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新国立劇場でオーウェルの『1984』を観る

 新緑が綺麗で、出歩く足も軽い。4月29日(日)マチネ、新国立劇場小劇場。

『1984』
原作/ジョージ・オーウェル 脚本/ロバート・アイク ダンカン・マクミラン
翻訳/平川大作 演出/小川絵梨子
出演 井上芳雄 ともさかりえ 森下能幸 宮地雅子 山口翔悟
   神農直隆 武子太郎 曽我部洋士 ほか

 

 すごく退屈だった。

 『1984』はあまりにも有名なジョージ・オーウェルの小説だけど、マダムはお話を知ってはいても読んでないの。舞台を観るのも初めて。
 で、ブロードウェイ上演時は、拷問シーンのグロさハンパなくて、気分が悪くなって帰る人続出だったらしい。その辺のことは教えてくれる人がいたので、覚悟して行ったの。だけど、グロさ云々の前に、1本の芝居としてメチャクチャ退屈で、拷問シーンの前に帰ろうかと思ったわ。

 小川演出はたいてい、観客の側に多くの予備知識を要求するのだけれど、今回も例外ではなくて、物語の設定について何の説明もないの。核戦争後であるとか、世界が3分割されて統治されてることとか、ビッグブラザーという名の絶対的統治者が君臨していることとか。全世界的に独裁による全体主義に覆われてることとかね。感じさせる工夫が相当足りないよ。

 始まって3分の2くらいまで(つまり拷問シーンの前まで)の緊迫してる風の会話が、あきれるほどつまらなくて、眠くなっちゃう。役者の演技がよくないのか、演出が行き届かないのか、その両方なのか。観客がイメージを受け取りたくても、全然受け取れない。全体主義の空気も描けてないし、主人公ウィンストン・スミス(井上芳雄)はどういう立場の男なのかも、どうしたいのかもわかんないの。怖くもなけりゃ、感情移入もままならない。もう、なんにも伝わってこないのでマダムは、芝居が理解できない恐怖でいっぱい。
 さらに、監視社会を表現するためなのだろうけど、ウィンストン・スミスと恋人ジューリア(ともさかりえ)の逢瀬の様子が映像で、セットの壁に延々映し出される。この映像が恐ろしく陳腐で、出来が悪すぎ。写し方も工夫が足りなくて、テンポがダラダラ。
 今や舞台で映像をどう取り入れるかにおいて、演劇界は成熟の時期に突入しているでしょう?なのに、こんな素人くさい映像を延々と流して良しとするのって、唖然とする。お金がかかることができないなら、映像使用は諦めるべきだったのではないかしら。

 そしてここからは根本的なことだ。
 物語は、ウィンストン・スミスが激しい拷問に耐えられなくなって、恋人ジューリアを守る気持ち(愛)を売り渡し、拷問から逃れ、その後は全体主義の奴隷となって生きて行くことを暗示して終わるんだけど。
 拷問に耐えられずに愛する人さえ売り渡してしまう・・・って、たいていの人間には当たり前のことだ。追い詰められたら人間は弱い。どんな残虐なことだってしてしまう。だからそのことを訴えても、なんにも解決にならないよね。
 グロい拷問シーンをこけおどしのように使って、ウィンストンの変わりようを描いてみても、私たちはその先に進むことはできないじゃない?『1984』はその程度の作品なんだろうか?
 
 拷問シーンについてはグロかったけれど、ショックはなかった。野田秀樹の『THE BEE』の、割り箸を折ることで指が折れるのを表現された時の方が、よっぽど倒れそうだった。演劇的な表現とは何か。そのことをもう一度考え直した方がいいよね。

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コメント

うーむ、なんとコメントして良いのやら。

私は、結局、この演出家と主演俳優はお腹いっぱいなんだと思います。
マダムが高評価つけるなら、なんとかチケットを探そう〜とは思っていましたが、あまり、積極的には観る気になれずに現在に至る(笑)。
ちょうど同時期に(おそらく同じ回の観劇)別のお芝居好き友達も「長い」「退屈」という感想を上げられていて、そうかーやっぱりなーと納得しました。同じ感性の人は、そう感じるのね。
もう観た気になっちゃったから、いいかなw。

ぷらむさま。
今回は8割がた演出家に責任があると考えます。
井上君は言われる通りのことはしているけれど、彼の限界はごく並みの広さまでしかないので、こういう狂気の幅が必要な役は難しい。一人で喋って台詞を面白く聞かせることもできない。
それにしても、これから芸術監督になる人の作品がこれでは、期待値が下がってしまいますね…。私も当分、小川演出はいいですわ〜。

マダムの観劇記事を読んで、行かなくて正解だったと感じました。私も、小川演出は苦手で、今までは私の好みじゃないだけかと思っていたけど、それだけじゃないのかしら。

ここ数ヵ月は観劇控えめにしていて、好評舞台を見逃して少々悔しい時もあったけれど、観なければ観ないですむみたいです。時間もお金も限られているからこそ、良い舞台と出会いたいです。

マダムの次の観劇はいつですか?

Mickeyさま。
小川さん、この作品は特に向いてなかったのじゃないかなぁ。いろいろ試そうとして、何もかも裏目に出たのではないかと推測されます。
この作品は別にして、私は小川演出が日本の観客に対して不親切だと思っていて、それが苦手の最大の理由かと思います。小川翻訳で最近見た「Take Me Out」の藤田演出、どう日本の観客にわかってもらうか苦心惨憺した跡が見られ、誠実だし、必要なことはちゃんと伝わってきました。「自分にわかることは皆がわかる」と思ったら大間違いなので、小川さんにそこをまず認識してほしいです。あと、試しに、日本の戯曲を演出してみたらいいと思いますね。翻訳のせいにできないでしょ?
私の次の観劇、チケットを買ってあるもので一番早いのはゴールドシアターの「ワレワレのモロモロ」と長塚さんの「ハングマン」です!

Kママに指摘されて思い出しました。小川さんは昨年、新国立で「マリアの首」を演出しています。その時は素直に感動しましたが、それが、戯曲が素晴らしかったからか、俳優の力なのか、演出によるのかはわかりません。それらすべてがうまく噛み合ったからかもしれません。原爆投下後の長崎の話ということで、戯曲のバックグラウンドの説明は不要だったし。

ただ、娼婦たちの話のわりにはあっさりした演出だという声はあったようです。鈴木杏ちゃんや伊勢佳代ちゃんなど、女優陣のエネルギーは圧倒的でした。

今後、小川さんの演出の時は、戯曲とキャスティングによって考えようかな。

Mickeyさま。
なるほど!「マリアの首」の時は小川演出、よかったのですね。
翻訳物の時の説明不足をなんとかしてもらえたら、と思います。

僕は読んでいきましたが、わからないという点は無かった。逢瀬のシーンは映像ではありません。監視スクリーンのフレームの中で演技してました。あのシーンが長いのは、観客も監視者だよ!と表しています。

叡さま。
はい、私も監視カメラの映像のつもりだろうとは思いましたが、監視カメラのフレームから外れない演技、っておかしくありません?あの部屋のどことどこにカメラがあり、どう切り替わってカット割りになるのか、考え抜かれた映像とはとても思えなかった。人間が死角に入って声だけ聞こえるとか、その声を追ってカメラが移動していくとか、見せる工夫がほしかったです。工夫がないので、長く感じてしまうのだと思う。
演技も、監視を逃れた(と思っている)一瞬の逢瀬の感じがなかった。ドキドキ感がなくて残念でした。

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