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2019年4月

深さの足りない『笑う男』

 暖かくて穏やかな観劇日和。4月20日(土)マチネ、日生劇場。

『笑う男 ー永遠の愛ー』
原作/ヴィクトル・ユゴー
脚本/ロバート・ヨハンソン 音楽/フランク・ワイルドホーン
歌詞/ジャック・マーフィー 演出/上田一豪
出演 浦井健治 夢咲ねね 朝夏まなと 宮原浩暢 石川禅 山口祐一郎 ほか
 
 本邦初公開のミュージカル。
 あらすじは、ホームページなどにあるので、書かないね。
 衣装が凝っていて、すごく素敵。装置も工夫があって楽しい。音楽も美しい旋律。役者は、芸達者が揃ってる。なので、これから文句言う箇所のうちせめて2つくらいちゃんとしてたら、普通に見応えある芝居になったのに。終わった瞬間、マダムは心の中で「え゛〜っ⁉︎⁉︎⁉︎」と叫んだの。残念度が高い。
 
 
 観た友人たちが口々に言ってるように、とにかくお話に深みがない。どれくらい浅いかというと、潮干狩りが出来るくらい。深いところがないの。
 17世紀のロンドン。赤ん坊のときにさらわれて、口の両端を裂かれて、見世物小屋に出されて、人さらいからも捨てられ、拾ったもらった興行師のところで、やっと居場所を得て生きてきた青年グウィンプレン(浦井健治)が、主役。今、さらっと言ったけど、この、世にも過酷な運命を背負ってるはずのグウィンプレンの造形が、まるっきり明るくて元気で愛されてて、出てきた瞬間から幸せそうなので、ずっこけた。異形の人なのに、内面に抱えているものが全くないの。これでいいと本当に思ってるのか、演出家。
 盲目の妹(として育った)デアと二人、繰り広げるショーも、グロさがなく、怖いもの見たさのゾクゾク感が皆無。口を裂かれた男が「笑う男」として自分を売り物にしている場末の見世物小屋。題名にもなっている「笑う男」のお披露目なのだから、もっと強烈なインパクトがないと。
 デアの造形も、ワンパターン。脚本にも書き込まれてないんだろうけど、儚げで無垢、なのはわかるけど、それだけでヒロインとして魅力的とは思えない。妹として接してきたグウィンプレンの気持ちが、恋に変わる瞬間がちゃんと描かれていない。いつから恋になったの?
 デアにとっての恋敵、ジョシアナ公爵(朝夏まなと、好演!)は面白い存在なんだけど、これもパターンっぽい造形なのよ。出てくる女が、峰不二子みたいな肉感的ファムファタルか、宮崎アニメのヒロインみたいな小ちゃくて可憐な純真無垢、の両極端な二種類しかないの。底が浅い浅い。
 
 マダムがビックリしたのは、グウィンプレンが実は、貴族の息子だったということで、貴族の館に連れて行かれ、ボロの服から純白の凛々しい衣装に着替えさせられるところの演出。衝立が外されたら、なんとそこに現れたのは・・・国王ヘンリーだった!と言いたいくらいの、キングオーラが出てたの。いやあ、素敵なのよ、浦井健治。
 でもね、ここでキングオーラ出てるの、完全な間違いだとマダムは思うのよ。だって、グウィンプレンがいくら貴族の血筋だったにせよ、ずっと最底辺の暮らししてた人なのに、美しい衣装着せられた途端、キングオーラが出ちゃまずいでしょう?
 浦井健治はヘンリー王やって、マクベスもやってるから、ああいう凛々しい衣装を着せると、自動的にキングオーラが出ちゃうの。でも、演出家が「そこでキングオーラ出さないで」と指示すれば、出さないこともちゃんとできるんだよ。だから演出家が出さない指示するどころか、喜んで出させてたとしか思えない。ファンサービスのつもりだとしたら、ファンをバカにしてるよ。コスプレを見たいわけじゃないのよ。
 本人の素敵さを切り売りするのではなく、役を演じきった時に出るオーラを見せてほしいの。そのためにお金を払ってるの。わかってる?
 
