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芝居 中継録画

本場の底力『ビリー・エリオット ミュージカルライブ』

 今年まだ1本も舞台を観ていないうちに、凄い中継映像を観てしまったわ。1月10日夜、日比谷シャンテシネ。

「ビリー・エリオット ミュージカルライブ 〜リトルダンサー〜」
監督/スティーブン・ダルドリー 脚本/リー・ホール
音楽監督/エルトン・ジョン
出演 エリオット・ハンナ ルーシー・ヘンシャル デカ・ウォームズリー
   リアム・ムーア ほか


 マダムMやマダムKからの絶賛お薦めを受けて、ぽっかり空いている1月前半の禁断症状を押さえるために、観に行ってみたの。そうしたら、スゴ過ぎて、別の禁断症状を誘発してしまう事態に発展!

 ミュージカル好きの方はとっくに知ってたよ、と言うのかもしれないけれど、マダムのように知らなかった人のために、さくっと紹介すると。
 2005年からロンドンで上演されている大ヒットミュージカル。舞台は1984年、ストライキに揺れる炭鉱の町で暮らす10歳の少年ビリー・エリオットが、ふとしたことからバレエダンサーとしての才能を見いだされ、困難を乗り越えてプロのダンサーへの道を進むことになる物語。
 2014年9月28日、ロンドンのヴィクトリア・パレス劇場から世界8カ国に向けて、ライブ配信されたその映像が、映画として公開されているの。
 だから、幕が開く前から客席が期待と興奮の渦なのが、画面からガンガン伝わってきて、引き込まれてしまうんだけど。
 
 観終わって、映画館の外へ出た瞬間、マダムは日比谷の空へ向かって吠えたかったわ、「マダムをロンドンに連れてってーっ!!」てね。ああ、心はもうロンドン。
 とにかくまず、10歳で主演に抜擢されたというビリー役のエリオット・ハンナが素晴らしいの。歌もダンスも演技も、10歳にしてすでに超一流。彼のダンスは、上手いとかいう言葉をあっさり超えて、マダムの眼を3時間釘付けにしたのよ。一挙手一投足が「僕を見て」って訴えてくる。バレエあり、タップあり、フライングあり、およそ全てのダンスの要素で。
 今、テレビをつければ日本でも、ダンスパフォーマンスがあふれているわけだけれど、根本的にきっぱり何かが違うの。技術はもちろんだけど、技術以上の違い。なんだろ。魂のありようの違い、とでも言おうか。それを引き出しているのは、もちろん脚本に籠められたテーマの力強さと演出なのよ。それがどのシーンにも行き渡っているからね。
 そして主役の彼以外も全員が、男も女も老いも若きもデブもヤセも、力強く歌い、踊る。彼らの歌は、音が分厚い。一人一人がしっかりパワフル。生命力にあふれてる。
 これはね、イギリスでしか作れないミュージカル。ストライキ中の炭鉱の町を舞台にし、サッチャーをこきおろし、労働者階級の言葉遣い(なまり)を芝居の中心に据え、その荒々しい男達の中で育ちながら、小さな少年がバレエダンサーをめざすことの困難を描いているの。幾重にも、イギリスならではのテーマがめぐらされ、そのうえに、主役の張れる少年を常に見いださなければ、上演できないんだもの。これを2005年から上演し続けるために、ビリー役は現役を含め27人の役者を輩出しているのよ。それができちゃうイギリスって、どんな国なの!
 マダムはこのライブ映像を観る前からなんとなく、数年のうちにニューヨークかロンドンでミュージカルが観たいな〜、と考えていたの。でも「ビリー・エリオット」が観られるならロンドンで決まりだ。あらゆる困難を排して、なんとしてでもロンドンで観てやるわ!!
 
 凄いものを観た高揚感のあとで、少し寂しい気持ちに襲われたことを白状しておく。今年、これを超える高揚感をくれる芝居が、マダムの前に現われてくれるかしら。早くも敗北感がちらついてしまって。今年が始まったばかりでこんな気持ちにさせられるとは・・・凄いけど、罪な映画だったわね。

『あかいくらやみ』を考える

 チケット争奪戦に参戦することなく挫折したので、WOWOWで中継録画を観た。2013年5月11日、シアターコクーンで収録されたもの。

『あかいくらやみ〜天狗党幻譚〜』
原作 山田風太郎「魔群の通過」 
作・演出・出演 長塚圭史
出演 小栗旬 小日向文世 原田夏希 横田栄司
   小松和重 白石加代子 ほか

