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愛する「海街」が映画になって

 吉田秋生の「海街diary」が映画となったので、観てきたわ。普段、映画のことは書かないけど、これだけは取り上げないとね。これから観る人は、観てから読んで。

『海街diary』
原作/吉田秋生
脚本・監督/是枝裕和
出演 綾瀬はるか 長澤まさみ 夏帆 広瀬すず
   加瀬亮 リリー・フランキー 大竹しのぶ 樹木希林
   風吹ジュン 堤真一 ほか

 えっとね。なかなか良かったです。1本の映画として。原作ファンとしてはいろいろ言いたくなっちゃうけど、それはあとで少しね。1本の映画として愛せる映画だったわ。
 なんていうか。マダムが思い出したのは、市川崑監督の『細雪』。あれは昔の船場の四姉妹のお話だったけど、映画「海街」は、現代の「鎌倉版細雪」として作られてると言える。美しい街の、四季折々のエピソード。桜や紅葉や緑や海の輝き。美しい四姉妹の、エピソードにふさわしい衣装(普段着、喪服、浴衣、職場や学校の制服)も見どころなの。まあ、少し美しすぎるかな、四姉妹。アレじゃ、鎌倉中で有名になっちゃうよ、美人姉妹ってことで。ホントはもう少し普通な人たちなんだけどな。
 舞台が鎌倉なので、小津映画と比べる向きもあるようだけど、マダムは全然小津を思い出さなかった。だって、小津は、風景に感情移入させるような手は使わないもん。だから、小津じゃなくて、『細雪』なのよ。
 もの凄く豪華で、手堅いキャスティングなので、下手な人などいない。そこはなるほど、と思ったけど、この映画の演技で圧巻なのは、すず役の広瀬すずと、大叔母役の樹木希林だった。もう、凄いのー、この二人。演技のベクトルが真逆なんだけど、到達点が同じくらい高い。
 広瀬すずは、自分と演技の境目が無くなる憑依型。狙ってなのか、監督は台本を彼女にだけ渡さず、その場その場で口立てで台詞を伝えて、撮影していったらしい。
 一方の樹木希林。出番は2、3シーンなんだけれど、大叔母さんそのものとして存在してた。彼女は憑依してるわけじゃなく、長年の経験があった上での冷静な計算があって演技してるわけなので、さすがとしか言いようがないわ。
 原作マンガをおのれの掌のようによく知っちゃってるマダムは、映画を見ながら、あ、ここはあの台詞、あ、ここは是枝監督のオリジナル、あ、ここはこう変えたんだー、などと気が散ること甚だしかった。でも、すずと大叔母さんの出てくるシーンは、そんなこと忘れて、見入ったの。
 そのほかの役者たちは、皆上手いし、手練の人たちばかり。でも、だからこそなのか、予定通りな演技なの。悪く言えば予定調和。それで原作との違いばかりが気になってしまうんだった。
 四姉妹のキャスティングだけで言えば、長澤まさみのよっちゃんは大健闘で、夏帆のちかちゃんもマンガとは別物だけどOKであったわ。ただ綾瀬はるかのシャチねえだけは、もう全然違う人になっちゃってた。キャスティングの時点での、監督の考えが、マダムとは180度違ったんだわ。
 
 原作はまだ連載中だし、2時間の映画にするとき取捨選択があるのが当然なので、別物として考えなきゃね、といつも自分に言い聞かせてる。でも別物でも、原作のどこをキャッチしたかは大事でしょ? 
 不在の親との関係が、この物語の鍵だと思うの。父親の不在については、ちゃんと語られているけれど、母親の不在については監督の意識が薄いような気がする。だから、母の演技は大竹しのぶにお任せしちゃったのかなあ。どうも腑に落ちなかったのよ。母と娘の関係は、シャチねえの性格の一部を作ってるのにね。
 吉田秋生の作品を愛する女性ファンと、映画を作る男性監督の間には、越えられない深い河が存在するね、きっと。
 四半世紀前の『桜の園』映画化の時から、河は変わらず深いままなのかも。

