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新派『黒蜥蜴』再演を観る

 11時半始まりって、ちょっと早いよね。6月16日(土)午前の部、三越劇場。

六月花形新派公演『黒蜥蜴』全美版
原作/江戸川乱歩 脚色・演出/齋藤雅文
出演 喜多村緑郎 河合雪之丞 春本由香 伊藤みどり
   秋山真太郎 今井清隆 ほか

 昨年観て面白かったので、再演をまた観に行ってきた。昨年のいつだったっけ?と振り返ったらきっちり1年前の6月17日(土)だったのよ(レビューは→ここ )。
 初演は、新派としてかなりの冒険であったらしい。でもそれが好評だったので、この再演があるわけだし、11月には新橋演舞場で『犬神家の一族』をやることになってる!いい企画ね〜、めっちゃ楽しみ。

 再演といっても、攻めの姿勢は変わらなかったので、それも嬉しかった。基本的な筋立ては全く同じだけど、より客を喜ばせようという工夫が詰め込まれ、パワーアップしてた〜。
 なかでもいちばん増えたのは、主演の明智小五郎役の喜多村緑郎の色気!
 初演時のポマードで撫でつけた髪型をやめて、パーマをかけた(?)クルッとした巻き髪にしていたし、白塗りを限りなく薄くして、自然な感じに。新派のしきたりから更に一歩踏み出したの。そうしたら素敵さ倍増。登場の瞬間からただならぬ色気がダダ漏れていて、マダムはちょっと倒れそうになった。
 殺陣のシーンも増えていて楽しかった。宝石「クレオパトラの涙」を手にした黒蜥蜴を追って警察と盗賊たちと明智の部下が入り乱れてのシーン、明智小五郎の大立ち回り。そしてなぜか何度も着替える(見世物小屋に逃げ込む設定だから、まあおかしくはないんだけど)。京劇風の殺陣の時は京劇風の衣装に着替えてくれてて(しかも似合う)、そういうところサービスが行き届いてるね〜(去年も言ったけど、劇団新感線と通じるところがあるよ)。脇を固める役者さんたちも歌舞伎の訓練を積んだ人たちだから、動きの良いこと。
 立回りのあと黒蜥蜴と二人きりになって、明智は結局彼女を逃がしてあげるんだけど、初演時はこのシーンで、敵同士の二人の間でシンパシーを確認する程度だった。それが今回は、なんと明智は黒蜥蜴にキスしちゃうんだよ〜。踏み込んでる、踏み込んでる。
 
 黒蜥蜴役の河合雪之丞は変わらぬ美しさ。どんなに派手な着物もドレスも似合っちゃう。そして宝石商の令嬢役の春本由香は、初演の時のぎこちなさが完全に払拭されて、すごく上手くなってた。歌も上手かったよ。
 刑事役が昨年は永島敏行だったのが、今年は今井清隆になった。なので役の設定も銭形警部風から、洋行帰りのキザな刑事に変更されて、歌ったり踊ったり、ピアノを弾いたりしてくれた。サービス満点。
 
 全美版と銘打ってたんだけど、全美っていうのは完璧!と言う意味だそうで。明智と黒蜥蜴の悲恋物語に焦点をキッチリ合わせて、ほんとに完璧ないい芝居だった〜。黒蜥蜴相手に恋に落ちた明智に、観客が(ていうかマダムが)恋に落ちたんだった。
 
 学生の頃(ってどんだけ前よ)、女形と女優が同居する新派という芝居に対してどうも馴染めない感情を持っていたの。でもそれからン十年経ち、男女の壁なくいろんな役をやる役者たちも見慣れたし、そのあたりには何の抵抗もなくなった。面白い芝居を、そして真実のある芝居を観せてもらいたいだけよね。

 公演期間中ほぼ毎日2公演なんだけど、平日も11時半始まりと15時半始まりなの。歌舞伎仕様なスケジュールだけど、これ観られるの、ホントに有閑層だけね。マダムがここでどんなに宣伝しても、大抵の友人たちは働いているから観られないよ。平日の夜の回数をいくつか増やすことを考えてほしい。本当に新派が生き残りたいのであれば。

