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2019年2月

『ヘンリー五世』を巡るあれこれ 台本を切るということ

 今日、さいたま芸術劇場の吉田鋼太郎演出『ヘンリー五世』は無事、埼玉千秋楽を迎えた。まだ地方公演はあるけれど、一つの区切りと思い、この公演の周りで起きた論争について、マダムの私見を書いておきます。

 いろんな意見がSNSなどで飛び交っていたようなのだけれど、どうも、問題点が整理されずにごちゃごちゃのままだ。そんな中では意見が言いにくい。だからSNSではなくて、自分のブログで整理したい。
 問題は3つに分かれている。

 ①そもそもシェイクスピアの台詞を切っていいのか

 ②脚本を切るとき、誰が切るのか

 ③脚本を切るとき、どこを切るのか

 3つの問題はそれぞれ、全く別の問題なので、ひとつひとつ切り離して考えなければならない。

 ①について。
 これはもう言うまでもない。日本でシェイクスピアの公演をするどんな団体も劇団も、脚本を部分的にカットして上演してきた。新国立の『ヘンリー五世』鵜山演出版も勿論だ。俳優の実力の問題もあるし、予算もあるだろうし、目標とする上演時間というものがあるから。もしカットせずにやるとなったら、上演時間が4時間とか、5時間とか、6時間とかになって、観客が埼京線の最終に乗れない事態になったりする。そんなことが許されるのは蜷川御大だけだ。現存する演出家でそんな治外法権が認められてる人なんて、いない。
 だからどんな場合にも、脚本のカットはせざるを得ない。

 次に②について。
 これは最終的には演出家の専権事項である。どんな作品にしたいのか、その方向性に従って、脚本のカットを決めるわけだから。方向性が頭の中にあるのは演出家だから。ある台詞をカットしたとしても大丈夫だ、と判断できるのは、どういう演出でカバーできるかを知っている人だけだから。
 途中、周りの人の意見を聞いたとしても、決めることができるのは演出家だ。他にはいない。

 ①も②にも、議論の余地はない。なので、論争になるべきは③だけである。

 ③について。
 これはまず芝居を観てみなければ、その是非について話すことはできない。今回だって、出来上がったものを見て、マダムは演説がないことを寂しいと思ったり、一方で無くても成立していることに驚いたりした。台本がカットされている事実だけでは、なにも議論できない。なんのために、どこをカットし、その結果、芝居がどうなったのか、を考え、その上で、芝居を評価する。ある人は良い芝居だといい、ある人はダメな芝居だと言うだろう。そこで初めて議論ができるのだ。
 そしてダメな芝居だと言うなら、具体的に演出について考え、指摘しなければならない。演出家には演出家の考えがあって台本を変えたわけだから、そこをリスペクトしてものを言わなければ、ただの悪口だ。個人攻撃なんぞ議論の足しにはならない。ただの悪口なら聞かないでいい、議論しなくていいや、となるだけである。
 
 吉田鋼太郎という人は、もう40年もほぼシェイクスピア一筋でやってきた役者である。蜷川作品で多くの人に知られるより前に、シャイロック役で紀伊國屋演劇賞個人賞も取っている名優であり、自分の劇団で20年近くシェイクスピアの演出を続けてきた演出家でもある。
 そういう人が、なんの考えもなく思いつきで、台詞を切ったり貼ったりするわけないではないか。まずはその考えがなんなのか、探ってみようとするのが批評の第一歩なのではないのか。
 なぜこんなあたりまえのことを、市井でちまちまとブログを書いてるだけのマダムが言わなければならないのだ。
 
 そして言いたいのは、観客一人一人がそれぞれ芝居から受け取ったものについて、誰も他人が否定することなんかできない、ってこと。
 みんな、自分が感じ取ったことを大切にして。批評するにせよなんにせよ、それがスタートだよ。

『ヘンリー五世』二回目観劇の驚き

 初日から1週間が経った。2月16日(土)マチネ、さいたま芸術劇場大ホール。
 

彩の国シェイクスピア・シリーズ第34弾『ヘンリー五世』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/松岡和子
演出/吉田鋼太郎
出演 松坂桃李 吉田鋼太郎 溝端淳平 横田栄司 中河内雅貴 河内大和
   間宮啓行 廣田高志 原慎一郎 坪内守 松本こうせい 長谷川志
   鈴木彰紀 竪山隼太 堀源起 續木淳平 髙橋英希 橋本好弘 
   大河原啓介 西村聡 岩倉弘樹 谷畑聡 斎藤慎平 杉本政志 山田隼平
   松尾竜兵 橋倉靖彦 河村岳司 沢海陽子 悠木つかさ 宮崎夢子
 

