最近の読書

役者

今も彼は真摯に

 久しぶりに彼のことを書こう。懐かしい元カレのような人のこと。

 11月、体調を崩していたマダムがぼんやりテレビをつけると、WOWOWで少し前の映画をやっていて、いきなりその人がアップになった。着物を着た所作が美しく、馬を乗りこなす姿に眼を奪われ、最後まで観てしまったのだけれど。映画は『47RONIN』(監督/カール・リンシュ 2013年公開)。
 忠臣蔵をモチーフにした、と云うふれこみで公開されたらしいけど、少しも評判になることなく、いつのまにか終わっていたわよね。今回テレビで観て、不発に終わったわけがよく理解できたわ。さもありなん。
 製作側は、忠臣蔵なんかどうでもよかったのね。それをうたえば日本企業がスポンサーにつくとか、日本でヒットが見込めるとか、そんな理由しか思い浮かばないような雑な使われ方なの。忠臣蔵の何が日本人に根付いてるのか理解してはいない。かといって、他にどうしても描きたいテーマやこだわりのシーンがあるわけでもなく、いろんな有名な映画のシーンを切り貼りしたみたいな、でも予算だけは潤沢にありました、っていう感じのハリウッド映画。あ、ここは「ハリー・ポッター」だな、とか、あーここは「ロード・オブ・ザ・リング」そっくりなCG、とか思っちゃう。詳しい人が見れば、ざくざく指摘できるでしょうね。
 マダムが呆れたのは、いくつかのアイデアが、あるファンタジーのまるパクリだと気がついたから。菊池凛子演じる妖女が毒々しい緑色の衣装を着ていて、浅野内匠頭に毒を盛って陥れる時、毒蛇の姿に変わるのね。それと、その妖女側の大きくて凄く強い戦士が全身鎧に包まれていて、中身の人間が全く見えないの。言葉も発しない。なので、鎧ひとそろいが戦ってるみたいで、凄く不気味で怖いの。
 毒々しい緑の衣の妖女と、鎧ひとそろいの不気味な戦士の組み合わせ。これはナルニア国物語の『銀のいす』からアイデアをそっくり頂戴したパクリでしょ?
 マダムはファンタジーに特別詳しいわけじゃない。そのマダムが気がついたくらいだから、推して知るべし。
 アイデアの盗用なんかどこにでもあると皆カンタンに言うけれど・・・パクリになるか、オマージュとなるかは志しの高さにかかっているのよ。
 
 そんな残念な映画の中で、我が真田広之は、ほとんど形骸化してる大石内蔵助という役に武士らしい命を吹き込むため、孤軍奮闘していた。
 着物のデザインもどこか中国はいってる感じの妙な雰囲気があるものの、真田広之の所作がちゃんとしてるので、安心して観れたし、馬にまたがってる姿はもう・・・! 日常的に馬に乗っている武士そのものよ。野を駆けていくシーンをため息ついて見つめた。
 それから殺陣。眼を奪う素晴らしさ。キアヌ・リーブスと1対1で戦うシーンは、西洋の刀(フェンシング)VS日本刀の殺陣にちゃんとなっていて、CGじゃ絶対作れない面白さよ。
 浅野忠信、田中岷、柴崎コウ、菊池凛子、赤西仁など、ずらりと揃った日本人俳優達が皆、テーマ無きストーリーとCGガバガバに薙ぎ倒されるなか、真田広之だけは大石内蔵助たらんとして、踏みとどまっていたの。その真摯な姿に心うたれるマダム。ああ、変わらないわ、彼(って、あんたは真田広之のなんなの?)。
 まともな時代劇で、彼の大暴れする姿が観たいなあ。
 とりあえず、年末にWOWOWで、『里見八犬伝』(監督/深作欣二 1983年)をやるらしいので、それを観て昔の恋を思い起こそうっと。

嗚呼、勘三郎

 今日はこのブログを始めてちょうど、まる5年目の記念日。だから、全く違う内容の記事になるはずだったのに。
 中村勘三郎が亡くなった。

 朝のニュースで知った後、今日一日、心ここにない状態でいたわ。歌舞伎ファンとは言えないマダムでさえこれほどの衝撃なのだから、ファンはどれほどの辛さかしら。心がとても痛い。
 これは歌舞伎界のみならず、演劇界全体の大きな、大きな喪失よ。あの躯の動き、あのサービス精神、あの好奇心、あの明るさ、あの人脈、あのプロデュース能力、どれをとっても一流の、最高に魅力的な役者じゃなかった? あと20年は私たちを楽しませ、心を温めてくれるはずじゃなかったの?

