 その後、「本当のつかこうへいの功績」をちゃんと語ってくれる人が現れるのを、マダムは待ってた。本当のつかこうへいの功績は、1982年のつかこうへい劇団解散までになされていると、マダムは思ってきたけれど、当時ほとんど子供として、ミーハー的ファンとしてしか存在してなかったマダムは、ブログで語る以上のことは語れない。だから、当時つか劇団にいた誰かが語ってくれるのを、待ってたの。

 だから、これは待ちに待った本。やっと、つかこうへいが演劇界に何を残したかが、正当に語られたの。
 ベタ褒めしてない。失敗は失敗と書き、迷惑は迷惑と書き、愚かは愚かと書いてるの。遠慮はしてない。だってそんな必要がどこにあるの? どれほどつかこうへい本人がはた迷惑な人であっても尚、凄かったことに何も傷はつかないんだもの。ただ、もちろん、ずっと迷惑かけられても凄い人のそばを離れられなかった長谷川康夫だから、許されることなの。そしてまた、彼にだからこそ、当時一緒に行動した誰もが心を開き、本音を語り、当時何が起こっていたのかが明らかになっていったのね。
 そして、この本のタイトルが端的に示している通り、つかこうへいの功績は、つかこうへい劇団が解散するまでにその殆どが積み上げられたと、著者もまた考えているの。だから、この本は、つかこうへい劇団が解散するところまででハッキリ、キッパリ終わっている。潔い! それでよい、とマダムも思ったわ。
 
 マダムが聞きたかった、加藤健一や風間杜夫や平田満や根岸季衣の、その時々の本音がちゃんと書かれている。それは単なる褒め言葉とかではなくて、疑問や戸惑いも含んだ真摯な言葉なので、つかこうへいとの物作りがどんなものだったかが、ちゃんと見えてくるのよ。
 
 つかこうへい劇団時代の舞台を記録した映像は、VAN99ホール時代の『ストリッパー物語』と、紀伊國屋ホールで客席から撮られた『いつも心に太陽を』の2本しかないとマダムは思ってたんだけど、この本によれば、稽古を撮った映像とか『弟よ』のテレビ放映映像とか、まだいくつかはあるらしい。ここまで色々と明らかになった以上は、全部一箇所に集めてアーカイブを作って欲しい。だって、あのときを知っている人たちも随分年取っちゃったんだもの。記録を残さなきゃ。(ちなみに、マダムはつかこうへいがらみの記事には全て「アーカイブつかこうへい」のカテゴリーをつけてる。マダム程度の記憶でも、記録として残したいという気持ちの表れよ。この際、アーカイブつかこうへいの記事もよかったらどうぞ。)
 
 この本が出たことで、やっとつかこうへいを追悼できた。そして、つかこうへい劇団が作り上げた一時代に出会ってしまったがために、こんなふうに生きてきてしまったマダムの、落とし前をつけてもらったような、今はそんな気持ち。
 みんなも、是非読んで、一緒に頷いてほしいわ。

観るべきなのか、21世紀の『熱海殺人事件』

 驚くようなニュースが入ってきた。
 今年の12月、紀伊國屋ホールでつかこうへいの『熱海殺人事件』が上演される。
 演出はいのうえひでのりで、婦人警官役をつかこうへいの娘がやると言うことで、話題になってるらしいのだけれど、それはたいしたニュースではない。
 事件なのは、くわえ煙草伝兵衛を風間杜夫、熊田刑事を平田満がやるってことよ!
 もう一度言うよ。伝兵衛を風間杜夫、熊田刑事を平田満がやるの。
 こりゃ、大変だわ。どうしよう。

 マダムの観劇人生を支えてきた柱は2本ある。1本はシェイクスピア。そしてもう1本がつかこうへい。
 さすがのつかこうへいもシェイクスピアと並べて言われると、照れまくりそうだけど、人の人生はそれぞれだから、こういうことだってあるわ。
 マダムの場合、生まれて初めて劇場で観た芝居が、つかこうへい劇団の『熱海殺人事件』で、場所はまさに紀伊國屋ホールだったの。マダムが今ここにこうしてあるのは、あの日あの時あの場所で『熱海殺人事件』を観たから、なのよ。
 1本の芝居が、人の人生を決定づけてしまうことがある。あるんです。
 でもさ、それから既に○十年が経とうとしてるわ。
 つかこうへいも、もうこの世にない。
 ないからこそ、できちゃうんだろうけど、さて、これはマダムが観るべきものなの?
 正直、どうしていいのか、わからないわ。
 勿論、誰が考えたって、かつてのつか劇団時代の『熱海』とは別物なのよ。そんなことは、よーくわかってるし、チケット売り出しの時期まで、何度もマダムは自分に言い聞かせるに違いないの。
 観ても観なくても、後悔するような気がして、とても困るわ。
 とにかく、まだ時間はある。気持ちの整理をしてみよう。

マダムの観劇史 その7 劇団つかこうへい事務所

 マダムの観劇史も、今日で最終回。
 最終回にふさわしいのは、やっぱりこれでしょう!

