加藤健一『審判』初演にまつわるごく個人的な思い出(長文ごめん)
今から40年も昔のこと。マダムはとある大学の文学部の学生だった。
4月、演劇の講義の初回、中年の男性助教授は、教室を見渡すと、開口一番「女が多いですね」と言った。そしてひとしきり、大学の文学部に女子が増え、自分のクラスも女子だらけになって、うんざりしている旨を3分くらい、とうとうと述べた。
確かに教室には、女子学生がたくさん座っていた。40人くらいの内、30人近くが女子学生だったかもしれない。が、いずれにせよ、その露骨な発言は、今だったら即刻アウトになるレベルだったと思う。
だけど、マダムも含め女子学生たちの誰も、その場で抗議することはなかった。マダムが感じたのは怒りというより、呆れに近かった。「まあ、なんて正直な人だ」という感じ。それと、抗議しなかったのは、そのあとに続いて行われた授業の内容がメチャクチャ面白かったからだ。先生の女子学生増加についての愚痴は、夏休み前までずっと続いた。だんだん落語の枕みたいになってきて、それがないと始まらないくらいな感じになっていた。
夏休み前になって、レポートの宿題が出た。夏休み中に英米演劇の翻訳物の芝居を観て、その劇評(というか、感想文ですね、レベル的に)を書けという。400字詰め原稿用紙5枚だったかな。枚数についてはうろ憶えだけど、書き方についての注文が細かくて、よく憶えている。1行目には観た芝居の題名を、2行目に観た日付と劇場名、3行目に学生番号と名前を書き、1行空けて、そこから本文。意味なく行をあけてはならない。あらすじは書かなくてよい(というか、それで枚数を稼ぐな)。原稿用紙の最後の3行まで埋まるように書いてあること。夏休み明けの最初の授業の時に提出すること。そのどれかが守られていないと、不可である。
どの芝居を観たらいいか迷う人には、いくつかお薦めがある、と教えてくれた。俳優座の『夏の夜の夢』など何本かを挙げ、チラシを全員に配り、電話予約の時に先生の名を出せば、学割よりさらに割引してくれる、とのこと。先生はとても親切で、学生のお財布のこともちゃんと考慮してくれていた。
マダムは当時すでに芝居を観まくっていたけれど、シェイクスピアにはまだ開眼していなかった。が、先生のお薦めの『夏の夜の夢』のチケットを買い、それでレポートを書いてみるつもりだった。
そして予定通り俳優座劇場で『夏の夜の夢』を観たのだけれど、結局その劇評は書かなかった。夏休み中に、ダークホースが現れて、マダムはすっかりそちらに夢中になってしまったのだ。それが、加藤健一の『審判』初演だ。
マダムにとって加藤健一は特別中の特別な役者。高校生の時、生まれて初めて劇場で観た芝居がつかこうへいの『熱海殺人事件』であり、それがマダムの観劇人生を決めた出来事だったからだ。大学生になって、つかこうへい劇団の芝居に通い詰めていたマダムにとって、看板役者の加藤健一がつかこうへい以外の芝居をやることが想像できなかった。一人芝居をやるために個人事務所を作ったと聞いたときには、はげしく面食らった。
それでも、マダムは加藤健一という当代きっての役者を信じて、内容を全く知らない『審判』を観に行った。そして、打ちのめされてしまった。
『審判』は、第二次世界大戦中に起きた実際の出来事を題材に作られている。地下倉庫のようなところに閉じ込められてしまった数人の軍人の末路を描いていて、たった一人生き残った男が審判の席で、なにがあったかを語る形式。ひとりで2時間半しゃべりっぱなしだ。内容は深刻で、神経にこたえる芝居である。マダムは一人芝居を観るのも初めてだったし、ここまで正面から迫ってくるものを観たことがなかった。そしてなにより、加藤健一という役者の途方もない幅広さを知って、立ちすくんだ。
観たのは8月初め頃だったと思う。もう頭の中は『審判』でいっぱいだった。『審判』を書いた作家がイギリス人で、英語で書かれたものであることは幸運だった。レポートの題材を『審判』に切り替え、すぐに取り組んだ。
PCはおろか、ワープロすらなかった時代なので、書くと言ったらひたすら手書きである。まず、観て思ったことや考えたことをノートにどんどんメモっていき、書く順番を決めて、とにかく原稿用紙に書いてみる。たちまち枚数をオーバーする。書いたものを赤鉛筆で添削する。書きたい内容を絞って、関係が薄いところをバッサリ切り、意味が繋がるように文を入れ替えたり、書き足したりし、再度原稿用紙に書いてみる。まだ長いので、切るところを考えるとともに、漢字にできるところはすべて漢字を使って、少しでも詰め込めるようにする。いらない接続詞を取る。そうこうしているうちに、自分が何を言いたいかわからなくなってきて、ストップする。もう一度、考え直す。
それまで日記には芝居の感想をつけた日もあったのだけれど、それとは全く違う作業だった。芝居を観て、感じたことを言葉にする。人に伝わるように、客観視しながらも、自分の心が受け止めたものを表現する。書いているうちに、自分が感じたことの本当の意味を探り当てる。その作業はスリリングで、ワクワクするものだった。たとえ、拙かったとしても。
あのとき『審判』についてレポートを書いていなかったら、今、マダムはブログを書いてないだろうと思う。
夏休みが終わって最初の授業の日、マダムを含め全員がレポートを提出した。その翌週の授業で、異変が起こった。
先生がいつものように教室を見渡したので、お、また始まる、とマダムは身構えたのだが、先生がこう言ったのだ。「私は、皆さんに謝らなければなりません」
「私はずっと、女子学生ばかり増えて困ると言ってきましたが、先週皆さんが出したレポートを読んで、考えを改めました。なかなかたいしたもんでした。女もやるもんだな、と思いました。」
マダムは呆れて、笑ってしまった。言うに事欠いて「女もやるもんだな」ってなんだよ。正直すぎるでしょ。
しかし先生は、二度と女子学生についての愚痴を口にしなかったし、二度と女子学生に対する皮肉っぽい態度を見せることもなかった。先生は本当に考えを改めたのだ。そしてそうさせたのは、マダム達が書いたレポートだったのだ。
誤解のないように言っておくけれど、マダムは別に自分のレポートが凄かったと言ってるわけではない。手元には残ってないから、今となってはどんな文章だったかわからないし、思い出せることもあまりない。レポートについての評価がどうだったかは、もうわからない。
ただ、あの教室にいた30人弱の女子学生が書いた劇評レポートが、凝り固まった先生の偏見を覆す力があったことだけは確かだ。今もマダムは、あのときのちょっと誇らしい気持ちを思い出すことができる。
あのまま、少しずつ世の中が良い方向に進んでくれていたら、今こんなことになってないはずだ、とも思う。
加藤健一の『審判』は何度となく再演を重ね、初演のとき30だった彼も今は、70になった。今度は演出に回り、息子の加藤義宗が演じるのだそうだ。公演は9月、場所は風姿花伝。
マダムは気力体力の充実を図ろうと思う。行けるかな。
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