最近の読書

シェイクスピア

浦井健治の、いっちゃってるマクベス 『メタルマクベス』disc3 その2 そして日本のオリジナルミュージカルについて

 昔からこのブログを読んでる人は知ってると思うけど、実はマダムはミュージカルが苦手。日本人がやるミュージカルって、なんだか、文字通りとってつけたような感じがして、受け入れ難かったの。いろいろと凄いものに出会った今でも、その気持ちは根強くある。
 輸入物の常として、メロディと日本語の訳詞があってなかったり、役者の表現が感情を表しきれなかったりするでしょう? 最近、日本のオリジナルミュージカルもあるけど、相変わらず外国の作曲家に曲を書いてもらうことが多いし。なんで?って不思議に思ってた。
 
 でも『メタルマクベス』は完全な日本のオリジナルミュージカルだ。
 もちろん原作はシェイクスピアだし、宮藤官九郎の脚本も、ちゃんとマクベス。なんだけど、歌詞も音楽もすべて日本人スタッフなわけだし、面白いのは、場所を日本に(豊洲だよね)し、出てくるのは実はみんな日本人なのに、時代を未来に持って行ったので、ランディとかレスポールとかグレコとかいう名前にも違和感がなくて、でも別に演技は日本人のままでよくて…という、なんでもありの状態を作り出してる。無国籍状態を作り出すのは新感線の得意技だけど、ただ、宮藤官九郎は、新感線の普段の得意技に、輪をかけて上手い仕掛けを作った。それが現代(といっても1980年代)のメタルバンドが未来を予言するような歌を作っていた、っていう二重構造ね。それによって、2280年の世界のランディもエクスプローラーも王様も王子も、日本人のメンタリティのままで全然オッケーになってる。本当に上手い脚本だわ。
 
 音楽もオリジナル。歌詞は完全にクドカンワールドだし、曲はホントに歌詞にぴったりで、芝居の中に溶け込んでる。未亡人の歌(マクダフ夫人の歌)なんてサザエさんのパロディだし、そうかと思えばキャラメルの歌みたいにじんわり沁みてくる曲もあり、歌謡曲から演歌調から、そしてもちろんメタルロックまで、テイストが耳に馴染んでくるものばかり(まあ、ちょっとうるさかったり、しつこかったりするんだけどね)。

 そうそう。言い忘れてたけど、1980年代のマクベス浦井のバンドの衣装が、すごく好き。衣装の中で一番好きだ〜。
 金色の巻き髪のカツラに、金の縫い取りがキラキラのブルーのジャケットで、まるでオスカル!(でも本人がインタビューの時に「アルフィーの高見沢さんじゃん」って言ってるのを聞いたら、それ以外に考えられなくなってしまった。)で、その高見沢スタイルでギターを弾く(ふりだけど)ところが、凄くかっこいいのよ。形が、メチャクチャさまになってる!
 浦井健治はリズム感が抜群にいいよね。リズム取りながらギターを弾くシーンや、メタルに合わせて首を振るところや、殺陣のシーンまで、そのリズム感が生きてる。彼のダンスのキレの良さも。
 
 えっと、話をミュージカル問題に戻すと。
 今のところ日本のオリジナルミュージカルの真ん中辺にいるのは、浦井健治ってことになるのではないかしら?
 だって、彼の代表作には『アルジャーノンに花束を』や『デスノート』があって、今この『メタルマクベス』も加わったわけでしょ? (残念ながら『デスノート』は台本と作曲が日本人じゃないけどね。)
 別に本人が意図して選んできたわけじゃないと思うけれど、これは彼の特別な立ち位置を示している気がする…。だから、ミュージカルが苦手なマダムも、彼の舞台にはしつこく付いて行ってみようと思うわけなの。
 うわー、なんだか真面目なその2になっちゃった。
 とにかく、『メタマク3』は千秋楽にも行くので、浦井健治のひとまずの集大成を見届けてまいりまする。
 そう、ひとまずの。だって、来年は、遂に、アレだもん。

浦井健治の、いっちゃってるマクベス 『メタルマクベス』disc3 その1

 遂にやってきた。11月25日(日)マチネ、IHIステージアラウンド東京。

新感線⭐︎RS『メタルマクベス』disc3
原作/ウィリアム・シェイクスピア 脚本/宮藤官九郎
演出/いのうえひでのり
出演 浦井健治 長澤まさみ 高杉真宙 柳下大 峯村リエ 栗根まこと
   吉田メタル 冠徹弥 小沢道成 橋本じゅん ラサール石井 ほか

 

 そう。遂にやってきたの。浦井健治が、四大悲劇に挑戦する日が。
 これは、ちゃんとマクベスである。なので、「マクベス? 経験あります。」と言っていいの。
「シェイクスピア? シェイクスピアならヘンリー六世とリッチモンドとベンヴォーリオとギテリアスとトロイラスとハル王子とヘンリー五世、そしてマクベスやってますが、なにか?」
って、言っていいのよ〜!(なにか抜けていないだろうか?ちょっと心配なマダム。)
 