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1976年11月13日(土)ソワレ、紀伊國屋ホール。
『熱海殺人事件』から、マダムの歴史は始まったのである。
しかし、つかこうへいは偉い。
だってね、いくら1976年とはいえ、チケットが一般700円。高校生なんか400円なのよ?
確かに美術費はかかってないだろうという舞台だけど、芝居としての質は担保されていたもん。
芝居はまず、そういうものでしょ?

昨今の芝居は、高すぎるわ。
これじゃ、敷居が高くなるのも当然よ。
 さてこの『熱海』は三浦洋一、加藤健一、平田満、井上加奈子だった。それから5、6年経って、再度観た『熱海』で風間杜夫に出逢ったの。で、むちゃくちゃ盛り上がったマダムの気持ちを裏切るかのように、つかこうへいは1982(?)年、劇団を解散しちゃう。

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その後、つかこうへいの弟子だった長谷川康夫が演出して、風間杜夫と平田満が主演した『少年日記をカバンにつめて』が上演されたの。1988年、1月16日マチネ、これもまた紀伊國屋ホール。

なんかね、夢をもう一度、っていう願いのような芝居だったの。
演ってる人たちも、観客も、過去の幻を求めている感じで、つかこうへいの芝居には遠く及ばなかったのね。

風間杜夫の演技の稲妻に再会する(一人芝居5部作)までに、四半世紀の時を必要とすることになろうとは、あの頃、思いもよらなかったわ。
 でも、四半世紀の時を過ぎてなお再会できたっていうのが、凄くありません?

 

 さて、マダムは3月末に引っ越しを控えております。それでしばらく更新できないかもしれません。またコメントにお返事するのも遅れそうですが、ご了承くださいませ。
 本格復帰は、4月の上旬、『今ひとたびの修羅』のレビューからを予定しております。これがまたマダムの復帰を待ち望んでいるかのような顔ぶれなんですよね。堤真一、宮沢りえ、岡本健一、そして御大風間杜夫。・・・・春が楽しみです。

いつも心につかこうへい その2

 この『いつも心に太陽を』が撮影された1980年頃は、マダムが最もたくさん芝居を観ていた時期。『いつも心に太陽を』も観たはずだけれど、どんなだったか、いまとなっては全然憶えていなくて。
 今回映像を観て、始めはただ懐かしかったの。あの頃、平田満も若かったなあ、風間杜夫も若かったなあ、マダムも若かったわねえ、って。でも、芝居が進むうちに、そんなノスタルジーはどっかへ飛んでいってしまって、もう夢中になって観てた。これは面白い!この映像、たかだか200人が見るだけで終わっていいのっ?
 
