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2017年5月

『クヒオ大佐の妻』を観る

 今、芸劇はすごいラインナップなのよね。5月27日(土)マチネ、東京芸術劇場シアターウェスト。

『クヒオ大佐の妻』
作・演出/吉田大八
出演 宮沢りえ 岩井秀人 川面千晶 水澤紳吾

 
 やっぱりこれは映画を見て予習しておくべきだったのかしら?
 芝居を観ながら、そして観終わったあとにも、そんなことを少し思ったの。
 映画「クヒオ大佐」を作った映画監督が、舞台で続編(というのか、スピンオフものなのか)を作ったわけだから、そこは予習したほうがよかったのかも。
 でも、ただただ役者としての岩井秀人が宮沢りえと共演するという、その一点でチケットを買ってしまったマダム。予習など思いもよらなかったし、この後の感想は、予備知識なしで観た人間のものなので、そこんとこよろしく。(ネタバレは、します。)
 
 舞台は東京、阿佐ヶ谷あたりの築50年くらいかという、二間のアパート。今時、大学生の下宿でももう少しきれいだろうというような古くさいアパートで、ミシンで縫い物をしている女(宮沢りえ)。美しいが、つましい生活にやつれているように見える。そこへ宅配屋(岩井秀人)がやってくるのだが、彼は高校の時の同級生を名乗り、上がりこんでしまう。かつて同級生たちの憧れの優等生だった女が、時を経て「クヒオ大佐の妻」として安アパートで暮らしていることに、興味深々で、彼女に食い下がるの。一方的に押されるクヒオ大佐の妻。だけれど、押入れの中から縛られ猿ぐつわをされた若い女(川面千晶)が転がり出てきたところから、形勢逆転する。
 若い女は、「クヒオ大佐」の結婚詐欺に騙されて貢いだ金を取り返しに乗り込んできたのだけれど、睡眠薬入りのお茶を飲まされ、眠っている間に縛られて、押入れに押し込められていたのね。妻は、口では申し訳ないと言いながら、夫の居所を明かさない。明かさないのか、知らないのか、「夫の居場所はアメリカ軍の機密情報だから」言えないなどという。
 若い女は、最初は妻もぐるになって自分を騙し、ごまかそうとしていると思うのだけれど、話していくうちに、妻は妻で、いまだに夫がアメリカ軍のパイロットだと、信じきっていることがわかっていく。同情したり、別れるように諭したり、こちらも形勢逆転するんだけれど、女は一向に「クヒオ大佐の妻」であることをやめようとはしないの。
 ときおり、部屋の電話が鳴り(その音は、妻だけに聞こえる)、妻は遠いサウジアラビアの戦線の夫と話すのだけれど、それも、相手は電話線の向こうにいなくて、彼女の空想でしかない。
 そして、宅配屋の男に言い寄られて逆ギレした「クヒオ大佐の妻」の妄想が舞台の上に炸裂する・・・。
 
 というようなお話だったわ。他に、同じアパートに住む変な少年(年齢不詳)とその父(どちらも水澤紳吾)も登場するんだけど、そこはあまり意味はなさそう。客席の通路を使った追いかけっこも、通路を使ってみたかった、という以上の意味を感じなかったし。
 最後の方で、「主人公の妄想が炸裂する」と書いた(我ながら当たり障りのない表現だな、と苦笑しちゃう)けれど、そこが凄く唐突で、胸を打つというよりも、一気に冷めた気持ちになっちゃって。
 つまりね、クヒオ大佐がアメリカを象徴し、妻や騙されて貢ぎ続ける女たちが日本を象徴する・・・という作者のテーマが、まんまセリフとなって語られ、叫ばれるの。だから、そういうことが言いたかったんだってわかるわけだけれども、それ、セリフで説明しちゃうことで、そこまで積み上げたもの(というほど積み上がってないのかもしれないけど)の意味がなくなってしまったの。セリフも急に詠いあげる感じになるしね。
 いきなり迫り上がってきた機関砲(?)とか、客席を覆うアメリカ国旗とかも、どこかタイミングにずれがあって、気持ちの相乗効果を生まないの。暗転の長さやタイミングも、切れ味が悪い。
 全体的に、隔靴掻痒感がある舞台だったね。
 
