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2019年7月

ああ、本物。『王様と私』に酔う

 チケット買ったのは半年くらい前かしら。前過ぎる。7月19日(金)マチネ、東急シアターオーヴ。
 
リンカーンセンター シアタープロダクション ミュージカル『王様と私』
作曲/リチャード・ロジャース 作詞・脚本/オスカー・ハマースタイン
演出/バートレット・シャー
出演 ケリー・オハラ 渡辺謙 セザラー・ボナー キャム・クナリー
   大沢たかお 
ケイヴィン・バンミーチャオ アーロン・ティオ 
   山口恵奈  ほか

 

 2015年にブロードウェイで初演を迎えたときから、是非、観たいと思ってた。そのときの興味はただ、ケン・ワタナベが初めてブロードウェイで主演なんだぞ〜ってことだった。だってそんな日本人俳優は、ほかにいないもの。すごいことよ。
 だから、今回来日公演してくれるのが本当に嬉しかった。さすがにこのためだけに海外に行くのは難しいもん。ありがとう、来てくれて。万難を排して、チケットゲット!
 
 不安はただ一つ。西洋の、超、上から目線のお話なんじゃないか・・・?ってことだったんだけど。
 やはりそういう部分はしっかり残りつつも、今の視点も入っていて、楽しく観た。なによりも全体的なクォリティの高さ。演技も歌も衣装やセットの美しさも、素晴らしいの一言よ。これぞ本物。
 なんといっても、この主演でトニー賞に輝いたケリー・オハラが素晴らしすぎた。本物中の本物。彼女の演技には、普通のお芝居部分と歌との境目が一切ないの。ずっと家庭教師のアンヌ夫人のまま話し、歌う。歌うときに体に別の力が入ることを見せない。歌の演技力がすごくて、あっというまに説得されてしまう。誰しもが聴いたことのある有名なナンバーが次々歌われるのだけれど、芝居の流れの中で、アンヌの気持ちが歌で表現されていく。また、いい曲ばかりなんだよね。音楽の力とは、これほどのものなのか、って惚れ惚れ。


 
 日本で言えば幕末の頃。西欧列強がアジアの国々に押し寄せ、開国を迫り、次々植民地化していく中、それを免れたシャム(現在のタイ)の王様のお話。王(渡辺謙)は、大勢の妻たちと子供達を抱え、君臨する絶対君主なのだけれど、西欧の知識を取り入れなくてはならないと考え、子供達のためイギリスから家庭教師を雇う。これが私=アンヌ夫人(ケリー・オハラ)。
 アンヌ夫人は、王様のやり方(つまりシャムの伝統)と真っ向からぶつかりながら、子供達を教えていく。最後には王様は死んじゃうんだけど、皇太子は、アンヌ夫人の教えで目覚め(!)、これまでとは違った民主的な政治を行うことを誓い、めでたし(?)な終わりとなる。
 あー、こりゃ、「アジアの野蛮人に教えてあげましょう」臭がプンプンするお話だよ、やっぱり。タイでは今も、上演禁止なのだそう。さもありなん。

 いくら昔に一世を風靡した演目だとしても、今また上演するためには、それ相応の演出の変更が必要だったわけね。2015年、バートレット・シャーは渡辺謙を王様にキャスティングした。それがまず、勝因の一つよ。「日本人としてアジア文化への深い理解を持ってこの役に取り組んでいる。それは過去のこの役を演じた誰もなし得なかったことだ」って演出家は渡辺謙を賞賛してる(プログラムのインタビューより)。
 ホントに渡辺謙の王様、すばらしかった。威厳があって華やかで色っぽくて。役柄は確かに封建的な絶対君主で威張ってるんだけど、一方で、自分の国を植民地化されないよう悩みぬく姿を、真摯に演じてるの。その悩みは日本も同じだったわけで、歴史を学んでいれば自ずとわかるし、彼が役にそれを投影して演じてることが、この芝居の「西欧の上から目線」を柔らげたことは間違いないわ。
 