 お話は、水泳部で知り合った男同士の出会いと同棲と別れ。ただ、それだけで、説明は終わってしまう。それのどこが面白いの?と訊かれたら、つかこうへいでなくちゃ出来ない見せ方に尽きる!と答えるわ。つか演出の特徴は、大きく分けたら二つあってね。
 ひとつは、コンプレックスの独特な捉え方。つか芝居に出てくる人物は多かれ少なかれ、コンプレックスに囚われていて、行動にも台詞の隅々にも表れる。どんな人間関係でも(親子であれ、兄弟であれ、恋人であれ)コンプレックスを介して以外に、関係が成り立たない。主役の二人(平田満と風間杜夫)も、美しくないコンプレックスと、美しければ美しいなりのコンプレックス(これがねじくれてるんだよね)を激しく抱えていて、台詞にはコンプレックスのてんこ盛りなの。あるときはドSに、あるときはドMに。喧嘩するときも、互いのコンプレックスの傷に塩をすり込むようなことを言ってしまうの。普通の芝居であったら、このやり取りを聞いているだけで、気持ちが萎えるでしょう。けれど、つかこうへいは、登場人物への激しい愛着で、どんなキツい台詞をも笑いに変え、瞬間的な美(とさえ思っちゃう)に昇華させちゃう。このねじ伏せ方が、つかこうへいそのものと言えるわ。
 そこでもう一つの重要な演出技法に触れなければね。
 今回の主役二人の役名が凄いの。平田満はヒラタミツル。風間杜夫はカザマモリオ。つまり、役はかぎりなく役者そのものを連想させるように作られているの、わざわざ。というより、始めに役者ありき、で芝居を作っているのよ。
 だから役者は凄く大変。つかこうへいに内面を丸裸にされる覚悟で、役に立ち向かわないといけないの(内面のみならず、身体もほとんど裸なんだけどね)。そのかわりピタリとハマった時には、役者は他の芝居をやったときとは比べようもない程、輝く。画面の平田満は光り輝いていたよー!もちろん、風間杜夫も時折見せる視線がメッチャ色っぽいのだけど、この『いつも心に太陽を』は平田満のために作られた芝居だったようで、マダムはこれほど圧倒的な平田満を他で観たことがないわ。それほど凄かったのよー!
 しみじみ思うのは、つか劇団解散後、風間杜夫も平田満も、それから加藤健一も、つか劇団で見せたエネルギーの放出は、ないのよ。それぞれ違う芝居で違う輝きを見せているからそれでいいんだけれど。けれどね、それはつまり、つかこうへいにしか引き出せなかった魅力が彼らにはあるんだってことよ? それだけ彼らと演出家つかこうへいとの間には、互いに激しく化学反応を起こすものがあったってことよ? そして、芝居を観るということはまさに、その化学反応の現場に居合わせるということではないかしら?!
 
 そのほかにも映像を観たおかげで改めて気がついたことがいろいろあったの。
 たとえば音楽の入れ方の抜群のセンス。選曲も、タイミングも、これ以外ないと言えるくらいドンピシャリ。
 たとえば装置をほとんど必要としない演出。「階段を必要としない階段落ち」と以前表現したけれど、『いつも心に太陽を』では「水を必要としない泳ぎ」だったわ。これまた、凄いの。平田満と風間杜夫は恐ろしい程のスタミナで、舞台上で泳ぎまくっていたわよ。
 こういう演出を今、出来る人はいるのかしら。
 こういう演出を1975年あたりに始めちゃってる凄さについて、もっと語られてもいいのではないかしら。
 そう思ったので、長くなっちゃったけど、マダムなりに語ってみました。

いつも心につかこうへい その1

 いやー、ホントにしびれた。まいったなあ。どうやって語ればいいのかしら、この胸の高鳴りを? 7月22日、早稲田大学小野梓記念講堂。

早稲田大学演劇博物館主催
「つかこうへいの70年代」展 関連上映会
(1)『ストリッパー物語』
  1975年4月〜5月 青山VAN99ホールにて関係者撮影
  出演 根岸とし江 三浦洋一 平田満 ほか

(2)『いつも心に太陽を』
  1980年10月 新宿紀伊国屋ホールにて関係者撮影
  出演 平田満 風間杜夫 石丸謙二郎 ほか

 

 つかこうへいは芝居を映像に残すことを嫌った。だから、彼が亡くなったとき追悼番組で流れたのは、唯一NHKが撮ってた90年代の『熱海殺人事件モンテカルロバージョン』だったのね。マダムはそれを観て、「違う、違う。つかこうへいが巻き起こした旋風のかけらすらここにはない」と思ったのだけれど、つかこうへい劇団時代の映像はありません、ということだったの。マダムがいくら違う!と叫んでみたところで、証拠がないんじゃ説得力ないもんね。
 でも、あったのよ。その映像が。
 で、今日、早稲田大学で上映会があるというので、マダムも万難を排して駆けつけました。行ってよかったー。感動のあまり、今、ちょっと泣き出しそうなの、実は。

