最近の読書

無料ブログはココログ

« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »

2019年5月

岡田将生の、死にたい願望『ハムレット』

 信じられない暑さ。5月25日(土)ソワレ、シアターコクーン。
 
『ハムレット』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/河合祥一郎
演出/サイモン・ゴドウィン
出演 岡田将生 黒木華 青柳翔 村上虹郎 竪山隼太 冨岡弘 町田マリー
   秋本奈緒美 福井貴一 山崎一 松雪泰子 ほか
 
 かなり迷った挙句にチケットを買ったの。
 いくらシェイクスピアだからって、イギリス人の演出家を連れてきたらなんか上手くいくだろ、というプロデュース態度がいやなのよ。あんな失敗例、こんな失敗例、たくさんあるでしょ。そして数少ない成功例のひとつ、プルカレーテの『リチャード三世』のときには、日本人演出補として谷賢一が全公演にしっかり帯同していたじゃない? なぜ、ここから学ばない?
 役者たちの顔ぶれを見れば、出身がバラバラで、シェイクスピアの経験がない人も多いし、日本語のわからない人の演出では絶対に行き届かないところが出てしまうのは自明のこと。「通訳」ではなく、普通に演出力のある「演出補」が絶対に必要なのに。
 
 というような考え方のマダムなので、今回は、ただ岡田将生の美しさを眺めたかったのと、歌舞伎でいう「任(にん)」であるとしか言いようのない竪山隼太のホレイシオ見たさで、出かけたの。
 そしてその期待は満たされた! まあ、美しいわー、岡田将生。あの、へんてこりんな衣装の全てを着こなして、ちゃんと王子でいられるスタイルの良さと美貌、気品。惚れ惚れした。(途中、「笑う男」みたいに登場したのには吃驚&心の中で内輪ウケ。)
 それとね、のっけから両手首に包帯巻いてて(つまりリストカットの痕がある)、「To be,or not to be」のところは吊るしたベルトに首をかけながらだったりで、とにかく死にたい願望に支配されてるハムレット、っていう設定がおもしろい。ここまで生命力がないと、なかなか復讐できないヘタレなハムレットに凄く説得力が出るのね。河合祥一郎の翻訳も「生き死に」で翻訳しているので、ベルトに首をかけながら言うと、ぴったり。
 岡田将生の台詞は、普通に伝わるし、頑張っていたのだけれど、独白じゃない部分も独白みたいになっちゃってるところが多々あり、芝居が平板になりがち。例えば、ガートルード(松雪泰子)と口論するシーンで、ガートルードが「お前はこの胸を真っ二つに裂いてしまった」って言うと、ハムレットが「悪い方を捨てて、いい方だけで清らかな日々を過ごしなさい」と言い返すでしょ? ガートルードの、胸が二つに裂けたという言葉を聞いたから、じゃあ、かたっぽのいい方だけで生きて行けよ、という台詞が出るんだけど、岡田ハムレットは、ガートルードの台詞を聞く前からもう、自分の台詞が用意されちゃってるの。相手の台詞を受け取って、言葉を返す、っていうのができてないことがあって、芝居がしぼむ。
 これは岡田将生だけじゃなくて、役者たちの大方がそうなってしまっていて(これって芝居の基本だよね)、そこを直すのは、日本語がわかる演出家じゃないと無理なんじゃないのかしら。みんながみんな少しずつ足りてないのが、全体に及ぼす影響ときたら。
 マダムが日本人演出補にこだわるのは、こういうところなのよ。
 まあ、イギリス人演出家にしてみれば、シェイクスピアをやろうと集められた役者であれば、そんなことは普通にクリアしているのが当然なのかもしれない。そういうところから鍛えなければならないとは、思ってないのかもしれないけれど、ね。
 
 装置も衣装もポップで現代風なんだけど、役者の芝居も軽いので、全体になんだかフンワリして、印象が薄かった。亡霊の動きがキビキビしてて、マイクを通して響く亡霊の声もテキパキしてて、なんとも軽い。場面転換のとき流れる音楽も、妙に軽い。ローゼンクランツとギルデンスターンが男女になっていたけど、間違われやすい二人、という設定がなくなる以外の効果はなんなんだろう? 劇中劇も軽けりゃ、クローディアス(福井貴一)の懺悔も軽い。なんか、終わるとすぐ忘れるような印象の薄さ。
 衣装もイマイチだった。特にレアティーズ(青柳翔)、フォーティンブラス(村上虹郎)、ホレイシオ(竪山隼人)の衣装、地味すぎ。みんな日本人的な中肉中背なので、舞台映えしない。
 
 オフィーリア(黒木華)が狂ってみんなに花を配るところ、自分の髪をごっそり抜いて配るのがショッキングだったり、ホレイシオの竪山隼人が予想通りのニンで、限りなく優しいホレイシオだったり、文句は言ったものの岡田将生は美しくナイーブなハムレットを造形してたりして、観に行って良かったとは思うの。
 でも、いろいろ勿体なかったなって感じること、しきり。そして、チラシにはプロデューサーの名前がなくて、文句の持って行きどころがないのが、なんとも最近の日本、って感じ。責任者がいないのね・・・。隠れるなよ。