マンガ「海街diary」実写映画化とそのまわりについて

 吉田秋生の海街diary、第6巻『4月になれば彼女は』が出たのは昨年夏。
 1年に1冊くらいのペースなので、待ってる身には辛いものがあるわ。しかも、読み始めたら、ゆっくり読んでも30分で終わっちゃうし。
 ストーリー、説明しないよ〜。皆、買って、読みなさいね〜。
 
 海街Diaryは、既に実写映画化が発表されてる。監督は「そして父になる」の是枝裕和。
 なるほどね。
 確かに今、この手の話をリアリティをもって映像にできるといえば、この人と言えるかも。期待しよう。
 と思ってたんだけど、第6巻買ったら、4人姉妹のキャスティングが載っててね。
   幸姉・・・・綾瀬はるか
   佳乃・・・・長澤まさみ
   千佳・・・・夏帆
   すず・・・・広瀬すず

なのだそう。これって、どうなの。美人過ぎでしょ、みんな。すず役の子はマダムは知らないが、セブンティーンなんかでモデルをしてる美形の子らしい(子供情報)。是枝監督、リアリティを無視して、美形を集め過ぎです!
 それに、綾瀬はるかのようにほんわかした人に、シャチ姉(ねえ)を演らせるのはかなりキツいよ。前途多難だ・・・。

 是枝監督といったらドキュメントなのかドラマなのか、すれすれな演出が特徴なんだけど、その切れ味は最近少し鈍っている。「そして父になる」の出来はそれを物語っていたわ。
 「そして父になる」は、海外の映画祭でリメイク権が早々とハリウッドに売れたほどの、魅力的な設定のストーリー。産婦人科病院で子供を取り違えられ、6年育てた後にそのことが発覚する。どんくさい息子に不満だった父親(福山雅治)は、育ててきた息子を手放して、血のつながってる子供を引き取るのだけれど、そこから彼の本当の苦悩が始まる。子供には子供の6年間の歴史があり、その時間がいかに強固なものかを彼は思い知る。それとともに、どんくさいとだけ思っていた息子との時間がどれほど大切な時間だったかを、彼はかみしめる・・・だけど、取り替えた子供達につけてしまった傷はもう、元に戻らない。
 これはね、ちょっと古いけど例えばダスティン・ホフマンみたいな人が主役をやったらアカデミー賞総なめよ?! そのくらい凄いストーリーなのよ。ハリウッドがどんな風に作ってくるか、楽しみであると同時に、リメイクにあっさり超えられてしまうのかと思うと、実に残念だわ。
 是枝演出の「そして父になる」の何がいけなかったかと言えば、主役の演技がダメだったからに尽きる。でもそれは、福山雅治ひとりのせいにはできないわ。演技派でないことは承知の上で福山雅治を使ったのだから、監督はもっとがんばらなくてはいけなかったのよ。例えば彼が仕事の出来るエリートと言う設定なのは、画面から読み取れたけれど、読み取れることと感じられることは、別でしょ? 仕立ての良いスーツを着せ、メガネをかけさせたら、それでエリートなの? 工夫が足りな過ぎなのよ。
 福山雅治を起用したことで映画は一定の顧客を確保できたかもしれないけど、それだけで終わっちゃうには余りにももったいない、いいホンだったのに。今度の「海街diary」も同じ落とし穴に落ちないか・・・役者の顔ぶれを見て、いらぬ心配をしてしまうマダムなのでした。

