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2019年9月

肩すかしな新作ミュージカル『怪人と探偵』

 台風の影響で生暖かい風が吹き荒れる横浜。9月23日(月)マチネ、KAAT神奈川芸術劇場。
 
新作ミュージカル『怪人と探偵』
原案/江戸川乱歩  作・作詞・楽曲プロデュース/森雪之丞
テーマ音楽/東京スカバラダイスオーケストラ  音楽監督/島健
演出/白井晃
出演 中川晃教 加藤和樹 大原櫻子 水田航生 フランク莉奈 今拓哉
   樹里咲穂 高橋由美子 六角精児 ほか
 
 全く楽しくなかったわけではない。
 でもね、このスタッフ&キャストを見てみてよ。どんな新しい日本発のミュージカルが生まれるか、思い切り期待するでしょ。スカパラのテーマ曲も、ワクワク感いっぱいだし。
 このメンバーで、「まあ、普通に楽しかったけどさ・・・」っていう感想は、ありえないよ。頭抱えた。
 1幕終わったところで、一緒に観てる友人に「これ、演出、白井さんだよね?」って確認したくらい。それくらい、らしくない演出だった。失敗、ではない。だって、失敗っていうのは、チャレンジしたから起こることであって、これは全然チャレンジしてないもん。
 あー。
 
 これから観る人の気持ちに水をかけたくないので、この後は観終わった人だけ、読んでね(てか既に、水かけちゃったか・・・)。

 
 いろいろ思い巡らせてみたけれど、やっぱり脚本がうまくないの。それが敗因。
 人物設定に激しく難があるし、大して意味のないエピソードに曲をさいて、くどい。なのでテンポがゆるゆる。テーマが陳腐。面白くなりそうで、ならない。残念すぎる。
 だって、怪人二十面相の話なのに、主役の中川晃教は二面相しかしなかったのよ(あ、ラストを入れたら三面相か…でもねえ)。その二役も全然書き込まれてないから、すごく表面的なの。
 それでも彼が歌うと、表現力でなんとなく納得させられてしまうところがあって。さすがとしか言いようがない。さすが、なのはそうなんだけど、せっかくの表現力をこんな風に使わせるのがもったいなくて、涙が出る。ミュージカル俳優として今が充実の時期なのに!
 二十面相とからむ伯爵令嬢役の大原櫻子も、やはり歌の表現力抜群。だから二人のデュエットは聞かせる。なんだけど、やっぱり彼女の役も底が浅くて、盛り上がらないの。偽の令嬢で、実は犯罪者の娘で・・・という説明があるだけで、屈折の描写がありきたり。これは逆でないといけないの。屈折を工夫して表現しておいて、実は・・・と種明かしするから納得するんでしょ。演出されればできるはずなのに。彼女のマクベス夫人を観たマダムとしては、物足りないヒロイン設定だった。
 しかし。最大の失敗は、探偵明智小五郎(加藤和樹)の設定。これはもう、明智小五郎じゃない。
 マダムの知ってる明智小五郎のイメージは、ダンディで知的で、独特の美学がある大人の男。出てきただけで観客席をうっとりさせるくらいじゃないとね。だけど、この舞台に出てきたのは、情けないロリコン男だったので、唖然とした。江戸川乱歩ものは映画や芝居になって歴史が長いわけだけど、これほどイメージとかけ離れた明智って、見たことない。演じた加藤和樹は気の毒ではあるけれど、それでももうちょっと色っぽくはならないもんだろうか。
 
 だいたいこの手のお話は、よく考えたら突っ込みどころ満載なのが普通であり、いかに考えさせずに、面白く楽しくワクワクさせるかが勝負。なのに、説明に追われて、大事なところで描写が足りなくて、余計なエピソードはてんこ盛り。演出家はもちろん、そんなことは承知だと思う。承知だけど、本に文句をつけることはできなかったんだね。本とプロデュースが大物すぎて。
 
 期待が大きく外れて、あまりにももったいなすぎて、ちょっとは楽しかったことも、ふっとんでしまった。
 辛口、ごめん。

一歩踏み込む三谷幸喜 『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』

 よくぞチケットが取れたものだ。9月21日(土)ソワレ、世田谷パブリックシアター。
 
『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』
作・演出/三谷幸喜  音楽・演奏/荻野清子
出演 柿澤勇人 佐藤二朗 広瀬アリス 八木亜希子
   横田栄司 
はいだしょうこ 迫田孝也
 