加藤健一事務所の『Taking Sides』

 異様に暑い5月の下北沢。5月25日(土)マチネ、本多劇場。
 
加藤健一事務所『Taking Sides〜それぞれの旋律』
作/ロナルド・ハーウッド 訳/小田島恒志 小田島則子
演出/鵜山仁
出演 加藤健一 今井朋彦 加藤忍 小暮智美 西山聖了 小林勝也
 
 3月に観たパラドックス定数の『Das Orchester』のあと、この企画のことを知り、即座にチケットを取ったの。
 同じフルトヴェングラーの、戦前の姿を描いた『Das Orchester』に対し、戦後の姿を描いている『Taking Sides』。タイムリーというほかないわ。
 
 ただ・・・これはマダムの不覚なんだけれど、あまりに暑い中、本多劇場にたどり着いたときに、体調悪くなってしまったの。目の前に白っぽい閃光のようなギザギザが見え始め(これが現れると大抵その後、偏頭痛に移行する)、目を半開きの状態で舞台を観る羽目に。
 以下、集中力が普段の半分以下に低下してしまったマダムのレビューなので、解釈の間違いや、勘違いなども大いにあるかも。正直、レビューを書くかどうか迷ったの。その辺、割り引いて、読んでね。

 
 戦後のベルリン。連合軍が駐留し、戦後処理をしている。連合軍取調官のアメリカ人、アーノルド少佐(加藤健一)は、がれきだらけの街なかの古い建物の一室で、ナチスの協力者を告発すべく、取調に余念が無い。アーノルドの狙いは、世界的に有名なベルリンフィルの指揮者フルトヴェングラーがナチス協力者であったかを明らかにすること。アーノルドは、本人を尋問する前に、まず、その周りにいた人々に聴取していく。戦争未亡人のタマーラ(小暮智美)やベルリンフィル第二ヴァイオリン奏者のローデ(今井朋彦)に聴取する序盤、アーノルドの人となりが浮かび上がってくるの。
 アーノルドは軍に徴収される前は保険会社で働いていた男で、現実主義者。音楽にも芸術にも興味が無い。だからフルトヴェングラーに対する敬意もないし、畏怖する気持ちもない。一方、アーノルド以外の登場人物は、部下たちでさえ、フルトヴェングラーのファン。秘書エンミ(加藤忍)は、ヒトラー暗殺を企てた英雄の娘なのだけれど、それでもフルトヴェングラーの味方であることを隠さないし、アーノルドの態度に反発する。
 実際、フルトヴェングラーが後ろ盾となって亡命させ、助かったユダヤ人がたくさんいたので、ドイツ人たちの殆どがフルトヴェングラーに同情的なのね。
 つまり、アーノルドは孤立無援。しかも、現実主義者なのに加えて、やり方も汚い。金に困っているヴァイオリン弾きのローデに「いろいろ教えてくれたら仕事を紹介してやるよ」と言ってなびかせ、フルトヴェングラーの私生活について聞き出す。後半ローデは、取調室の見張りのアルバイトにありついて、フルトヴェングラーを売る方へ回る。
 ついに尋問にやってきたフルトヴェングラー(小林勝也)に椅子を薦めないでしばらく立たせたり、硬い方の椅子に座らせたり。フルトヴェングラーの、短い、そっけない返答に対し、重箱の隅をつつくように反問するアーノルド。近くにいたらホントに嫌な奴だよ〜。
 ただ彼の執拗さの中には、ナチスの罪を追及するんだという信念がある。それは、戦後まもなくユダヤ人収容所を訪れた時の、4マイルも先から臭っていた肉の焼ける臭いが忘れられないから・・・なのだ。
 そして、その執拗な尋問が進んでいくにつれ、フルトヴェングラーがナチス協力者ではない、と言い切れない事実が、少しずつ、明らかになっていく。
 追及していくのは、何度もチャンスがありながら、なぜフルトヴェングラー自身が亡命しなかったのか、という点に絞られる。彼の女性関係のだらしなさも暴かれる。そして最後には、亡命せずにベルリンに居残った最大の理由がわかってくる。それは、若いカラヤンにその座を奪われたくなかったからではないか・・・?ということだった。
 
 というお話。
 題名が示している通り、芸術のために取った行動をよしとするのか、影響力あることを自覚しながらナチスに利用されたことを責めるべきなのか、あなたはどっちに立ちますか?という問いかけ。それが、この作品のテーマで、とても面白い台本。
 最初に言ったようにマダムは頭痛と戦いながら観たので、今から述べる不満は、まるで見当違いの可能性があるけれど、でも感じたままを書くね。
 芝居の途中から、マダムは完全にアーノルド側に立った。ただそれは、小林勝也演じるフルトヴェングラーの存在感がちょっと弱かったから。エネルギー溢れる加藤健一の芝居とテンポが噛み合ってないように思えたの。この内容ならば、もっともっと火花散る感じになってもおかしくなかった。
 それと、「ユダヤ人演奏家が亡命していなくなったおかげで第二ヴァイオリンになれた」ローデの描かれ方も、もっと皮肉の効いたものになってもよかったのに。ユーモアは大事だけど、ユーモアにくるんだ演出のせいでシャープさが失われたと思う。今井朋彦の凄さを知っているマダムとしては、とても残念。
 