私を怖い映画に連れてった。

 観劇休憩中のマダム。試写会の券が当たったので、観に行ってきたわ。11月23日(日)15時半、ニッショーホール。興味のない方は飛ばしてください。

『寄生獣』
原作/岩明均(講談社) 脚本/古沢良太
監督・VFX/山崎貴
出演 染谷将太 深津絵里 阿部サダヲ 橋本愛
   東出昌大 余貴美子 國村隼 ほか

 なぜこのような映画を観に行くことになったかは、この記事 を読んでね。
 試写会のチケットが当たってしまい、大急ぎで一緒に行ってくれる人を捜さなくちゃならなくなって、やはりこれは、20年前にマンガをマダムに無理矢理読ませたK氏に責任を取ってもらおうってことになったの。よかったなあ、一人で見なくて正解。思ったほど怖くなかったけど、マダムの苦手のスプラッタ系なのは明らかだったからね。
 マンガを知らない人に少しだけ設定を説明すると。
 人間に寄生し、人間の躯を乗っ取り、人間を食べる、寄生生物が現われる。高校生新一にも、その生物が入り込もうとするんだけど、新一はなんとか右手を乗っ取られただけで、くい止める。でもそのせいで、ひとつの躯に新一と寄生生物が同居する、妙なことになってしまう。新一は、寄生生物側から狙われ、いやおうなしに戦うことになっていく・・・というような物語。
 設定だけきくと、たいして怖くない。怖いのは、マンガの絵。寄生生物が人間を襲うとき、顔の部分が花開いたみたいにパッカリ開くんだけど、その絵がムチャクチャ怖い。上手い絵じゃないところが余計に怖い。20年前に読んだっきりなのに、あのときの衝撃と怖さと気持ち悪さがありありと甦るわ。
 その図の衝撃を、どれくらい再現できるのかが、実写映画化の意味と言っても過言ではないくらい。そこのところは製作者もよくわかっていたらしくて、特殊撮影がすばらしかった。花開いたみたいな寄生生物の気持ち悪さは、100点満点。
 でも原作が世に出て20年以上の歳月は、衝撃を弱めてしまったね。この間に、あらゆる地球外生物が人類を襲う映像がたくさん作られて、さしたる興味のないマダムでさえ、慣れちゃった部分があって。ターミネーター2の映像に息を呑んだ憶えがあるけど、それよりも早く描かれながら『寄生獣』がこれまで映像にならなかったのが、やっぱり残念な気がする。残念、というより、今更ながら悔しいというべきかしら。
 
 来年、完結編が公開されるらしく、お話は尻切れとんぼで終わっていた。そんな中で、マダムの印象に残ったことは、ふたつあって、ひとつは、主人公の右手に寄生した通称ミギーの声を担当した阿部サダヲの上手さ。気持ち悪い右手と共存しなくちゃならなくなった主人公が、だんだんミギーと互いを受け入れあっていくところが、よく描けてるんだけど、染谷将太の演技より、阿部サダヲの声の演技に支えられているな、と思った。さすが阿部サダヲ。人間以外のものにもちゃんとなれる。
 もうひとつは、寄生生物側で登場した東出昌大の演技。張り付いたような笑顔が気持ち悪くて最高だった。心が伴わない笑顔がここまで怖いものだとは。
 
 全体に、特殊撮影の方に引きずられて登場人物の心の変化の描写が、薄くなってしまっている。原作が、寄生生物の怖さだけじゃなく、人間ってなんなの?っていう凄いテーマにまで迫っていることを思い出すと、取りこぼしてしまった部分が大きいかなあ、と思ったわ。残念。
 完結編で、取り返してくれるかしら?

 

私を怖い映画に連れてって・・・?

 今日は、怖い映画の話。興味のない方は、スルーしてね。

 今から20年くらい前のことだったかしら。
 男友達のK氏から、「凄く面白いよ。どうしても読んでほしいんだ」と、無理矢理に貸し付けられた数冊のマンガがあったの。見るからにマダムの好みではない、デッサンの狂ったようなアンバランスな荒っぽい画だったんだけれど、K氏は「絶対に面白いから。騙されたと思って」と勧めたの。そこまで言うなら、と読み始めてみると。
 怖いマンガだった。ホントに騙された、と思ったわ。怖くて怖くて読むのをやめたいのに、面白くてやめられない。助かったのは、まだ全巻は出てなくて、途中でやめられたこと。ほとんど泣きながら抗議しつつ、素早くマンガをK氏に返した。だって、家にあると怖いから。
 「これ、映画になったら面白いと思わない?」とK氏が言ったので、「うん。日本じゃ無理(技術的に)だけど、ハリウッドなら出来るかもね。でも、出来ても見ない。怖いから」とマダムは答えたのよ。
 それからまもなくして、映画『ターミネータ−2』を見て、マダムはすぐにK氏に電話をかけたわ、「あのマンガ、パクられてるかも」って。K氏はとっくに『ターミネーター2』を見てたけど、すぐにはマダムの言うことがピンと来ないようだったの。それでマダムは少し詳しく説明した。「液体金属製のターミネーターの手先が変化してそのまま刃物になるところなんて、あのマンガそっくりじゃない?」「ちょっと待って。マンガを読み返してから、かけなおす」
 しばらくしてからかかってきた電話の向こうでK氏は言った。「本当だ。そっくりだね・・・」
 そのマンガの題名は『寄生獣』といったの。

