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2017年9月

進化した『デス・ノート』

 今月の、好きな役者の芝居、最後を飾る。9月16日(土)マチネ、新国立中劇場。

『デス・ノート THE MUSICAL』
原作「DEATH NOTE」
音楽/フランク・ワイルドホーン 演出/栗山民也
歌詞/ジャック・マーフィー 脚本/アイヴァン・メンチェル
出演 浦井健治 小池徹平 唯月ふうか 髙橋果鈴 濱田めぐみ
   石井一孝 別所哲也 ほか

 
 初演から2年。
 もとのお話にそれほど深みはないわけなので、めっちゃ感動、とはならないのだけれど、それでも色々と進化して、洗練されていたので、感心したの。
 
 浦井健治の夜神月も、小池徹平のLも、すごく上手くなっていた。初演の時は、もっと一本調子だったのが、浦井ライトは、だんだん邪悪になっていく変化が表情や声に細かく現れていたし。小池Lは、以前は猫背のまま歌うのが苦しそうだったんだけど、いまやあの猫背があたりまえになったのかしら。歌の安定度、抜群。
 キャストも、死神リュークは吉田鋼太郎から石井一孝に、ライトの父が鹿賀丈史から別所哲也に代わって、全体のバランスが良くなったね。吉田リュークはどうしたって舞台全体をさらっていてしまう感があった。石井リュークも基本的に同じ演技だったんだけど、芝居全体の中に溶け込んでいた。演出が全体を修正できたのだと思う。
 更に、アンサンブルも上手くなって、歌に厚みが出ていた。マダムはプログラムを買わないので、細かい配役の変化はよくわからないけど、メンバーも変わり、人数も増えたのかしら。ライトの父を囲む刑事たちも、グレードアップしてたの。
 なので、このお話が持ちうる限りの厚みが加わって、なかなか良作に育ってた。惜しいのは、唯一つ、衣装ね。死神の衣装のデザインは素敵なのだけれど、夜神月を含む若者の服が、ダサいの。妹も相変わらず、変な組み合わせの衣装で、かわいそうだし。今時、その辺を歩いている若者の方がよっぽどおしゃれ。渋谷のスクランブル交差点でライトとミサミサが出会うところなんか、もっとスタイリッシュになってもいい場面なのに、若者たちが垢抜けないので、渋谷らしくない。それからミサミサのコンサートシーンだって、衣装次第でもっともっとカッコよくできて、見せ場の一つになるのに。
 衣装問題さえクリアできたら、このミュージカルは、傑作まではいかないまでも佳作として残っていくことができるよ!主役クラスの顔ぶれが変わったとしても。
 
 そう。マダムは今回2列目という良席だったので、かぶりつきで浦井ライトの演技を堪能した。どんどん変わっていく表情や、いい声や、歌の演技力をたっぷり味わって、すごく幸せだったの。そして「でも、もうこれが最後だな」と思ったのよ。高校生を演じるのは。
 童顔だし、声が若いし、演技力でやれてしまうんだけれども、もう少年の体型じゃないんだもん。
 これは文句ではなくてね、そろそろ高校生の役を卒業し、大人の男の役をやってもいいんじゃないか、と思ったわけなの。わかるでしょう?
 『デスノート』というミュージカルが、マダムの予想に反して佳作に育ってきているので、再再演とかがあるかもしれない、と感じたの。でもそれは、次の人に手渡して、もっと違う、大人の役に進んでいってほしい。どんな役だって、できるもの。
 
小柄な小池徹平のほうは、あと5年くらいLが出来そうな感じだったけどね。

『クライムズ オブ ザ ハート 心の罪』を考える

 好きな役者さんの舞台が次々。9月9日(土)マチネ、シアタートラム。

『クライムズ オブ ザ ハート 心の罪』
作/ベス・ヘンリー 翻訳/浦辺千鶴 
演出/小川絵梨子 
出演 安田成美 那須佐代子 伊勢佳世 渚あき
   斉藤直樹 岡本健一

