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2017年8月

歌の楽しさ ミュージカル『ビューティフル』

 夏の舞台、目白押し。8月19日(土)マチネ、帝国劇場。

ミュージカル『ビューティフル』
脚本/ダグラス・マクグラス
音楽・詞/ジェリー・ゴフィン&キャロル・キング
     バリー・マン&シンシア・ワイル
演出/マーク・ブルーニ
訳詞/湯川れい子
出演 平原綾香 中川晃教 伊礼彼方 ソニン 
   武田真治 剣幸  ほか

 メチャクチャ楽しかったー。

 キャロル・キングのアルバム「Tapestry(つづれおり)」のレコードを擦り切れるほど聴いたのは、今からもう40年以上も前で、久しく聴いていなかった。で、このミュージカルを観ることになって、予習しとこうとCD(なぜかちゃんと持っている!)をかけると、メロディの全てを身体が憶えているのだった。若いときに沁み込んだものは忘れないのね。
 でも芝居が始まったら、マダムにとってのキャロル・キングはTapestryの歌声そのものであって、彼女の生涯については何も知らなかったんだ、ってわかったよ。
 
 この芝居が描くのは、16歳から28歳までのキャロル。ソングライターとしてデビューし、紆余曲折あって、28歳で「Tapestry」の大ヒットにより、世界で初めての女性シンガーソングライターとなるまで、の物語。
 キャロル(平原綾香)は、16歳にして作曲を志しているんだけど、母ジニー(剣幸)は、音楽の教師になって安定した暮らしをしてほしいと願っている。ジニーは離婚して一人でキャロルを育ててきた経験から、安定が一番、と思っているのね。そんな母を押し切って、キャロルは音楽プロデューサーのドニー(武田真治)に曲を売りこみ、作曲家としてデビューする。そして、同じカレッジのジェリー・ゴフィンと出会い、恋に落ちて、彼の詞に曲をつけるようになるの。キャロルは妊娠し、二人は結婚する。
 このあたりまでの話はあれよあれよと言う間に進むんだけれど、キャロルの何をも疑わない無防備さ、子供のままの天真爛漫さと、作曲の突出した才能のアンバランスさが際立つ。才能はすごいのに、色々と人生不器用な感じのところに、平原綾香のまだ器用ではないが誠実な演技がはまっていて、とても上手い滑り出し。
 そしてドニーの構える作曲スタジオにキャロルとジェリーは部屋をもらって、次々曲を作るんだけど、すぐ隣の部屋には作曲家のバリー(中川晃教)と作詞家のシンシア(ソニン。好演!)がいて、二組は競い合うように曲作りに励む。ここら辺から、一気に楽しさ全開になる。彼らの曲ができあがると、舞台にはその曲を歌った歌手たち、シュレルズとかドリフターズ(全員集合!の人たちではない)とかリトル・エヴァとかが現れて、ショーアップして歌う。そのシーンがまあ、楽しいこと!アンサンブルの人たち、凄いわ!(激しい特訓があったみたいね。ブロードウェイから歌と踊り、振り付けの鬼コーチが派遣されてたらしい。)
 そのショーアップされた楽しさの一方で、キャロルの実人生には辛いことや切ないことが起きていき、そこにも彼女の曲がうまく当てはめられて、使われるのだけど、そこは平原綾香の歌唱力が炸裂する。
 「Will You Love Me Tomorrow?」はシュレルズが歌うときは、歌詞は切なくてもポップスとして楽しげにアレンジされているので、軽いの。でも、ジェリーの心が離れていくのを感じているキャロルが歌うときは、「もう愛はないのね?」という悲痛な気持ちがこもっていて、胸にせまる。
 圧巻は、ジェリーと別れ、ひとり西海岸へいく決心をしたキャロルが、バリーやシンシア、ドニーに別れを告げ、「You've got a friend」を歌い上げるシーン。途中からバリーたちも加わって、別れを惜しむんだけど。
 もともといい曲で、マダムはTapestryの中で一番好きな曲だし、普通に聞いてもジーンときちゃうんだけれども、こんなシーンで歌われた日にゃあ、涙腺決壊ですよ〜。
 
