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『グレート・ギャツビー』を観る

 初夏の陽気に、あぶなく脱水症状起こしそうだったわ。5月20日(土)マチネ、日生劇場。

ミュージカル『グレート・ギャツビー』
原作/F・スコット・フィッツジェラルド 音楽/リチャード・オベラッカー
脚本・演出/小池修一郎
出演 井上芳雄 夢咲ねね 広瀬友祐 畠中洋 蒼乃夕妃
   AKANE LIV 田代万里生 ほか

 全くの偶然なのだけれど、日生劇場の中二階(グラウンドサークル)の一列目が取れて、今回初めて座ってみたの。最高に観易く、居心地のいい席だった!日生劇場は古い劇場だけど、だからこそなのか、構造がイギリスの劇場にとても似ているね。客席と舞台の距離が近いの。二階や三階でも、かなり満足できる観易さだと思うわ。
 そんな席で観られたのだから、もっと感動的な芝居だったら、大満足だったろうと思うんだけど。結果は・・・。
 衣装も素敵だったし、セットも豪華で洒落ていて(美術はさすがの松井るみ)、そういう部分の眼福はあったわ。でも、芝居の中身で、マダムが心動かされるところは全然なかったの。

 これはさ、フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」の人物設定の骨組みだけ借りてきて、あとは好き勝手に作り上げたものなんだね。原作のギャツビーの魅力の要素が、何一つ投影されていないことに、マダムは愕然としたわ。
 もし微かにでも原作への愛があるのなら、ギャツビーとブキャナンがゴルフコンペでデイジーを取り合うなんていう下劣なシーンは作れないと思うの。
 マダムだって原作と芝居は別物、という考えはわかっているつもりだし、ミュージカルで例えばシャーロックホームズとかフランケンシュタインとか、骨組みを借りてきただけの佳作も観ているので、原作と違うからってそれだけでダメとか思ってるわけじゃないのよ。
 要は、それなりに筋を通して面白く変えられたのか、という点にあるのね。
 
 お話の運びは、すごく分かりやすさを旨としていて(それはいいんだけど)、とにかく説明が多い。ギャツビーがどんな人なのか、謎を謎のまま引っ張っていくことはせずに全部、原作に無いシーンを作って説明しちゃう。ギャツビーが何の仕事をして、とんでもない金持ちになったのか、その裏の仕事のシーンもあるし、オックスフォードで学んでたという噂も本人の口からすぐに説明があるし、デイジーとの出会いも、別れの理由(デイジーのお母さんに引き裂かれた)も次々シーンが現れて、メッチャわかりやすい。
 だけど、全部が説明のためのシーンになりがち。そこでギャツビーやデイジーの嬉しさや悲しさや愚かさが響いてくるかっていうと、響かないの。なぜかな。
 わかりやすいことが芝居の目的になっちゃってる感じなの。人間が描かれてない、と思う。だって、人の気持ちって、そんなにわかりやすくない。一筋縄でいかないところを描くのが物語であり、芝居であるわけで。
 ギャツビーは恋に殉じたお金持ち、デイジーは上流階級の慣わしに恋を潰されたかわいそうな女の子、ブキャナンは大金持ちで頭が空っぽのわがまま男、ブキャナンの愛人マートルはほぼ娼婦、マートルの旦那のウィルソンは生活に疲れて汚いなりをしたブルーカラー、そういう典型としてしか描かれてないの。これじゃ、心動かされないよー。
 
 だから結局は井上芳雄オンステージになってた。宝塚的に中央に置かれた階段を、登っていくギャツビーの背中にスポットライト、みたいな演出。随所に見られました(最後だけならともかく)。綺麗なだけで、だから何?とマダムは思ってしまった。もちろん、きらびやかなショーを楽しむ、という要素もミュージカルにはあると思うけれどね・・・。でも、それならそれで、各シーンのダンスなんかも、もっと目を奪うような迫力が欲しい。型を作ってそれで良しとしないでほしいよ。
 ギャツビーとデイジーのラブシーンもぜーんぜんドキドキ感がないの。はい、ここで抱きしめます、はい、ここでキスします、角度は客席に向かって45度で。それが綺麗です、みたいな。型に、はまっているんだよー、演技が。つまんないでしょう?
 ダンスだって、はい、ここでダンスします、じゃなくてね。長いこと行方知れずだった元恋人同士が、久しぶりにダンスする、っていったら、普通のダンスじゃないでしょう?特別な、心乱れるダンスのはず。そういうところが全く見られないの。ありえない!
 演出も演出だけど、役者もなんとかしてほしい。
 