 お話のクライマックスは、イギリス貴族を招いて舞踏会を開き、イギリス側を懐柔するあたりなのだけれど、舞踏会を開くというのがアンヌ夫人の提案、というのが、なんとも・・・(まあ、日本は向こうから勧められる前に自ら鹿鳴館なんか作ってたわけだけど)。アンヌ夫人の教えで、宮廷の女たちは急ごしらえでドレスを準備するんだけど、そこで歌われる「Western People Funny(おかしな西洋の人たち)」という歌が、いいの。第一夫人と取り巻く女たちが歌う「わたしたちがなんで、こんなドレスを着なくちゃいけないの? おかしくない?」っていう歌。この歌はバートレット・シャー演出で初めて取り入れられたナンバー。ロジャース&ハマースタインがこんな曲をちゃんと作ってたことが驚きだし、作ったのにこれまでの演出ではカットされてきたっていうのがねー。これを復活させたシャー演出、すばらし。
 
 それとね、マダムが面白く観られたのは、「西欧の上から目線」な話なのは大前提として、アンヌ夫人がどんなときも「自分をひとりの人間として尊重してくれ」という態度でいることが素敵だったから。
 たとえば、王様が王宮に部屋を与えたことに彼女は納得しない。「お給料と、住む家を用意する」という約束だったでしょ、と言い続ける。王様が王宮にいていいと言ってくれてるんだから、素晴らしいじゃないか?という周りの反応に、彼女は全然動じない。だって「決まった時間働いて、仕事が済んだら、自分の家に帰るのが当たり前です」って譲らない。仕事とプライベートをちゃんと分けることは、人として権利だ、と彼女は思っている。
 だから彼女は、王様への貢物としてビルマからやってきたタプティム(キャム・クナリー)に対しても同情的だし、誰を愛するかは自分自身が決めることだ、と思っている。王様は雇い主だけど、王様と私は人間として対等でしょ、と思っている。人としての価値は同じはずだ、と。
 それゆえアンヌ夫人は最後まで王様とぶつかり続けるのだけれど、「女の意志」なんか考えたこともなかった王様が、彼女を意志とプライドを持ったひとりの女として認め、恋に落ち(かける)瞬間・・・それが、あの有名な「Shall We Dance?」が歌われる場面なのだった。
 そのシーンの意味を、ケリー・オハラと渡辺謙は余すところなく理解していて、余すところなく表現してた。アンヌ夫人を引き寄せ王様が「Come!」と言って踊り出す二人。この「Come」がね、色っぽさだだ漏れ。もう、オチるでしょ、誰でも! ダンスはこの上もなく美しくて、アンヌの大きく広がったドレスが弾むように回っていくワクワクする時間は、恋の始まりの高揚感でいっぱいなの。そしてダンスが終わって、少し離れた場所で、はっとして見つめ合う二人。これ以上は踏み込んではいけない、と瞬時に理解する二人・・・。あー、ため息!
 (調べてみたのだけど、マダムが知る限り、昔の王様役の「Come!」は、高圧的な命令形で発せられてた。命令でありつつ、こんなに色っぽく女を誘うような「Come!」は渡辺謙オリジナルだ。)
 
 イギリス貴族を招いた席で演じられる劇中バレエ「アンクルトムの小屋」も美しくて楽しかったし、シャムの首相を演じる大沢たかおがまだ王騎のときの体のまま維持してるのも確認した。そのほかにも色々あるけれど、長くなったから、この辺で。

