最近の読書

美しい幻 マシュー・ボーンの『シンデレラ』

 連休初日の渋谷は大混雑。10月6日(土)マチネ、東急シアターオーブ。

マシュー・ボーンの『シンデレラ』
音楽/セルゲイ・プロコフィエフ 美術・衣装/レズ・ブラザーストン
照明/ニール・オースティン サウンドデザイナー/ポール・グルーシィス
映像/ダンカン・マクリーン
演出・振付/マシュー・ボーン
出演 シンデレラ=アシュリー・ショー  パイロット(王子)=エドウィン・レイ
   継母=マドレーヌ・ブレナン  天使=リアム・ムーア  ほか

 

 マダムは普段、ミュージカルにしてもストレートプレイにしてもあまり来日公演に行くのは気が進まないの。
 字幕を読みながら芝居を観るのは、気が散ってしまいがち。それと…マダムを含め観客の反応がいまひとつヴィヴィッドでないことが多くて、乗っていけない気持ちがしてしまう。
 だけど、バレエならば。言葉はないわけだから、観てそのままを感じればいいのよね。クラシックバレエにはなかなか手が出ないのだけれど、マシュー・ボーンの斬新さについては色々と聞こえてきていて、一度は生で観てみたいと思っていたの。『シンデレラ』が来日するとあって、行くことに決めた。
 そして、観てみたら。
 ザ・舞台芸術、と言いたくなるような王道な美しさだった〜!

 『シンデレラ』のお話は皆知っての通り、なんだけれど、マシュー・ボーンは時代と場所をそっくり第二次世界大戦中のロンドンに置き換えている。これがただの置き換えではない、よく考えられた設定で、唸る。
 実母の死後、継母と義姉妹たちに女中同然に扱われているシンデレラの境遇は従来と同じ。だけど、ここに義兄弟たちもつけ加えられてる。彼らのうち一人はゲイの設定だし、一人は足フェチのちょっと気持ち悪い男として描かれてて、シンデレラはセクハラっぽい扱いも受けそうになる。また実父は車椅子に座ったまま、暖炉のそばに置き去りにされていて、家庭内の実権をとっくに失っている。こんな風に、細かな描写に、おとぎ話ではないリアリティが持ち込まれているのね。
 付け加えて(これ重要!)、原作にある義姉妹たちがシンデレラに比べて醜い、という設定がほぼ排除されている。従来、義姉妹たちはシンデレラに対して意地悪で、「そのうえ醜かった」。それに比べシンデレラは心優しく、「そのうえ美しかった」。でもマシュー・ボーンは、美醜の対比を演出からほぼカットしている。まあ、シンデレラが美しいことに変わりはないんだけど。
 そして(更に重要!)原作では王子の設定が、王子ではなく、負傷して戦地から戻ってきているパイロットとなってる。これ、ホントに重要な変更ね。王子様に見初められてめでたし!っていうおとぎ話のお約束を、現代の感覚で排しているわけなの。
 
 戦闘機の爆音が響く中、舞台は始まる。音楽はプロコフィエフで、そこはいじれないわけだけど、空襲警報とか、戦闘機や空爆の爆音とか建物が崩れ落ちる衝撃音とかはしっかり効果音としてプラスされてる。
 衣装は全員が、戦時中を感じさせるモノトーン。でもシンデレラは更に地味で、ひっつめ髪にメガネをかけ、下働きしている。空襲警報が鳴ると、街を歩いていた人たちを家に匿わなければならず、玄関を開け放つ。逃げ込んできた男たち、女たちを継母たちが馴れ馴れしく接待するなか、お茶を配るシンデレラ。逃げ込んだ人々の中に、頭に包帯を巻いたパイロットがいて、二人は一瞬で惹かれ合う。話そうとする二人を継母たちが直ぐに引き離し、空襲が止んで皆帰った後、シンデレラは、パイロットが忘れていった帽子を拾う。
 シンデレラはここでもう恋に落ちているの。
 シンデレラは義兄弟たちの洋服の仕立て直しをさせられていて、トルソー(裁縫用のボディ)があるんだけど、それに拾った帽子をかぶせパイロットに見立てて、一緒に踊る。恋の妄想…。途中からトルソーはパイロットその人と入れ替わり、シンデレラは幻想の中で彼とダンスする。その素敵な夢は、義兄弟に見つかって笑われることで、覚めてしまうんだけれど。
 