 
 観に行って1週間以上経つけれど、レビューをなかなか書き出せなかった。
 というのも、興味深く観たんだけれど、腑に落ちない気持ちがマダムを覆っていたから。
 一方で、この顔ぶれでウェルメイドなのに、土曜のマチネでも空席が目立つ状態だったの。そこへもってきて、さらに内容に対して疑問を呈すれば、公演の邪魔をしてしまう気がして。もちろん、マダムの個人的な感想なんか、さしたる影響ないよ、と言われればその通りなんだけれど。
 
 アメリカ南部の田舎町の、三人姉妹のお話。
 女が、銃を構えて、誰かに発砲する。が、それが誰なのかは、少しの間伏せられて、舞台上の家のセットに、疲れ果てた顔の長女レニー(那須佐代子)がヨロヨロと帰ってくるところから本当のお話が始まる。レニーは、入院中の祖父の見舞いに行って、帰ってきたところで、更に三女ベイブ(伊勢佳世)が引き起こした事件を解決するため、家を離れている次女メグ(安田成美)の帰りを待っている。

 最初の方の会話の中ですぐに、ベイブが夫をピストルで撃ってしまったことがわかって、ああ、さっきの出だしのシーンはそういうことか、と思うんだけど、謎を引っ張ることなく解明しちゃったので、ちょっと肩透かしだったの。謎でもなんでもなかったんだな、って。
 出だしのシーンは、台本に最初からあるのかしら? あるよね。
 
 それから美しい次女が帰ってきて、更に保釈されたベイブも帰ってきて、三人姉妹が揃い、そこへ隣に住む従姉妹のチック(渚あき)やベイブの弁護士バーネット(岡本健一)やメグの元彼ドク(斉藤直樹)が次々やってくる。会話の中から、三人姉妹の境遇や、今抱えている問題がだんだん浮かび上がってくるの。
 父親は、姉妹が小さい頃に失踪し、母親は自殺。姉妹は祖父母の住む今の家に引き取られたこと。今は、年老いた祖父と長女のレニーだけがこの家に住み、レニーは恋人もなく、仕事と祖父の介護で疲れ果てていること。美人のメグは歌手をしているという話だったが、とっくにやめていて、事務員として働いていること。ベイブの夫は上院議員だけれど、DV男であること。が、ベイブが夫を撃ったのは、それ以外に重大な理由があること。
 
 彼女たちの抱える問題はそれぞれ深刻なんだけれど、行き交う会話の中では思わず笑ってしまうことも多くて、コメディタッチな芝居。レニーが誰にも祝ってもらえない誕生日を自分で祝おうとしたり、ベイブが自殺を図ろうとしても首を吊るための縄をかけた梁が折れたり、深刻と滑稽が同居している物語なの。丁寧に演出されている、とも感じたわ。
 そうなんだけど、いろいろよくわからないことがあって、わからないまま芝居が終わってしまったの。たとえば、家の(セットの)構造がどうしても理解できなかったのよ。玄関らしい場所があって、レニーが鍵を開けるシーンがあるにもかかわらず、全然違う場所から他人が出入りしたり、窓があるのかないのか、外を歩いてる人とアイコンタクトがあったりするの。その法則が最後まで腑に落ちず、気になるのが煩わしかった。
 いつの時代のお話なのかも、なかなかわからなくて。セットや衣装などからは判断できず、唯一のヒントはダイヤル式の電話。そこから、1970〜80年代かなあ、と推測した。それと、アメリカ南部の田舎町らしいことはセリフでわかるのだけれど、セリフでわかる以上の空気感、圧迫感、差別感などは流れてこない。ベイブが黒人の男の子とセックスしてしまったことが、致命的な醜聞になるんだろうとは思うんだけれども。思うけれども、それがどれくらいの重大さなのか、よくわからないんだよね。ベイブの感じている深刻さはともかく、写真を見せられた弁護士や、姉のメグの反応はなんだか鈍いし。
 もともとこっちには1980年頃のアメリカ南部について予備知識がなさすぎるから。
 日本の観客はみんなこんなもんだと思うけど。
 
