2026年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近の読書

関係するCD・DVD

無料ブログはココログ

« 役を交換したことの意味 『最強のふたり』を観る | トップページ | 縮んでいく王 吉田鋼太郎の『リア王』 その2 »

縮んでいく王 吉田鋼太郎の『リア王』 その1

 与野本町駅前は薔薇が満開だった。5月8日(金)マチネ、彩の国さいたま芸術劇場大ホール。
Img_2094  



 彩の国シェイクスピア・シリーズ 2nd Vol.3

 『リア王』
 作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/小田島雄志
 演出/長塚圭史
 出演 吉田鋼太郎 石原さとみ 松岡依都美 矢崎広 吉田美月喜
    中山祐一朗 稲荷卓央 田中佑弥 町田水城 塚本幸男
    山内圭哉 山西惇 藤原竜也  ほか
 




 いつものことだけど、舞台の詳細に触れるので、観劇前に読むかどうかはご自分の判断でね。


 さいたま芸術劇場で第2弾のシェイクスピアシリーズが始まると発表されたのは、確か4年くらい前のこと。その時に1年に1本ずつ『ハムレット』『マクベス』『リア王』の順にやるとラインナップも発表になっていた。『リア王』は四大悲劇の中でも上演が少ないし、実際に私がこれまでライブで観たのは1999年(たぶん)のシェイクスピアシアター版と2017年の子どものためのシェイクスピアによる2時間縮小版だけなので、楽しみだ、予習しなくちゃ、と思ったのだった。
 ところが。
 その後、『リア王』ラッシュが襲ってきて、立て続けに観ることになった。
 2024年4月 段田安則のリア(ショーン・ホームズ演出)。
 2024年11月 木場勝己のリア(藤田俊太郎演出)。
 2025年10月 大竹しのぶのリア(フィリップ・ブリーン演出)。
 なんでこういうことになったのか知らないけど、世はリア王が流行中だ。9月には内野聖陽のリアが待ってるし。予習は要らなくなった。
 
 幕が開くと大ホールの奥行きある舞台に、巨大な土俵のような円形の盛り土がしてあり、芝居はほぼ全てこの上で行われる。土俵の周りに椅子が並んでいて、出番ではない役者たちが椅子に腰掛けて舞台上を見守る仕掛け。
 土を使うのも、脇の方で役者が座って舞台を見ているのも、『浮標』(2016年)を思い出し、お、長塚演出だ、と思ったんだけれど、それ以降はこれといって長塚演出らしさみたいなものは前面に出てこなくて、芝居はとてもオーソドックス。現代風にアレンジしたりもなく、何か新解釈を加えようという意図もなさそうで、シンプルに役者の身体と言葉(台詞)とで見せることに徹してた。これは逆に新しいとも言える。2024年から観てきた3本は皆、演出家(または翻訳家)がこれまでにはないものを出そうとしてたし、古典である『リア王』を今更やるんだから、何か新しいことがしたいと思うのも無理はない。でも、長塚演出は、何か付加することはせず、シンプルを目指した。それは、このシェイクスピアシリーズ2nd.の流れにも即していて、他の演出とはまた違う、「台詞を聴かせる」芝居になってた。
 
 しかしそうなると、吉田鋼太郎の独壇場だった。
 この芝居は圧倒的にリアの台詞量が多いし、またリアは感情の起伏がとんでもなく激しいので、芝居はリアの色に染まる。これだけ膨大なエネルギーを放出できるのって、やっぱり吉田鋼太郎だ〜って圧倒されながら観た。
 そして特段、舞台効果が施されてるわけじゃないのに、リア王の姿がだんだん縮んで、小さくなっていくように見えた。最初は王のオーラが出まくっているのに、やがて正気を失った老人になった時にはオーラは消え果てていて、身体が小さく小さく萎んだように見える。友人が「どんな魔法?」って言ってたけど、ホントに不思議。
 特に素晴らしかったのは、荒野でグロスター伯(山西惇)と出会い、狂気と正気が入り混じった会話をするところ。意味があるようで無く、無いようである台詞に聴き入ってしまう。「お前のことはよく知っている、グロスターだろう」と一瞬、威厳ある王に立ち戻るところなど、観ているこっちもグロスターと気持ちが一緒になってしまい、揺さぶられっぱなし。
 1999年のシェイクスピアシアター版リア(出口典雄演出)を観た時、同じ吉田鋼太郎のリアだったのだけれど、王の威厳を最後まで失わないリアだったと記憶している。その時30代後半だった吉田鋼太郎が、今、60代後半になって演じるリアは、同じようにエネルギーを放出していながら、王の威厳よりも老人の癇癪や悲哀を表現するようになった。そこが大きく違う。演じる年齢によるものなのか、演出の狙いによるのか。
 
 長くなったので、他の役者については、その2で。

« 役を交換したことの意味 『最強のふたり』を観る | トップページ | 縮んでいく王 吉田鋼太郎の『リア王』 その2 »

芝居レビュー」カテゴリの記事

藤原竜也」カテゴリの記事

シェイクスピア」カテゴリの記事

吉田鋼太郎」カテゴリの記事

コメント

翌日ソワレで観ました。ブレーキ踏み気味一幕照明暗めの二時間ここが各々の演出家として特色を出してたんだと納得。長塚演出は照明明るくして二幕をアクセル全開にするそんな効果狙ったのかなと思いました。
一幕では役者実力に依存しちゃう
変格リア王ではなく一つスタンダードを観た思いがします。

叡さま。
そう、スタンダードで、オーソドックスな演出でした。
長塚演出『マクベス』の悪夢を憶えている私は、かなりホッとしました。

コクーンのヤツ観てないのです。葛河思潮社シリーズより前でしたっけ?若気の至り。
KAATでの『サラリーマンの死』辺りから変な事しないようになった。僕はもっと小さな箱でそういう路線も偶に観たい気もしますね。

叡さま。
長塚さんがロンドン留学(文化庁のやつ)から帰国してすぐだったんですよ。あちらの小劇場で好き勝手やってる上演を観て、かぶれてたんだと思う。若気の至りですね。
確かに、場所がコクーンだったのもまずかった。スズナリとかなら遊んでも苦笑されて終わったのに。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 役を交換したことの意味 『最強のふたり』を観る | トップページ | 縮んでいく王 吉田鋼太郎の『リア王』 その2 »