 三谷幸喜の最近の作品は、有名な役者ばかり揃うので、チケットを取るのが大変。それでマダムは長いこと敬遠していたの。
 ところが今回は、満を持して我が横田栄司が三谷作品に出演するというのだ。これを見逃してなんとする。
 チケット争奪戦に参加した甲斐があった。期待に違わぬ楽しさ。
 
 マダムは子供の頃から大好きでシャーロック・ホームズのシリーズを読んでた。ルパン(三世じゃないよ)好きの従姉妹と軽く論争になり、そのとき彼女が言った言葉が忘れられない。「ルパンは女好きでしょ?そこがいいのよ〜。シャーロック・ホームズって女っ気なくてつまんない
 マダムはびっくりしてしまって、年上の従姉妹をまじまじ見た。うまく言い返せなかったことを憶えている。
 今、思い返しても、従姉妹の発言は的を得ていたし、そんなつもりはなかっただろうけど、こちらの好みを言い当てていた。マダムは小さい頃から一貫して、女とチャラチャラしているキャラではなく、女が苦手(?)そうなキャラが好みだったのだ。だから、ルパン三世(これは三世)よりも五右衛門のファンだし、マカロニ刑事より山さんの方が好きだったのよ。
 なんの話かといえば、シャーロック・ホームズだった。三谷幸喜はホームズが大好きで、隅々までオマージュが感じられる。なによりもまず、シャーロック(柿澤勇人)がちゃんと、女が苦手な青年として描かれていたし。かといって、最近のホームズものにあるような、ホームズとワトソンの関係にホモセクシャルを匂わせるようなことはしない。
 お話には2本の軸がある。ひとつはシャーロックと兄マイクロフト(横田栄司)との関係。もうひとつがシャーロックとワトソン(佐藤二朗)との友情。
 
 これから観る方は、先に読んじゃダメよ。

 
 まだ探偵デビューする前の若きシャーロック。かなり年上のワトソンとなぜか同居を始め、事件の方が向こうから飛び込んでくる。シャーロックは嫌々ながらあっという間に謎を解き、華々しくデビューする・・・のかと思いきや、この事件はすべて、兄マイクロフトのお膳立てによるお芝居でした!という最初のどんでん返しまで、開演後3〜40分だったかしら?
 そこまでに、登場人物全員のキャラクターはすっかり浸透し、緩やかに楽しくお話に巻き込まれたところへ、思わぬ場所からマイクロフトが登場して、空気が一変する・・・そこが上手い! 横田栄司の面目躍如だし、そこで一斉に本性を現すヴァイオレット(広瀬アリス)もワトソンもいいし、演出も行き届いてる。
 シャーロックも騙されたままではなくて、担がれたことを見破って、兄と対決することになる。あくまで弟を支配下に置きたいマイクロフトと、その干渉から逃れて独り立ちを目指すシャーロックの葛藤。それが本筋になって、最後までお話を引っ張る。シャーロックの独立を賭けて、兄弟がトランプで対決し、シャーロックが勝つ。支配することをやめて、兄が去っていくところで話は一度、クライマックスを迎える。
 最近の三谷作品は、このあたりで終わることが多かった(と感じ、それが不満だったマダム)んだけど、今回はもうひとつどんでん返しがあって、マダムは凄く満足した。
 一連のマイクロフトが仕掛けたお芝居の中に、ワトソンがこっそり潜ませたもうひとつのお芝居。若い医者と浮気して自分を裏切っているミセス・ワトソン(八木亜希子)に対し、ワトソンは復讐を計画していた。自分が毒を飲んで死ぬことで、毒を盛った罪を妻に着せようと企んだのだけれど、シャーロックは全て見破り、阻止してみせる。「死なせるわけにはいかないんだよ、大事な友達だから」というシャーロックのセリフで、物語は本当のクライマックスを迎える。
 クライマックスの二段構え。これによって、若きシャーロックは、みんなの知ってるシャーロック・ホームズとなる。そして、ワトソンとも、みんなの知ってる信頼関係が結ばれる。
 本当によく練られた本で、計算された演出で、役者全員が行き届いた演技で・・・楽しかった!
 
