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『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を味わう その2

 結局、千秋楽まで、4回も観てしまった。ちょっと、予定外。9月4日(水)ソワレ、六本木EXシアター。9月28日(土)マチネ、Zepp Tokyo。9月29日(日)マチネ千秋楽、Zepp Tokyo。

『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』
作/ション・キャメロン・ミッチェル  作詞・作曲/スティーヴン・トラスク 
翻訳・演出/福山桜子  歌詞/及川眠子  音楽監督/大塚茜
バンド/DURAN  YUTARO  楠瀬タクヤ 大橋英之 大塚茜
出演 浦井健治 アヴちゃん(女王蜂)


 マダムが最初に観に行ったのは9月1日。初日の翌日だった。全体的に芝居がソワソワしてて、あまりよくなかった。それは、その1に書いた通り。このままでは、ヘドウィグのコスプレをした浦井健治で終わってしまうぞ、という危機感があったの。
 でも、4日に観に行ったら、すごく修正されてた。浮ついたところがなくなって、MCのあいだも浦井健治本人が顔を出すようなことはなくなり、ちゃんと最初から最後まで役を演じられるようになっていた。それから、尻上がりに良くなっていって、千秋楽は貫禄すら感じられるようになってた。
 だから、これまでに見たことのない浦井健治を見せてくれたし、今まで到達したことのない場所に行ったな、と思うし、役者として新しいステージに入った、と感じるの。
 もう、少年(が入ってる役)は出来ないし、しなくてよいし、王子ではなく、王をやるべきだし、大人の男のほうへ、踏み出したね。
 そういう意味で、このタイミングでヘドウィグをやってよかったのよ。
 これは、浦井ファンとしての素直な気持ち。
 
 ただ作品の出来という点から見たら、いろいろ残念だ。もっと凄いものにもなったと思うと、惜しい。そして、役者浦井健治の出来は、作品の出来と完全にシンクロするから、ターニングポイントにはなっても、代表作にはならなかった。
 彼の舞台は、たいてい尻上がりに良くなっていく。ファンはみんな進化と呼んで、楽しんでいるし、マダムもそういう部分がないわけじゃない。だけど、今回は余りにも出だしが悪すぎたので、そのわけを考えていたの。そして、千秋楽まで観て、思い至ったのは、演出家はこれを芝居だと思って稽古してなかったのではないかということ。
 その1でも書いたけれど、キャメロン・ミッチェルがやるとき、彼は殆どヘドウィグそのものだから、芝居じゃない部分があるのかもしれない。だけど、浦井健治にはヘドウィグの要素は何もないので、隅々まで演出されていなければいけないのよ。MC部分は客の反応を見ながら、と考えていたとすれば、甘いよ。
 幕が開いて、バンドの煽りに客が乗せられているとき、浦井ヘドウィグは、舞台の上に役者が自分しかいないことに愕然としたのではないかしら。(それでも一人でなんとか芝居の領域に引き戻したのはえらかったけれど。)イツァーク(アヴちゃん)は元々ロック歌手だし、バンドのメンバーはバンドそのものだし、どんなに稽古をしてても、ノリノリの客の前では芝居を忘れがちだ。アヴちゃんは必死に、役から逸脱しないように自分を律していて立派だったけど、バンドの人たちは要らないアドリブが多かった。楽日近くなると、途中でナイフや銃を出してヘドウィグに怒られるアドリブもあって、シリアスなシーンを台無しにしそうになった。これは芝居であって、バンドも「アングリーインチ」というバックバンドであって、その役から逸脱してはいけないのよ。それを徹底できなかったのは演出の責任だよ。
 お客さんと作っていく・・・とかって言葉は、逃げだ。芝居はノリじゃない。
 キャメロン・ミッチェルだって、そこは物凄く計算して、作っているはずだ。ライブのふりをした、演劇なんだから。
 
