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シェイクスピア

2019年8月23日 (金)

子供のためのシェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』を観る

 暑すぎて外出を控えてたので、ちょっと久しぶりの観劇。8月17日(土)マチネ、赤坂区民センター区民ホール。
 
子供のためのシェイクスピアカンパニー公演『じゃじゃ馬ならし』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/小田島雄志
脚本・演出/山崎清介 
出演 鷹野梨恵子 若松力 山口雅義 戸谷昌弘 加藤記生 
   大井川皐月 川澄透子 山崎清介
 
 毎夏、楽しみにしているカンパニーの公演。演目が「じゃじゃ馬ならし」と聞いて、このどうにも不愉快な芝居を、いかに子供のためのシェイクスピア流にしてみせるのか、興味津々だった。

 子供のための、と言いつつ、大人の鑑賞に耐えるクオリティなのがいつも素晴らしい。衣装も毎回美しくて、惚れ惚れする。
 ただ、今回は全体的に、若干インパクト弱め。ペトルーチオがキャタリーナにする仕打ち(敢えて仕打ちと言う)が台本通りでは酷すぎるので、その表現をやわらげたためかな。不愉快度が大幅減なんだけど、インパクトも下がる。難しい芝居ね。
 
 飲んだくれのスライ(若松力)は、飲み屋から放り出されて地面で寝ている。それを見つけた領主が、いたずらを思いつく。スライを自宅に運び込み、目が覚めたら殿様扱いして遊ぼうというわけ。
 スライは目覚めて、領主の召使いたちにちやほやされ、スライだったことは夢で、殿様が現実と思い込む。殿様にみせるお芝居「じゃじゃ馬ならし」が始まる。そこまでは通常の「じゃじゃ馬ならし」なんだけど、今回の山崎演出のひねりは、スライ(殿様)が役者たちに誘われ、芝居の主人公ペトルーチオを演じることになるところ。スライとペトルーチオは同じ役者がやるのが常だけど、そこにちゃんと理由があるの。そしてこれが、最後に効いてくる。

 鷹野梨恵子のキャタリーナは、大柄で華やかで品があって、全然「じゃじゃ馬」ではなく、自分の意思を無視しないでくれと言っている、現代的価値観からすれば、至極まっとうな女性。妹を縛るところはとんでもないけど、それ以外では、当然の主張をしているの。でも、台本が書かれた当時の価値観では、娘が、意志を持って意見を言うなんて、あってはならないことだったのね。
 当時のむきだしの男尊女卑観がこの本の不愉快なところだし、今、上演するときに、観客を納得させられるかどうかが演出の鍵なの。
 
 昔、シェイクスピアシアターで観たときは、全部スライの都合のいい夢でした、というオチだったの。なるほど、と思った。
 蜷川演出では、猿之助(当時は亀治郎だったかな)のキャタリーナが、表向きは夫に従ってるけど「今に見てなさいよ、このままじゃ済まないわよ」という気をギラギラと出してて、二人の今後が楽しみ、と思えた。
 で、今回の山崎演出のラストはね、終わったとき、ん?今のは・・・?って、すぐには腑に落ちなくて、一緒に観た友達と色々擦り合わせて、納得したの。合意に達した解釈を説明すると。
 ラスト、ペトルーチオの「じゃじゃ馬ならし」が成功してキャタリーナが貞淑な妻になり、ペトルーチオの「キスしてくれ、ケイト」の言葉に、キャタリーナが顔を寄せる・・・のだけれど、キャタリーナは冷たい眼差しでペトルーチオを見る。キスはせずに二人は離れ、劇中劇が終わって、ペトルーチオ役のスライは、衣装を脱ぎ、スライに戻る。
 ひとりになったスライは、すっかり恋に落ちている。ペトルーチオを演じているうちに、キャタリーナ役の役者を好きになってしまったのね。スライはひとり、キャタリーナを口説く場面のセリフを、もう一度繰り返す。
 するとそこへ、キャタリーナ役の役者が現れる。彼女もまた、芝居をしているうちにスライを好きになったのだった。二人は、口説き口説かれるセリフをもう一度、繰り返す。さっき演じていたときとは全く違う、情熱的で、心のこもった愛のやりとり。二人はキスして・・・芝居は終わる。
 戯曲の二重構造を利用して、後味のいいラブコメディとして終わらせるの、うまいなぁ。
 この終わり方にするならば、ペトルーチオのキャタリーナへの仕打ちを、酷いまま描いても良かったのかもしれない。子供向けではなくなっちゃいそうだけど。

 最後のシーンの、本気のスライのセリフが凄くいい! 同じセリフなのに、恋しい気持ちがあるのとないのとで、こんなにも違う。スライを演じた若松力、いい役者なのは毎年確認してたけど、改めて、本当に素晴らしい。居酒屋の女将に張り倒されたり、キャタリーナに突き飛ばされたりすると、トンボを切って、くるくる回るのには驚いた。
 役者の顔ぶれは、キャタリーナの鷹野梨恵子とルーセンショーの川澄透子以外は、安定のいつものメンバー。高いクオリティ。だけど、マダムは客席に伊澤磨紀さんの姿を見つけてしまって、やっぱり彼女に帰ってきてほしいな、と思わずにはいられなかった。

2019年5月30日 (木)