 実はマダムが観た回は、ハプニングがあった。
 小道具のトランプに間違いがあって、途中からやり直したの。でも、内心は知らないけど、役者たちはほぼ全員がベテランで海千山千(褒めてるのよ)だから、全く慌てるところなく、ミセスワトソンとヴァイオレットがレストレード警部(迫田孝也)をイジって時間を稼ぎ、ハドソン夫人(はいだしょうこ)が小道具を取ってきて、何気なく再スタートした。お話の流れに決定的な溝を作ることなく、楽しげに(?)過ぎていって、マダムは逆に得した気分だった。お詫びしに、カーテンコールで三谷幸喜が出てきてくれたしね。
 
 今作は、ここ何年かの三谷作品の中でもピカイチの出来ではないかしら? カッキーが、繊細でちょっと神経質でコンプレックスを抱えてて、でもプライドも高いというややこしいシャーロックをよく表現していたし、佐藤二朗のワトソンも温かくて味わい深くて、とても良かったの。テレビで佐藤二朗が自分自身を売り物にさせられているのを見てきたから、このワトソンにホッとした。彼に、アドリブじゃなく、ちゃんと演技をさせた三谷幸喜、えらい。
 これは再演があるといいな。なかなか再演させない三谷幸喜ではあるけれど。

『アジアの女』は何を目指すか

 いつまでも工事中の街、渋谷。ちょっとうんざりする。9月7日(土)ソワレ、シアターコクーン。
 
『アジアの女』
作/長塚圭史 
演出/吉田鋼太郎
出演 石原さとみ 山内圭哉 矢本悠馬 水口早香 吉田鋼太郎
 
 始まったばかりなので、これから観る人が殆どだよね?
 観てから読むことをお勧めします。
 
 


 シアターコクーンの長塚作品とマダムとは相性が悪い。それはもう、重々承知なので、今回も迷ったけれど、なんといっても吉田鋼太郎演出と聞いて、行くことにしたの。
 吉田鋼太郎がシェイクスピア以外を演出するなんて・・・と意外に思う人もいるだろうけれど、マダムはかつて吉田演出の別役実作品を観たことがある。それは実験的に、小さな小屋で上演されたのだけれど、抜群に面白かった。何が言いたいのか掴みにくい別役の戯曲なのに、瞬間瞬間が面白くて、目が離せなかった。
 なので演出力については信頼してて、今回も出かけて行った。マダムの長塚作品に対する苦手意識を、少し変えてくれたりするかも、と期待して。
 それで、結果はというと・・・予想を遥かに超えて、退屈だった。がっかりした。
 これ、やっぱり、本が、ダメなんじゃん?
 ホントにマダムと相性が悪いだけなん?
 
 地震と原発事故後の被災地、らしい。(でも、設定は東京・・・? 近未来の設定かな)
 家の後ろ(舞台奥)には巨大なフレコンパック(放射能汚染土を詰めたやつ)がうず高く積み上げられてて、空が見えない。絶対避難しなきゃいけない地域なのに、崩れかけた家に、住み続けてる兄妹のお話。
 麻希子(石原さとみ)は、無垢な、少女のような女で、精神を病んでいる。いつまでも芽の出ない花壇に水をやり、床下に「お父さんがいるから」と言って、ロープで食べ物を降ろす。花壇になんの種を蒔いたのか、そもそも本当に種を蒔いたのか、誰も知らないし、床下に降ろした食べ物はネズミの餌になっているらしいのだけれど、誰も指摘したりはしない。
 麻希子の兄晃郎(山内圭哉)は、働かず、崩れた家の中で酒ばかり飲んで過ごしてるんだけど、妹のことだけは大切にしているらしい
 食べ物は、配給制で、チケットがないともらえないし、水も出ない。麻希子にベタ惚れの警官(矢本悠馬)が、毎日、水のタンクを運んできてくれて、なんとか暮らしている。
 そこへ晃郎が編集者時代に担当していた、才能のない作家一ノ瀬(吉田鋼太郎)が押しかけてきて、居座ってしまう。一ノ瀬は、晃郎をけしかけて、何か自分に書かせろと迫る。
 ある日、麻希子は、兄の心配をよそに出かけて行って、鳥居(水口早香)という女と出会う。鳥居は被災地の人々を癒すためのボランティア活動を進めていて、麻希子を誘う。しかしボランティア活動とは名ばかりで、実態は売春らしい。しかも鳥居は、麻希子から売り上げのかなりの金額を巻き上げていく。
 鳥居や、一ノ瀬や、警官の話から、被災地には派閥ができ、小競り合いがあったり、中国人など外国人の集まりは差別されて、食べ物が行き渡らなかったりするらしいことがわかる。そして、そういった危険な地域に、麻希子は自分から出向いて行ってしまい、トラブルに巻き込まれ、殺されてしまう。
 ラストは、麻希子が水をやっていた花壇から、毒々しいほどの赤い花が開き、神々しい光に包まれて、赤いドレスの麻希子が舞台奥に去っていく。
 