 ベルリンの壁の東側で、貧しく、見捨てられたゲイの少年が、壁を越えるためにどんな犠牲を払ったのか。なのに、越えた後、あっさり壁が崩れたことを知って、どれほどの絶望があったのか。イツァークとザグレブで出会って連れ出すとき、同じように犠牲を求めるヘドウィグの中に、どんな揺れ動きがあるのか。嫉妬や老いと、どう向き合って生きていくのか・・・ヘドウィグの壮絶な人生をどうすれば、隅々まで描き出せるか、演出はもっともっともっと戦ってほしかった。どこまでも戦い甲斐のある作品じゃないの?
 
 それでも、名作は名作である理由があって、ヘドウィグの怒りや悲しみを表現してる曲の数々が、マダムの心を揺さぶってやまなかった。役として歌う浦井健治の歌の説得力! コンサートやCDで何度も聴いている「Midnight Radio」がヘドウィグの声で歌われると、全然別の哀しみと力強さを運んでくる(ただ、訳詞は、三上博史のものの方が耳に届くのだけど)。ヘドウィグが歌い、最後にトミーが返歌として再度歌う「Wicked Little Town」が刺さることといったら!
 これは芝居の流れの中で聴くから、良いのよ。歌だけど、セリフなの。あまりにも心に沁みて、涙流れる。
 
 
 9月はヘドウィグの月だった。秋の訪れとともに祭りは終わった。
 マダムも平常心に戻ります。

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コメント

うそー、全然、平常心じゃないでしょー。

うんうん、2度観て、2度目にだいたい同じような感想を持ちました。
そもそも観る前に、マダムから1曲めからスタンディングだって情報を聞いて、違和感持ってたんですよね。1曲めから立つのって、この芝居(芝居ですよ)の趣旨と違うな〜と思ってて。

で、1回めの自分の感想にも書きましたけど、、一番、あれ?と思ったのは、ヘドウィグがトミーのコンサートツアーを追いかけて回ってて、自分のライブをトミーがやってる野外コンサートにぶつけ続けているという設定がカットになっていたこと。
あと、バックステージのドアを開くのが、半分以上、イツアークだったこと。
こういうの、ヘドウィグの心情をあらわすのに大事なことだから、変えないで欲しかったし、演出家、あまり考えてないんだな、と思いました。

歌詞は、日本初演時の青井陽治版が良いように思います。
青井さんもまた境界が曖昧な人だからねw。

ぷらむさま。
そう。演出家、考えてない。コンサートの演出と思ってたのと違うかな。浦井くんのことも、わかってないやろ、と思った。
青井陽治版って、三上博史主演のことですよね? Midnight Radioは、三上さんが訳詞してます。その訳がいいの。他の曲はどうだったんだろう。
それと、知らなかったけど森山未來くんのときは、訳詞がスガシカオ(!)なんですよ。いろいろとびっくり。

めっきり秋の涼しさになりましたね、、
千秋楽から一週間、、ロスってました(笑)
とっても楽しかったけど
モヤモヤしてた事もあり、
ブログ読んで「なるほと!」と思い
とってもスッキリしました。
ライブに見せかけた芝居!!なんですよね!
その場のノリで、、を感じました。
完璧に演出がついている芝居と
そうでない芝居。
自分も少しづつ、
わかるようになったかも。
先日のラジオで
ヘドウィグの一人語りの学びとして
落語を聴いて勉強した、って言ってました。
緩急のつけ方とか、今後
シェイクスピアとかミュージカルの独白の時にも使えるのではないか!と、言ってました。楽しみです。

ホワイトさま。
ヘドウィグ・ロスですか・・・ロスになるくらい通ってしまいましたね〜。
わたし的には、やっぱり最後のトミーの歌は幻に過ぎないのではないか、と思っています。
ヘドウィグをやって、大人になった浦井くんに、また期待しましょう。とりあえず来年のスケジュールを早く発表してほしい!

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