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チェーホフの深さを知る 『ワーニャ伯父さん』

 忙しい9月の到来ね。9月2日(土)マチネ、新国立小劇場。

シス・カンパニー公演『ワーニャ伯父さん』
作/アントン・チェーホフ
上演台本・演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演 段田安則 宮沢りえ 黒木華 山崎一 横田栄司
   水野あや 遠山俊也 立石凉子 小野武彦 伏見蛍(ギター演奏)

 

 ご贔屓の横田栄司、初チェーホフだというので、すごく楽しみにしていたの。春頃、早々と戯曲も読んで、予習していたのよ。で、きっとこの役だろうと思ったアーストロフだったんで、狂喜乱舞。
 しかし、戯曲読んでもね、ピンとくるやらこないやら。これでも最後まで読めるようになったのは、芝居道を深めたからか、年の功なのか。
 ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出のチェーホフは、2年前の『三人姉妹』がとても面白かったから、今回もきっと大丈夫と思っていた。そして思った通り、わかりやすく、飽きないように演出されていたの。予習してなくても、みんな理解できたと思う。
 さて、今から、思いっきり本題に入るので、これから観るかたはここで引き返してください。ネタバレとはまた違うんだけど。

 
 
 

 マダムはチェーホフをずっと敬遠してきたので、『ワーニャ伯父さん』を観るのも今回が初めてなの。だから、すっごく的外れなことを言うかも知れないんだけど、とにかく感じたところを正直にいうとね。
 難解なところはなかったし、ところどころ笑いながら楽しく観た。エレーナ(宮沢りえ)が伸び伸びした演技。自身を切り売りするのではない、演技らしい演技をしていて役に入り込んでいて、「宮沢りえ」感がなくて、エレーナだった。
 そして、アーストロフの横田栄司も期待通りだった。殆ど主役と言ってもいいくらい、ずっと舞台にいてくれて、いい声でずっと穏やかに話してくれていたので、婆やになったつもりで聴き入ってた。ラストの方は、もっともっとフェロモン出しまくってもいいんじゃないの?と思ったけどね。後から芝居全体についてよーく考えてみたら、エレーナやソーニャが言ってる言葉通りの「ハンサム」になっちゃうのも違うのね。なかなか、さじ加減の難しい役。
 上手い役者さんばかりが揃っているので、ちゃんと、その役の、エゴイスティックさや、すぐ諦めちゃうところや情けなさが、ありありと描き出されて、さすがチェーホフ、めちゃくちゃイライラさせられるんだった(褒め言葉です)。

 全体としては面白く観たの。それでいいはずなのに、終わった後、釈然としない気持ちが残って。どうしてなのか、あれこれ考えたわ。
 ギターで、既成曲が流れるのが邪魔だったから? それは、ちょっとあったの。この曲、なんだっけ?と意識がそっちに行って、心が芝居から離れる。でも、それは決定的なことではない。
 いろいろ考えて、ワーニャ伯父さん(段田安則)とソーニャ(黒木華)の造形が違うのだ、とわかった。マダムが求めているものと違う、と言ってるのではないのよ。戯曲が指し示しているものと違うと思った。 
 この二人が違うので、他の人たちの演技としっかりとかみ合わない隙間ができてしまう。パズルがきちんとはまらない感じ。

 ワーニャ伯父さんは、田舎で農園を経営しながら、妹の夫セレブリャーコフ(山崎一)にずっと仕送りしてきた。都会で文学を研究している大学教授への強い憧れが、田舎の、退屈で貧しい暮らしを耐えるよすが、だったのね。
 だけど、妹はとうに死に、職を失ったセレブリャーコフが転がり込んでくると、こんな俗物の生活をずっと支えてやってたんだ、とわかっちゃう。自分は、47歳にもなるのに、自慢するような妻も子も仕事もなくて、これまでやってきたことはバカみたいだった・・・だから、愕然とし、憤りもしている。その一方で、セレブリャーコフが連れてきた後妻エレーナがとびきり美しいので、文句や愕然や憤りをちょっと脇において、ポワワーンとしている。
 ワーニャ伯父さん、というのは、そういう47歳の男なのよ?まだ取り返せるかも知れない、と思っちゃうギリギリの年齢ではある。
 これは見てるだけで、滑稽だし、可笑しいし、哀しい・・・はずなの。
 だけど、段田安則のワーニャは違ったの。演技がスクエアだし、なんていうか・・・年取りすぎている。ポワワーンに現役感がないよ。ワーニャ伯父さん、というより、ワーニャ爺さんぽい。ヴォイニーツカヤ夫人(立石凉子)を「おかあさん」と呼ぶのが最後までしっくりこなかった。
 ちょっと実年齢と離れ過ぎていたのかもしれないね。
 