 すごく楽しかった。それはこのミュージカルが歌の魅力に満ちていて、聞いているだけでも楽しい時間だったってこともあるし。いい曲の宝庫のような時代の物語だから。
 個人的には、キャロル・キングの曲をCDで聴くよりも、歌ってもらって聴く方が何倍も幸せで、いろんな人が歌うと曲の良さがさらに感じられたの。こんなにいい曲だったんだなぁ、ってしみじみ。
 客席は、これまで帝劇で見たことがないくらいの高い男性率だったし、リタイア世代の人たちでいっぱいだった。これだけの、普段劇場に来ない人たちが、キャロル・キングの人生を描いたミュージカルならば、と集まったのね。内容次第で、こういう層を劇場へ連れてこられるってことね。
 そして、これもブロードウェイのミュージカルを「まんま」やる、という手法だったわけだけど、『ビリー・エリオット』のときのような抵抗感はなくて。
 あちらはお国柄を色濃く反映したテーマだったけれど、『ビューティフル』に関して言えば、ひとりの女性の若いときの葛藤がテーマなので、手を加えなくてもすんなり伝わってきたの。
 作品ごとに、日本人が上演する難しさの、種類が違うということかな。
 

野田作品、そのまま歌舞伎になる

 建て替えられた後、初めて行った! 8月12日(土)18:30〜、歌舞伎座。

八月納涼歌舞伎第三部『野田版 桜の森の満開の下』
坂口安吾作品集より
野田秀樹/作・演出
出演 中村勘九郎 市川染五郎 中村七之助 中村梅枝 中村巳之助
   片岡亀蔵 坂東彌十郎 中村扇雀 ほか

 古い歌舞伎座が取り壊される前になんとしても、と子供を連れて行ったのが、2009年の『野田版鼠小僧』だったの。
 そして、新装なった歌舞伎座にまだ行ったことがなかったマダムが、初めて行くことになったのが『桜の森の満開の下』。もう歌舞伎座に戻ることはないのかと思っていた野田秀樹が演出するというから、マダムも一緒に戻ってきたのよ。
 知り合いに「どんな席でも良いので」とチケットをお願いしておいたら、なあんと桟敷席が来てしまって!もう、こんなお大尽気分は最初で最後だろうと、ウキウキしながら出かけて行った。開場と同時に中に入り、お大尽な席を確認してから、三階まで上がって劇場全体を見渡したわ。以前ほど傾斜がきつくなくて、三階席は怖くなくなってた(前は、転がり落ちそうな気持ちがした)。しかし、良い劇場だ〜、歌舞伎座。芝居を観る喜びに溢れてる。
 三階ロビーに掲げられた、亡くなった歌舞伎役者たちの写真を眺め、その錚々たる顔ぶれの中に勘三郎の姿を見つけてちょっと悲しくなり、落ち込んだところに、甘〜いいい香りがしてきたの。吸い寄せられるように屋台でたい焼きを買って、お大尽席でお茶を飲みつつ、たい焼きを食べてたら開演時間になった。
 
