最近の読書

芝居の本

本多一夫と下北沢、と私

 こんな本を読んだ。

『「演劇の街」をつくった男 本多一夫と下北沢』(発行 ぴあ)
  本多一夫[語り] 徳永京子[著]


 本多劇場やスズナリを作り、下北沢を演劇の街にしてしまった、本多一夫の一代記。
 前半は本多一夫自身の回顧で、後半は本多劇場で芝居を作ってきた野田秀樹や加藤健一、ケラリーノ・サンドロヴィッチなどのインタビューで構成されている。インタビュアーは徳永京子。
 面白い。
 
 マダムが芝居に惹かれて、ガンガン見始めたのは80年代。スズナリや本多劇場と一緒に歩んできたといっても過言ではない。本多劇場が出来たときのことを憶えているし、こけら落としの公演にも行ったの。
 マダムの中では、下北沢は最初から芝居の街だったような気がしていたんだけど、この本を読むと、そうじゃなかったのね。本多一夫っていう人の、ひとりの熱意から出来上がっていった、ちょっと奇跡のような道程があったの。読んで、しばし感慨にふけるマダム。下北沢が演劇の街になっていく過程に、マダムも観客としてしっかり関与していたのだわ・・・。
 本多一夫という人のダイナミックな人生も魅力的だけど、マダムが特に興味を惹かれたのは、各演劇人たちのインタビューの方。
 野田秀樹、加藤健一、柄本明、宮藤官九郎などが異口同音に言う、使う側からの「本多劇場の魅力」。劇場の大きさ、舞台の幅や高さや奥行きの絶妙さ。たっぷりした袖の使いやすさ。傾斜がしっかり取られていて観客の視線がかぶることがない客席。演劇専門に作られているので、声の通りが絶妙…などなど。演劇人にとっても、本多劇場は特別な愛着を持てる劇場らしい。
 読み進めるうちに、足繁く通った頃のことがどんどん思い出され、刺激的だった。
 

 
 そこで、調べてみた! マダムは生涯に何回、本多劇場に通ったのか。
 ありったけの古い手帳を掘り出して、調べた、マダムと本多劇場(+スズナリ)の軌跡。( )内は劇団または主催名。いろいろ不明な点があるんだけどね。
 
1983年1月  イカルガの祭り(自由劇場)    本多劇場こけら落とし第3弾
1983年2月  寿歌(加藤健一事務所)      本多劇場
1983年7月  シェルター(加藤健一事務所)   本多劇場

1983年10月  店長さんのアックスボンバー(東京乾電池)    本多劇場

1983年11月  ジュリアス・シーザー(シェイクスピアシアター) 本多劇場

1983年12月  十二夜(シェイクスピアシアター) 本多劇場

1984年1月  クスコ(自由劇場)        本多劇場


 劇場がメモしてない!1984年・・・。
 
1984年9月  最後の淋しい猫(不明)      本多劇場
1984年11月  から騒ぎ(シェイクスピアシアター)本多劇場

 もっとメモしてない!1985年・・・。
 東京乾電池はよく見てたし、ジャンジャンかスズナリだったはずなんだけど、メモしてないので、不明。

1986年1月  宇宙蒸発(夢の遊眠社)      本多劇場
1986年5月  審判(加藤健一事務所)      本多劇場
        夜の子供(ブリキの自発団)    スズナリ
1986年9月  小指の思い出(夢の遊眠社)    本多劇場
1986年10月  お茶と説教(東京乾電池)     本多劇場

        ↑岩松了の初、作・演出作品
1986年12月  ???(ワハハ本舗)       スズナリ
1987年1月  やさしい犬(不明)        本多劇場

1987年7月  ザ・営業(ワハハ本舗)      駅前劇場
1987年10月  ???(東京乾電池)       本多劇場
1987年11月  セイムタイムネクストイヤー(加藤健一事務所) 本多劇場
 
 芝居の本数が激減!1988年〜。メモする暇もなかったかも。映画を見なければならなくなり、芝居が観られなかった。その後、子育て生活に突入し、下北沢だけじゃなく、どの劇場にも行かなくなった。てか、外出もままならなくなった・・・。
 今世紀に入った頃から、ぽつりぽつりと劇場に行き始めたけど、本格的に復帰したのは、このブログを始めてから。つまり2008年以降。
 復帰して通ったのが、主にシアターコクーンとさいたま芸術劇場と世田谷パブリックシアターであったので、本多劇場に帰還したのはなんと、2010年だった。

2010年9月   木の皿(加藤健一事務所)      本多劇場
2010年11月  風間杜夫一人芝居 五部作一挙上演  本多劇場 
2011年10月  詩人の恋(加藤健一事務所)     本多劇場
2012年3月   ザ・シェルター&寿歌(加藤健一事務所)  本多劇場
2012年11月  バカのカベ(加藤健一事務所)    本多劇場
2015年2月    ペリクリーズ(加藤健一事務所)   本多劇場
2015年4月    バカのカベ再演(加藤健一事務所)  本多劇場
2016年3月    家庭内失踪(M&OPlays)      本多劇場