 幕末から明治、というあたりに、マダムはとても興味がある。今の日本の矛盾の多くが、その頃に生まれたんじゃないのかと感じ始めていて。
 だから、長塚圭史が同じように感じて幕末をとりあげたのかな、と思うと、観ないわけにはいかない気持ちになったの。
 ただ、山田風太郎の原作は読んだことが無く、不勉強なことに天狗党なるものについてもよく知らなくてね。でも芝居を観たら、いろいろわかるかな、と期待していたのよ。
 しかし、観終わって、ぐったり疲れたわりには判然とせず・・・。

 お話は、終戦直後の、ある温泉宿から始まる。戦地から帰ってきたばかりの青年(小栗旬)と、夫が戦死した若き未亡人(原田夏希)が手に手を取って古い温泉宿に逃げ込む。が、そこは、若い時に「天狗党」に関係した老婆(白石加代子)が営む怪しげな宿で、暗がりのいたるところに天狗党の幽霊が出て、それぞれの恨みを晴らそうとしているの。青年と未亡人が、取り憑かれ巻き込まれて、幕末と昭和を行ったり来たりするのを軸に、天狗党の行軍の無惨を描き、なぜ青年と未亡人が選ばれて、この宿に来たのかという運命が明かされていく。
 って、あらすじを書いてみると、なんだかわかったような気になるでしょう?
 でもマダムは、相当必死に読み解いてこのあらすじをまとめたのよ。実際の舞台は、もっと複雑で、かなり混乱しているの。
 終戦直後と、幕末と、それから芝居を観ている私たちの現在、という三つの時間があって、そのほかに、天狗党の幽霊たちが、幕末と明治の頃を行ったり来たりしているので、もの凄くわかりづらい構造になってしまったんじゃないのかしら。
 時間軸を飛び越える時の演出はちゃんとされているので、飛び越えましたっていうのはわかるの。わかるんだけど、説明じゃなくて、身体で感じたいんだよね、観客は。
 繰り出される演出の技はたくさんバリエーションがあって、ひとつひとつは観ていて楽しいんだけど、それがうねりを生んで相乗効果でどんどん盛り上がっていく・・・っていうふうにならない。理屈が勝ってしまってて、生理的な感覚を刺激してくれないのよ。(ただこれは、劇場にいた人たちに訊いてみなければわからないことね。)役者は、小栗旬、小日向文世、横田栄司、白石加代子といった見応えある人たちがずらりと揃い、それぞれが熱演しているんだけど、ずうーっと同じテンポで同じテンションで芝居が続いていくので、巻き込まれないのよ、気持ちが。ついていくのに凄くエネルギーがいる。我を忘れられないんで、疲れちゃう。ワクワクしない。ドキドキしない。

 どうしてなのか考えてみると、やっぱりホンが上手く出来てないのかな、と感じちゃいました。もうここからは完全にマダムの独断なんで、適当に聞き流していいけど!
 戦後と幕末の比較論的なところは、観客の側にせめてどっちか一方の体験(または体験に近いくらいの知識)がないと、なんのこっちゃ?になるよね。まして、ラストの敵同士の子孫が結ばれて血が混じって、云々・・・というくだりは、とってつけたような結着のつけかたで、気に入らないよ。幕末に起きたいろいろな事柄が今の日本とふか〜く繋がっているってことを描くはずが、血が繋がってるなんていうことで終わらせちゃって、いいの? そんな楽な、一見ドラマティックに見えそうなところに逃げちゃダメっしょ。
 あ、でも原作がそうなら、長塚圭史を責められないね。原作、読んでみるわ。
 
 ということでね、年末の『マクベス』を観るかどうか、ますます悩みのタネが増えたよ・・・。 

『趣味の部屋』に脱帽

 WOWOWで中継録画を観た。2013年3月〜4月、パルコ劇場40周年記念公演として、上演されたもの。

『趣味の部屋』
作・古沢良太 演出・行定勤
出演 中井貴一 戸次重幸 原幹恵
   川平慈英 白井晃

 先入観って捨てなくちゃならない。
 映画監督として評価の高い行定勤ではあっても、舞台を演出したらどうなんだろ?と疑っていたの。映画と舞台じゃ、演出は全然違う仕事のはずだから、そうそう上手くいかないぞ・・・とタカをくくって観に行かなかったのよ。
 そんな予測を思いっきり覆してくれたわ。凄く、面白かった!
 