 でもいちばんビックリしたのは、ラストよ。
 ヴィクトル・ユゴーが書いたのは、確かに、デアの死を悲しむあまり後を追うグウィンプレン、っていうラストだったのかもしれないけど、この芝居の流れで、グウィンプレンが死ぬのは唐突すぎて、全然受け入れられない。死ぬには生命力ありすぎるグウィンプレンの姿だし。死の影、全くなし。
 そもそも、デアのこと、いつから妹としてじゃなく、恋人として愛してたのか、どうしてそうなったのか、描かれてないからね。死ぬほど好きだったの?聞いてないけど?とマダムは思った。
 デアが死んで悲しい、っていうところで芝居を終わらせるべきだったんじゃないの? あるいは、グウィンプレンが死ぬほどデアを愛してたことを、ちゃんとそれまでに描いてくれてればいいけどさ。
 原作は古い時代に書かれたものだし、今やるには今やるなりの意味をちゃんと考えて、芝居を作ってほしいんだよ。原作にそう書いてあるのでそうしました、じゃダメなの。
 
 育ての親役の山口祐一郎や、影の悪役の石川禅が、すごく楽しそうに自分なりの小芝居を混ぜて演じてて、そこは結構楽しく見たけど、それだって、演出家の意図をもっと浸透させなくちゃいけないでしょ。上手い人たちの演技がバラバラで、一つの芝居としてのうねりになってこない。
 演出っていうのは、立ち位置決めたり、出入りをさばいたりすることじゃないんだよ!(怒)
 
 
 これでも、役者の人気でチケット完売だとしたら、再演とかになってしまいそう。だから、演出については皆であちこちで文句を言おう。万が一再演になっても、いろいろ手直ししなくちゃいけないってことを、東宝には肝に銘じてもらいたいから。衣装もセットもそのままでいいけど、演出は大いに反省してもらいたいよ。
 マダムとしては、浦井健治には残された30代の数年を無駄に過ごしてほしくないから、こんなの再演なんかじゃなくて、いい演出家と組んで早く「ハムレット」やったほうがいいと思った。強く、そう思った。
 

伊藤健太郎初主演舞台『春のめざめ』

 そろそろいいだろうと思って春らしい格好で出かけたのだけれど、少し寒かった。早く暖かくなれ。4月14日(日)マチネ、KAAT大スタジオ。
 
『春のめざめ』
原作/フランク・ヴェデキント 翻訳/酒寄進一
音楽/降谷建志 振付/平原慎太郎 
構成・演出/白井晃
出演 伊藤健太郎 岡本夏美 栗原類 小川ゲン 中別府葵 古木将也 長友郁真
   竹内寿 有川拓也 川添野愛 三田みらの あめくみちこ 河内大和
   那須佐代子 大鷹明良
 
 しばらく前にトニー賞を受賞した「春のめざめ」については、おぼろげに記憶(受賞紹介時の)があったのだけれど、あちらはミュージカルであり、今回の舞台とは別物だったのね。
 ミュージカルは日本でも早々と劇団四季が上演していて、主役のメルヒオールを柿澤勇人が演じたこともあったらしい。まあ、あまり劇団四季向きの題材ではないように思うけれど、どうだったのかしら(あくまでマダムの主観的想像です)。
 大元の原作は、なんと100年以上前に書かれたドイツの戯曲。
 今回の舞台は、白井晃オリジナル構成の、やや音楽劇の要素があるストレートプレイだった。2017年に初演して、今回は主演俳優を入れ替えての再演。新しく主演を務めるのが、いま売り出し中の、伊藤健太郎。マダムの最大の目的は、伊藤健太郎が舞台向きの人かどうかを見極めることだったのだ。
 結論を先に言っちゃうと、伊藤健太郎は大いに舞台向き!嬉しい発見よ。
 彼については、あとで詳しく書くとして、まずは芝居の内容についてね。ネタバレしますよ〜。
 