 いちばんわからないのは、題名かも。全然違う邦題をつけられたら、よかったのに。

 わからなすぎたので、新聞の批評を読んでみたら、ベイブの相手の黒人の男の子の年齢設定、もとの本では15歳となっているところを20歳に変更したのはどうしてか、と書かれていて。それで、ますますわからないことが増えてしまったのだった。
 さらに、気になったのは、亡くなった中嶋しゅうが、メグの元彼の役をやるつもりだったのか?ということで、もはや芝居の出来とは何の関係もないよね。すみません。
 
 期待していた岡本健一の演技の稲妻は不発だった。本筋を背負う役ではなかったからね。でも彼は役の大きさに関係なく、なりきってしまう。今回の、切れ味の悪そうな人の良い新米弁護士も、上手いなあと思ったし。
 イキウメを退団して全力活躍中の伊勢佳世が、役の幅をどんどん広げていくのには感心しちゃった。それがいちばんの収穫だったわ。

風間杜夫の飽くなき挑戦『ピース』

 チェーホフの翌日はこれ!9月3日(日)マチネ、俳優座劇場。

風間杜夫ひとり芝居 『ピース』
作・演出/水谷龍二

 前回のひとり芝居の上演の時、さすがにもう、これで打ち止めかしら?と考えたマダムは、ファン歴35年以上とかのくせに、風間杜夫のことをちゃんとわかってなかった。きっとこの人は、足腰立たなくなるまでやるつもりなのだ。
 これまでのひとり芝居はずっと本多劇場だったのに、今回は俳優座劇場。久々に行ったら、ホントに古くなっててね・・・1階にバーがあるお洒落な劇場で、ロンドンの古式ゆかしい劇場にも似た作り。なのに、古くなると、味が出るというよりただ古びてしまうのは、どうしてなのかしら。ロンドンのようにはいかないの。
 でも、芝居が始まると、そんなことはすぐに忘れた。
 

 今度の主人公は、葬儀屋の男。その設定だけで、最初マダムはひとりでウケていたの。だって、マダムの住む辺りでは、風間杜夫はとある葬祭ホールのCMに出ていて、「顔」だから。
 だけどお話が進むにつれ、マダムは唸った。風間杜夫はCMに出ながら、その仕事を観察して「使える!」と思って設定に選んだに違いないわ。前回の風呂屋の番台にいるお爺さんの役よりも、何倍も、社会にコミットできる設定なの。
 だって、死っていうものは、その人の人生を浮き彫りにするものね。
 
 東京の下町で小さな葬儀社を営む男、武藤万作。後を継ぐ修行中の娘を連れて、葬儀を取りしきっている。今にもマイクを持って歌いだしかねない感じ(実際歌うシーンもある)で、笑わせてくれるけれど、既に「ひとりなのに共演者がいる」感が立ち込めてる。相談に来る客や、ハラハラしながら父の仕事を手伝っているらしい娘などが、同じ舞台上にいるような気がしてくる。ひとり芝居にコツ、のようなものがあるとすれば、もうすっかり掴んでいるの。役者も、そして観客の側も。
 場面転換の間に2年が過ぎ、妻と娘は事故で死んでいて、万作はすっかりやる気を失って、飲み屋に入り浸る。気遣うバイトの店員は、片言の日本語を話すシリア人の若者で、万作は少しずつ立ち直っていく。そして、その若者が死んで、身寄りのない彼の葬儀を引き受け、ラストには自分の生前葬をやるところまで、話は進んでいく。
 