 なんとか登場人物を体現してたなあと思うのは、ニック・キャラウェイの田代万里生とジョーダン・ベイカーのAKANE LIV。二人はストーリーを進めるための狂言回し的な存在だけれど、説明台詞であっても本人の性格(ニックの誠実さと、ジョーダンの醒めた割り切りの良さ)が滲んでいて、典型じゃなく、人として描かれていたの。この二人が救いだったわ。
 

 観劇の前に、某有料放送のバラエティ番組での井上芳雄の発言が漏れ伝わって来て、マダムはとても不愉快な気持ちにさせられた。彼を好きではなくなってしまった。いろいろな思いがあって、それでも平らな気持ちで芝居を観ようとしたし、そうできたと考えているわ。
 だから芝居の評価は、その発言とは関係がない。関係ないけど、今後彼の芝居を観たいと思うかどうか・・・当分、無い気がする。
  

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コメント

2つ前のブログに「グレート・ギャッツビー」を予習とあったので、感想待っていました。
私の思ったモヤモヤが文字として起こされていて「そうだよねぇ!」と頷きながら読みました。
原作を読んでいないので、どの位違うのか分からなかったのですが大分都合良く変えてあったのですね、、(ゴルフのシーンとか!)
「なんてつまらない話だったのだろう。
これ、名作と言われている話??」とずーっと疑問でした。(原作者様すみません)
井上氏の'かっこよさ,って言うのも、まさに宝塚のように'トップスターをいかにかっこ良く見せる為に周りが何が何んでも引き立てる,って感じがありありとしていて、、申し訳ないけど本人から'匂い立つような色気,とか感じませんでしたよね、、もっといい演技している作品も過去にはあったのにねぇ、、、

ホワイトさま。
原作とどれくらい違うかって、もう全く別物でした。原作読み返したの、大失敗でしたよ。細かいところまで比べちゃうから。
でも、ここまでつまらないともはや、原作のアレンジの仕方とか、そういう問題じゃないんじゃないかと。
主役をとにかくかっこよく見せようという宝塚的志向が完全に裏目に出て、何もかもをダメにしてる気がしました。井上くんも、それに乗っかってなお高く跳べるほどの芸は無いのよね。色っぽくないし。
これから何を期待したらいいやら。もう、いいのかな、卒業で。

いろんなところに感想を撒き散らかしたので、今更wなんですが。
うーんとね、作品として完成度が低かったな〜という感想では一致しています。

が、
宝塚っぽい〜とかっていう部分については、↑のホワイトさんの感想も含め、ちょっとチガウ印象を持っています。
演出的に宝塚っぽいのは、その通りです。宝塚の演出家だからね(笑)、そういうノウハウを身につけてるわけだし。
でも、宝塚版のギャツビーは、東宝版の主に前半部分を展開していて、もっともっとギャツビーの純愛にフォーカスされてわかりやすく作られてました。

この舞台は、ことごとくギャツビーが魅力的に描かれてないのが、一番残念でした。
スポットライト浴びればいいってもんじゃないからね(笑)。
宝塚版は、マートルもウィルソンも、もっと共感できたんだけどな。残念。

今回の収穫は、しっかりと自分の仕事をした田代万里生君ですね!

ぷらむさま。
うん、おっしゃること、わかります。
私は、宝塚版を見ていないので、今回についてしか言えないんだけど、宝塚的な演出が即、悪かった、それがツマラナイ原因、とは思っていません。
人間が描かれてなかったので、宝塚的な演出が、宙に浮いたようになっちゃった、ってことだと思うんですよね。
井上くんの演技も、そっちの演出に応えることに必死になっていて、ギャツビーという役を演じてないんですよ。空虚なんです。
なんか、いろいろと、空回りな感じでした。

すでに感想は出そろっているようですが。。。

えっ、最初からエンディングを見せるの?ギャツビーが自分から名乗るなんでありえない!デイジーをかけてゴルフコンペをするなんて、読み飛ばしてないよね、私?、ウィルソンがあまりに汚いおじさん過ぎない?ギャツビーは最後までデイジーの電話を待っていたのではなかった?などなど、舞台を見ながら違和感ばかり感じていました。

さらに、恋人のために自分の身を犠牲にするのは「二都物語」のシドニー・カートン、初恋の人と別れるのは「シェルブールの雨傘」のギィと同じだし、軍服に見覚えがあると思ったのは「パッション」で見ているから--、せっかくのギャツビーが、今まで井上君が演じた人物とダブって見えてしまいました。それって、ギャツビーのオーラがなかったってことですよね?見る者を捉えて離さない圧倒的な魅力が!