 
 ドイツのギムナジウム(中高一貫な感じの学校ね)で学ぶ生徒たちの物語。優等生で大人びたメルヒオール(伊藤健太郎)と劣等生のモーリッツ(栗原類)は友達同士。規則が厳しく成績にも厳しい学校のなかで、少年たちは鬱屈した生活を送っている。モーリッツはなによりも落第を恐れている。落第して上級クラスに行けなくなったら、どれほど親を失望させるか、そのことを考えると気が狂いそうで、努力はするのだけれど、モーリッツには勉強の才能がないのだ。
 少年たちの関心事は、もっぱら性のことなのだけれど、学校では性教育らしいものは全く行われていない。彼らは日常の中から少ない情報を得て、自分たちの性欲に向き合う。「子どもの作り方」を知りたがるモーリッツに、メルヒオールは自分の知っていることを図解入りで説明したメモを渡してやる。
 一方、少女たちはもっと無知なまま放置されている。ヴェントラ(岡本夏美)は、母親(あめくみちこ)に「子どもはどうしてできるの?」と聞くのだが、母親はそんな恥知らずなことを聞かないで、と、相手にしない。食い下がるヴェントラに、やっと教えた答えは「結婚して、相手の人ただ一人を愛すると子どもができるの」。
 本能を制御することを教えられない少年たちと、無知なまま身を守る術のない少女たち。
 メルヒオールに対して(友人として?)好意を抱いているヴェントラは、無邪気に彼の周りに出没する。メルヒオールは校外の暗がりで自慰していて、そこに現れたヴェントラを、強姦してしまう。が、ヴェントラはその行為が何を意味するのかを理解できない。ただ怖く、痛かったとしか受け取れない。
 時を同じくして、落第を苦にしたモーリッツが自殺する。ショックを受けるメルヒオール。そして死んだモーリッツの部屋から、メルヒオールが渡した「子どもの作り方」のメモが発見され、自殺の原因のように扱われて、メルヒオールは先生や親たちから激しく責められる。メルヒオールにしてみれば、メモに書いたことはなに一つ間違ってはいなかったはずなのに、非難され、学校を辞めさせられる。そして感化院(素行の悪い子どもを矯正する施設)に入れられる。
 メルヒオールが感化院にいる間に、ヴェントラが妊娠していることが発覚する。母親は激しくヴェントラをなじるが、ヴェントラ自身はなんのせいで子どもができたのか、わからない。「結婚していないのに」どうして妊娠しているの?と訊いても、此の期に及んでも母親は本当のことを話さない。ただ怒ったり、泣いたり、わめいたりするだけ。母親にとって、ヴェントラが妊娠したことは、世間に顔向けできない恥ずかしいことでしかない。
 ヴェントラのお腹の子の父親がメルヒオールであることを知ったメルヒオールの母親(那須佐代子)は、堕胎剤をヴェントラの家に届けに行く。抵抗するヴェントラに無理やり薬を飲ませ、二人の母親はヴェントラのお腹を壁に押し付ける。迷いなくギューギュー押し付ける鬼母たちの怖いこと…。ヴェントラは流産し、それがもとで死んでしまう。
 メルヒオールは感化院を脱走し、モーリッツの墓前にやってくる。その近くにヴェントラの新しい墓があり、メルヒオールはショックを受ける。するとモーリッツの幽霊が現れて、ヴェントラの死の真相を説明する。自分のせいでヴェントラが死んだことを知ったメルヒオールは、モーリッツの誘いを受けて、死のうとする。そこへ、謎の紳士(神?悪魔? 河内大和)が現れて、メルヒオールの自殺を止め、生きることを選ばせる。メルヒオールはモーリッツに「生きている限り君のことは忘れないよ」と言って、謎の紳士についていくのだった…。
 