『アイヌ オセロ』を観る

 ここのところ中央線利用率が高くなってる。6月9日(土)ソワレ、国際基督教大学ディッフェンドルファー記念館、東棟オーディトリアム。

シェイクスピア・カンパニー『アイヌ オセロ』
作/ウィリアム・シェイクスピア 脚本/下館和巳、渡邉欣嗣
共同演出/秋辺デボ、下館和巳
出演 犾守勇 石田愛 香田志麻 加藤㮈紀 中野莉嘉 ササキけんじ
   水戸貴文 及川寛江 藤井優 増田寛子 千葉絵里奈
 

 シェイクスピア・カンパニーという劇団については以前から、なんとなく聞いてはいたのね。シェイクスピア作品を東北に置き換え、台詞も東北弁で演じる劇団だということで、活動の本拠地は仙台らしい、と。
 ひょんなことから仙台在住の役者さんと知り合いになって、今回の東京公演に行ってみることにしたの。
 東北弁、わかるかなぁと少し不安だったんだけど、それは全く問題なかった。むしろ、東北弁が生き生きと伝わってきて、楽しかった。
 
 『オセロー』の舞台を幕末の仙台藩に移し替え。蝦夷地(北海道)をロシアの侵略から守るために仙台藩は、アイヌの男を将軍としてとりたてている。それがオセロ(オセロー)で、妻デズマ(デズデモーナ)は仙台藩の武士の娘。ヴェニスにとってのムーア人を、仙台藩にとってのアイヌ民族に置き換えていて、その辺なかなか上手いよね。
 オセロははっきりそれとわかるアイヌの民族衣装を着ていて、デズマも最初のシーンでアイヌの衣装を着せられ、マタンプシというアイヌの刺繍入りの鉢巻を額に巻かれてオセロの妻となる。そのマタンプシが例の誤解の刺繍入りハンカチの代わりとなる。道具立てはバッチリ。
 
 役者さんたちは女性が多いので、仙台藩の武士は殆ど女性が男役をしていて。台詞は声量も滑舌も良くて、こちらにちゃんと届くのだけれど、やっぱり女性が男役をやるにあたっては何か演出上の工夫が必要なのではないかしらね。男っぽく演じることで手一杯になってしまう。そのせいもあって、仙台藩側のリアリティが相対的に下がってしまってる。役の立場は説明できているのだけれど(たとえばデズデモーナの父親だな、ってことはわかる)、その人らしさまで演技で出せてはいない(娘を愛しているのか、所有物として、取られたから怒ってるのか、取った男がアイヌだから怒っているのか、どう気持ちを収めたのか、がわからない)。
 演出にアイヌの秋辺デボを迎えているので、アイヌ側の描写は凄くしっかりしている。アイヌの踊りや衣装は見応えがあるのだけれど、そのアイヌを差別しながらうまく利用している仙台藩側の描写が薄い。具体的な描写が足りないの。アイヌに対する差別感情の描写もね。それがとても残念。だって、設定の置き換えがこんなにうまくいっているのだから、もっと驚くような面白いものができたと思うし、差別というものの正体にも迫れたと思う。
 たとえば。デズデモーナが仙台藩士の娘ならば、最初の姿はいかにもな日本髪や着物姿がよかったんじゃないかな。それを脱いで、アイヌの衣装に着替えれば、デズデモーナの並々ならぬ決意がそれだけでわかるでしょう? エミリアの衣装もよくわからなかった。彼女はどっち側の人なんだろう?
 イヤーゴーが内地人とアイヌの混血、という設定は台詞に出てきて、面白い発想だとは思ったのだけれど、それは、仙台藩側の差別感情を描き切れてこそ生きる設定なので、不発だった。
 
