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吉田鋼太郎の『マクベス』

 今年の観劇、最後を締めくくるのはやっぱりシェイクスピア。恵比寿エコー劇場、12月25日(木)のマチネ。
  劇団AUN公演『マクベス』
   演出・主演 吉田鋼太郎
   出演 安寿ミラ 大塚明夫 関川慎二 他

 吉田鋼太郎演じるマクベスを観るのは2度目なの。で、パンフレットによれば本人自身2度目のマクベスなんだそうな。なんだかもう、10回くらい演じていそうな気がするんだけど。意外。
 でも1度目(シェイクスピアシアター公演)の時とは全然違うマクベスだった。もちろん演出が違うんだから、違って当然なんだけど。今回はね、超愛妻家のマクベス。で、安寿ミラのマクベス夫人も、夫を凄く愛してるの。
 邸で夫人が待っているところへマクベスが帰ってくると、ふたりは舞台の端と端から互いの腕のなかに飛び込む。抱きしめあう腕や背中が「会いたかったんだ!」って言ってるのがわかるの。こんな出だしのマクベス夫妻って、これまで(マクベスは沢山観てきたけど)見たことがない。
 だから夫人がダンカン暗殺を焚き付けるのも、その後マクベスを叱咤激励するのも、夫の希望を叶えてあげたいという一心から、という感じがするのね。普通のマクベス夫人だと、夫のためというより、自分の出世欲(王妃になりたい!っていう)の方が大きそうなんだけど、そこがはっきり違う。
 そして王位を手に入れても心の平穏は得られず、マクベスはバンクォーの幻影なんかが見えちゃって錯乱し、それを普通のマクベス夫人なら叱り倒すんだけど、安寿ミラの夫人は叱らない。いや、叱咤する言葉はあるんだけど、ことを隠蔽するためじゃなくて、やっぱり夫を心配する気持ちが見えるのよ。
 だからマダムは初めて、マクベス夫人が突然狂って出てくるシーン(あの有名な手を洗うシーン)が、唐突じゃなかった。これまでずっと、あんな気の強い悪女がなんでこんな急に狂っちゃうの?って、引っかかってきたのよ。(これについては『蜘蛛巣城』についてのスレッド→ここ を読んでね。)でも、今回の、悪女じゃない、ただ夫を愛してる愚かな女であれば、狂うこともあるだろうと受けとめられたの。そしてその、手を洗うマクベス夫人のなんと美しいこと。安寿ミラって初めて観たけど、この人が宝塚の男役だったなんて信じられない。たおやかな美しさ。
 マクベス夫人は手を洗うシーンを最後にもう舞台に現われない。そしてマクベスが最後の戦いに挑もうという時、夫人の死を知らされるの。マクベスは「あれもいつかは死ぬ運命だった・・・こういう知らせを一度は聞くと思っていた・・・」と答えるんだけど、吉田鋼太郎のマクベスは、この台詞を言う前に15秒くらい沈黙していたの。ここで、こんなにためる演出は滅多にない。その15秒間は夫人の死の痛手をマクベスが必死に受けとめた時間。吉田鋼太郎は自らに言い聞かせるように、静かに「あれもいつかはー」と話し出す。夫人をどれほど愛していたかがわかって、痛々しいようだった。出だしの抱擁に始まって夫人への別れを口にするまで、夫婦の愛という一本の筋が通った『マクベス』だったわ。

 マダムが今まで『マクベス』を観る時いつも感じていた三つの疑問というのがあってね。ひとつはさっき言ったマクベス夫人の唐突な発狂。これについては今回の吉田演出で答えをもらったけれど、あとふたつはやっぱり疑問のままだったな。
 そのひとつは、マクダフなのよ。妻子を残したままイングランドへ行ってるうちにマクベスに邸を襲われ、妻子を殺される。それを知ってマクダフは「自分の命より大事な妻や子どもが!」って男泣きするんだけどね。もう充分マクベスに眼を付けられてるの、わかっていながら、妻子を逃がさずに自分だけ留守してて、殺されちゃってから嘆いても、遅いでしょ!ってつい文句を言いたくなっちゃうのよ。自分だけ助かるズルイ男に、どうしても見えてしまう。
 あとひとつは、魔女。どうも納得の行く魔女に出会わないの。今回も、おどろおどろしいスプラッタな魔女で、いろいろな趣向で楽しませようとしてくれていたけれど、そうすればするほど、『マクベス』全体の流れから浮き上がっちゃうようで。特に映像を使っているところは、吉田鋼太郎って流行に敏感な人だわと思ったけど、それ以上の効果はあまり感じなかったな。