2016年8月    ハリウッドでシェイクスピアを(加藤健一事務所) 本多劇場

2018年3月    ドレッサー(加藤健一事務所)    本多劇場

2018年3月    毒おんな(椿組)          スズナリ

2018年6月    市ケ尾の坂(M&O Plays)      本多劇場
 

 本によれば、本多劇場で一番上演回数が多いのは、ケラリーノ・サンドロヴィッチで、二番目が加藤健一事務所なのだそう。なるほど、加藤健一は、本多劇場設立以来、ずっと場所を変えずに今に至っているんだね。
 マダムが本多劇場で印象に残っている芝居は、こけら落としの「イカルガの祭り」。斎藤憐の作・演出だったと思う。中大兄皇子あたりが主人公の芝居で、すごく面白かった。斎藤憐の戯曲、もっと上演されてもいいのではないかな。
 岩松了が初めて東京乾電池で作・演出した「お茶と説教」も、恐ろしく冷え切った客席の雰囲気が脳裏に刻まれている。
 あともうひとつ忘れられないのは、風間杜夫一人芝居五部作一挙上演ね。6時間も本多劇場にいて疲れなかった。あれも本多劇場ならではの経験だったわ。
 ひとつひとつ言い出したらきりがない思い出。
 
 今年もまた、本多劇場に行く機会があるかしら?
 今、チケット奪取を画策しているものが取れれば、この春早々にも行くことになるので、またお世話になります。
 歴史は続く。

天才と名人

 久々に、本を読んで、話したいことが山ほど出てきたので、紹介するね。

 
『天才と名人  中村勘三郎と坂東三津五郎』
 長谷部浩 著  (文春新書 2016年2月刊)
 
 3年ほど前に中村勘三郎が57歳という若さで亡くなってしまった時の、あの途方に暮れた気持ち、今も胸に痛いほど、残ってる。振り返るのさえまだ、痛みを伴うわ。
 マダムはさほど歌舞伎を知ってるわけじゃないのに、この深い喪失感はどうしてかしら? 
  疑問は、この本を読み進むにつれ、ゆっくりと解けていったの。
 
 著者の長谷部浩は、あらゆるジャンルの芝居を観ている人で、マダムの拙い知識で言えば、蜷川幸雄や野田秀樹に長いインタビューを試み、本を書いている人。だから意外だったわ。こんなに以前から、しっかり歌舞伎を観てきて、二人の役者を公私ともに知っていたとは。
 勘三郎を天才、三津五郎を名人と呼び、二人の軌跡を、デビュー(ほんの子供だった頃)から、死に至るまで、時間とともに追っていく。歌舞伎についての豊富な知識と、それでも、歌舞伎にべったり肩入れしない、公平な目のようなものをもって、二人の有り様を解説してくれる。門外漢のマダムにも、伝統芸能がどういうものか、今更ながら、理解できたの。
 小さな頃から役者としての才能と「人たらし」な魅力を兼ね備えていた、天才、勘三郎。それに対し、若い頃はかなり日陰の存在で、一歩一歩地道に芸域を広げていった名人、三津五郎。同じ歌舞伎界にあっても、光の当たりようは大きく違っていた。だから、ライバルとしての人間模様をグリグリと追求する・・・というような書き方もあったと思うし、センセーショナルに書けば、もっと一般受けするような本にもなったと思うのに、著者はそうしなかった。愛はあるけど、少しだけ離れたところから俯瞰するような、深入りをしないスタンス。そうでなければ、演劇評論家でいられなかったのかもしれないわ。だって、あまりにも勘三郎は人として魅力的だし、深入りして惚れてしまえば、客観的な劇評などすっ飛んでしまうものね。著者は、そうならないように、踏みとどまってきたのかも。
 
 そして、幅広く演劇を観てきた人が書いた本だからこそ、読むにつれ、マダムの中に猛然と形になった思いがあって。なんの根拠もないのに、なんだか確信めいたものになりつつあるの。それをこのあと、書きます。
 