 20年もの歳月を経て、『寄生獣』(作・岩明均)がとうとう実写で映画になると聞き、マダムはずっと忘れていたK氏との会話を思い出した。あのときに日米の映画の間にあった技術の差はほとんどなくなり、差と言えば予算の差くらいのものよ。もしかしたら、あのときにも、資金力の差以外には大した差などなかったのかもしれない。
 仮にマダムの直感が当たっていて、一部『ターミネーター』にパクられていたとしても、よ。今更誰も思い出しもしないくらい年月が経って、原作をちゃんと映画に出来れば、それは原作の力、原作の勝利なのだわ。
 そして、さきほど『寄生獣』予告編を、You Tubeで観たの。
 マンガの画の怖さを、ちゃんと表現できてる! これは期待できるよ。マダムの好きな深津絵里や、北村一樹が出てるし。
 問題は、マダムは怖い映画が苦手、ということよ。(って、じゃあ、なんで見たいんだ?)
 好きな芝居なら、どんなところへも一人でどんどん出かけちゃうマダムなのだけど。あんな怖そうな映画は、とても一人では見られない。「うぉー、こわいよぉー
 」とわめくマダムの横にいて、「大丈夫だから」と落ち着いた声をかけてくれる男前な友達を探さなければ。冬までに。

『大奥』映像化 第二弾!

 年明けから怒濤の観劇生活を送っていたので、気がつくのに遅れてしまったんだけど、よしながふみの『大奥』は、二宮一也と柴咲コウの映画第一弾に引き続き、第二弾が予定されてるのね。
 しかも今度は、テレビドラマと映画のダブル実写化だそうな。凄い。

 凄いのはいいんだけど、いろいろと心配だわ、マダムは。
 まずテレビドラマでは、家光編をやるという。で、家光役は多部未華子。演技力はよくわからないけれど、意外と合いそう。問題は原作の、家光が活躍するあたりの描写は著しくテレビ向きでないことよ。当然、大幅な割愛やら変更やらがあるでしょうね。そのせいで、よしながふみの原作が全然生かされなくなる恐れがあって。ただの男女逆転だけにならないことを祈るよ〜。

 

映画は綱吉編で、綱吉役が菅野美穂。うわあ、ぴったりよー。色っぽくて愚かで切ない綱吉になりそう。なるべく原作通りにやってくれることを望むけれど、原作通りにやるとRなんとか指定になっちゃうわね。ということで、これも原作からはかなり離れてしまいそう。

 いちばんの驚きは、どちらも、将軍の愛人役を堺雅人がやるのだそうで。演技力はあるでしょうけれど、イケメン度が足りません! マダムはちょっと不満。

 

 原作マンガに描き込まれた、人間の愚かさや弱さ、愛おしさを、出来得る限りすくいあげた映像化となることを、強く強く期待しているわ。

吉田秋生の底力 『海街diary』

 左手日記その6。

 子供を連れて旅行にも出かけ、その分お盆にも働いて、ヤレヤレやっと涼しい週末を迎えた。そうしたら、自分がこの暑さのためにどれほど疲れていたのかがよ〜くわかったの。芝居も観る気が起きず、本も読む気が起こらず、感度が落ちるばかりの生活。
 ところがこの週末。涼しいというだけで、集中力アップ。吉田秋生の新刊(第4巻)が出たので、1巻からもう一度全部読み返したの。