岡田将生の、死にたい願望『ハムレット』

 信じられない暑さ。5月25日(土)ソワレ、シアターコクーン。
 
『ハムレット』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/河合祥一郎
演出/サイモン・ゴドウィン
出演 岡田将生 黒木華 青柳翔 村上虹郎 竪山隼太 冨岡弘 町田マリー
   秋本奈緒美 福井貴一 山崎一 松雪泰子 ほか
 
 かなり迷った挙句にチケットを買ったの。
 いくらシェイクスピアだからって、イギリス人の演出家を連れてきたらなんか上手くいくだろ、というプロデュース態度がいやなのよ。あんな失敗例、こんな失敗例、たくさんあるでしょ。そして数少ない成功例のひとつ、プルカレーテの『リチャード三世』のときには、日本人演出補として谷賢一が全公演にしっかり帯同していたじゃない? なぜ、ここから学ばない?
 役者たちの顔ぶれを見れば、出身がバラバラで、シェイクスピアの経験がない人も多いし、日本語のわからない人の演出では絶対に行き届かないところが出てしまうのは自明のこと。「通訳」ではなく、普通に演出力のある「演出補」が絶対に必要なのに。
 
 というような考え方のマダムなので、今回は、ただ岡田将生の美しさを眺めたかったのと、歌舞伎でいう「任(にん)」であるとしか言いようのない竪山隼太のホレイシオ見たさで、出かけたの。
 そしてその期待は満たされた! まあ、美しいわー、岡田将生。あの、へんてこりんな衣装の全てを着こなして、ちゃんと王子でいられるスタイルの良さと美貌、気品。惚れ惚れした。(途中、「笑う男」みたいに登場したのには吃驚&心の中で内輪ウケ。)
 それとね、のっけから両手首に包帯巻いてて(つまりリストカットの痕がある)、「To be,or not to be」のところは吊るしたベルトに首をかけながらだったりで、とにかく死にたい願望に支配されてるハムレット、っていう設定がおもしろい。ここまで生命力がないと、なかなか復讐できないヘタレなハムレットに凄く説得力が出るのね。河合祥一郎の翻訳も「生き死に」で翻訳しているので、ベルトに首をかけながら言うと、ぴったり。
 岡田将生の台詞は、普通に伝わるし、頑張っていたのだけれど、独白じゃない部分も独白みたいになっちゃってるところが多々あり、芝居が平板になりがち。例えば、ガートルード(松雪泰子)と口論するシーンで、ガートルードが「お前はこの胸を真っ二つに裂いてしまった」って言うと、ハムレットが「悪い方を捨てて、いい方だけで清らかな日々を過ごしなさい」と言い返すでしょ? ガートルードの、胸が二つに裂けたという言葉を聞いたから、じゃあ、かたっぽのいい方だけで生きて行けよ、という台詞が出るんだけど、岡田ハムレットは、ガートルードの台詞を聞く前からもう、自分の台詞が用意されちゃってるの。相手の台詞を受け取って、言葉を返す、っていうのができてないことがあって、芝居がしぼむ。
 これは岡田将生だけじゃなくて、役者たちの大方がそうなってしまっていて(これって芝居の基本だよね)、そこを直すのは、日本語がわかる演出家じゃないと無理なんじゃないのかしら。みんながみんな少しずつ足りてないのが、全体に及ぼす影響ときたら。
 マダムが日本人演出補にこだわるのは、こういうところなのよ。
 まあ、イギリス人演出家にしてみれば、シェイクスピアをやろうと集められた役者であれば、そんなことは普通にクリアしているのが当然なのかもしれない。そういうところから鍛えなければならないとは、思ってないのかもしれないけれど、ね。
 
 装置も衣装もポップで現代風なんだけど、役者の芝居も軽いので、全体になんだかフンワリして、印象が薄かった。亡霊の動きがキビキビしてて、マイクを通して響く亡霊の声もテキパキしてて、なんとも軽い。場面転換のとき流れる音楽も、妙に軽い。ローゼンクランツとギルデンスターンが男女になっていたけど、間違われやすい二人、という設定がなくなる以外の効果はなんなんだろう? 劇中劇も軽けりゃ、クローディアス(福井貴一)の懺悔も軽い。なんか、終わるとすぐ忘れるような印象の薄さ。
 衣装もイマイチだった。特にレアティーズ(青柳翔)、フォーティンブラス(村上虹郎)、ホレイシオ(竪山隼人)の衣装、地味すぎ。みんな日本人的な中肉中背なので、舞台映えしない。
 
 オフィーリア(黒木華)が狂ってみんなに花を配るところ、自分の髪をごっそり抜いて配るのがショッキングだったり、ホレイシオの竪山隼人が予想通りのニンで、限りなく優しいホレイシオだったり、文句は言ったものの岡田将生は美しくナイーブなハムレットを造形してたりして、観に行って良かったとは思うの。
 でも、いろいろ勿体なかったなって感じること、しきり。そして、チラシにはプロデューサーの名前がなくて、文句の持って行きどころがないのが、なんとも最近の日本、って感じ。責任者がいないのね・・・。隠れるなよ。

2019年5月22日 (水)

AUN Age 旗揚げ公演『オセロー』

 浅草の街は、三社祭で賑わってた。5月18日(土)マチネ、5月19日(日)マチネ、浅草九劇。

 
劇団AUN Age.1『オセロー』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/小田島雄志
監修/吉田鋼太郎 演出/長谷川志
出演 沢海陽子 橋倉靖彦 松本こうせい 谷畑聡 杉本政志 齋藤慎平
   飛田修司 桐谷直希 
河村岳司 悠木つかさ 水口早香 近藤陽子
  