 マダムは3年前のクリスマスイブを歌舞伎座で過ごした。子供を連れて『野田版鼠小僧』を観に行ったの(そのときのレビューは→ここ) 。本当に本当に楽しい、面白い舞台だった。幸せだった。あの時のことを思い出して、今日、ニュースを見ながら子供は涙ぐんでいたよ。勘三郎がもうこの世にいないことが信じられない、と言って。
 重篤であるという噂が流れても、きっと帰ってきてくれると思わせる人だったわ。だからマダムは、新歌舞伎座の完成に合わせて戻ってきてくれると、勝手に信じていたのよ。それなのに。
 天が決めたこととはいえ、天はあまりにも無情だ。 

初恋の人 逝く

 

竹脇無我が亡くなった。

 彼はマダムの初恋の人だった。そのことは以前、かなり詳しく書いた(記事は→ここ )ので、もう繰り返さない。でも、現実ではなくてドラマの中の人にマダムが憧れた、初めての役者が竹脇無我だったの。つまりマダムにとって、彼が全ての始まりだったと言ってもいいのだと思う。
 あれほど姿が美しく、低い静かな声が魅力的な俳優であったのに、彼自身は自分の仕事が好きではなかったのね。私たちに喜びを与えてくれながら、本人は喜びを得ることが少なかったようなの。
 だからしばらく姿を見なかった時には、もう引退してしまったのかなと思った。そして久しぶりのインタビューを読んだ時、鬱病を克服して出てきたのだと知って。最後に彼の演技を見たのは昨年の映画『大奥』よ。主役のニノの父親の役で、ほんの2シーンだけ。台詞もひと言だけ。とても痩せて小さくなっていた。マダムはちょっと泣きそうだった。だって、かつては彼こそ『大奥』のような映画の主役を張っていた人だったのだもの。

 悲しいけれど、神様が決めて召されたことがせめてもの慰め。鬱病から脱し、柔らかに前を向いている時に彼は逝ったのだから、受け入れなくちゃ。・・・でも凄く凄く悲しいよ・・・。

 今頃あちらで向田邦子に会い、あの甘い声で文句を言っているのかも。「貴女が早く逝っちゃったから、僕はやりたい役が無くて困ったじゃないか」ってね。

我が青春の細川俊之

 たった今、細川俊之の訃報を聞いて、呆然としている。
 御年70歳だったという。まだ、若いじゃないかという悔しさと、でもしばらく舞台でも映像でもお見かけしてなかったから半分引退されてたのかな、とも思う。けれど、70歳でまだまだ活躍している役者さんたち、沢山いるじゃないの。だからやっぱり、悔しい! そして、この上もない喪失感がマダムを襲ってくるわ。

 マダムが彼の代表作『ショーガール』を発見したのは高校生の頃。世間的に言ってもとても早かった。それを証拠に、チケットは楽々手に入り、平日ならパルコ劇場(当時は西武劇場)の後ろの方はまだ空席があったわ。マダムは前列のど真ん中で、ほとんどかぶりつきで毎年観たものよ。大学生の頃には、大勢の友達を誘って、10人くらい連れ立って皆でかぶりつき。
 木の実ナナの抜群のプロポーションと迫力あるダンス。それに対して、細川俊之はダンスも歌も決して上手い訳ではなく、お世辞にも切れがいいとは言えなかった。でもね、甘いマスクと甘い声を駆使した、言わば役者としての自分を最大限に使って見せるダンスと歌だったの。ふたりは互いに唯一無二の、組み合わせだったのだろうと思うわ。
 木の実ナナは『ショーガール』こそが最もやりたい舞台そのものだったはず。それに対して細川俊之には葛藤があったのではないかしら。文学座の役者として、いろいろやりたい役があったはずだけれど、『ショーガール』のヒットのために、膨大なエネルギーを『ショーガール』に注がなくてはならなかった。一番脂ののったいい時期を『ショーガール』に捧げてしまった。もちろん観客の熱狂が嬉しくなかったはずはないけど、何処かで、これでいいのかと自問自答していたのではないかしら。
 今、振り返るとそんな風に思えるマダムも、そのときは『ショーガール』の楽しさに没頭していた。『ショーガール』はマダムの青春そのもの。時がこんなに経っても、細川俊之の甘く鼻にかかったような声がちゃんと聞こえてくる。

 マダムがこのブログを書き始めた最初の頃に『ショーガール』についての記事があるの。もし、昨日の訃報を皆さんがマダムと一緒に悲しんでくださるなら、是非、読み返してみてください。(その記事は→ここ