 
そろそろネタバレを警告するのも疲れてきたので、皆さんそれぞれの意思に任せます。読みたい人は読んじゃってください。
 開幕から1週間経って、ほぼ中日の土曜日マチネ。初日より更に面白くなっていてね。
 観終わって、びっくりした。演説がなくても何の違和感もなく1本の芝居として、ちゃんと成立しちゃってたの。
 いったい何が起こったんだろう。
 
 初日に比べると、あちこちに細かい修正が加わっていたことはわかった。それによってか、でこぼこや、滞留が解消され、シーンとシーンの繋ぎ目がなだらかになり、桃李ヘンリーをはじめ登場人物に3時間、一人の人間としての一貫性が流れるようになった。そうしたら芝居全体が一個の生命体みたいに動き出した感じ。そのグルーブ感に酔ったわ。
 初日には少し謳いがちで上ずったところがあった桃李ヘンリーのセリフも、既に完璧。スピードが上がっても滑舌は見事だったし、溜めるところ、悩むところ、怒るところ、感情が爆発するところ、とても表現が豊かだった。・・・ヘンリーがどんな人かってことが余すところなく伝わってきて。
 そう。演説がなくても満足するほど、ヘンリー像を受け取れたの。ていうか、演説のことを忘れた・・・。
 初めの頃に観て、演説がなくて寂しいと思った方は、もう一度観るといいと思う、先入観を捨て、平らな気持ちで。なくても大丈夫なことがわかって、ビックリするから。
 とはいっても、観たくてももうチケットを入手するのが困難かな。
 
 だからマダムが不満なのは、求婚シーンだけ。やっぱり観ていて、照れ臭くてムズムズする。
 ラブシーンのとき、役者が完全に役に入り込んでいれば、観る方は全然恥ずかしくないんだけど、ほんのちょっとでも(たとえ1ミリでも)役になりきれていない部分があると、凄くムズムズする。今回の演出では、このムズムズが解消されなかったね。
 ここだけヘンリーに一貫性がないし、フランス王女も二つしかない出番のシーンに一貫性がないな、と思った。これは役者のせいじゃなく、演出のせいだと思う。ハッピーエンド風にしすぎじゃない?
 こういうところ、マダムは簡単に騙されないよ、百戦錬磨だもん。

 
 だけど、充分、満足。
 松坂桃李、凄い役者になったね。演技の上手い人こそ、本当のイケメン。最高の賛辞を贈る!
 
 マダムは、もう日本での『ヘンリー五世』上演を観ることは二度とないでしょう。
 だって、35年もシェイクスピア好きなのに、ずっと観たことなかったんだもの。上演がなかったから。
 なのにこの1年で、ふたつの上演に出会えて、そのどちらもが忘れがたい印象を残してくれて、幸せ。
 確信を持って我が道を行く浦井ヘンリーと、迷い悩みながら決断していく桃李ヘンリー。どちらも、素晴らしい。
 