 勘三郎&三津五郎がこの20年くらい取り組んできた、コクーン歌舞伎や、野田秀樹をはじめとする作家に依頼して作り出した新作ものは、現代演劇ファンのマダムをも歌舞伎に連れ込む力があった。マダムは、必死に抵抗していた。だって、もし、歌舞伎に完全に連れ込まれたら、もう現代演劇ファンでいられなくなっちゃう。お金と時間には限りがあるから、歌舞伎に全部取られちゃうもん。
  一時期、現代演劇で観たいものが極端に減ったことがあって、その時は本当に危なかった。同じ頃、コクーン歌舞伎が凄く盛り上がっていたし、歌舞伎はやらないと言ってた野田秀樹すら、勘三郎に口説かれて、歌舞伎に引き込まれそうになっていた。一緒にマダムも、歌舞伎側に行ってしまいそうだった。
 実際、出来上がった「野田版鼠小僧」とか「野田版研辰の討たれ」とかは、野田節炸裂ながら、受け継がれてきた歌舞伎役者の動きを生かしきった、これぞ現代の新作歌舞伎と言えるようなものだったわ。勘三郎と三津五郎に当て書きしたと思える役柄もあって、野田秀樹も芸劇の新作以上に、熱が入ってる感があったの。歌舞伎役者たちの技術の高さに、惚れてしまったのかもしれない。歌舞伎はね、二人のような主役級の役者だけじゃなく、アンサンブルの役者が凄いハイレベルなの。だから、アンサンブル使いの野田秀樹にとっては、たまらなかったんじゃない?
 勘三郎が逝って、歌舞伎座での新作上演の流れは途絶えて行き、コクーン歌舞伎もひと頃の勢いを失った。野田秀樹ももう、歌舞伎のために新作は書かないでしょう。いえ、書けないでしょう。役者の魅力が書かせたものだったのだから。
 それとともに、マダムには、歌舞伎の呼び声が聞こえなくなった。もう、抵抗する必要もなくなったの。
 だから、だからね。勘三郎と三津五郎とが、70代まで生きていたら、現代演劇史というか、現代演劇地図は今とは違うものになっていったかもしれないと思うのよ。現代演劇の中心が、ぐっと、歌舞伎側に寄ったものになったのでは?
 二人が亡きあとは、歌舞伎はやっぱり古典芸能で、現代演劇との間に、もとどおりの深い川が流れている。二人がいた時、水かさは減り、素足で渡れそうな中州が出来かけていたのに。もう中州はすっかり見えなくなってしまった。マダムは今後、川を渡ろうとは思わないのではないかしら。それこそが、この深い喪失感の正体。
 芝居って、徹頭徹尾、役者の肉体に宿るものなのね。儚い。
 
 とても良い本。歌舞伎ファンでなくとも、読んでみてね。

観客にしかなれなかった、つかチルドレンのために

 ここのところ体調優れず、気になっていたライブ上映も見に行かず、ブログも書けず、ダラダラしてたんだけど。でも、転んでもただでは起きないマダム。寝転がりながら、本読んでたの。出来たてホヤホヤの、つかこうへいの伝記(!?)。あまりにも面白く、最近、こんなに寸暇を惜しんで読んだ本など、他に見当たらないわ。
 


『つかこうへい正伝 1968-1982』

 長谷川康夫 著  新潮社刊(2015.11月)

 

 これはね、もう、マダムのようなつかチルドレンにとっては、待ちに待った本。分厚くて高いけど、つかチルドレンは絶対買うべし!マダムのブログからポチッと押して買うべし〜。よくぞ、書いてくれた、長谷川康夫。大変だったろうけど、この役目はやっぱり彼しか背負えなかったと思うわ。

 2010年7月、肺がんを公表していたつかこうへいが亡くなったあと、新聞やネットやテレビで、追悼の言葉や特集が乱れ飛んだわけだけど、どれもみな、マダムの心を代弁してくれることはなかったの。演劇はとてもマイノリティであるし、世間から見るとどうも、つかこうへいはまず「直木賞作家」らしい。マダムにとってはつかこうへいはつかこうへいなのに。そしてまた、演劇界に残された彼の功績を、私達は知っているけれど、形として残っているのはNHK所蔵の、最近の中継録画1本きりで。死後、すぐにそれが放映されて、「あ・・・、これを代表作と皆が思ってしまうのは、困るぞ・・・」とマダムは思ったのよ。思って、記事も書いた。
 また、若い役者たちは、異口同音につかこうへいへの感謝と、歯の浮くような絶賛の言葉を述べるだけで。褒め殺しっていう言葉をみんな知らないのかしら、と歯がゆかった。もう死んじゃった人を褒め殺しするなんて、この逆説、つかこうへいならどんな風にこき下ろしたかしらね。それとも、もう死んじゃったあとは、まんざらでもないのかしら。

 その後、「本当のつかこうへいの功績」をちゃんと語ってくれる人が現れるのを、マダムは待ってた。本当のつかこうへいの功績は、1982年のつかこうへい劇団解散までになされていると、マダムは思ってきたけれど、当時ほとんど子供として、ミーハー的ファンとしてしか存在してなかったマダムは、ブログで語る以上のことは語れない。だから、当時つか劇団にいた誰かが語ってくれるのを、待ってたの。