 寂しいわ。



 一度アップしてから加筆するのは初めてのことだけれど、迷いに迷った末に書くことにしよう。マダムはずいぶんと昔、一度だけ、細川俊之に会ったことがある。もう四半世紀以上も前のことよ。
 当時、マダムには芝居道の師匠と呼べるような人が何人かいて、その日、ある一人の師匠と一緒にとある芝居を観たのだった。帰りがけにご飯を食べることになって、劇場の近く、なんだか裏道をスルスルと通ったところにある小さなレストランに入った。師匠の行きつけの店だったのだろう。
 そこで食事をしながら、若かったマダムは今観た芝居について、自分なりの意見を師匠に一生懸命に話していたのね。だから、近づいてくる人影に全然気づかなかった。
 その人が細川俊之だったの。彼は、マダムの向いに座っていた師匠に対して「ごぶさたしています」と一礼した。師匠も「こんにちは。元気か?」などと応えた。
 今から思えば、師匠と細川俊之が知り合いなのは自明のことだったけれど、そのときマダムは息も止まる程ビックリして、かたまってた。だって、毎年、舞台で観ている大好きな役者が眼と鼻の先にいるのだもの。
 短い挨拶を終えると細川俊之は、同席の私に「失礼しました」とちょっと頭を下げ、去ろうとした。咄嗟にマダムの口から「あの、来月のショーガール、観に行きます。頑張ってください」という言葉が飛び出てしまった。彼は微かに頷き、硬い微笑をマダムに残して、自席へ戻っていったの。
 あの店。マダムは知らなかったけれど、劇場関係の人がよく利用するレストランだったのでしょうね。店の中で、細川俊之は師匠がいるのを見つけて、挨拶にやってきたのだわ。

 そのあと、マダムは機嫌を損ねた師匠にさんざんしぼられた。「お前、ショーガールなんか、観るのか。あんなものは芝居じゃない」師匠は吐き捨てるように言ったわ。マダムは突然の叱責に、言い返すこともできず、なぜ急に師匠の機嫌が悪くなったのか、計りかねて、じっとしていたの。

 今、マダムには全てがわかるの。『ショーガール』は「ショー」であって、芝居ではなかった。それはホントにそうだと思う。師匠は細川俊之に芝居をしてほしかったので、『ショーガール』人気にからめとられていることに腹が立っていたのよ。当時、演劇界でそういう眼で細川俊之を観ていた人が沢山いたのでしょう。細川俊之自身も、そう思われていることを知っていたはずよ。自分でも忸怩たるものがあったかもしれない。だから師匠にあいさつしたとき、向いに座っている小娘が能天気にショーガールのことを口にしたので、さぞ気まずかったことでしょう。申し訳なかった。マダムはホントに脳天気な、軽はずみな小娘だったのよ。

 それでもマダムが『ショーガール』を毎年楽しみ、細川俊之のファンであったことは揺るがないわ。全てを理解した今も、やっぱり、受け取った喜びに嘘はないと思うのよ。
 素敵だったなあ、あの舞台。

初恋の人

 子供を歯医者に連れて行ったら、思いのほか待ち時間が長くて、ふだんは読まないファッション雑誌を隅々まで見るはめになったの。ブランドに興味のないマダムにはとんと縁のない「STORY」2月号。ぼんやりページをめくってたら、長いこと会ってなかった初恋の人の写真が載っててびっくり。覚醒した。
 マダムが子供の頃、家には小さなテレビがひとつあるきりで、チャンネル権は父にあった。当然、いつも野球か時代劇が選ばれてて、たまに母の希望のホームドラマ。だからマダムはアイドルも全員集合もあんまり記憶にないの。父が見ている時代劇を見るともなしに眺めつつ、父の麦酒のつまみの枝豆を、マダムは麦茶を飲みながらつっついていたのよ。そのうちストーリーにも詳しくなって、カッコいい人を発見してしまった。誰にも内緒で、その人目当てに毎週見るようになった。『大岡越前』の小石川養生所の医師、榊原伊織。(ああ、なにも調べなくてもすらすらとこの役名が出てくるところが、子供ながら、どれほど好きだったかわかるわ)
 今、ムガと言えば塚地武雅なんだろうけど、マダムにとってはムガと言ったら竹脇無我なのよ。『大岡越前』がワンクール終わって『水戸黄門』が始まると、がっかりしたのを思い出す。やがて母のお気に入りの『だいこんの花』にも竹脇無我を発見し、狂喜乱舞(心の中で)。
 当時のアイドルがジュリーだったりフォーリーブスだったりしたことを思い起こすと、このマダムの好みは際立ってヘンだったかもしれない。子供心にヘンなのは自覚していたとみえて、友達にも家族にも話すことなく、とうとうこんな歳になってしまった!
 でも今となっては、子供にしてはなかなかよい趣味であったと、自分を褒めたい。そのときから現在の好みを基礎づける、確固たる方向性があったと分析できる(って、なに言ってんだか)。
 だってね、今も、マダムは、たとえイケメンであっても、「こうしたらカッコいいんじゃないか」と日夜研究に励んでいそうな「アイドルの王道」な人は、苦手。シャイなところがなく、どんどん押し出してくるような人は、苦手。
 イケメンで演技もいいけれど、イケメンであることにも人気があることにもちょっとさめていて、客観性のある人が好きなの。まー、どっちにしても、イケメンがいいのだろうと言われたら否定できませんが。
 でもホント不思議よ。こういう趣味って、生まれつきなものなのかしらん。三つ子の魂百まで。

