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2016年12月

2016年の総括

 今年、劇場で観た芝居は以下の通り。( )内は演出家。

1.  劇団カクシンハン公演『ジュリアス・シーザー』(木村龍之介)
2.   さいたまネクストシアター✖️ゴールドシアター『リチャード二世』(蜷川幸雄)
3.  マームとジプシー『夜 三部作』(藤田貴大)
4.  テアトル・ド・アナール公演『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが・・・(以下略)』(谷賢一)
5. 『家庭内失踪』(岩松了)
6. 『焼肉ドラゴン』(鄭義信)
7. 『イニシュマン島のビリー』(森新太郎)
8. 『アルカディア』(栗山民也)
9.  劇団民藝『二人だけの芝居 クレアとフェリース』
10.  ハイバイ『おとこたち』
11. 『アルカディア』(栗山民也)
12. 『カクシンハン版リチャード三世』(木村龍之介)
13. 『八月の家族たち』(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)
14. 劇団イキウメ公演『太陽』(前川知大)
15. KAKUSHINHAN POCKET HISTORY『ヘンリー六世 三部作』(木村龍之介)
16. 『コペンハーゲン』(小川絵梨子)
17. 『あわれ彼女は娼婦』(栗山民也)
18. 劇団AUN公演『桜散ラズ・・・』(市村直孝)
19. 『あわれ彼女は娼婦』(栗山民也)
20. 『887』(ロベール・ルパージュ)
21. 『エリザベート』(小池修一郎)
22. 『ジャージー・ボーイズ』(藤田俊太郎)
23. 子供のためのシェイクスピアカンパニー『オセロー』(山崎清介)
24. 『レディエント・バーミン』(白井晃)
25. 『ラヴ・レターズ』(青井陽治)
26. カクシンハン『じゃじゃ馬ならし』(木村龍之介)
27. 『王家の紋章』(荻田浩一)
28. 葛河思潮社『浮標』(長塚圭史)
29. 加藤健一事務所『ハリウッドでシェイクスピアを』(鵜山仁)
30. 劇団アマヤドリ公演『月の剥がれる』(広田淳一)
31. 『あの大鴉、さえも』(小野寺修二)
32. 『遠野物語 奇ッ怪 其ノ三』(前川知大)
33. 『ヘンリー四世 第一部』(鵜山仁)
34. 『ヘンリー四世 第二部』(鵜山仁)
35. 『ヘンリー四世 第二部』(鵜山仁)
36. ハイバイ『ワレワレのモロモロ東京編』(岩井秀人)

 結局こんなに観ているのか、と数えてみて今、唖然としているマダム。しかし、見応え充分な1年だったわー。ホントに楽しかった。
 今年はシェイクスピア没後400年ということで、いろいろな公演があったのだけれど、マダムとしては、この記念の年に、カクシンハンという劇団を発見したことと、新国立でシリーズ化した歴史劇『ヘンリー四世』の一挙上演が、まず大収穫だった。浦井健治の演技の稲妻も久々に浴びたしね。
 そして今年は大劇場よりも小さな劇場にこだわってみようと思っていたのだけれど、これが大成功。ぶっちぎりで1位なのは、イキウメの『太陽』。これほどの完成度の芝居は、ほかになかったわ。次点はハイバイの『おとこたち』。場違いのスタオベをしてしまったくらいだったっけ。この二つの劇団は、これからもずっと追っていくわ。
 それとここで挙げておかねばならないのは谷賢一作・演出の『ウィトゲンシュタイン・・・』すでに古典の仲間入りをさせてもいいくらいの出色の出来栄えだったの。もいちど観たい。再演をつよ〜く望むよ!
 ミュージカル部門でも、大収穫。成河の加わった『エリザベート』の完成度は本場に匹敵するくらいだったし、『ジャージーボーイズ』で中川晃教の歌の稲妻を浴びることができて、幸せだった〜。
 そして今年、蜷川御大とのお別れがあった。もう御大の演出するシェイクスピア作品にも会えない。だけど、そのあとを吉田鋼太郎が引き継いでくれることになって、来年以降の大きな楽しみができたの。マダムとしては、引き続き、シェイクスピア押しでやっていこうと思ってる。
 