 だから、これは待ちに待った本。やっと、つかこうへいが演劇界に何を残したかが、正当に語られたの。
 ベタ褒めしてない。失敗は失敗と書き、迷惑は迷惑と書き、愚かは愚かと書いてるの。遠慮はしてない。だってそんな必要がどこにあるの? どれほどつかこうへい本人がはた迷惑な人であっても尚、凄かったことに何も傷はつかないんだもの。ただ、もちろん、ずっと迷惑かけられても凄い人のそばを離れられなかった長谷川康夫だから、許されることなの。そしてまた、彼にだからこそ、当時一緒に行動した誰もが心を開き、本音を語り、当時何が起こっていたのかが明らかになっていったのね。
 そして、この本のタイトルが端的に示している通り、つかこうへいの功績は、つかこうへい劇団が解散するまでにその殆どが積み上げられたと、著者もまた考えているの。だから、この本は、つかこうへい劇団が解散するところまででハッキリ、キッパリ終わっている。潔い! それでよい、とマダムも思ったわ。
 
 マダムが聞きたかった、加藤健一や風間杜夫や平田満や根岸季衣の、その時々の本音がちゃんと書かれている。それは単なる褒め言葉とかではなくて、疑問や戸惑いも含んだ真摯な言葉なので、つかこうへいとの物作りがどんなものだったかが、ちゃんと見えてくるのよ。
 
 つかこうへい劇団時代の舞台を記録した映像は、VAN99ホール時代の『ストリッパー物語』と、紀伊國屋ホールで客席から撮られた『いつも心に太陽を』の2本しかないとマダムは思ってたんだけど、この本によれば、稽古を撮った映像とか『弟よ』のテレビ放映映像とか、まだいくつかはあるらしい。ここまで色々と明らかになった以上は、全部一箇所に集めてアーカイブを作って欲しい。だって、あのときを知っている人たちも随分年取っちゃったんだもの。記録を残さなきゃ。(ちなみに、マダムはつかこうへいがらみの記事には全て「アーカイブつかこうへい」のカテゴリーをつけてる。マダム程度の記憶でも、記録として残したいという気持ちの表れよ。この際、アーカイブつかこうへいの記事もよかったらどうぞ。)
 
 この本が出たことで、やっとつかこうへいを追悼できた。そして、つかこうへい劇団が作り上げた一時代に出会ってしまったがために、こんなふうに生きてきてしまったマダムの、落とし前をつけてもらったような、今はそんな気持ち。
 みんなも、是非読んで、一緒に頷いてほしいわ。

シェイクスピアに関する業務連絡

 特殊な内容なので、以下に該当する方、お読みください。その他の方はスルーしてください。
 ① シェイクスピアを研究されている方
 ② シェイクスピアを演出される予定の方
 ③ よほどの物好きな方

 マダムの芝居道の師匠中の師匠、大師匠が、このたび、日本翻訳家協会の「日本翻訳文化賞 翻訳特別賞」を受賞された(ホームページは→こちら )ので、皆様にお知らせし、共に喜びたいと思います。O先生、おめでとうございます! 受賞された作品は、次の2冊です。

『シェイクスピアはどのようにしてシェイクスピアになったか』
『「ハムレット」の「ことば、ことば、ことば」とは、どんなことばか』

  ハーリー・グランヴィル=バーカー著 大井邦雄訳 玄文社刊

 それぞれの本を紹介した記事は→こちら→こちら
 2冊とも学術本なので、高価です。芝居1本分くらいのお値段です。研究者は買うようにね。物好きで読みたい方は、大学の図書館とか、劇場の図書室とかにあるかも。新国立の図書室とか、さい芸の図書室とか。(まさか、置いてないってことはないでしょうね?恥ですよ、置いてないと。)マダムを個人的にご存知の方で、どうしても読みたい方は、申告してください。厳正に審査のうえ、お貸しします。

 
 O先生は、大学で学生を教えながら、年間100本を超える芝居を観続け、面白いものは逐一学生にアナウンスしてくれました。アナウンスしたのに観ていないと、叱ってくれました。「あなたは人生が短いことを、全然わかってない。いったい、一生に何本のハムレットが観られると思っているのですか?」って。すみません、若い時にはこの言葉は身に沁みてこなかった。本当にマダムは不肖の弟子であります。
 それほど芝居を愛したO先生なのに、大学を退官されるとき「もうお目にかかることはないと思いますが、元気で」と言われました。先生は大学を去ると同時に東京を去り、研究生活で集めた大量の本と資料とともに、田舎に引っ込んでしまわれました。3日に1度は通われていた劇場へももう行くことはない。残りの時間は全て、これまで取り組めなかった仕事に費やすのだ、と。
 以来、先生は毎年1冊のペースで本を出しておられます。シェイクスピアの最後の作品ではないかと言われている「二人の貴公子」の注訳本を出されたり、同じエリザベス朝の作家ヘンリー・ポーターの「アビントンの焼きもち女房達」を翻訳されたり。そして今回の受賞作品となるグランヴィル=バーカーの2冊の注訳本。このスピードで仕事をされるためには、もう劇場に通うことはできない。時間が無いのだ。そう、決断されたのですね。
 
 マダムは不肖の弟子なので、シェイクスピアの研究者になることもなく、シェイクスピアの舞台を作っていく側になることもなく、ただ舞台を観て喜んでるファンにすぎません。それでも先生の弟子として教えを守り、生涯劇場に通うことを誓います。
 このたびは、本当におめでとうございました。

ハムレット、どうでしょう

 StarS イン オールナイトニッポンの時。今後の3人のスケジュールを説明して、井上芳雄が来年1月、蜷川演出作に出演する(『ハムレット』以来10年ぶり!)ことに触れた時、「(ハムレットの時は)ぼろぼろに負けましたからねー。今度も・・・またぼろぼろに負けるんでしょうねー」って言ったのね。
 ぼろぼろに・・・負けてたんだったか?
 