 関係者撮影、という言葉が物語るように、これは非公式映像。特に『ストリッパー物語』の方は、二階の照明室から8ミリで隠し撮りしたと思われる、メチャクチャ画像の悪いものだったの。モノクロでぼんやりしてて、あちこちぶち切れてるし、肝心の根岸とし江の台詞がまったく聞き取れない。観ても、つかこうへいの凄さは全然わからない。
 ところがところが。『いつも心に太陽を』の方は、ビックリする程ちゃんとした映像だったの。左側通路よりの前から4、5列目とおぼしき席から撮影している。こちらはカラーだし、ちゃんと芝居の流れを心得てクローズアップなどもしてるし、台詞もほぼ完璧に聞こえる。あの日あの時あの場所のつかこうへいの舞台が、なまなましく展開され、マダムは食い入るように画面を見つめたわ。105分があっという間に過ぎ、カーテンコールで平田満が「今日はどうもありがとうございました」と頭を下げるところまで写っていたから、思わずマダムはスクリーンだということを忘れて、拍手しちゃったのよ。同じ思いの人は多数いて、200人あまりいた観客から、拍手とそれからなんとも表現できないような溜息がもれたの。
 内容と、マダムが何を感じたかは、その2で、ね。

つかこうへいと風間杜夫、そして加藤健一

 つかこうへいの追悼番組で流れた中継録画の『熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン』を観てから、だいぶ時間が経っちゃった。なんだかいろんなことを考えちゃってね、どうも記事にまとめることが出来ずにいたのよ。

『熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン』
作・演出 つかこうへい
出演 阿部寛 ほか
  1993年初演

 いつもの芝居を楽しむ気持ちではなく、資料を見ているみたいな気持ちになっていました。観ない方がよかったかな・・・とも感じた。
 それはね、マダムにとっては1982年に劇団つかこうへい事務所が解散になった時、もう幕が降りてしまってて、それまでの体験が若い脳裏に深く鋭く刻まれたので、その後のものを受け入れる余地がないのね。
 だからこの1993年の作品でつかこうへいに出会ってファンになった方達の気持ちを踏みにじるつもりは毛頭ないので、許してほしいの。

 それと、つかこうへいが作品の映像を残したがらなかった理由を、思い知ったような気がするわ。台詞も役者の動きも確かに映像でわかるけど、同じ場にいる皮膚感覚ともいうべき共感を呼び起こすことは絶対にないのね。特につかこうへいの芝居は、ライブでしか成立しないことをやっていたんだと思うわ。
 昨今、大劇場でやる芝居は必ずと言っていいほど映像化され、テレビ放映されたり映画館で掛けられたりする。マダムもそれを多いに観て追体験したつもりになっているけれど。ああ、それはやっぱり違うんだ。本当の舞台体験の5%くらいしか伝わらないんだ。いつもマダムが使う「演技の稲妻」に感電するためには、同じ空間にいなくちゃダメなのよ。
 なんてはかない、そしてなんて貴重な時間なんだろう。

 つかこうへいは晩年のインタビューで「作品の六割は役者が書かせてくれたもの。・・・『広島に原爆を』や『いつも心に太陽を』は風間杜夫がいたから書けた」と言っていて。
 その風間杜夫は「悲劇喜劇10月号」に寄せた追悼文のなかで、劇団解散後も「舞台にも再三の誘いを受けたが、当時の仲間との芝居が宝物に思えて、どうしても踏み込めなかった。」と言ってるの。読んで、ほとんどもらい泣きのマダム。だって・・・気持ちはおんなじだもの。若い時のつか体験が宝物だったから、その後の作品を観に行くのがこわかったんだよね。
 しかもつかこうへいは劇団解散後はほとんど新作を創らず、自作の改訂版を積み重ねていたから、なおのこと、大事にしている昔の記憶を壊したくなくて、観に行けなかったのよ。
 願わくば、今を斬った新作を上演してもらいたかったね・・・。

 つかこうへいの晩年のインタビューには、加藤健一の名前は出てこなかった。つかこうへい事務所解散に先立つこと2年、加藤健一は自分の事務所を立ち上げ、『審判』という一人芝居にうって出た。つかこうへいのブームのただ中にあって、加藤健一だけは自身のやりたい芝居を見据えて着々と我が道を進んでいた。『審判』初演を観た驚きを、マダムは忘れることが出来ないわ。芝居の凄さはもちろんのこと、マダムにとってそれまでの加藤健一は大山金太郎そのものだったから、この真逆の選択の衝撃は大きかったよ。
 もしかしたら、加藤健一だけが、つかこうへいと対等を保った役者だったのかもしれないわね。もちろん加藤健一は追悼の言葉のなかで「師匠」だった、と言っているのよ。だけど、『熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン』を観ると、つかこうへいにとって加藤健一との別れは実は一番こたえたんじゃないかとさえ、思える。だって、かつて三浦洋一や風間杜夫が演じたくわえ煙草伝兵衛はすっかり阿部寛用に変化してるのに、大山金太郎は加藤健一バージョンから一歩も抜け出してなかったんだもの。
 つかこうへいにとって、加藤健一の代わりはいつまで経っても現われなかったんじゃないかしら。