 役者さんたちはみな、台詞については凄く訓練していて、東北弁の台詞もよくわかったの。一方で、他の人の台詞に対する反応が弱い。自分の台詞がない時もその役で居られるかどうかがとても大切なことで、芝居を面白くするのはそこだから。
 オセローは威厳があって、強いが不器用な武人らしかった。自信がある時と、嫉妬で狂っている弱さとの、落差がもっとほしかったな。
  イヤーゴーはなかなか面白かった。東北弁で不満やら妬みやら悪口やらをタラタラと聞かされると、ホント可笑しくて。イヤーゴーって魅力的な役だって再認識した。

本番こそいちばんのワークショップ 劇団AUN『から騒ぎ』

 チケットを買った時にはこんなハードスケジュールになるとは思っていなかったのだけれど。6月2日(土)マチネ、現代座会館現代座ホール。

劇団AUNワークショップ公演『から騒ぎ』
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/小田島雄志 監修/吉田鋼太郎
演出/長谷川志
出演(B組) 杉本政志 岩倉弘樹 松尾竜兵 山田隼平 橋倉靖彦 星和利
   河村岳司 砂原一樹 松本こうせい 飛田修司 池谷駿 桐谷直希
   齋藤慎平 悠木つかさ 水口早香 近藤陽子 宮崎夢子

 昨年から始まったAUNのワークショップ公演。
 昨年夏の『間違いの喜劇』の時は、ほぼほぼ若手のみの公演だったのだけれど、今年の『から騒ぎ』はベテランもかなり参加していて、本格度が増していたの。舞台は幾つかの植え込みが置かれているだけのシンプルな装置。植え込みは、壁にも柱にもなり、もちろん植え込みとしても活躍するんだけど。
 『から騒ぎ』のストーリー説明は今更しないでいいよね。
 
 賑やかなダンスのシーンから始まって、男勝りなベアトリスと自称女嫌いのベネディックの言葉の応酬へ一気に畳み掛けるので、昨年の『間違いの喜劇』と同じように、ずっと笑って2時間を過ごすのかと思ったの。でも、そうじゃなかった。
 『から騒ぎ』ってのは、ほんとに喜劇なのかしら?
 と、考えちゃうくらい、シリアスなシーンは凄くシリアスだった。
 まあ、そう言いながらもマダムは3分の2くらいは笑ってたんだけど。でも残りの3分の1は、胸詰まる思いで見つめてしまったし、最後ちょっと泣けてきそうだった。その重みはかなりのもので、今回、長谷川演出はこの3分の1の側を重点的に仕掛けていたと思われるの。
 例えば照明の当て方が顕著だった。普通のシーンでは全体に明るく照明が当たってるんだけど、悪役ドン・ジョンが出てくると分かり易い程暗くなって、悪巧みのシーンを演出する。最後の方のヒーローの葬儀(ホントは死んでないんだけど)のシーンでも照明を全て消して、参列者の持つろうそくの灯りだけで演技し、鎮魂歌が歌われる中、墓の前に佇むクローディオだけにゆっくりとスポットが当たっていくのも、台本に書かれてるシリアスな部分はちゃんとシリアスに、という演出方針だったのかも。
 だから、笑って始まり、最後は笑って終わる…んだけれども、一言で喜劇といってしまうのは躊躇する、沢山の感情が押し寄せてくる舞台になっていたの。
 