劇団新感線『けむりの軍団』

 友人が行けなくなって、急遽、助っ人観劇。7月17日(水)マチネ、赤坂ACTシアター。
 
いのうえ歌舞伎『けむりの軍団』
作/倉持裕 演出/いのうえひでのり
出演 古田新太 早乙女太一 清野菜名 須賀健太 高田聖子 栗根まこと 池田成志 ほか
 
 いつもの新感線の楽しい芝居。早乙女太一を生で観るのが初めてだったので、殺陣の速さと美しさをじっくり眺めた。キレがあるねえ。
 レビューは割愛。

色っぽいとはどういうことか 『骨と十字架』プレビュー公演

 なんか間違って、買っちゃってたの、プレビュー公演。7月7日(日)マチネ、新国立劇場小劇場。
 
『骨と十字架』
作/野木萌葱 演出/小川絵梨子
出演 神農直隆 小林隆 伊達暁 佐藤祐基 近藤芳正
 
 マダムは普通、同じ公演を2回は観ない。限られた予算と時間で、なるべく多くの舞台が観たいからよ。なので、プレビュー公演って、ほとんど観たことがなかったの。だって、プレビューを観たら、そのあと完成品を、も一度観たくなっちゃうのが人情でしょう? だけど、それは自分に禁じてることなの(許したらチケット代、天井知らずだもの)。
 実際、マダムが観たこの日の上演のあと、20分くらい短くなったという話を聞いた。どこを縮め、どう変わったのかしら?
 まあ、それは、気にしないわ。面白かった〜。知的な刺激が、ビシビシ。

 パラドックス定数の野木萌葱には、まだ2本しか観ていないにもかかわらず、マダムは絶大な信頼を置いている。今回も、カトリックの神父でありながら、人類の進化の考古学的発見をしてしまうテイヤール神父のお話。目の付け所が本当に、らしいというか、さすがというか。信仰と、科学的真理の追求の、二つに引き裂かれる人間。作家が選んだこのテーマは、マダムの好みに、ドンピシャリだ。面白すぎる。
 なんだか難しそうに聞こえるけど、実際の芝居はなあんにも難しくない。予備知識はほとんどいらない(マダムも全く予習なしで行ったよ)。
 これから観る方は、これ以上は読まずに観た方がが楽しいと思うので、気をつけてね。


 
 第二次大戦前後のお話。
 テイヤール(神農直隆)は、バチカン配下のカトリック教会の神父。一方で、古生物学者としての研究に余念がない。彼の発表する論文は、人間が猿から進化したことを示唆し始め、そのことが教会内部で大問題となる。なぜかというと、バチカンは、人間の起源を聖書に書いてある通りだと規定し(つまり、神がアダムを作ったことが人間の始まりだ、と)、進化論を認めていないから。
 バチカンの司教レジナルド(近藤芳正)は怒りに震え、テイヤールの上司にあたるレドウホフスキ総長(小林隆)に、テイヤールの処分を迫る。信仰に生きたいのなら、学問を捨てろ。二者択一だ、というわけね。そして二人の元に、テイヤールは呼び出される。
 レジナルドとの厳しいやりとりのあとも、テイヤールはどちらかを選ぶことができない。「神が人間を作ったと信じないのか?」という問いに、「それは比喩として信じます」と言うテイヤール。テイヤールは、信仰に対しても、研究に対しても、真摯であろうとする。不器用すぎる人間なのよね。全てをバチカンに報告しようとするレジナルドを総長は必死に止めて、ことを穏便に済ませようとする。玉虫色の解決、ね。
 総長は、テイヤールと同じく神父でありながら考古学の研究をしているリサン(伊達暁)をその場に呼び寄せ、テイヤールを説得させる。リサンは宣教師として中国に派遣されている。中国では、好きなように考古学の研究ができるけれど、発表などはできない。ていのいい左遷。ていのいい飼い殺し。リサンはテイヤールを中国行きに誘う。
 神父としての弟弟子にあたるアンリ(佐藤祐基)は、テイヤールがヨーロッパを離れることには反対する。が、テイヤールは、信仰と学問の両方を捨てられず、リサンとともに宣教師として中国へ渡る。
 中国での長い左遷状態の期間、そのほとんどをテイヤールは、リサンの助手として発掘に費やす。が、リサンの考古学への情熱はとっくに擦り切れていて、ただ、バチカンからの横槍がない状態に満足しているの。けれど、テイヤールの情熱は、左遷期間が長引くにつれ逆に大きくなっていき、現状に馴れ合っているリサンの元を離れて、外国から来ている発掘隊に参加する。
 そして・・・テイヤールは、北京原人の骨を発見してしまうの。
 世界的な大発見で、一躍有名人となったテイヤールを、カトリック教会に留めて利用しようと考える総長。絶対に許さないという態度のレジナルド。
 そこに、テイヤールは帰国してくる。テイヤールと、カトリック教会は、果たしてどうなっていくのか・・・。
 という物語。
 