 ストーリーを説明するのは、野暮なこと。サスペンスコメディで、次々どんでん返しが用意されているから。再演(されるかどうかはわからないけど)なり中継録画なりでこれから観る人のためにも、細部の説明はしないでおくね。知らずに観て、ドキドキするのがいちばん。
 登場人物は5人。中井貴一、白井晃、川平慈英、戸次重幸の4人の男たちが、趣味の世界に没頭するために共同で部屋を借りている。それぞれの趣味を楽しみながら、あと1人の仲間がやってくるのを待っているところへ突然、婦人警官が訪ねてくる。その仲間が行方不明で、捜査しているという。婦人警官の質問に、4人の関係は急にギクシャクしてきて、どんどん思わぬ展開へ。果たして誰が嘘をついているのか、そもそもこの部屋の目的、彼らの「趣味」とはなんなのか・・・???
 とにかくホンが良く出来ているの。脚本は、映像の世界ではベテランの古沢良太。『ALWAYS三丁目の夕日』『キサラギ』『相棒』なんかを書いてる。今回の舞台では、企画者でもある中井貴一に口説かれてやることになったみたいだけど、実にウェルメイド。このホンが出来た時点で、芝居の成功は九分九厘約束されていたんじゃないかしら。それくらい、緻密に組み立てられてる。
 だから演出はホンの緻密さを壊さないようにすればよかった。あまり、舞台ならではの凝った演出は無くて、時間が進む通りの展開なの。そういう意味では演出はオーソドックスで、驚きはない。ホンに忠実。それでよかった。
 

 企画から参加したという中井貴一に、脱帽したわ。映像中心で活動してきた彼は舞台に進出して5年くらいかしら? 自分から動いて、こんな大人な芝居を作っちゃうなんて、偉いわー。恋愛ものでもなく、アクションがあるわけでもなく、若いイケメン君が出演するわけでもない・・・となると、大人の芝居は成立しにくい。そこを開拓してくれたことに、同世代として賛辞を贈っちゃう。
 
 あとひとつ、マダムとして触れておかなくちゃならないのは、白井晃という人のことだ。
 白井晃はかつて、高泉淳子と組んで「遊◎機械全自動シアター」という劇団を主宰していた。マダムはその頃からずっと観てきたんだけど、劇団の印象は高泉淳子の演技のインパクトが強かったので、白井晃の演技とか演出の腕前とかは、正直よくわからなかったの。
 彼が凄く演技の上手い役者だってことを知ったのは、舞台ではなくて、映画「FOCUS」を観た時。舌を巻いたよ。今、この映画のDVDがあるのかどうかは知らないけど、とにかく観たらびっくりします。主演は浅野忠信で、彼もいいんだけど、白井晃が素晴らしい。映像でのリアリティ、ハンパないのよ。
 だけどね。なぜか、舞台での白井晃、マダムはちょっと苦手なんだよね。
 その理由が自分でもまだよくわからないでいるの。
 しばらく考えてみます。
 
 あ、でもこの『趣味の部屋』の白井晃は良かったよ、とても。
 そう。だから、先入観っていうものは、捨てなくちゃならない、のよ。

ケガの功名

 時折、大好きな役者さんのことを心配する。
 こんなに体力を使って、千秋楽まで保つのかしら? とか。頑張っているけど、最後まで喉を潰さずにやってほしいな、とか。
 しかしそんな心配をしている場合ではなかったのよ。自分の体力の方がよっぽど心配の種だわ。芝居を観続けるためには、それ相応の筋力が不可欠。チケット取りに奔走するだけじゃなくて、ジムとか通って筋肉をつけないと。観る方も役者に負けない鍛錬が要るんだわ。

 鍛錬のまるで足りない腰痛のマダムは、連休に出歩く予定を一切キャンセルし、テレビの前でじっとしてたの。
 これがまあ、ケガの功名ってやつでしょうか? 録画しておきながら、観る暇無くほったらかしてあった映画を3本と、芝居の中継録画を7本、観たわ。テレビの前を動かなくってもだあれも文句言わなかったしー。
 で、映画はいいとして、芝居7本のラインナップ。

NODA・MAP『エッグ』 野田秀樹演出
『ホロヴィッツとの対話』 三谷幸喜演出
彩の国シェイクスピア・オールメールシリーズ 蜷川幸雄演出
  『じゃじゃ馬ならし』
  『トロイラスとクレシダ』
  『間違いの喜劇』
  『から騒ぎ』
  『恋の骨折り損』

