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2018年7月

『レインマン』を観る

 チケット争奪戦に出遅れた結果、平日夜の観劇となった。ちょっとハードだ。7月24日(火)ソワレ、新国立劇場中劇場。

『レインマン』
脚本/ダン・ゴードン 上演台本・演出/松井周
出演 藤原竜也 椎名桔平 安蘭けい 横田栄司 吉本菜穂子 渡辺哲

 蜷川御大亡き後、藤原竜也の芝居に行かなくなっていたの。『アテネのタイモン』は観たけれど、あれは藤原竜也の芝居、ではなかったし。
 ではなぜ、今回行ったのかというと、彼の役が、王でも王子でもなく天才殺人鬼でも稀代のペテン師でもない、フツーのあんちゃんだってことと、演出が松井周だからってことなの。
 マダムは松井周の劇団サンプルの公演を観たことがないし、作品もよく知らない。ただ一度だけ松井周の演技を見たことがある。それはハイバイの『ヒッキー・ソトニデテミターノ』で、急病の古舘寛治の代役として出ていたときだった。台本を持ったまま、という大胆な代役だったのだけれど、その役がどんな人なのかを深く理解した佇まいで、マダムの代役史上最高の演技だった。こういう人の演出は信じられるぞ、と思ったわけなのよ。
 
 原作は有名な映画だし、ストーリーを説明しなくてもいいよね?
 
 マダムの予感は的中し、フツーのあんちゃんを演じる藤原竜也が、とても生き生きしていたの。彼のデビューが『身毒丸』や『バトルロワイヤル』だからといって、本人の中にいつも狂気が渦巻いているわけじゃなし、普通の青年の役をなんでやらないんだ、と思ってたのよ。チャーリーの、人生投げやりでやんちゃでいい加減で女好きで・・・っていう設定、(芝居に対する態度を別にしたら)本人に限りなく近そうな役だよ、これ。
 だから、ひとりで朗々と台詞を語るところなんかなくて、悪態ついたり言い訳したり、遺産欲しさに自閉症の兄を連れ出す無謀さとか、その兄がすぐ隣室にいるのに恋人とセックス始めちゃったりする自制心のないあんちゃんぶりとか、めちゃくちゃリアリティがある。彼の芝居でこんなにリアリティがあったの、『天保十二年のシェイクスピア』以来じゃなかろうか(そういえば、あの時の役も時代劇だったけどいい加減なあんちゃんだったわ・・・)。
 もちろん、本人に近いからという理由だけでいい演技ができるわけないので、そこは面白い本と、的確な演出と、手練の共演者と、本人の努力があるのだというのはよくわかっているのよ。
 そして、ラスト、いいように利用してきたかに見えた恋人をちゃんと抱きしめてキスするところなんか、いつどこで覚えたんだっていう美しい、女の抱き寄せ方を見せてくれて。ダメダメなあんちゃんが芝居の終わりに一瞬カッコよく見えるの。それはこの芝居のテーマそのものだし、成功してる。
 
 そして抜かりなく配置された共演者の上手さ。
 映画でダスティン・ホフマンがやったレイモンド、椎名桔平が素晴らしいの。ダスティン・ホフマンに負けないくらい上手くて、ダスティン・ホフマンよりあざとくない。最初から最後まで椎名桔平であることを忘れて、自閉症でサヴァン症候群のレイモンドとして見惚れてた。映画の印象ではダスティン・ホフマンが主役のような演技だったと記憶してるし、実際チャーリーよりも遥かに難しい役だと思う。チャーリーには次々とドラマがある(倒産に追い込まれる→父が亡くなる→遺産を期待する→兄がいることを初めて知る→遺産が全部兄に行くことがわかる→兄を連れ出す→兄と自分の秘密を知る→「レインマン」の謎が解ける、などなど)けど、レイモンドは閉じてる人だから、ドラマがほんの少ししかないのね。相手に反応するっていう演技を、かなり封印しなくちゃならない。かといって、全く反応しないわけでもないので、ひとりで作り込まなくちゃいけない大役なのよ。椎名桔平、映像ではいい役者だと知ってたけれど、舞台でこれだけの演技ができる人だったとは。
 チャーリーの恋人スーザンの安蘭けいも、安定の上手さ。しかし、もし実年齢に近い女優を連れてくるときっと、大人の女にならないんだろうなぁ。それはそれで問題だ。
 そして三役を演じ分ける横田栄司。彼のおかげで、舞台を安心して見ていられるのだけれど、なぜこの役目を彼がやらなきゃいけないのか、マダムはちょっと不満。これを書いているちょうど今日、読売演劇大賞の上半期の男優5人の中に選出されたニュースがあったばかり。高い技能を持った役者さんには、ふさわしい役をつけてほしいとマダムは思う(けど、案外ご本人は、時々は気楽にやりたいからいいんだよ、っていうかもしれないんだけど。でもさ)。
 