 2003年の蜷川演出『ハムレット』、マダムは残念ながら生では観られず、2009年になってから映像で観たの。その時は、天地がひっくり返ったみたいな衝撃を受けた(レビューは藤原ハムレットの衝撃と寂しさ その1その2その3 。今も根強く、読みにきてくださる方がいる、人気のある記事です)。だけど今、正直、井上芳雄のレアティーズが負けていたかの前に、どんなレアティーズだったか、思い出せなくてね。ちなみに、2009年の記事では井上レアティーズについてちょこっとしか書いてない。

井上芳雄のレアティーズも、少し固いけど、ひたすらまっすぐな青年らしくて良かった。ただ滑舌が、中継だと理解できるけど劇場ではどうだったのかなあと、怪しく思ったな。

 

 それで、これはやはり、確認しなくっちゃと思い、再び友人に頼んで、秘蔵映像『ハムレット』を再見しました!
 ぼろぼろに・・・は、負けてないと思うよ。あとの感想は、やっぱり↑に書いた通り。あとね、さいごのハムレットとのフェンシングのシーン、ちゃんとマジなのが素晴らしい。運動神経的には藤原竜也に負けてるけどね。
 この時、蜷川幸雄は井上芳雄、小栗旬両名に、「ハムレットの台詞を覚えてこい。ハムレット役(藤原竜也)を替えたっていいんだから」と煽ったそうな。演出家の真意はわからないけど、そりゃもう、無茶苦茶よね。だって、稽古が始まるずーっと前から藤原竜也は夜も眠れないくらい必死にハムレットの台詞を覚えてるんだから。稽古が始まってから言われたって、二人に勝ち目は無いよー。
 ただ、演出家も必死だったんだと思うの。ハムレットを若干二十歳の藤原竜也にやらせるということは、レアティーズもオフィーリアもフォーティブラスも全員若くなくてはいけないので、経験の少ない若い役者だらけの稽古場になっちゃって、それを叩いて叩いてどうにか成立させなくちゃならない。だから、煽り戦術が出たんだと思うわ。
 しかし、井上レアティーズを確認するために観ていたはずが、途中からそんなことはすっかり忘れてしまい、食い入るようにハムレットの行く末を見つめてしまった。やっぱりこれは蜷川演出のシェイクスピアの中で屈指の一本だよね。ため息。
 

 実は今、マダムはちょうどハムレットについての本を読んでる。

『ハムレット』の「ことば、ことば、ことば」とはどんな「ことば」か
ハーリー・グランヴィル=バーカー 著
大井邦雄 訳述
(2013年8月 玄文社刊)

 えっと、これは、マダムの芝居道の師匠が書いた本で、学術書なので、芝居1本分くらいのお値段がします。ハムレットを演出する予定のある人は、買って読むようにね。
 買わない人のために少し説明すると。
 著者のグランヴィル=バーカーは、戦前のイギリスの演出家。
 この人が現れるまで、イギリスでも、シェイクスピアは台本どおりに演じられることはあまり無かったの。長いからって、幕ごと切られたり、悲劇なのにめでたしに終わったり、台詞を適当に変えちゃったり。台本に忠実にやってみるなんて、誰も考えなかった。でも、バーカーは、シェイクスピアの台本に高い価値を発見して、台本の通りに上演することを実践したの。それが今のイギリスのシェイクスピア産業(と敢えて言ってみる)のスタートになったのね。で、この流れはちゃんと今の日本にも脈々と受け継がれているんじゃないかしら(ただし、翻訳という作業によって、どうしたって、台本どおりってわけにはいかないんだけど)。
 グランヴィル・バーカーは、シェイクスピアの台詞の意味、価値について膨大な著作を残してるんだけど、そのうちのハムレットについて書かれた本の、さらに一部分を翻訳したものが、本書なの。一部分のくせに、もの凄く分厚い。というのも、日本人にわかるように、訳者が膨大な注を付けてるんで、長くなってるの。本文を1とすると、注が4くらいな分量かな。
 マダムは不肖の弟子なので、とうてい全部を理解は出来ないんだけど、でも、面白い! 台詞を日本語に翻訳する時にこぼれおちてしまう、大量のシェイクスピアの真意がわかるのよー。だから、途中、ハムレットの長い独白の引用のところを読んでたら、ちょっと、泣けてきちゃった。ハムレットが、フォーティンブラスの軍勢を見かけて、フォーティンブラスと我が身を比べて、自分に対して「なにやってんだ、おまえは?」って問いかけるところ。なんか、こう、切なくって。
 ああー、もの凄く『ハムレット』が観たくなってきた。演出家の皆さん、『ハムレット』、どうでしょう?