 凄いでしょう? こりゃ、ギックリ腰にでもならなきゃ、観続けられないよ。
 とてもじゃないけど、全部について評を書くことは出来ないので、この中で面白かったものを挙げると。
 まず『じゃじゃ馬ならし』。市川亀治郎(現 猿之助)が期待に違わぬ素晴らしさ。歌舞伎の演技を土台にした女役が自由自在。こんな技術をわざわざ封印して挑むシャイロックが楽しみだー(チケット、手に入るでしょうか?ヘルプ!)。
 あと『から騒ぎ』。小出恵介と長谷川博己が初々しい。そして月川悠貴、なんなのおっ!女であんなに美しい人はいないよ? 
 それと『恋の骨折り損』の北村一樹が・・・・色っぽすぎて。北村一樹しか観てなくて、話をよく覚えてませーん。マダムは顔の濃い人は苦手のはずなのに、なぜか彼だけは気になってしょうがない役者なの。でも映像向きの人かな?って勝手に思ってたのよ。それがもう、メチャクチャ好いではありませんか。あー、また舞台やってくれないかな? このあと岩松了作品に出た以外、舞台に出てないような気がするけど?

 以上、全然レビューとは言えない、ただの叫びでした。
 ちゃんと劇評を書くかどうかは未定だけど、触れてない作品についても、コメントは受け付けておりますです。

新年は文楽から

 みなさま、あけましておめでとうございます。
 今年もよろしく、と言いたいけれど、春までは家庭の事情により劇場にあまり行けないので、ブログの更新もしばらく減ってしまうと思うわ。
 一応こういう時のため、貯めてある中継録画映像が沢山あるので、暇ができたときにはその辺りをネタに書きたいなと思ってはいるのだけど、どうなるかしらねー。

 年末年始もばたばたしていて落ち着かない年越しだった。でも、元旦にWOWOWでなかなか面白いものを見たので、ちょっとご報告。

三谷文楽『其礼成心中(それなりしんじゅう)』
2012年8月16日 パルコ劇場にて収録
作・演出 三谷幸喜
出演 竹本千歳太夫 豊竹呂勢太夫 鶴澤清介
   鶴澤清志郎 吉田幸助 吉田一輔 ほか

 文楽、つまり人形浄瑠璃。この超古典的な芸能で、三谷幸喜が台本を書き、演出もするというのは、かなり画期的なことよ。これまでにこういう試みって、あったのかしら。マダムは寡聞にして知らない。
 ストーリーは、近松門左衛門の『曾根崎心中』のスピンアウトもの。『曾根崎心中』があまりに流行ったせいで曾根崎の森で心中しようとする若者が増え、その森の近くの饅頭屋夫婦はすっかり迷惑している。この日も死のうとしている若い男女を捕まえ、饅頭屋は死なずに帰ってもらおうとするのだが、目を離すとすぐ死のうとする。困った饅頭屋は家に二人を連れて行く。怒ってばかりいる饅頭屋と違い、饅頭屋の女将は若い二人に、現実を見て生き残ることを諄々とさとして返してやる。これがうまくいって、饅頭屋は新しい商売を思いつく。心中したい人たちの身の上相談をしてやって饅頭を買って帰ってもらう新商売。これが当たって、夫婦は大金持ちになるのだが、そんなある日、近松門左衛門が新しい戯曲『心中天網島』をヒットさせているらしいという話が飛び込んできて・・・という三谷幸喜らしい現代的な人情もの。『曾根崎心中』や『心中天網島』の有名なくだりも織り込んであって、よくできていて楽しい。

 マダムは学生時代(たぶん)に国立劇場で文楽を見て以来、ン十年ぶり。
 でも、若い時の経験は身になっているとみえて、すぐにいろいろ思い出し、楽しめた。なにより、三谷幸喜が文楽の面白さをよくわかっていて、今の人でも楽しめるように工夫に工夫を重ねたあとが見えたの。
 伝統的な文楽の場合、人形の舞台が真ん中にあって、三味線と義太夫のパートの人たちは上手の特別席で演じる。人形はつまり役者な訳だから、それを見ながら、音は別のほうから聞こえてくればOK、ということね。
 でも三谷文楽では、音担当の人の為に、人形の舞台の後ろ側に高い段が作られていたの。観客は、人形と義太夫の人を同時に見られる仕組み。これは、三谷幸喜が義太夫と三味線を文楽の中心だ、と考えたからよね。人形だけじゃなくて、義太夫という声優およびナレーションや、三味線という音楽および効果音があって、初めて文楽が成り立つんだ、ってことを現代の、文楽になじみの無くなった人たち(つまり私たち)に見せたかったのよね。それは凄く効果があったと思う。
 それと、義太夫の語る言葉をなるべく平易に工夫して書いたのも、よかった。
 だって、マダムがかつて文楽を見たとき(それは近松の『曾根崎心中』だった!)、人形の動きの見事さに圧倒される一方で、義太夫の意味の聞き取りにくいことと言ったら!途中、ワンシーンまるまるわかんなかったこともあるくらい。だから文楽を観に行く時には、凄く早めに劇場に行ってパンフを買い、開演前にあらすじを舐めるように読んでおかなければならなかったのよ。
 でも今回は台本が三谷幸喜の書いた現代語だし、耳で聞いてすぐ理解できる言葉を選んで書いたという彼の発言通り、理解できないところはまったく無かったのよ。ストレスがなかった。これは、大事なことよ〜。
 それと、これまでになかった動きを人形にチャレンジさせているの。最後に饅頭屋夫婦が川に飛び込んで死のうとして、死ねない場面。水の中のシーンが凄い。文楽の人形(つまりは人形遣の人たち)がどれほどハイレベルの演技ができるか、思い知った感じ。伝統芸能として守っているだけじゃ、もったいないんじゃない?!
 コクーン歌舞伎ならぬパルコ文楽として定着したらいいなー。そしたら次は劇場で観てみたいわ。