 
 観終わって、いちばん考えたことは、「舞台の上で色っぽいとは、どういうことか」ってこと。色っぽさは一体どこからやってくるんだろうか? もうね、テイヤール(神農直隆)が色っぽくて、まいった〜(てか、神農直隆って誰?マダムは初見。初見で、オチました)。あと、リサン(伊達暁)も。あと、アンリ(佐藤祐基)も。色っぽ〜い!

 まず、衣装だよね、と思った。バチカンのレジナルド以外は、全員が黒い司祭服(キャソックというらしい)なのね。立ち襟で、ロングドレスのように長く、前に細かくボタンが並んでいる。それは、映画とか写真とかで見慣れたキャソック風なんだけど、デザインがちょっと違う。ウェスト切り替えになっていて、より柔らかめの生地を使ってある。だから、普通に歩くだけで、長い裾が微妙に揺れるのが美しい!めっちゃ好き。歩くだけで、ドキドキさせる。
 この芝居には特にアクションはない。立っていても、座っていても、神父たちは姿勢良く、恐ろしく禁欲的。だけど、立っているだけで、まっすぐに歩くだけで、見惚れる。裾が翻ると、ときめく。衣装は前田文子。このキャソックのデザイン、素晴らしいわ〜。
 
 でも衣装だけで、こんな色っぽさは生まれないよね。
 パラドックス定数の舞台でも、役者がみんな色っぽかった。馬を演じてるときでさえも。ということは、脚本の中に、その秘密があるに違いない。
 「骨と十字架」の場合は、登場人物の全員が神父なので、おのずと大きな動きが禁じられている。神父が飛んだり跳ねたりはしないもん。だけど、心の中では巨大な葛藤が渦巻いてる。テイヤールはもちろんのこと。総長は、テイヤールのことで自分が責任を問われないようにと必死だし、リサンは、テイヤールが予想した以上の情熱と才能の持ち主だったことへの激しい嫉妬があるし、アンリは、兄弟子の研究を密告したことを隠しながらテイヤールのことを気遣う。テイヤールを囲む人物たちの誰もが、テイヤールを自分の意に従わせたい欲望を持っている。それはあたかも恋愛のよう。言葉と態度の裏側に、二重三重の感情がある。三角関係、四角関係、のような。テイヤールはその渦の真ん中にいて、一人だけ、神の摂理と戦っている。禁欲的な最小の動きの中で、表現しなければならないことがぎっしり詰め込まれた本なのよ。
 そう。それを目一杯に演じることが、色っぽいんだね。やられたわ。
 
 
 北京原人の骨が見つかって、人類の進化の歴史が証明された。証明したのはテイヤールその人であるのに、彼は自分の信仰が「さらに深まった」と言うのね。全ての自然の道すじに、神の意志を感じる、と言うの。だから結局、彼は、信仰も研究も捨てない。でも、周りの誰の意にもそぐわない。彼は孤独なままだし、飼い殺しのまま、生きていくの。
 現在はカトリックも、進化論を認めているらしいけれど。全ての自然の道すじに神の意志を感じる・・・というのは、キリスト教的には、どうなのかしらね。マダムは全然信仰心がなく、全くの無宗教な人間なのだけれど、自然の摂理に対してひれ伏す心はすごく強い。なのでテイヤールが至った悟り(?)のような境地はよくわかったの。
 この題材をヨーロッパの人が書いたら、違うものになるのでは?
 日本語で発想し、日本語で書かれたことで、キリスト教の枠を超えた何か、に到達したのではないかしら。そこが、魅力的。
 
