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芝居あれこれ

1981年の『近松心中物語』 その2

 思えばこの時の『近松心中物語』(長いので以下『近松』と略す)は、蜷川御大が商業演劇に進出して数年が経ち、演出家として圧倒的スターダムにのし上がる、駄目押しのような作品だったの。
 そして私たちが馴染んだ(時には、またか、と思った)演出方法は、すべて『近松』に揃っている。御大の好きなものばかり。
 そびえる二階建ての長屋セット。群衆が一挙に動き出す、アッと言わせる幕開き。絢爛豪華な色使い。役者を消耗させるほどの何トンもの水。大音量の演歌。上から降ってくる大量の紙吹雪と風。そして・・・台詞を詠う役者。
 配役は

 忠兵衛=平幹二朗  梅川=太地喜和子  
 与兵衛=菅野忠彦  お亀=市原悦子  
 八右衛門=金田龍之介  忠兵衛の義母=嵐徳三郎  お亀の母=山岡久乃

 
といった具合で、新劇の人、歌舞伎の人、新派の人いろいろいて、異種格闘技戦の様相。これも御大が好きなやり方よね。
 でもね、言っておかなくちゃいけないのは、当時はどれもこれも皆、新しい挑戦だった、ってこと。ほかに誰もやらないようなことを、どんどん取り入れて実現させていったってことなの。帝劇で水。帝劇で大音量の森進一。誰もやろうとしなかったでしょう?考えてもみなかったでしょう?
 
 再演にもかかわらず、パンフレットには舞台写真がほとんど載ってなくて、昔からこうだったんだと改めてがっかりする。そこで、偶然パンフレットにはさんであった切り抜きの舞台写真をお見せしましょ。

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これは、週刊朝日に当時、小田島雄志が連載してた「週刊朝日劇場」のページ。毎週一本の舞台が、小田島先生の解説付きで紹介されるコーナーで、マダムは必ずチェックしていた。

 

 たったいま手にかけた梅川の遺体を抱きかかえて、雪の中をよろよろと進む忠兵衛・・・平幹二朗が、美しい・・・。(初演ではこのシーンで腰を痛め、残り三分の一の公演を代役がすることになった、伝説のシーンね。)
 この美しさもさることながら、平幹二朗と太地喜和子の台詞は詠うようで、人間離れしてたの。辻村ジュサブローが操る人形のように。
 
 ここまで水っぽい演出方法を連発しても、ギリギリ首の皮一枚のところで1981年の『近松』は芸術として踏みとどまっていたんだけど、それは蜷川御大が、そもそもの近松の心中もののテーマを決して忘れなかったから。江戸時代の、庶民の受けていた強烈な圧迫感をなんとか表現するんだと強く思っていたからだと、マダムは今になって、わかるの。忠兵衛と梅川はもちろん、群衆も、そして笑いをとってるお亀と与兵衛の二人さえ、時代の不自由さにがんじがらめになって、喘いでいる。一挙手一投足が決められてしまっている時代。心中するってことは、自由になりたいってことなのよ。壁を打ち破りたいってことなの。それには死ぬしかないという、どうにもならない圧迫感。
 それが舞台全体をちゃんと覆っていたのよ。

 そしてそれが、いのうえひでのり版に欠けているものなの。
 いのうえひでのりは、根が前向きな人なんだよね、きっと。明るいの。
 だから、つかこうへいの『熱海殺人事件』のときもそうだし、今回の『近松』でも、役者の立ち位置、型、音楽の入れ方や、舞台装置の使い方など見事で、エンターテインメントの王道を行く芝居を作ってくれるんだけど、圧迫感とか、劣等感とか、負の要素を込めるねちっこさがないの。カラッとしてるのよね。
 つかこうへいが持っていた、劣等感をネチネチとこねて裏返す複雑な快感。蜷川御大が持っていた、圧迫感をはねのけようとして役者を圧迫する執念深さ。いのうえひでのりには、どちらもないの。もちろん、本人は重々わかってるんだよね。それがダメなことだとは思わない。思わないけれど、少なくとも『近松』には、庶民の受けていた重圧が表現されていなければ、いけないのではないかしら。
 
 マダムは、繰り返し上演された蜷川演出の『近松』を、たった一度しか観なかった。繰り返し、手を替え品を替えて上演された最近の『近松』に、どれほどの圧迫感が残っていただろうか。
 人気が出すぎて、求められるままに再演を重ねて、蜷川御大も気持ちの込めようがなくなっていったのじゃないか、とマダムは推察しているのだけれどね。
 

1981年の『近松心中物語』 その1

 1981年12月、とある日の午後、マダムは帝劇にいた。
 その2年前の初演が評判高く、再演の運びとなった蜷川幸雄演出の『近松心中物語 それは恋』を観に行ったの。席はなんと!最前列。イ列35番(当時の帝劇って、席番がイロハだったのね・・・)。