 マクベスの翻案としては超すぐれものの宮藤官九郎脚本。森で魔女に会い、王になると予言されたせいで、自分の中の隠された欲望に気がついてしまう将軍とその妻の話。ちゃんとマクベス。初演(内野聖陽と松たか子)に比べて、マクベス(ランダムスター)夫妻にぎゅっとフォーカスした演出になった。
 見れば見るほど、よくできた脚本だわ。原作にないシーンがいくつもあるけど、それは全て、原作を補い、宮藤官九郎的解釈を表すために書き加えられてる。
 例えば、王は暗殺される直前、ランダムスター(マクベス)と語らうし、殺された後も、幽霊となって何度も話しかけてくる。それによって、ランダムスターの戦い(殺戮)は、当初言っていた「王のために戦」っていたのではなく、「家族のため」でもなく、ただ「殺しが好きだからだ」という狂気の結論に至る。
 ランダムスター夫人(マクベス夫人)については、たくさんたくさん加筆されて、本当に納得するし、原作の唐突さ(途中からマクベス夫人は全く出てこなくなる)を払拭してるの。自分が煽ったせいでこんな状況になってることを後悔する台詞もあるし、ランダムスターに「ごめんね、あたしのせいで」とあやまったりする。バルコニーの欄干を乗り越え、ニヤリと笑って落ちていくシーンもちゃんとある。
 そういう、夫妻の気持ちの流れをきちんと押さえた演出だったし、浦井&長澤コンビがそれにきちんと応えた舞台だった。
 最初にマクベスが歌う歌「キレイは汚い、ただし俺以外」で、「俺は愛妻家〜」ってシャウトするけど、芝居の最後には「ほんとだ。愛妻家だ」って感じるのよ。宮藤官九郎、さすがだ。

 
 王を殺してのし上がり、自ら王となってからの狂気をはらんだ浦井ランダムスターの演技と、心が壊れてしまった夫人を慰める歌が、素晴らしい!うっとりだ〜。
 というのも、マダムの席は2列目ど真ん中でね(また?なんか最近妙に運がいい)。この大きな回る劇場で2列目は全体が見えづらいし、巨大スクリーンが近すぎて気分が悪くなりそうだったから、映像はなるべく見ないようにしてたの。disc1とdisc2観てわかってたから、そこは文字通り目をつぶって。
 その代わり、眼の前で繰り広げられる役者の演技と表情をガン見。だから、前半の、どこか不安げな、強気と弱気が交差する浦井ランダムスターの表情もよく見えたし。後半、どんどん狂気にとらわれて酔ったようになってる、白目剥いて完全にいっちゃってるところも見えたし。崩壊した夫人の肩を抱いてキャラメルの歌を歌うときの、少し涙ぐんだような優しい眼差しも見えたし。
 繰り返し出て来る殺陣のシーンでも、最初のうちは舞うようで、後半はどんどんエンジンがかかり、最後が一番キレがいいってことを、うっとりしながら見届けたし。浦井ランダムスターがギリギリまで前に出て舞台の縁に足をかけて、客席を煽りながら歌うときには、2メートルの至近距離! あんな大きな空間にいるのに、気分はスズナリなのだった。なんて贅沢。
 長澤まさみのランダムスター夫人も、期待以上だった。歌の巧さでは濱田めぐみや大原櫻子に負けてるんだけど、演じるっていう点では負けてない。なによりスタイルが美しくて、夫妻で並ぶとすごく絵になるし、似合っていたの。過去の浦井作品の中でも、こんなに似合う相手役っていなかったのでは?
 浦井健治の持つどこか中性的な佇まいと、長澤まさみの持つさっぱりした女ぶりとが、いい組み合わせなの。演技の相性も良い。何度も言うけど、夫人を慰める「キャラメルの歌」のシーンが抜群。泣けてくるよ。
 
 夫妻にフォーカスして加筆してるのに、ギャグのシーンは減らさない。それが新感線なわけだけど、その分、描ききれずにいろいろ削られてる。
 例えば。マクダフが、他国へ亡命している王子に会いに行くシーンは、本当は二人にとって最大の見せ場。王子はマクダフが罠を仕掛けに来たかもしれないと思い、戦う気がないように装うし、マクダフはその王子の態度に絶望し、激しく嘆く。
 そのシーンがまるまるカットされ、二人は会った途端に、意気投合して打倒マクベスを叫ぶので、二人とも役がすっかり軽くなってしまった。そのシーンがあるからこそ、マクダフの、妻子を殺された悲しみと恨みが倍増する。なのにそのシーンがないので、いまひとつマクダフのラスボス感が膨らまないのよ。
 妻子といえば、マクダフの殺される子供は、本当は一人じゃない。殺される時、マクダフ夫人はもう一人「生まれたばかりの赤ん坊」を抱いているはずだけど、そこはカット。
 赤ん坊といえば、原作のマクベス夫人の台詞に「私は自分の子をこの手に抱いたことがあります」というのがあって、マクベス夫人は子供を失くしたことがあるんだな、とわかるんだけど、その台詞も設定もカット(マクベス夫人の赤ん坊についての台詞と、マクダフ夫人が子供を産んだばかりなのは二つで一つの設定ーーコントラストなのだ)。若い夫妻だと、赤ん坊の存在は余計な設定になるから、カットしたのかな。
 
 一つだけ気になったのは、橋本じゅんのバンクォーの存在感がなぜか弱かったこと。出番も多いし、何も削られてないし、幽霊となって現れるシーンなんて、しつこいくらい描かれているんだけどね。
 思うに、主役の二人を見守る役目になりすぎてて、バンクォーの何パーセントかが、後輩を盛り立てる橋本じゅん、になっちゃってたのかも。
 
 まだ書き足りないことがある気がするけど、今日はもう書けないわ。思い出したら、その2を書くね。 

廻る劇場の『メタルマクベス disc2』

 なぜこんなスケジュールにしてしまったのか、自分。9月20日(木)ソワレ、IHIステージアラウンド東京。

『メタルマクベス disc2』
原作/ウィリアム・シェイクスピア(松岡和子翻訳版より)
作/宮藤官九郎 音楽/岡崎司 振付・ステージング/川崎悦子
演出/いのうえひでのり 
出演 尾上松也 大原櫻子 原嘉孝 浅利陽介 高田聖子
   岡本健一 木場勝己 ほか