 マダムの観たかった岩井秀人と宮沢りえのセリフの応酬は、さしたる火花も散らなかった。本がもっと、突き抜けていれば、そうなったかもしれないのに。
 
 ここまで書いてきて、今、ひらめいたんだけど!
 これはね、つかこうへいみたいな芝居にしたかったんじゃない?
 最後に、セリフ詠いあげて、効果音最大にして、巨大なアメリカ国旗も降りてきて、観客の興奮を最高潮にもっていく・・・つかこうへい的手法を、やりたかったんじゃないのかしら?そう考えると、妙に納得がいくよ。
 ただ、このテーマにその手法が合っていたのかは疑問だし、詠うためには、詠えるセリフじゃなきゃいけないし、そこまで積み上げておかなきゃいけないのが積み上がってないしね。
 あとは、始めに言ったことに戻るのだけれど。演出家にとっては、これは映画の続編だったのかもしれない。だけど、こちらは初めてなので。映画を見てた人には、もっと伝わるものがあったのか、そこを誰かに訊いてみたい気がする。

『グレート・ギャツビー』を観る

 初夏の陽気に、あぶなく脱水症状起こしそうだったわ。5月20日(土)マチネ、日生劇場。

ミュージカル『グレート・ギャツビー』
原作/F・スコット・フィッツジェラルド 音楽/リチャード・オベラッカー
脚本・演出/小池修一郎
出演 井上芳雄 夢咲ねね 広瀬友祐 畠中洋 蒼乃夕妃
   AKANE LIV 田代万里生 ほか

 全くの偶然なのだけれど、日生劇場の中二階(グラウンドサークル)の一列目が取れて、今回初めて座ってみたの。最高に観易く、居心地のいい席だった!日生劇場は古い劇場だけど、だからこそなのか、構造がイギリスの劇場にとても似ているね。客席と舞台の距離が近いの。二階や三階でも、かなり満足できる観易さだと思うわ。
 そんな席で観られたのだから、もっと感動的な芝居だったら、大満足だったろうと思うんだけど。結果は・・・。
 衣装も素敵だったし、セットも豪華で洒落ていて(美術はさすがの松井るみ)、そういう部分の眼福はあったわ。でも、芝居の中身で、マダムが心動かされるところは全然なかったの。

 これはさ、フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」の人物設定の骨組みだけ借りてきて、あとは好き勝手に作り上げたものなんだね。原作のギャツビーの魅力の要素が、何一つ投影されていないことに、マダムは愕然としたわ。
 もし微かにでも原作への愛があるのなら、ギャツビーとブキャナンがゴルフコンペでデイジーを取り合うなんていう下劣なシーンは作れないと思うの。
 マダムだって原作と芝居は別物、という考えはわかっているつもりだし、ミュージカルで例えばシャーロックホームズとかフランケンシュタインとか、骨組みを借りてきただけの佳作も観ているので、原作と違うからってそれだけでダメとか思ってるわけじゃないのよ。
 要は、それなりに筋を通して面白く変えられたのか、という点にあるのね。
 
 お話の運びは、すごく分かりやすさを旨としていて(それはいいんだけど)、とにかく説明が多い。ギャツビーがどんな人なのか、謎を謎のまま引っ張っていくことはせずに全部、原作に無いシーンを作って説明しちゃう。ギャツビーが何の仕事をして、とんでもない金持ちになったのか、その裏の仕事のシーンもあるし、オックスフォードで学んでたという噂も本人の口からすぐに説明があるし、デイジーとの出会いも、別れの理由(デイジーのお母さんに引き裂かれた)も次々シーンが現れて、メッチャわかりやすい。
 だけど、全部が説明のためのシーンになりがち。そこでギャツビーやデイジーの嬉しさや悲しさや愚かさが響いてくるかっていうと、響かないの。なぜかな。
 わかりやすいことが芝居の目的になっちゃってる感じなの。人間が描かれてない、と思う。だって、人の気持ちって、そんなにわかりやすくない。一筋縄でいかないところを描くのが物語であり、芝居であるわけで。
 ギャツビーは恋に殉じたお金持ち、デイジーは上流階級の慣わしに恋を潰されたかわいそうな女の子、ブキャナンは大金持ちで頭が空っぽのわがまま男、ブキャナンの愛人マートルはほぼ娼婦、マートルの旦那のウィルソンは生活に疲れて汚いなりをしたブルーカラー、そういう典型としてしか描かれてないの。これじゃ、心動かされないよー。
 