 今の社会に対する疑問や意見などが、ストレートに盛り込まれていて、かなり未消化なところがあるものの、とにかく疑問を隠さずにまな板に上げようという態度なのね。そこは前回より、一歩踏み込んでる。いつものようにこれから2年くらいかけて、地方公演も打っていくのだろうし、その間にもっとこなれたものになっていきそう。
 なんかね、今をちゃんと捉えた本を、やりたいんだな、と思った。
 役者は役が来るのを待つ身な訳だけど、風間杜夫をもってしても、待ってるだけじゃ満足できないの。だから、ひとり芝居、やるんだね。
 先に足腰立たなくならないよう、マダムも精進する。

チェーホフの深さを知る 『ワーニャ伯父さん』

 忙しい9月の到来ね。9月2日(土)マチネ、新国立小劇場。

シス・カンパニー公演『ワーニャ伯父さん』
作/アントン・チェーホフ
上演台本・演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演 段田安則 宮沢りえ 黒木華 山崎一 横田栄司
   水野あや 遠山俊也 立石凉子 小野武彦 伏見蛍(ギター演奏)

 

 ご贔屓の横田栄司、初チェーホフだというので、すごく楽しみにしていたの。春頃、早々と戯曲も読んで、予習していたのよ。で、きっとこの役だろうと思ったアーストロフだったんで、狂喜乱舞。
 しかし、戯曲読んでもね、ピンとくるやらこないやら。これでも最後まで読めるようになったのは、芝居道を深めたからか、年の功なのか。
 ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出のチェーホフは、2年前の『三人姉妹』がとても面白かったから、今回もきっと大丈夫と思っていた。そして思った通り、わかりやすく、飽きないように演出されていたの。予習してなくても、みんな理解できたと思う。
 さて、今から、思いっきり本題に入るので、これから観るかたはここで引き返してください。ネタバレとはまた違うんだけど。

 
 
 

 マダムはチェーホフをずっと敬遠してきたので、『ワーニャ伯父さん』を観るのも今回が初めてなの。だから、すっごく的外れなことを言うかも知れないんだけど、とにかく感じたところを正直にいうとね。
 難解なところはなかったし、ところどころ笑いながら楽しく観た。エレーナ(宮沢りえ)が伸び伸びした演技。自身を切り売りするのではない、演技らしい演技をしていて役に入り込んでいて、「宮沢りえ」感がなくて、エレーナだった。
 そして、アーストロフの横田栄司も期待通りだった。殆ど主役と言ってもいいくらい、ずっと舞台にいてくれて、いい声でずっと穏やかに話してくれていたので、婆やになったつもりで聴き入ってた。ラストの方は、もっともっとフェロモン出しまくってもいいんじゃないの?と思ったけどね。後から芝居全体についてよーく考えてみたら、エレーナやソーニャが言ってる言葉通りの「ハンサム」になっちゃうのも違うのね。なかなか、さじ加減の難しい役。
 上手い役者さんばかりが揃っているので、ちゃんと、その役の、エゴイスティックさや、すぐ諦めちゃうところや情けなさが、ありありと描き出されて、さすがチェーホフ、めちゃくちゃイライラさせられるんだった(褒め言葉です)。

 全体としては面白く観たの。それでいいはずなのに、終わった後、釈然としない気持ちが残って。どうしてなのか、あれこれ考えたわ。
 ギターで、既成曲が流れるのが邪魔だったから? それは、ちょっとあったの。この曲、なんだっけ?と意識がそっちに行って、心が芝居から離れる。でも、それは決定的なことではない。
 いろいろ考えて、ワーニャ伯父さん(段田安則)とソーニャ(黒木華)の造形が違うのだ、とわかった。マダムが求めているものと違う、と言ってるのではないのよ。戯曲が指し示しているものと違うと思った。 
 この二人が違うので、他の人たちの演技としっかりとかみ合わない隙間ができてしまう。パズルがきちんとはまらない感じ。