 そうは言いつつ、万全の体調で観たいので、再演してくれたらいいな。『Das Orchester』と連続上演がいいと思う。

推し全年代制覇

 先日、岡本健一が50歳の誕生日を迎えたと聞き、おー、遂にこの日がやってきた、と嬉しくなり、みんなにご報告。
 マダムの推し、全年代制覇である。つまりね。
 
 70代 風間杜夫
 60代 吉田鋼太郎
 50代 岡本健一
 40代 横田栄司
 30代 浦井健治

 だからどうだ、と言われると別にどうってことはない。
 何年か経つとすぐ変動するしね。
 20代の候補の注目株は、今のところ、伊藤健太郎なのだけれど、彼はまだ舞台俳優とは呼べないしね。岡田将生は美しすぎて、評価できない感じだし(それにすぐ20代じゃなくなっちゃうし)。三浦春馬も来年には30だし。
 各年代ひとりに絞ろうとかいうんじゃないの。ないけど、増えすぎるとこちらが保たない(エネルギーも、時間も、金銭も)ので、ひとりずつくらいがバランスいいのよ。
 
 ま、こんなこと言ってても、何かが起こって、信じられないような相手と恋に落ちて半狂乱、ってこともあるかも。人生、わかんないから。

柳楽優弥の『CITY』を観る

 平日の夜公演は、この回のみ。いくらなんでも少なすぎない? 5月23日(木)ソワレ、彩の国さいたま芸術劇場大ホール。
 
『CITY』
作・演出/藤田貴大
出演 柳楽優弥 井之脇海 宮沢氷魚 青柳いづみ 内田健司 續木淳平
   菊池明明 佐々木美奈 石井亮介 尾野島慎太朗 辻本達也
   中島広隆 波佐谷聡 船津健太 山本直寛
 
 藤田貴大といえば「マームとジプシー」。マダムは何本か観て、好みではなかったので、暫く観ないでいた。今回は、久々の舞台出演の柳楽優弥に関心があって、行ってみたの。
 観てまず思ったことは二つ。
 一つは、藤田貴大、日本のルパージュを目指すのか⁈ ということ。
 もう一つは、柳楽優弥が舞台俳優として抜群に魅力的だったこと! この作品は、柳楽優弥のデビュー作(映画)「誰も知らない」の後日談として発想されたものなんじゃないかな。つまり、柳楽優弥へのオマージュだ、ってこと。
 
 「誰も知らない」(是枝裕和監督作品)は、母子家庭の母親(つまり唯一の親)にネグレクトされたせいで餓死寸前に追い込まれる子供達の話で、柳楽優弥は長男役だった。下に3人の弟妹がいて、妹はネグレクトの末に死んでしまい、長男はその死が自分の責任だと思い込む。
 柳楽優弥を世界的に有名にした映画だけれど、デビューで高みに上りつめてしまった彼はその後の俳優活動で壁にぶつかり(てか、あたりまえだよね。いきなりカンヌで最優秀男優賞って、すごいけど重すぎる)、暫く低迷する。役者を辞めちゃうかしら・・・と思っているところに蜷川幸雄演出「海辺のカフカ」のカフカ役で初舞台を踏んだ。御大のキャスティングセンスに負けて観に行ったマダムが思ったのは、「まだ壁にぶつかったままなのかなぁ。体が重そうだ」という感想だった(その時のレビューは→ここ)。
 デビュー映画から15年。いろいろ乗り越えて、いま柳楽優弥はすごくいい役者になってる。乗り越えたからこそ、「誰も知らない」の後日談のような設定を飄々と演じている・・・。
 

 ぼく(柳楽優弥)は、母親に捨てられた孤児で、同じく捨てられた妹とともに施設で育つ。今は施設を出て、妹(青柳いづみ)とCITY(東京)で暮らしている。
 施設には謎の力(超能力のようなもの?)を持った子供たちが集められていて、管理されている。逃げ出そうとする子供は捕らえられて、殺されてしまうこともあり、そういう時は「右腕さえ切り落としておけば」大丈夫だ、と捕まえる側の男たちは囁きあう。
 「ぼく」は街で襲われた人を助けたりするうち、人の右腕を集めている猟奇的なコレクター(内田健司)と戦う羽目になったり、幼なじみ(宮沢氷魚)を失ったりする。やがて妹が行方不明になり、探し当てた時には妹はサイボーグ化されて、敵(?)との戦いに担ぎ出されようとしていて・・・。
 
 というようなお話だった。説明不能。あー、全然理解できてないねー。落ち込むわ。
 理解できてないのに、こんなこと言うのはなんだけど、お話自体はどこか安直で、そこが浅いように感じてしまった。別にCITY(東京)の今を鋭く突いてるわけでもないし。
 なによりも、主人公が刺されて終わるのがメチャクチャ安直でしょ。どうにも終わらせられなくなって主人公が殺されて終わりのドラマ、山ほど見てきたけど、そういう意味なく意味ありげなのは嫌いよ。
 