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 これがその時のパンフレット。





 ワクワクしながら最前列に座ってたら、ホール係の人がやってきて、前から3列目くらいまでの客に、ビニールの風呂敷を配った。「水を使うシーンがありますので、これを使って防いでください」ってね。風呂敷は白地に赤い文字で、芝居の題名が印刷されてて、ちゃんと、くれたのよ。しばらく家にあったと思う。
 テント芝居ではなく商業演劇の劇場で本物の水を使ったのは、蜷川御大が最初なのだろうか?とにかくマダムはますますワクワクしたわけなんだけど、なにせ最前列だからね、こっちの想像をはるかに上回る水が飛んできて、かなり凄いことになった。水はもちろん、お亀と与兵衛が入水自殺を図る場面。いのうえ版を今回ご覧になった方にはわかるでしょうけれど、川の中で与兵衛は溺れることができずにかなり暴れる。それを本当の水でやるのだから、推して知るべし。

 最前列はとにかく強烈だった。忠兵衛と梅川が心中する場面も至近距離。かぶりつきで見たの。そのとき降った雪(紙吹雪)の量がメチャクチャで。今回のいのうえ版の雪が物足りなかった。御大の使った雪の量は10倍じゃきかないかも。最前列のマダムはすっかり雪の中よ。風も凄いから、ホントの吹雪に巻き込まれた感あった。
 
 あんまり前過ぎて、全体を見渡せていなかったのかもしれない。久々に開いてみたパンフの中にあったセットの写真に、びっくり。全然憶えてない・・・。

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 写真が小さくて、わからないかしら?
 二階建ての長屋のセット。舞台をぐるっと囲んでる。

  これ、そののちの下谷万年町とか2015年のハムレットとかのセットとおんなじじゃん? 御大、どんだけ好きだったんだろう、二階建ての長屋。
 ちなみにこの時の装置は朝倉摂。

 でね、音楽は猪俣公章で、歌は森進一で。道行のシーンなんかで、ガンガンかけるわけ、森進一の歌う主題歌「それは恋」。

 そして美術ではなく「アートディレクター」に辻村ジュサブロー。人形を作り人形を操り芝居を作る人だったんだけど、その世界観に惹かれる舞台人が多数いて、御大もその一人だった。『近松心中物語』では人形使いとして出演し、着物のデザインを手がけ、色彩を取り仕切った。この頃の蜷川御大の舞台の美しさ、妖しさは、辻村ジュサブローの力によるところが大きいのね。

 1981年の御大版と、いのうえひでのり版との違いについては、その2で。

2017年の総括

 今年、劇場で観た芝居は以下の通り。( )内は演出家。

1.  『お気に召すまま』(マイケル・メイヤー)
2.  ミュージカル『フランケンシュタイン』(板垣恭一)
3.  『スパイに口紅』(村田裕子)
4.  カクシンハン『マクベス』(木村龍之介)
5.  『足跡姫 時代錯誤冬幽霊』(野田秀樹)
6.  ミュージカル『ビッグ・フィッシュ』(白井晃)
7.  『令嬢ジュリー』(小川絵梨子)
8.  ミュージカル『王家の紋章』(荻田浩一)
9.  『エレクトラ』(鵜山仁)
10.劇団チョコレートケーキ『60’エレジー』(日澤雄介)
11.ミュージカル『グレート・ギャツビー』(小池修一郎)
12.『クヒオ大佐の妻』(吉田大八)
13.イキウメ『天の敵』(前川知大)
14.新派公演『黒蜥蜴』(齋藤雅文)
15.『子午線の祀り』(野村萬斎)
16.子供のためのシェイクスピア『リア王』(山崎清介) 
17.『子供の事情』(三谷幸喜)
18.『怒りをこめてふり返れ』(千葉哲也)
19.『ハイバイ、もよおす』(岩井秀人) 
20.AUNワークショップ公演『間違いの喜劇』(長谷川志)
21.ミュージカル『ビリー・エリオット』(スティーブン・ダルドリー)
22.『野田版 桜の森の満開の下』(野田秀樹)
23.ミュージカル『ビューティフル』(マーク・ブルーニ)
24.『ワーニャ伯父さん』(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)
25.風間杜夫一人芝居『ピース』(水谷龍二)
26.『クライム オブ ザ ハート 心の罪』(小川絵梨子)
27.『デス・ノート THE MUSICAL』(栗山民也)
28.さいたまゴールド・シアター公演『薄い桃色のかたまり』(岩松了) 
29.『オーランドー』(白井晃)
30.『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』スペシャルショー(ヨリコ・ジョン)
31.『リチャード三世』(シルヴィヴ・プルカレーテ) 
32.『オセロー』(イヴォ・ヴァン・ホーヴェ)
33.イキウメ『散歩する侵略者』(前川知大)
34.『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(小川絵梨子)
35.『ペール・ギュント』(ヤン・ジョンウン)
36.花組芝居『浪漫歌舞伎劇 黒蜥蜴』(加納幸和
37.彩の国シェイクスピア・シリーズ第33弾『アテネのタイモン』(吉田鋼太郎)
38.『ミュージカル ヘッズ・アップ!』(ラサール石井)
39.彩の国シェイクスピア・シリーズ第33弾『アテネのタイモン』(吉田鋼太郎) 
 