 

これもまた三谷幸喜らしい『90ミニッツ』

 見逃した、三谷幸喜生誕50周年祭りの最後の作品。WOWOWの中継録画で。

『90ミニッツ』
2012年2月 パルコ劇場
作・演出 三谷幸喜
出演  近藤芳正 西村雅彦

 ふたりの役者は長らく『笑の大学』を再演したがっていたと聞くわ。当然よね。名作の誉れ高い『笑の大学』。映画にもなり、イギリスでも上演されたけれど、ふたりとも、やっぱり自分たちのが一番面白いと自負していたみたいだし、その通りだとも思うし。
 で、これはもう、三谷幸喜の意地。再演を認めれば、それだけで観客が集まることを知っていながら、新作を自分に課したわけだから。

 と思い、内容を暗示しない題名を見て、どうしても喜劇だと思い込んで観始めてしまい、始まったらビックリだった。なんていうか、問題作(?)だったんだもの。
 9歳の男の子が事故に遭い、運び込まれた病院での物語。かけつけた父親(近藤芳正)は手術の承諾書にサインすることを拒む。医師(西村雅彦)は必死に説得を試みるけれど、父親は自分たちの信条に反するからと、首を縦に振らない。手術をすれば助かるのに、いたずらに時が過ぎ、男の子の命にかかわるタイムリミットの90分がやってくる。ふたり以外舞台には出てこないけれど、命を表す水が、舞台の真ん中の天井から床の砂の上に、滴り落ち続けている。それが時に細くなり、ほとんど落ちなくなっていく。
 というような緊張感みなぎる90分のふたり芝居だった。父親と医師の会話に笑いが入り込む隙間はない。ないはず、なのだけれど、観客はやっぱり所々でちょっとずつ笑うのよ。マダムもテレビの前でやっぱり笑った。
 稽古場では観客が笑うことを想定していなかったらしく、演出家も役者も驚いたみたい。そこで笑うか、ってね。でも、それは笑うよ〜。もちろん内容は命のかかった深刻な話なのだけれど、父親の設定がどこか笑いを連れてくる部分があるの。頑な信条を支えているのが、実は恐い奥さんの存在だったり、信条にもいろんな矛盾があったりして。そういう設定にしちゃう目配りが、やっぱり三谷幸喜らしい。深刻一本やりになれないのよ(でもこれは、褒め言葉なの。一本やりが良いとも思えないし)。
 それで、あのままいくと子供は死んじゃうしかないのよね。でも三谷幸喜にはその終わり方ができなかった。「それが自分の甘さ」だとインタビューで言っているけど、現実じゃないものを見せてくれるのが芝居だと思えば、これもありよ。それに子供が死ぬ設定だと、舞台には最後まで出てこないのにその子が主役で終わることになるでしょう? そうじゃなく、ふたり(特に医師)の心情を見せるラストになって、そこがいいなあ、と思ったわ。