 星和利 砂原一輝 松尾竜兵 
 

 観終わって最初に頭に浮かんだのは、「日本シリーズを経験するとキャッチャーはこれまでにない成長を遂げる」(©野村ヤクルト元監督)という言葉だった。
 野球をご存じない方のために補足すると、つまり、短期間であっても大舞台を経験すると選手はグンと成長する、ってことで、これは芝居における役者も全く同じなんだなあ、と感じたの。
 劇団AUNは、主宰の吉田鋼太郎が忙しくなってしまいシェイクスピア公演を打てなくなってきていたけれど、若手の演出家、長谷川志が育ってきて、Ageというシリーズを始めることになった。大歓迎!常に面白いシェイクスピアを求めているマダムにとっては僥倖だー。
 でも、いきなり、オセローとは、勝負に出たね。
 しかも、これまでAUNの舞台で主役クラスを演じていない役者たちを真ん中に据えて。
 
 
 
 雨が降っている。
 暗い夜、雨がそぼ降り、傘をさした二人の男が、ボソボソと不平不満鬱憤をつぶやきあっている。「オセロー」ってこんな始まりだったっけ? 不穏な感じに、一気に引き込まれる。とてもいい滑り出し。
 舞台上にはセットらしいセットはなく、したがって場面転換も必要なく、台詞のやり取りだけでどんどん進んで行く。悪漢イアーゴーの怨念こもった台詞に乗せられる。齋藤慎平のイアーゴー、屈折感ハンパなく、これまでの陽性の演技の下に隠れていた鉱脈を発見した気がした。台詞が嫉妬、逆恨み、言いがかり、悪巧み付きで、ビシビシ届いてくる(千秋楽は声が枯れてて、残念。喋りまくりだもんね、イアーゴー)。
 一方の谷畑聡のオセローは、静けさで、背後にある巨大な熱情を押しとどめていて、軍服の似合う屈強な男だった。彼の演技にはさらに驚いたよ。やはり陽性のイメージがあったので、真面目一点張りの静かな口調に、違う人かな?って感じるほど。台詞の運びと、激情に駆られる演技がまた、吉田鋼太郎にそっくり(そっくりなのは悪くない。そっくりなところまでできる技術が、すごい。その上にオリジナリティが乗ったら、どれほどになるかしら)。
 
 オセローは難しい芝居ね。四大悲劇の中で、いちばん難しいのじゃない? 日本では上演機会が少ないと思うし、マダムはこれまで観た(中継映像も含め)なかで、腑に落ちたことがない。なぜかというと、物語の背後にずっと流れているだろうオセローに対する「差別意識」を、観客が受け取れないから。日本人の観客が受け取れる演出に今のところ出会えない。差別意識の存在を受け取れないと、オセローがただ「騙されるバカなやつ」に見えてしまって、大きな悲劇にならない。
 オセロー自身は差別されるはずがない、という態度だし、実は隠れ持っているコンプレックスも、見えづらい。そのコンプレックスを突かれたからこそ、突然罠に落ちるんだけれども、コンプレックスの表現が難しい。
 今回もそこのところの演出はうまくいってなくて(ていうか、うまくいってる演出を見た経験がないんだけど、ありうるのかしら?)、オセローを演じる役者の、感情の振り幅だけに頼っている気がした。ホントに大変な役だよ・・・。
 
 一方で女たちの描かれ方はとても良かった!
 無実の罪を着せられて不幸のどん底に嘆くデズデモーナ(悠木つかさ)には、普段は泣かないマダムの眼にも涙が浮かんだし、デズデモーナに寄り添うエミリア(水口早香)とは一緒になって憤ることができたの。特に、デズデモーナが殺された後のエミリアは圧巻。命をかけてオセローや夫イアーゴーを糾弾する台詞が、本当に素晴らしくて、ぐいぐい揺さぶられ、心鷲掴み。
 シェイクスピアの台詞って、役者の気持ちがちゃんとそこに乗って届けば、こちらを揺さぶるようにできているのね。
 
 あといくつか、気がついたこと。キプロスの勝利の夜、男たちが足を踏み鳴らして踊るシーンが印象深く、そうか、この芝居は荒っぽい軍人たちの物語なんだって思って! 重要なことだ。血気盛んで、殺気立ってる集団のなかで起こる事件なんだね。
 それと、オセローがデズデモーナを絞め殺すベッドだけはセットがあって、薄明かりのついた(わざと見せる)暗転でベッドが運び込まれ、シーツをセッティングするのがイアーゴーなの。皮肉が効いてる演出で、好きだな。
 
 シェイクスピアはどんなアレンジも受け入れる懐の深さがあるけれど、基本は「台詞をどんなつもりで言ってるか」と「それを周りはどう受け取ったか」が表現できるか、それだけだし、またそれができてなければ、どんなアレンジも無駄なんだよね。AUNはその基本ラインを絶対にはずさないので、すごく信頼してる。
 Ageシリーズが次々、上演されるのを待ってます。

2019年2月24日 (日)

