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嘆きの王冠 『ヘンリー六世』第一部&第二部

 ホロウクラウンシリーズも計画通り進んで、きっちり折り返し。『ヘンリー六世』第一部と第二部を一気に観てきた。7月2日(日)、ヒューマントラストシネマ渋谷。
 面白く見たし、退屈なところはなくて(というのも半分の尺に納めようとしてるから大事なシーンが数珠つなぎ)、お腹いっぱーい。
 でも、いろいろ言いたいことがでてきちゃった。

 『ヘンリー六世』って原作は三部作で、全部上演すると9時間くらいかかっちゃうのね。
 だから映像にする時、いちばん本作りが難しかった作品だろうと思う。ものすごくたくさんの人が出てくるし、それでも誰も「典型的」な描かれ方してない。シェイクスピアは、ワンシーンしか出てない人物にもちゃんとその人ならではのセリフを与えてるの。処女作がこれって、ホントにさすがなのよ。
 でも、だからこそ、本をカットするのが難しいし、改変はなおのこと。

 BBC版『ヘンリー六世』のいちばん大きな改変は、王妃マーガレットの浮気相手をサフォークではなく、サマセット公にしたこと。映画が始まってしばらく、マダムは凄く混乱してしまって、飲み込むのに時間がかかってしまったの。
 原作を知らなければ全然、戸惑ったりはしないでしょうし、ストーリー上おかしくなったりはしていないの。でも、マッチョで軍人そのもののサマセットが愛人だと、シェイクスピアが書いたものとは大きくかけ離れてしまう。
 原作のサフォークってさ、舌先三寸の寝技師でしょう? 剣では戦わなくて、口が上手くて、ベッドが戦場、みたいな男。気が強くて自ら戦場に出て行くマーガレットのような女が、口が上手いだけの男にメロメロっていうところが面白いのに。そして、サフォークは死ぬときも、軍人じゃないから、そういう正々堂々戦った死に方はできないわけよ。なんていうか、因果応報がピリリと効いてるのよ。シェイクスピア、ちゃんと描ききってるのよー、だからサフォークの設定を変えないでほしかったなあ。

 それとね、次の『リチャード三世』に繋げる意識がちょっと強すぎる感があるのね。なんといってもリチャード三世は大スターのカンバーバッチだから、第二部になるとリチャードが主役みたいになってくるんだけど。
 でもさ、そんな手心を加えなくたって、ヒタヒタと、リチャードはやってくるのよ。そんなに早くからスポットライトを当てなくても、大丈夫なのに。
 だって、あくまでこのお話は「ヘンリー六世」のお話なんだもの。そして気がついたらいつの間にか、日陰者のリチャードが真ん中に来ている・・・というね。
 
 いろいろ言ったけど、胸に刺さった演出も沢山あったの。いちばん刺さったのは、ヘンリーがほぼ全裸で羊の群れの周りを彷徨ってるところ。
 なんかね・・・リアじゃん。と思っちゃったら、わー、もうこの時にリアのもとがあったんだ、処女作には作家の全てが揃っているっていうけど、ほんとなんだわ、とかちょっと興奮気味のマダムであった(まあ、これは演出のおかげなんだけど)。
 そしてロンドン塔に幽閉されて、汚れた王冠が戻ってきて、初めてほんとに王らしくなるヘンリー。閉じ込められて、もう王でなくなって、初めて王らしくなるなんてさ・・・王様って哀しい。
 
 あとはね、戦争って、ほんとに血みどろだな、ってこと。人間はいくらでも残酷になれるんだな、ってこと。グロいのは苦手だけれど、こうやって血みどろを見ると、そのことを痛感する。グロい描写も必要なのかもしれないね。(でも、何度も顔をそむけました。)
 
 やっぱり『ヘンリー六世』の舞台が観たくなってしまって。新国立劇場の一挙上演から、もう8年とか経ってる。こんなに経っても、また観たいなんてね。
 
 さあ、ホロウクラウンも残すところ『リチャード三世』1本となったわ。
 ただね、スケジュールが・・・いつ行けるかなぁ?

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