 みなさま、一年間、ありがとうございました。
 来年もまた、良い芝居に出会えますように。そして、みんなの穏やかな暮らしが壊されませんように。

地を這うような面白さ ハイバイの『ワレワレのモロモロ』

 初めての劇場だったから早めに行ってみたら、異常に早く着いてしまったわ。12月17日(土)マチネ、アトリエヘリコプター。
 
ハイバイ『ワレワレのモロモロ』東京編
「ほほえみのタイ」作・上田遥
「トンカチ」作・池田亮
「いとこの結婚」作・平原テツ
「深夜漫画喫茶」作・師岡広明
「親父とノストラダムス」作・荒川良々
「山、ネズミ、かめ」作・岩井秀人
「『て』で起こった悲惨」作・永井若葉
「きよこさん」作・川面千晶
構成・演出/岩井秀人
出演 荒川良々 池田亮 上田遥 川面千晶 永井若葉
   長友郁真 平原テツ 師岡広明 岩井秀人

 
 初めて行ったアトリエヘリコプターは、倉庫を改造したような小さな空間で、初めてなのにメチャクチャ懐かしかった。学生の頃、しょっちゅう行ってたような気がして。
 でも、このトイレに行くのもひと苦労のちっちゃな小屋で、なんと途中休憩ありの2時間半という、けっこうな大作だったの。それぞれ役者たちが自分の経験を下敷きにしたホンを書き、演出家がまとめていった、15分くらいの作品8本の短編集、といったところ。そしてさすが、ハイバイに集まってくる役者ね、どのエピソードもこれぞハイバイだなと感じられる、高揚感のない、地を這うような面白さ(褒め言葉ですから!)。
 貧乏海外旅行の危ないおかしさとか、子供の頃どうして母親は自分を虐待したのかの分析とか、いとこの結婚相手から突きつけられた「売れてない俳優」としての自分とか、深夜の漫画喫茶の暗黒バイト生活の話とか・・・ネタとしては暗く、悲惨なものばかりなんだけれども、そこはハイバイ。突き放した客観的なタッチと、凄く簡略化しているのにとても具体的なセットと演技によって、悲惨さすら滑稽で、可笑しくてたまらない。ずっとクスクス笑いが止まらなかった。
 全部のストーリーを説明したって野暮なだけなんで、ひとつだけ取り上げるとしたら、もうこれっきゃない。「『て』で起こった悲惨」。

 『て』は、ハイバイの代表作で、寝たきりのお婆さんを囲む家族の軋轢を、違う人物の視点から同時に見られるように描いた、不思議なリアルさが響く作品。マダムは『て』を観ていっぺんにハイバイファンになったの。そしてその時、寝たきりのお婆さんをやってたのが、永井若葉。ハイバイになくてはならない、他にありえない存在感の女優である。
 その永井若葉が語る、『て』の稽古中に起きた苦すぎる思い出。『て』の地方での再演を前に、役を取り替えて演じてみるという稽古が行われたときのこと。一人の役者の勘違いといってもいいような演技をきっかけに、演出家の目標を失った口撃が、なぜか永井若葉に。あまりに理不尽な口撃にさらされた永井若葉は、そのあと声帯から出血してしまい、全く声が出なくなった。どうも、ほぼほぼ事実だったようで。
 逆上していく演出家岩井秀人を演じる本人の演技が、素晴らしすぎて、涙が出るほど笑った。自分の醜態(?)をこんなふうに客観的に演じることができるなんて、すごい演出家&役者。それにしても、稽古中にこんなに我を失っちゃうことがあるのね。
 
 東京編と謳ってあるので、今後シリーズ化が期待できるよね。また観に行こう。
 一週間のうちに、シェイクスピアからハイバイまで、観ちゃって。演劇って本当に幅広いなあ。マダムにはどっちも必要だわ。

『ヘンリー四世』第二部再見と、シリーズ再考

 無理を押し通して、もう一度行ってきた。12月14日(水)マチネ、新国立劇場中劇場。『ヘンリー四世』第二部 ー戴冠ー。
 本当はもう一度、通しで見たいところだったけれど、そういうわけにもいかず、二部だけとなったの。どうして二部かというと、今井法院長さまとハル(というかヘンリー五世)の丁々発止のシーン、一度目はマダムの席からは二人が完全に被ってしまってて、表情がほとんど見えなかったんだもん。

