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流行の『黒蜥蜴』花組芝居版を観る

 黒蜥蜴が流行っているのだ。江戸川乱歩の著作権が切れたらしい。みんな、どんどんやろう黒蜥蜴。12月3日(日)マチネ、あうるすぽっと。
 

花組芝居劇団創立30周年記念講演第5弾
『浪漫歌舞伎劇 黒蜥蜴』
原作/江戸川乱歩 脚本・演出/加納幸和
出演(黒天使組) 谷山知宏 桂憲一 丸山敬之 原川浩明 二瓶拓也
   秋葉陽司 植本純米 大井靖彦 北沢洋 磯村智彦 ほか

 
 あまりの忙しさに、レビューのアップ順序が乱れてしまった。すみません。 
『黒蜥蜴』流行りだ。6月に新派の『黒蜥蜴』を観たら、マダムもちょっとやみつきになって、今回のチケットもほいほいと買ってしまったの。
 花組芝居はすごく昔に何度か通ったことがある。どれくらい昔かっていうと30年くらい前かなぁ・・・と考えながら今回のチラシを見つめたら、なんと「劇団創立30周年」の文字が!ってことは、できたてのほやほやの頃、通ったってことなんだね?確か、タイニイアリスだったと思うの。
 あまりに昔すぎて、憶えていることは殆どないし、当時出ていた役者さんは殆どいないだろうし、まあ、初体験のようなものね。

 三味線のかき鳴らすクリスマスソングで幕が開いた。
 歌舞伎、と銘打ってる通り、三味線の音楽と、合間合間に義太夫を挟んでいくし、役者さんの動きも歌舞伎の型みたいなところがふんだんに盛り込まれてて。女優はいなくて、みんな女形だしね。
 だけど6月に観た新派版と違うのは、基本的に「お笑いテイスト」であるということ。観ながらだんだん、思い出していったの、そうだったなあ30年前も、って。
 当時、花組芝居は男性だけで全てを演じる歌舞伎方式の新しい劇団で、女形はすごくガッチリした男体型の人が務め、すぐ裸(てか褌一丁みたいな)になっちゃうし、まだ演技はさほどうまくないが、パワフルで猥雑でめっちゃ楽しい劇団だったの。歌や踊りがたくさんあってね。
 で、今回観たら、演技も芝居の運びもすごく洗練されてた。パワフルで楽しいところは変わらないけれど、力で押し切るんじゃなくて、技で見せてくれるようになってたの。劇団って積み重ねていくものなのね。
 
 一番お笑いテイストを感じたのが緑川夫人=黒蜥蜴(谷山知宏)ってところがなんともおかしい。ドレスの裾さばきとか着物の袖の扱いとか、美しいし素敵なんだけど、笑顔がそこはかとなく下品で、高貴じゃないの。お笑いテイストはいってるの。それが親しみやすくて、面白い。奪った宝石エジプトの星(だっけ?)も、ゲンコツくらいの大きさでミラーボールみたいに光ってて、大笑いした。
 だから、これも黒蜥蜴なんだけど、かぎりなくパロディよりの黒蜥蜴。そして、ガッチリ男体型の美女健在(二瓶拓也の早苗さんとか植本純米の岩瀬夫人とか)。おじさんだけど桂憲一の明智小五郎も不思議に色っぽい。
 途中、明智が撃たれて、しばらく出てこなくて、死んじゃったのかしら?話が違わない?と思ったら、ちゃんと出てきたんだけど、その辺の伏線はちょっと適当だったな。で、普通は、明智と黒蜥蜴の恋物語なんだけど、これは黒蜥蜴の惚れた相手は雨宮だったみたい。そういう切り口もあるんだね。
 話によってはお笑いテイストではない、正面から向かってく作品もあるらしいので、花組芝居、時々チェックしてみようっと。

日韓合同公演『ペール・ギュント』

 今年は三軒茶屋にたくさん通ったな〜。12月10日(日)マチネ、世田谷パブリックシアター。

『ペール・ギュント』
原作/ヘンリック・イプセン 翻訳/クァク ボクロク
上演台本・演出/ヤン・ジョンウン 上演台本翻訳/石川樹里
出演 浦井健治 趣里 マルシア ユンダギョン ソドンオ キムボムジン
   チョウヨンホ 浅野雅博 石橋徹郎 古河耕史 ほか