『ヘンリー五世』を巡るあれこれ 台本を切るということ

 今日、さいたま芸術劇場の吉田鋼太郎演出『ヘンリー五世』は無事、埼玉千秋楽を迎えた。まだ地方公演はあるけれど、一つの区切りと思い、この公演の周りで起きた論争について、マダムの私見を書いておきます。

 いろんな意見がSNSなどで飛び交っていたようなのだけれど、どうも、問題点が整理されずにごちゃごちゃのままだ。そんな中では意見が言いにくい。だからSNSではなくて、自分のブログで整理したい。
 問題は3つに分かれている。

 ①そもそもシェイクスピアの台詞を切っていいのか

 ②脚本を切るとき、誰が切るのか

 ③脚本を切るとき、どこを切るのか

 3つの問題はそれぞれ、全く別の問題なので、ひとつひとつ切り離して考えなければならない。

 ①について。
 これはもう言うまでもない。日本でシェイクスピアの公演をするどんな団体も劇団も、脚本を部分的にカットして上演してきた。新国立の『ヘンリー五世』鵜山演出版も勿論だ。俳優の実力の問題もあるし、予算もあるだろうし、目標とする上演時間というものがあるから。もしカットせずにやるとなったら、上演時間が4時間とか、5時間とか、6時間とかになって、観客が埼京線の最終に乗れない事態になったりする。そんなことが許されるのは蜷川御大だけだ。現存する演出家でそんな治外法権が認められてる人なんて、いない。
 だからどんな場合にも、脚本のカットはせざるを得ない。

 次に②について。
 これは最終的には演出家の専権事項である。どんな作品にしたいのか、その方向性に従って、脚本のカットを決めるわけだから。方向性が頭の中にあるのは演出家だから。ある台詞をカットしたとしても大丈夫だ、と判断できるのは、どういう演出でカバーできるかを知っている人だけだから。
 途中、周りの人の意見を聞いたとしても、決めることができるのは演出家だ。他にはいない。

 ①も②にも、議論の余地はない。なので、論争になるべきは③だけである。

 ③について。
 これはまず芝居を観てみなければ、その是非について話すことはできない。今回だって、出来上がったものを見て、マダムは演説がないことを寂しいと思ったり、一方で無くても成立していることに驚いたりした。台本がカットされている事実だけでは、なにも議論できない。なんのために、どこをカットし、その結果、芝居がどうなったのか、を考え、その上で、芝居を評価する。ある人は良い芝居だといい、ある人はダメな芝居だと言うだろう。そこで初めて議論ができるのだ。
 そしてダメな芝居だと言うなら、具体的に演出について考え、指摘しなければならない。演出家には演出家の考えがあって台本を変えたわけだから、そこをリスペクトしてものを言わなければ、ただの悪口だ。個人攻撃なんぞ議論の足しにはならない。ただの悪口なら聞かないでいい、議論しなくていいや、となるだけである。
 
 吉田鋼太郎という人は、もう40年もほぼシェイクスピア一筋でやってきた役者である。蜷川作品で多くの人に知られるより前に、シャイロック役で紀伊國屋演劇賞個人賞も取っている名優であり、自分の劇団で20年近くシェイクスピアの演出を続けてきた演出家でもある。
 そういう人が、なんの考えもなく思いつきで、台詞を切ったり貼ったりするわけないではないか。まずはその考えがなんなのか、探ってみようとするのが批評の第一歩なのではないのか。
 なぜこんなあたりまえのことを、市井でちまちまとブログを書いてるだけのマダムが言わなければならないのだ。
 
 そして言いたいのは、観客一人一人がそれぞれ芝居から受け取ったものについて、誰も他人が否定することなんかできない、ってこと。
 みんな、自分が感じ取ったことを大切にして。批評するにせよなんにせよ、それがスタートだよ。

2019年2月20日 (水)

『ヘンリー五世』二回目観劇の驚き

 初日から1週間が経った。2月16日(土)マチネ、さいたま芸術劇場大ホール。
 

彩の国シェイクスピア・シリーズ第34弾『ヘンリー五世』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/松岡和子
演出/吉田鋼太郎
出演 松坂桃李 吉田鋼太郎 溝端淳平 横田栄司 中河内雅貴 河内大和
   間宮啓行 廣田高志 原慎一郎 坪内守 松本こうせい 長谷川志
   鈴木彰紀 竪山隼太 堀源起 續木淳平 髙橋英希 橋本好弘 
   大河原啓介 西村聡 岩倉弘樹 谷畑聡 斎藤慎平 杉本政志 山田隼平
   松尾竜兵 橋倉靖彦 河村岳司 沢海陽子 悠木つかさ 宮崎夢子
 

 
そろそろネタバレを警告するのも疲れてきたので、皆さんそれぞれの意思に任せます。読みたい人は読んじゃってください。
 開幕から1週間経って、ほぼ中日の土曜日マチネ。初日より更に面白くなっていてね。
 観終わって、びっくりした。演説がなくても何の違和感もなく1本の芝居として、ちゃんと成立しちゃってたの。
 いったい何が起こったんだろう。
 