 
 というような、大変暗い、悲惨な話。
 子供達の制服はほぼグレーで、大人達の衣装は殆ど黒なので、モノトーンな芝居。カラフルなのは卒業生(?退学したのかも)でギャルになった女の子ひとりだけ。
 セットは、向こう側が透けたり透けなかったりする特殊なアクリル板を一面に張ってあり、その前のなにもない長方形のスペースが舞台。2メートルくらいの高さのアクリル板の上に2階があり、長方形をぐるりと囲むような廊下が作られている。
 子供達はその長方形のスペースに閉じ込められていて、自分の出番でないときも、どこかの片隅で身を寄せ合って座っている。子供は檻から逃げられないのだ。そして2階の廊下から、大人達(校長や先生、親達)が冷たく見下ろして、子供達の様子を見張っている。
 アクリル板のセットは色々と効果を発揮する。アクリル板の向こう側に光がさすと、向こう側が透けて見え、そこに妄想や死んだ人や謎の人物が現れて、子供達を刺激しておびえさせるし、アクリル板のこちら側からは少年達が白い塗料(シェービングクリーム様のもの)を塗りつけていたずらする。白い塗料が少年達の精液を表現したりする。
 
 この悲惨な話をただ台詞劇でやるのではなく、音楽とダンスを導入したところが、白井演出の良さだとは思う(ただ、どれくらいミュージカル版と違うのか、知りたいところ)。少年達の性衝動をダンスで表現したのは良かった。そういう見せ方でないと、お話に付いていくのが難しかったよね。
 疑問だったのは、少女達の表現。
 女の子達のダンスは全体を通して、軽やかで楽しげで無垢で、若さを謳歌しているようなダンスだったのね。少年達の性衝動のダンスとはえらい違いだ。
 それが大いに疑問なの。もちろんヴェントラは無知ゆえに無垢だし、彼女には何の罪もない。だけれども、少年達のダンスに比べて、少女達のダンスは脳天気すぎる。これほど抑圧され、無知を強要されている状況なのに、ダンスの中に怒りや悲しみや屈折が十分に反映してないのはどうしてかしら。
 ヴェントラはナレ死(死んだってよ、と誰かが語ることで死がわかること。死の場面は描かれない)なので、彼女の怒りや悲しみや絶望に焦点があたらないまんまだし。
 だから、ラスト、メルヒオールを救う謎の紳士の言動に、なんだか納得がいかない終わり方になるんだよね。
 古いけれど新しい解釈ができる戯曲だし、今の日本の中学生や高校生の息苦しさをも表現できている芝居だと感じる反面、いまだ根強い男目線から脱却できないことが、もどかしい芝居でもあった。
 
 
 さて、おまちかねの伊藤健太郎について、だ。
 マダムは某国営系放送局の「アシガール」の若君様を観てクラっときたのだけれど、あの髪型でこそ良いのだし、あの役だから良かったのだろうと思ってたの。
 それに映像で魅力的であっても、舞台の演技はまた別だから、どうかなあと、半信半疑で劇場へ行ったのね。
 でも、期待以上の出来だった、伊藤健太郎! 舞台でも魅力的。台詞も全部わかったし。勢いではなく、丁寧に役を演じてたの。
 イマドキの若いひょろっとした舞台俳優の中で、ガタイがしっかりしてて、ただのイケメンではなく華があって、主役を背負える役者よ。才能がある(天才ではない。天才っていうのは若い時のショーケンみたいな人のこと)。才能っていうのは、人目をひく姿形に加えて、演出家の指示を素直に聞くことができること。自分が喋る台詞と動きの意味を、ちゃんと理解して演技できること。変な癖がないこと。真面目で真剣であること・・・などなど。
 こりゃあ、楽しみな役者を見つけてしまったよ。人気が出すぎて、くだらないドラマや映画で消費されないよう、ものすごく願ってる。
 

ねもしゅーは女岩松了なのか『クラッシャー女中』

 本多劇場に入るだけなのに、行列ができてるって初めてのような気がする。3月29日(金)ソワレ、本多劇場。
 
『クラッシャー女中』
作・演出/根本宗子
出演 麻生久美子 中村倫也 趣里 佐藤真弓 根本宗子
   田村健太郎 西田尚美
 
 本多劇場で麻生久美子と中村倫也が出演すると聞いて、とにかくチケットを奪取したマダム。根本宗子は名の知られた劇作家なのだけれど、マダムは初めて。作風もよく知らずに観たの。
 これ1本でねもしゅーの作風をどうこう言えないけど、岩松了的な不親切さを感じたね(←必ずしも責めてない)。
 