 竹脇無我の代表作といったら、やっぱり『大岡越前』だろうか。それともマダムは未見の『姿三四郎』?あるいは加藤泰監督の東映映画『人生劇場』?
 マダムのイチオシはTBSドラマ『幸福』(向田邦子脚本)。それと同じくTBSドラマ『岸辺のアルバム』(山田太一脚本)。このふたつの演技で竹脇無我は、マダムにとって、子供の頃の憧れの人という枠から飛び出し、忘れ難い印象を残す役者として一目置く存在になった。
 竹脇無我は1980年代後半からテレビでの露出が減ってゆき、森繁久彌の勧めがあって舞台の仕事を始めた。でもマダムは舞台を観ていない。当時の興味とあまりに違う芝居だったから。いわゆる商業演劇ね。見てもいないでこんなことを言うのはまるっきり憶測だけど、舞台にはあまり向いてない人じゃないかと思う。観客の視線をエネルギーに変えられるようなタイプではなさそうだもの。舞台の演技と映像の演技は、油絵の画家と日本画の画家の違いくらい、違う。かたっぽができるからって、もうかたっぽもできると思ったら、そりゃ大間違い。
 ここ10年くらい、あまり見かけなくて、マダムも忘れていたんだけれど、鬱病をかかえて仕事をセーブしていたようなのね。病が癒え、その闘病記を出版したことから、また露出が増えてきた。
 役者として円熟味を増してきたいい時期に、ドラマの役が得られなかったのが不運だったよね。そしてマダムがここでも思うのは、向田邦子の不慮の死がなかったら・・・ということなの。向田邦子ほど、竹脇無我の役者としての本質を知っていた人はいなかったのよ。それは『幸福』の殿村数夫という役を彼に当てて書いた、ということでわかる。それまでのハンサムでインテリで・・・という竹脇イメージとは真逆の、やる気がなくて人生を投げてて、ぼんやり生きてるような町工場の雇われ職人の役。このどうにも澱んだような男に、二人の美しい姉妹が惚れてしまう。それはどうしてなのか?を語っていくのが、この『幸福』というドラマなのよ。つまり、向田邦子は知ってたわけよ。ハンサムでインテリな医者だの弁護士だのの役をやってても、竹脇無我の中には、どこかめんどくさがりで人見知りで投げやりで不器用なところがあるってことを、ね。そこを掘っていったら面白い役ができるぞ、って。
 竹脇無我の演技としても、向田作品としても、『幸福』はマダムのイチオシです。『幸福』が放映されたのが1980年。向田邦子が飛行機事故で亡くなったのが1981年。
 あの事故がなかったら、マダムは初恋の役者が新境地を拓くのをもっと見られたに違いない。四半世紀がたっても、まだため息が出てしまう・・・。