 今年もたくさん観てしまったね〜。
 でも、時間と体力と金力があれば、もっと観たいものがあったの。年末の劇団チョコレートケーキや、風姿花伝の公演、行きたかったし、文学座のアトリエ公演も行ってみたかったし、注目していた森新太郎や上村聡史の作品を観に行けなかったのも残念だったし。年頭に『スパイに口紅』を観て、もっと小劇場を発掘したいと思ったけれど、その後あまり探索できなかったしね。
 それでも、充実の39本だった。今年はミュージカルでは飛び抜けたものがなかったけれど、その分、ストレートプレイがすごかったの。
 なんといってもダントツはイキウメの『天の敵』『散歩する侵略者』。劇団として今絶頂期にあり、他の追随を許さない出来栄え。本も、舞台効果の完成度も、役者の演技も全てが最高峰。イキウメの公演を観た後は、しばらく他の芝居を観ないでじっとしていたいと思うほど。
 そして、蜷川御大亡き後、その遺産が生んだ二つの収穫が、とても大きかった。岩松了演出の『薄い桃色のかたまり』と吉田鋼太郎演出の『アテネのタイモン』全く違うジャンルと言っていい二つの芝居だけれど、蜷川御大が残した「場」がなかったら生まれなかっただろう素晴らしい作品。シェイクスピア押しのマダムは吉田鋼太郎に肩入れしてたわけだけど、それを引いても、この収穫の大きさは変わらないと思うのよ。
 それとあと1本挙げておきたいのは『野田版桜の森の満開の下』。野田秀樹と歌舞伎をつないでいた勘三郎がいなくなって5年、歌舞伎の演出はもうしないのかと思っていたわ。だから再び歌舞伎を演出して、こんなに美しい舞台を見せてくれたことが素直に嬉しかった。
 年末には『アテネのタイモン』の稽古場見学もさせてもらい、レポートもできたので、マダムとしてはブログ10周年を記念する特別な活動ができて、とても満足。次に続いたらいいなあと思ってる。
 
 ということで、皆様、今年一年、ありがとうございました。
 来年も観劇にうつつをぬかせるような、平和で民主的な世の中でありますように。

『アテネのタイモン』稽古場見学日記 その3

 鋼太郎さんが遂に役者として稽古場に立たれたと聞き、再び見学に行ってきました!(ちなみに最初にその情報を得たのは、カッキーのツイートからでした。)
 時期が重なって、ブログ10周年記念企画のようになってますが、嬉しい偶然です。
 その1その2 を読んでから、どうぞ。
 

 12月6日(水)午後、再び大稽古場に伺いました。
 1度目に伺ったときには『NINAGAWAマクベス』のシンガポール公演のため留守だった役者さんたちが、皆もどってきていて、日本のシェイクスピア俳優集合度がさらに増していました。そして、やはりシンガポールから戻られたのでしょうか、故蜷川御大の写真が、真ん中の机の上に置かれています。

 「あとは俺だけなんだよな〜」と言いながら、タイモンの衣装をつけた鋼太郎さんが板の上に上がりました。
 演出家の椅子にいるときにはぴったり隣にいた記録係はもう、いませんでした。その代わり舞台に一番近いところにプロンプター(という呼び名でいいのでしょうか?)が二人ついて、鋼太郎さんの稽古をフォローします。びっしりメモが書かれた台本を手にしていますが、これ、殆ど台詞の流れを暗記していないと務まりません。演技に目を凝らし、台詞が止まって鋼太郎さんと目が合った瞬間に、次の台詞のきっかけを教えてあげなければならないのです。先日の記録係といい今回のプロンプターといい、最重要な、縁の下の力持ちですね。

 「あとは俺だけなんだ」と聞いて私が思い浮かべたのは、周りが完全に出来上がっているところへ鋼太郎さんがピタリと収まる、というような図だったのですが、それは完全に裏切られました。4幕3場はタイモンのところへさまざまな人が訪れては去っていきますが、新しい相手役が現れるたびに鋼太郎さんは稽古を止めて、新しいアイデアをどんどん試すのです。相手役の役者さんたちも、受けて立ちます。
 アルシバイアディーズの一行が通過する場面も、フレヴィアスとの別れも、画家と詩人が訪ねて来る場面も、どんどん変化していきます。鋼太郎さんはまるで、たった今思いついたかのように「こうしてみよう」「ああしてみよう」と言い、やってみると俄然芝居が活気づくので、ちょっと魔法にかかったようになってしまいます。見ているスタッフや役者さんたちも固唾を飲んだり、ドッと笑ったりして、思わず引き込まれていました。
 でも、あとから思い返すと、たった今思いついた訳がないのでした。このお芝居の影の主役は「カネ」なのですね。どの演出も、それぞれの人物の「カネ」に対する態度をくっきりさせることにベクトルが向かっています。そうやってテーマに沿った人物描写をすれば、おのずと面白くなるように本ができているのです。感心して見てるのは私だけじゃなかった。「おもしろいな〜」「よくこんな本、書いたよな〜、シェイクスピア」という声がスタッフの方から漏れたのを、私は聞き逃しませんでしたよ!
 