 二度目は後ろの方しか席はなかったんだけど、ほぼ真ん中を選べたので、二人のシーンだけじゃなく、すべてのシーンが見渡せて、満足だったわ。
 やっぱり、「ヘンリー四世とハルの最期の会話→王の死→ヘンリー五世と法院長との火花散る会話と、和解→戴冠そしてフォルスタッフ達との別れ→ラスト」という畳み掛けていく構成が凄いし、ハルからヘンリー五世への変化がダイナミックで素晴らしいよね〜。繰り返し観たいけど、それは叶わないので、目に焼き付けようと必死なマダム。
 この新国立劇場のシェイクスピアシリーズ、中継のテレビ放映もないし、DVDの売出しもないどころか、舞台写真すらほとんど残らないのよ。こんなに面白く、それぞれの役者さん達が輝いているのに、その痕跡が全く残らないの。見た人の記憶の中に残るのみ・・・。舞台は一期一会なのが運命とはいえ、ちょっと、あんまりなんじゃないかしら?


 多くの人が結集して面白いものを作っているのに、今回は結構空席もあった。マダムは新国立劇場の宣伝力の無さにがっかりしたよ。浦井ハルと岡本ホットスパーとB作フォルスタッフの写真入りのチラシくらい作ればよかったのに。それだけでも観客動員が違ったと思うわ。
 それとね。
 国立劇場で製作した芝居は、みんなのものだと思うので、劇場に来られない人にも観るチャンスがあるべきよ。イギリスのNational Theatre Live みたいなものは望むべくもないけど、せめて記録映像くらい、図書室で見られるようにしてほしい。他の作品は見られるのに、このシェイクスピア歴史劇シリーズが見られないのは、おかしい。(大々的に売りだせと言っているのではなく、せめてせめて図書室で閲覧可能にしようよ、と言っているのよ?)
 だってね、今マダムが大学生だったとして、「シェイクスピアの歴史劇の日本での上演」についてレポートを書きたいと思ったら、手掛かりは蜷川演出のDVDしか無いわけでしょ?同時期に、さい芸と新国立で、ヘンリー六世やヘンリー四世やリチャード三世が上演されているのに、片っぽしか資料が無いわけで。
 これがどこかの劇団が独占で製作したものなら、文句を言ってもしょうがないけれど、国立劇場で製作したものの記録が公開されてないのって、ぜっっったいおかしいです!
 
 そんな正論は別として、新国立劇場のシェイクスピアシリーズ舞台写真集を作ってもらいたいな。『ヘンリー六世三部作』『リチャード三世』『ヘンリー四世二部作』全部を網羅する解説付き舞台写真集、限定3000部。すぐ、売り切れると思うけど?
 マダムは役者の写真集って、あまり興味が無いの。スタイリストがついて、こっち向いて微笑んでる写真ばっかりのやつ。それよりも、舞台写真集が欲しい。だって、役者が一番かっこいいのは、演技している時だから!
 浦健や岡健ファンのマダムの下心は脇に置いておいても、舞台写真を眺めながら、面白かった芝居を思い起こして感慨に耽るのは、芝居好きの楽しみの一つ。舞台写真集を、パンフレット番外編として、作ってくれい〜!
 
 
 なんだか、シリーズ再考とは話がずれてしまった。戻そう。
 『ヘンリー六世』三部作が作られた時、かなり無謀な企画として、成功が危ぶまれていたらしいのだけれど、ワクワクするようなものが出来上がって、観客から自然と続編(『リチャード三世』)を望む声が出て、そして今に至ったわけ。役者さんたちも7年前から変わらぬ顔ぶれだったりして、完全に劇団化してる。だからこれを続けて欲しい。
 次は『リチャード二世』かしら、とマダムは想像する。岡本リチャードと浦井ボリングブルックかしらね・・・・(遠い目)。
 『ヘンリー四世』のラストの高揚感を忘れないうちに、次を企画してくれるよう、メッチャ期待してるからね!