 役者ふたりとも熱演なんだけれど、特に西村雅彦が素晴らしいので、ここで思い切り褒めちゃおう。
 『笑の大学』でも同じように感じた覚えがあるのだけれど、真っ直ぐな立ち姿の美しい人。動きに無駄や癖がなく、それでいて固くない。喋り方も癖や変なタメを一切排した、直球で届く台詞。役に「自分らしさ」を出そうなどと微塵も考えていない。力量が充分ありながら演技が潔いのよ。こういう役者、ほかになかなか思いつかない。特別な人、だと思うわ。
 「古畑任三郎」に出演して名が売れて以来、西村雅彦には同じような情けない男の役しかこないのが、本人も三谷幸喜も忸怩たる思いがあるんじゃないかしら。だって、実は彼にはなんだってできるんだもの。『90ミニッツ』を観ると、心からそう思う。もっといろんな役で使ってあげてほしいし、マダムもいろんな西村雅彦が見たいなー。
 映画やドラマのプロデューサーや監督は、勉強不足だよね。舞台を観たら、彼にもっと違う役をやらせたいと思うはずだもん。
 ということで、ひさしぶりに西村雅彦を堪能した舞台だったね。満足。

技の出し合い『表に出ろぃ!』

 チケットが手に入らず見逃した公演。WOWOWの中継録画で。

NODA・MAP番外公演『表に出ろぃ!』
(2010年9月 東京芸術劇場)
作・演出 野田秀樹
出演  中村勘三郎 野田秀樹 太田緑ロランス

 ここのところ、野田地図は番外公演のほうが面白いと思っているんだけど、これを観てますます確信した。野田秀樹には、上手い役者が2、3人(自分も含めて)いれば、それで充分、あとはなにも要らないのではないかしら。

 夫婦とその娘がそれぞれ熱中しているもの(テーマパークとアイドルグループと新興宗教!)のために外出しようとしていて、誰かに留守番を押しつけようとしている。飼っている犬が出産間近だから、誰か家にいないといけないのね(犬の名前がピナ・バウシュっていうの・・・よくやるよ)。やがて激しい喧嘩になって、全員が互いを鎖でつないじゃって、部屋から誰も出られなくなり、飢え死にするかも・・・な状態に陥る。
 設定はたったこれだけ。なのに、芸達者な勘三郎と野田秀樹がやれば、70分間が可笑しくて過激でブラックな作品が出来上がっちゃう。ここまで笑えてハイテンションだったら、最近の野田作品につきもののテーマもろ出し感も全然OK。なんなく受け入れちゃうね。
 夫が勘三郎で妻が野田秀樹。これだけで凄く過剰。しかも娘がどう見てもハーフの、スタイル抜群の太田緑ロランス(好演!)なので、このギャップがまた過剰。衣装も装置も色鮮やかなストライプで覆われてて、目に突き刺さるように派手。
 だけど実際の演出方法は極めてオーソドックスなの。言葉遊びなし、『THE BEE』の時のような小道具の(何かに見立てるような)使い方もなし。明快にオーソドックスな芝居だった。勘三郎と野田秀樹ふたりでもう充分なので、後はシンプルに、ということかもしれないわね。それが功を奏してる。
 たぶん台本もおおまかに決まっているだけで、稽古しながらどんどん二人で作っていっちゃったんじゃないかな。芸達者なふたりの技の出し合い。どんどんエスカレートしていくお話に、ふたりの技もエスカレートしていくのが、楽しい。

 誰もがみんな好きなものなしには生きられない。でもそれをエスカレートしていくと互いを抹殺するところまでいっちゃうこともあるんだよ・・・どうするんだい?って、言ってる芝居よ。

 芝居が終わってカーテンコールで流れるコルトレーンのMy Favorite Things(私のお気に入り)、マダムの大好きな曲なんだけれど、これがまた皮肉たっぷりに響くこと。同じ曲がこうも違う印象を与えるなんて。芝居の効果、絶大だわ。