 ずいぶん、遠くへ来てしまったのね、私たち。

『熱海殺人』事件 追記 つかこうへい編

 思わぬ嬉しい騒ぎが起きて、ちょっと中断してしまった『熱海殺人事件』アーカイブシリーズ。実はまだ終わってなかったのよ。しつこいようだけれど、まだまだ続くつかこうへいのお話。


 近所の図書館にね、こんな本があって、借りてきたの。

『高校生のための実践演劇講座 第3巻
     演出論・演技論篇』

  監修 つかこうへい
       白水社刊

 これね、図書館は題名に騙されて購入したんと違うかしらん。だって、中身は「戯曲 熱海殺人事件 スペシャル1時間バージョン 上演の手引き付き」なの。他には演出論も演技論もなんにもないのよ。
 でもマダムは全然文句ないよ! 読んだら凄く面白かったの。
 戯曲を読んだら、マダムの憶えてる懐かしい台詞が続々と出てきた。ン十年経ってなお、これほどまでに記憶に残る台詞を書いたつかこうへい、恐るべし。
 しかもト書きがほとんど無いかわり、ところどころつかこうへい自身のつぶやきが載ってるの。これが無茶苦茶、面白い。たとえば。

・・・まんまとアングラ・アレルギーの劇場支配人をだまくらかし、紀伊國屋ホールで公演することになったのだが・・・どのように幕を開けていいものか、ひやひやで・・・不安でならなかった。こうなったらはったりしかない。そう観念して、チャイコフスキーの「白鳥の湖」をカマしてやることにしたのだった。(選曲ではなく、カマしてやるのだとしか、私は考えなかった。)

とかね。

部長役の三浦があまり若いのもなんだろうとオールバックにし、タキシードを着せてみたらたまたま似合い、なによりも本人がのったので、そうしたまでである。(五十四年春から、部長は風間杜夫に代わった。同時にタキシードもべっちんの上下になり・・・

 ええっ?! 風間杜夫、黒のタキシードじゃなかったんだ?

平田にはいろいろ着せてみたが、今ひとつ決まらず、それじゃあと私が大学時代に愛用していた(焼けこげ付きの)グレーのヘリンボーンのアイビー調の背広を着せてみたところ、ぴったりだったのでそれに決め、本人もしぶしぶ納得した。・・・加藤健一はしっかりしていて、自分で染めたつなぎの服を二本用意し、「これでやります」と言ってがんとして譲らないので・・・しゃくだったが、その主張をのんだわけである。

 衣装の決まり方が、役者それぞれの個性と演出家の綱引きだってところが、芝居の現場だなあって思うわ。
 そのほか、納得のつぶやきがたっぷりあるんだけど、全部は引用できないので、ここだけはマダムとして引用しないわけにはいかない箇所を、あとひとつだけ。

私はむかし知り合いの役者に、今度やる芝居ですといって、電話帳のように分厚い台本を見せられたことがある。見ると、キャストの欄だけで10ページ、全部で三十数人の登場人物だというので、ショックで寝込みそうになった。忘れもしないシェイクスピアの『タイタス・アンドロニカス』という作品だ。
きっと、シェイクスピアの元には、盆暮れごとにさぞかしたくさんの劇団員たちからのつけ届けがひっきりなしだったに違いない。
作品の出来と役者たちへの愛情と、私とてとても他人事ではなく、その板挟みのいたたまれなさは察するにあまりあるものの、ものには限度というものがある。・・・そこへいくと『熱海』は出演者は四人だけで、台詞のかけあい一本槍で成立させるシンプルきわまりない構成だ。が、・・・かえって何倍もの役者と演出の力量が要求されるのである。

 読みながら可笑しくって涙がでそうな、つかこうへいらしい文章。人を食った言い方はしてるけど、つまりさ、ライバルはシェイクスピアだ、ってことよね。劇団の座付き作家として、負けねえぞ、このヤロー、と思える相手はシェイクスピア。

 さて、ここまできたので、つかこうへいと映画、それから劇団解散とブームの終焉について、頑張って論じてみようと思うわ。記事、何本になるかしらん。
 いつ、書けるかな〜?