 お話は(細かく説明するつもりはないけど)、浦島太郎的な、昔話というか寓話という感じ。耳男という男が一人、竜宮城ならぬ桜の森に迷い込み、妖しくも美しく残酷なお姫様に会い、魂を持って行かれてしまう、そういう物語。そこにオオアマという男の天下取りの副筋が絡む。
 幕が開いた途端、桜の森の湿った美しさに息を呑んだの。
 薄暗い、湿った妖気の漂う、怪しい桜の森。蠢く鬼(妖怪)たち。
 『桜の森の満開の下』は野田秀樹としては再再演くらいらしいけれど、マダムは今回が初めて。芝居が始まって吃驚。完全に遊眠社だーと思って。
 本は言葉を少し七五調にしたくらいで、殆ど変えていないらしい。でも、歌舞伎役者がやると、歌舞伎になるんだね、これが。野田秀樹が「歌舞伎って何?」と訊いたら勘三郎が「歌舞伎役者がやれば歌舞伎」と答えたそうな。ていうか、そこ以外に、遊眠社との違いが見つけられない。それくらい、野田戯曲が、まんま歌舞伎になってた。
 ただ、野田戯曲の特徴である、言葉遊びに関しては、歌舞伎役者たちにはちょっと(ノリが)難しかったのか、聞き取れなかった箇所が多かった。言葉遊びを効かせるための畳み掛けるスピードも、足りなかったし。一方で、動きに関してはNODA・MAP以上にNODA・MAP。桜の森に妖しく蠢く鬼(妖怪)の動きとか、鬼の遊園地のシーンで、人海戦術でジェットコースターやメリーゴーランドを描いて見せるところなんて、さすがの身体能力なのだった。
 
 とにかく夜長姫(七之助)の、ぞわ〜っと背筋が寒くなるような美しい冷酷さがたまらないの。もう化け物ですね、彼。化け物の役なんだけど。
 耳男(勘九郎)は「調子が良くて気が弱い」っていう、お父さんがやったら滅茶苦茶上手かっただろう役なので、少し損をしているかもしれない。でもこの役は彼にぴったりだった。
 それと、一人だけ人間だった(?)オオアマ(染五郎)の演技に迷いがなくて、感心した。オオアマは、鬼の世界の勢力争いをうまく利用し、夜長姫を娶り、天下を取るのだけど、イケメンの青年がどんどん策謀家の顔を見せていくところをうまく演じてる。
  
 
 観ていると、どこか上の方から「なぜ俺にやらせない?」って勘三郎が化けて出てきそうに思えて。
 『足跡姫』からスタートして『表に出ろぃ』まで、野田秀樹が1年かけて勘三郎を鎮魂する、クライマックス。セットも衣装も、さすがの歌舞伎座、豪華だったよ。
 ビリー・エリオットを観て、イギリスへの敗北感に打ちひしがれてたマダムだけど、たった一週間で、これが日本の芝居だよ〜って心の中でほくそ笑むことができて、すっかり気持ちは挽回したのだった。
 
 観終わった後に、『演劇界 9月号』の野田秀樹のインタビューを読んだの。この『桜の森の満開の下』も、勘三郎と一緒に、やりたいねって話していた作品なのだそう。とてもいいインタビューだったので、観劇に満足した方は、読んでみてね。

面白く、やがて悲しき『ビリー・エリオット』

 赤坂ACTは構造上、できたら行きたくない劇場なんだけど。8月6日(日)ソワレ、赤坂ACTシアター。

ミュージカル『ビリー・エリオット 〜リトル・ダンサー〜』
音楽/エルトン・ジョン 脚本・歌詞/リー・ホール 
演出/スティーブン・ダルドリー
出演 ビリー       木村咲哉
   お父さん      吉田鋼太郎
   ウィルキンソン先生 柚希礼音
   おばあちゃん    根岸季衣
   トニー       藤岡正明
   オールダー・ビリー 栗山廉
   マイケル      山口れん    ほか

 『ビリー・エリオット』とはどんな舞台なのか、説明するまでもないくらい有名になっちゃったけど、まずはイギリスの舞台がどんなだったか、マダムのレポートを読んでください。長いけど。それは→マダム イン ロンドン  と→マダム イン ロンドン その2→マダム イン ロンドン その3

 読んでいただけばわかる通り、マダムは『ビリー・エリオット』を日本人がやることに懐疑的だったの。
 だから、観るかどうかずっと迷っていたのだけれど、結局行くことにしたのね。それは、いろんな意味で、いい判断だったと思ってる。
 というのはね、想像以上に面白かったの。そして、だからこそ、観たあとのイギリスへの敗北感といったらなかった・・・。