 さりげない照明が美しかったし、スタッフがホテルマンみたいな衣装で装置替えしてるのも楽しかった。いい舞台だったわ。

大人を唸らせる 子供のためのシェイクスピア『冬物語』

 初日に行けばよかった、と後悔している。7月14日(土)ソワレ、あうるすぽっと。

子供のためのシェイクスピアカンパニー『冬物語』
作/ウィリアム・シェイクスピア(小田島雄志翻訳による)  
脚本・演出/山崎清介
出演 板倉佳司 山口雅義 戸谷昌弘 若松力 キム・テイ
   大内めぐみ 大井川皐月 山崎清介

 初日に行けばよかった。そうしたらもう少し早くブログに記事を書けただろうし、みんなにお薦めすることができたのに。書き始めたのが東京千秋楽の日なんだもの。間に合わん。(今後、地方公演あるようなので、地方の方、お見逃しなく!)
 2013年の夏に『ジュリアス・シーザー』を観て以来、ほぼ毎年必ず観ているこのカンパニー、毎回満足するし感心することも多いのだけれど、今回ほど演出に唸ったことはなかったの。なるほど、このようにシェイクスピアの本を解釈することができるのね、と。
 『冬物語』は赦しの物語、とされていて、ラストはやはりその感動の嵐なのだけれど、この演出はさらに一歩踏み込み、赦してもなお取り戻せはしない時の不可逆性を、ちゃんと示していたの。凄かった。
 
 舞台はいつもこの座組みがそうであるように、木製の椅子とテーブルを組み合わせたセットで、シンプル。全員が黒いコート姿でクラッピング(拍手)しながらリズミカルにシーンを運んでいく。出番が来てコートを脱ぎすてると、美しい織りと光沢のある衣装が現れ、その役になる。8人の役者が全員二役(+コロス)をこなす。そして、主宰の山崎清介が操る人形が「時」の役割を担って、芝居の中で進んで行く時の流れを説明する。

