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野田地図の『Q』

 厳重な身元チェックののち、劇場入り。11月13日(水)マチネ、東京芸術劇場プレイハウス。
 
NODA・MAP 第33回公演『Q   A Night At The Kabuki』
作・演出/野田秀樹 音楽/QUEEN
出演 松たか子 上川隆也 広瀬すず 志尊淳 橋本さとし
   小松和重 伊勢佳世 羽野晶紀 野田秀樹 竹中直人
   アンサンブル 河内大和 ほか18名
 
 あらすじなどは書かないつもりだけど、それでもネタバレ必至なので、これから観る人は要注意ね。

 
 マダムはかなり面白く観たのだけれど、がっかりしてる人もいて、賛否両論ある。
 お話は、源氏と平家という日本人にわかりやすい敵味方を設定し、その両家の若い息子と娘の恋愛を描いている。そこは完全にロミジュリで、源のじゅりえ(広瀬すず)と平のろうみお(志尊淳)の悲恋物語が芝居の前半。
 普通のロミジュリなら、若い二人が死んで終わりなんだけど、この芝居では二人とも死なず、それから30年生き延びる。後半はその30年を描いてて、歌舞伎の「俊寛」プラス胡桃沢耕史の「黒パン俘虜記」で出来ている。
 このくっつけ方が凄く野田秀樹らしくて、珍しく彼が言いたいこと(だろう、たぶん)がスッと入ってきたの。
 死を絶対に美化しない(死を見世物として消費しない)、愛の描き方を模索したのではない?
 
 だから、仲間を斬られてカッとなったろうみおが源義仲(橋本さとし)を殺してしまうシーン(ロミジュリのティボルト殺害シーン)がとても大事。ここで人を殺してしまったろうみおは、絶対に幸せになれないの。じゅりえと共に心中することも失敗し、美しい死に方はさせてもらえない。生き延びて、じゅりえと再会することだけを願いながら生きてるのに、戦争捕虜になって、島流しにあって(ここは俊寛)、流された場所はスベリアで、強制労働させられて、食事は硬くなった黒パンで(ここは黒パン俘虜記)、やがて恩赦の船がやってくるけど、ろうみおの名前がなくて乗せてもらえない(ここ、再び俊寛)。
 もとのロミジュリなら、観客はとうの昔に彼のティボルト殺しを忘れて、ロミジュリ二人の死を嘆くわけだけど、野田秀樹は観客が簡単に泣く事を許さない。ろうみおの義仲殺しを許さないし、だからじゅりえとの美しい死も認めないし、二度とじゅりえと会えないし、最後は強制労働の果てに倒れ、遺体は穴の中に積み重ねて捨てられる。
 ろうみおは平清盛の後継ぎでお坊っちゃまで、もてはやされていたのに、あっという間に「名も無きもの」に転落し、最後は誰に看取られることもなく野たれ死ぬ。
 野田秀樹、容赦ない。
 
 平家は名前を大事にする一族で、それに対し源氏は新興勢力だから「名前なんかいらない、捨てちまえ」と主張する。ジュリエットの「ロミオという名をお捨てになって。」というセリフからの発想だけど、野田秀樹の言葉遊びの面目躍如。「名を捨テロリスト」とか「名を拾イズム」とかが飛び交って、源平合戦が繰り広げられるの。名前にこだわってた平家の跡取り息子が、名も無きものに転落して、ただの囚人として死んでいく皮肉が、効いてる。
 
 若い時のロミジュリを志尊淳と広瀬すず、大人になってからを上川隆也と松たか子が演じる・・・というほど事は単純じゃなかった。未来のロミジュリを上川隆也と松たか子が演じていて、二人は自分たちの辛い運命を変えたいと願って、若い二人のところに舞い戻って、要所要所で二人に働きかける。絶対に義仲を殺しちゃいけない!とか、そこで毒を飲んじゃいけない!とか、運命の決まるポイントを狙って努力するんだけど、それはことごとく叶わない。結局、別れは訪れる。「手紙を書くよ」というろうみおの言葉を信じて30年、やっと松たか子じゅりえのところに手紙が届いた時、ろうみおは遠く離れた場所で死ぬ。ホントに救いがない。野田秀樹、容赦ない。
 どんな死であれ、死を美化しないと決めると、こういう風になるんだね。どれほどの名芝居が死を美化する事で成り立ってきたかを、逆に思い知らされる。
 