 日本版を制作するにあたり、日本人の演出家は付かず、演出補らしき人もいなくて、完全に、オリジナルを「まんま」上演するというやり方だったね。舞台装置から衣装から、役者の一挙手一投足まで、すべて英国版と同じ。ほんの少しカットされたシーンがあった他は。台詞が日本語である、という以外に、限りなく違いをゼロにしようという意図があったの。それは、『ビリー・エリオット』という名前の作品価値を傷つけまいとして、だと思うんだけど。
 
 マダムはそもそも「まんま」がやれるのだろうか、日本人キャストで?と懐疑的だったんだけど、そこはかなりクリアされてた。子役はもちろんのこと、心配されたアンサンブルも、よく踊りよく歌い、物語はちゃんと伝わってきて。言葉が違っても伝わる普遍的な部分、例えばビリーを残して亡くなった母親の思いや、ビリーの才能を見出し次のステップへ背中を押してやるバレエの先生の気持ちなどは、ひしひしと伝わり、子供達の踊るシーンはそれだけで楽しい。ビリーが、未来の自分と踊る「白鳥の湖」のシーンは、言葉がいらないシーンであるだけに、ロンドンで見たときと同じように白眉だったわ。
 子供達もアンサンブルも、激しい稽古をクリアして行けるところまで行ったのね。どれも少しずつ到達できていないところを残しつつ。練習してなんとかなる部分は、ほぼなんとかなった、の。そうしたら(子役の、そもそもの演技の発信力が拙くても)それなりに楽しめるものができた、ってこと。
 だけど結局それは、もとの本、もとの音楽、もとの作品の力が物凄い、ってことなのよ。イギリスって凄いな、と改めてマダムは感心した。芝居の力をこれほど信じて作られた作品はないよ。ひれ伏したの。そしたら敗北感が押し寄せてきたのよ。
 
 「まんま」やる方針に従って、炭鉱町の人々がサッチャーのマスクをかぶって歌いこき下ろすシーンも、全くそのままだった。このシーンを含め、作品のバックボーンをどう翻訳するか、日本側のプロデューサーは、何も考えなかったのかしら。イギリスの製作者の「まんま」の方針に唯々諾々と従うだけだったの?それとも、紆余曲折の果てに、このやり方が選ばれたの?
 このシーンに代表される、作品の根本にあるイギリス人の国民性や、当時の政治状況に対する怒りなどは、「まんま」やることによって、情報でしかなくなり、芝居の力としては全然伝わってこなかったんだよね。そこは「訓練」や「練習」だけではどうにもならないところだから。
 ことあるごとにマダムは思うんだけれど、日本人の役者も観客も、日本語で考え、日本語で体も動いている。だから台詞だけ日本語に移しても、芝居の力を翻訳したことにはならないの。
 日本版のための、日本人演出家が必要だったのではないかしら?

 例えば「Solidarity」の踊りと歌詞には、ストライキ中の炭鉱夫たちと、それを見張ってる警官たちの掛け合いがある。
 警官たちは「お前たちがストライキしてくれるおかげで残業代がたくさんもらえて、俺たちはお大尽だぜ」みたいなことを言い、対する炭鉱夫たちは「そしたらお前たちは家を長く留守するんだな。女房を寝取ってやるぜ」と歌う。ユーモアと皮肉たっぷりに、本気の反抗、本気の主張がこめられているんだけど。日本版ではそれが、ただステップが面白いダンスシーンになってしまっている!
 ステップは練習でなんとかなるけど、そこに込められた反骨精神はダンスの練習では生まれない。見事にどこかにいっちゃっていたのよ。
 