いまさら『ベッジ・パードン』

 小説三昧について書く前に、これを書かなくては!
 上演してたのは、もう一年以上前なのよね。

『ベッジ・パードン』 2011年世田谷パブリックシアター
作・演出 三谷幸喜
出演 野村萬斎 深津絵里 大泉洋
   浦井健治 浅野和之

 先日WOWOWで中継録画を放映してたので、観たの。昨年の三谷幸喜生誕50年祭り(?)で次々新作を上演してたうちの1本。マダムは『ろくでなし啄木』『国民の映画』と着々と観ていったのに、なぜか『ベッジ・パードン』には行けなかったー。いまさらながら、これに行けなかったのは悔しーい!
 野村萬斎の舞台はあまり観ていないのだけれど、『わが魂は輝く水なり』の斉藤実盛が素晴らしすぎたので、どうしても時代劇の人というイメージがマダムの中では支配的。その萬斎に背広を着せて演技させるには・・・と三谷幸喜が考えて思いついたのが夏目漱石役だというんだけど、これがハマった。
 ロンドン滞在中の漱石ならぬ夏目金之助と、メイド、ベッジ(深津絵里)を始めとする下宿周りの人々との関わりを描く物語。金之助とベッジの恋物語でもある。
 たった5人しか出ない芝居だけど、役者が5人とも生き生きとしてて、がっちりタッグを組み、隙がない。英語を使うと人間関係までたどたどしくなってしまう金之助に、萬斎がぴったり。コックニー訛りで夢の話ばかりして元気なベッジも、深津絵里のはまり役。深津絵里はホントに何でもできて凄い女優ねー。今一番の女優と言ったら深津絵里か、宮沢りえだな。
 英語がペラペラで、金之助のコンプレックスを刺激する日本人下宿人の大泉洋も、堂々たるもの。英語だと堂々としてて、日本語になると途端に田舎者コンプレックス丸出しになるキャラクターが、いかにもありそうで可笑しい。浦井健治は、マダムの王子イメージを覆す汚れ役。ベッジの弟で、ばくちの借金のカタに姉を売り飛ばすひどい奴なのに、舞台の上ではいつも明るく馬鹿笑いしてる。こんな役だってやれちゃうようになったんだねえ、ルドルフだったのに。もはやミュージカル俳優の枠は完全に外れたわ。
 そしてその他の役を全部引き受けてるのが、浅野和之。11役だって。これにはちゃんと理由があって、鬱気味の金之助にはイギリス人が全部同じ顔に見える・・・だから、下宿屋の旦那も、女将も、その妹(男と見ると追っかける)も、英語の先生も、泥棒も刑事も、ぜーんぶ浅野和之がやってるの!これがいちいちしっかりしたキャラクターが出来てて素晴らしいのよー。女性の役をやると、ちょっと野田秀樹が入ってるの。やっぱり遊眠社育ちだね。
 
 金之助とベッジの恋は実らずに終わり、ベッジは姿を消す。金之助は下宿に引きこもり、発狂寸前なのだが、そこにベッジ(の幽霊)が現れて「もう私の夢の話は終わり。次はあなたが話す番よ」と言って、これから作家になるであろう金之助の背中を押して、去って行くの。ああ、そうだったのね・・・せつないが納得する終わり方。
 もう一度言うけど、これ、劇場で観たかったなあ。

いつも心につかこうへい その2

 この『いつも心に太陽を』が撮影された1980年頃は、マダムが最もたくさん芝居を観ていた時期。『いつも心に太陽を』も観たはずだけれど、どんなだったか、いまとなっては全然憶えていなくて。
 今回映像を観て、始めはただ懐かしかったの。あの頃、平田満も若かったなあ、風間杜夫も若かったなあ、マダムも若かったわねえ、って。でも、芝居が進むうちに、そんなノスタルジーはどっかへ飛んでいってしまって、もう夢中になって観てた。これは面白い!この映像、たかだか200人が見るだけで終わっていいのっ?
 
 お話は、水泳部で知り合った男同士の出会いと同棲と別れ。ただ、それだけで、説明は終わってしまう。それのどこが面白いの?と訊かれたら、つかこうへいでなくちゃ出来ない見せ方に尽きる!と答えるわ。つか演出の特徴は、大きく分けたら二つあってね。
 ひとつは、コンプレックスの独特な捉え方。つか芝居に出てくる人物は多かれ少なかれ、コンプレックスに囚われていて、行動にも台詞の隅々にも表れる。どんな人間関係でも(親子であれ、兄弟であれ、恋人であれ)コンプレックスを介して以外に、関係が成り立たない。主役の二人(平田満と風間杜夫)も、美しくないコンプレックスと、美しければ美しいなりのコンプレックス(これがねじくれてるんだよね)を激しく抱えていて、台詞にはコンプレックスのてんこ盛りなの。あるときはドSに、あるときはドMに。喧嘩するときも、互いのコンプレックスの傷に塩をすり込むようなことを言ってしまうの。普通の芝居であったら、このやり取りを聞いているだけで、気持ちが萎えるでしょう。けれど、つかこうへいは、登場人物への激しい愛着で、どんなキツい台詞をも笑いに変え、瞬間的な美(とさえ思っちゃう)に昇華させちゃう。このねじ伏せ方が、つかこうへいそのものと言えるわ。
 そこでもう一つの重要な演出技法に触れなければね。
 今回の主役二人の役名が凄いの。平田満はヒラタミツル。風間杜夫はカザマモリオ。つまり、役はかぎりなく役者そのものを連想させるように作られているの、わざわざ。というより、始めに役者ありき、で芝居を作っているのよ。
 だから役者は凄く大変。つかこうへいに内面を丸裸にされる覚悟で、役に立ち向かわないといけないの(内面のみならず、身体もほとんど裸なんだけどね)。そのかわりピタリとハマった時には、役者は他の芝居をやったときとは比べようもない程、輝く。画面の平田満は光り輝いていたよー!もちろん、風間杜夫も時折見せる視線がメッチャ色っぽいのだけど、この『いつも心に太陽を』は平田満のために作られた芝居だったようで、マダムはこれほど圧倒的な平田満を他で観たことがないわ。それほど凄かったのよー!
 しみじみ思うのは、つか劇団解散後、風間杜夫も平田満も、それから加藤健一も、つか劇団で見せたエネルギーの放出は、ないのよ。それぞれ違う芝居で違う輝きを見せているからそれでいいんだけれど。けれどね、それはつまり、つかこうへいにしか引き出せなかった魅力が彼らにはあるんだってことよ? それだけ彼らと演出家つかこうへいとの間には、互いに激しく化学反応を起こすものがあったってことよ? そして、芝居を観るということはまさに、その化学反応の現場に居合わせるということではないかしら?!
 