『海街diary4 帰れないふたり』
 吉田秋生作 小学館フラワーコミックス

 吉田秋生といえば、今更マダムがどうこう言う必要もない少女マンガ界の大御所ね。マダムはかれこれ30年くらいお世話になっているの。
 その間、『BANANA FISH』みたいに途中で脱落した(マダムが、ね)作品もありつつ、関心を持ち続けてきた。吉田秋生には大きく分けて2種類の作風があるの。日常を淡々と、でも深く描いていくものと、犯罪や超常現象もありのちょっと心痛い作品系と。『BANANA FISH』は後者で、マダムは途中まで読んで、もういいかな、と思ったのだけれど、そう云う痛い作品を描いているからこそ、前者の系列を描いた時の深みが出るんだと思ってる。ていうか、別々のものじゃないの。表裏一体のものなの。
 『海街diary』シリーズ、最高です。
 昨今の芝居も映画もテレビドラマもちょっとかなわない、人間描写のディテールを見よ、と言いたくなった。

 夏は劇場へ行くことも無く終わりそう。
 でもご心配なく。秋は興味深い作品が目白押し。今は体力を温存しておこうと思うわ。

お久しぶりのご挨拶 そして佐藤史生を悼む

 ご無沙汰いたしました、マダム ヴァイオラです。
 引っ越ししたんだけど、当日の朝、引っ越し屋のおじさんから「今日は、一年で一番引っ越し屋の忙しい日です」とにっこり言われ、いやーホントに済まない気持ちになったわ。だからって、しょうがないんだけれどね。
 なにより心配してたインターネットの引っ越しが無事できたし、子供の入学式やら始業式やらも終わったし、あとはまあ、半年くらいかけて段ボールの山を崩していければいいわ。
 芝居の記事が書けるには、まだ少ーし時間が必要なので、待ってね。

 そして今日、どんなに忙しくても、この場で書かずにはいられない悲しい出来事について、書かせて。
 佐藤史生というマンガ家がいます。もともとは萩尾望都のアシスタントをしていたらしい人でね、デビューはもう30年くらい前というキャリアの長い人なんだけれど、とても寡作だったので、余程の少女マンガ好きでないとご存じないと思う。
 マダムはかれこれ四半世紀前くらいに彼女の代表作『夢みる惑星』4巻(小学館)に出会い、たった一作で、この作家に出会った価値があったと思ったの。たとえば子供の頃『ナルニア国物語』に熱中した人ならば、必ずや惹かれるようなダイナミックな物語がそこにあった。その後すぐに『ワン・ゼロ』4巻(小学館)が描かれて、こちらは完全なSFで、コンピューターが信仰の対象になってしまう近未来を描いていたんだけれど、まるで今の時代を予測していたかのような物語なの。
 二つの作品は全く毛色が違っているようでいて、実はバックボーンには私たち日本人の内なる東洋的なものがちゃんと存在してた。そこがなによりマダムを強烈に惹き付けた。何度繰り返し読んだかわからないこの二つの作品を、マダムは引っ越しの時にも真っ先に段ボールに仕舞い、新居に着いたら真っ先に本棚に並べたの。まさか佐藤史生という人が今まさに天に召されようとしているとは、全く知らずに。

 寡作であっても、何年かにぽつりぽつりと新作が出るのを楽しみに待っていた作家を、こうして失うのは、凄く悲しい。
 今夜は久しぶりに『夢みる惑星』を布団の中に持ち込んで、ひとり彼女を悼むことにします。

『大奥』第5巻発売記念 映画化について勝手に考える

 本屋、図書館、劇場。これがマダムの三種の神器である。
 でも9月にはこのどれにも立ち寄る暇さえなかったの。で、このあいだやっとサンシャイン劇場に行ったとき、ちょっと池袋リブロに寄ったのが幸いした。
 なんとなんと、よしながふみの『大奥』第5巻が出ているではないの! いつもは年末ごとに1巻ずつ出てたのに、今年だけこんなに早いなんて、いったいどうしたんだ? 嬉しい驚き。これはやっぱり来年の映画化に向けて、よしながふみ自身もアクセル全開させることにしたのかしらん?