 だけど、舞台効果(装置、照明、音楽、音響、プロジェクションマッピング、技闘、の組み合わせ)が凄かった! 日本のルパージュって口走っちゃったのは、そこなのよ!
 さい芸の大ホールは席数700ぐらいのわりに、舞台の高さと奥行きと袖の大きさがたっぷりなので、藤田演出、自由自在。
 いくつもの長方形の白いボードを役者たちがどんどん動かして、次から次へと目まぐるしく場面を転換させていく。ボードは壁になり、部屋を作り、鏡になり、塀となって道を作り、倒れた屍体を隠し、巨大なスクリーンになって、街の夜景を映し出す。陳腐な例えだけど、ホントに手品のよう。流れるように場面が移っていく。役者も実は、舞台効果のパーツの一つに過ぎなくて、舞台効果という巨大な生き物が変化していく様をドキドキしながら楽しんだの。
 技闘(アクションをつける人)は栗原直樹という人なんだけど、なんと吉田鋼太郎演出『ヘンリー五世』の技闘をやった人だ。180度違う方向性の作品それぞれにぴったり沿う技闘をつけるプロの仕事ね。感心する。

 マームとジプシーの特色のひとつに、同じシーンを繰り返す、というのがあるのね。リフレインが畳み掛けてきて、やがて観客はトランス状態になる。マダムはこのトランス状態が苦手なので、あまり観なくなっちゃったんだけど、今回の大ホールだと、空間が大きくて、トランス状態が起きない。マダムにとっては良かったけど、マームファンはどうだったんだろうね。
 リフレイン効果はさておき、『CITY』に関しては舞台効果に力が入って、テーマは薄かったね。
 
 そしてそして、最後に柳楽優弥!だ。
 この人は、やはり只者じゃなかったよ。台詞にこもるパワー、とてつもない(マイクなしでも良かったのでは?)。体の動きもしなやかで躍動感にあふれ、美しい。同じシーンが繰り返されても、彼のことは見飽きない。並んだ白いボードの脇に白い光の道が作られ、柳楽優弥は何度もただ歩く。その姿にイマジネーションが掻き立てられる。アクションも柔らかくて強くて、いちいちストップせず、動きが流れるよう。役者たちのほとんどが同じような白い衣装を着ている中に混じっても、しなやかさはピカイチで、すぐ彼に目が行き、彼を追ってしまう。
 どんな作品が向いているかはわからないけど、ぜひまた舞台に出てほしい。待ってるよ。

AUN Age 旗揚げ公演『オセロー』

 浅草の街は、三社祭で賑わってた。5月18日(土)マチネ、5月19日(日)マチネ、浅草九劇。

 
劇団AUN Age.1『オセロー』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/小田島雄志
監修/吉田鋼太郎 演出/長谷川志
出演 沢海陽子 橋倉靖彦 松本こうせい 谷畑聡 杉本政志 齋藤慎平
   飛田修司 桐谷直希 
河村岳司 悠木つかさ 水口早香 近藤陽子
  
 星和利 砂原一輝 松尾竜兵 
 

 観終わって最初に頭に浮かんだのは、「日本シリーズを経験するとキャッチャーはこれまでにない成長を遂げる」(©野村ヤクルト元監督)という言葉だった。
 野球をご存じない方のために補足すると、つまり、短期間であっても大舞台を経験すると選手はグンと成長する、ってことで、これは芝居における役者も全く同じなんだなあ、と感じたの。
 劇団AUNは、主宰の吉田鋼太郎が忙しくなってしまいシェイクスピア公演を打てなくなってきていたけれど、若手の演出家、長谷川志が育ってきて、Ageというシリーズを始めることになった。大歓迎!常に面白いシェイクスピアを求めているマダムにとっては僥倖だー。
 でも、いきなり、オセローとは、勝負に出たね。
 しかも、これまでAUNの舞台で主役クラスを演じていない役者たちを真ん中に据えて。
 
 
 
 雨が降っている。
 暗い夜、雨がそぼ降り、傘をさした二人の男が、ボソボソと不平不満鬱憤をつぶやきあっている。「オセロー」ってこんな始まりだったっけ? 不穏な感じに、一気に引き込まれる。とてもいい滑り出し。
 舞台上にはセットらしいセットはなく、したがって場面転換も必要なく、台詞のやり取りだけでどんどん進んで行く。悪漢イアーゴーの怨念こもった台詞に乗せられる。齋藤慎平のイアーゴー、屈折感ハンパなく、これまでの陽性の演技の下に隠れていた鉱脈を発見した気がした。台詞が嫉妬、逆恨み、言いがかり、悪巧み付きで、ビシビシ届いてくる(千秋楽は声が枯れてて、残念。喋りまくりだもんね、イアーゴー)。
 一方の谷畑聡のオセローは、静けさで、背後にある巨大な熱情を押しとどめていて、軍服の似合う屈強な男だった。彼の演技にはさらに驚いたよ。やはり陽性のイメージがあったので、真面目一点張りの静かな口調に、違う人かな?って感じるほど。台詞の運びと、激情に駆られる演技がまた、吉田鋼太郎にそっくり(そっくりなのは悪くない。そっくりなところまでできる技術が、すごい。その上にオリジナリティが乗ったら、どれほどになるかしら)。
 