 初日に比べると、あちこちに細かい修正が加わっていたことはわかった。それによってか、でこぼこや、滞留が解消され、シーンとシーンの繋ぎ目がなだらかになり、桃李ヘンリーをはじめ登場人物に3時間、一人の人間としての一貫性が流れるようになった。そうしたら芝居全体が一個の生命体みたいに動き出した感じ。そのグルーブ感に酔ったわ。
 初日には少し謳いがちで上ずったところがあった桃李ヘンリーのセリフも、既に完璧。スピードが上がっても滑舌は見事だったし、溜めるところ、悩むところ、怒るところ、感情が爆発するところ、とても表現が豊かだった。・・・ヘンリーがどんな人かってことが余すところなく伝わってきて。
 そう。演説がなくても満足するほど、ヘンリー像を受け取れたの。ていうか、演説のことを忘れた・・・。
 初めの頃に観て、演説がなくて寂しいと思った方は、もう一度観るといいと思う、先入観を捨て、平らな気持ちで。なくても大丈夫なことがわかって、ビックリするから。
 とはいっても、観たくてももうチケットを入手するのが困難かな。
 
 だからマダムが不満なのは、求婚シーンだけ。やっぱり観ていて、照れ臭くてムズムズする。
 ラブシーンのとき、役者が完全に役に入り込んでいれば、観る方は全然恥ずかしくないんだけど、ほんのちょっとでも(たとえ1ミリでも)役になりきれていない部分があると、凄くムズムズする。今回の演出では、このムズムズが解消されなかったね。
 ここだけヘンリーに一貫性がないし、フランス王女も二つしかない出番のシーンに一貫性がないな、と思った。これは役者のせいじゃなく、演出のせいだと思う。ハッピーエンド風にしすぎじゃない?
 こういうところ、マダムは簡単に騙されないよ、百戦錬磨だもん。

 
 だけど、充分、満足。
 松坂桃李、凄い役者になったね。演技の上手い人こそ、本当のイケメン。最高の賛辞を贈る!
 
 マダムは、もう日本での『ヘンリー五世』上演を観ることは二度とないでしょう。
 だって、35年もシェイクスピア好きなのに、ずっと観たことなかったんだもの。上演がなかったから。
 なのにこの1年で、ふたつの上演に出会えて、そのどちらもが忘れがたい印象を残してくれて、幸せ。
 確信を持って我が道を行く浦井ヘンリーと、迷い悩みながら決断していく桃李ヘンリー。どちらも、素晴らしい。
 
 さてこの後、少しお時間をいただいてから、追記の記事を書く予定。
 頑張る。

2019年2月19日 (火)

松坂桃李の『ヘンリー五世』 その2

 遅くなってごめん。その2も当然、ネタバレ三昧なので、これから観る方は、観てから読みに来てね。
 

   ******************************
 
 桃李ヘンリー以外の役者さんたちについて。

 吉田演出の特徴として、その場で起こっていることに、登場人物たち全てが全霊をかけて反応する、というのがある。
 もちろん誰の演出であっても、脇の人が反応するのはあたりまえなんだけど、吉田演出では「全霊をかけて」反応するの。役者さんたちの「気」の動線がわーっと集まるから、観客は自然と「今起きていること」に視線を向けるし、その意味もよくわかる。わかりやすく出来てるの。
 吉田鋼太郎率いるAUNの役者たちを始め、ずっと一緒に芝居を作ってきた役者たちはその演出を体得しているので、あらゆるところで「気」の動線が飛びまくっていた。英仏双方の使者がやってきて火花散るシーンはもちろんのこと、フォールスタッフが死にそうだという知らせが来るシーンも、謀反の三人を断罪するシーンも、ヘンリーがフルエリンからネギを捧げられ囓る決心を迫られる数秒(ここの桃李ヘンリーの演技が素晴らしー)も、そのあと全員でネギを奪い合うように頬張るところも、ヘンリーと王女がキスしてるのを発見して全員、顎が外れそうになってるシーンも、皆そうなの。
 なので、台詞が少なくても「気」を飛ばしまくって素晴らしかった二人の王子(鈴木彰紀と竪山隼太)をまず褒めたいわ。どんなシーンも(ネギ頬張ってても)品の良さが損なわれず、ちゃんと王子の佇まいだった。いつも、兄王を慕っている強い気が出ていた。桃李ヘンリーと並ぶと、なにこのやたら美しい三兄弟は!ってため息。眼福だ〜。

 
 今回、衣装が美しい。

 特にフランス側の衣装は、青と金を基調にして、優雅なの。
 フランス王の横田栄司。髪も金色で、美しくて上品でゆったりと威厳があって、見惚れた。なんだか久々に美しい姿を見て、嬉しかったし、耳に心地よい声なの。出番は少ないのだけれど、だからこそ彼くらいの存在感がないと、フランス側を印象付けられないよね。

 フランス皇太子の溝端淳平。黒い衣装の桃李ヘンリーに対し、彼は金髪と明るい青の衣装。大活躍ね。初めから殺陣に加わり、最後はヘンリーと一騎打ち。彼の性格づけは、『ヘンリー四世』のホットスパーみたいだなあと思った。ハルのライバルはいつも、血気盛んで短気な自信家だ。でもホットスパーと違って強くない。素敵に作っていたけど、それでもおバカテイストが匂う。
 でも一番インパクトがあるのは包帯ぐるぐる巻きで車椅子に座ってる姿だった。テニスボールを握ってるのは、リハビリのためかな・・・。
 