 さてこの後、少しお時間をいただいてから、追記の記事を書く予定。
 頑張る。

松坂桃李の『ヘンリー五世』 その2

 遅くなってごめん。その2も当然、ネタバレ三昧なので、これから観る方は、観てから読みに来てね。
 

   ******************************
 
 桃李ヘンリー以外の役者さんたちについて。

 吉田演出の特徴として、その場で起こっていることに、登場人物たち全てが全霊をかけて反応する、というのがある。
 もちろん誰の演出であっても、脇の人が反応するのはあたりまえなんだけど、吉田演出では「全霊をかけて」反応するの。役者さんたちの「気」の動線がわーっと集まるから、観客は自然と「今起きていること」に視線を向けるし、その意味もよくわかる。わかりやすく出来てるの。
 吉田鋼太郎率いるAUNの役者たちを始め、ずっと一緒に芝居を作ってきた役者たちはその演出を体得しているので、あらゆるところで「気」の動線が飛びまくっていた。英仏双方の使者がやってきて火花散るシーンはもちろんのこと、フォールスタッフが死にそうだという知らせが来るシーンも、謀反の三人を断罪するシーンも、ヘンリーがフルエリンからネギを捧げられ囓る決心を迫られる数秒(ここの桃李ヘンリーの演技が素晴らしー)も、そのあと全員でネギを奪い合うように頬張るところも、ヘンリーと王女がキスしてるのを発見して全員、顎が外れそうになってるシーンも、皆そうなの。
 なので、台詞が少なくても「気」を飛ばしまくって素晴らしかった二人の王子(鈴木彰紀と竪山隼太)をまず褒めたいわ。どんなシーンも(ネギ頬張ってても)品の良さが損なわれず、ちゃんと王子の佇まいだった。いつも、兄王を慕っている強い気が出ていた。桃李ヘンリーと並ぶと、なにこのやたら美しい三兄弟は!ってため息。眼福だ〜。

 
 今回、衣装が美しい。

 特にフランス側の衣装は、青と金を基調にして、優雅なの。
 フランス王の横田栄司。髪も金色で、美しくて上品でゆったりと威厳があって、見惚れた。なんだか久々に美しい姿を見て、嬉しかったし、耳に心地よい声なの。出番は少ないのだけれど、だからこそ彼くらいの存在感がないと、フランス側を印象付けられないよね。

 フランス皇太子の溝端淳平。黒い衣装の桃李ヘンリーに対し、彼は金髪と明るい青の衣装。大活躍ね。初めから殺陣に加わり、最後はヘンリーと一騎打ち。彼の性格づけは、『ヘンリー四世』のホットスパーみたいだなあと思った。ハルのライバルはいつも、血気盛んで短気な自信家だ。でもホットスパーと違って強くない。素敵に作っていたけど、それでもおバカテイストが匂う。
 でも一番インパクトがあるのは包帯ぐるぐる巻きで車椅子に座ってる姿だった。テニスボールを握ってるのは、リハビリのためかな・・・。
 
 フルエリンは、横田栄司ではなく、河内大和。フルエリンの言動は笑いを誘うんだけれど、でも決して「笑われて」はいけない役だ。真面目で誇り高く、強い軍人なのよね。そのあたりのさじ加減が見事で、すごい役者だなあって改めて感心。この人をフルエリンに抜擢した演出家も偉い。河内大和は大きな舞台でシェイクスピアを演る人だとマダムは思ってる。

 蜷川組やAUN、ネクストシアター、カクシンハンの、手練の役者が居並ぶ中へ、ミュージカル界から一人で飛び込んできてくれたピストルの中河内雅貴。新鮮だった。中河内雅貴といえば、マダムは去年『ジャージー・ボーイズ』で2列目ど真ん中から彼を見つめていたのよ。2メートルの至近距離。きらびやかな衣装と、気取ってる台詞のトミー。その彼が今は髭を生やし、薄汚れた衣装で、機関銃のように台詞を喋っている。めっちゃ楽しそうに。なんだか全然違う扉を開けちゃったんじゃない?マダムはすごく嬉しくなっちゃったんだよ。ようこそ、シェイクスピアの世界へ。また出てほしい。
 
 それと、どうしても触れるべきはエクセター公爵の廣田高志。彼は、ずっと蜷川組を支え続けてきた役者で、顔も佇まいもよく知っているんだけれども、どの役をやってたかと言われるとマダムは思い出せないんだった。それは決して彼のせいではなくて、役者の中でも黒子に徹することを、知らず知らず要求されてきた、のかもしれない。今回の演出でマダムはこれから、エクセター公爵といえば廣田高志を必ず思い浮かべると思うの。ヘンリーがフランス王女を娶ることに決まった時、エクセター公爵が泣き出したのにはびっくりした。蜷川演出では見たことのない姿だったんで。
 『ヘンリー五世』は彼にとっての代表作になった。
 
 全員を挙げていきたいところだけど、長くなったので、あと一人だけ。
 小姓とアリス(侍女)の二役をやった悠木つかさの、八面六臂の活躍に舌を巻いたね。さすがAUN仕込み。「気」を飛ばす量が桁違い。殺陣もフランス語もすごいけど、一番は、求婚シーンで一人「気」を飛ばし続けるところ。ムンクの叫びみたいな顔になってる。もうちょっと前に出てきてやってほしい。
 