 長い4幕3場の稽古が終わり、次のシーンに移る時、藤原くんが鋼太郎さんに「大丈夫なの?ヘロヘロに(なってるんじゃない?)」と、わざと心配していない風なそっけない言い方で、実は気遣っていました。そう、ここはタイモンが出ずっぱりなだけでなく、ご自身の演出のせいで更に膨大なエネルギーが必要になっています。で、鋼太郎さんの藤原くんへの返答は「シェイクスピアハイだ(から大丈夫)」ですって。ランニングハイならぬシェイクスピアハイについては、鋼太郎さんのインタビュー記事で見たことがあった気がしますが、こういう時に使うのかと、聞いてにやにやしてしまいました。
 主演と演出を兼ねる時の方法を整理しますと。
① 信頼できる人を代役に立てて、まず他の役者さんたちとスタッフに全体の流れをわかってもらう。
② 頃合いを見計らって、自分も役者の方に加わる。
③ そうしながら細部の演技の演出をどんどん加えていく。全体のバランスを演出補に常にチェックしてもらいながら、進める。
④ プロンプターを立てて、同時に自分の台詞の曖昧さも修正していく。
 特別に効率の良いやり方があるわけではありませんでした。全て計算があって進めているのですが、それでも凄く凄く大変。そして最後の最後にシェイクスピアハイが助けてくれる、ということでしょうか。
 
 出番が終わって、タイモンの衣装をその場で脱いで着替え、鋼太郎さんは演出の椅子に戻ります。そこからはセットの移動があるシーンをチェックしていきます。そういう場面になると、どこか蜷川演出テイストが感じられるんですね。意識してそうしている部分もあると思いますが、これはさいたま芸術劇場で作っているから、というのが大きいのではないでしょうか。ゴールドシアターの『薄い桃色のかたまり』のときも同じように感じたのですが、長く蜷川演出を支えてきたスタッフの方達が、同じように真摯に岩松演出や吉田演出を支えようとすると、おのずと芝居の隅々からそのテイストが立ちのぼってくる、そんな気がしました。
 
 稽古場見学は十分すぎるほど刺激的でした。恋愛も権力闘争も嫉妬もなく、離れ離れの家族も間違われる双子も男装する女の子も出てこないんですが、これもまた紛れもないシェイクスピアだったんです。
 来週末にはいよいよ開幕です。ワクワクする気持ちをうんと貯めて、本番を待ちたい。
 皆さんも是非、ご一緒に。予習は特に要らないです(たぶん)!

『アテネのタイモン』稽古場見学日記 その2

 その1をアップしたらすぐ、皆さんから反応をいただきまして、記録係が演出家の隣にいるスタイルは広く行われているみたいなのですね。四季の浅利慶太さんは、そのメモを記録係の女優さんに読み上げさせた、とか。

 
 40分を越えるシーンを終えて、「ではダメだしをしよう」と言って鋼太郎さんは初めて席を立ちました。周りにびっしりと役者さんが集まって、ダメだしを聞きます。私の場所からはところどころしか聞こえなかったのですが、それは「ダメ」を「出す」という否定的なものじゃなくて、演出家のイメージを説明し、そのイメージから外れる部分を修正する、という感じでしょうか。アペマンタス役の藤原くんとは特に時間をとって話されていました。
 
 休憩のあと、同じシーンを始めから繰り返します。
 今度は、途中芝居を止めて、台詞や立ち位置を直しながら進んでいきます。アルシバイアディーズが去って、哲学者アペマンタスが登場してきました。
 藤原くんがこれまでシェイクスピアでやってきた役は、直情型で朗々と喋る役が殆どでしたが、今回の捻くれた哲学者はちょっと勝手が違います。一回目の通しの時は、まだ手探りな感じでした。でも二回目は、ときどき芝居を止めて、鋼太郎さんが自分の代役の長谷川さんの台詞まわしを直します(鋼太郎さんがタイモンの台詞を言うと、やはり全然違って、圧倒的です)。そうすると藤原くんもそれにパッと反応して口調が変わります。会話が立体的になり始める瞬間が見えて、ドキドキしました。
 だいたいこのシーンは、タイモンの長い長い台詞があって、アペマンタスがそれに茶々を入れるみたいな会話なので、はじめにタイモンありきなところがあるんですね。鋼太郎さんが長〜い台詞の、ここはこういう気持ち、これをきっかけにその気持ちが冷め、次のこの辺りから狂った状態に戻る、みたいな、タイモンの揺れ動きを一気に説明されたときには、私はもう唖然。へええええー、そうなのかー、と。小田島訳と松岡訳の両方を読んでいったのに、そんなこと何一つ読み取れない自分の凡人感にハンパなく満たされた瞬間でした。
 