ショーケンVS蜷川幸雄

 芝居のパンフは、普通買わない。だって、高いし、内容が薄いし。パンフを作ってる時にはまだ芝居の稽古が始まったばかりだったりするから、舞台の写真はもちろん、演出内容にふれた文章も載らないものね。役者の決意表明は、別に他の雑誌でも読めるし。
 ああ、それなのに『道元の冒険』の時は、パンフを買ってしまったの。体調の悪い時に行ったから、判断力が低下してたのよ。各場面ごとの歌の名前(それと本歌が何か)が知りたかったのに、案の定、知りたいことは載ってなかった・・・。
 その代わり、と言ってはなんだけれど、蜷川幸雄とショーケンの対談が載っていたのが、拾いもんだったの。芝居とは全然関係がないけど、これは蜷川幸雄のサービスなわけね。シアターコクーンのパンフには、毎回この対談が載ってて、今回たまたま相手がショーケンだったということのよう。
 ショーケンこと萩原健一は周知の通り、事件を起こしてしばらく謹慎していた。最近自伝(?)を出して、仕事を再開。蜷川幸雄は今のショーケンの状況を知っていて、エールを送るつもりで対談に招いたのね。こういうところは気遣いの人だ。頭の回転も言葉選びもメチャクチャ速いふたりの対談は、活字なのにスピードがあって、付いていくにもエネルギーがいるけど、とにかく面白い!でね、興味のある方はどうぞ読んでください、って言ったら、もうそれで終わりなんだけど・・・。

 対談の中でショーケンがしゃべった内容でひとつ、心底驚いたことがあったの。でも、このブログを読んでくれてる大多数の方は芝居好きの人たちだから、これを書いても、どれほどの人にわかっていただけるやら。とはいえ、マダムはこの驚きを黙っていられない。この場しか、書くところもないしね。
 ショーケンの代表作『傷だらけの天使』の神代辰巳監督の回のこと。ショーケンの言葉をそのまま引用するとね。

「『これで視聴率取れっつってもな〜』ってな本をクマ(神代)さんが『俺にまかして』なんて言うんだけど、撮ってみたら25分足りなかったり。『25分、お前なんか埋めろよ』って言われてもさ(笑)。そしたらその回の出演者だった池部良さんが・・・あの人作家志望だったかで、『僕にまかせてください』なんて言っちゃってさ。『おっ、渡りに船!(ポン!と手を叩いて)。じゃ池部さん、お願いします』って俺たちは時間をつぶして、池部さんが『できた』って書いてきた台詞言ってさ。そんなんで視聴率4%よ。」


 ここだけ読んで、えーっ!あの作品、そそそんなふうに撮ったのおー?!と、驚ける人だけが、マダムの気持ちのわかる人です。いやホントに驚いちゃった。
 『傷だらけの天使』はテレビの連ドラだったんだけど、当時の名だたる映画監督が寄ってたかって作ったことで有名なの。特にこの話題になってる神代監督の回は、観ると今でもぶっ飛びます。テレビドラマ的なカット割りとか説明台詞とか段取りとか安定したカメラワークとか、全部無視。画面が揺れながら話は流れるように進み、トリュフォーみたい。ゲスト主演の池部良が着流しなんかで出てきて、大雨の中、お、番傘をさすぞ、と期待して待ってると、女物の下品なピンクの傘なんかさしちゃって、はぐらかす。ラストに思いがけない展開があって、ちゃんと池部良に花を持たせて終わる。いやあこれ、テレビだと視聴率4%なのかもしれないけれど、とにかく凄い作品なのよ。
 あれが、ショーケンの言うようなメチャいい加減な状況で作られたんだとしたら、驚きだし、かえって凄い。才能のある人たちが乗りに乗ってる時って、何やっても結果OKになっちゃうんだなあ。
 感心しきりのマダムなんだけれど、この気持ち、共有できる方、どなたかいますか。

 

山口祐一郎の歌声について

 いまさらながらアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を読んだ。
 いまさら、である。このトシになって、この古典中の古典を初めて読むとは。だから隠れてこそこそ読んだの(この場でバラしといて、こそこそもないけど)。
 マダムは本は読んでなかったが、何年か前に芝居を観てる。でも取りたててインパクトのある舞台ではなくて、観たあとはすっかり忘れてた。そこへ先日、子供が学校の図書室からこの本を借りてきて読み、マダムに尋ねたのよ。
「おかあさん、そして誰もいなくなった、って読んだ?」「読んでないけど、芝居で観たから知ってるよ」「じゃあ、いつ、真犯人がわかった?」
 それからしばし子供と話したのだけれど、どうも話が噛み合わない。「あのね、そのナントカっていう男の役は山口祐一郎がやってた役だから、最後まで死なないわよ」「でも、本では全員死んでるよ。だから誰もいなくなるんじゃない」もっともである。結局原作を読んでみることになったわけよ。
 読んでみて、なるほどねえと納得したわ。原作は小説だから、全員が死に、その死は謎に包まれて時が流れ、しばらくして真犯人の遺書が見つかって事件の真相が知れる。それで充分面白い。でもこれを舞台にしようとしたら、全員いなくなっちゃうわけにはいかない。だから原作では死ぬはずの人間の中から若い男女を選んで、生き残るようにしてある。そして困難を乗り越えたふたりは結ばれるのでは?という、まあ、お決まりのハッピーエンドに書き換えてあったわけね。というような話を、読み終わってから子供としたの。そしたら最後にもうひとつ質問が。「山口祐一郎って誰?」