 劇場の帰りの電車内から第5巻を読み始め、読み終わったら、家にある第1巻からもう一度全て読み返した。ああ、面白いなあ、ホントに。
 昨年末4巻が出て読んだ時、ちょっとお話が停滞しているように思えたんだけれど、5巻を読むと、そうじゃないことがちゃんとわかった。よしながふみの脳内には徳川15代全将軍を描くべく、ダイナミックな流れがもう出来上がっているに違いないわ。ああ、早く全部読みたい。もどかしいわ、何年にもかけて途切れ途切れで読むのが。

 さて、遂に映画化、なのよ。『西洋骨董洋菓子店』を韓国に取られた日本映画界としては、是非、がんばってもらわなくては。
 韓国映画『西洋骨董洋菓子店』の出来は、いまいちだった。いや、いま三くらいと言えようか。実に原作に忠実だったのだけれど、エピソードを詰め込み過ぎて、ジェットコースターのように終わってしまい、心にはなにも残らない作品になってしまった。イケメン4人揃えたところで安心してしまったのかしらん、韓国製作人たちは。
 そこで、この未曾有の傑作『大奥』を映画化するにあたり、良いものを作ってほしい。いい加減に妥協しないでほしい、という気持ちをここで表明し、マダムの勝手な願いと考えを書き留めてみましょう。って言うか、ぶちまけちゃいましょう。

 まずはこの5巻までですら既に、1本の映画では収まりようがない。たとえばスターウォーズのように6部作くらいにしてもらはねばなるまい。が、日本にはルーちゃんスピちゃんはいないので、それはほぼ不可能だわ。
 もう一つの決定打としては、映画ではなく、NHK大河ドラマとして『大奥』を作ることなのだけれど、こっちはもっともっと不可能。絶望的。NHK 大河の宿命として、日本人の平均的老若男女に理解できるように作らなくてはならないからね。原作の持ってるテーマ事体が、平均なんてものを遥かに凌駕しちゃってるから、テレビの連ドラには残念ながら納まらないね。
 ので、とりあえずは目の前の1本を、渾身の1本にしてもらいたいの。そうしたらもしかして次があるかもしれないからね。

 というわけで、やっぱり第1巻を2時間の映画にする、と決めて脚本を作るべし、ね。第1巻は、吃驚仰天な設定を難なく読者に定着させ、ロマンスと、徳川吉宗の造形が魅力的で、話のまとまりがよい。よしながふみの上手さが遺憾なく発揮されてるのよ。脚本家としては、下手に手を付けると改悪になりかねなくて、手を付けにくいよね。だから、極力手を付けないことにする。原作の運びのよさをそのまま映画の画面に移すにはどうしたらいいかだけを考えてほしい。
 監督は細部の演出に心を砕いてほしい。映画の魂は細部に宿る。細部の積み重ねがテーマを分厚く語ることになるのよ。でもここで注意! 韓国映画『西洋骨董洋菓子店』の細部はとてもよく出来ていた。にもかかわらず、いいものが出来なかった。ここで出てくるのが、よしながふみを本当に、本当に、理解できているのか、という問題なのよ。

 よしながふみは意識的にせよ無意識的にせよ、女性というマイノリティのためにマンガを描いている。よしながふみ自身が宿命的にそういう人なの。
 『大奥』は別に男女平等を訴えてる作品なんかじゃない。だからそんなこと、意識する必要はない。ただ、男性が少女(および女性向きの)マンガを原作に映画を作ると、どこか誤解というか、抜け落ちてるというか、そういうものが出来ちゃってきてるんでね。
 かつての『ベルサイユのばら』(ジャック・ドウミ監督)とか『桜の園』(中原俊監督)とか『1999年の夏休み(トーマの心臓を原作とする)』(金子修介監督)とか、どれも原作への愛はありながら、何か誤解があるという印象を拭えなかったのよ。『天然コケッコー』(山下敦弘監督)はギリギリ、がんばっていたね。
 とにかく女を特別視したり神格化したりして描かないでよね。それは結局、どこか他人事になる。そうではなく、全ての人物に共感して、演出してほしいの。それは男性の監督にとってとても難しいことかもしれない。でもできないことではない。
 なぜなら、舞台ではそれをやってのけた例があるんだから。『半神』(萩尾望都原作 野田秀樹演出)が、それよ。