 そしてシーン最後に登場するのが執事フレヴィアスです。横田さんが現れた瞬間、場の空気がガラリと変わり、もうフレヴィアスそのものでした。台詞を言い始めたら、言わずもがなです。上手いわ〜って心の中で感嘆しました(すみません。このような上から目線の言い方で。でも、本当にそう思った。うそはつけません)。そしてこのシーン、鋼太郎さんと二人でやるんだーと思ったら、ちょっともう、たまりません。稽古なのに、すでに感無量な私。
 鋼太郎さんと横田さん、そして藤原くんがシェイクスピアでがっぷり四つに組む瞬間を、私はずっと待っていましたので。共演はされていても、役によっては一緒のシーンがないことも多いし、火花散る会話のやり取りはずっと見られずにきましたが、とうとうその日が来るんです!
 
 すっかり興奮してしまいました。主演俳優が演出を兼ねる時、どんなやり方をするのか、についてちゃんと分析したかったのですが。途中から完全に観客になってしまって、冷静さは吹き飛んでしまったのでした。
 この日の稽古は、2時ごろから始まって、4時間あまり。まばたきも忘れるほど集中して見学しました。役者さんたちも、自分の出番がない時は、長机の側に座って、食い入るように稽古を見ていました。静かだけど熱と活気、そして朗らかさ溢れる稽古場でした。
 さて、鋼太郎さんはいつから役者の側に立たれるのでしょうか?「あと少し経ったらね」とおっしゃってましたが、そこをまた、見たいものです。再度、見学がかないましたら、また皆さんにご報告したいと思います。

『アテネのタイモン』稽古場見学日記 その1

 さいたま芸術劇場で12月に上演される『アテネのタイモン』。稽古場見学に行ってきました!
 日本のシェイクスピア俳優の80%(マダムヴァイオラ社比)が集合している稽古場を見学できるなんて・・・興奮と緊張のあまり、朝から肩凝りしてしまう私。
 見学日記を書くにあたりいつもの「敬称略」ではとても書けないので、役者さんのことは、私がふだん心の中で呼んでいる呼び方を使わせていただきますね。失礼があったらご容赦を。

 

 11月25日(土)午後、さいたま芸術劇場の大稽古場に、伺いました。
 大稽古場は、前の廊下を歩く時チラッと中が見えたことはありますが、入るのはもちろん初めてです。
 足を踏み入れると、聞きしに勝る広さです。大劇場の舞台プラス袖くらいの面積と、高い高い天井。片側の壁はいちめんの鏡張りになっています。床にはラインが引かれていて、緞帳が下りてくる位置や、センターの位置、上手と下手の切れる位置などが全部わかるようになっています。劇場と全く同じ立ち位置で稽古が出来る、故蜷川御大自慢の稽古場です。
 片側にずらりと長机が並んでいて、スタッフの方達が腰かけていました。真ん中に一つだけ木製の机があって、いかにも演出家の席、という感じでしたが、鋼太郎さんはそこには座らず、一つ奥に座ります。あとで伺ったら、この木製の机は故蜷川御大の席なのだそうです。今も、御大の魂は稽古場にあるよ、ということなのでしょう。
 
 今回見学するにあたり、私がいちばん知りたかったのは、主演俳優が演出を兼ねる場合、いったいどんなやり方で稽古するのだろうということでした。
 私は以前にも一度、鋼太郎さんの稽古場を見学したことがあります。劇団AUNの『十二夜』の稽古場でしたが(レポートは→ここ )、そのときの鋼太郎さんの役はマルヴォーリオで、重要な役ではあるけれど、主役ではない。今回のタイモンに比べたら、台詞の量も出演時間も、ずっと少なかったわけです。タイモンはほぼ出ずっぱりだし、いったいどうするんだろう、と興味津々だったのです。