 ワーニャ伯父さんは、田舎で農園を経営しながら、妹の夫セレブリャーコフ(山崎一)にずっと仕送りしてきた。都会で文学を研究している大学教授への強い憧れが、田舎の、退屈で貧しい暮らしを耐えるよすが、だったのね。
 だけど、妹はとうに死に、職を失ったセレブリャーコフが転がり込んでくると、こんな俗物の生活をずっと支えてやってたんだ、とわかっちゃう。自分は、47歳にもなるのに、自慢するような妻も子も仕事もなくて、これまでやってきたことはバカみたいだった・・・だから、愕然とし、憤りもしている。その一方で、セレブリャーコフが連れてきた後妻エレーナがとびきり美しいので、文句や愕然や憤りをちょっと脇において、ポワワーンとしている。
 ワーニャ伯父さん、というのは、そういう47歳の男なのよ?まだ取り返せるかも知れない、と思っちゃうギリギリの年齢ではある。
 これは見てるだけで、滑稽だし、可笑しいし、哀しい・・・はずなの。
 だけど、段田安則のワーニャは違ったの。演技がスクエアだし、なんていうか・・・年取りすぎている。ポワワーンに現役感がないよ。ワーニャ伯父さん、というより、ワーニャ爺さんぽい。ヴォイニーツカヤ夫人(立石凉子)を「おかあさん」と呼ぶのが最後までしっくりこなかった。
 ちょっと実年齢と離れ過ぎていたのかもしれないね。
 
 一方のソーニャは、セレブリャーコフと、死んだヴェーラ(ワーニャ伯父さんの妹)の間の娘なのね。ヴェーラの死後、実家に引き取られ、ワーニャ伯父さんや、祖母のヴォイニーツカヤ夫人と暮らしてきた。農園の経営を手伝い、忙しくて、若い娘らしい時間は全くないの。彼女のただ一つの楽しみは、時々屋敷にやってくる医者のアーストロフに会うこと。なぜ彼女がアーストロフに惹かれているかというと、彼女の生活圏に、他にまともな恋愛対象が皆無だからなの。アーストロフがめっちゃイケメンだから、ってわけでは全然ないのよ。半径5キロ圏内に、他にまともな男がいないんだもの(これは役者がイケメンかどうかには、全く関係がない。アーストロフという役はそういう役だってこと)。で、アーストロフの方は、気立てのいいソーニャに全く見向きもしない。なぜかというと、ソーニャが不器量だから。
 そう。ここが問題なの。だって、黒木華、美しいんだもん。全然、不器量じゃない。なので、アーストロフが見向きもしない理由が、わからなくなってしまう。
 ソーニャっていうのはさ、たぶん、例えば若い頃の杉村春子や、若い頃の吉田日出子や、若い頃の伊沢磨紀がやるような役なのね。彼女たちは不器量だけど、あまりに上手いので美しく見える、そういう大女優なんで。
 黒木華は、宮沢りえとはタイプが違うけれど、やっぱり美人なので、ラストの人生終わった感の漂うセリフが、身に沁みてはこない。まだまだこれからいいことあるでしょ、という気がしてしまうのよ。
 でもこれも役者を責めているのではないの。黒木華が美しいのは、始めからわかっていることだ。
       
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 イギリスで上演中の「ハムレット」で、ホレイショー以下、ハムレットを取り巻く友人たちが全員女に改変されていると聞き、マダムの心は踊った。シェイクスピアには、そういう改変の余地がある。成功するにせよ、失敗するにせよ、試みを受け入れる間口の広さが、シェイクスピアにはある。上演台本が残されているだけで、ト書きも年齢指定も何もないしね。
 でも、チェーホフは細かな条件をつけて、ピンポイントで書いている。すごく繊細なパズルのよう。一箇所ずらしただけで、全体が狂う。
 そういえば、2008年に藤原竜也主演の『かもめ』を観た後、しばらく『かもめ』のことばかり考えていて。あの時も、作家トリゴーリン(母の愛人)の年齢を変えたことで全体が違ってしまったなあと思ったのよ。
 
 芝居を観終わってこんな風にあれこれ考えるのは、とても楽しい。そして、これだけ考えることができたんだから、やっぱりケラ演出は侮れない。 

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