 ジャージーボーイズのブルーとホワイトの観劇のあいだに挟まれる、めちゃくちゃなスケジュールとなってしまったの。自分が悪いので、文句は言わず、とにかく出かけて行った。
 だいぶ時間が経ってしまったので、ただ思ったことを羅列するだけになるけど、お許しを。
 楽しかったけど、やっぱりちょっと長い。全員に見せ場を作ってフルコーラス歌わせるし、そこまでいるかと思うくらい全部のシーンにギャグを入れ込んでくるし、主演の尾上松也用の歌舞伎仕様のギャグもあるしで、長くなってしまうのね。新感線にとっては長くなることは観客へのサービスなの。
 でも、もう少し刈り込んだほうが、見終わったあとの満足度が上がる気がする。

 尾上松也はほぼ予測通り。タフで、なんでもできる人だよね。
 大原櫻子のマクベス夫人は、若くてやんちゃで破滅的でとてもよかった。初演の松たか子に通じるところもあって。
 グレコの浅利陽介、レスポール王の木場勝己が安定の素晴らしさ。木場勝己って、こんなに歌える人だったとは。レスポール王から『海辺のカフカ』のナカタさんまで出来る。守備範囲が広すぎ。

 そして期待のバンクォー、岡本健一、かっこよかったあ!ギター弾くところも、バイクで走る姿も、文句無し、かっこいいの。脚本上は橋本じゅんがやるバンクォーと同じギャグをかましてるんだけど、どうしても格好よくなってしまう。なので、いのうえひでのりがしびれをきらし(たかどうかは断言できないけど)、長髪のかっこいいカツラの後頭部にハゲを作るという暴挙に出た。まあ、それでも、かっこいいことに変わりはないんだけど。
 カッコイイままで、行くところまで行っちゃってもよかったのに(マダムの身贔屓)。
 
 平日夜公演で、しかも土砂降りだったので、観客はかなり少なめ。後ろのほうの席は空きが目立ったの。
 やっぱりこの辺鄙な場所で平日6時始まりはかなりキツイ。6時始まりなのに終わりが10時っていうのもまたキツイ。
 そう思いながら、マダムは一目散に帰宅した。だって翌日は仕事だからね…。

ミュージカル俳優浦井健治ファンのための、メタル「マクベス」予習講座 その2

 その2、遅くなってごめんなさい。

 新感線の「メタルマクベス」は、1980年代のメタルマクベスという名のバンドのお話と、それから300年後の2280年のお話が並行して進むようにできています。
 シェイクスピアの「マクベス」っぽいお話は2280年の方で描かれていきますが、なぜかそっちは、登場人物にエレキギターの名前がついているのです。それでちょっと、ややこしい感じになるんですが、登場人物対照表を作ってみましょう。
 

シェイクスピアの    新感線版の
「マクベス」      1980年 /  2280年    
マクベス        マクベス / ランダムスター    浦井健治
マクベス夫人      ローズ  / ランダムスター夫人  長澤まさみ
バンクォー       バンクォー/ エクスプローラー   橋本じゅん
マクダフ        マクダフ / グレコ        柳下大
ダンカン王       元社長  / レスポール王     ラサール石井
マルカム王子      元きよし / レスポールJr     高杉真宙

 
 名前を憶えておく、というよりも、「これが暗殺される王様」とか「これが逃げた王子を説得に行く貴族」とかっていう「設定」がざっと頭に入っていれば、もう大丈夫。迷いなく芝居の世界に入っていけます。
 宮藤官九郎は自分でもバンドをやってるだけあって、かっこいいギターの名前がいろいろ出てきます。しょぼい役にヤマハとかつけてたり、グレコ(日本製のギター)の息子の役名がローマンで、急にギターと関係なくなったり(グレコ・ローマンってレスリングの言葉じゃなかったっけ?)、ふざけてて楽しいです。
 宮藤官九郎の台本は、原作「マクベス」のツボを心得た上で色々とアレンジして遊んでいるので、原作のあらすじを理解したら、こだわりを捨てて楽しんでくださいね。
 
 「回る劇場が初めてなのでちょっと心配」という声も聞きましたが、別に360度っていっても観客の後ろでは演技しないので、観客の私たちが努力しなきゃいけないところは何もないです。
 大変といえることがあるとすれば、行くまでが大変。辺鄙な場所だから。それと、ちょっとした飲み物とかお菓子とかは手前の大きな駅などで調達しておかなければなりません。劇場の周りには店などはないから。終演後、友だちとお喋りしたくても、劇場から離れてからでないと、店どころか雨風をしのぐ建物すらありません。
 なので、そのあたりは準備万端おこたらず、劇場に向かいましょう。
 
 マダムは11月中にいちど観て、あとは千秋楽に行くつもりです。楽しみ〜!
 千秋楽報告の記事は来年となるので、まずは11月の記事に皆さんおいでくださいね。まだ少し先ですが、楽しみに待ちましょう。 
 

ミュージカル俳優浦井健治ファンのための、メタル「マクベス」予習講座 その1

 お約束どおり、浦井ファンでメタルマクベスのdisc3しか観ない方のため、予習講座いたします〜。
 disc1をすでにご覧になった方や、シェイクスピアに慣れてる方、劇団新感線に慣れてる方は、読み飛ばしてください。

