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原点に還った野田秀樹 『パイパー』

 連休には子供とスキーに行ったの。
 冬の傾いた日差しに森の木々は長い影を曳いていて、雪面にブルーグレーのストライプを作り出す。見渡す限り縞模様の森。皆が先に行って、ひとりで滑りぬけていく時にはまるで、ナルニアに迷い込んだルーシィのような気持ちがする。
 この歳になっても、緑と黄色の指輪なしにナルニアに行ける瞬間があるのね。

 ナルニアの次は火星に行った。シアターコクーン、1月14日マチネ。
  NODA・MAP『パイパー』
  作・演出・出演 野田秀樹
  出演 宮沢りえ 松たか子 橋爪功
    北村有起哉 コンドルズ ほか

 これから観る方、多いでしょう?これは、なんの予備知識なしに観てわかるし、またその方が楽しいと思うわ。だから、ここから先は観てから読んでね。
 今回の『パイパー』を観てまず思ったのは、「おおっ、これは夢の遊眠社の再来?」ってことだったの。もちろん舞台には段田安則も上杉祥三も円城寺あやも竹下明子もいない。でも、話の流れも、セリフと音楽の関係も、身体の使い方も、全部あの頃のようだった。懐かしかったよ、マダムは、新作なのに。役者の顔ぶれが違い、コンドルズが火星環境を担い、装置が大掛かりになって、映像を巧みに使っても、やっぱりどう見ても遊眠社でしょう、これは。
 つまり野田秀樹は変わらない、ってことよ。進歩がないと言ってるんじゃないのよ。もう最初っから全てを持っていた、ってことなの。
 だから、実はあんまり驚かなかったのよ。どんな仕掛けも基本はもう、遊眠社時代に経験済みだもん。(まあ、昔はただ付いていくのがやっとだったんだけれどね。)
 でも、遊眠社時代をあまり知らない方達にとっては、どきどきワクワクするような仕掛けがいっぱいよ。特に、大勢のアンサンブルによる人海戦術は楽しい。大劇場ならではのスペクタクルが装置だの照明だの音響だの以上に、人力による、ってところが野田秀樹らしいし、そうであってほしいとも思う。だって、人間の身体の表現を追求することなくしては、ただのショーになっちまうもの。ディズニーランドと変わらなくなっちゃうもん。
 物語にも、既視感があった。途中、手塚治虫の『火の鳥』(なに編だったかは思い出せない)や、佐藤史生の『夢みる惑星』(これはマンガ)や、鈴木光司の『楽園』(これは小説)や、加藤健一の『審判』(これは芝居)や、谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』(これは詩)などが、次々にマダムの中でフラッシュした。
 つまり、時空を超えようが、人間が人間である限り、今ここで抱える「生きていくことの問題」は何も変わらないということなんだね。何処へ行こうと人間は水と食料なしには一日も生きられないし、死ぬまで生きなければならない孤独からは逃れられない。楽しい芝居だけど、描かれてることはシビア。安直な希望を捨てろと言ってるのよ。孤独を引き受けろと言ってるのよ。
 そしてこの冷徹なメッセージさえもが、野田秀樹が最初っから持っていたものだと、改めて気づいた。
 天才は時とともに成長しない。始めから天才だから。
 そのことを長い年月を経てやっと理解したマダムは、つくづく凡人だわ。
 

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