 舞台は山口祐一郎目当てで観に行ったのだけれど、マダムの予想した通り、ごく普通の出来映えだったなー。ストレートプレイでは、山口祐一郎は平凡な役者だな、と思った。(いや、眺めているだけでシアワセ、というファンの人の気持ちを否定はしません。)
 マダムはミュージカルが苦手なので、長いこと山口祐一郎の存在を知らなかった。でも、芝居友達のマダムPが一度彼を観てみたいと言ったので、チケットをゲットしてみようと考えた。それが、2004年5月の『エリザベート』
 手に入れようとして彼の人気の凄まじさを知ったの。内野聖陽とのダブルキャストだったのだけれど、山口祐一郎の出る土日は即日完売。マダムは玉砕した。あきらめきれないマダムは、コアなファンの方のサイトにおじゃまし、ダブって手に入れてしまった方にチケットを譲っていただけることになったの。いやー、今から思うとあのサイトをみんなで守り育てていた山口祐一郎ファンは、ホントに素晴らしかった。だって、今やオークションで儲けようという時代でしょう?でもそのサイトでは、マージンなし、余ったチケットを買っていただくという精神で!という約束が守られていた。(ちなみにマダムにチケットを譲ってくれた方は香川県にお住まいだった。飛行機に乗って、帝劇まで駆けつけるファンだったの。素晴らしい。その時はどうもありがとう!)
 紆余曲折あってたどり着いた『エリザベート』は、それだけの価値があったよ。初めて聞いた山口祐一郎の歌声は、想像を遥かにやすやすと越えていた。彼が歌いだすと、マダムは自分の躯がすうーっと引き寄せられ、浮き上がるような快感を覚えた。二階席の前の方だったので、自分が転げ落ちるのではないかと恐怖を感じるほど。他にも歌のうまい人、美声の人はいたけれど、彼のはもう、格が全然違う。そこでマダムは知ったのでした、歌にも演技の稲妻はあり、感電することがあるということを。聞いて、躯がしびれることがあるんだということを。
 その後、彼の出演する舞台を『レ・ミゼラブル』『そして誰もいなくなった』『ダンス・オブ・ヴァンパイア』と、観ていったのだけれど、『エリザベート』のトート役以上の役はなかったね。やっぱり死神があの世から呼びかける声に、彼の、この世のものとは思われぬ歌声があまりにもピッタリだ、ということでしょうか?
 そしてその『エリザベート』、今年ついに再演があるのね。ミュージカルは苦手なマダムもこれだけは別。もう一度行きたいなあと、今、考えている・・・。

愛と青春の真田広之 その4

 真田広之はもともと、舞台が好きで好きで・・・という人ではないのだと思う。
 80年代、つまり真田広之が20代の時にマダムが見た舞台は、1985年の『酔いどれ公爵』(千葉真一演出)と『天守物語』(増見利清演出)、そして1986年の『ロミオとジュリエット』(坂東玉三郎演出)の3本。このうち『酔いどれ公爵』はJACのスターのお披露目公演みたいなもので論外なんだけど、それにしてもこの3回とも、演技の稲妻は出なかったのね。
 たとえば藤原竜也とか、それから我らが風間杜夫とかは、舞台の仕事を辞めろと言われては生きていけないくらい、舞台が好きに違いないでしょう?そして彼らは、劇場いっぱいの客の前に登場した瞬間に、客から浴びる視線を自分のエネルギーに変換しちゃうでしょう?客に見られてると、きっと稽古の時の何倍もの力が出るに違いない。舞台俳優って本来そういうものだよね。
 真田広之は観客の視線が好きかしら?どうもそんな感じがしないんだよね。かえって、客の影響で芝居が違ってしまうことが嫌なのでは?と思ったりする。まあ、思いっきり推測に過ぎないんだけど。こればっかりは本人に訊いてみなければわからない。