 あー、書いてるうちに、も一度観たくなってきた。困ったなあ。

劇団男魂『バカデカ桔梗』を観る

 吉祥寺シアターは好きな劇場だ。7月6日(土)ソワレ、吉祥寺シアター。
 
劇団男魂(メンソウル)『バカデカ桔梗』
脚本・演出/杉本凌士
出演 杉本凌士 坪内守 仲田育史 山田諭 齋藤慎平 江間直子 ほか
 
 劇団AUNの齋藤慎平を見届けに行った。観劇記録のみ。レビューは割愛。

『ビューティフル ワールド』に立ち尽くす

 マダムの失業期間の、最後を飾る芝居。まさに、飾ってくれた。6月19日(水)マチネ、東京芸術劇場シアターイースト。
 
モダンスイマーズ20周年記念公演『ビューティフル ワールド』
作・演出/蓬莱竜太
出演 津村知与支 吉岡あきこ 生越千晴 成田亜佑美 小椋毅 西條義将 
   古山憲太郎 菅原大吉
 
 私事ながら、3ヶ月間失業していた。
 すぐ路頭に迷うわけではなかったし、芝居のチケットも随分前に買ってあるものが殆どだったので、粛々と芝居を観てはブログ書いてて、振り返ればそれなりに楽しい3ヶ月だったのだけれど。
 しみじみと、働くことの大切さを感じたわ。働いてお金を得て、そのお金で食べて寝て、少し余裕があるなら、本を買ったり映画を見たり、お酒飲んだり温泉行ったり、好きなことする。マダムの場合は芝居を観に行く。自分の働きで、衣食をまかない、好きなことができる、ということの喜び。失業するということは、その喜びを奪われることだ。
 そして、その喜びから疎外された人がひきこもっていくの、ホントによくわかる。マダムは引きこもりの才能があるって、自覚した3ヶ月でもあったの。

 
 で、『ビューティフル ワールド』。
 40歳にして引きこもりの夏彦(津村知与支)の物語。実家にひきこもってゲームしながら生きてた夏彦が、火事で焼け出され、引きこもる場所を失う。そして行くことになったのが、千葉の銚子に住むおじさん(菅野大吉)の家の離れ。この、銚子という微妙な距離感がまず、素晴らしい選択。蓬莱竜太、さすが。
 今の日本って、都心をちょっと離れると、もうほぼ田舎。家だけは広くて部屋は余ってるけど、商売が成り立ちにくくなっていて、普通の(つまり取り立てて高い技能があるわけでもなく、ギラギラした野心があるわけでもない)人たちが生きていくのが苦しくなっているのね。
 だから夏彦はひきこもりなんだけど、行った先のおじさん邸も生活が崩れかけた人たちの集まりなの。
 その銚子の家の人々は、というと。
 もともとは和菓子屋を親から引き継いだキヌコさん(吉岡あきこ)は、自分のミスとダンナ(つまり夏彦のおじさんで、キヌコさんちに婿養子になってる)の経営手腕のなさから、和菓子屋を潰してしまい、ダンナが始めた得体の知れない和風カフェの経営には、もう参加させてもらえない。自分が親から引き継いだ家なのに、主導権をダンナに奪われ、意見を聞いてもらえない。たいした意見があるわけじゃないけど、それはダンナも同じようなものなのに。それどころかキヌコさんはDV的な扱いを受けている。娘(生越千晴)からも酷いことを言われたりする。キヌコさんは逃げたくても逃げられず、酷い扱いを受けている最中、頭の中で宇多田ヒカルの歌を大音量で歌い、やり過ごす。彼女にとっては、宇多田ヒカルだけが救いなの。
 こんな家にやってきた夏彦だから、キヌコさんにとってはいいカモがきたようなもの。世話を焼く相手が出来て嬉しくてキヌコさんは、離れの夏彦の部屋に入り浸る。一緒に仲良くゲームに興じる。キヌコさんが宇多田ヒカルの曲で一番好きな曲は「ビューティフルワールド」。エヴァンゲリオンの映画の主題歌である。最初からキヌコさんは夏彦と相通ずるものがあったわけ。それに、どうせ母屋のほうには自分の居場所がないのだ。
 そして、夏彦のところへは、和風カフェの従業員たちも、なぜか顔を出す。彼らもまた、パッとしない人生を送っていて、居場所がないので、夏彦の部屋に来て愚痴をこぼしたり、夏彦をいじめて憂さを晴らしたりする。
 出てくる人物に、誰も肩入れできない。しょーもない人ばっかり。
 だけど、全員の言い分のどこかに少しずつ、すごーく共感しちゃう部分がある。誰もが持ってるダメさ加減を、体現してる人たちなのね、登場人物全員。
 例えばキヌコさんは、あまり友達にはなりたくないようなヤな女だけど、彼女が辛い時、頭の中で必死に「ビューティフルワールド」を歌って耐えるシーンには、体ごと持って行かれるよ。そんな拠り所でもなかったら、もう生きていけはしないんだよね、彼女。こんな気持ち、どうして知っているのか、蓬莱竜太。洞察力、おそるべし。
 