 
 というわけで、その2終わり。先日2回目の観劇をしてきて、大いに発見があったんで、なるべく早く次の記事を書くわね。待ってて。

松坂桃李の『ヘンリー五世』 その1

 初日のレビューを書き始めるわね。2月9日(金)ソワレ、さいたま芸術劇場大ホール。

彩の国シェイクスピア・シリーズ第34弾『ヘンリー五世』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/松岡和子
演出/吉田鋼太郎
出演 松坂桃李 吉田鋼太郎 溝端淳平 横田栄司 中河内雅貴 河内大和

   間宮啓行 廣田高志 松本こうせい 長谷川志 鈴木彰紀 竪山隼太

   斎藤慎平 沢海陽子 悠木つかさ ほか

 

 さて、これから書くことは一言一句、ネタバレになるの。
 なので、これから観る予定の方、仕事中の役者の方は、読まないで、ここで引き返してね。観る方は観終わってから、役者の方は全公演、演じ終わってから、お読みくださいね。お願いよ。
 
 
 いい? 帰るひとは帰った?
 
  
   *****************************
 

 放蕩息子だったハルが、亡き父のあとを継いで王ヘンリーとなって帰って来た。
 しかも凄く、男っぽく、格好よくなって。

 まあ、松坂桃李の素敵なことといったらない。黒い衣装が凛々しくて、台詞の口跡も爽やかで(初日は少し謳いがちだったけど)、肉弾戦の殺陣も真っ向勝負。
 そしてこの『ヘンリー五世』という本は、ヘンリーに語らせること語らせること。ずうっと松坂桃李の声に耳傾けていた気がする。するとね、この若い王様が、いかに瑞々しい心を持っていたか、けれどいかに苦い決断を何度もしなければならなかったか、ということがわかっていくの。
 始め、ヘンリーはフランスとの戦争になかなか踏み切れない。周りの重鎮たちは、いろいろな思惑があって王を戦争に駆り立てようとするけれど、桃李ヘンリーはすごく慎重だ。フランス皇太子からのテニスボールにかっとなって戦争になったわけじゃなく、話し合いの中で悩んだ末に決意する様子が描かれている。
 フランス行きの船に乗る前、サウサンプトンで裏切り者3人を切り捨てるところもそうだ。桃李ヘンリーは、慈悲をかける可能性をギリギリまで秘めた表情をしていて、スクループ卿の「罪人に慈悲をかけるな」という言葉を聞いて初めて彼らを断罪する心が決まる。そのときの絶望を振り切ろうとする表情と激しい言葉が、こちらの心を揺さぶるの。
 桃李ヘンリーは、ギリギリまで迷う王なのね。それがいいの。迷いを見せてはならない立場なので、見せないように振る舞うけれど、観客にはちゃんと見せてくれる。
 そのあとも次々、そういうシーンが現れる。
 野営地の夜、部下のマントに身を包んで、王じゃないふりをして兵士と会話するシーン。「兵士一人一人の死に責任なんか持てない!いくら王だって」と語る長い独白がとても聴かせる。このとき桃李ヘンリーはまだ、ハルの時の心をちゃんと持ち続けている。大人になったハルがいるな、と思える。
 殺陣がすごい。推しポイントで言ったけれど、これは派手だとか、長いとか、階段落ちがあるとか、そういう意味で言ったのではなく(いや、階段落ちはすごいんですけれども)。肉弾戦で血みどろで、人間が人間じゃなくなっていく様子をしっかり描いてる。戦いの中で、桃李ヘンリーは昔の遊び仲間のバードルフの処刑を命じる。命じざるを得ない。ここの演出が容赦ない。王の目の前でバードルフは首を絞められる。ヘンリーは目をそらさず、それを見続け(今にも倒れそうなのだけれど)、見届ける。
 そして、昔の友を葬ったときから、桃李ヘンリーから徐々に迷いがなくなる。それは彼の中からハルが消えていくってこと。猛烈な戦闘に自ら飛び込んでいく。
 戦いが終わる頃には、疲れ果てて、皆ヨレヨレで、それでもヘンリーは言葉激しく、部下を叱咤激励しつつ、なんと自ら捕虜の首を掻き切ったの…(「のどかき切ってやる!」という台詞はあるのよ、あるんだけど、王がホントにやっちゃうなんてさ)。
 毒を喰らわば皿まで、とはこのことだ。
 自分の中のハルを殺し、自分の心も殺しちゃったみたい。
 