 
 新感線の「メタルマクベス」は、シェイクスピアの「マクベス」の翻案物ですが、これが実に「マクベス」らしいお話になっています。脚本の宮藤官九郎すごい。「マクベス」に対する理解が深い。
 原作を全然知らなくても楽しめますけれど、原作を知ってると尚いっそう楽しめるので、少し予備知識を仕入れましょう。
 「マクベス」はシェイクスピア作品の中ではいちばんわかりやすい、シンプルな本ですので、まずは読んでみることをお勧めします。マダムは小田島訳に馴染んでいますが、初めて読む方は、注が多い松岡和子訳もいいかと思います。
 でも・・・読んだけどわかんないとか、読む暇がない、という人のために、特別にあらすじを解説しちゃいます。
 ちょっと長いですけど、マダムのあらすじ、かなりわかりやすいと思いますよ〜。

 
✴︎✴︎✴︎✴︎シェイクスピアの「マクベス」あらすじ✴︎✴︎✴︎✴︎

 
 昔々、スコットランドを治めているダンカン王の配下に、マクベスとバンクォーという将軍がいました。二人は戦いに長けた勇敢な軍人で、王からの信頼も厚く、そしてまた親友同士でもあります。
 あるとき、激しい戦で勝ち、二人は戦場から王のもとへ戻ろうとしていて、森の中で、三人の魔女に出会ったことから、運命が変わってしまいます。
 魔女は、マクベスに「今はグラームズの領主だけど、これからコーダーの領主になるし、そのあと王様にもなるよ」と予言します。マクベスは笑って、取り合いません。
 バンクォーが「俺にも何か予言しろよ」と催促すると、魔女は「あんたは王様にはなれないけど、王様の先祖になれる」と予言します。二人はとりあえず機嫌が良くなって森を去ります。
 が、このすぐあとダンカン王から伝令が来て「軍功の褒美として、マクベスにコーダー領を授ける」と言ったことから、マクベスとバンクォーの顔色が変わります。魔女の一つ目の予言が、実現したのです。
 こうなるとマクベスは、次の「王様になれる」という予言が気になって仕方ありません。一方バンクォーも、マクベスの野心が急激に膨らんできたのを察します。
 
 マクベスは自分の城に帰り、夫人に魔女の予言の話をします。すると夫人はすっかり予言に取り憑かれてしまい、自分たちの城に泊まりに来るというダンカン王を「暗殺しましょう」と言い出します。マクベスはそこまで考えていなかったのでびっくりしますが、夫人に焚きつけられ、結局その気になってしまいます。
 そしてダンカン王は王子のマルカムや大勢の部下を引き連れて、マクベスの城に泊まりにやってきます。マクベスは王の寝室に忍び込み、王を殺害し、眠らせておいた従者たちに、血のついた刀を握らせ、罪をなすりつけます。マクベス夫人も一緒に加担します。
 翌朝、ダンカン王が死んでいるのが発見されると、マルカム王子は身の危険を感じて、いち早く脱出します。マクベスはこれ幸いと、王の暗殺を企てたのは王子だったということにし、まんまと自分が王座に座ってしまうのです。
 
 王となったマクベスは、魔女の自分への予言が当たったので、「バンクォーが王様の先祖になる」という予言が目障りとなってきます。マクベスには子供がいません。こんな思いをしてせっかく王になったのに、バンクォーの子孫に王座をくれてやるのか、と考えると腹がたつのです。そして、かつての親友バンクォーとその息子の暗殺を命じます。暗殺者たちはバンクォーを殺害しますが、息子のフリーアンスには逃げられてしまいます。
 マクベスはバンクォー殺害の報告を受けたあと、なに食わぬ顔で宴会を開き、「バンクォーがいなくて残念だねえ」などとうそぶきますが、空いている席に血みどろのバンクォーの幻が見えて、半狂乱になります。マクベス夫人は必死にその場を取り繕いますが、貴族たちはマクベスが怪しいことに薄々気づき、マクベスへの信頼は崩れていきます。
 
 マクベスはいつ誰が裏切るかも、という疑心暗鬼からどんどん残虐な独裁者になっていきます。マクベスに対して批判的な貴族マクダフは、打倒マクベスの旗を上げるため、イングランドに逃げているマルカム王子のもとへ、説得工作に出かけます。王子は、罠ではないかと警戒し、マクダフをいろいろと試した結果、彼の言葉が真実だと受け入れて、打倒マクベスの旗を上げます。
 しかし、その頃、マクダフの留守宅には、マクベスの刺客が乱入し、マクダフの妻と息子は殺されてしまいます。それを知ったマクダフは、復讐の鬼と化し、マルカム王子を立ててスコットランドに攻め入ります。
 
 マクベスが吹っ切れた独裁者になっていくのに対して、あれほど強い野心があったマクベス夫人のほうは、心が壊れてしまいます。夢遊病になって、夜な夜なベッドから起きだしては、「血の跡が消えない」とつぶやきながら、必死に手を洗うような仕草を繰り返します。夫人を看病していた医師と召使いは、その様子から事の真相(ダンカン王の暗殺)を知ってしまい、震え上がります。やがて、完全に気がふれたマクベス夫人は城の窓から身を投げて死んでしまうのでした。
 