 オセローは難しい芝居ね。四大悲劇の中で、いちばん難しいのじゃない? 日本では上演機会が少ないと思うし、マダムはこれまで観た(中継映像も含め)なかで、腑に落ちたことがない。なぜかというと、物語の背後にずっと流れているだろうオセローに対する「差別意識」を、観客が受け取れないから。日本人の観客が受け取れる演出に今のところ出会えない。差別意識の存在を受け取れないと、オセローがただ「騙されるバカなやつ」に見えてしまって、大きな悲劇にならない。
 オセロー自身は差別されるはずがない、という態度だし、実は隠れ持っているコンプレックスも、見えづらい。そのコンプレックスを突かれたからこそ、突然罠に落ちるんだけれども、コンプレックスの表現が難しい。
 今回もそこのところの演出はうまくいってなくて(ていうか、うまくいってる演出を見た経験がないんだけど、ありうるのかしら?)、オセローを演じる役者の、感情の振り幅だけに頼っている気がした。ホントに大変な役だよ・・・。
 
 一方で女たちの描かれ方はとても良かった!
 無実の罪を着せられて不幸のどん底に嘆くデズデモーナ(悠木つかさ)には、普段は泣かないマダムの眼にも涙が浮かんだし、デズデモーナに寄り添うエミリア(水口早香)とは一緒になって憤ることができたの。特に、デズデモーナが殺された後のエミリアは圧巻。命をかけてオセローや夫イアーゴーを糾弾する台詞が、本当に素晴らしくて、ぐいぐい揺さぶられ、心鷲掴み。
 シェイクスピアの台詞って、役者の気持ちがちゃんとそこに乗って届けば、こちらを揺さぶるようにできているのね。
 
 あといくつか、気がついたこと。キプロスの勝利の夜、男たちが足を踏み鳴らして踊るシーンが印象深く、そうか、この芝居は荒っぽい軍人たちの物語なんだって思って! 重要なことだ。血気盛んで、殺気立ってる集団のなかで起こる事件なんだね。
 それと、オセローがデズデモーナを絞め殺すベッドだけはセットがあって、薄明かりのついた(わざと見せる)暗転でベッドが運び込まれ、シーツをセッティングするのがイアーゴーなの。皮肉が効いてる演出で、好きだな。
 
 シェイクスピアはどんなアレンジも受け入れる懐の深さがあるけれど、基本は「台詞をどんなつもりで言ってるか」と「それを周りはどう受け取ったか」が表現できるか、それだけだし、またそれができてなければ、どんなアレンジも無駄なんだよね。AUNはその基本ラインを絶対にはずさないので、すごく信頼してる。
 Ageシリーズが次々、上演されるのを待ってます。

ロバート・キャンベル著『井上陽水英訳詞集』を買う

 ロバート・キャンベルの『井上陽水英訳詞集』(講談社)という本を買った。3000円近くするズシリと重い本だ。
 
 実を言えば、今、マダムは失業中なのね。失業保険をもらいつつ、仕事を探しつつ、暮らしてる。
 失業保険も出ているし、蓄えも少しはあるから、別に今すぐ困るわけではない。けれど、何が困ると言って、仕事をしていないと、余計なお金がかかるの。
 時間がたくさんあるので、長いことあっていなかった友達に連絡を取って会いに行く。ずっとほったらかしになっていた家の中の小さな不具合を直したり、壊れたものを買い替えたり、手を入れる。忙しくてチャレンジできなかった料理を作ってみる。少し遠くまでドライブしてみる。・・・皆お金のかかることなの。
 芝居のチケットは大半が失業前に買ってあり、今はその予定を粛々とこなしている。時間があるからといって、更に予定を詰め込んだら、たちまち予算オーバーだから、そこはブレーキがかかる。・・・というよりも、予算だけじゃなく、なにか精神的にもブレーキがかかってる。
 フランスかどこか、失業者はタダで美術館とか劇場(?)とかに入れると聞いたことがある。失業してみて思うけど、それはなかなか理にかなってるよ。仕事がないという状態は、精神的に不安定になりやすいから、そういう娯楽が必要なんだよ。でもいちいちお金がかかるから、そうそう出かけてもいられない。
 というわけでマダムは、前にも増して図書館にせっせと通い、せっせと本を読んでいる。
 マダムの小さな家の本棚はぎっしりと詰まっているので、これまでもなるべく本は図書館で借りるようにしてきた。本を増やさないように努力してきた。お金も場所も節約できて、図書館はあらゆる意味でマダムの味方だ。今、一番はまっている作家は、津村記久子。
 
 しかし、どうしても、自分のものにして、ゆっくりと好きなときに好きなだけ読んだり眺めたりすることが必要な種類の、本があるのね。
 ロバート・キャンベルが『井上陽水英訳詞集』を出したと知ったのは2、3日前だったのだけれど、マダムのための本だ、と直感したの。もう絶対に手に入れなければならない。
 というわけで読み始めている。まあ、なんという、豊かな言葉の世界なんだろう。
 お金に問題がないのなら、ずっとこの世界に没入したままでもいいくらいなんだけど。
 まあ、そういうわけにはいかないよね。
 