 『ヘンリー五世』はやっぱり戦争の芝居なのだ。たった一つの戦争を王として駆け抜けて、勝ったのに、あっさり死んじゃった王様の物語。短い間に、人の人生の何倍も喜怒哀楽があり、一気に大人になり、血みどろにもなった。これだけのことをマダムに感じさせてくれた桃李ヘンリー、素晴らしい。
 
 だからこそ、二つの点で、マダムは首をかしげる。
 ひとつは、どうしてアジンコートの演説がないのか、ってこと。
 バードルフを処刑して、下級兵士たちの本音も聴いちゃって、戦いも負けそうで、心ズタズタのヘンリーが、どうやって、どんな言葉で、圧倒的不利な兵士たちを奮い立たすことができるのか? 自分の中はもう空っぽなのに、みんなに最後のエネルギーを与えなくちゃならないの。ものすごい見せ場なのよ。無くて、メッチャ悲しかった。桃李ヘンリーに、もっと無理難題を押し付けてほしかった。だって、できるじゃん、彼。
 もうひとつは、もっと愕然としたのだけど。あの求婚シーン。
 そりゃあ、素敵だったし、ファンはメロメロかもしれないけど。でもあのシーンだけヘンリーじゃなくなってる。ただの松坂桃李になってる。役が抜け落ちてる。
 戦勝国の若き王が、戦敗国の王女に求婚する。ただのラブシーンじゃないわけで。なのに、二人とも、コスプレしたその辺の若者になってしまってる。
 ここまで凄くいいヘンリー像を描いてきたのに、がっくりきたマダムなのだった。
 
 なのだけど、そのすぐあとにやってくるラストシーンが、美しいんだよね。
 ちょっと泣きそうになるくらい。
 
 その2で、他の役者さんたちのことなど、書くね。

『イーハトーボの劇列車』の謎を解く

 友人に言われなければ、あやうくサザンシアターに行ってしまうところだった。2月9日(土)ソワレ、紀伊國屋ホール。

こまつ座公演『イーハトーボの劇列車』
作/井上ひさし 
演出/長塚圭史
出演 松田龍平 山西惇 岡部たかし 村岡希美 土屋佑壱 松岡依都美 天野はな   紅甘 小日向星一 福田転球 中村まこと 宇梶剛士

 
 3時間半超え。とにかく長い。長すぎる。前日見た「ヘンリー五世」より長いのよ。紀伊國屋ホールの椅子で耐えるのは辛い。
 長くなってしまった原因は、テンポの悪さと暗転の多さ。台詞のテンポが常にゆっくりで、メリハリがない。その責任のほとんどは、主役松田龍平にあるのはほぼ間違いない事実なのだった。最初から最後まで変わらぬマイペースな台詞回し…。
 にもかかわらず、マダムはけっこう満足したの。自分の目的はかなり達成したから。
 これから説明しますね。
 
 『イーハトーボの劇列車』は、井上ひさしが宮沢賢治にオマージュを捧げた物語。こまつ座の看板作品の一つであると言ってもいい。マダムは6年前(2013年)の上演を観てるの。そのときの記事に、ストーリー説明と感じた疑問点を書いているので、まずそちらを読んでね。
宮沢賢治はいいひとか その1  と 宮沢賢治はいいひとか その2
 
 読んでいただけましたか? 振りかえって思うけど、正しい疑問だったよ。
 マダムはこのとき感じた疑問を解決したいと思って、今回の長塚演出版を観に行くことにしたの。
 で、結果はどうだったかというと。
 井上ひさしの台本は、宮沢賢治を「いいひと」としてなんか書いてなかった、ってことがわかった。「いいひと」として表現してたのは、鵜山演出と主演の井上芳雄だったのよ。
 それどころか、がんこで融通がきかなくて偏執狂で、現実生活では無能で、理解して愛してくれたのは妹だけで、誰にも愛されず気にもとめられない「でくのぼう」として描いてるの。
 長塚演出は、そこんところを誤魔化さずに描こうとしている。それに、松田龍平のメリハリのない演技が、期せずして台本上の宮沢賢治の「でくのぼう」ぶりを存分に暴露しているの(怪我の功名……?)。
 宮沢賢治は現実生活では無能なひとで、生涯にわたって、親の金に守られて暮らした。生きている間は、彼の詩も児童文学も売れはせず、彼の頭の中にある芸術に、誰も気づかず、価値も見出されなかった。彼独自の理想郷の構想も認められることもなく、あっさり早死にしてしまった。本人には全然、愛されキャラ要素はなかった。
 だけど、天才だった。残した文学の価値は、彼自身に愛されキャラ要素がなくても、燦然と輝いてる。
 