 一方マクベスは、ひとり森へ行き、魔女たちにもう一度予言をもらおうとします。魔女はマクベスに二つの予言を授けます。一つは「バーナムの森が動いてやってくるまで、マクベスは負けない」。もう一つは「女の股の間から生まれた者には、マクベスは負けない」。これを聞いてマクベスは自分は安泰だと思い込みます。「バーナムの森が動く」なんて事はありえないし「女の股の間から生まれてない奴」なんかいない。だから自分は負ける事はない。そう確信して、マクベスは、家臣もほとんどいなくなった城で、悠々と攻撃を待ち受けます。
 が、見張りの者が真っ青になって「バーナムの森が近づいてきます!」と報告したので、マクベスは半狂乱になります。マルカム王子軍は、木の枝を頭上に掲げて森に紛れながら進軍してきたのでそれが、「バーナムの森が攻めてくる」かのように見えたのです。マクベスの周りにわずかに残っていた家来も、恐怖のあまり逃げ出します。王子軍はついに、マクベスの城に攻め入ります。
 それでもマクベスは勇敢に戦い、敵を蹴散らしていきます。復讐に燃えるマクダフが遂にマクベスを見つけます。マクベスは「女の股から生まれた奴には俺は負けないんだ」と自信たっぷりでしたが、マクダフはそれをあざ笑って言い放ちます。「俺は帝王切開で生まれたんだ。女の股の間から生まれちゃいないんだよ!」
 マクベスは愕然となり、魔女の予言に弄ばれてきたことを悟ります。が、時はすでに遅く、マクダフの手によってマクベスは討ち取られます。
 

 はい、これが「マクベス」のあらすじです。
 何度か読んで、あらすじが頭に入ったら、その2で「メタルマクベス」の登場人物表と見比べてみましょう。では、少し時間をくださいね、その2を書きます。

廻る劇場の『メタルマクベス disc1』

 台風近づく中、荒野の劇場へ向かった。7月28日(土)マチネ、IHIステージアラウンド東京。

『メタルマクベス disc1』
原作/ウィリアム・シェイクスピア(松岡和子翻訳版より)
作/宮藤官九郎 音楽/岡崎司 振付・ステージング/川崎悦子
演出/いのうえひでのり
出演 橋本さとし 濱田めぐみ 山口馬木也 栗根まこと 植本純米
   橋本じゅん 西岡徳馬 ほか

 安定のベテラン組によるdisc1。楽しかった〜。
 でもこの直後、風邪をこじらせてダウンしたマダム。2週間も間が空いちゃって、書く気が削がれちゃいました。今回はパスね。
 浦井ファンの方でdisc3しか観ないつもりで、ちょっと不安な方、予習特集記事をそのうち書くつもりなので、何か質問があったらお寄せくださいね(ま、予習なくても大丈夫だと思うけど)。 

大人を唸らせる 子供のためのシェイクスピア『冬物語』

 初日に行けばよかった、と後悔している。7月14日(土)ソワレ、あうるすぽっと。

子供のためのシェイクスピアカンパニー『冬物語』
作/ウィリアム・シェイクスピア(小田島雄志翻訳による)  
脚本・演出/山崎清介
出演 板倉佳司 山口雅義 戸谷昌弘 若松力 キム・テイ
   大内めぐみ 大井川皐月 山崎清介

 初日に行けばよかった。そうしたらもう少し早くブログに記事を書けただろうし、みんなにお薦めすることができたのに。書き始めたのが東京千秋楽の日なんだもの。間に合わん。(今後、地方公演あるようなので、地方の方、お見逃しなく!)
 2013年の夏に『ジュリアス・シーザー』を観て以来、ほぼ毎年必ず観ているこのカンパニー、毎回満足するし感心することも多いのだけれど、今回ほど演出に唸ったことはなかったの。なるほど、このようにシェイクスピアの本を解釈することができるのね、と。
 『冬物語』は赦しの物語、とされていて、ラストはやはりその感動の嵐なのだけれど、この演出はさらに一歩踏み込み、赦してもなお取り戻せはしない時の不可逆性を、ちゃんと示していたの。凄かった。
 
 舞台はいつもこの座組みがそうであるように、木製の椅子とテーブルを組み合わせたセットで、シンプル。全員が黒いコート姿でクラッピング(拍手)しながらリズミカルにシーンを運んでいく。出番が来てコートを脱ぎすてると、美しい織りと光沢のある衣装が現れ、その役になる。8人の役者が全員二役(+コロス)をこなす。そして、主宰の山崎清介が操る人形が「時」の役割を担って、芝居の中で進んで行く時の流れを説明する。