『熱海殺人』事件 風間杜夫編

 つかこうへいの『熱海殺人事件』について今、憶えている限りを語ることは、とても大事なことよ。
 なぜかっていうとね、当時の彼の舞台は映像の記録が全く無いからなの。
 まだビデオってものがない時代であっても、NHKは細々と舞台中継を続けていた。そのおかげで歌舞伎や、新劇の映像は残されていて、今もアーカイブで観ることが可能なの。
 それに野田秀樹のように先見性があった人は、自分たちの舞台を記録に残そうとしてきた。だから今でも遊眠社時代の芝居を観ることが出来るわけね。
 でも、つかこうへいの70〜80年代前半、つまり彼が圧倒的なブームを引き起こしていた最中の舞台の映像は1本もないのよ。それはどうしてかっていうとね、つかこうへい自身が記録を取ることを拒否してたからなの。彼にとっては、舞台はあくまでライブ、なまものであって、記録を残すことは彼の信条に反したのね。
 その信条の良し悪しは別として、あの時代のつかこうへいの芝居を抜きにして、演劇シーンを語ることなんか、出来やしない。
 だから、記憶の限りを尽くして、当時の舞台を文字情報ででも、残しておかなくちゃ。
 皆も、いろんなところで、かつての記憶を掘り起こし、記録に残そう!(なんか、戦争の記憶を風化させるな運動みたいだけど、ホントなのよ。)

 そんなわけで、まだ続く『熱海殺人事件』の記事。時は流れて、マダムは大学3年生になった。
 お小遣いの乏しかった高校時代に比べて、家庭教師なんぞを掛け持ちしていたマダムは、ろくに服も買わず化粧もまともにせず、稼ぎをほとんど芝居に注ぎ込んじまってた。芝居と言っても、ミュージカル以外は全部守備範囲にしようとしたから、無理がある。歌舞伎や文楽から、下北沢のスズナリまで、なんでも観たわ。
 だからつかこうへいばかり観てたわけじゃない。人気が出過ぎてチケットを買うのも大変になったしね。で、突然、久しぶりに『熱海殺人事件』観てみようかなー、と思っただけだったの。案の定、チケットとるの、凄く大変だった覚えがある。というのも、当日券を以前のようには乱発できなくなってたんじゃないかしら。消防法ってものができたんじゃない?
 そして忘れもしない4月下旬。マダムは5年ぶりに紀伊國屋ホールで『熱海殺人事件』と再会した。席はかなり後方だったわ。
 演出はなにも変化がなかった。三浦洋一が風間杜夫に代わっただけで。爆音量の「白鳥の湖」で幕が開くのも同じ。大山金太郎登場のマイ・ウェイも同じ。最後に花束が派手に散るのも同じ。
 吃驚した。変化があったのは、マダムの方だったのよ。
 スジはもちろんのこと、つかこうへいが言いたいことが、手に取るようにスルスルと理解できたの。5年の歳月はマダムの芝居理解力をもの凄く向上させたんだね!
 だからね、なんでも修行が必要だ、ってことなのよ。ま、別にマダムは修行のつもりは無く、ただ好奇心のおもむくまま突き進んでただけだけど、いつのまにか『熱海殺人事件』を完璧に理解できるようになっちゃってた。好きこそものの上手なれ。石の上にも三年。etc、etc。

 スルスルと理解しながらも、5年前には起きなかったことが起きた。マダムはね、くわえ煙草伝兵衛役の風間杜夫の稲妻に撃たれちゃったの。それから一週間くらい、魂が抜けたようになっちゃってね・・・まあ、恋に墜ちたも同然。
 同じ役で、同じ演出であっても、三浦洋一と風間杜夫は違う魅力を放っていた。三浦洋一は切れ味鋭くて怖かったけれど、風間杜夫は狂気のなかにも愛嬌があった。ちょうど風間杜夫は誕生日の頃だったらしく、途中突然アドリブになった平田満にからかわれると、ちょっと素になって照れくさそうに笑ってアドリブを返した。誕生日を祝う拍手が客席から起きると、しっかりそれには応え、それから瞬時に木村伝兵衛に戻ってみせたの。
 紀伊國屋ホールは風間杜夫の出す妖気で満たされていた。加藤健一は、と言えば、前と同じように大山金太郎であり続けていた。けれど、もはや大山金太郎では、加藤健一のオーラは出なくなっていて、それは彼のやりたい芝居がもはや別のところにあることをはっきり感じさせるものだった。


 ということで「加藤健一 衝撃の『審判』」に続く!かもしれない。

2017年9月
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