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1981年の『近松心中物語』 その2

 思えばこの時の『近松心中物語』(長いので以下『近松』と略す)は、蜷川御大が商業演劇に進出して数年が経ち、演出家として圧倒的スターダムにのし上がる、駄目押しのような作品だったの。
 そして私たちが馴染んだ(時には、またか、と思った)演出方法は、すべて『近松』に揃っている。御大の好きなものばかり。
 そびえる二階建ての長屋セット。群衆が一挙に動き出す、アッと言わせる幕開き。絢爛豪華な色使い。役者を消耗させるほどの何トンもの水。大音量の演歌。上から降ってくる大量の紙吹雪と風。そして・・・台詞を詠う役者。
 配役は

 忠兵衛=平幹二朗  梅川=太地喜和子  
 与兵衛=菅野忠彦  お亀=市原悦子  
 八右衛門=金田龍之介  忠兵衛の義母=嵐徳三郎  お亀の母=山岡久乃

 
といった具合で、新劇の人、歌舞伎の人、新派の人いろいろいて、異種格闘技戦の様相。これも御大が好きなやり方よね。
 でもね、言っておかなくちゃいけないのは、当時はどれもこれも皆、新しい挑戦だった、ってこと。ほかに誰もやらないようなことを、どんどん取り入れて実現させていったってことなの。帝劇で水。帝劇で大音量の森進一。誰もやろうとしなかったでしょう?考えてもみなかったでしょう?
 
 再演にもかかわらず、パンフレットには舞台写真がほとんど載ってなくて、昔からこうだったんだと改めてがっかりする。そこで、偶然パンフレットにはさんであった切り抜きの舞台写真をお見せしましょ。

Img_0871_2


これは、週刊朝日に当時、小田島雄志が連載してた「週刊朝日劇場」のページ。毎週一本の舞台が、小田島先生の解説付きで紹介されるコーナーで、マダムは必ずチェックしていた。

 

 たったいま手にかけた梅川の遺体を抱きかかえて、雪の中をよろよろと進む忠兵衛・・・平幹二朗が、美しい・・・。(初演ではこのシーンで腰を痛め、残り三分の一の公演を代役がすることになった、伝説のシーンね。)
 この美しさもさることながら、平幹二朗と太地喜和子の台詞は詠うようで、人間離れしてたの。辻村ジュサブローが操る人形のように。
 
 ここまで水っぽい演出方法を連発しても、ギリギリ首の皮一枚のところで1981年の『近松』は芸術として踏みとどまっていたんだけど、それは蜷川御大が、そもそもの近松の心中もののテーマを決して忘れなかったから。江戸時代の、庶民の受けていた強烈な圧迫感をなんとか表現するんだと強く思っていたからだと、マダムは今になって、わかるの。忠兵衛と梅川はもちろん、群衆も、そして笑いをとってるお亀と与兵衛の二人さえ、時代の不自由さにがんじがらめになって、喘いでいる。一挙手一投足が決められてしまっている時代。心中するってことは、自由になりたいってことなのよ。壁を打ち破りたいってことなの。それには死ぬしかないという、どうにもならない圧迫感。
 それが舞台全体をちゃんと覆っていたのよ。

 そしてそれが、いのうえひでのり版に欠けているものなの。
 いのうえひでのりは、根が前向きな人なんだよね、きっと。明るいの。
 だから、つかこうへいの『熱海殺人事件』のときもそうだし、今回の『近松』でも、役者の立ち位置、型、音楽の入れ方や、舞台装置の使い方など見事で、エンターテインメントの王道を行く芝居を作ってくれるんだけど、圧迫感とか、劣等感とか、負の要素を込めるねちっこさがないの。カラッとしてるのよね。
 つかこうへいが持っていた、劣等感をネチネチとこねて裏返す複雑な快感。蜷川御大が持っていた、圧迫感をはねのけようとして役者を圧迫する執念深さ。いのうえひでのりには、どちらもないの。もちろん、本人は重々わかってるんだよね。それがダメなことだとは思わない。思わないけれど、少なくとも『近松』には、庶民の受けていた重圧が表現されていなければ、いけないのではないかしら。
 
 マダムは、繰り返し上演された蜷川演出の『近松』を、たった一度しか観なかった。繰り返し、手を替え品を替えて上演された最近の『近松』に、どれほどの圧迫感が残っていただろうか。
 人気が出すぎて、求められるままに再演を重ねて、蜷川御大も気持ちの込めようがなくなっていったのじゃないか、とマダムは推察しているのだけれどね。
 

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コメント

マダム、遅ればせにすぎますが、あけましておめでとうございます。
今年も、マダムのますます自由なブログ、楽しみにしています。

私は阿部寛、寺島しのぶ、田辺誠一、須藤理彩版が唯一の「近松」。
芝居より先に、男性二人、特に阿部くんの脚の長さが気になる着こなしがおかしくて仕方がありませんでした。もそっと着方というものがあったのではなかろうか。小顔に脚長は時代ものでは勘弁、というしょうもない感想を抱く始末。

芝居自体も寺島しのぶだけ江戸の雰囲気満載で、阿部ちゃんのセリフ回しはごくごく素直。
和食とカフェのピラフの合わせ食い、みたいな違和感の記憶という残念な経験でした。

hikaruさま。
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく。

蜷川さん、近松やり過ぎでしたね。
それだけ、作品の力があったということではありますけれども。
企画を立てる側に問題あり、でしたね、きっと。

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