 1999年に『リア王』英語版に挑んだあと、もの凄いハードなスケジュールで映画の主演が続く。2000年から2002年までに公開された主演映画は『はつ恋』『みんなのいえ』『真夜中まで』『陰陽師』『助太刀屋助六』。まあ2本くらいは『リア王』前に撮影してたかもしれない。その間に『オケピ!』の稽古と公演もあって、テレビの連ドラの主役も1本やってる。なんていうか、取り憑かれたように仕事してるって感じ。だけど『リア王』で打破に挑んだ彼自身の壁はそのまま残されていた。
 で、彼の方向を決定的に変えたのは結局、蜷川幸雄が期待した舞台の仕事ではなく、純国産映画だった。『たそがれ清兵衛』(山田洋次監督)。
 全部観たわけじゃないだろっていう批判は甘んじて受けますが、言わせてね。『たそがれ清兵衛』は真田広之の最高傑作です!映像版演技の稲妻、出まくってます!
 これほど彼に適した役はないだろうという清兵衛の設定。だからドラマが始まったと同時に彼が真田広之だということを忘れてしまう。英語より難しかった、と真田広之自身が言ったらしい山形弁の、訥々とした台詞回し。ひたむきさの中に普段は隠れている剣の強さ。クライマックスの壮絶な殺陣。それも薄暗い屋敷の中の。そしてやっと生きて戻った家に、待っていてくれた初恋の女。
 監督の執念と、脚本の素晴らしさと、カメラや美術の良さと、相手役の宮沢りえの匂うような美しさと、敵役史上に残るだろう田中泯の切れ。どれひとつ欠けてはならなかった全ての条件が、ぴたりと揃った、彼のもとに。
 ああ、ずっと見守ってきてよかったなあ、こんな瞬間に立ち合えるとは・・・ってマダムは思いました、映画館でグチャグチャに泣きながら。至福の時でした。
 結局、この演技が国内のみならず、海外でも知られ、そのあとの『ラスト・サムライ』につながっていったのね。そして、彼は遠くへ行ってしまった。でももういいや。舞台俳優としてではなく、映画俳優として超一流なのを、自他ともに納得したんだものね。自分は映像だな、って選び取れたのだと思う。
 それでももし、日本に帰ってきてもう一度舞台に立つ日が来たなら、マダムは万難を排して駆けつけますわ。(ああ、でもきっともう、無いんだろうな・・・) 

愛と青春の真田広之 その3

 30代の真田広之について、マダムは、なにかこう、壁のようなものを感じ始めてたの。単なるファンが感じられることなんだから、本人はもの凄く自覚してたんじゃないかしらん。
 その壁、の正体をマダムはその頃には上手く表現できなかったけれど、今ならこう言う。
 真田広之には無いものを、佐藤浩市は初めから持っている。(と、思いませんか?ま、しょうがないよね。誰もがみんな三国連太郎の息子に生まれるわけにはいかないもの)
 もちろん、これは逆も言えるの。佐藤浩市が逆立ちしても真似できないものを、真田広之は持っている。だからお互い様なんだよ。でもね、真田広之は努力の人だから、どんな壁も努力して乗り越えてきた。で、努力を続けたら、佐藤浩市の持っているものも手に入るんじゃないかと、思ってたのではないだろか。いえ、思ってたというより、努力する以外進む道がない、というか。
 壁を自分の力で打破すべく、蜷川幸雄を訪ね、今までにない負荷を自分にかけた。のではないだろか。そしてその結果はどうだったのか。
 蜷川幸雄の『演出術』(2002年 紀伊國屋書店刊)という本があって、この中で蜷川幸雄がすごく率直に語ってて、真田広之についても話してる。ちょっと長くなるけど、そっくり引用するとね。

 

(真田広之は)身体が切れる、熱心だし、まじめですよ。それは非のうちどころがないくらい立派ないい俳優ですよ。人間としての生き方もね。彼は僕の演出で『リア王』の道化をRSCで演じてイギリスから帰ってきたら、三谷幸喜さんの『オケピ!』に主演していたでしょう。バランスがとれていて、頭がいいです。ただね、もっとすごいところまで行ける俳優なのに、「くそー、あいつ安全パイ取ったな」って僕は思いますよ。世界レベルでやっていくためのスタートラインに立って、今までの日本の俳優とは違う役者のコースを選べたのに残念だと、いまだに僕は思っています。悔しいと思う。「やるまえから、当たるのがわかりきっているような芝居に、なぜ出るんだ」と思うわけ。別に俺とだけ芝居をやれと言っているわけじゃないですよ。他に選択肢はなかったのか。

 