『THE BEE』の原作を読む

 野田秀樹の『THE BEE』には、野田戯曲には珍しく原作があるの。探しだして読んでみた。

『毟りあい』(オール読物1975年11月号初出)
筒井康隆 著
新潮文庫 自選ドタバタ傑作集2「傾いた世界」に収録

 なんと1975年の作品なのよ。ってことは、野田秀樹は当時現役の学生で、出たばかりのこの作品を読んだのかもね。そのときから忘れられずに、脳裏にちゃんと取っておいたのかもしれない。
 筒井康隆の数多ある作品群の中で最も一般に知られているのは『時をかける少女』かな。それなら読んだことある、という人もいるわよね。でも、あれはたぶん筒井康隆の余芸分野(マダムの造語)で書かれたもので、彼の本質はあきらかにこっちの『毟りあい』の方よ。
 
 ストーリーは舞台とほぼ同じ。大きな改変はみられない。文庫本でたかだか40ページほどの短編だけれど、筒井康隆の持ってるブラックで、シュールで、どこにも感情移入を許さない乾ききった文章そのもの。野田版の舞台よりさらに残酷で、狂気で、ずっと濃いブラック。暗黒よ、これは。それなのに、後ろには巨大なユーモアが控えているの。隠されてるけど。
 しかし昨今若い人たちの間で盛んに読まれているらしい殺し合いゲームみたいな話とは、一線を画す。スプラッタを目的にしてないから。だから、マダムにも読めるし、ちょっと唸った。
 原作と『THE BEE』の台本の一番大きな違いは何かというと、主人公の井戸の設定。舞台では、井戸は初めごく普通のサラリーマンで、事件そのものと警察やマスコミのいい加減さによって、どんどん変貌させられていくでしょ? だけど、原作の方は井戸の中にかなり最初から「被害者にはなりたくない意志」が満ち満ちていて、受け身じゃないの。自分から進んで変貌していくの。
 
 この、真っ直ぐに核心へ突き進むような原作があってこそ、舞台の成功があったのね。舞台の面白さは細部に宿っているけれども、細部が結集してある核心を指し示す時、初めて芝居は観る側の心の奥深くに届く。
 野田秀樹には原作があった方がいいのではないかしら。
 『毟りあい』を読んで、今再びそのように思ったわ。
 
 
 追伸
 この『毟りあい』が入ってる「自選ドタバタ傑作集2 傾いた世界」という文庫を探すのにだいぶ苦労したんだけど、苦労した甲斐があったわ。マダムが学生の時読んで以来、忘れられず、もう一度是非読みたいと思っていた短編に再会できたから!
 その短編は『関節話法』という。皆さんも是非、読んでみて下さい。死ぬ程可笑しいから。不覚にも学生だったマダムは通学途中の電車内で読んでしまい、笑いをこらえるのが大変だったの。身をよじり鼻息は荒くなり、きっと周りの乗客は怖かったと思うわ。皆さんも読むことがあったら、くれぐれも電車の中は避けるようにね!

 

『表裏井上ひさし協奏曲』を読む

 こんな本を読んだわ。

『表裏井上ひさし協奏曲』
2011年9月発刊 牧野出版
 西舘好子 著

 著者は云わずと知れた井上ひさしの前夫人。初代こまつ座代表でプロデューサーだった人。若い方は全然ご存じないかもしれないけれど、1986年に井上ひさしと離婚した時には大騒動となり、まさに時の人。ワイドショーでずいぶん長いこと騒がれていたの。
 その後再婚して西舘姓になってから、時々テレビでコメンテーターしてたこともあったっけ。とにかく開放的で賑やかで、プロデューサーに向いた性格だったのかもしれないわね。その彼女が、井上ひさしが亡くなったことで、家族だった人にしか書けない内側の(裏側の?)井上ひさしについて語ったのが、この本というわけ。