 こんな状態がずうっと続くなら、どうしても入手したい本がもう一冊あってね。今もまだ、手に入るだろうか。トリュフォーの『ヒッチコック 映画術』という本だ。トリュフォーがヒッチコックにインタビューした本で、ヒッチコックの作品をほぼ網羅している。
 この本を読みながら、ヒッチコックの作品のビデオを一つづつ観ていく。
 もうそりゃ、人生の夏休みだね。
 いや、冬休みかしらね、この歳だしさ。

『ピカソとアインシュタイン』を観る

 連休中の大手町。閑散としてて、歩きやすいこと! 4月29日(月)マチネ、よみうり大手町ホール。
 
『ピカソとアインシュタイン 〜星降る夜の奇跡〜』
作/スティーヴ・マーティン 翻訳/香坂隆史 ドラマターグ・演出補/池内美奈子
演出/ランダル・アーニー
出演(ローズーチーム)岡本健一 川平慈英 水上京香 吉見一豊 間宮啓行 
   香寿たつき 松澤一之 村井良大 三浦翔平
 
 1997年と2000年に、岡本健一と川平慈英の主演で上演されたものの、新訳での再再演なのだそう。
 当時マダムは泥沼の(?)子育て真っ最中で、この公演のことは知る由もなかった。なので今回も予備知識なく、初見だったのだけれど。
 出演者はみんな芸達者で、美しく楽しい舞台だったわ。
 ただ、この台本(世界初演は1993年だそうだ)は20世紀のもので、もう賞味期限が切れているのでは?と感じたことも事実。その辺りも含め、ネタバレありで書いていくね。
 
 
 舞台はパリのバー「ラパン・アジール」。そして時は1904年。
 アインシュタインはまだ相対性理論を発表する前だし、ピカソもまだ無名の時代に、偶然二人がラパン・アジールで出会っていたなら…という想像上の、ある夜の物語。
 アインシュタイン(川平慈英)は、髪ボサボサで、突拍子もない発想を自信たっぷりに喋る若者。今日も、どこか別のバーで待ち合わせしている女性を、わざわざ違うラパン・アジールで待っている。待つ間、店主のフレディ(間宮啓行)やウェイトレス(香寿たつき)や、客のギャストン(松澤一之)と話すのだが、彼が天才的な物理学者とは誰も知る由もない。
 そこへシュザンヌ(水上京香)という若い女が現れ、一同はその美しさにすっかり目を奪われる。シュザンヌは一夜を共にした若い画家のことを探していて、彼との情熱的な出逢いについて語る。そこに偶然やってきたピカソ(岡本健一)こそシュザンヌの相手だったのだが、女たらしのピカソは彼女の顔をすっかり忘れていて、初めて会ったつもりでシュザンヌを口説く。
 そこで繰り広げられるゴタゴタの中から、やがてアインシュタインとピカソは自分たちが求める真理について語り始め、物理学者と画家はこの世紀を自分たちが切り開く、と意気投合する。二人の夢(妄想?)の中に、未来からの訪問者(明らかにエルビス・プレスリー。三浦翔平)が現れて、二人を祝福し、ラパン・アジールは星降る夜となる・・・。

 というようなお話。最初のうちはリアルな会話劇のようで、途中から一気にファンタジーになる。
 リアルな、といってもスティーブ・マーティンだから、どこまでも温かなコメディなんだけど。
 岡本健一、川平慈英をはじめ、皆上手い人たちなので、さりげない会話も聴いていて面白く、飽きさせない。その中でマダムが感心したのは、シュザンヌをやった水上京香。
 出てきた瞬間から若い美しさで、周りの目を奪い、ピカソとの夜の話をあけすけに喋りながらも下品にならない女・・・これはとても難しい役。若くなくてはいけないので、当然若い女優がやるわけだけど、こういう役をやって説得力ある人、なかなかいないよ。日本の女優だと、普段可愛らしいことを求められがちなので、美しくて魅力的で媚びなくて強い、っていうのが演れない人がほとんど。水上京香って誰?と思ったんだけど、『ゲゲゲの先生へ』に出てたらしい。衣装が違いすぎて、記憶と一致しないわ。
 
 初演から20年経って、岡本健一も川平慈英も何十倍も上手くなってると思うのだけれど、やはりこれは若者の芝居なので、当時、観たかったな。すごく瑞々しかったに違いないもの。
 その点では、マダムが行かなかったブルーチーム(アインシュタインを村井良大、ピカソを三浦翔平、プレスリーを岡本健一!)の方が台本に合っていたかもね。
 ただし、それでも、この台本を今、上演することで伝わることはなんなのかしら、という疑問は拭えない
 だってこれは、20世紀を代表するような学者と芸術家(とロックンロールの創始者)の物語で、20世紀末にみんなが「今世紀を振り返り、次の世紀へ進んでいこう」とするための芝居。20世紀末に、最も旬だった本なの。
 だから21世紀に入ってもう20年近く経っちゃってて、しかも、9.11や3.11を経験してしまった私たちにとっては、凄く古びた台本なのね。今やるためには、何かを変える必要があった。
 