 あらすじは説明しないね。ごめん、『冬物語』を知らない人にはなんのことやら、わからないかもしれない。どうしたって、解釈に触れずにはいられない。

 マダムは、『冬物語』で大事なのはリオンティーズの「なんの根拠もない」激しく理不尽な嫉妬をどうちゃんと描くか、だと思ってきたの。だから先日見たロイヤルバレエの冬物語で、リオンティーズ役の平野亮一の嫉妬で狂っていく演技が素晴らしいと感じたのね。それが、物語を支えていて、だからリオンティーズが主役なの。
 でも今回の舞台を観たら、リオンティーズは本に書いてある通りで、それ以上でも以下でもなかった。そうしたら、その理不尽さが倍増して迫ってきたので、驚いた。リオンティーズの愚かで頑なな思い込みは、王であるがゆえに誰も止めることができない。『冬物語』には誰も悪人は出てこなくて、誰かを陥れようとしたり自分が成り上がろうとしたりする人物はだあれもいないの。だからみんな、王の嫉妬を根拠のないものとして諫めようとし、悪影響が及ぶのを止めようとするの。神託(神のお告げ)すら、王を止めようとする。だけど、止められなくて、みんな薙ぎ倒されていく。
 例えば忠義者のカミロー(貴族)は、王妃の不貞の相手ポリクシニーズを殺害せよと命じられる。けれど、王が間違っていると思うカミローは、ポリクシニーズを殺さず、逃亡の手助けをする。そのせいで自ら自分の国を追われ、16年もの間、帰ることはできないの。
 例えば赤ん坊を荒野に捨ててこいと命じられた貴族アンティゴナスは、リオンティーズの追っ手の来ないボヘミアの海岸まで赤ん坊を捨てに行き、誰かに拾われて育てられるよう最善を尽くす。それなのに自らは直後に熊の餌食となり命を落とすの。その上、アンティゴナスと赤ん坊を運んだ船は荒れた海に沈み、船員たちも皆死んでしまう。
 母妃が牢屋に入れられ引き離された幼い王子も、ショックのあまり死んでしまう。それを聞いてハーマイオニーも気を失い、一度は死ぬのだ(16年もの間、姿を隠さなければならなかった)。
 山崎演出は実に丁寧に、善意の人たちが薙ぎ倒されていく様子を描いていく。それも、余計な力を排して、淡々と、時には軽やかに。
 
 そして、それを受けてのラストの演出が凄かった。
 リオンティーズが赦しを得てめでたし、とはならなかったの。これほどまでに皆が薙ぎ倒されたのだから、時が経てば水に流される、とはいかなかった。
 ハーマイオニーの彫像が動き出して、リオンティーズとの再会を果たすシーン。全てが赦され、めでたし、であるように思われてきたけれど。
 今回のハーマイオニーはリオンティーズを温かく包んだりはしなかった。ただ静かに見つめていただけ。そして娘のパーディタにだけ「あなたが生きているという神託があったから、母はこれまで生きてきたのですよ」と言葉をかけるの(でも、これ、ちゃんとシェイクスピアの本通りなのよ!)。ハーマイオニーは娘との再会を心の支えに生きてきたのであって、リオンティーズのために生き延びたわけではなかったのよ。
 そして一番マダムがすごいと思ったのは、夫アンティゴナスを失ったポーリーナのラスト。リオンティーズはこれまでのポーリーナの労をねぎらい、自分だけが幸せであってはいけないとも思ったのか、カミローを新しい夫として授けようとするんだけど、そして普通の(?)演出だと、なんとなく二人もくっつかせてめでたし、となりそうなところだけど。
 ポーリーナの反応は、夫アンティゴナスを失った傷がそのようなことで癒えるものではない、というもの。台詞はないんだけど、表情と佇まいでそのことを示すの。で、鈍感なリオンティーズはポーリーナの本心が汲み取れない。自分だけいい思いをするのが後ろめたいだけなの。それでカミローを呼んでポーリーナの「手を取れ」って言うのね。そこまでは本通り。
 王に促され、カミローはポーリーナの元へ歩いていく。カミローはいい奴だし、命じられて嫌々ではなく、ポーリーナに好意を持っているのが様子でわかるの。そして、台本にないカミローの台詞がここで出た。ポーリーナをまっすぐ見て淡々と「貴女さえよければ」って言ったの。
 これ、すごいよ。その一言で、リオンティーズは鈍感だけど、カミローはちゃんと今のポーリーナの気持ちがわかってるんだ、って示してる。貴女の気持ちを尊重しますよ、って伝えてるのよ。
 結局ポーリーナは同意はしない。しないけどカミローがいい奴だってことはわかったので、ポーリーナはカミローの手を取り、袖へ消えていく。この、メデタシじゃないけど、人の心というものを大切に扱った演出はどうだろう!ホント、素晴らしい!

 優れた演出っていうものは台本の、これまで当たらなかった面に光をあてて見せてくれる。『冬物語』って、実はポーリーナが主役だったのね。信念に忠実に生きるというのはこういうことだ。
 
 

『アイヌ オセロ』を観る

 ここのところ中央線利用率が高くなってる。6月9日(土)ソワレ、国際基督教大学ディッフェンドルファー記念館、東棟オーディトリアム。

シェイクスピア・カンパニー『アイヌ オセロ』
作/ウィリアム・シェイクスピア 脚本/下館和巳、渡邉欣嗣
共同演出/秋辺デボ、下館和巳
出演 犾守勇 石田愛 香田志麻 加藤㮈紀 中野莉嘉 ササキけんじ
   水戸貴文 及川寛江 藤井優 増田寛子 千葉絵里奈
 

 シェイクスピア・カンパニーという劇団については以前から、なんとなく聞いてはいたのね。シェイクスピア作品を東北に置き換え、台詞も東北弁で演じる劇団だということで、活動の本拠地は仙台らしい、と。
 ひょんなことから仙台在住の役者さんと知り合いになって、今回の東京公演に行ってみることにしたの。
 東北弁、わかるかなぁと少し不安だったんだけど、それは全く問題なかった。むしろ、東北弁が生き生きと伝わってきて、楽しかった。
 
 『オセロー』の舞台を幕末の仙台藩に移し替え。蝦夷地(北海道)をロシアの侵略から守るために仙台藩は、アイヌの男を将軍としてとりたてている。それがオセロ(オセロー)で、妻デズマ(デズデモーナ)は仙台藩の武士の娘。ヴェニスにとってのムーア人を、仙台藩にとってのアイヌ民族に置き換えていて、その辺なかなか上手いよね。
 オセロははっきりそれとわかるアイヌの民族衣装を着ていて、デズマも最初のシーンでアイヌの衣装を着せられ、マタンプシというアイヌの刺繍入りの鉢巻を額に巻かれてオセロの妻となる。そのマタンプシが例の誤解の刺繍入りハンカチの代わりとなる。道具立てはバッチリ。
 