 ある日、継母や義兄弟たちが揃ってダンスホールに出かけていくと、一人残されたシンデレラの元に、魔法使いならぬ天使が現れる。天使は銀色の髪、純白の輝くスーツに身を包んだ男性(リアム・ムーア、初代ビリー・エリオットだったダンサー)で、シンデレラを馬車ではなく真っ白なサイドカーに乗せて、ダンスホールに連れて行く。
 この、天使が現れたあたりから、舞台はこれ以上ない美しさで…幻を見ているとしか思えなくなった。天使の圧倒的な存在感、ドレスに着替えたシンデレラの眩しさ、濃紺のホリゾントにアンバーの灯りが滲むように当たっている照明の美しさ…。シンデレラと天使のダンス、シンデレラとパイロットのダンスのあいだ、息を飲んで見つめた。
 
 ダンスホールでパイロットと再会したシンデレラは恋を成就させて、結ばれるんだけど、ベッドで眠る二人のもとへ天使が、12時が迫っていることを知らせに来る。シンデレラはベッドを抜け出し、魔法が解ける前に帰ろうとする。が、帰る前にその時はやってきて、天使が指し示した時計が12時になった時、ダンスホールは衝撃と共に崩れ落ちる。ダンスホールは空爆を受け、焼け落ちたの…。
 踊っていた多くの人たちは死に、もとの地味な姿のシンデレラもその場に倒れ、負傷者として担架で担ぎ出され、彼女の靴の片方が担架からこぼれおちる。パイロットは崩れ落ちたホールの中を血眼で探しまわるけれど、見つかったのはシンデレラの靴だけ。靴を胸に抱いて、彼は泣き崩れる。
 このダンスホールはロンドンにあったカフェ・ド・パリという店で、大戦中、空爆にあい多数の死者が出たことは有名な史実なのだそう。その史実と、魔法の解ける12時を重ね合わせた演出が、素晴らしい。
 
 そのあとは、パイロットが靴を持ってシンデレラを探す旅に出て、入院している彼女をついに見つけ、二人が結ばれるラストまで、お決まりの展開。でもさっきも言ったように、王子に見初められてめでたし、ではなくて、負傷したパイロットという、普通の男性と恋に落ちた女性の物語に読み替えたことが、よりマダムに響いてきた〜。ディズニーにはない大人の物語。
 
 偶然なんだけれど、『ビリー・エリオット』の初代ビリーをやったリアム・ムーアを生で観られて、幸せだった。銀髪の天使の役がピッタリとはまっていた。美しさと、人間離れした神々しさを表現したダンス。
 
 音楽が録音で、生のオーケストラじゃなかったんだけど、来日公演だし、しょうがないよねと思ったら、これはロンドンでもそうだったんですって。何年か前にロンドンで観た知人がそう言ってたの。
 そこは、どうなんだろう? そのことだけがちょっと気になっている。

廻る劇場の『メタルマクベス disc2』

 なぜこんなスケジュールにしてしまったのか、自分。9月20日(木)ソワレ、IHIステージアラウンド東京。

『メタルマクベス disc2』
原作/ウィリアム・シェイクスピア(松岡和子翻訳版より)
作/宮藤官九郎 音楽/岡崎司 振付・ステージング/川崎悦子
演出/いのうえひでのり 
出演 尾上松也 大原櫻子 原嘉孝 浅利陽介 高田聖子
   岡本健一 木場勝己 ほか