 あらすじは説明しないね。ごめん、『冬物語』を知らない人にはなんのことやら、わからないかもしれない。どうしたって、解釈に触れずにはいられない。

 マダムは、『冬物語』で大事なのはリオンティーズの「なんの根拠もない」激しく理不尽な嫉妬をどうちゃんと描くか、だと思ってきたの。だから先日見たロイヤルバレエの冬物語で、リオンティーズ役の平野亮一の嫉妬で狂っていく演技が素晴らしいと感じたのね。それが、物語を支えていて、だからリオンティーズが主役なの。
 でも今回の舞台を観たら、リオンティーズは本に書いてある通りで、それ以上でも以下でもなかった。そうしたら、その理不尽さが倍増して迫ってきたので、驚いた。リオンティーズの愚かで頑なな思い込みは、王であるがゆえに誰も止めることができない。『冬物語』には誰も悪人は出てこなくて、誰かを陥れようとしたり自分が成り上がろうとしたりする人物はだあれもいないの。だからみんな、王の嫉妬を根拠のないものとして諫めようとし、悪影響が及ぶのを止めようとするの。神託(神のお告げ)すら、王を止めようとする。だけど、止められなくて、みんな薙ぎ倒されていく。
 例えば忠義者のカミロー(貴族)は、王妃の不貞の相手ポリクシニーズを殺害せよと命じられる。けれど、王が間違っていると思うカミローは、ポリクシニーズを殺さず、逃亡の手助けをする。そのせいで自ら自分の国を追われ、16年もの間、帰ることはできないの。
 例えば赤ん坊を荒野に捨ててこいと命じられた貴族アンティゴナスは、リオンティーズの追っ手の来ないボヘミアの海岸まで赤ん坊を捨てに行き、誰かに拾われて育てられるよう最善を尽くす。それなのに自らは直後に熊の餌食となり命を落とすの。その上、アンティゴナスと赤ん坊を運んだ船は荒れた海に沈み、船員たちも皆死んでしまう。
 母妃が牢屋に入れられ引き離された幼い王子も、ショックのあまり死んでしまう。それを聞いてハーマイオニーも気を失い、一度は死ぬのだ(16年もの間、姿を隠さなければならなかった)。
 山崎演出は実に丁寧に、善意の人たちが薙ぎ倒されていく様子を描いていく。それも、余計な力を排して、淡々と、時には軽やかに。
 
 そして、それを受けてのラストの演出が凄かった。
 リオンティーズが赦しを得てめでたし、とはならなかったの。これほどまでに皆が薙ぎ倒されたのだから、時が経てば水に流される、とはいかなかった。
 ハーマイオニーの彫像が動き出して、リオンティーズとの再会を果たすシーン。全てが赦され、めでたし、であるように思われてきたけれど。
 今回のハーマイオニーはリオンティーズを温かく包んだりはしなかった。ただ静かに見つめていただけ。そして娘のパーディタにだけ「あなたが生きているという神託があったから、母はこれまで生きてきたのですよ」と言葉をかけるの(でも、これ、ちゃんとシェイクスピアの本通りなのよ!)。ハーマイオニーは娘との再会を心の支えに生きてきたのであって、リオンティーズのために生き延びたわけではなかったのよ。
 そして一番マダムがすごいと思ったのは、夫アンティゴナスを失ったポーリーナのラスト。リオンティーズはこれまでのポーリーナの労をねぎらい、自分だけが幸せであってはいけないとも思ったのか、カミローを新しい夫として授けようとするんだけど、そして普通の(?)演出だと、なんとなく二人もくっつかせてめでたし、となりそうなところだけど。
 ポーリーナの反応は、夫アンティゴナスを失った傷がそのようなことで癒えるものではない、というもの。台詞はないんだけど、表情と佇まいでそのことを示すの。で、鈍感なリオンティーズはポーリーナの本心が汲み取れない。自分だけいい思いをするのが後ろめたいだけなの。それでカミローを呼んでポーリーナの「手を取れ」って言うのね。そこまでは本通り。
 王に促され、カミローはポーリーナの元へ歩いていく。カミローはいい奴だし、命じられて嫌々ではなく、ポーリーナに好意を持っているのが様子でわかるの。そして、台本にないカミローの台詞がここで出た。ポーリーナをまっすぐ見て淡々と「貴女さえよければ」って言ったの。
 これ、すごいよ。その一言で、リオンティーズは鈍感だけど、カミローはちゃんと今のポーリーナの気持ちがわかってるんだ、って示してる。貴女の気持ちを尊重しますよ、って伝えてるのよ。
 結局ポーリーナは同意はしない。しないけどカミローがいい奴だってことはわかったので、ポーリーナはカミローの手を取り、袖へ消えていく。この、メデタシじゃないけど、人の心というものを大切に扱った演出はどうだろう!ホント、素晴らしい!