 4幕3場をやります、というアナウンスがあって、役者さんたちが衣装をつけて舞台に集まり始めました。AUNの長谷川志さんがタイモンの代役で、衣装をつけ、現れたので、なるほど、と思いました。彼はAUNの若手公演の演出を手がけたこともある人で、『十二夜』のときも鋼太郎さんの代役をされてましたから。
 一回通してみよう、と鋼太郎さんが声をかけ、稽古が始まりました。
 始まって、いきなりびっくりです。長谷川さんがタイモンの台詞を全部憶えていたのにも驚きましたが、その台詞まわしが鋼太郎さんにそっくりだったので。シェイクスピアの台詞を客に伝わるように喋るにはこうする、という吉田鋼太郎イズムみたいなものが浸透しているのに感心してしまいました。海外の舞台でいうところのアンダースタディというのは、こういう存在なのでしょうか。
 4幕3場は、無一文になったタイモンが森の洞窟で隠遁しているところへ、以前の知り合いが次々やってくるシーンです。最初に武将アルシバイアディーズが現れます。カッキーはスレンダーな青年なので、武将ってどうなのかしら?と思っていましたが、軍服姿がメチャ格好いい! 怜悧な武将という感じ。そして後ろに屈強な兵士たちが控えているんですが、谷田さんや河内さんが甲冑を着けて睨んでいると迫力十分です。むき出しの腕の筋肉に、つい目がいってしまいますね。贅沢な配役です。
 アルシバイアディーズが去った後、哲学者アペマンタスが現れ、そのあと執事フレヴィアスが現れて、タイモンと物別れになるこのシーン、続けると40分以上になります。まず通してみると言った通り、鋼太郎さんは一度も芝居を止めず、片時も目を離しません。そして気がついたことがあると、目は離さないまま、次々口に出します。「今のところもっと早く出て」とか「今の台詞、縮める」とかそういったことを鋼太郎さんが小声で言うと、それを隣にぴったり張り付いている記録係の人(いちばん若い女優さんでしょうか?)が台本に付箋をつけてどんどんメモしていきます。鋼太郎さんは自分でメモしたり台本に目を落としたりはせず、稽古する役者さんたちから目をそらさないのです。はー、なるほどー、と私は心の中で何度も言ってました。(これが当たり前のやり方なのかどうか、私にはわかりません。鋼太郎さんの稽古しか見たことがありませんから。)

 通しが終わると、役者さんたちを集めて、さっきメモしてもらったことを含め、長いダメだしがありました。それを受けて「もう一度やってみよう」といって始まった次の稽古が、ちょっと凄かったんですが、長くなりましたので、その2で書くことにします。

マクダフの生まれ方〜翻訳と上演台本の間

 今日は、かなりマニアックなお話。興味のある方だけ、どうぞ。
 
 
 『ナルニア国物語 ライオンと魔女』の中に、魔法のかかったプリンが出てくるのを、憶えている方はいるかしら?

 ナルニアシリーズはマダムの幼い時からの愛読書なのだけれど、大人になってから知り合った同胞たちはみな、原書では、このお菓子がプリンではないことを知っていたの(翻訳者の注があったからね。愛読者は皆、注まで読み尽くすものだから)。Turkish Delight(トルコの悦び?凄いネーミング)という名のそのお菓子を、皆一度は食べてみたいと願い、イギリスに行った誰かがお土産に買ってきて試食会が開かれる、というようなことも彼方此方で、あったらしい。かく言うマダムもその一人で、ひとかけら食べただけで頭痛が起きるかと思うような甘さだったのを、忘れはしまい。魔法がかかっていなくても充分、気分が悪くなるような甘さだったわ。もちろん、これはこれで好きな人もたくさんおられるのでしょうけど。
 ナルニアシリーズは岩波の翻訳権が切れて、新しい翻訳が出たそうで、新訳ではプリンではなくターキッシュディライトとしているのだそう。だけど、マダムはこのお菓子を、悩んだ末に「プリン」と意訳した瀬田貞二訳を支持するわ。今でも。なぜなら、この翻訳は、日本の子供が読むためのものだったから。そのとき瀬田貞二は自分の立ち位置を、少しだけ、小さな読者たちの方へ寄せたのだ、と思うから。

 前置きが長くなった。でもこれは重要な前置き。

 1月にカクシンハンの『マクベス』を観て以来、気になっていたことがあった。カクシンハンの演出とかとは関係がない。翻訳のことなんだけど。
 マクダフの生まれ方について。

 マクダフは、最後にマクベスにとどめを刺す貴族。妻子をマクベスに殺され、恨み骨髄でマクベスに向かうんだけれど、マクベスの方は
「女から生まれた者は誰一人、マクベスを倒せはしない」
松岡和子訳
という予言を魔女からもらっていて、誰のことも全然怖くないの。ところがマクダフに
「月足らずのまま、母の腹を破って出てきた」
んだ、って言われて、マクベスは予言の隙を突かれたことにショックを受ける。
 ここの台詞(翻訳)が、どうしても腑に落ちない。
 だってさ、どこから出てこようが(帝王切開だろうが)、女から生まれたことに変わりはないでしょう?予言の裏をかいた感じが、わからないの、この台詞では。

 1月のカクシンハン公演の時、マダムの脳内では「あれ?マクダフって女の股からは生まれてないぞ、って話じゃなかったっけ?」という声がした。そして、「女の股」と翻訳した人は誰だったのか、気になったら、いてもたってもいられなくなり、当たれるだけの翻訳に当たってみたの。でも、見つからなくてね。

 松岡訳(承前)のほか、小田島雄志訳では魔女が
女が生んだものなどにマクベスを倒す力はない」
と予言し、マクダフが
「女から生まれる前に、月足らずのまま母の腹を裂いて出てきた」
と看破する。河合祥一郎訳では魔女は
「女から生まれた者にマクベスは倒せぬ」
と予言し、マクダフは
「母の腹から月足らずで引きずり出された」
と言い返す。
 予備知識なく芝居だけを見て、マクベスが魔女に騙されたショックを観客が受け取れるのは、小田島訳なのかな、とは思う。「女から生まれる前に、・・・出てきた」と言ってるから。それでも、「女の股」の納得感には負ける。