二都物語の時の方が輝いていたような気がする。ここ数年見続けてきたファンとしては寂しい限りです。


そうなんです。すみません。
宝塚的=残念な演出、という意味では
決して無くて、、
宝塚も時々観るのですが
トップスターを組子全員で盛り立て、トップスターもそれに応えて作品を引っ張り輝いて〜〜と、そこに感動するのですが今回はマダムもおっしゃったようにいろいろ空回りだったのでしょうね、、
宝塚版、(杜さん?瀬奈さん?)いつか観たいと思いました。
田代君は、ずーっと歌の上手い人、くらいにしか思ってなかったけど今回は本当に良かった!
夢咲さんはビッグ・フィッシュの時は歌もソコソコと思ったのですが、今回はあれ??同じ子??って、思ってしまいました。井上君とのデュエットはハードルが高いのですね。

マダムと同じ日のマチネを観劇。前日の残業が響いて、1幕は眠気に襲われてしまいました。井上君の舞台では今までそんなことなかったのに。
私もマダムとほぼ同じ感想で、登場人物の中でギャツビーの描き方と演技に一番違和感を感じてしまいました。
私にとってのギャツビーはロバート・レッドフォードの印象が強いのですが、彼の演技もハンサムなだけで大根だとかいろいろ当時は言われたけど、それでも彼なりのギャツビー像を築いていて、若かった私は感動しました。
ギャツビーは孤独と退廃と、内に秘めた純愛を合わせ持つところが魅力で、雄弁に語ったり朗々と歌い上げたりする人じゃないと思うけど、、、演出にも共感できなかった。
見終わったあと、井上君は役者として本当に難しいところに来ているなと思いました。歌は上手いし歌手としてはやっていけるでしょうけど。

Mickeyさま。
「二都物語」から何年経ちましたか・・・。
StarSが結成されて、だんだん盛り上がっていく頃でしたね。
あれから井上くんも浦井くんも変化がありました。
ずいぶん遠い昔のような気がするのは、私だけ?
 
Ohayumiさま。
ギャツビーは複雑な人のはずですよね。成り上がりきれない成り上がりで、仕草や身なりも作り物めいた上品さが、どこか哀しくて。
全ては描ききれないとしても、何か一つ、舞台に結実させてほしかったです。
井上くんは本当に岐路に立っていると思います。励ましたかったけど、励まし続けられない自分がいます。

もう、皆様のご意見に同意なので、書くことあんまりないのですが。

ーー村上春樹氏がこれを見たら激怒するんじゃあないかとか。

ーー"謎の変奏曲"(個人的には、原題の、
"エニグマ変奏曲" の方がカッコいいと思いますが笑)で、橋爪功氏に鍛えて貰って、役者としてブラッシュアップしていただきたいものです。
素材はいいのに、もったいない。

わんわんさま。
井上くんもいい年ですから、橋爪さんに鍛えてもらえないんじゃないかな・・・?
とりあえず、私はもう観にはいかないかな、と思っています。

やっとギャツビーを見たので、マダムのブログを拝見し、自分の気持ちに
整理がついたような。舞台美術は豪華だし、衣装も素敵だしーなのですが、
どうも心に響いてこないなー、何かないなーという思いだったのです。
私の場合はそもそもギャツビーにもデイジーにも共感できないというのも
原因だったかも。名作なのでしょうが、原作も私にはダメでした。
ただ、今までだったら井上くんということでのめりこめた(?)と
思うのですが・・・。
私もニックとジョーダンは血が通っていた(!)と感じました。
つたない感想ですが。

あっぷるさま。
小説のギャツビーやデイジーは、多面的で裏も影もある人間なので、その魅力を舞台で描くのは、難しかったですね。
井上くん、もっと役に飛び込んでいかないと。捨て身で挑んでほしかったけど、なんだかもう、そういうところは見えなくなってしまいました。残念です。

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