 ジャージーボーイズのブルーとホワイトの観劇のあいだに挟まれる、めちゃくちゃなスケジュールとなってしまったの。自分が悪いので、文句は言わず、とにかく出かけて行った。
 だいぶ時間が経ってしまったので、ただ思ったことを羅列するだけになるけど、お許しを。
 楽しかったけど、やっぱりちょっと長い。全員に見せ場を作ってフルコーラス歌わせるし、そこまでいるかと思うくらい全部のシーンにギャグを入れ込んでくるし、主演の尾上松也用の歌舞伎仕様のギャグもあるしで、長くなってしまうのね。新感線にとっては長くなることは観客へのサービスなの。
 でも、もう少し刈り込んだほうが、見終わったあとの満足度が上がる気がする。

 尾上松也はほぼ予測通り。タフで、なんでもできる人だよね。
 大原櫻子のマクベス夫人は、若くてやんちゃで破滅的でとてもよかった。初演の松たか子に通じるところもあって。
 グレコの浅利陽介、レスポール王の木場勝己が安定の素晴らしさ。木場勝己って、こんなに歌える人だったとは。レスポール王から『海辺のカフカ』のナカタさんまで出来る。守備範囲が広すぎ。

 そして期待のバンクォー、岡本健一、かっこよかったあ!ギター弾くところも、バイクで走る姿も、文句無し、かっこいいの。脚本上は橋本じゅんがやるバンクォーと同じギャグをかましてるんだけど、どうしても格好よくなってしまう。なので、いのうえひでのりがしびれをきらし(たかどうかは断言できないけど)、長髪のかっこいいカツラの後頭部にハゲを作るという暴挙に出た。まあ、それでも、かっこいいことに変わりはないんだけど。
 カッコイイままで、行くところまで行っちゃってもよかったのに(マダムの身贔屓)。
 
 平日夜公演で、しかも土砂降りだったので、観客はかなり少なめ。後ろのほうの席は空きが目立ったの。
 やっぱりこの辺鄙な場所で平日6時始まりはかなりキツイ。6時始まりなのに終わりが10時っていうのもまたキツイ。
 そう思いながら、マダムは一目散に帰宅した。だって翌日は仕事だからね…。

Oh What a Night!『ジャージー・ボーイズ』チームホワイト 神回の夜

 チームブルーの興奮冷めやらぬまま、チームホワイトへ。9月24日(月)ソワレ、シアタークリエ。

ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』

脚本/マーシャル・ブリックマン&リック・エリス 
音楽/ボブ・ゴーディオ 詞/ボブ・クルー
翻訳/小田島恒志 訳詞/高橋亜子 音楽監督/島健 振付/新海絵理子
演出/藤田俊太郎
出演 チーム・ホワイト
    中川晃教 中河内雅貴 海宝直人 福井晶一
    太田基裕 阿部裕 畠中洋 綿引さやか 小此木まり まりゑ ほか
 

 芝居は生き物で、上演を重ねるごとに変化していくもの。同じセリフを繰り返し口にしても、一度として全く同じ回は無い。それほど豊かなもの・・・と言ったのは、マダムの大好きな風間杜夫御大なのだけれど。
 観る側に立って言えば、毎日観られるわけじゃないので、チケットを買えたその日、その回がすべてなの。だから…毎日観てないマダムがこんなことを言っても、それはただの思い込みなのはわかってる。
 でも言う。
 24日ソワレのチームホワイト、神回だった!
 
 もちろんマダムの席が、向こう5年分くらいのチケット運を使い果たしたであろう、とんでもない良席(2列目ど真ん中)だったこともある。まるで自分の部屋の中でフォーシーズンズが歌ってくれてるようだったの・・・。マダムの長い観劇生活の中でも、こんなことは殆どないこと。みんな、どうぞ羨んでください!嫉妬してください!たぶんマダムのチケット運は、すっからかんですわ。どうとでもなれだー。(しかし誰のファンクラブに入ってるわけでもなく、高額チケットにはびた一文払わないマダムの真っ向勝負で、このようなチケットが手に入ったということは驚き。演劇の神様は、割と公平なのだった。)
 
 神回となったのは、翌日が休演日なので役者さんたち、エネルギー大放出しちゃったのかも、ということもあるね。とにかくすべての条件がこの夜に揃いも揃って、揃ったのよ。そんなわけで、神回。
 