 著名な画家の家に生まれた義則(中村倫也)は、いわゆるお坊っちゃま育ち。亡くなった父の名声もあって、若くしてデザイナーの名を欲しいままにしている。過保護な母親(西田尚美)と、言いなりな女中たちに囲まれ、オレ様な性格が炸裂している。イケメンな有名デザイナーなので、追っかけファンもいて、ある日屋敷の塀に登っていたファンの静香(趣里)を見初めて、義則は彼女と結婚する、と言いだす。静香は女中(麻生久美子)を連れて、屋敷に乗り込んでくる。
 その女中こそ、義則の小学生時代の同級生ゆみ子だったが、義則も、幼馴染の華鹿男(カカオと読む。田村健太郎)も、彼女のことをすっかり忘れていて、気づかない。ゆみ子はクラスでも無視されがちな、印象の薄い子供だったが、義則のことが好きで、ずっと一方通行的な愛情で、義則との再会を目指していた。
 ゆみ子が現れたことで、義則の現在を形作ったあらゆる事柄に、ゆみ子の作為があることがわかっていく。義則のデザイナーの仕事を肩代わりしている女中の花代(根本宗子)の仕事を、ゆみ子がさらに肩代わりしていること。精神的に不安定な母親のカウンセリングしているのも、ゆみ子だったこと。静香が義則に見初められるように仕掛けたのも、ゆみ子だったこと。
 そして、義則の外堀が完全に埋められ、どうにもならなくなったとき、ゆみ子は義則に手を差し伸べてあげるつもりだった。そんな状態を助けてあげられるのは、もう自分しかいない。ゆみ子は全てを暴露して、義則に救いの手を差し伸べるが・・・。
 
 というような物語。ふうっ。説明にも骨が折れる。
 前半を見ただけでは設定すら理解できない、不親切な運び方なのよ。
 大前提として、幼馴染の華鹿男の家に放火して華鹿男の両親を殺し、孤児になった華鹿男を「かわいそうだから」引き取って、義則と一緒に育てた、という亡き父のとんでもない過去がある。それが一人っ子の義則の性格を改善するため、だったという設定。さらに、死んだはずの華鹿男の妹が実は静香で、彼女は復讐のために屋敷に乗り込んできた、という隠れた設定も、ある。
 登場人物の誰一人としてまともな人間がいなくて、みんな弱くて自立心がなくて、「心温まる」瞬間が全く無くて、設定の一つ一つが重くて暗い。そういうブラックな話を、ポップな衣装と装置と笑いにくるんで、一見軽く仕上げたように見えるけれど、全然軽くない。笑えない。凄く湿っている。
 
 それでも作家が言いたいことはなんとなく伝わってきたの。たぶん「人を好きになるとはどういうことか」を描きたいんじゃないかな。
 ゆみ子が義則を「好き」なのは確かなのだろうけれど、小学生時代から一方通行の気持ちを一人で育ててしまったので、もはや相手が本当の義則なのかが二の次になっている。妄想がすべてになっていて、目の前の義則の言葉さえ聞いていない。彼のためを思って行動してるかに見えて、実は、彼をがんじがらめにして自分のものにすることしか考えていない。
 これって、中村倫也ファンへの皮肉?
 アイドルを好きになるのって、基本一方通行だから、どうとでも自分に都合のいい妄想が可能だからね。相手が人間だってことを忘れるような愛し方をしてしまうことがあるわけだから。

 ポップな衣装や装置も、ブラックな設定も、芝居がジメッとしてるのも、たぶん作家の特徴だろうとみた。マダムの感想としては、「心理描写には惹かれるけど、絵柄が好きじゃない少女マンガ」を読んだときのような気持ち、だったね。役者たちはみんな恐ろしく上手かった。作家があとほんの少し親切であればよかったのに、とは思うけれど、その不親切さも作家の真摯さかもしれない。
 不親切さが真摯さであるとしたら、そりゃあ、女岩松了の可能性大だ。

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