 友人たちと話してみて、「女の股」は『メタルマクベス』の上演台本を書いた宮藤官九郎の作ではないか?と行き当たったの。このあいだ録った録画を消してしまっていて確認するすべが今ないんだけれど。
 確か、魔女の「女の股から生まれた者にはマクベスは負けない」という予言があり(歌になってたかも?)、対するマクダフの「俺は女の股から生まれてない。俺は月足らずの帝王切開だから」みたいな分かり易いセリフになっていたような。『メタルマクベス』の録画を持っている方、ちょっと確かめてみてください。

 『メタルマクベス』(劇団新感線)は、シェイクスピア翻案物に厳しいマダムをも唸らせる面白さだったのだけれど、なにより上演台本が凄くよく出来ていた! シェイクスピアがどんな人物設定をし、どんなつもりでセリフを書いたかを、よ〜く理解した上で、初めて見る観客にもわかるような意訳でセリフを作り直し、さらにもっと面白くなるように話を盛っているの。土台の、「よ〜く理解」のところが、ホントによ〜く理解なので、どんなに意訳してあっても、どんなに盛ってあっても、ちゃんとマクベスらしいマクベスになっていた。
 
 翻訳本はシェイクスピアの書いたセリフから大きく離れることはできないから、「女の股」とはできないよね。そこが読み物としての翻訳本と上演台本の違いなのかな。
 でもせめて、「女に産んでもらった奴にはマクベスは倒せない」くらいには意訳してもいいのではないかな。そうしたら「自分で母の腹を破って出てきた」とマクダフが言い返した時、「俺は女に産んでもらってないからな!」っていう感じがちゃんと出るし、マクベスのショックがわかるじゃない?
 日本語の「生まれる」には、そもそも母によって生み出される感がない。もっと自然現象な感じ。だから生んで「もらった」とわざわざ言わないと、魔女の予言とマクダフの看破の、違いが出ないじゃない?
 ここで前置きで言ったことに戻る。最後の最後には、立ち位置を、日本の観客の方へ、少しだけ寄ってほしいの。
 それがいち観客としてのマダムの希望。
 メッチャ、細かいことにこだわってるんだけど。
 マクベスって何度も何度も見たから、いろんなこと考えちゃうのね。

浦井くん、芸術選奨新人賞受賞

 ビッグニュースが飛び込んできたよ!
 我らが浦井健治が、平成28年度芸術選奨<演劇部門>文部科学大臣新人賞を受賞した〜。
 やった〜!おめでとう!
 文科省もたまには良いことするよー。えらーい(この件に関しては)。
 文科省のHPで受賞の理由をしっかり読んできたんだけど、この1年間の「タイプの異なる4作品で、俳優としての進化を強く印象付けた。」ってことだ。4つの作品とは、『アルカディア』『あわれ彼女は娼婦』『王家の紋章』そして『ヘンリー4世』ね。全部、観てるっ!当然〜。

 今年の出演予定作は全てミュージカルだし、半分は再演。マダムとしては1作くらいは手強いストレートプレイをやってほしかったの。それが役者としての可能性をもっと押し広げてくれるだろうと期待しているから。いや、そんなことより、演技の稲妻に出会いたいから!
 でも、マダムの願いを聞き入れて(?)、映像に出演するのを最小限にして舞台に精進してくれてることを、ホントに感謝してる。来年の『ヘンリー五世』も決まってることだし、それまでは頑張って生きることにしてるから、まあいいかしらね。

 おめでとう。浦井くん自身と、浦井健治ファン(つまりマダムたち)、本当におめでとう!

横田栄司 in チェーホフ!