ロック少年が選択する王という孤独〜『ヘンリー四世 二部作』を観る その3

 シェイクスピアの場合、題名(タイトルロール)が必ずしも主役ってわけじゃないのよね。『ジュリアス・シーザー』とか『シンベリン』とか、『ヘンリー六世』とかも。
 だから『ヘンリー四世』もそうだよね、と理解していたし、主役はやっぱりハル王子なのでしょう。けれど、見ていて思ったの、ほんとにそうだろうか?これはあきらかに「ヘンリー四世」をめぐる物語、なんじゃないかしら?と。
 いや、ヘンリー四世とハル王子の親子をめぐる物語、ということかな。それが鵜山演出の、この芝居についての答えね。

 
 第二部もやはり二つの対比でできていたわ。フォルスタッフたちがまったりと遊んでいる世界と、ハルが父王と和解し王となる決意をしていく宮廷内の世界。ハルは、フォルスタッフたちのところに現れはするんだけど、心は既に病に倒れた父王のことでいっぱいなの。
 第二部、王(中嶋しゅう)と浦井ハルの演技がホントに素晴らしかった。
 王が死を目前にして、王位簒奪の罪の意識と必死に戦っている心がよく伝わってきたし、ハルもまた、宮廷人たちがフォルスタッフを探している=自分を探している=父王の身に何かあった、とすぐに察知して駆けつけるの。そして、王冠のシーン。
 王が息を引き取ったと思い込んでハルが王冠を持ち去るところから、二人の長い台詞のやり取りで、和解していくこのシーン。もう、息を止めて聴き入ったの。何も言うことはない。凄く沁みた。
 こんなことをこんな時言うのはなんだけれど、マダムはずっと中嶋しゅうの演技が苦手だった(ただの好みの問題とは思うのだけれど)。でも、このヘンリー四世は憂のたちこめた枯れた様子がぴったりだったし、浦井ハルとの相性が良かったんだと思う(そこにも、『ヘンリー六世』以来の役者同士の信頼関係がたぶんに影響してるよ。劇団のベテランと若手のような)。中嶋しゅうによって浦井ハルの演技が引き上げられたことはもちろん、浦井ハルとのやり取りが中嶋しゅうを更に王らしくした、とも言えると思うの。
 
 遂にヘンリー四世が亡くなり、放蕩の衣装を脱ぎ捨て、ハルは美しい白い衣装をなびかせて現れた。このとき、あのヘンリー六世の父だな、とマダムが感じたことはもう話したわね。そして、フォルスタッフたちとの別れのシーン。既にハルには孤高ともいえる雰囲気が漂い、小物のフォルスタッフが通じる馴れ合いは無くなっていた。ハルの前にはまったく別の道が伸びていたのよ。
 木で組まれたセットの道を、王冠をかぶったハル、いえ、ヘンリー五世が登っていく。すべての人々が(前王も)それを見上げている。誰も登っていない高みで、彼はゆっくりと遠くを見渡す。そしてそっと目を閉じる。ロック少年が、王という孤独を引き受けた清々しさに、劇場中が満たされた。
 ラストシーンにはもう台詞はなかったけれど、今年マダムが一度も経験していなかった浦井健治の演技の稲妻を、浴びることができたんだった。
 やっぱりさ、シェイクスピアってすごいと思う。こんな演出が可能なのだものね。
 