 主役の四人の若者達の描き方が、とても丁寧で良かった。ベアトリス(水口早香)はまるで『じゃじゃ馬馴らし』のキャタリーナのように始まるのだけれど、従姉妹のヒーローが陥れられた時には、ヒーローのために自分の身を捨てても徹底的に献身する。その両面がちゃんと一人の人物の中に矛盾なくあるのが感じられたの。
 ベネディック(山田隼平)は、さらに多面的で。女嫌いの状態から始まり、ドン・ペドロたちの策略に引っかかってあっさり恋に落ちるハイテンション、おバカな状態を経て、ベアトリスのヒーローへの思いに打たれてクローディオに決闘を申し込む凛々しさまで、あらゆる顔を見せてくれた。地はイケメン枠ではないと思うけど、決闘を申し込むところはちゃんとイケメンに見えるからね。役をとことん演じきると役者はみんなイケメンになる。
 一方、クローディオ(松尾竜兵)は地のイケメンを大いに生かして、一本気な青年を演じてた。愛したヒーローを嘘を信じたせいで拒絶し、憎み、死なせ、嘘だったとわかると、死ぬほど後悔して嘆く。松尾クローディオを見ていたら、マダムは突然『冬物語』のリオンティーズだ!と思ったの。リオンティーズが20年くらいかけて到達する憎しみと許しと喜びを、クローディオはほんの数日で駆け抜けるんだね。若いから身体がもつんだよ、と妙に所帯染みたことを思ってしまうマダム。
 そしてヒーロー(悠木つかさ)。彼女は可愛らしい容姿なのでつい若手のように思ってしまうけれど、AUNの中ではベテラン女優で、ホントに上手い人。疑うことを知らない少女がどん底に陥れられ、そこから立ち直ってクローディオを許して受け入れる大人の女になるまで、やはり数日で駆け抜けるんだけれど、彼女が演じると余計な力が入っていなくて、見ているこちらは凄く楽に物語に付いていけるの。最後、ベールで顔を隠してクローディオと相対する場面も、彼女の沈黙だとマダムも余計な力を入れずに待っていられるんだよね。
 
 昨年の『間違いの喜劇』のときも思ったけれど、シェイクスピアの上演の基本は、役者が台詞を言うときは誰に向けてどんな気持ちで言うのか、はっきりわかるように言ってくれること。そして台詞を言っていない役者は全力で、しゃべっている役者に対して反応すること。この、たった二つ。この二つがあれば、面白いシェイクスピアが出来るの。四人の若者たちが恋に落ちたり、苦しんだりするとき、周りにはぎっしり登場人物たちが集まって顔を寄せ合って、一緒に笑ったり憤ったりするから、台詞の意味が何倍にも膨らんで伝わってくる。長谷川演出はちゃんとツボを心得てる。
 
 若い人たちの台詞も全部しっかり聞き取れた。ところどころ力が入りすぎてる箇所もあったけれど。そこは硬軟自在なベテラン勢にまだかなわない。
 
 沢山笑って、楽しかった一方で、『から騒ぎ』の多面的なところも味わえて、とても満足。吉田鋼太郎イズムをしっかり受け継ぎながら、長谷川演出はこれからもっと、長谷川イズムも出していけるのじゃないかしら。ワークショップシリーズ、どんどんやってほしい。

円熟の岩松了『市ケ尾の坂』

 観たい芝居はなぜこうも、上演時期がかぶるのかしら(その3)。6月1日(金)ソワレ、本多劇場。

『市ケ尾の坂』ー伝説の虹の三兄弟
作・演出/岩松了
出演 大森南朋 麻生久美子 三浦貴大 森優作 池津祥子 岩松了

 どんどん溜まっていくので恐ろしいのですが、必ず書きます・・・。とりあえず、観た事実だけメモしました。

草彅剛の挑戦『バリーターク』

 観たい芝居はなぜこうも、上演時期がかぶるのかしら(その2)。5月25日(金)ソワレ、シアタートラム。

『バリーターク』
作/エンダ・ウォルシュ 演出/白井晃
出演 草彅剛 松尾諭 小林勝也 ほか

 長年SMAPのファンだった(といってもいいと思う。コンサートとか行ったことないけど)マダムでも、彼らの芝居はほとんど観たことがない。チケット、手に入らないんだもん。唯一観られたのは稲垣吾郎主演のこまつ座だった。その他は、エントリーすらできなかったこともあって、ここ数年は最初っから諦め気味だったの。
 だから今回はもう、奇跡。奇跡の最前列・・・嗚呼。
 そして、マダムのPCでは、ちゃんと彅の字も出る。みんな、見えてる?
 