 だから結局は井上芳雄オンステージになってた。宝塚的に中央に置かれた階段を、登っていくギャツビーの背中にスポットライト、みたいな演出。随所に見られました(最後だけならともかく)。綺麗なだけで、だから何?とマダムは思ってしまった。もちろん、きらびやかなショーを楽しむ、という要素もミュージカルにはあると思うけれどね・・・。でも、それならそれで、各シーンのダンスなんかも、もっと目を奪うような迫力が欲しい。型を作ってそれで良しとしないでほしいよ。
 ギャツビーとデイジーのラブシーンもぜーんぜんドキドキ感がないの。はい、ここで抱きしめます、はい、ここでキスします、角度は客席に向かって45度で。それが綺麗です、みたいな。型に、はまっているんだよー、演技が。つまんないでしょう?
 ダンスだって、はい、ここでダンスします、じゃなくてね。長いこと行方知れずだった元恋人同士が、久しぶりにダンスする、っていったら、普通のダンスじゃないでしょう?特別な、心乱れるダンスのはず。そういうところが全く見られないの。ありえない!
 演出も演出だけど、役者もなんとかしてほしい。
 
 なんとか登場人物を体現してたなあと思うのは、ニック・キャラウェイの田代万里生とジョーダン・ベイカーのAKANE LIV。二人はストーリーを進めるための狂言回し的な存在だけれど、説明台詞であっても本人の性格(ニックの誠実さと、ジョーダンの醒めた割り切りの良さ)が滲んでいて、典型じゃなく、人として描かれていたの。この二人が救いだったわ。
 

 観劇の前に、某有料放送のバラエティ番組での井上芳雄の発言が漏れ伝わって来て、マダムはとても不愉快な気持ちにさせられた。彼を好きではなくなってしまった。いろいろな思いがあって、それでも平らな気持ちで芝居を観ようとしたし、そうできたと考えているわ。
 だから芝居の評価は、その発言とは関係がない。関係ないけど、今後彼の芝居を観たいと思うかどうか・・・当分、無い気がする。
  

新・新劇?劇団チョコレートケーキの『60’エレジー』

 雨の土曜日。5月13日(土)マチネ、サンモールスタジオ。

劇団チョコレートケーキ第28回公演『60'エレジー』
脚本/古川健 演出/日澤雄介
出演 西尾友樹 佐藤みゆき 岡本篤 林竜三 日比谷線 浅井伸治
   足立英 浦田大地 栗原孝順 高橋長英(声の出演)

 マダムの周りではとっくに注目されてた劇団チョコレートケーキ。やっと観に行く機会を得たの。期待した通りの手応えだったー。
 観る予定の方は、観てから読んでね。



 題名からわかるように、1960年代の東京のお話。はじめに現代のプロローグがあって、自殺したらしい人の遺書ノートを刑事が発見し、それを読むところから始まるのね。ノートを読む刑事の声が、だんだん主人公の声(高橋長英!)に変わっていく。だから観客は、語り部は既に死んでいることを、始めから知らされているわけ。