 席があまりにも近かったので、割り引いて聞いてほしいのだけれど、演技も歌も完璧だった!チームホワイトにはやはり一日の長があって、トミー(中河内雅貴)、ボブ(海宝直人)、ニック(福井晶一)、それぞれ皆余裕を持ちつつ台詞を口にし、タイミングを少しも外さずに相手の台詞に反応し、表情を変化させ、そしてたっぷりと歌い上げる。その歌い上げに、ほんの少しずつだけど、チームブルーにまだない余裕というか伸びしろというかコントロールする力のようなものがあって、それがまた相乗効果で出演者全員のノリの良さを生み、観客をどんどん巻き込んでいく。それぞれの人生の機微、喜びも苦さも深かった!
 特に海宝直人のボブ・ゴーディオが素晴らしくて。他の三人とは違うお坊っちゃんで、およそコンプレックスと無縁の男の子で、時折イラっとするくらいアッケラカンとポジティブなボブ。それを屈託ない笑顔とキラキラした目で体現してくれて、つい見惚れてしまったし、なにより歌に凄く説得力があるの。彼が「Oh What a Night!」を歌い出すと、劇場中が彼の豊かな声で満たされて、幸せな気持ちでいっぱいになる。
 
 そんな周りの充実に押し上げられて、フランキー・ヴァリの中川晃教も俄然、パワーアップしてたの。どの歌も素晴らしかったんだけど、やはり「君の瞳に恋してる」を歌うクライマックス、もうほとんど映画のクローズアップみたいに彼の顔しか見えなくなり彼の声しか聞こえなくなり、歌い終わったら、感極まってマダムはなんだか叫んでた。鳴り止まぬ拍手。これがあの噂のショーストップってもの⁈ それがフランキー・ヴァリのショーストップなのか、中川晃教のショーストップなのか、渾然一体となって、アッキーはちょっと涙ぐみ、マダムも涙がこみ上げたよ。そしてアッキーは(いや、フランキーは)客席を見渡して頷き、身を翻して芝居に戻った。
 そしてなによりも。ラストのフランキーの「やっぱりあの街灯の下で四人で声を合わせた瞬間が最高だった」って、いう台詞に涙溢れる。長ーく歌ってきたフランキーだからこそ言える台詞。これで締めるって、なんて愛おしい芝居かしら。
 
 カーテンコールのメドレーが楽しすぎた!こんなに盛り上がるカーテンコールって、ロンドンで観た『ビリー・エリオット』以来じゃないだろうか。こりゃあ、日本で観られるホントに最高のミュージカルを観た夜だったんじゃないだろうか。Oh! What a Night!
 
 もうすぐ東京公演が終わって、全国ツアーに行くけれど、本当に短いなあ。ぜひ、再再演を考えて欲しいし、そのときはちゃんとアンダースタディ対策もして、ロングランに挑んで欲しい。
 そのときは友達を誘って、毎月観に行くから!

待ちに待った『ジャージー・ボーイズ』 チームブルー

 待ちに待った日が来た。9月19日(水)ソワレ、シアタークリエ。

ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』

脚本/マーシャル・ブリックマン&リック・エリス 
音楽/ボブ・ゴーディオ 詞/ボブ・クルー
翻訳/小田島恒志 訳詞/高橋亜子 音楽監督/島健 振付/新海絵理子

演出/藤田俊太郎

出演 チーム・ブルー

    中川晃教 伊礼彼方 矢崎広  spi

    太田基裕 阿部裕 畠中洋 綿引さやか 小此木まり まりゑ ほか

 
 2016年の初演の時の興奮を、まるで昨日のことのように憶えているの。
 読売演劇大賞の作品賞と最優秀男優賞(もちろん、中川晃教)を取って、再演が決まり、また観られる!って狂喜乱舞したのね。でもそれから、待ったこと待ったこと・・・。だけど、待った甲斐があった!やっぱり胸一杯で倒れそうだった〜。
 お話は同じだし、どんな舞台かは初演の記事(これ→降り注ぐ演技の稲妻 中川晃教の『ジャージー・ボーイズ』 )で書いたので、ぜひそちらを読んでね。
 
