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『ヒッキー・ソトニデテミターノ』を観る

 今年は芸劇に通うことが多くなりそう。2月11日(日)マチネ、東京芸術劇場シアターイースト。
 
ハイバイ公演『ヒッキー・ソトニデテミターノ』
作・演出/岩井秀人
出演 岩井秀人 チャン・リーメイ 松井周(古舘寛治の代役) 田村健太郎
   能島瑞穂 平原テツ 猪俣俊明 高橋周平 藤谷理子 佐野光来(声の出演)



 ハイバイを観ることはいつも、チクチクと痛いことだ。
 「て」も「おとこたち」も「夫婦」もとんでもない名作だけれど、だからこそ観る側の心を削りかねない諸刃の刃。マダムはそこが好き。ドSなのかしら・・・?
 
 『ヒッキー・ソトニデテミターノ』。「ヒッキー・カンクーントルネード」の続編で再演だけど、マダムはシリーズとしても初めて観た。「ヒッキー」とは、ひきこもりのこと(©岩井秀人)で、文字通り、ひきこもりの人たちが外に出てみたとき起きる悲喜こもごもを、ヒリヒリしたユーモアを加えながら直視してる物語。
 ほんとにね、直視してる。辛いところ、痛いところを避けない。オブラートにくるまない。逸らさない。そして、良いとか悪いとか断定しない。こんなところまで描いたらつい、断定したくなってしまいそうなのに、断定しない岩井秀人は実はとても強い人だ。本当に強い人は強そうに見えないのね。
 
 舞台は周りを四角く渡り廊下で囲った、ごく簡単なセット。その中に木製のテーブルやベンチや椅子が適宜置かれていて、途中、役者自身でどんどんそれを組み替えながら演技していく。それだけで家、外、施設、それぞれの部屋、電車内など次々場面転換していくのは、いつものハイバイならではだけれど、役者のスイッチの切り替えが見事。演技中でない役者もはけてしまわずに舞台上にいることが多いのだけれど、気配が消えているので、今は誰の場面なのか、混乱することはない。それとも、マダムがハイバイの手法に馴染んだということかしら。
 
 太郎(田村健太郎)は13歳から10年間、家から出ていない。いつも二階の自室にこもっている。最近は父(平原テツ)にも母(能島瑞穂)にも会いたがらず凶暴になるので、太郎が食事に降りてくるときには、父母は別室に逃げている。母は進んで息子の奴隷のようになり、父はリストラに遭って息子のことを抱えきれなくなっている。そして両親は、ひきこもりの人たちが寄り集まって暮らすリハビリ(?)施設に、息子のことを相談する。施設の相談員黒木(チャン・リーメイ)と森田(岩井秀人)は、太郎を家にひとりきりにする「兵糧攻め」を画策し、やがて太郎は父母に対する恨み骨髄ながら、施設に入ることになるの。
 施設には、家を出たけれど結局施設の外へは出られないヒッキーたちがいっぱいいる。太郎が話をするようになった斉藤(松井周)は48歳で、26年間ひきこもってきたベテラン。施設の自室にこもり、想像(妄想)をたくましくして、妙なメニューのあるレストランに入ってしまったらどう注文するかとか、道を訊かれたらどこまで正確に答えればいいかとかを、練習する毎日。真面目に穏やかに微笑みながら、自分の中のメビウスの輪をぐるぐる廻っている斉藤。マダムにとっては主役、と言ってもいい役だった。演じる松井周は、体調不良の古舘寛治の代役で、なんと台本を持ったまま舞台に立ったのだけれど、それがもう、斉藤の練習ノートにしか見えず、素晴らしかった。たった二日の稽古で主役に躍り出るなんて、ちょっとした奇跡よ。立ち会えて、幸運なマダム。
 話は太郎と斉藤の行く末(それも明るくない行く末)に向かうのだけれど、ここにきっちり絡んでくるのが相談員の森田。自身もひきこもりだった森田は、同じ相談員の黒木のようには断言もできないし、強くもない。どうして家を出られたのか、家を出てよかったか。家を出て楽しいか。そもそも何のために家を出たのか。家を出なければいけないものなのか。ヒッキーたちから詰め寄られると、いちいち考え込み、言い淀む。そりゃそうよね、正直であればあるほど即答はないもの。「家を出た方が幸せになれる可能性があるなら、出た方がいい。不幸になる可能性もあるけど」という、励ましなのかさっぱりわからない言葉しか、森田の口からは出てこないの。
 ラスト、不幸な結末を受け止め、慟哭することもなく、ただ自分の内でなんとかしようとする森田を、観客が今度は受け止めなければならない。

 この森田富美男という役は岩井秀人自身がモデルで、初演の時は吹越満が演じたのだそう。吹越満だったら、もっとブラックよりのユーモアがありそう。それを今回は自分で演じることを選んだ。それはどうしても、森田という人の苦しみがやがて岩井秀人自身の苦しみに見えてくる、プラスにせよマイナスにせよ、そういう効果がある。承知の上で、あえてやってみたのね。こんな例えがいいかわからないけど、鶴が自分の羽を機に織り込んでいくのを見てしまったような気がした。
 おかげですっかり他人事では済まされなくなってしまった。ほんとに私たちと地続きにいる、と感じたの。少なくともマダムは完全に地続きだ。森田も、黒木も、斉藤も、太郎の両親も、太郎でさえも、ね。
 
 

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コメント

今日、これから観るんですけどね。

初演の吹越さんは、ユーモアというよりシュールが勝っていたように思います。
吹越さんって、見た目が病気っぽいでしょう?
そして、あの不思議な動き。
終盤で、空中に浮いた窓枠の向こう側で
「あ、ああ? あっ」
と嘆きとも納得とも言えない声を発しながら、どこに骨があるのか、関節があるのかわからないようなスローモーションで崩れ落ちて行ったのが、忘れられません。

ぷらむさま。
今頃ご覧になってると思いますが、そりゃ、全然違う再演になってますね。シュール、な感じはなかったです。
岩井さんはそのパントマイム的な動きはしない代わりに、本物であることを示したというか・・・。

斉藤代役松井周を初日に観ました。此処の変更は劇団サンプル内の交代でテイスト差はほぼない。少し捌けた斉藤像と思いました。
初演は思ったほど吹越満臭は無くて、でも、今回の岩井秀人の演じた森田を観たらクッキリわかった感じがしました。この戯曲は笑いはミニマムでいいんだ。

叡さん、笑いはミニマムでいい、ってホントに。
初演見てないので、岩井さんの森田を見ちゃうと、吹越さんの森田はもう想像できないです。別の戯曲、くらい違うような気がします。

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