 フルエリンは、横田栄司ではなく、河内大和。フルエリンの言動は笑いを誘うんだけれど、でも決して「笑われて」はいけない役だ。真面目で誇り高く、強い軍人なのよね。そのあたりのさじ加減が見事で、すごい役者だなあって改めて感心。この人をフルエリンに抜擢した演出家も偉い。河内大和は大きな舞台でシェイクスピアを演る人だとマダムは思ってる。

 蜷川組やAUN、ネクストシアター、カクシンハンの、手練の役者が居並ぶ中へ、ミュージカル界から一人で飛び込んできてくれたピストルの中河内雅貴。新鮮だった。中河内雅貴といえば、マダムは去年『ジャージー・ボーイズ』で2列目ど真ん中から彼を見つめていたのよ。2メートルの至近距離。きらびやかな衣装と、気取ってる台詞のトミー。その彼が今は髭を生やし、薄汚れた衣装で、機関銃のように台詞を喋っている。めっちゃ楽しそうに。なんだか全然違う扉を開けちゃったんじゃない?マダムはすごく嬉しくなっちゃったんだよ。ようこそ、シェイクスピアの世界へ。また出てほしい。
 
 それと、どうしても触れるべきはエクセター公爵の廣田高志。彼は、ずっと蜷川組を支え続けてきた役者で、顔も佇まいもよく知っているんだけれども、どの役をやってたかと言われるとマダムは思い出せないんだった。それは決して彼のせいではなくて、役者の中でも黒子に徹することを、知らず知らず要求されてきた、のかもしれない。今回の演出でマダムはこれから、エクセター公爵といえば廣田高志を必ず思い浮かべると思うの。ヘンリーがフランス王女を娶ることに決まった時、エクセター公爵が泣き出したのにはびっくりした。蜷川演出では見たことのない姿だったんで。
 『ヘンリー五世』は彼にとっての代表作になった。
 
 全員を挙げていきたいところだけど、長くなったので、あと一人だけ。
 小姓とアリス(侍女)の二役をやった悠木つかさの、八面六臂の活躍に舌を巻いたね。さすがAUN仕込み。「気」を飛ばす量が桁違い。殺陣もフランス語もすごいけど、一番は、求婚シーンで一人「気」を飛ばし続けるところ。ムンクの叫びみたいな顔になってる。もうちょっと前に出てきてやってほしい。
 
 
 というわけで、その2終わり。先日2回目の観劇をしてきて、大いに発見があったんで、なるべく早く次の記事を書くわね。待ってて。

2019年2月12日 (火)

松坂桃李の『ヘンリー五世』 その1

 初日のレビューを書き始めるわね。2月9日(金)ソワレ、さいたま芸術劇場大ホール。

彩の国シェイクスピア・シリーズ第34弾『ヘンリー五世』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/松岡和子
演出/吉田鋼太郎
出演 松坂桃李 吉田鋼太郎 溝端淳平 横田栄司 中河内雅貴 河内大和

   間宮啓行 廣田高志 松本こうせい 長谷川志 鈴木彰紀 竪山隼太

   斎藤慎平 沢海陽子 悠木つかさ ほか

 

 さて、これから書くことは一言一句、ネタバレになるの。
 なので、これから観る予定の方、仕事中の役者の方は、読まないで、ここで引き返してね。観る方は観終わってから、役者の方は全公演、演じ終わってから、お読みくださいね。お願いよ。
 
 
 いい? 帰るひとは帰った?
 
  
   *****************************
 

 放蕩息子だったハルが、亡き父のあとを継いで王ヘンリーとなって帰って来た。
 しかも凄く、男っぽく、格好よくなって。

 まあ、松坂桃李の素敵なことといったらない。黒い衣装が凛々しくて、台詞の口跡も爽やかで(初日は少し謳いがちだったけど)、肉弾戦の殺陣も真っ向勝負。
 そしてこの『ヘンリー五世』という本は、ヘンリーに語らせること語らせること。ずうっと松坂桃李の声に耳傾けていた気がする。するとね、この若い王様が、いかに瑞々しい心を持っていたか、けれどいかに苦い決断を何度もしなければならなかったか、ということがわかっていくの。
 始め、ヘンリーはフランスとの戦争になかなか踏み切れない。周りの重鎮たちは、いろいろな思惑があって王を戦争に駆り立てようとするけれど、桃李ヘンリーはすごく慎重だ。フランス皇太子からのテニスボールにかっとなって戦争になったわけじゃなく、話し合いの中で悩んだ末に決意する様子が描かれている。
 フランス行きの船に乗る前、サウサンプトンで裏切り者3人を切り捨てるところもそうだ。桃李ヘンリーは、慈悲をかける可能性をギリギリまで秘めた表情をしていて、スクループ卿の「罪人に慈悲をかけるな」という言葉を聞いて初めて彼らを断罪する心が決まる。そのときの絶望を振り切ろうとする表情と激しい言葉が、こちらの心を揺さぶるの。
 桃李ヘンリーは、ギリギリまで迷う王なのね。それがいいの。迷いを見せてはならない立場なので、見せないように振る舞うけれど、観客にはちゃんと見せてくれる。
 そのあとも次々、そういうシーンが現れる。
 野営地の夜、部下のマントに身を包んで、王じゃないふりをして兵士と会話するシーン。「兵士一人一人の死に責任なんか持てない!いくら王だって」と語る長い独白がとても聴かせる。このとき桃李ヘンリーはまだ、ハルの時の心をちゃんと持ち続けている。大人になったハルがいるな、と思える。
 殺陣がすごい。推しポイントで言ったけれど、これは派手だとか、長いとか、階段落ちがあるとか、そういう意味で言ったのではなく(いや、階段落ちはすごいんですけれども)。肉弾戦で血みどろで、人間が人間じゃなくなっていく様子をしっかり描いてる。戦いの中で、桃李ヘンリーは昔の遊び仲間のバードルフの処刑を命じる。命じざるを得ない。ここの演出が容赦ない。王の目の前でバードルフは首を絞められる。ヘンリーは目をそらさず、それを見続け(今にも倒れそうなのだけれど)、見届ける。
 そして、昔の友を葬ったときから、桃李ヘンリーから徐々に迷いがなくなる。それは彼の中からハルが消えていくってこと。猛烈な戦闘に自ら飛び込んでいく。
 戦いが終わる頃には、疲れ果てて、皆ヨレヨレで、それでもヘンリーは言葉激しく、部下を叱咤激励しつつ、なんと自ら捕虜の首を掻き切ったの…(「のどかき切ってやる!」という台詞はあるのよ、あるんだけど、王がホントにやっちゃうなんてさ)。
 毒を喰らわば皿まで、とはこのことだ。
 自分の中のハルを殺し、自分の心も殺しちゃったみたい。
 