 私生活的に忙しくて、しばらく劇場に行けないマダム。
 家のPCには、楽しみな芝居の予告が色々届くんだけど、やれ、来年2月だの、来年5月だの、来年9月だの!いくら面白そうでも、来年の話なんか、生きる糧にならなーい。
 そこへ、飛び込んできた、このニュースに、マダムは踊った〜!
 今年9月、ケラ演出のチェーホフ『ワーニャ伯父さん』に横田栄司出演〜。やったー、超楽しみ! ケラ演出のに出る、ってところが肝心でね。だって、一昨年のケラ演出『三人姉妹』がマダムが初めて面白いなあって感じたチェーホフだったから。それまでチェーホフはピンと来たことがなかったの。ケラリーノ・サンドロヴィッチ自身で上演台本を作ってる、ってところがミソなのではないかしらと、マダムは思っているのだけれど。
 はやる気持ち抑えきれず、『ワーニャ伯父さん』を読んでみた。
 実はうんと若い時、上演を観てるはず・・・なんだけれど、全然憶えてなくてね。確か俳優座の舞台だったということ以外、なあんにも憶えてない。ダメな舞台だったかどうかもわからないの。だって、マダムは寝てたのかもしれないしね。本も読んだと思うのに、何一つ覚えてないの。
 でも今回、読みながら、あーこの役は宮沢りえだよねー、あーこっちが黒木華だねきっと、あー、それでこれ、じゃなくてこっちが横田栄司!だって、あっちが段田安則だから・・・とか色々、色々思い浮かべたら、なんだか凄く面白く読めたの。役者を嵌め込んで読むと、会話が立体的になって、何も起こらなくても、面白いの。まあ、マダムの年の功もあるかもしれないけど。
 あ〜、早く彼がどの役をやるのか、知りたいなあ。あのいい声のセリフに、耳傾けたい。
 今年の横田栄司のラインナップは凄いのよ。だって、4月に鵜山演出のギリシャ悲劇でしょう? 9月がケラ演出のチェーホフでしょう? そしてたぶん(これは勝手にマダムが決めてるの。だって吉田鋼太郎芸術監督第1作に彼がいないなんて、ありえないからっ。)12月に吉田鋼太郎演出のシェイクスピアだよ?!
 マダムが好きな役者さんの中でも、こんな凄いラインナップの人はほかにいない。ちょっと、来てるぞ〜って思う。
 ほんとによかった。マダムも今年はこれで生きていける。だって、やっぱり一番好きなのはストプレなんだもん。ミュージカルも悪くはないけどさ・・・。でも。
 ぎっちり中身の詰まったストレートプレイに浸りたい。

 
 
 
 

王道をゆこうよ

 愛よね。愛がなくちゃね。かみしめながら、書き始めるわ。

 かつて、ミュージカルは苦手と公言してたマダム。最近はなんだかんだで、帝劇やら日生劇場やらに行ってしまうようになった。全ては、Starsのリーダー井上芳雄のせいよ。彼らの活動に熱狂しているうちに、ミュージカルにすっかり散財してしまってる。策士だよねー、井上芳雄。
 Starsの武道館コンサートで、キンキラキンの衣装で「最後のダンス」を歌われた日にゃあ、もう降参。思わずマダムは「トート、やってえーっ!」と叫んでしまい、そのあとホントにトートをやることになったんだから、凄いというか偉いというか。マダムのみならず、マダムの周りの友人たちも大挙して帝劇に押し寄せることになったの。
 でも、トートに辿り着いたあと、彼は少し立ちすくんでいるように思える。

 彼が『黒蜥蜴』に出演するという記事を読んで、マダムは唸ったわ。いったいどこへ行こうとしているんだ、貴方は。そのあとも次々、ストレートプレイのラインナップが聞こえてくるけれど、マダムはどうも気が進まない。それはマダムのみならず、まわりにいる、マダムより昔から彼をずっと観てきたファンも同じ様子で。
 はっきり言うけれど、これは彼が結婚したからでは断じてない。もしファンの気持ちが揺れているのを、結婚したからだと考えているなら、その考えこそが、ファンが離れるいちばんの理由なの。ファンはね、結婚しようが離婚しようが、また結婚しようが、実はそんなことはどうでもいい。舞台で輝きを放ってくれればそれでいいの。その輝きに翳りが見えるから、みんな付いていくことに躊躇しているのよ。そこを理解しないなら、それを結婚のせいにしてるなら、今の壁を乗り越えることはできないよ。みんな、彼が壁に直面してるのを感じてる。バカじゃないのよ、ファンは。

 模索しているんだってことは、よくわかるの。でも、やっぱりマダムは彼に歌ってほしい。彼の魅力の80パーセントが歌なの。そこを極めてほしい! もうストレートプレイで修練しなくていい。いまさら修練なんか見たくない。ミュージカルを極めようよ。修練ならミュージカルでしようよ。逃げないで。だって・・・数多いるミュージカル界の王子たち(浦井健治や山崎育三郎、中川晃教や城田優、田代万里生etc、etc)のなかで、井上芳雄こそが皇太子だと思うから。王になることを嘱望されているの。そういう道を歩んできたでしょう?それを王道と言わずしていったい何が王道でしょう?
 だから。
 井上芳雄は・・・・ジャン・バルジャンをやるべきだ、とマダムは思うの。
 言っとくけど、ジャベールじゃダメなの。ジャベールは彼に向いてる役。すぐ出来ちゃうから。それじゃダメなの。自分の殻を破り、壁を乗り越えて、ジャン・バルジャンをやれるミュージカル俳優になってほしい!
 そうしたらまた、マダムたちは大挙して、帝劇に押し寄せるよ。ちょっと悔しいけど。マダムはまだ、日本のミュージカル、認めてないからさ。でも、マダムをミュージカルの世界に誘ったのだから、責任があるのよ、貴方には。
 だから。ジャン・バルジャンを目指せ!
 狭き門より入れ。王道を行こうよ。Climb Every Mountain!
 
 マダムの声が彼に届くかは甚だ疑問だけど、そして何様のつもりだって言われちゃう恐れを乗り越えて尚、マダムは言いたかったの。何も言わずに去るには、愛がありすぎる。

 

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