 滅多にパンフを買わないマダムだけど、今回は吉田鋼太郎と野村萬斎の対談が載ってるっていうんで、買っちゃった。800円だったし。このふたりって知り合いなの?と最初不思議な気がしたけど、そういえば野村萬斎がハムレットをやった時、吉田鋼太郎はクローディアスだったねー。忘れてたよ。
 で、この対談が実に面白い!芝居を知り尽くしてる人たちの話だー!
 このなかで野村萬斎が黒澤明の『蜘蛛巣城』を絶賛してて、特にマクベス夫人が妊娠してる設定が凄い、って言ってるの。これはマダムがブログで書いた(→ここ )ことと全く同じなのよお。さすが野村萬斎、理解が深い。えらい!
 って言ってみて今、これは反対だなと思いましたわ。野村萬斎と同じくらい理解してるマダムがえらいのよ。あれ?違うかな。
 言ってるうちによくわからなくなってきたので、今日はこの辺で。

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コメント

初めまして。
書かれている内容がとても面白いと友人に紹介されて、お邪魔しました。
ちなみに私は安寿さんファンで『マクベス』を観に行きました。

疑問に思われていることの私なりの解釈を・・・。
映像は・・・「人生は影法師」にかかっていると思います。
舞台装置の絵も皆陰画でした。
この『マクベス』は「人生は影法師」を言うための『マクベス』なのではないかと・・・。
『マクベス』が見たバンクォーの子々孫々の姿もまた、結局、スクリーンという未来永劫に映った影であり、その影(映像)が消えてちりちりの画面に回るマクベスの影が映っている様子は秀逸だと、私は思いました。
魔女は・・・人生の先触れではないかと。
この『マクベス』では事件の真実は何一つ見せません。
マクベスの戦勝も先触れが語りますし、ダンカンの来迎も先触れが知らせます。
殺人さえも事実は見せず、朝になって見たマクダフの証言で語られます。
魔女が先触れでマクベスの運命を知らせたことをヘカティが怒るのは、人の運命をあやつるのは神の仕事なのに魔女風情が先に手出しをしたこと。
しかし、マクベスは魔女が先に教えてくれたことで、自分の深層心理を知り、破滅へ突っ走っていったのだと思えます。
魔女がいなければ・・・マクベスは自分自身の人生の秘密を知らず、平凡な領主としてまっとうしたのかも知れません。
逆にマクダフはマクベスのアンチテーゼとして登場しています。
マクダフは魔女に会わなかったマクベスの姿とも言えるかも知れません。
マクベスは自分の人生の最後に、人生のなんたるかを知りますが、マクダフは妻が自分に対してどんな感情を持って死んだのかを、知ることなく一生をおくるでしょう。
マクベスが叛乱者であるマクドンウォルドを倒し、マクダフが裏切り者のマクベスを倒す。
この「マク」つながりもまた面白い趣向だと思いました。

長々、書かせていただきましたが、こんな考えもあるということで・・・。
お気に障りましたら、非公開にしていただいて結構です。

お絵描きぺんぎんさん、初めまして。
コメントいただいて、嬉しいです。
特に映像のところについては、マダムの理解を遥かに越えて感じ取っておられるので、なるほど、と思いました。
ただ、やはり吉田鋼太郎さんはずっと舞台畑を来た人なので、映像は稚拙であるように思ったんです。意図は別として。1+1が3にも4にもなるような使い方はまだできそうもないかな、と。
映像の使い方では、野田秀樹の『THE BEE』の凄さを観てしまっているので、比べてはいけないと思いつつ、やっぱり比べてしまうのでした。

お返事をありがとうございます。
私も観客として映像についてはよくわからないので、「稚拙」であるかどうかについては思いも及びませんでした。
ただ、とても寺山修司的映像だなと思い、最初から「面白い、面白い」で観てしまいました。
吉田さんの演出作品は初めて観ましたし、演出自体が趣向を凝らしたものではなく言葉を正攻法にとらえたものでしたので、あまり深く考えず、そのまま受け取って観たので、何も不満がなかったのかも知れません。

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