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『アジアの女』は何を目指すか

 いつまでも工事中の街、渋谷。ちょっとうんざりする。9月7日(土)ソワレ、シアターコクーン。
 
『アジアの女』
作/長塚圭史 
演出/吉田鋼太郎
出演 石原さとみ 山内圭哉 矢本悠馬 水口早香 吉田鋼太郎
 
 始まったばかりなので、これから観る人が殆どだよね?
 観てから読むことをお勧めします。
 
 


 シアターコクーンの長塚作品とマダムとは相性が悪い。それはもう、重々承知なので、今回も迷ったけれど、なんといっても吉田鋼太郎演出と聞いて、行くことにしたの。
 吉田鋼太郎がシェイクスピア以外を演出するなんて・・・と意外に思う人もいるだろうけれど、マダムはかつて吉田演出の別役実作品を観たことがある。それは実験的に、小さな小屋で上演されたのだけれど、抜群に面白かった。何が言いたいのか掴みにくい別役の戯曲なのに、瞬間瞬間が面白くて、目が離せなかった。
 なので演出力については信頼してて、今回も出かけて行った。マダムの長塚作品に対する苦手意識を、少し変えてくれたりするかも、と期待して。
 それで、結果はというと・・・予想を遥かに超えて、退屈だった。がっかりした。
 これ、やっぱり、本が、ダメなんじゃん?
 ホントにマダムと相性が悪いだけなん?
 
 地震と原発事故後の被災地、らしい。(でも、設定は東京・・・? 近未来の設定かな)
 家の後ろ(舞台奥)には巨大なフレコンパック(放射能汚染土を詰めたやつ)がうず高く積み上げられてて、空が見えない。絶対避難しなきゃいけない地域なのに、崩れかけた家に、住み続けてる兄妹のお話。
 麻希子(石原さとみ)は、無垢な、少女のような女で、精神を病んでいる。いつまでも芽の出ない花壇に水をやり、床下に「お父さんがいるから」と言って、ロープで食べ物を降ろす。花壇になんの種を蒔いたのか、そもそも本当に種を蒔いたのか、誰も知らないし、床下に降ろした食べ物はネズミの餌になっているらしいのだけれど、誰も指摘したりはしない。
 麻希子の兄晃郎(山内圭哉)は、働かず、崩れた家の中で酒ばかり飲んで過ごしてるんだけど、妹のことだけは大切にしているらしい
 食べ物は、配給制で、チケットがないともらえないし、水も出ない。麻希子にベタ惚れの警官(矢本悠馬)が、毎日、水のタンクを運んできてくれて、なんとか暮らしている。
 そこへ晃郎が編集者時代に担当していた、才能のない作家一ノ瀬(吉田鋼太郎)が押しかけてきて、居座ってしまう。一ノ瀬は、晃郎をけしかけて、何か自分に書かせろと迫る。
 ある日、麻希子は、兄の心配をよそに出かけて行って、鳥居(水口早香)という女と出会う。鳥居は被災地の人々を癒すためのボランティア活動を進めていて、麻希子を誘う。しかしボランティア活動とは名ばかりで、実態は売春らしい。しかも鳥居は、麻希子から売り上げのかなりの金額を巻き上げていく。
 鳥居や、一ノ瀬や、警官の話から、被災地には派閥ができ、小競り合いがあったり、中国人など外国人の集まりは差別されて、食べ物が行き渡らなかったりするらしいことがわかる。そして、そういった危険な地域に、麻希子は自分から出向いて行ってしまい、トラブルに巻き込まれ、殺されてしまう。
 ラストは、麻希子が水をやっていた花壇から、毒々しいほどの赤い花が開き、神々しい光に包まれて、赤いドレスの麻希子が舞台奥に去っていく。
 
 
 ごめん、ストーリー説明がうまくできない。話が有機的につながってなくて、登場人物の行動も動機がさっぱり見えなくて、何を考えたり感じたりしてるのか、マダムには理解不能だったの。読んでもらえばわかる通り「らしい」という言葉ばかり出てくるでしょう? 伝聞ばっかりで、観客の目の前では何も起こらないだもん。
 そもそも麻希子が見てるもの(花壇とか床下のお父さんとか)は、麻希子の狂気が生んでいる妄想なのか、この芝居の中ではそれが現実なのかがわからない。妄想だとして、兄は、それに話を合わせてあげてるのか、一緒に妄想の世界にいるのか、そこがわからない。麻希子が売春させられていることを、この状況で察知できない兄って、理解不能だし、なんで急に中国人の話になるのか、わからないし。麻希子が殺されるような危ない世界だったなんて、芝居からは全然伝わってこなかったから、めちゃ唐突。緊迫感、なかったもん。
 でも、これで麻希子が死なないと、話が終われないよね。
 で、一番がっくりきたのは、そのラストなのね。ダメな世界の救いを、無垢で美しい女に求める、最も安直な結末だと思う。しかも、目指す世界は、唐十郎みたいなものかと思うんだけど、比べたらイメージが貧困すぎるし、台詞にも「詩」がないし。ヒロインも、そのイメージを背負う力量が全くないし。石原さとみは、緑魔子でも李麗仙でもないしね。
 
 これ、チラシに初演は2006年、とある。ということは、3・11の前に書かれてるわけで、地震はともかく、放射能汚染については、今回加筆したのかな。演出で、設定を変えたのだろうか。
 フレコンパックのセットが生々しいわりに、話には殆ど関わってこなくて、原発事故をほのめかす必要があるのか、疑問だった。
 
 やっぱりシアターコクーンの長塚作品は、鬼門だったわ〜。劇場から逃げ帰ったマダムでした。 

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コメント

マダムの投稿を読ませていただいて…うん、これは、脚本の問題では?…と思った私です。
演者さんたちは、いい感じなのに…残念ですね…。

ちかさま。
長塚さんの書くものは、理解が及ばなくて。
彼が他の人の戯曲を演出すると、いいなあと感じることもあるのですが・・・。

昨日マチネで観てきました。
明らかに鋼太郎さんの演出と本が喧嘩してる。ラストの舞台奥開けて麻希子を旅立たせる演出は蜷川に寄せているようだし、観ていないけど初演の圭史演出は、余震再来で舞台崩しでカーテンコール無しだったそう。多分そうでないとこの本は、生きない。

叡さま。
なるほど、そういう本だったんですか。
ラストの演出は、とってつけたようで、石原さとみを輝かせたかったのでしょうが、作品にとっては逆効果だったのかもしれませんね。この本で、石原さとみで、コクーンで、という組み合わせが、全然合ってない気がします。

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