 役者さんたちは女性が多いので、仙台藩の武士は殆ど女性が男役をしていて。台詞は声量も滑舌も良くて、こちらにちゃんと届くのだけれど、やっぱり女性が男役をやるにあたっては何か演出上の工夫が必要なのではないかしらね。男っぽく演じることで手一杯になってしまう。そのせいもあって、仙台藩側のリアリティが相対的に下がってしまってる。役の立場は説明できているのだけれど(たとえばデズデモーナの父親だな、ってことはわかる)、その人らしさまで演技で出せてはいない(娘を愛しているのか、所有物として、取られたから怒ってるのか、取った男がアイヌだから怒っているのか、どう気持ちを収めたのか、がわからない)。
 演出にアイヌの秋辺デボを迎えているので、アイヌ側の描写は凄くしっかりしている。アイヌの踊りや衣装は見応えがあるのだけれど、そのアイヌを差別しながらうまく利用している仙台藩側の描写が薄い。具体的な描写が足りないの。アイヌに対する差別感情の描写もね。それがとても残念。だって、設定の置き換えがこんなにうまくいっているのだから、もっと驚くような面白いものができたと思うし、差別というものの正体にも迫れたと思う。
 たとえば。デズデモーナが仙台藩士の娘ならば、最初の姿はいかにもな日本髪や着物姿がよかったんじゃないかな。それを脱いで、アイヌの衣装に着替えれば、デズデモーナの並々ならぬ決意がそれだけでわかるでしょう? エミリアの衣装もよくわからなかった。彼女はどっち側の人なんだろう?
 イヤーゴーが内地人とアイヌの混血、という設定は台詞に出てきて、面白い発想だとは思ったのだけれど、それは、仙台藩側の差別感情を描き切れてこそ生きる設定なので、不発だった。
 
 役者さんたちはみな、台詞については凄く訓練していて、東北弁の台詞もよくわかったの。一方で、他の人の台詞に対する反応が弱い。自分の台詞がない時もその役で居られるかどうかがとても大切なことで、芝居を面白くするのはそこだから。
 オセローは威厳があって、強いが不器用な武人らしかった。自信がある時と、嫉妬で狂っている弱さとの、落差がもっとほしかったな。
  イヤーゴーはなかなか面白かった。東北弁で不満やら妬みやら悪口やらをタラタラと聞かされると、ホント可笑しくて。イヤーゴーって魅力的な役だって再認識した。

本番こそいちばんのワークショップ 劇団AUN『から騒ぎ』

 チケットを買った時にはこんなハードスケジュールになるとは思っていなかったのだけれど。6月2日(土)マチネ、現代座会館現代座ホール。

劇団AUNワークショップ公演『から騒ぎ』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/小田島雄志 監修/吉田鋼太郎
演出/長谷川志
出演(B組) 杉本政志 岩倉弘樹 松尾竜兵 山田隼平 橋倉靖彦 星和利
   河村岳司 砂原一樹 松本こうせい 飛田修司 池谷駿 桐谷直希
   齋藤慎平 悠木つかさ 水口早香 近藤陽子 宮崎夢子

 昨年から始まったAUNのワークショップ公演。
 昨年夏の『間違いの喜劇』の時は、ほぼほぼ若手のみの公演だったのだけれど、今年の『から騒ぎ』はベテランもかなり参加していて、本格度が増していたの。舞台は幾つかの植え込みが置かれているだけのシンプルな装置。植え込みは、壁にも柱にもなり、もちろん植え込みとしても活躍するんだけど。
 『から騒ぎ』のストーリー説明は今更しないでいいよね。
 
 賑やかなダンスのシーンから始まって、男勝りなベアトリスと自称女嫌いのベネディックの言葉の応酬へ一気に畳み掛けるので、昨年の『間違いの喜劇』と同じように、ずっと笑って2時間を過ごすのかと思ったの。でも、そうじゃなかった。
 『から騒ぎ』ってのは、ほんとに喜劇なのかしら?
 と、考えちゃうくらい、シリアスなシーンは凄くシリアスだった。
 まあ、そう言いながらもマダムは3分の2くらいは笑ってたんだけど。でも残りの3分の1は、胸詰まる思いで見つめてしまったし、最後ちょっと泣けてきそうだった。その重みはかなりのもので、今回、長谷川演出はこの3分の1の側を重点的に仕掛けていたと思われるの。
 例えば照明の当て方が顕著だった。普通のシーンでは全体に明るく照明が当たってるんだけど、悪役ドン・ジョンが出てくると分かり易い程暗くなって、悪巧みのシーンを演出する。最後の方のヒーローの葬儀(ホントは死んでないんだけど)のシーンでも照明を全て消して、参列者の持つろうそくの灯りだけで演技し、鎮魂歌が歌われる中、墓の前に佇むクローディオだけにゆっくりとスポットが当たっていくのも、台本に書かれてるシリアスな部分はちゃんとシリアスに、という演出方針だったのかも。
 だから、笑って始まり、最後は笑って終わる…んだけれども、一言で喜劇といってしまうのは躊躇する、沢山の感情が押し寄せてくる舞台になっていたの。
 