 一方のソーニャは、セレブリャーコフと、死んだヴェーラ(ワーニャ伯父さんの妹)の間の娘なのね。ヴェーラの死後、実家に引き取られ、ワーニャ伯父さんや、祖母のヴォイニーツカヤ夫人と暮らしてきた。農園の経営を手伝い、忙しくて、若い娘らしい時間は全くないの。彼女のただ一つの楽しみは、時々屋敷にやってくる医者のアーストロフに会うこと。なぜ彼女がアーストロフに惹かれているかというと、彼女の生活圏に、他にまともな恋愛対象が皆無だからなの。アーストロフがめっちゃイケメンだから、ってわけでは全然ないのよ。半径5キロ圏内に、他にまともな男がいないんだもの(これは役者がイケメンかどうかには、全く関係がない。アーストロフという役はそういう役だってこと)。で、アーストロフの方は、気立てのいいソーニャに全く見向きもしない。なぜかというと、ソーニャが不器量だから。
 そう。ここが問題なの。だって、黒木華、美しいんだもん。全然、不器量じゃない。なので、アーストロフが見向きもしない理由が、わからなくなってしまう。
 ソーニャっていうのはさ、たぶん、例えば若い頃の杉村春子や、若い頃の吉田日出子や、若い頃の伊沢磨紀がやるような役なのね。彼女たちは不器量だけど、あまりに上手いので美しく見える、そういう大女優なんで。
 黒木華は、宮沢りえとはタイプが違うけれど、やっぱり美人なので、ラストの人生終わった感の漂うセリフが、身に沁みてはこない。まだまだこれからいいことあるでしょ、という気がしてしまうのよ。
 でもこれも役者を責めているのではないの。黒木華が美しいのは、始めからわかっていることだ。
       
        *        *        *
  
 イギリスで上演中の「ハムレット」で、ホレイショー以下、ハムレットを取り巻く友人たちが全員女に改変されていると聞き、マダムの心は踊った。シェイクスピアには、そういう改変の余地がある。成功するにせよ、失敗するにせよ、試みを受け入れる間口の広さが、シェイクスピアにはある。上演台本が残されているだけで、ト書きも年齢指定も何もないしね。
 でも、チェーホフは細かな条件をつけて、ピンポイントで書いている。すごく繊細なパズルのよう。一箇所ずらしただけで、全体が狂う。
 そういえば、2008年に藤原竜也主演の『かもめ』を観た後、しばらく『かもめ』のことばかり考えていて。あの時も、作家トリゴーリン(母の愛人)の年齢を変えたことで全体が違ってしまったなあと思ったのよ。
 
 芝居を観終わってこんな風にあれこれ考えるのは、とても楽しい。そして、これだけ考えることができたんだから、やっぱりケラ演出は侮れない。 

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コメント

お疲れ様でした。
感想の書きにくい舞台だったと思うので、マダムの苦労が偲ばれます。
演劇的に面白いところはあったし、すごくわかりやすい舞台でしたが、私には、やっぱりチェーホフは理解できません。
どの戯曲を観ても、何回観ても、どの人も自己主張するだけで解りあおうとしないし、自分勝手だし。
チェーホフは、そういう人間が滑稽だと思っているんですよね?
まあ、ムカつくので、その感情で引っ張られて観るかな(笑)。

今回の舞台に関しては、やっぱりワーニャ伯父さんがどっしりしすぎかな〜というのが、率直な感想です。
それにしても、最後に結局、同じ額を仕送りすることになったのはどうしてなんですかね?
出て行って、再婚までしている妹の元夫にはなんの権利もないのに。

ぷらむさま。
うん、なんか、書くの大変でした。どう書いても、感じたことと少しずれてる気がして。
あとから閃いたんですけど。セレブリャーコフって、高等遊民でいたい人ですね、夏目漱石の「それから」的な?
漱石では、そういう人はどんどん兵糧攻めに合うんですけど、チェーホフだと、高等遊民側がすごく偉そうにしてますね。
結局、同じ額の仕送りをします、ってワーニャ伯父さんが言っちゃうところで、納得か爆笑か、したかったです。

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