 これは草彅剛のための芝居だったのだと思うけど、難しいところを狙ったなあ、白井晃。
 セットは、台所も風呂も完備してるやや広めの古びたワンルーム。壁には鳩時計があったり、絵が飾ってあったり、すごく高いところにドレッサーがくっついていたりする。細部が、遊機械全自動シアター時代の白井演出を思い出させるような作り。
 でもこの部屋にはドアがない。
 
 どこから入ってきたのかわからない二人の男A(草彅剛)と男B(松尾諭)が、この部屋の住人。彼らはけたたましい目覚しの音でベッドから飛び起き、ご機嫌で飛び跳ねながら朝ごはんのシリアルを食べ、懐かしの80年代の音楽をバックに踊り狂い、よくわからない会話をし、バッタリと眠り、再び目覚しの音で飛び起きる。一見楽しそうな二人を見ていても、ちっとも楽しくならないのは、いつまでも二人が何者なのかが見えてこないから。
 繰り返しが苦しくなる頃、突然向かい側の壁がゆっくりと倒れ、外界が顔を出す。草に覆われた外界から、不気味な老人(小林勝也)が現れて、詩的な言葉を吐きながら「もう時間だよ」と告げる。「明日、どちらか一人がこの家を出なさい。出て12歩あるいたところで、俺がこの銃で撃つ。そういう決まりだ」と。AとBは既知のこととして、その言葉を受け入れ、Bが年上なのでBが行くことになるの。
 でもその時がやってきて、もう一度壁が倒れると、Aが出て行く。心を決めていたのはAの方で、Bも当然のようにそれを受け入れる。Aが撃たれるところは見えない。壁が閉まり、 Bはこのまま一人で暮らしていくのか?それはそれで地獄のようだ・・・と思えるんだけど。
 すると、ただの壁だった部分に、小さく穴が開いて光が差し、そこから幼い女の子がひっそりと入ってくる。Bはあっけにとられて女の子を見つめる。女の子が部屋の中に進むと穴はぴったりと塞がり、また窓もドアもない部屋で、Bは女の子と暮らしていかなければならない。いつまで続くのかわからない時の営みを、耐えなければならない・・・。
 
 というようなお話だった。観てない人は、これを読んで、わかるかしら?わからないよね。だって、観てもよくわからなかったから。
 ある意味で、人生そのものを表わしている、とも言える。私たちはどこから来たのか知らないし、いつまで人生というこの部屋にいられるのかも知らないし、或る日突然終わりを迎えるのかもしれない。一緒に生きる仲間も、選べないこともある。運命が与えた条件を受け入れて生きるしかない。
 そういうことが描きたいのかも、とは思った。でもこれは観終わって随分考えた後に理解したことなの。観ている最中は、訳がわからなかった。
 で、たぶん、訳がわからなくてもいいのよね、瞬間瞬間を興味深く観続けられたら、それでいいのよ。
 そういう観点から見たら、草彅剛は、とてもよかったの。とにかく体のキレが良くて動きがシャープ。見ているだけでワクワクする。意味が深まっていかない会話でも、彼が喋ればみんな、聞く。そういう信頼関係みたいなものを、観客との間で構築できちゃう。ライブで鍛えた力だね。
 でも残念ながら松尾諭が弱くて。彼の容貌はこの役にぴったりだったんだけど、動きに面白みがないし、台詞は真面目なだけ。この意味不明な流れに、乗っていけてないの。もう少し不条理な世界へ跳ぶことができていたなら。
 死神的な老人役の小林勝也は、詩的な台詞を美しく聞かせてくれたんだけど、『ビッグ・フェラー』の時(あれ、なん年前だっけ?)に比べたら、怖さが小ちゃくなっちゃったな・・・。
 
 いろいろ言っちゃったけど、舞台役者としての草彅剛は期待通りだった。また観られるといいな、彼の舞台。

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