(真田広之の演じた『リア王』の道化について)権力者リアの孤独な心を救ってくれる役割が、真田さんのフール(道化)からだんだんクワトム(エドガー)に移行していく。そのプロセスを描いていくのが(リア王の)重要な一面だと僕は思っています。そうなるとこの二つの役をやっている俳優がきちんと拮抗していなければ、芝居が成り立たない。(エドガー役の)マイケル・マローニは『ハムレット』も『ロミオとジュリエット』のタイトル・ロールもRSCでやっている力量の俳優なんです。真田さんももちろん、両方やっている。ただ、テクニックだけ取ると、圧倒的に真田さんは負けている。今回の『リア王』は英語での上演ですから、真田さんにはもちろんハンディが大いにあるけれども、真田さんの持っている性格的にスクエアなところが消し去れない。演技が気に食わないので、僕としては困っていたわけです。

 マダムが思うに、『リア王』のあと『オケピ!』をやったのは、安全パイ取ったというよりは三谷幸喜との約束を破るわけにはいかなかったからじゃないかな。それほど律儀なのよ。で、その律儀さこそ蜷川幸雄の言う「性格的にスクエアなところ」そのものであって、演じている時にもそこから完全に自由になることができない。それが彼の越えられない壁だったんだね。マダムは『演出術』のこの部分を読んで、図星指された、とドキッとしたの。まるで自分のことみたいに。
 殻を撃ち破ろうとぶつかっていって、その殻がどうにもならないほど強固だと気づかされて、真田広之は舞台から遠ざかっていったのではないかしらん。勲章もらおうが、すごいすごいと言われようが、彼自身は、自分の舞台での力量を正確に知ってしまったのよ。
 よくそんな冷たいこと書くよ、マダムは。ってみんな思う?でも泣いてんのよ、心の中では。
 彼はもう舞台には戻ってこないだろうと思ってます。だけど、それでもいいの。なんでだかはその4で書くね。
 長くなるって言ったでしょう?

愛と青春の真田広之 その2

 やれやれ、やっとゴールデンウィークが終わったわ。これでいつもの淡々とした日常に戻れる。

 そんなわけで、真田広之についてです。
 1995年以降、彼が演った舞台は次の三本。
  1995『ハムレット』蜷川幸雄演出(98に再演)
  1999『リア王』ロイヤルシェイクスピアカンパニー
       蜷川幸雄演出
  2000『オケピ!』三谷幸喜作・演出
 この3本、いずれもマダムの失われた10年に上演されたので、残念ながら観ていない。その後2003年に『オケピ!』の再演があったけれど、彼は海外の映画撮影の予定が延びたせいで出られず、代わりに白井晃が主役を演じた。その再演なら、WOWOWの生中継で観たんだけど!(さして面白くなかった・・・)
 そして以後、真田広之は舞台には立っていない。
 彼はもう舞台には戻ってこないと、マダムは思う。

 映画でもそうだけれど、真田広之はこれと決めた演出家と組んで仕事をしてきてる。映画監督なら、深作欣二、和田誠、滝田洋二郎といった人たち。舞台では、JAC時代は千葉真一の主導で、それ以降は坂東玉三郎や青井陽治など。いずれにせよ、彼は集客力のあるスターだから、引く手あまただったろうと思う。その中で、彼の方から望んで手を組んだのが、蜷川幸雄だった。
 蜷川幸雄のインタビュー本によれば、蜷川がロンドンで仕事中、真田広之が日本からわざわざ訪ねてきて、「一緒に仕事がしたい」と言ったのだとか。蜷川はその気持ちに打たれて、彼を『ハムレット』に起用し、さらにロイヤルシェイクスピアカンパニー(RSC)の英語版『リア王』で道化に抜擢する。
 これは、はっきり言ってメチャクチャ大きな賭けよ。役者にとっても演出家にとっても。だって、イギリスのシェイクスピア俳優といったら、日本でいえば、忠臣蔵ならどの役でもすぐ出来る歌舞伎役者集団みたいなもんでしょう?そこへ割って入っていく他国の役者って、どれほどの勇気がいるんだ!って思うし、失敗したら役者だけじゃなく演出家も、ボロクソに言われちゃうもんね。だいたい、普通の英語じゃないわけだし、舞台じゃ吹き替えってわけにはいかないよ。蜷川さん、真田広之に賭けたな、と思う。真田広之の方も、これまでの限界を超えるような努力をしたんじゃないかしらん。
 で、結果はそれなりに成功を収め、真田広之は日本人としてRSCに参加した功績を讃えられて、エリザベス女王から名誉大英勲章第五位(これって、どのくらい偉いの?!誰か教えて)をもらうの。
 だけど、これが真田広之を舞台から撤退させる原因になっちゃったんじゃないか、とマダムはにらんでる。
 続きはまた明日ね。

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