 物語がどんなに容赦なく残酷でも、野田演出の魔法のような美しさが散りばめられてて、それはそれは目に染みた。いつものようにアンサンブルの人たちの八面六臂の肉体労働によって、芝居が進んでいく(河内大和がアンサンブルの要となって、どんなシーンにもいた!)のも、ひとつひとつ楽しいし、じゅりえが長い(10メートルくらいはある真っ白な)ベールを引いて現れる結婚シーンの美しい事と言ったら!若い二人(広瀬すずと志尊淳)の美しさと儚さを十二分に引き出してた。その瞬間が美しければ美しいほど、後の長い人生の苦さが浮き彫りになる。
 ラストの、空想の中のロミジュリ抱擁シーンは、主役老若ふた組が入れ替わりつつ抱き合うのだけど、舞台だからあり得る最高に美しい演出。ため息が出た。
 
 
 読んできて、クイーンはどこにいった? と皆思うよね?
 マダムはそこのところは、はなから期待してなかったんだよね。今更、野田秀樹にクイーンは必要ないし、クイーンの方にも野田秀樹は必要ないでしょ。
 だから「舞台で曲を使わせてもらいますよ」程度のことだと思ってたの。使う以上は、相手はクイーン。ちゃんと掲げないといけないでしょ?
 なので、クイーンのアルバム「A Night At The Opera」からインスパイアされた物語だと期待して行くと、がっかりするかもしれない。曲を適宜使わせてもらいました、という感じの使い方だったから。
 でもね、どんなに短く刈り込んで「適宜」な感じで使っても、クイーンの曲の自己主張は消えないの。野田秀樹の世界に、容赦なく食い込んでくるのよ。それがすごいよ。
 演劇の世界に「異化効果」っていう言葉があって、マダムは一度もこの言葉が腑に落ちたことがなくてずっと、ちゃんと体験したいと思ってたんだけど、もしかして、この野田秀樹VSクイーンは、異化効果ってやつかもしれない。すごいの、互いに張り合ってて。
 しばらく考えてみよう、このことについては。
 異化効果についてはひとまず置いて。とにかく、志尊淳ろうみおが義仲を殺しちゃったシーンに、ボヘミアン・ラプソディが「Mama, just killed a man(ママ、俺、人を殺しちゃった)」「Mama, life had just begun, But now I've gone and thrown it all away(ママ、人生始まったばかりなのに、俺、ぶち捨てちゃったよ)」って流れると、マダムはもう心ん中、滂沱の涙。これほどの取り返しつかなさを、かつて突きつけられたことがあるだろうか・・・とさえ思って。
 
 野田秀樹は御大亡き後、演劇界のお山の大将俺一人、の人だと思う。なので、こうやってたまには、ねじ伏せられない巨大な相手と組む方が、絶対面白い。今後も異化効果(?)を期待します。

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コメント

さすがは、マダム。
私、そこまで受け取れなかったわ。〜って言うか「死」の方向から見てなかった。
今回、QUEEN縛りがあったおかげで、いつもとちょっと違うテイストに仕上がって、それが良かったな、と思います。なんとしても「運命の先回り」をして止めなくちゃ。

ぷらむさま。
QUEEN縛りで、さすがの野田さんも自分の中の予定調和から抜け出した感、あります。それがよかった。
しかし、どんなに褒めても、見られる人がもう決まってしまっているので、そこが忸怩たるものがありますね。

二階追加席から観劇、白いベールとアンサンブルのステージング綺麗さしか堪能できませんでした。表情全く見えず。野田秀樹の歌舞伎物は勘三郎へのオマージュ臭か強くて、今回はそういうものは無く、新鮮に観る事が出来たのは良かった。
一つ難を言えば、鉈切り丸で同じ時代の舞台シェークスピア翻案物はある訳で別な時代にして欲しかった。

叡さま。
確かに、QUEENに立ち向かわなくてはいけないせいで、勘三郎さんのことを忘れることができたのかもしれません! それも良かったことの一つですね。
鉈切丸、見てないけど、シェイクスピア翻案ものだったのか…あ、リチャード三世でしたっけ?
まあ、野田さんは他人の芝居、見てないのではないでしょうか?

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