 そのほかにも映像を観たおかげで改めて気がついたことがいろいろあったの。
 たとえば音楽の入れ方の抜群のセンス。選曲も、タイミングも、これ以外ないと言えるくらいドンピシャリ。
 たとえば装置をほとんど必要としない演出。「階段を必要としない階段落ち」と以前表現したけれど、『いつも心に太陽を』では「水を必要としない泳ぎ」だったわ。これまた、凄いの。平田満と風間杜夫は恐ろしい程のスタミナで、舞台上で泳ぎまくっていたわよ。
 こういう演出を今、出来る人はいるのかしら。
 こういう演出を1975年あたりに始めちゃってる凄さについて、もっと語られてもいいのではないかしら。
 そう思ったので、長くなっちゃったけど、マダムなりに語ってみました。

いつも心につかこうへい その1

 いやー、ホントにしびれた。まいったなあ。どうやって語ればいいのかしら、この胸の高鳴りを? 7月22日、早稲田大学小野梓記念講堂。

早稲田大学演劇博物館主催
「つかこうへいの70年代」展 関連上映会
(1)『ストリッパー物語』
  1975年4月〜5月 青山VAN99ホールにて関係者撮影
  出演 根岸とし江 三浦洋一 平田満 ほか

(2)『いつも心に太陽を』
  1980年10月 新宿紀伊国屋ホールにて関係者撮影
  出演 平田満 風間杜夫 石丸謙二郎 ほか

 

 つかこうへいは芝居を映像に残すことを嫌った。だから、彼が亡くなったとき追悼番組で流れたのは、唯一NHKが撮ってた90年代の『熱海殺人事件モンテカルロバージョン』だったのね。マダムはそれを観て、「違う、違う。つかこうへいが巻き起こした旋風のかけらすらここにはない」と思ったのだけれど、つかこうへい劇団時代の映像はありません、ということだったの。マダムがいくら違う!と叫んでみたところで、証拠がないんじゃ説得力ないもんね。
 でも、あったのよ。その映像が。
 で、今日、早稲田大学で上映会があるというので、マダムも万難を排して駆けつけました。行ってよかったー。感動のあまり、今、ちょっと泣き出しそうなの、実は。

 関係者撮影、という言葉が物語るように、これは非公式映像。特に『ストリッパー物語』の方は、二階の照明室から8ミリで隠し撮りしたと思われる、メチャクチャ画像の悪いものだったの。モノクロでぼんやりしてて、あちこちぶち切れてるし、肝心の根岸とし江の台詞がまったく聞き取れない。観ても、つかこうへいの凄さは全然わからない。
 ところがところが。『いつも心に太陽を』の方は、ビックリする程ちゃんとした映像だったの。左側通路よりの前から4、5列目とおぼしき席から撮影している。こちらはカラーだし、ちゃんと芝居の流れを心得てクローズアップなどもしてるし、台詞もほぼ完璧に聞こえる。あの日あの時あの場所のつかこうへいの舞台が、なまなましく展開され、マダムは食い入るように画面を見つめたわ。105分があっという間に過ぎ、カーテンコールで平田満が「今日はどうもありがとうございました」と頭を下げるところまで写っていたから、思わずマダムはスクリーンだということを忘れて、拍手しちゃったのよ。同じ思いの人は多数いて、200人あまりいた観客から、拍手とそれからなんとも表現できないような溜息がもれたの。
 内容と、マダムが何を感じたかは、その2で、ね。

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