 
 ごめん、ストーリー説明がうまくできない。話が有機的につながってなくて、登場人物の行動も動機がさっぱり見えなくて、何を考えたり感じたりしてるのか、マダムには理解不能だったの。読んでもらえばわかる通り「らしい」という言葉ばかり出てくるでしょう? 伝聞ばっかりで、観客の目の前では何も起こらないだもん。
 そもそも麻希子が見てるもの(花壇とか床下のお父さんとか)は、麻希子の狂気が生んでいる妄想なのか、この芝居の中ではそれが現実なのかがわからない。妄想だとして、兄は、それに話を合わせてあげてるのか、一緒に妄想の世界にいるのか、そこがわからない。麻希子が売春させられていることを、この状況で察知できない兄って、理解不能だし、なんで急に中国人の話になるのか、わからないし。麻希子が殺されるような危ない世界だったなんて、芝居からは全然伝わってこなかったから、めちゃ唐突。緊迫感、なかったもん。
 でも、これで麻希子が死なないと、話が終われないよね。
 で、一番がっくりきたのは、そのラストなのね。ダメな世界の救いを、無垢で美しい女に求める、最も安直な結末だと思う。しかも、目指す世界は、唐十郎みたいなものかと思うんだけど、比べたらイメージが貧困すぎるし、台詞にも「詩」がないし。ヒロインも、そのイメージを背負う力量が全くないし。石原さとみは、緑魔子でも李麗仙でもないしね。
 
 これ、チラシに初演は2006年、とある。ということは、3・11の前に書かれてるわけで、地震はともかく、放射能汚染については、今回加筆したのかな。演出で、設定を変えたのだろうか。
 フレコンパックのセットが生々しいわりに、話には殆ど関わってこなくて、原発事故をほのめかす必要があるのか、疑問だった。
 
 やっぱりシアターコクーンの長塚作品は、鬼門だったわ〜。劇場から逃げ帰ったマダムでした。 

ほねじゅうと『神父と頭蓋骨』とのワクワクする関係

 『骨と十字架』略してほねじゅう、という芝居を観たのは7月の初めだった。こんなに尾をひく芝居はなかなか無くて、2ヶ月経った今でも、あれこれ思い出して楽しい。そしてツイッター上で交わされるファンの発言の中から、主人公テイヤール(実在の人)の伝記があることを知り、読んでみた。
 おもしろーい!
 
『神父と頭蓋骨 ー北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展ー』
著/アミール・D・アクゼル  訳/林大
(早川書房 2010年発行)
 
 これは、イエズス会の神父であり、かつ、古生物学者であったピエール・テイヤール・ド・シャルダン(1881−1955)の伝記。超真面目な、徹底した伝記で、芝居がかったところは全くない。なので、誰にでもオススメという訳にはいかないのだけど、ほねじゅうの題材そのものに惹かれたという人には、凄く面白いと思う。
 この伝記が書かれたのが2007年で、翻訳も2010年。ごく最近なの。視点が偏らずに冷静に書かれていて、文章も古臭くなく、翻訳も読みやすい。
 芝居は、テイヤールの人生のごく一部にフォーカスして作家の野木萌葱が作り上げたものだから、74年の人生すべてを網羅してはいない。伝記を読むと、テイヤールの人生すべてが興味深いのだけれど、野木萌葱がどこをピックアップし編み上げていったのかが浮かび上がってきて、ワクワクするのよ。
 伝記の主筋はもちろん、彼の矛盾する立場について書かれてる。イエズス会の神父でありながら、進化論を研究する古生物学者でもあり、研究者として名が知られ注目されればされるほど、イエズス会からは疎んじられ弾圧を受ける。フランス人で、フランスの教会の神父なのに、殆ど追放されるような形で中国に派遣され、その後も、完全に帰国することは許されず、最後はアメリカで死ぬ。彼がイエズス会と交わした書類などは、未だに公開されていないものもあるらしい。それほど、テイヤールという存在はカトリック教会にとって、厄介な人物だったのね。
 だから、野木萌葱が惹かれたのも、相反する二つの信条をあわせもったまま生涯を送ったテイヤールと、彼と対立せざるを得なかった教会内の人たち、だった。そこがメインテーマ。
 