 優れた演出っていうものは台本の、これまで当たらなかった面に光をあてて見せてくれる。『冬物語』って、実はポーリーナが主役だったのね。信念に忠実に生きるというのはこういうことだ。
 
 

マダムの青春遍歴その1 それは西城秀樹から始まった

 西城秀樹が亡くなったのは5月のこと。
 マダムの中で長いこと彼は、向田邦子のドラマ「寺内貫太郎一家」の周平さん、だった。それ以外のことは、思い出しもしなかったんだけど。
 
 彼の死のショックはじわじわと沁みてきて、化石のような記憶のカタマリを溶かし、40年位思い出さなかったことが蘇ってきた。
 彼のシングルレコードを買った、と思うの。しかもそれはマダムが生まれて初めて自分で買ったレコードではなかったか、と。
 だけど、その後レコードをどこにしまったのか見た憶えがなくて、もう曲の題名すら思い出せなかった。「傷だらけのローラ」とか「ヤングマン」みたいな超有名曲ではないの。私はなんのレコードを買ったのでしょう? って、他人が知るわけがないよね。
 気になってしょうがないので、腰を据えてYouTubeで1曲1曲聴いていった。そうしたら、見つけたよ、マダムがシングルレコードを買った曲。イントロが始まった瞬間、すぐわかったの。もちろん全部歌えた。心震える。
 音楽ってすごい思い出し方をするものだ。聴いていた時の身体感覚がよみがえるんだもの。あの頃、テレビの中で歌う彼の稲妻にうたれたのよ。その後いろいろな稲妻を浴びることになるマダムの、人生最初の稲妻。その時の胸が痛いような気持ちを、まざまざと思い出し、ちょっと慄いたの。そうだよ、凄く好きだったんじゃん・・・始まりは西城秀樹だったんだ。
 せっかく買ったレコードだけど実際に家で、かけたかどうか怪しいの。というのは、当時マダムのうちにあったステレオは大学生の兄のもので、兄の部屋にあり、その横には兄が収集したクラシックレコードがびっちり置いてあって、「絶対に触ってはいけない」と言い渡されていたから。
 かけられないかもしれないレコードを、それでも買ったなんてね、健気だ・・・その時の自分がなんだか可愛いな、と思う。
 
 その曲は「ちぎれた愛」という曲。途中に「好きだーっっっ」って絶叫の台詞入りで、やっぱりこんなもの、家でかけられるわけがないのだ。それに別にかけなくても不自由はなかった。だって当時は毎日テレビで歌番組があり、ほぼ全てが生放送だったから、だいたい毎日西城秀樹が生で歌う姿を見ることができたからね。
 今になって、デビューして1年目くらいの彼が歌う姿をYouTubeで見て驚いたのは、べらぼうに歌が上手くて表現力が半端ないってことだった。当時マダムはただ稲妻に打たれっぱなしの中学生だったから、彼の歌がとんでもなく上手いことにすら気付かなかった。まあ、ファンの女の子たちの殆どが歌を聴いてるっていうより、彼のセクシーさを全身全霊で受け止めるのが精一杯だったんだよね。
 順を追って彼の曲を聴いてみると、「ちぎれた愛」の1曲前の「情熱の嵐」から好きになったらしい。曲の耳馴染み方が全然ちがう。そして1年半後の「傷だらけのローラ」まで熱心なファンだった。
 でも、そこでぷっつり、マダムの熱は切れてる。あんなに好きだったのに、どうしたんだろう。なにがあったんだろう。
 それを追求する前に。

 
 ほぼ同じ1年半、同時進行で、マダムの音楽的(文化的?)環境は、どんどん外部から刺激が与えられていった。テレビとは真逆の方向からそれは、やってきたの。
 大学生だった兄が仲間と一緒に、とある新人女性歌手のファンクラブを立ち上げた。同好会みたいなファンクラブで、ガリ版刷りの手作りな会報を出して。100人にも満たない会員数だったと思うけど、それでもアンケート用の返信ハガキが家にたくさん届くようになった。マダムも彼女の最初のアルバムを繰り返し聴いて、とても好きになって、アンケートの集計なんかを手伝ったりした。
 その歌手の名前は、荒井由実。