 あー、勝手なこと、いろいろしゃべったら、すっきりしたわ。これを読んだ人の中に、『大奥』の監督または脚本家またはプロデューサーまたは、よしながふみ御本人のお知り合いがいたら、よろしく伝えてね。余計なお世話ですけど、ファンは期待してるんだからね。

やっぱりメジャーになった、よしながふみ

 マダムが休養している間に、いつのまにかよしながふみは今年の手塚治虫文化賞(朝日新聞主催)を手にしていたのだった。
 思えば去年、なぜ彼女の『大奥』がノミネートされながらもなんの賞も受けないのか、思いっきり嘆いたものだったわ(→ここ )。でも今年、改めてちゃんと認められ大賞を取ったので、マダムは大いに満足。もちろんこの賞をとったからって、よしながふみのマンガの売り上げにさして貢献があるとは思えない。それよりも『大奥』映画化決定!なんだそうよ。そっちのほうがより『大奥』の面白さを世に知らしめることになるわね、きっと。
 でもね、マダムは凄く不安なのよ。
 だって、うんと好きな原作だと、映画化されて満足する可能性が低くなるの。「好き度」と「満足度」は反比例の関係なのかしらん?期待値が高すぎるんだよね、きっと。同じよしながふみの『西洋骨董洋菓子店』も、韓国で映画化されて、めっちゃ楽しみにしてたんだけど、かなり肩すかしな印象を受けちゃったしね。

 映画『西洋骨董洋菓子店』はね、とても原作に忠実ではあったの。その点は、かつてのフジテレビ版のドラマより、確かなの。だから予告編を観た時、これは期待できるかも・・・!って思ったのよ。しかもキャストは全員が原作のイメージを踏襲したイケメン揃い!
 だけど、ストーリーが原作に忠実であることと、面白い映画であることは、全然別のことでしょう?
 確かにストーリーはほぼ全部追えていたけれど、もうそれで手一杯。エピソードがぎっちぎちに詰め込まれていて、ジェットコースターのような映画になってた。これじゃあ原作を知らない人には理解できないんじゃないの?と疑問に思ったの。
 映画化するにあたっては、原作に対してリスペクトと深い理解が必要。リスペクトは感じたけど、理解はいまいちではなかったろうか、ね。たぶんよしながふみのよしながふみである所以を掴んでいるかどうかが、鍵なのよ。キャストがイケメンであることも、ケーキがおいしそうなことも、画面が美しいことも、全部付加価値に過ぎないの。そっちに気を取られ過ぎてちゃ、演出は失敗しちゃうのよ。よしながふみの描く、普通の人間が普通に生きていく上での、心に抱えている不安と、それでもそれを抱えつつ生きていく人間の覚悟を、表面的ではなく、理解してるかが大事なの。