 それでね、改めてチラシの解説をよく読むと、「奇しくも日本が平成から新元号に変わる、時代の幕開けに本作が上演される。」と書いてあった。
 やられたね。新元号にあやかろうという企画だったのか。もう全然、的外れというほかない。
 むしろ、全くそんなこと関係なく、この芝居を今やる意味をちゃんと考えていれば、何か違うものになった可能性があるのに。
 
 「芝居はプロデューサーで選べ」と言ってくれた人がいるので、この芝居のプロデューサーが誰なのか名前を探してみたけど、チラシのどこにも載ってなくて、サイトにも載ってなかった。
 これじゃ選びようがないよね。

圧巻の三浦春馬と小池徹平『キンキーブーツ』

 連日の渋谷通い。4月25日(木)ソワレ、東急シアターオーブ。
 
『キンキーブーツ』
脚本/ハーヴェイ・ファイアスタイン  音楽・作詞/シンディ・ローパー
日本版演出協力・上演台本/岸谷五朗  訳詞/森雪之丞
演出/ジェリー・ミッチェル
出演 小池徹平 三浦春馬 ソニン 玉置成美 勝矢 ひのあらた ほか

 

 初演の評判を聞いて、是非観たいと思ってたの。
 楽しかったー!

 
 最初にひとつ、文句を言っておきたい。13500円も払って、オーブの2階の、後ろから2列目って、なんなの⁉︎
 1階の1列目から、2階の後ろまで全部S席13500円って、ぼったくりでしょ。しかも買うとき席は選べないんだから。
 こんな売り方をするから、前方席を高く売るダフ屋が横行するんでしょ。
 めんどくさがらずに、席をもっと細かく分けて値段をつけましょうよ。例えば、前から5列目までは2万、10列目までと2階の1列目は1万5千円、残りの1階は1万3千円、残りの2階は1万2千円・・・以下略。
 今の状態では、差額をダフ屋が儲けてて製作側にはびた一文はいらない上に、観客の余計な出費と、度重なる不満が膨らむばかり。いいことはひとつもない。あるとしたら、製作側が怠慢のままラクができること。チケット屋が前方席に勝手にプレミアをつけて、美味しく儲けてること。
 芝居が素晴らしかったからこそ、みんな、黙っていてはいけないわ!
 こんな酷いの、日本だけなんだからね。(日本だって、歌舞伎座はちゃんとやってる。やる気があればできることなのよ。)
 
 
 さて、気を取り直して、内容の話だ。
 とにかく楽しい!ローラ(三浦春馬)を始め、衣装はパンチが効いて美しいし、全員あのヒールで歌い踊るのが迫力十分。シンディ・ローパーの曲がさすがで、「今」を描く「今」の曲なの。
 お話の背骨にはしっかり社会的な問題があるんだけど、芝居全体をショーとして楽しく見られるように作ってて、盛り上がること盛り上がること。よくできたミュージカル。『ビリー・エリオット』と比較されてるみたいだけど、さもありなん。
 で、日本で上演する時、社会性が薄まっちゃうことがあって、『ビリー・エリオット』はその最たるものだったんだけど、『キンキーブーツ』はまあまあ踏みとどまってる。
 手放しで褒められないのは、田舎町のローラへの偏見が、ドンひとりに背負わされてる気がしたから。
 そんなもんじゃないんじゃない? ドラアグクイーンを見る目って。
 
 どうしても三浦春馬に注目が行ってるので(もちろん三浦春馬、素晴らしいんだけど)、敢えて小池徹平をまず褒めたいわ。チャーリーの造形が凄くしっかりしてる。田舎の実家を捨てようとした若者が「いや待てよ。僕はどんな人生を選びたいんだっけ?」って迷いながら、倒産寸前の靴工場を再生していく。観客はチャーリーに連れられてお話の世界に入っていくし、チャーリーと共にローラを受け入れていく。チャーリーは、テーマそのものの人物。彼がしっかりしてるから、ローラの三浦春馬がなお一層輝くのよ。
 小池徹平の歌を聴くのは「デスノート」のL以来で、あの時も再演で一段と上手くなっていて感心したんだけど、もう堂々たるミュージカル俳優だね。歌の上手さの土台に、演技の確かさがある。体は小さいけど、小さい人には相応しい役がちゃんとあるのよ。今回のチャーリーは、デカいローラに対し、小さいチャーリーがバッチリはまってる。
 それとソニン!彼女の上手さには舌を巻くよ。声の幅(表現の幅)が広いこと。田舎町の女の子の人の好さと、田舎臭さと、度胸の良さを全部生き生きと表現してた。演技という点では今、他に並ぶもののないくらい良いミュージカル女優だー。
 
 そして言わずもがなの三浦春馬。
 マダムは彼の舞台を観るのは初めて。WOWOWの舞台中継映像とかでは観ていて、歌も踊りもいけてイケメンでカッコイイのは承知だったんだけど、これほど全身全霊、舞台役者魂の人だったとは!舞台好きオーラ出まくり。演じ甲斐のある役だもんね、ローラ。もうテレビドラマなんて緩くって、出られないんじゃないの?(出なくてよいです)
 