 出だしは「三丁目の夕日」を思い起こさせる。下町の町工場(蚊帳作りの家内制手工業)に、東北から、集団就職の「金の卵」として、中卒の15歳の修三(足立英)がやってくるの。訛りの強い話しぶりの中に、真面目さと芯の強さと頑なさが匂う。彼は福島の貧農の三男坊で、勉強したくても高校に進む余裕などなかった。でも、彼の気持ちを知った蚊帳工場の社長の清(西尾友樹)は、なんとかして夜間の高校に通わせてやろうと努力する。社長の妻悦子(佐藤みゆき)も同じ思いで、子供のない社長夫婦は、どこか自分の子供のように修三に肩入れしていくの。
 お話は修三が15歳で工場にやってきた時から、10年間を描いていく。1960年代は日本の激しい変化の10年間。蚊帳はみるみる需要が減っていき、清は何度も工場の縮小を余儀なくされる。まず弟の勉(岡本篤)を辞めさせ、その何年かのちには、先代から勤めるベテランの武さん(林竜三)を地方の蚊帳工場へ譲り渡す。そのつど、社長が選ぶのは、修三を守り、高校そして大学へ通い続けられるようにすることだったの。
 けれど、その気持ちに応えるどころか、修三はいつしか学生運動にのめり込んで行き、社長夫妻の庇護から外れていく・・・。
 なんて、渋い題材なのかしら?でも、ぐいぐい引き寄せられ、最後まで夢中になって観たの。
 
 作家も演出家もアラフォーの若さで、全く知らない60年代をこんなふうに直球ど真ん中な描き方で作ることの、不思議さ。知らないからこその、少し突き放した、容易には何にも肩入れしない語り口。そしてその60年代頃に全盛だった(かもしれない)新劇と見まごうばかりのリアリズムな演出。リアリズムなセット。戸をガラッと開けると外のざわめきが聞こえ、戸を閉めると収まる、愚直なほどのリアリズム。役者の真っ直ぐすぎるほどの台詞。その力強さ。若い役者なのに、なぜ、こんなに昭和が匂うのかしら?匂わせることができるのかしら?
 思えば、70年代には、新劇を否定した芝居が隆盛し、蜷川幸雄もつかこうへいもそこから生まれ育ち、遊眠社が現れ、瞬く間に新劇以外の芝居が主流となっていったのだけれど、実は新劇的なリアリズムの手法が古びたわけではなかったのね。もう一度その手法を、新しいものとして使う劇団が現れて、マダムは不思議な感慨に包まれてるー。

 だけど。
 蚊帳工場をたたんで、親類のいる宇都宮へいく社長夫妻と別れ、東京に残った修三は、二度と彼らと会うことはなく、70を過ぎて、ひとり死を選ぶ。物語の全てが遺書なの。その突き放した客観性が、苦い余韻となっていつまでも残る。ほかの生き方はなかったのかしら?って考え込んでしまうの。そこが凄いよ。
 また、面白い劇団に出会ってしまったわ。
 
 

復帰前の挨拶

 ご無沙汰しました。
 いろいろ片付いてきたので、観劇生活を再開したいと思ってる。
 その前に、この1ヶ月くらい読んだ本を紹介するね。本について話すことはなかなか機会がないので。

「文藝別冊 総特集 くらもちふさこ」2017年4月発行
 くらもちふさこの凄さを改めて、噛みしめるための特集。マンガの技法を極め続けた人の、今も止まらない歩みに、ため息。

「向田邦子シナリオ集Ⅲ 幸福」
 持っていたシナリオ本を人に貸して返ってこなくて、この最高傑作が本棚になくて。文庫で出てるのを発見して買ったら、また読んでしまい、全て知っているのにまた感激してしまったわ。皆さん、これが彼女の最高傑作です。

「日本会議の研究」菅野完著
 長年新聞を読んでいても、知らないことがたくさんある。そのことを痛感するし、黙ってはいられない気持ちになるわ。

「ブラッカムの爆撃機」ウェストール著
 宮崎駿による解説(?)と飛行機の解説図が、ウェストールへの偏愛を語っていて、プラスアルファの楽しみ。

「海街diary8 恋と巡礼」吉田秋生
 1冊出ると、繰り返し読み、さらに1巻からまた読み返してしまう。楽しい。

「悟浄出立」万城目学
 今読みかけ。

「グレート・ギャツビー」フィッツジェラルド 村上春樹訳
 今、再読中(予習)。

 ラインナップの脈絡のなさに、クラクラする。忘れてるものもあるかも。
 今後は芝居のことだけじゃなく、本のことももう少し書けたらいいんだけどね。
 それと、さっき気がついたんだけど、今年の12月で、このブログが10周年を迎えるかも?! えーっ!もう10年経っちゃうのお? やだなあ、もう。年取るわけだわ。まさかの10年・・・。
 というわけで、観劇生活、再開です。

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