 主役の四人の若者達の描き方が、とても丁寧で良かった。ベアトリス(水口早香)はまるで『じゃじゃ馬馴らし』のキャタリーナのように始まるのだけれど、従姉妹のヒーローが陥れられた時には、ヒーローのために自分の身を捨てても徹底的に献身する。その両面がちゃんと一人の人物の中に矛盾なくあるのが感じられたの。
 ベネディック(山田隼平)は、さらに多面的で。女嫌いの状態から始まり、ドン・ペドロたちの策略に引っかかってあっさり恋に落ちるハイテンション、おバカな状態を経て、ベアトリスのヒーローへの思いに打たれてクローディオに決闘を申し込む凛々しさまで、あらゆる顔を見せてくれた。地はイケメン枠ではないと思うけど、決闘を申し込むところはちゃんとイケメンに見えるからね。役をとことん演じきると役者はみんなイケメンになる。
 一方、クローディオ(松尾竜兵)は地のイケメンを大いに生かして、一本気な青年を演じてた。愛したヒーローを嘘を信じたせいで拒絶し、憎み、死なせ、嘘だったとわかると、死ぬほど後悔して嘆く。松尾クローディオを見ていたら、マダムは突然『冬物語』のリオンティーズだ!と思ったの。リオンティーズが20年くらいかけて到達する憎しみと許しと喜びを、クローディオはほんの数日で駆け抜けるんだね。若いから身体がもつんだよ、と妙に所帯染みたことを思ってしまうマダム。
 そしてヒーロー(悠木つかさ)。彼女は可愛らしい容姿なのでつい若手のように思ってしまうけれど、AUNの中ではベテラン女優で、ホントに上手い人。疑うことを知らない少女がどん底に陥れられ、そこから立ち直ってクローディオを許して受け入れる大人の女になるまで、やはり数日で駆け抜けるんだけれど、彼女が演じると余計な力が入っていなくて、見ているこちらは凄く楽に物語に付いていけるの。最後、ベールで顔を隠してクローディオと相対する場面も、彼女の沈黙だとマダムも余計な力を入れずに待っていられるんだよね。
 
 昨年の『間違いの喜劇』のときも思ったけれど、シェイクスピアの上演の基本は、役者が台詞を言うときは誰に向けてどんな気持ちで言うのか、はっきりわかるように言ってくれること。そして台詞を言っていない役者は全力で、しゃべっている役者に対して反応すること。この、たった二つ。この二つがあれば、面白いシェイクスピアが出来るの。四人の若者たちが恋に落ちたり、苦しんだりするとき、周りにはぎっしり登場人物たちが集まって顔を寄せ合って、一緒に笑ったり憤ったりするから、台詞の意味が何倍にも膨らんで伝わってくる。長谷川演出はちゃんとツボを心得てる。
 
 若い人たちの台詞も全部しっかり聞き取れた。ところどころ力が入りすぎてる箇所もあったけれど。そこは硬軟自在なベテラン勢にまだかなわない。
 
 沢山笑って、楽しかった一方で、『から騒ぎ』の多面的なところも味わえて、とても満足。吉田鋼太郎イズムをしっかり受け継ぎながら、長谷川演出はこれからもっと、長谷川イズムも出していけるのじゃないかしら。ワークショップシリーズ、どんどんやってほしい。

続 これで終わりとは思いたくない 鵜山演出『ヘンリー五世』

 『ヘンリー五世』もう一度観に行ってきた。5月29日(火)マチネ、新国立劇場中劇場。
 行ってよかった。

 浦井ヘンリーが相当良くなっていた!
 滑舌も良くなってたんだけど、それ以上に、王らしい威厳とやんちゃな部分との接合部が滑らかになって、一人の人間としての説得力が増してたの。
 『ヘンリー四世』のときから思ってたのは、ハルって孤独だなってことだったんだけど、王になったらもっともっと孤独になった。本心を語るのは独白の時だけなんだもの。戦いには勝っても、王冠も衣装も血塗られてしまって、清々しかったハルはもう何処にもいなくなってしまった。ヘンリーの孤独がひしひしと感じられて、ラストは胸が痛いくらい。
 
 1度目の時の席はかなり上手よりの端っこだったの。で、2度目はいちばん後ろだけど真ん中ブロック。
 そうしたら見え方が全然違ってて。ていうか、舞台の奥のほうで起きてることが見えてなかったのよ、1度目は。
 特に戦闘シーンは、舞台前方で起きていることと、後方に遠く見える様子が上手く相乗効果を作るようにできていて、イギリス軍の振る旗や上から降りてくる巨大な旗が空間を自在に分けて美しくて、ダイナミック。殺陣は多くない分、布の使い方で、見ごたえあるシーンになってたね。
 
 このシリーズがここまで続いてきて圧巻は、いちばん最後の「説明役」たちの挨拶の台詞だった。台本では説明役はひとりだけど、鵜山演出では数少ない女優(大勢の役者の中でたった3人!)たちに締めを任せた。「ヘンリー五世は・・・世界に冠たる支配権を彼の息子に残しました・・・だが彼を取り巻く多くのものが政権を争うことになり・・・イギリスにも血が流されました。そのいきさつはすでにこの舞台でごらんにいれております
 これはシェイクスピアが自分の一座で、本を書いた順番に上演して『ヘンリー五世』にたどり着いたことを示しているのだけれど、それをそのまま説明できる鵜山組は素晴らしいよ。同じように歩んできたのだもの。
 浦井健治、岡本健一、中嶋朋子をはじめとして、ひとつひとつ取り組んできて、一座になった。
 なので、マダムとしては、これで終わりとは思いたくない。

より以前の記事一覧

2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

関係するCD・DVD

無料ブログはココログ