ロック少年が選択する王という孤独〜『ヘンリー四世 二部作』を観る その2

 フォルスタッフと言ったらマダムは、3年前の蜷川演出での吉田鋼太郎を思い出さずにはいられない。(そして松坂桃李のハルも、ね。)そのインパクトが強かったから今回、佐藤B作の配役を聞いても、どんな風になるのか、全然見当もつかなかったの。見当がつかないので、逆に楽しみだったとも言える。
 そうしたら、これもまた良い味のフォルスタッフで、目からウロコ、だったわ。しわがれた声は、台詞の多さで少し潰れたのかとも思えたけれど、それでも全ての台詞がちゃんとこちらに届いただけじゃなく、しわがれた声自体も味わい深かったの。
  思ったのは、演出の大きな違い。蜷川版では本を大きくカットし、ハルとフォルスタッフ二人の関係性に重きが置かれていたのに対し、鵜山版ではハルは、フォルスタッフだけじゃなく、みんなと仲が良いし、一番仲良くしてるのはフォルスタッフじゃなくてポインズなのね。本当の気持ちをフォルスタッフには話さないけど、ポインズには話すじゃない?「父上が病気だからといって塞ぎ込むのはいかんとは思うんだが(中略)、俺はやはり悲しいのだ。悲しくてたまらないのだ」って。
 そして佐藤B作のフォルスタッフは、すごく小物。みみっちいじーさんなの。これが肝心なの。第二部に入ると、小物感が満載。兵を集める時には兵役逃れを賄賂で見逃してやるし(ていうか、それがフォルスタッフの収入源)、戦地にはことが終わってから到達するし、帰る時は寄り道するし、ハルが王になったことを聞いて真っ先に自分が成り上がることしか思い浮かばないし。愛すべき人ではあるけど小物、ってところが重要で、だからこそ最後に王となったハルにさよならされても、見ているマダムは悲しくなかった。しかたない、というか、そうあるべきだよね、と思えたの。(3年前の蜷川版の時は悲しかったよ、だってハルとフォルスタッフがめっちゃ仲良かったからさ。) 
 
 
 7年前の『ヘンリー六世三部作』のときから、ほぼ同じ顔ぶれでやっているこのカンパニーは、もうシェイクスピア劇団といってもいい。その固定ファンたるマダムは、いろいろと楽しかった。劇団員の誰が、どの役をやるかが、とても楽しみでしょ?
 だってね。浦井健治はヘンリー六世とヘンリー七世(リッチモンド)をやってきて、今回ヘンリー五世でしょう?かたや岡本健一はリチャード三世やってて、ホットスパーは納得だけど、そのあとピストルでしょう?(もう本当に楽しませてくれたわ、まさか新国立で「We Will Rock You」を歌ってくれるとは思わなかった。ホットスパーよりエネルギー要ったのでは?)
 柄が悪くて女癖の悪い王子をやってた今井朋彦が、義の人、法院長だったり。悲嘆にくれてる王妃だった那須佐代子が、クイックリー夫人だったり。勝部演之がもう何度見たかしらと思う大司教だったり。鍛治直人が、あらゆる役でずーっと舞台上にいたり。ほんと楽しかったのよ。

 そしてね。『ヘンリー六世』から観てるマダムに、今回は、そのご褒美がやってきたの。
 ハルが遂に王となり、長い裾を引く衣装で現れたとき、生地の風合いは違えど同じシルエットの衣装を着ていたヘンリー六世の姿がまざまざと思い出され・・・そっくりなのに(あたりまえよ、同じ浦井健治なのだから)、ヘンリー六世のはかなげな佇まいとはまったく違う、自信と決意に満ちたヘンリー五世だったからね・・・ああ、あの人のお父さんはこういう人だったんだ、と感じ入って。
 大河ドラマってこういう感慨をもたらすんだな、としばし幸福感に浸ったのよ。

 さらに、その3に続くね。どこまでもダラダラと書いてしまうのだ・・・楽しくて。

ロック少年が選択する王という孤独〜『ヘンリー四世 二部作』を観る その1

 たった1ヶ月ちょっとなのに、芝居ロスで体調までおかしくなってしまったわ。待ちに待ったこの日。12月10日(土)マチネ&ソワレ、新国立劇場。

『ヘンリー四世 第一部 混沌』
『ヘンリー四世 第二部 戴冠』

作/ウィリアム・シェイクスピア
翻訳/小田島雄志
演出/鵜山仁

出演 浦井健治 岡本健一 勝部演之 今井朋彦 那須佐代子 
綾田俊樹
   ラサール石井 田代隆秀 鍛治直人 中嶋しゅう 佐藤B作 ほか

 二本の芝居なのだけれど、これはやはり二つで一つの芝居。シェイクスピアは商売人ね。一部を観たら、二部を観ないわけにいかないもの。スターウォーズみたい。なので、記事もひとつのものとして書くわね。
 推敲する時間がないんで、思いついたまま書き並べるんで、読みにくいでしょうけど、許されよ。
 まるっきりネタバレするよ。
 
