深さの足りない『笑う男』
暖かくて穏やかな観劇日和。4月20日(土)マチネ、日生劇場。
『笑う男 ー永遠の愛ー』
原作/ヴィクトル・ユゴー
脚本/ロバート・ヨハンソン 音楽/フランク・ワイルドホーン
歌詞/ジャック・マーフィー 演出/上田一豪
出演 浦井健治 夢咲ねね 朝夏まなと 宮原浩暢 石川禅 山口祐一郎 ほか
本邦初公開のミュージカル。
あらすじは、ホームページなどにあるので、書かないね。
衣装が凝っていて、すごく素敵。装置も工夫があって楽しい。音楽も美しい旋律。役者は、芸達者が揃ってる。なので、これから文句言う箇所のうちせめて2つくらいちゃんとしてたら、普通に見応えある芝居になったのに。終わった瞬間、マダムは心の中で「え゛〜っ⁉︎⁉︎⁉︎」と叫んだの。残念度が高い。
観た友人たちが口々に言ってるように、とにかくお話に深みがない。どれくらい浅いかというと、潮干狩りが出来るくらい。深いところがないの。
17世紀のロンドン。赤ん坊のときにさらわれて、口の両端を裂かれて、見世物小屋に出されて、人さらいからも捨てられ、拾ったもらった興行師のところで、やっと居場所を得て生きてきた青年グウィンプレン(浦井健治)が、主役。今、さらっと言ったけど、この、世にも過酷な運命を背負ってるはずのグウィンプレンの造形が、まるっきり明るくて元気で愛されてて、出てきた瞬間から幸せそうなので、ずっこけた。異形の人なのに、内面に抱えているものが全くないの。これでいいと本当に思ってるのか、演出家。
盲目の妹(として育った)デアと二人、繰り広げるショーも、グロさがなく、怖いもの見たさのゾクゾク感が皆無。口を裂かれた男が「笑う男」として自分を売り物にしている場末の見世物小屋。題名にもなっている「笑う男」のお披露目なのだから、もっと強烈なインパクトがないと。
デアの造形も、ワンパターン。脚本にも書き込まれてないんだろうけど、儚げで無垢、なのはわかるけど、それだけでヒロインとして魅力的とは思えない。妹として接してきたグウィンプレンの気持ちが、恋に変わる瞬間がちゃんと描かれていない。いつから恋になったの?
デアにとっての恋敵、ジョシアナ公爵(朝夏まなと、好演!)は面白い存在なんだけど、これもパターンっぽい造形なのよ。出てくる女が、峰不二子みたいな肉感的ファムファタルか、宮崎アニメのヒロインみたいな小ちゃくて可憐な純真無垢、の両極端な二種類しかないの。底が浅い浅い。
マダムがビックリしたのは、グウィンプレンが実は、貴族の息子だったということで、貴族の館に連れて行かれ、ボロの服から純白の凛々しい衣装に着替えさせられるところの演出。衝立が外されたら、なんとそこに現れたのは・・・国王ヘンリーだった!と言いたいくらいの、キングオーラが出てたの。いやあ、素敵なのよ、浦井健治。
でもね、ここでキングオーラ出てるの、完全な間違いだとマダムは思うのよ。だって、グウィンプレンがいくら貴族の血筋だったにせよ、ずっと最底辺の暮らししてた人なのに、美しい衣装着せられた途端、キングオーラが出ちゃまずいでしょう?
浦井健治はヘンリー王やって、マクベスもやってるから、ああいう凛々しい衣装を着せると、自動的にキングオーラが出ちゃうの。でも、演出家が「そこでキングオーラ出さないで」と指示すれば、出さないこともちゃんとできるんだよ。だから演出家が出さない指示するどころか、喜んで出させてたとしか思えない。ファンサービスのつもりだとしたら、ファンをバカにしてるよ。コスプレを見たいわけじゃないのよ。
本人の素敵さを切り売りするのではなく、役を演じきった時に出るオーラを見せてほしいの。そのためにお金を払ってるの。わかってる?
でもいちばんビックリしたのは、ラストよ。
ヴィクトル・ユゴーが書いたのは、確かに、デアの死を悲しむあまり後を追うグウィンプレン、っていうラストだったのかもしれないけど、この芝居の流れで、グウィンプレンが死ぬのは唐突すぎて、全然受け入れられない。死ぬには生命力ありすぎるグウィンプレンの姿だし。死の影、全くなし。
そもそも、デアのこと、いつから妹としてじゃなく、恋人として愛してたのか、どうしてそうなったのか、描かれてないからね。死ぬほど好きだったの?聞いてないけど?とマダムは思った。
デアが死んで悲しい、っていうところで芝居を終わらせるべきだったんじゃないの? あるいは、グウィンプレンが死ぬほどデアを愛してたことを、ちゃんとそれまでに描いてくれてればいいけどさ。
原作は古い時代に書かれたものだし、今やるには今やるなりの意味をちゃんと考えて、芝居を作ってほしいんだよ。原作にそう書いてあるのでそうしました、じゃダメなの。
育ての親役の山口祐一郎や、影の悪役の石川禅が、すごく楽しそうに自分なりの小芝居を混ぜて演じてて、そこは結構楽しく見たけど、それだって、演出家の意図をもっと浸透させなくちゃいけないでしょ。上手い人たちの演技がバラバラで、一つの芝居としてのうねりになってこない。
演出っていうのは、立ち位置決めたり、出入りをさばいたりすることじゃないんだよ!(怒)
これでも、役者の人気でチケット完売だとしたら、再演とかになってしまいそう。だから、演出については皆であちこちで文句を言おう。万が一再演になっても、いろいろ手直ししなくちゃいけないってことを、東宝には肝に銘じてもらいたいから。衣装もセットもそのままでいいけど、演出は大いに反省してもらいたいよ。
マダムとしては、浦井健治には残された30代の数年を無駄に過ごしてほしくないから、こんなの再演なんかじゃなくて、いい演出家と組んで早く「ハムレット」やったほうがいいと思った。強く、そう思った。
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