 
 SNS上では、変なところで笑いが起きるのがよくないとか、差別だとか、意見があるのだそう。でもマダムは、観客がどの時点でどんな反応するかまで、どうこう言えるのって誰かな、って思う。自分では「偏見なんかない」と思っている人だって、現実には人を「ありのままに」受け入れられない場面に直面するわけで(芝居の中でチャーリーは、そういう自分に気がつく)。見始めた時にはローラを笑ってた人が、芝居見終わったら笑わなくなるかもしれない。たとえその一瞬の効果だったとしても。だから、「ここで笑うのはよくない」みたいなことは、うかうか言えないと思うのよ。芝居の力を信じて委ねるところがあってもいいんじゃない?
 
 すごく楽しかったので、再再演があるとしたら、もう少し近い席で見たいもんだ、と思ってる。

大人の会話劇『LIFE LIFE LIFE』

 渋谷の街がどんどん苦手になる。4月24日(水)ソワレ、シアターコクーン。
 
シス・カンパニー公演『LIFE LIFE LIFE』
作/ヤスミナ・レザ 
上演台本・演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演 大竹しのぶ 稲垣吾郎 ともさかりえ 段田安則
 
 一頃必ず観ていたシスカンの芝居に、最近行かなくなっていた。
 役者の事務所だから、役者ありきで企画するの、当然なのだけれど、ここのところなんだか無理を感じることが増えてたのね。段田安則に、ずいぶんと若い役をやらせていて、首を傾げたり。そうかと思うと、人気役者がぎっしり連なっていて、内容云々の前にチケ難すぎて、戦わずして諦めたり。
 今回も諦め気味のパターンだったんだけど、友人がゲットしたのに便乗できた。ラッキー。
 
 シアターコクーンの細長い客席を真ん中で割って、そこに舞台を作ってある。普段舞台があるところには座席が作られて、舞台を挟み込んでいる。さらに、舞台の脇にも特設席が作られていたので、役者は全方向から見られてる状態。
 コクーンではたまにこの形の舞台を作る。マダムは結構好き。細長くて後ろの席が遠いコクーンの欠点をカバーできて、どこからでも役者の表情が見える。
 それが今回の舞台では大事だった。ニュアンスの芝居、だったから。
 
 ある夜。物理学の若手研究者アンリ(稲垣吾郎)と妻ソニヤ(ともさかりえ)の家のリビング。ソニヤがPCに向かって仕事をしているところへ、アンリが、子供が寝ないからお菓子をやっていいか?と訊きにくる。そこで軽い口論をしていると、アンリの上司夫妻(段田安則と大竹しのぶ)が突然、来訪する。アンリとソニヤは、上司夫妻をディナーに招いた日を、間違えて翌日だと思っていたのだ。やむをえず二人は台所にあったスナック菓子とワインを出して、夫妻をもてなし、2組の夫婦の奇妙で辛辣なトークが繰り広げられる・・・というお話。

 この芝居の特色は、この設定はそのままに、少しずつ違う3つのパターンで芝居が繰り返されるところ。だから『LIFE LIFE LIFE』なの。
 変えている部分は例えば、アンリがほぼ完成させて、あとは発表するだけになっている物理学の論文が、他に先を越されているかもしれないという問題について。ショックを受け絶望ばっかりしているパターンと、すぐ友人に他の論文の内容を確認して、大丈夫だと安堵するパターン。
 例えば、上司が、部下の妻であるソニヤに目をつけている設定は同じなんだけど、初めて言い寄る場合と、すでに不倫関係にあるパターンと、適当にあしらってるパターンと。
 つまり、3つの芝居では、アンリ、ソニヤ、上司、その妻の4人とも、少し違う性格を与えられていて、同じような設定の中で、微妙に違う会話劇を繰り返すの。ズレが面白くて、ニヤニヤしながら観る芝居。
 これ、役者が下手だと絶対に成り立たない芝居だよね。
 大竹しのぶと段田安則が上手いのはみんな知っていることだけれど、マダムはここ数年、見飽きたように感じていたの。でも今回は、二人とも凄くよくて、出てきたときから、大竹しのぶと段田安則であることを忘れさせてくれた。演出がちゃんと、ベテラン二人の中にある引き出しを開けさせて、役の性格をきっちり作っていたから。ホントに上手い役者って実は綿密に演出を受けてこそ、自由を獲得するんだなぁ。
 若い方のペア、稲垣吾郎とともさかりえも、よかった。喧嘩したり、絶望したり、虚勢を張ったり、皮肉を言ったり、がすべてカラッとしてて、ユーモアを内包してて。席が近かったので、ソニヤの聞き捨てならない台詞にアンリの目の色が変わるのまで見えて、ワクワクした。
 稲垣吾郎の舞台出演作のチョイスが、とてもいいな。ずっと観ていきたい人なのだけれど、チケット争奪戦だけが頭痛の種だ。
 
 フィンガーチョコレート、最近見かけないけど、食べたくなった。

« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »

2019年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

関係するCD・DVD