 あー、『大奥』の映画化が心配。監督は誰なの?マダムが面接試験したいくらいだわ。
 

芝居に行かれない時には

 春まであと少しというところへきて、とうとう風邪をひいてしまった。体力低下に伴い、精神的にも激しく落ち込み、遂に活字すら読めない事態になりはてたの。
 こういうときいい芝居を観たりすると、起死回生の一発逆転サヨナラ満塁ホームランのように、くるっと裏返って元気になったりするもんなんだけど、マダムの『ムサシ』観劇は4月なので、まだ一ヶ月くらいあるのよ。わざと遅い時期を選んだの。だって、本当に3月4日に幕が開くか半信半疑だったんだもん。でも開いたんだねー、これが。やるなあ、蜷川組。待ち遠しいよ。
 シアターガイドによると、宮本武蔵っていっても吉川英治のものとは似ても似つかぬ芝居のようね。巌流島の6年後で、佐々木小次郎は死んでなくて、武蔵と再び相まみえる話なんだって。鈴木杏もお通じゃないし。井上ひさしが小説そのままをやるとは考えにくかったから、やっぱりねと納得はするけど、『バガボンド』読んで予習したの、無駄になったわー。しかも、つまんなかったし、『バガボンド』。話がなっかなか進んでいかないんだもん。決闘が始まると何ページも何ページも台詞がなくて、戦いの描写ばかり。で、また武蔵が戦ってばっかりだからさ。最初は画力に眼を奪われたけど、すぐ飽きる。ずうーっとスローモーションの映画を見てるみたい。細部にこだわり過ぎて、ストーリーの大きなうねりは置き忘れられてると思う。青年誌のマンガって皆ああなんだろうか。ありゃ、つまり、劇画の系譜?
 マダムとしてはやっぱりこっちの方が断然好きだな。

 『アドルフに告ぐ』1〜4巻(文春文庫)
   手塚治虫・作


 これは手塚治虫の晩年の作品。ナチスの台頭と、戦争に突き進んでいく日本。その時代に生きた同じアドルフという名の3人の男たちの数奇な人生を描いた大作よ。
 マダムは多々ある手塚作品のほんの一部を読んでるだけなので、実は語る資格なんかまるで無い。この『アドルフに告ぐ』も、以前から心惹かれながらも未読だった。でも、今回再々(?)文庫化されて平積みされてたから衝動買いしたの。落ち込みも忘れるほど、夢中になって読んだわ。
 4巻の巻末にマンガ家のいしかわじゅんが解説で書いてる通りなんだけど、この作品は晩年のものなので、絵の魅力はたとえば『火の鳥』なんかに比べて落ちるとマダムも思ったの。だけど少年時代を戦中に過ごした手塚治虫にとっては、これを描かずには死ねなかったに違いない。そういう迫力が全体にみなぎってる。『バガボンド』に対して絵の上手さでは負けても、マンガとしては圧勝だ。と、マダムは思うよ。
 マダムの母、大マダムは戦前東京に住み、東京のど真ん中で空襲を経験した人なの。そのとき見たものについてよく話してくれてたのでマダムは、手塚治虫の描写が誇張も無く嘘も無いものだと感じられる。そしてその悲惨さをリアルに描きつつも、筆の運びのなんと冷静なことよ。どんなにむごい場面を描いていても、作者が感情に溺れていない。作中人物に作家自らが感情移入しちゃうことを、徹底的に排除しているの。自分の筆に酔うことを固く禁じている。だから読む方も、単純に誰かに同情して泣くとか、誰かを憎んだりとか、できないの。
 小説にしてもマンガにしても最近は、主人公に寄り添って、と言えば聞こえが良いけど、べったりになって読んでいく作品が多くなってる。その方が読みやすいし、読後の快感が簡単に得られるからね。でも簡単に得られるものは、簡単に消えていくものよ。そこへいくと『アドルフに告ぐ』の読後感は尾を引く。登場人物個人の感情に収斂していくお話ではないから。もっと大きなもの、つまり人間が生きていくっていうことはどういうことなのか、人の歴史が繋がっていくことになんの意味があるのか・・・という巨大なテーマを提示しようとしているから。
 ネタバレになるから、余り詳しくは書かないけど、物語が第二次世界大戦の終了とともに終わらないところが、手塚治虫の凄みだ。日本で書かれるおおかたの太平洋戦争ものとは、そこではっきり一線を画す。
 村上春樹がエルサレム賞受賞講演で話すより、『アドルフに告ぐ』を翻訳してあちらで配る方が、ずっと核心を突いていると思うよ。手塚治虫たった一人をとってみても、マンガは日本人だけじゃなく人類の宝物だ。
 なんだか話が大きくなっちゃったけど。でもそうさせる力があるのよ、『アドルフに告ぐ』はね。
 

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