 「まんま」ミュージカルの専門劇団はもうあるんだし、これ以上そこに労力をかけなくていいと、マダムは思うよ。
 その先、を切り開いてほしい。

楽しさ全開 AUNの『間違いの喜劇』

 久しぶりすぎる高円寺。8月5日(土)マチネ、明石スタジオ。

劇団AUNワークショップ公演『間違いの喜劇』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/小田島雄志
監修/吉田鋼太郎 演出/長谷川志
出演 木村龍 橋倉靖彦 河村岳志 松尾竜兵 齋藤慎平 山田隼平
   飛田修司 岩倉弘樹 前田恭明 伊藤大貴 千賀由紀子 水口早香
   悠木つかさ 森瀬惠未 佐々木絵里奈 桐谷直希 砂原一輝

 私事ながら、高円寺はシェイクスピアの聖地。
 昔、高円寺にはシェイクスピアシアターのアトリエがあり、そこで、マダムは生まれて初めてライブでシェイクスピアを観たの。以来、シェイクスピアの面白さの虜。 高円寺で降りたのは本当に久しぶりだったんだけど、明石スタジオの席に着いたら、小屋の大きさといい、限りなく無に近い装置、大道具の無さといい、シェイクスピアシアターのアトリエそっくりだったので、それだけで故郷に帰ったような気がしたの。
 で、始まった芝居は、ホントにマダムを原点に運んで行ってくれるような面白さだった。
 
 『間違いの喜劇』のあらすじ説明とかはしないよ。
 
 二人のドローミオが、最高。根っから喜劇体質のドローミオ兄(齋藤慎平)と、少しヤンキーが入ってるドローミオ弟(山田隼平)の動きが楽しくてしょうがなかったし、ハイテンションで叫んでいるようでも、ちゃんと台詞の全てが耳に届いて、それがメチャクチャ可笑しい。二人のノリの良さが役者たち全員に伝染して、芝居を引っ張っていってたわ。「間違いの喜劇」はドローミオ兄弟が主役だったのね。初めて知ったー。
 エドリエーナ&ルシアーナ姉妹も負けてなかった。エドリエーナ(水口早香)の大柄で押しまくって舞台を制圧する様子に笑ったし、対するルシアーナ(悠木つかさ)の小柄だけどのんびりゆったりのマイペースさが、あたりをじわじわと侵食していくのがまた可笑しいの。
 始まって30分くらいで可笑しさは雪だるま式に膨らんでいき、あとは、もう誰が何をやっても可笑しくて。アンティフォラス兄(河村岳志)の堅物さも、アンティフォラス弟(松尾竜兵)のキレやすい体質も。商人(伊藤大貴)はニコニコしてるだけで可笑しく、金細工師アンジェロ(岩倉弘樹)なんて、最後には何も言ってなくても可笑しい、という具合に、どこを切っても可笑しくて楽しいの。もう、凄くよく出来てる!
 そして笑ったあとの締めで、修道院主エミリア(千賀由紀子)がアンティフォラス兄弟の母だとわかるところは、ちゃんと、ジーンとする。出番は少ないけど、エミリアをベテランがやるってことには、凄く意味があるんだよね。

 シェイクスピアの喜劇の面白さは、台詞にかかっているの。この台詞をどんなつもりで誰に向かって言うのか。聞いた相手はどんな風に受け止めて、言い返すのか。周りはそれを聞いてどんな反応をするのか。もうそれだけ。それを板の上にいる役者が全員、わかっていて、やり遂げたら、メチャクチャ面白いものが出来上がる。
 劇団AUNはシェイクスピアの専門劇団ながら、ここ数年シェイクスピアから遠ざかっていた。でもさすがだわ。若手のワークショップ公演といえども、全員がどんな瞬間も今起きていることにヴィヴィッドに反応してた。やっぱりこうでなくちゃ。セットも小道具もなにもなくったって、面白いのよ、シェイクスピアは。
 