 でね、この台本は、具体的には「でくのぼう」の宮沢賢治を描きつつ、抽象的に、彼の残した思想と作品世界を描こうとしているの。この芝居の構造(列車に乗るシーンを幾度も挟みながら進行し、車掌が現実の車掌でありながら「思い残し切符」なるものを賢治に手渡しに来る「あの世からの使者」でもある)は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」へのオマージュであり、登場人物は皆、死後の世界の人々であって、この戯曲は、死者からの語りかけ、なのだ。
 もちろん2013年の鵜山演出も、その構造を描こうとしていたのだけれど、タッチはいかにも日本的な意味での「メルヘン」ティックだった。宮沢賢治が「いいひと」に見えるわけだから、そこは推して知るべし。
 長塚演出は、甘くなく、日本的な「メルヘン」にせず、それを硬質なイマジネーションで描こうとしているのが見て取れた。車掌の制服の、紺に鮮やかな紅色の差し色も、車掌が去って行くときに長く残るベルの音も、硬質で美しい。列車の走る音を役者たちの声で表現したり、役者全員でセットを組み替えたりしながら、ラストの「あの世への列車」が走り出すところまで、随所に工夫の跡があるの。
 でも残念なことに、成功していない。主演の松田龍平の演技力がそこまで達してないのもあるし、いちばんは劇場(と予算)のせいではないかしら。この戯曲は、正しく「銀河鉄道の夜」へのオマージュとして作られるべきで、舞台効果(セット、衣装、照明効果、音楽)の全てを動員しなければいけないのではないか。そのためには紀伊國屋ホールという劇場は、なにもかも足りなすぎる。
 
 例えば。こう言えば皆にわかってもらえるかな。同じ井上ひさしの戯曲に『ムサシ』というのがあるでしょ? 蜷川演出では、ファーストシーンで、美しい竹藪が舞台奥から風に揺れながら次々現れて、竹藪に囲まれた庵が出現する。あのシーンがもし、なかったとしたら? 蜷川演出『ムサシ』が到達したイマジネーション全体が危うくなってしまうでしょう?
 『イーハトーボの劇列車』もまた、同じくらいの舞台効果を要求してくる戯曲なのよ。
 
 というようなことが色々と腑に落ちたので、マダムはかなり満足したの。
 できることなら、もう少し大きな(舞台に袖とか高さとかが十分にあり、舞台効果の工夫がしやすい)劇場で、もう一度長塚圭史の演出が見たいな。
 今回はあまりにも不自由そうで、それが3時間半超えという苦難を生んだと思うのよね。

速報『ヘンリー五世』初日

 かなり待ちくたびれた。2月8日(金)ソワレ、さいたま芸術劇場大ホール。

彩の国シェイクスピア・シリーズ第34弾『ヘンリー五世』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/松岡和子
演出/吉田鋼太郎
出演 松坂桃李 吉田鋼太郎 溝端淳平 横田栄司 中河内雅貴 河内大和

   間宮啓行 廣田高志 松本こうせい 長谷川志 鈴木彰紀 竪山隼太

   沢海陽子 悠木つかさ ほか

 
 初日に行ってきた!
 それでもう、あんなことやこんなことを山ほど書きたいんだけれど、どれもこれもネタバレ過ぎる。
 なので、もう一度観に行く予定もあることだし、レビューは少ししてからたっぷり書くので、待ってて。
 今日は、ゲキ推しポイントを挙げておくので、これから観る方、お楽しみに!