 その2に続く。
 

成河の38役『フリー・コミティッド』

 急な階段が怖いんだけど、最近とても魅力的な芝居が続くよ。7月6日(金)ソワレ、DDD青山クロスシアター。

『フリー・コミティッド』
作/ベッキー・モード 翻訳/常田景子
演出/千葉哲也
出演 成河(ソンハ)

 中堅舞台俳優として圧倒的な実力を持ってる成河の、一人芝居。

 成河は各公演に1度か2度、ファンとのトーク会を開く。マダムは参加したことはないんだけど、今回のトーク会に参加した人が成河の言葉をツイートしてた。
「(自分にとって)面白くない舞台は無理に行かないように。1回面白くなかったら絶対2回目も面白くない。演劇で即完売は不健全。興行側に調子に乗らせないようにみなさん不買運動してください」
だって。成河は、ホントに頭が良くて誠実な役者ね。マダムがこのブログでやっていることを、認めてくれたも同然。芝居は口コミで満員になっていくのがいちばんだもんね。
 成河の言葉を受けて正直に言うけど、『フリー・コミティッド』はもう1度行きたい芝居じゃなかった。皮肉な結果ね。まあ、こういうこともあるわ。

 売れない俳優のサムは、オーディションにもなかなか受からず、役者の仕事がないので、マンハッタンの人気レストランの電話予約係のアルバイトをしている。交代の予約係が来ない中、地下の電話室でサムは一人で様々な電話の応対をし、厨房とも話し、レストランのフロア係とも話し、しゃべり続ける2時間…。オーディションの最終面接に通りそうな当たりをつけて、悠々と職場を放棄するところまでを描く。
 サムはもちろんのこと、すべての電話の相手役を成河ひとりで演る、のだけれど。そのやり方は、電話だから声帯模写風になるのね。まずその手法にがっかり・・つまらない。
 声色や口調を変えて、電話の向こうの相手のあんな人やこんな人を演じてみせてくれて、もちろん、成河だから上手いんだけど・・・これってさ、芝居じゃなくて落語じゃない?
 百歩譲って落語(アメリカでいうならばスタンダップコメディー=ひとり漫談?)でも良し、としよう。その中身が面白いかっていうと、面白くないの。
 
 なぜ面白くないのか。つらつら考えるに、アメリカでアメリカ人が面白がってるものを、まんまやってるからだと思うの。
 アメリカ人なら大抵了解しているらしい事柄を前提に芝居ができている。例えば有名人の名前がいろいろ出てくるんだけど、マダムが知ってたのはナオミ・キャンベルくらいなのね。それだって、よく知ってるわけじゃないから、彼女を揶揄するような内容の台詞がピンとこないし、面白くないわけ。でもきっとアメリカ人ならゲラゲラ笑うんでしょう。
 チラシに「・・・カリスマシェフ、ゲイの美容師、ドミニカ共和国出身のコック・・・」とかって書いてあるのだけど、こういうのもアメリカでは馴染みの設定だから笑えるんで、コックがドミニカ共和国出身だなんてマダムには伝わってこないし、仮に伝わっても、それがどんなニュアンスを持ちどんな意味があるアイコンなのか、日本の観客には理解できないよ。
 
 サムの同僚の交代要員の男は、サムに仕事を任せたままなかなかやってこない。実は内緒で別の仕事の面接に行ってるのね。で、その面接先の会社の名前が出てくるんだけど、もちろん私たちは知らないから、何のイメージもわかない。一緒に見たマダムP(ニューヨークに住んでたことがある)が教えてくれたんだけど、それはアウトレットの家庭用品の、倉庫みたいな店を展開してるチェーン店なのだそう。それならば、イケアとかニトリとかコストコとか、日本の観客にイメージの湧くような名前になぜ変えないのかな。
 まんまをただ日本語に移しただけでは、上演台本を作ったことにはならないよ。面白さを日本の観客に伝えるために、何を選び、何を捨てざるを得ないのか、決めるのが翻訳と演出の仕事でしょ。
 
 こんな失敗も含めて、挑戦する成河のことは好きだよ。だけど、この芝居はお薦めしない。

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