 休憩が終わって2幕になると、夏彦の「ステージが上がっていた」。キヌコさんとデキてしまい、童貞を卒業してる。
 でも、そこからキヌコさんと夏彦との間に齟齬が生まれていく。キヌコさんの態度はだんだん「女房」的色合いが出始め、彼女を選んだわけではない夏彦のほうは、キヌコさんを鬱陶しく感じ始める。
 そして、主屋の人々の隠された、しょーもない人間関係のドロドロがバレていく後半は、ドロドロなのに凄く楽しい。もうあっけにとられて笑うしかないんだもん。
 夏彦は遂にその家から逃げ出す。引きこもりが決心して外へ出ていく・・・というには程遠い、凄く消極的な、逃げる、という形。それでも夏彦は外へ出たの。
 自転車で逃げだした夏彦を、キヌコさんが追ってくる。包丁を握って。包丁を握ってるのはたまたまだけれども、その巡り合わせはたまたまではない。だから見ているこっちはドキドキしてくる。最後の最後に、夏彦は、初めて、人として立派な態度を取る。自転車を止めて、キヌコさんに相対するの。これまでのことを謝り、お礼を言い、一人暮らしする、と説明して、別れの挨拶をするのね。そして包丁は、観客の危惧する使い方はされずに済む。キヌコさんは、夏彦の言葉を受け入れて、送り出す。そのとき言ったキヌコさんの最後の言葉は「きっと気に入る」。
 キヌコさんが「何を」きっと気にいる、と言ったのか、そこは描かれないけれど、夏彦は弟のところに生まれた赤ん坊に同じ言葉をかける。「きっと気にいる」と。当然「何を?」と聞き返されて、夏彦は首を傾げつつ「世界・・・?」と答える。
 これが、蓬莱竜太の『ビューティフル ワールド』の答えなのね。
 
 出ていた役者全員があまりにもリアルで、蓬莱ワールドを緻密に組み上げてて、うなった。隅々まで、演出が沁み渡っている。主役のふたり、津村知与支と吉岡あきこの凄さはもちろんのこと、ゲストの菅原大吉のDVダンナの上手さにも舌を巻いたの。
 
 取り立てて高い志があるわけでもない普通の人たちが、じわじわと押しつぶされていってる今の日本を、これほど鷲掴みにしている作家、そうはいないね。励ましの言葉は一切ないのに、なぜか励ましてくれる芝居だったのよ。評判が評判を呼び、千秋楽には入りきらない観客が、ロビーで中継を見つめたのだそう。さもありなん!

 
 ということで、マダムも7月から復職しました。慣れるまでは、ブログが途切れ途切れになるかもしれないけど、過去記事でも読みながら、のんびりお待ちくださいね。

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