 『ヘンリー五世』はやっぱり戦争の芝居なのだ。たった一つの戦争を王として駆け抜けて、勝ったのに、あっさり死んじゃった王様の物語。短い間に、人の人生の何倍も喜怒哀楽があり、一気に大人になり、血みどろにもなった。これだけのことをマダムに感じさせてくれた桃李ヘンリー、素晴らしい。
 
 だからこそ、二つの点で、マダムは首をかしげる。
 ひとつは、どうしてアジンコートの演説がないのか、ってこと。
 バードルフを処刑して、下級兵士たちの本音も聴いちゃって、戦いも負けそうで、心ズタズタのヘンリーが、どうやって、どんな言葉で、圧倒的不利な兵士たちを奮い立たすことができるのか? 自分の中はもう空っぽなのに、みんなに最後のエネルギーを与えなくちゃならないの。ものすごい見せ場なのよ。無くて、メッチャ悲しかった。桃李ヘンリーに、もっと無理難題を押し付けてほしかった。だって、できるじゃん、彼。
 もうひとつは、もっと愕然としたのだけど。あの求婚シーン。
 そりゃあ、素敵だったし、ファンはメロメロかもしれないけど。でもあのシーンだけヘンリーじゃなくなってる。ただの松坂桃李になってる。役が抜け落ちてる。
 戦勝国の若き王が、戦敗国の王女に求婚する。ただのラブシーンじゃないわけで。なのに、二人とも、コスプレしたその辺の若者になってしまってる。
 ここまで凄くいいヘンリー像を描いてきたのに、がっくりきたマダムなのだった。
 
 なのだけど、そのすぐあとにやってくるラストシーンが、美しいんだよね。
 ちょっと泣きそうになるくらい。
 
 その2で、他の役者さんたちのことなど、書くね。

2019年2月 9日 (土)

速報『ヘンリー五世』初日

 かなり待ちくたびれた。2月8日(金)ソワレ、さいたま芸術劇場大ホール。

彩の国シェイクスピア・シリーズ第34弾『ヘンリー五世』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/松岡和子
演出/吉田鋼太郎
出演 松坂桃李 吉田鋼太郎 溝端淳平 横田栄司 中河内雅貴 河内大和

   間宮啓行 廣田高志 松本こうせい 長谷川志 鈴木彰紀 竪山隼太

   沢海陽子 悠木つかさ ほか

 
 初日に行ってきた!
 それでもう、あんなことやこんなことを山ほど書きたいんだけれど、どれもこれもネタバレ過ぎる。
 なので、もう一度観に行く予定もあることだし、レビューは少ししてからたっぷり書くので、待ってて。
 今日は、ゲキ推しポイントを挙げておくので、これから観る方、お楽しみに!

ゲキ推しポイント
 ① とにかくヘンリー(松坂桃李)が素敵。大人の男になった。
   かっこよすぎるだろ。
 ② 殺陣が凄すぎる。こんな殺陣はマダムの観劇史上、初めてかも。壮絶。
   観るほうも、体力勝負。へとへとになる。
 ③ ネギが乱れ飛ぶ。抱腹絶倒。
   少し匂うので、前方席の人はマスク着用するのも良いかも。
 ④ 吉田鋼太郎のファンの方、安心して。出番がたくさんある。
 ⑤ ラストの演出が素晴らしい。四世から観てる人は泣く。
 
 以上、簡単だけど、初日の報告よ!
 みんな、楽しんできてね。

2019年1月 3日 (木)