 でも伝記には、ほかにも興味深いところがたくさんあるの。
 左遷による長い漂流のような人生を支えた、恋(といってもいい)があったこと。テイヤールを愛した女性は、アメリカ人の彫刻家で、北京原人の骨の化石の情報をもとに、北京原人の彫像を作った人だった。彼女は感受性が鋭く、テイヤールの心の奥底を理解し、二人は深い友情(いや、愛情)で結ばれていたけれど、テイヤールは彼女の求める「恋人」にはなれなかった。カトリックでは、神父の妻帯を認めていないから。ここでもまた、実人生と宗教との間に大きな葛藤があったわけ。野木萌葱以外の作家なら、ここに惹かれるかもしれない。
 更に、興味深いのは、見つかった北京原人の頭蓋骨が、第二次世界大戦のどさくさで、行方不明になっていることよ。ミステリー作家なら、ここを大きく膨らませた話を作るのかも。
 
 芝居から興味が膨らんで、テイヤールの伝記を読んでしまった。で、これが面白かったんで、次はテイヤール自身の著書(カトリック教会から出版を禁じられていて、死後、相続人が出版した)を読んでみたいと思ってる。面白かったら、またお知らせしますね。

『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を味わう その1

 怒涛の9月の始まり、始まり。9月1日(日)ソワレ、六本木EXシアター。
 
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』
作/ション・キャメロン・ミッチェル  作詞・作曲/スティーヴン・トラスク 
翻訳・演出/福山桜子  歌詞/及川眠子  音楽監督/大塚茜
バンド/DURAN  YUTARO  楠瀬タクヤ 大橋英之 大塚茜
出演 浦井健治 アヴちゃん(女王蜂)
 
 なんか、巨大な期待と不安とで、マダムは押しつぶされそうだったの。自分が出演するわけでもないのにね。おかしいよ。
 
 これまでの日本での舞台、全然観てないし、キャメロン・ミッチェルが来日した一昨年(だっけ?)の簡易舞台と、映画を観たことがあるだけなので、別に何も、詳しいわけじゃないんだけど。
 難しい芝居だね、これ。
 ヘドウィグは、すごく屈折してる人。東ベルリン生まれで、父親はアメリカ兵で、一度も会ったことがなく、母親からも愛されない子供時代を過ごし。大人になって、自らもアメリカ兵と恋に落ちて、性転換手術を受けて(でも失敗して1インチ残っちゃう)、アメリカ兵と一緒にアメリカに渡り、すぐに捨てられて。今は、ドラアグクイーンの格好でロックミュージシャンとしてステージに立ち、自分を裏切った若いミュージシャンへの恨みつらみを語る・・・。
 で、これの作、演出、主演をしてたのがキャメロン・ミッチェルなんだけど、彼は殆どヘドウィグそのものなのよね。自分とヘドウィグの境界線が曖昧なの。だって、自分の内面を芝居にしたんだもんね。
 でも、浦井健治が演じる時には、すみずみまで演じなければならない。彼自身の中にはヘドウィグのような屈折はないから、全部、きっちり、演じなければいけないし、演出が行き届かなくてはいけない。
 そこがまだ、うまくいってない部分がある。特に客いじりするシーンで。ちゃんと演出がされてなくて、浦井健治本人が顔を出しちゃう。かわいくなっちゃうんだよ。すれっからし感がなくて。何回か続くと、ヘドウィグじゃなくなってしまいそう。最初から堂々とヘドウィグでいてくれなくちゃ。
 アヴちゃんはいいのよ、彼は境界線が曖昧な人だから(ドレス姿、かっこ良かった!)。でも浦井健治は生粋の役者なので、地を出す必要はないし、意味もないの。
 一見ライブのようで、ライブじゃなく、これは芝居なんだから。

 なので前半は、どうも乗れなかった。
 だけど、話が進むにつれ、浦井健治が消えていって、歌が、ヘドウィグその人の歌う歌となっていって・・・最後の「ミッドナイトレディオ」がとても、とても良かった。カツラもドレスもメークも全部剥ぎ取ってしまって、裸で歌う「ミッドナイトレディオ」が、切なくて哀しくて無様で、でも誇りに満ちていて、素敵だった。今までに見たことのない浦井健治を見た、と思った。
 前半をもうちょっと手直しして、全編通じてヘドウィグであり続けて欲しい。そうしたら、最後はもっと高みに登りつめることができるよ。
 
 あとは、歌詞が聞こえてこないのは、なんでかなぁ。訳詞のせい?音響のせい?
 歌詞だけど、ミュージカルだから、セリフでもあるので、聞き取りたいんだよねー。
 
 まあ、何度か行くし、千秋楽までしっかり見守るつもり。また報告するね。

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