ゲキ推しポイント
 ① とにかくヘンリー(松坂桃李)が素敵。大人の男になった。
   かっこよすぎるだろ。
 ② 殺陣が凄すぎる。こんな殺陣はマダムの観劇史上、初めてかも。壮絶。
   観るほうも、体力勝負。へとへとになる。
 ③ ネギが乱れ飛ぶ。抱腹絶倒。
   少し匂うので、前方席の人はマスク着用するのも良いかも。
 ④ 吉田鋼太郎のファンの方、安心して。出番がたくさんある。
 ⑤ ラストの演出が素晴らしい。四世から観てる人は泣く。
 
 以上、簡単だけど、初日の報告よ!
 みんな、楽しんできてね。

祝!岡本健一 読売演劇大賞最優秀男優賞

 我が岡本健一が、今年の読売演劇大賞の最優秀男優賞に選ばれた!めでたい〜!
 おめでとう、岡本くん。
 
 申し訳ないけれど、アイドルだったとき、バンドとしては殆ど興味はなかったの。でも、彼がまだ男闘呼組にいた頃、ドラマの演技を見て、マダムは「何、この子、すごい。魅力的だぞ〜」って思ったんだった。今から30年くらい前のこと。
 それからしばらくして、彼が舞台に惹かれ、活動を舞台に絞ったのを目の当たりにして、マダムはずっと、心の中で応援してきた。このブログでもずうっと、彼のことを推してきたの(皆さま、是非是非、「岡本健一」カテゴリーの記事の数々、この際お読みくださいね)。
 彼はもっと楽な道を選ぼうと思えば選べた。楽に稼ごうと思えば稼げた。
 でも、舞台に立つことに魅了されて、自ら演劇人となることを選んだの。
 そのことがしみじみ、嬉しい。そして、ありがとうって彼に言いたい。
 彼の演技には、役を表現したいというこころざししかない。なのに、色っぽい。
 正直言って、今回の受賞作品が最優秀だったかどうか、マダムはちょっと首をかしげる。彼の出演作で、もっと凄いのがあったぞ、とは思う。でもね、つまりは、彼のこれまでの歩みの全てが受賞作、ってことだよね。

 
 でね、この際なので、業界の方たちに言いたいけど、彼が出演してきたシェイクスピア作品の映像を、みんなが見られるようにしてくださいよ!
 岡本健一の『タイタス・アンドロニカス』のエアロン。『ヘンリー六世』と『リチャード三世』のリチャード。これは彼の代表作でしょ!しかも、公共の劇場で作っている。我々の税金が投入されている。見せなさい!みんなの財産なのよ。
 いったい誰が邪魔しているの?
 
 文句はさておき。
 岡本くん。これからも、自分がいいと思う作品に出て、いいと思う役にチャレンジしてね。その選択に何も文句は言わない。ただ、観に行くだけよ。ずっとね。

最悪の1月

 ブログの更新が滞り、申し訳ない。
 諸事情あり、予定したことがふっとんでしまい、いきなり暇になった。
 暇だわ、さてどうしようかなぁと、力が抜けたら、あっという間にインフルエンザにかかったのだった。かかったのは20年ぶりくらいかしら。子供がかかって看病したことは複数回あっても、その都度うつらずにきた。なのに、当面の目標を失った途端、この体たらくである。
 1週間は完全に家に閉じこもり、食欲もなくて、熱が下がってもぼんやりしていた。その後の1週間は仕事に出かけてはいたものの、それがやっと。食欲が完全回復し、頭が回るようになってきたのはこの数日のことだ。もともとの体力が低空飛行なので、こういう時に戻るのに時間がかかってしまう。
 やっとこさ、いつものペースになってきたら、もうすぐ2月。
 あと一週間で『ヘンリー五世』も開幕だし、エンジンかけねば、と思った1月31日。
 雇い止めにあった。3月いっぱいで今の仕事は終わり。
 最悪だ。
 予感はあった。のだけれど、一方で楽観的な見方もできる状況だったので、「あー、そうきたか」という感じ。
 いろいろ、考え直さねばならない。
 このブログの存続も。
 観劇予算、足元から崩れる・・・。
 
 まあ、すぐにはやめませんよ。観なくちゃならないシェイクスピアが何本か、それに『ヘドウィグ』もあるんだし。
 
 とりあえずは『ヘンリー五世』の初日に行きますんで、そこからはしばらく通常運転しますね。

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