 それとね、今回マダムは発見したのよ(そんなことは、とっくに知ってると、みんなは言うかな?)。
 シェイクスピアではよく、双子とか、瓜二つの兄弟とかが出てきて、それを一人二役でやる上演もあるんだけど、マダムは初めてシェイクスピアを見たときから、全然似てない役者がそれぞれの役をやるのを自然に受け入れてきたし、今回も二人のアンティフォラス、二人のドローミオがとても良かった。
 いえ、むしろ、違う役者が双子をやる方が断然いい、と思ったのよ。
 だってさ、もしそっくりな双子を二組見つけてきて、アンティフォラスとドローミオをやらせたとしたら、よ。観客も、今出てきたのがアンティフォラス兄なのか、ドローミオ弟なのか、瞬時に見分けられなくなっちゃうじゃない? この「瞬時に」ってところが大事で、観客の方は瞬時に、ドローミオ兄!とかアンティフォラス弟!とかわかるから、登場人物たちが右往左往するのが可笑しいわけなのよ。迷ってから理解するんじゃダメなの。可笑しさの勢いがなくなっちゃうもの。
 
 というわけで、ホントにホントに楽しかった。またやってほしい。毎月やってほしいくらいだわ。

『ハイバイ、もよおす』を観る

 すごく久しぶりの横浜。7月29日(土)ソワレ、KAAT神奈川芸術劇場、大スタジオ。

『ハイバイ、もよおす』
作・構成・演出/岩井秀人
出演 岩井秀人 上田遥 川面千晶 永井若葉 平原テツ
   黒田大輔 田村健太郎 伊東沙保 岩瀬亮 後藤剛範 ほか

 いつものシリアス路線から少し外れて、「ハイバイが遊んでみた」番外編。3本のお話のオムニバスだった。
 1本目はロールプレイングゲームのパロディ(?)。ゆるーい感じのパロディだった。役者さんたちのメチャクチャ弾けてる様子が楽しかったんだけれど、マダムはゲームを殆どやらないので(テトリスみたいな単純なものしかやったことがなく)、ゲームをよく知ってるらしい観客が大ウケしているところに付いていけなくて、とても悔しかったの。
 2本目はニセモノ大衆演劇。銀色の長い髪のかつらに白塗りの平原テツが主役なの。それだけでかなり笑える。岩井秀人による前説があって、「大衆演劇は写真を撮ってオッケーの世界なのでそれにならって、この芝居に限り、どんどん携帯で撮っていいですし、芝居の後どんどんツイッターに挙げてください」とのことだった。マダムは撮らなかったんだけど、客席では携帯を掲げる人がたくさんいたし、殺陣とか、見栄を切る(?)場面では、撮影タイムともいうべき長〜い間が取られていた。ツイッター上に挙げられた写真を見て、「ハイバイに何が起こったんだ?!」と思った人もいるだろうけれど、これはこれでハイバイらしかったよ。大衆演劇にある「役者が自分の演技に酔ってる感」は全然なくて、すごく客観的だったの。
 3本目「ゴッチン娘」は、配られた解説によればハイバイのニセモノ。でも、マダムはこれが一番面白くて、ってことはシリアスな岩井秀人の語り口が好きだってことだな、と再確認したんだけど。
 主役のゴッチン(後藤剛範)は、筋骨たくましい小学生の女の子。「かわいいよ、似合うよ」と言ってくれる両親を気遣って、フリフリのワンピースを似合わないのに無理やり着ている。好きな男の子がいるけど、自分は「男の子を好きになるなんてふさわしくない容貌だ」と思っているから、我慢している。クラスメートや先生から気を使われていることに気づいていて激しく傷ついているのだけれど、周りを気遣い、それすら表に出さないようにしている。そういう女の子。あまりにも自分を抑え込みすぎて、遂に爆発し山へ逃げ込み野生化してしまうという、『おおかみ子供の雨と雪』も真っ青な激しい展開が、凄く可笑しくて、結構悲しいの。解説だと「ニセモノ」って言ってるけど、マダムはニセモノとは思えず「あー、これぞハイバイ」と感じて、満足したの。
 全体的にゆるーい感じだったけれど、ゆるくやってもハイバイはどこまでもハイバイらしくって、安心して帰ってきた。

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