 離婚のときの、一方的に彼女の浮気のせいになったことへの恨みつらみが噴出してるかと思いきや、全然そういう内容じゃなかった。井上ひさしには良くも悪くも、天才だからこその性格の偏りがあり、それがいかに家庭を振り回したのかを、冷静に、どちらかと言えば温かくさえ感じる程の眼差しで、振り返っている。離婚して長い時間を経ているから、客観的になれたということかしら。
 でも実際に書かれている内容には、びっくりするようなことが多い。
 遅筆で知られた井上ひさしだけど、中でも最も被害の大きかった時は全国公演のツアーの全てが吹っ飛び、企画したベテランプロデューサーは多額の借金を背負い、ほぼ引退を余儀なくされたの。それなのに、井上ひさしは申し訳なかったとは思っていなかったみたい。
 こまつ座でも、台本が遅れるたび、辞退する役者が出てくる。西舘好子はプロデューサーとしてとても困るわけだけど、井上ひさし自身は「そんな役者はクビにすれば良い」と言って平然としてるの。ま、心の中ではドキドキヒヤヒヤしてたのかもしれないけどね。
 そして、締め切りに追い込まれてイライラすると、奥さんを殴った。まわりには彼女の実の両親や子供たちや、原稿を待つ編集者や、芝居の関係者がいたのに、誰もその暴力を止められる人がいないのよ。
 天才を支える妻は、殴られるくらい耐えなくちゃ駄目、ということなのかしら?
 目の前で奥さんが顔が腫れ上がる程なぐられてても、原稿ができあがれば皆それでよかったのかしら?

 それはあまりにもひどいことで、西舘好子がつい優しい男性にころっと(かどうかはわかんないけど)なって浮気しちゃったとしても、無理も無い気がするよ。
 
 でもねえ、マダムが井上ひさしの戯曲の中で一番好きな一群(『雨』とか『天保十二年のシェイクスピア』とか)は、ほとんどがこまつ座が出来る前のもので、作品の凄みの陰には、いつも殴られてた奥さんがいたんだって思うとね・・・複雑な気持ち。
 それでも戯曲は、面白いものは面白い。凄いものは凄いのよ。
 作家ってもんは、ほんとにやっかいな代物だわ。

シェイクスピアはどのようにしてシェイクスピアになったか その1

 とりたてて観に行きたい芝居が見つからなくて、しばらく家で勉強に励んでいるマダム。今、読んでいるのは、こういう本よ。

 

『シェイクスピアはどのようにしてシェイクスピアになったか』
 ハーリー・グランヴィル=バーカー 著
 大井邦雄 訳述
 玄文社刊 2011年11月発行

 翻訳されているO先生は、マダムの学生時代の師匠。当時、先生は女子学生に占拠されつつある英文科の状態を酷く嘆いておられてね。毎回講義の最初の10分間は、嘆きとぼやきに費やされるの。でも、マダムはそのぼやきが面白くって。「なんでこんなに女ばっかり!」と言われるたびに、先生を好きになっていったのよ。だって、ぼやきながらも講義は抜群に面白くて、眼から鱗なことばかり。その週に観た芝居や映画の話を必ずしてくれて、芝居は読むより先にまず観るものだ、と叩き込んでくれたのも先生だったの。
 初めての夏休み、先生は劇評の宿題を出した。夏休み中に英米の翻訳劇を観て、劇評を書け、というもので・・・枚数は憶えていないけれど、そんなに長くなかったと思うわ。マダムはシェイクスピア・シアターや、俳優座の『夏の夜』公演などを観て書くつもりだったんだけど・・・ある芝居を観て、予定はぶっ飛んでしまったの。憑かれたように書きなぐった、生まれて初めての劇評は加藤健一の『審判』初演についてだった。
 今はもう手元に無いそのレポートに、どんなことを書いたか、おおよそのことは憶えているけれど、長くなるので、それについてはまたの機会にね。

 先生は、皆が劇評のレポートを提出したあと、すっかり態度が変わられたの。「私が間違っていました」と謝った。「皆さんの劇評を読んで少し見直しました。女もやるもんだと思いましたよ(言葉は正確ではありません)」とおっしゃって、以来、女についてのぼやきはなくなり、マダムは勇気を出して、先生の研究室にお邪魔するようになった。先生の引き出しにはいつもお菓子やら果物やらが入っていて、林檎をかじりながら、芝居の話をしたりしたの。

 振り返ればなんて幸福なひとときだったのだろう。今の学生たちに、こんな至福の時間があるのかしら。マダムがシェイクスピアと幸福な出会いをしたのは、紛れもなく先生のおかげなの。今の学生にこんな幸福な出会いが、あるのかしら。

 前置きが長くなっちゃった。
 本の内容については、その2でね。

『蜷川幸雄の稽古場から』を読む

 新刊本に飛びついて買ったのは久しぶりだわ。

『蜷川幸雄の稽古場から』 ポプラ社
 蒼井優 小栗旬 尾上菊之助
 勝地涼 鈴木杏 寺島しのぶ
 成宮寛貴 長谷川博己
 藤原竜也 松たか子  蜷川幸雄

 この本は、10人の若手の役者たちが演出家蜷川幸雄との関わり、稽古場で得たことを語っているインタビュー集。最後に蜷川幸雄自身の役者への思いと、翻訳家松岡和子のエッセイが載っている。
 それぞれのインタビューは、その役者の性格が表れていて興味深いの。稽古場で、ある時は優しくある時は容赦なく攻めてくる演出家に対して、どう立ち向かうか。藤原竜也は常に真正面から受けとめ、傷つきうなだれながらも必ず付いていく。小栗旬はかわす。攻撃をかわしながら、前進の方法を考える。寺島しのぶはなるべく隠れていて、聞き流す。弟の菊之助は真面目に突き詰めて考える。鈴木杏はめげない。いい意味での鈍感力で突破する。面白いなあ。稽古場の人間関係。