 初演の時マダムはチームホワイトの方だけ観たの。今回は両方観るんだけど、まずはチームブルー。
 ホワイトに比べ、役者さんが若い(よね?)し、伊礼彼方とspiは初めて加わったこともあって、全体に若々しい、瑞々しい空気が流れていたの。それがとても良かった。フォーシーズンズが若くしてスターになり、トミーの借金問題の発覚でグループが空中分解するまで10年かそこらだから、基本、若者たちのお話なのよね。チームブルーを観たら、そのことに改めて気づいたの。
 チームブルーの役者さんたち、みんな水を得た魚のように生き生きしていた。トミーの伊礼彼方は、有無を言わさぬ態度のデカさが素晴らしくて、これまで見てきたどんな役よりも合っていた。ニックのspiもセリフの少なさをあの容姿でしっかり補って、存在感を示してたし。そしてボブ・ゴーディオの矢崎広。彼だけ、マダムは他で見た憶えがないんだけど、四人の中で一人だけお坊ちゃんで頭のいい男の子をちゃんと体現していて、感心したし、なにより歌声が美しかったの。
 そしてフランキー・ヴァリの中川晃教・・・期待通りの素晴らしさ。フランキー・ヴァリの声あってこそのフォーシーズンズだったわけだから、このミュージカルの成功も彼の役をやる人の声にかかっているわけで。この役と中川晃教が巡り合ったその場所に、居合わせることができた幸せをマダムは再び噛みしめた・・・。クライマックスの「君の瞳に恋してる」の時にはやっぱり、芝居の途中なのにスタンディングオベーションしちゃいそうになる。
 
 マダムはこの手のジュークボックス・ミュージカルがとても好き。昨年観た『ビューティフル』もとても良かったし。歌を生で聴く幸せを、たくさん味あわせてくれるから。
 でもそのためには主演の役者が、ただ歌が上手いだけではダメなの。歌が上手くて更に、歌の芝居心がある人でなければ。
 無名のそういう人を探し出してきて(きっとどこかにいる。中川晃教だってモーツァルト!のとき無名だったでしょ)、中川晃教のアンダースタディにつけてほしい。そして、せめて半年くらいのロングランに挑戦してほしい。だって、マダムはなんども観たい(毎月観たい)し、今回チケットが手に入らなかった人をたくさん知ってるし、上演期間短すぎて、観客の需要に全然応えられてない。
 藤田演出『ジャージー・ボーイズ』は、そんな日本初の挑戦にも耐えられるような魅力と実力を兼ね備えているよ。マダムは太鼓判、押します。

無名の人々の御一新を描く AUNの『あかつきの湧昇流』

 スカイツリーを見上げながら、だいぶ歩いて劇場へ。9月16日(日)マチネ、すみだパークスタジオ倉。

劇団AUN第二十四回公演 『あかつきの湧昇流』
作・演出/市村直孝
出演 吉田鋼太郎 大塚明夫 黒沢ともよ 横田栄司 北島善紀 星和利
   長谷川志 岩倉弘樹 松本こうせい 飛田修司 谷畑聡 長谷川祐之
   齋藤慎平 杉本政志 伊藤大貴 坂田周子 悠木つかさ 金子久美子
   長尾歩 工藤晶子 沢海陽子 佐々木絵里奈 山田隼平 松尾竜兵
   橋倉靖彦 河村岳司 近藤陽子 砂原一輝 宮崎夢子

 
 AUNが2014年に初めて『有馬の家のじごろう』を上演して以来、市村作品4作目。マダムは今作がいちばん好きかもしれない。
 1作目の時は、シェイクスピア劇団の人達が日本人の役をやっていることが信じられず、観る側のマダムのほうがついていけてない部分があったのだけれど、もうそんなことが嘘のように市村作品に馴染んでしまった。
 役者さんたちも、始めは着慣れない着物姿だったのが、今ではすっかり似合うようになっていて、不思議なものね。