 すごく面白かったー! 
 浦井ハルはメッチャ可愛いし、岡本ホットスパーはメッチャかっこいいし、B作フォルスタッフは「あー、これぞ等身大の(等身大がすごく大きいんだけど)フォルスタッフ」と思ったし、そのほかの役者たちそれぞれの見せ場が楽しくて、笑ったり、息を呑んで聞き入ったりできて、幸せだったの〜。
 鵜山演出は、いつも思うけれど、誠実。だから、納得いく時いかない時はあっても、彼がどのようにこの本を解釈し、イメージしたかが、こちらにちゃんと手渡される。それで、マダムは信頼を寄せてるんだー。
 今回、事前に本を読み返して臨んだけれども、マダムの思いもしない解釈で手渡された!『ヘンリー六世』以来の、「やってくれるじゃないの」感満載なのだった。
 
 セットは木で組んだ巨大なおもちゃみたい。
 最初のシーンで、ヘンリー四世(中嶋しゅう)が貴族たちに嘆いてみせている様子を、木のセットの上から、あるいは、舞台の周りから全ての登場人物が見つめている。ヘンリー四世が戴く王冠も細かい木で組んであって、はかない、もろい感じが象徴的なの。
 第一部は、二つの対比で、出来ていた。一つは王を囲む貴族たちの諍いの世界。もう一つはハル王子(浦井健治)が遊ぶ庶民の世界。
 ハルの造形にまず、軽く驚き。金色の髪がパンクっぽく逆立ち、鋲を打った派手なジャンパーを着て、ヘッドホンでクイーンを聞いている少年。ガム噛んでても不思議じゃない。まあ、芝居だから、それはさすがにないんだけど。
  その姿だから、フォルスタッフたちと悪ふざけしているときも違和感なく溶け込んでてヤンキーなのだけれど(笑顔がやんちゃで可愛い)、でも、本当に心から仲間となっているかというと、そういうわけじゃないのが、佇まいからわかるの。
 どんなに和気藹々とののしりあってても、小物なフォルスタッフたちが立ち入ることのできない部屋が心の中にあって、ハルはひとりでその部屋をぐるぐる歩き回っているような・・・・そんなふうに感じられた、表情や言葉の端々から。
 それでいて、最初に父王に呼び出されて話をするとき、ポケットに手を突っ込んだままだったりして、反抗期のロック少年そのままなの。
 
 一方のホットスパー(岡本健一)は、よく言えば血気盛ん、悪く言えば争うのが大好きな瞬間湯沸かし器的な男。戦争で手にした捕虜を、上司である王に引き渡さなかったことから叱責され、猛烈に反発するの。怒り出すと、冷静さはなくなってしまい、周りが手をつけられなくなる。勇ましいんだけど、この我を失うところが、指導者としては致命的な欠点なのよね。周りの大人たちも、彼の無謀に引きずられてしまうの。
 このホットスパー側の描き方は、オーソドックスで、貴族らしい衣装だった。(ホットスパーは長い髪を編み込んで後ろに束ねていて、メッチャ素敵!)ただ、少しハル王子に比べて大人っぽすぎるかな、と思った。無鉄砲な若者感が、衣装から匂ってこないのがちょっと残念だったかも。ハルの派手なロック少年に対抗して、黒光りするライダースーツかなにかだったら、危ない若造な感じが出てよかったんじゃない?(今、ちょっとそんな岡本健一を想像してしまって、ドキドキするマダム。似合うよ、きっと)
 衣装はともかくとして、ホットスパーは文字通りホットで、ハルの方はどこかクール。そして、戦場で二人は一騎打ちになるわけだけど(そしてホットスパーの方が百戦錬磨なんだけど)、この殺陣、二人の役者が文字通り全身全霊でやってて、こちらも固唾を飲んで見守ったの。それでね、思ったのは、やっぱり、頭の芯がクールな人の方が勝つんだな、ってこと。戦争だけ百戦錬磨でも、王様にはなれないんだよね、ってこと。
 
 たいしたこと言えてないうちに、長くなってるので、続きはその2で。
 
 

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