 蜷川幸雄の舞台に出演することが、若手俳優のステップアップの鍵と受け取られるようになったのはいつの頃からかしら。
 どの時と指摘できないまでも、藤原竜也の登場以前ではないことははっきりしてる。藤原竜也が蜷川幸雄によって育てられたことは言うまでもないけれど、蜷川幸雄が藤原竜也の登場によって、集客力のある演出家の足場を固めたこともまた、紛れも無い事実だもの。
 だから他のどの役者とも違って、藤原竜也だけは蜷川幸雄と一蓮托生。関係が濃いの。
 でも私的には、違う演出家と決定的な出会いをしてほしいと願っているわ。世界がもっと広がるものね。なので、来年の三谷幸喜とのタッグが楽しみ。

 役者のインタビュー以上に興味をひかれたのは、巻末に載っている取材ノートや松岡和子のエッセイ。これを読むと蜷川カンパニーのスタッフがどれほど鍛え上げられた集団なのかが垣間見えるの。役者は芝居ごとにキャスティングされて集まるので、劇団ではないのだけれど、スタッフはいつも蜷川幸雄とともにある。これは映画監督のチームスタッフが○○組と呼ばれているのにとても近い。蜷川組とも言うべきスタッフが、多忙な演出家の手となり足となり時には頭脳の一部分と化して、大量の仕事を支えているのよ。
 この次はそこのところをもっと取材した記事が読みたいな。
 でも、それじゃ売れないんだよ〜って言う編集者の顔が見えるような気がするけどね。

竜也&鋼太郎でシェイクスピアを

 つかこうへい追悼特集に惹かれて『悲劇喜劇10月号』を買ったら、思いがけずいい記事に出会ったので、ここでご紹介を。

 『悲劇喜劇』に演劇時評というコーナーがあって、ここ一ヶ月くらいの芝居について二人の論客が意見を述べあうの。ひとりは学者の河合祥一郎で、もうひとりは朝日新聞芸能記者の山口宏子。
 新聞の劇評より詳しく語られるし、二人で話し合う形式なので、意見が違うことも多く、それが逆に面白い。男性と女性で見方が変わる芝居もあるしね。なので、いつも熱心に読んでいるんだけど、今回は格別だったのよ。26ページ中8ページを『黙阿弥オペラ』と『ムサシ』ニューヨーク公演に費やして、しゃべっているの。
 話はまず『黙阿弥オペラ』で五郎蔵役が、以前の角野卓造と今回の藤原竜也でどのように違ったのかに触れ、角野卓造の演技が素晴らしく「特に中盤以降は、角野さんの方が(年齢的に)自然に感じられるのは確か」だ、と言うのね。でも「今回藤原さんが演じたことで、新しい五郎蔵が見えた」と論じて、詳しい中身を解説してくれているの。そして「デビューからずっと、ドラマチックな舞台の主役を演じ続けてきた藤原さんにとっては、今回のような群像劇に出るのは新鮮で、いい経験になったよう」だと言ってる。ホントだよねえ。五郎蔵は厳密に言えば主役ではない。でも主役じゃなくても、藤原竜也がやれば輝く役は沢山あるんだから、主役にこだわり過ぎないでホンを選んでほしいとマダムも思っているのよ。
 そしてもちろん、吉田鋼太郎の黙阿弥についても語られてる。「『ムサシ』での柳生宗矩役で、奥深い円みのある人物造形を見せてくれました。ユーモアもあり、なおかつ深みのある人間も演じられることを証明してくれた。もちろん、鋼太郎さん自身は「そんなことは前から出来ていた」と思っているでしょうが、今回この新七という『黙阿弥オペラ』のタイトルロールで、絶対的にそれを証明してみせてくれましたね」。そうそう。マダムも頷くことしきり。

 二人の論客の話はこの二つの芝居についてだけで8ページに及び、それだけで雑誌を買った意味があったなあと思ったわ。そして、その部分を締めくくる河合祥一郎の言葉がねー、良いのよお。「竜也さんと鋼太郎さんが『ムサシ』で大成功を果たした上で、『黙阿弥オペラ』をここまで充実したものに仕上げたのは、やはり実力ですね。そしてチームワークの良さ。いずれお二人にはシェイクスピア作品でも共演してほしいと思います」!!!!そうよ、そうなのよ。いずれと言わず、今すぐ二人でシェイクスピアをやっておくれー!

 という訳でマダムの最も切実な願いを代弁してくれた対談、一読の価値あり。是非、皆さん、お読みくださいませ。

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