新年のご挨拶と、炎の報告

 あけましておめでとうございます。
 今年も、マダム ヴァイオラと、このブログをよろしくお願いいたします。
 
 さて、大晦日にメタマク3の大千秋楽に行ってきたので、ちょっとここで炎の報告を。
 最初にせりが上がってきてランディ浦井の姿が現れると、劇場中から「キャーーーーーーッ‼︎◯#△♡‼️」という黄色い声が飛び、完全にメタルのコンサート会場と化した。それがメタマクっていう芝居にぴったり。このままハイテンションで、芝居じゃなくなっちゃうかも?って思ったけど、キャストの人たち、すごーい。あの雰囲気でも、普通に着実に芝居を進めていって、いつしか観てる方も楽日だってことを忘れるくらい、芝居に没頭したの。まあ、本当にランディ浦井の演技の素晴らしかったこと。歌のキレ、殺陣のキレ、最高潮だった。浦井健治という人は、役が自分の中に完全に入った時、いちばん自由になる人。
 長澤夫人も3回観た中で最高の演技。
歌もしっかりものにして、ドスの効いた声も自由自在。ランディ夫妻の悲劇が、マダムの心を掴んで離さない。終わらないでくれ、と思いながら観てたの。
 カーテンコールは30分の特別バージョンで、本番にはない「リンスはお湯に溶かして使え!」とか「ダイエースプレー、買ってこいや」とかも歌って、大盛り上がり。最後は、キャスト全員で客席に向かって餅を撒いて、締めた。
 心から満足した年の暮れでした。
 
 新しい年が始まったけど、マダムはまだランディロスかも。

 でも、次の観劇の予定が迫ってきてる。
 またいい出会いが色々あるよ、きっと。
 皆様、今年もよろしく。芝居を心から楽しむためにも、世の中がまともに戻るようみんなで踏みとどまろうね。

2018年12月26日 (水)

進化するマクベス浦井 『メタルマクベス』disc3 2回目

 皆があんまり浦井健治が進化してる、って言うから、千秋楽まで待ちきれず、また行っちゃった。12月24日(祝)マチネ、IHIステージアラウンド東京。

新感線⭐︎RS『メタルマクベス』disc3
原作/ウィリアム・シェイクスピア 脚本/宮藤官九郎
演出/いのうえひでのり
出演 浦井健治 長澤まさみ 高杉真宙 柳下大 峯村リエ 栗根まこと
   吉田メタル 冠徹弥 小沢道成 橋本じゅん ラサール石井 ほか

 驚いたね。
 浦井ランダムスター(マクベス)、上手くなってた。そのうえ、2ヶ月近く公演してて、3倍くらい元気になっているのよ〜。バケモンだわ〜(←大絶賛)。
 11月に観たときは、自分の力を見極めてるところだったのか、配分を考えてる風だったのね、殺陣とか、歌とか。最初の方は抑えめで、ラストのためにエネルギーをとっとく感じ。
 それがもう、抑えなくてもやれるってわかったのか、最初から全開。一番最初にせりが上がって登場するときから、オーラ出しまくり。もともと歌は上手いんだけど、メタルらしい歌い方がすっかり身について、歌の力、増し増し。
 例えば、なんども歌われる「私の体はサソリでいっぱい」は、サソリが殺意になり失意になるあたり韻を踏んでる感じがあって、宮藤官九郎の面目躍如な歌なんだけれど、夫妻で思いっきりシャウトしてロックで歌い、ランダムスターひとりで哀しみをたたえて歌い、最後の方ではいっちゃってる感じで歌う。歌の技術を縦横無尽に使って、ホントに聴かせてくれる。そして一瞬たりとも役を離れない。全て台詞として歌っていて、全部ちゃんと意味が聞こえ、感情が伝わる。素晴らしい!

 演出も、少しずついろんなところを手直ししてて、マクベス像がよりはっきりした。2回目見て思ったのは、上昇志向が強いのはやはり夫人の方なの。ランダムスター(マクベス)が魔女によって掘り出されてしまう欲望は、王になりたい欲じゃなく、殺したい、破壊したい欲望なんだね。時折、自分の破壊欲が恐ろしくなって、尻込みしたり、ふらついたりするんだけど、夫人の上昇志向が彼の逃げ場を塞いでいく。
 長澤まさみの演技は大きく変わらなかったけど、ずっと芯が通ってて、彼女も役を離れてしまう瞬間がないの。凄くいいコンビ。だからもう、完全にランダムスター(マクベス)夫妻の物語になってて、ふたりで舞台をかっさらっていった。
 
 なので、随所にちりばめられている、かなりくだらないギャグが邪魔だな、と改めて思うマダム。友人の言葉が言い得て妙だったのだけど、新感線はサービス精神がありすぎて「フルコース出してる途中に、サービスでちょいちょいカツ丼を出してくる」のが、玉に瑕。カツ丼も好きだけど、今は食べたくないって思うわけよ。
 だから、王様への報告は1回でいいし、ラスクの話も1度でいいし、夫人が飛び道具使うのも3回目はいらないし、門番の頭に斧が刺さるのも1度で充分だし、エクスプローラー(バンクォー)が吐くところもいらない。これで30分短くできるよ。(門番が立ちションするところもいらないという意見もあるけど、「尿意継承者」っていうギャグが面白いのでそこは許す。)シェイクスピアの中でも最も短くて無駄のない話なのに、長くしすぎだよ。それなのに、他の登場人物の大切なシーンをカットしちゃってるしね。
 
 でもね、マダムはもともと全く新感線ファンじゃないけど、ギャグは新感線の客へのサービスだし、生命線でもあるわけでしょ。そのギャグが邪魔だと感じるほど、ランダムスターの物語が強大だっていうことはさ、浦井健治が新感線を突き抜けちゃった、ってことなんじゃない? それほど「マクベス」っていう役を生きちゃってるってことなの。
 浦井健治はやっぱり、マダムの見込んだシェイクスピア俳優だったのよ。

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