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『蜷の綿』または、生きてる者は前に進む

 台風が去って、まだ爪痕だらけの夕方。10月13日(日)ソワレ、さいたま芸術劇場大ホール。
 
彩の国さいたま芸術劇場会館25周年記念
『蜷の綿ーNina's Cotton』リーディング公演
作/藤田貴大 演出/井上尊晶
出演
さいたまネクストシアター 周本絵梨香 鈴木彰紀 竪山隼汰 手打隆盛 堀源起
             内田健司 中西晶 
平山遼 續木淳平 阿部輝 
             銀ゲンタ 鈴木真之介 髙橋英希

さいたまゴールドシアター 石井菖子 石川佳代 大串三和子 小渕光世 葛西弘
             神尾冨美子 上村正子 
北澤雅章 小林允子 佐藤禮子
             重本惠津子 田内一子 髙橋清 瀧澤多江 
竹居正武 
             谷川美枝 田村律子 ちの弘子 都村敏子 遠山陽一 
             
徳納敬子 中村絹江 西岡嘉十 林田惠子 百元夏繪
             宮田道代 森下竜一 渡邉杏奴

 
 
 蜷川御大が亡くなって3年、さい芸では御大が演出するはずだった作品をいろいろな人が引き継いで、上演してきた。シェイクスピアシリーズは吉田鋼太郎演出で、ゴールドシアターの『薄い桃色のかたまり』は岩松了演出で、そしてこれが最後に残っていた。『蜷の綿』。
 『蜷の綿』は蜷川御大についての物語。藤田貴大がインタビューを繰り返して、御大から聞き出した人生を、人生について語った言葉を、作品にしたもので、これを御大自身が演出するのって、本気だったのかしら? マダムの思い浮かべる蜷川幸雄という人のシャイさから言うと、時間があったとしても演出は相当難航したのではないか・・・と思っちゃう。だって、自分が主役の物語なんだよ?


 
 大ホールの席に着いてみると、席を何列か潰して花道が作られていた。花道をゆっくりと壮年担当の内田健司が現れて、語り始めたら、これはもう「リーディング公演」とかいう範疇じゃなかった。最初だけ台本を手に現れたけど、内田健司、台本なんか見ちゃいないの。ネクストシアターのメンバーは全員、普通の芝居のように、セリフを覚え、演技していた。
 物語は、蜷川御大の一生を描いている。とは言っても、御大本人が語ったことから作り上げられているので、極めて内面的で、御大の頭の中を具現化したような舞台。普通に思い浮かべるような一代記では、全然ない。業績を説明するようなものでも、一切ない。
 だから蜷川幸雄以外の登場人物は、さほど多くない。幼なじみで、戦後朝鮮へ帰って行った朝鮮人の金原。学生の頃、エリートの幸雄を拒絶した桃園。芝居を始めてから知り合った倉橋健や三好十郎や清水邦夫。妻の真山知子。商業演劇へ向かう時、袂を分かった蟹江敬三らの仲間。
 一方で舞台上には蜷川幸雄がいっぱい。蜷川役が幾重にも重なり合って存在して、セリフを繰り返し(藤田貴大おはこのリフレイン)呼応し合う。壮年担当の内田健司を始めとして、少年は中西晶、青年は竪山隼汰、そして自身の心の声(客観性の声のような)であるニーナをゴールドシアターが全員で担当しているの。ゴールドシアターには椅子と台本台が与えられていて、自分の番になると立ち上がってセリフを読む。つまりリーディング公演というのは、ゴールドシアターのために一応銘打たれていたのであって、内実はしっかり芝居として作られていたの。
 マダムは、マームとジプシー(藤田貴大主催)の凄さを認めつつも、あまり好みではなくて敬遠しがちだったのだけど、今回の『蜷の綿』の台本の良さには唸った。これだけの数の老若、タイプの違う役者たちがリフレインした時、蜷川御大の心の中の層が分厚く、多面的に伝わってくる。ニーナが問い、幸雄は惑う。幸雄が問い、ニーナは問い返す。ニーナが突きつけ、幸雄は知る。ただの繰り返しではない、時間の厚みと意味の変化がしっかり感じられて。御大はそうやって、長い演劇活動をひとりで歩んできたのね。
 なかでも、御大の核となったのは、自分が恵まれていて恥ずかしい、という気持ち。子供の頃の友達ーーー差別を受けていた金原や、貧しさに喘いでいた桃園に対し、自分は何が言えるのかを、ずっと考えてきたこと。そして、老いた自分が今度は若い人たちに、見せられることは全て見せてやりたい(自分のはらわたですらも)という強烈な気持ち。
 
 演出は、ずっと御大を演出補として支えてきた井上尊晶。インタビューでも言われてたように、御大ならどんな演出をしただろうか、と考えながら進んでいったらしい。使われる音楽は、御大が数々の作品で使ってきた、こちらの耳に馴染んだものばかりだし、音の入れ方がまさに蜷川流。能の鼓の音の入れ方があまりに御大っぽくて、ちょっと笑ってしまうくらい。
 薄い幕のこちらと向こうで演技し合うとか、防空壕の中で見つけた女の死体の着物の鮮やかな赤とか、川口の町から見た、東京大空襲の焼夷弾が輝く空とか、ホリゾントに映し出される舞台写真のにじむような色とか・・・オープニングで出演者たちが、あの奥行きの広い大ホールの奥の暗闇からゆらゆらと現れるところ。ラストでまた、奥の暗闇へ皆で歩き去っていくところ・・・。全てのシーンが、蜷川演出のエッセンスで出来上がっていた。
 それは、井上演出がものまねだということではなく、関わる全てのスタッフとキャストが蜷川御大から受け取ったものを精一杯表現すると、このような舞台になった、ということだと思った。

 だから観終わってわかったのは、これは、御大に育てられて演劇のバトンを手渡された人たちの、壮大な、別れの儀式だってこと。チケット代2500円のリーディング公演とは思えない、さい芸の力の結集ぶりだったの。
 この作品があって本当に良かったよ。みんなこれで、前を向いて生きていける。儀式は終わったのだし、生きてる者は前に進まなきゃ。受け取ったものをしっかりと握りしめて。

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コメント

儀式に、観客として参加できた事を誇りに思います。マダムPは後悔しきりでしょう。次の機会は、特にゴールドシアターは何人か欠けているでしょう。ネクストシアターは何人かは海外へ行ってるかもしれない。

僕も従来のマームは、それほど好きではなくなった(飽きた)藤田貴大戯曲本兼御大関連本を、初買いです。

叡さま。
はい。これは今回限りの特別なお別れの儀式なので、次は無いと思います。もし再演するとしたら、それは全くの別物になるはずです。
こういう芝居もあるんだ・・・って思いました。
でも、本は買わなかったので、叡さんの感想を今度聞かせてください。

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