 あらすじを全部説明するのはあまりに困難なのでやめておくけれど、どんなお話だったか、一言で言えば「無名の人々にとって明治維新とはどんなことだったのか」を描いてる。それは「明治維新」という言葉で普段イメージされるものとはだいぶ違うの。
 私たちは歴史を教科書で勉強したり、大河ドラマなんかを見たり、司馬遼太郎なんかを読んだりして、当時のことを俯瞰してわかった気になってるけれど、その只中に生きた人たちのことを存外知らないものなのだ、としみじみ思った。
 
 武士の格好をして旅をしている弥之助(実は女、黒沢ともよ)と、そのお供をする家臣の伊三次(吉田鋼太郎)はいかにも仇討ちのために旅しているのだけれど、その詳細はなかなか明かされない。二人は道に迷い、山中の廃寺に行き着く。寺は、近くの銅山で働く鉱夫たちの宿に使われていて、訳ありな親子が寺に住み込みで働いている。
 所変わって、江戸の同心の善八(大塚明夫)は手下を使って薩摩方を探らせて、薩摩の精神的支柱である美樹十三郎(松本こうせい)の居所をつきとめ、捕らえて処刑する。薩摩藩士潮甚平(横田栄司)は、十三郎の仇を討つべく、善八の手下を一人一人手にかけていく。善八は死を覚悟し、幼い養女を手下の又吉(松尾竜兵)に託して逃がし、自分は薩摩藩邸に乗り込んでいく。
 というような全く違う場所、時間のふたつの物語が、並行して進んで、やがて弥之助と甚平と又吉の因縁が明らかになる…。
 
 芝居の作りはかなり複雑で、幕末のとある時期(安政の大獄の頃)と、明治五〜十年くらいの、割と近距離のふたつの時間が交錯するのね。さらに場所も、足尾銅山の町、江戸、薩摩や会津に次々と飛ぶ。そして時間と場所についての説明はわざわざしない。ヒントはごく普通の会話の中にこっそり練りこまれていて、こちらが感覚を研ぎ澄ましていないと、捕まえ損ねてしまうわけなの。
 でもこれは台本の失敗ではなくて、作家(そして演出家)の狙いがまさにそこにあるのね。色々な断片が少しずつ集まっていって、最後の大団円で一気にパズルが組み上がって目の前に全容が開ける…それが市村作品のカタルシス。
 なので、観終わった後の友人たちとのお喋り(反省会)でも、「登場人物表と関係図と歴史年表が欲しかった」という意見が出て、マダムも頷いたのだけれど、そこは紙一重で難しいよね。何も知らずまっさらな状態で芝居に導かれていくことも、極上の喜びだし、作家もそれを目指しているのだから。
 
でも、そうはいっても、マダムも脳の中で伏線を全部回収しきれなかった所があって、時間があればもう一度観たかった。再演、しないかな。
 
 役者さんの演技は皆、細かな演出が行き届いていて、とても良かった。武士は武士らしく、芸妓は芸妓らしく、女将は女将らしく、料理人は料理人らしく、番頭は番頭らしく、鉱夫は鉱夫らしく。殺陣、舞、立ち居振る舞い、汗の拭い方、汁物をよそる手元まで、身分と仕事を身体がちゃんと表していて、観ているのが楽しかった。翻訳物だと、なかなか得られない感覚かも。(個人的には横田栄司の着物姿にクラっときた〜。文学座関係者はちゃんと見てるだろうか?「華岡青洲の妻」がやれるよ!)

 
 市村4作品のなかでどうして『あかつきの湧昇流』がいちばん好きかというと、人情を描くのではなく人間を描くことにシフトチェンジしたから。それと、幕末から明治維新にかけての時代は、今の私たちの生き方に密接に関係があることだと最近強〜く思っているので、有名人たちの縄張り争いじゃなく、市井の人たちの人生の芝居であったことも、とてもよかった。
 坂本龍馬にも西郷隆盛にも、飽き飽きしたよ。もう有名人の手柄話はたくさん。

«ミュージカル俳優浦井健治ファンのための、メタル「マクベス」予習講座 その2

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

関係するCD・DVD

無料ブログはココログ