 
 イプセンの有名な戯曲だけれど、あんまり上演されることがなくて、マダムは初見。ここのところ忙しくて、予習もままならなかったんだけど、見終わって思ったのは、予習しててもしてなくても変わらなかったかなあ、と。
 お話自体が好みじゃなかった。自分探しって言葉は好きじゃないな。演出もマダムが最近苦手としている串田和美に通じる匂いがあって、正直、あまりピンとこなかった。ビジュアルは綺麗で楽しかったのだけれど。
 なので、以下、二、三、感じたことを書いて、短く終わりにするね。

 
 日韓合同公演で、半分が韓国の役者さんだったのだけれど、存在感で日本の役者を圧倒していた。彼らの動きには目を見張ったの。一人一人の身体能力、台詞の強さ、いずれも日本の役者は負けてしまってるなあ、と。
 もちろん演出家が韓国の人だから、感覚的に通じるかどうかで、日本の役者はハンデがある。
 それとね、彼らの台詞は韓国語。舞台の上に字幕が出る。そうすると、耳から聞こえる台詞の音の強さと、目から入ってくる字幕の漢字の強さで、インパクトが2倍になるのよね。日本人の役者は、聴覚だけに訴えているので圧倒的に不利。主演の浦井健治はずっと出ずっぱりで凄くがんばっているのだけれど、早口になると意味が聞き取れない箇所があり、こちらの集中力が切れてしまう。
 演出家は、日本語の台詞の良し悪しまで指摘してはくれないのよね、きっと。外国人演出家には日本人の演出補が必要なんじゃないかと感じたわ(プルカレーテの時の谷賢一のような存在が)。

 ペールって美しいけど、中身はろくでなしなのだろうと思う。浦井ペールにはろくでなし感が足りないと思った。彼本人が持っている人の良さや優しさがにじみ出てしまっていて(それはそれでいいのかもしれないが)、どうしてもろくでなしになってしまう人間の業の深さが表現できていないよ。
 でも演出されれば、彼は表現できるんじゃない? 細かく要求されずに任されると、本人の普段の性格からはみ出たものは表現できないんだよね、きっと。(やっぱり日本人演出補が必要だったんじゃない?)
 一緒に見た友人たちは意外とあれでよかった意見だったんだけど、マダムは腑に落ちなかったの。そこんとこは、好みの問題になってしまうんだろうか?

『アテネのタイモン』稽古場見学日記 その3

 鋼太郎さんが遂に役者として稽古場に立たれたと聞き、再び見学に行ってきました!(ちなみに最初にその情報を得たのは、カッキーのツイートからでした。)
 時期が重なって、ブログ10周年記念企画のようになってますが、嬉しい偶然です。
 その1その2 を読んでから、どうぞ。
 

 12月6日(水)午後、再び大稽古場に伺いました。
 1度目に伺ったときには『NINAGAWAマクベス』のシンガポール公演のため留守だった役者さんたちが、皆もどってきていて、日本のシェイクスピア俳優集合度がさらに増していました。そして、やはりシンガポールから戻られたのでしょうか、故蜷川御大の写真が、真ん中の机の上に置かれています。

 「あとは俺だけなんだよな〜」と言いながら、タイモンの衣装をつけた鋼太郎さんが板の上に上がりました。
 演出家の椅子にいるときにはぴったり隣にいた記録係はもう、いませんでした。その代わり舞台に一番近いところにプロンプター(という呼び名でいいのでしょうか?)が二人ついて、鋼太郎さんの稽古をフォローします。びっしりメモが書かれた台本を手にしていますが、これ、殆ど台詞の流れを暗記していないと務まりません。演技に目を凝らし、台詞が止まって鋼太郎さんと目が合った瞬間に、次の台詞のきっかけを教えてあげなければならないのです。先日の記録係といい今回のプロンプターといい、最重要な、縁の下の力持ちですね。

 「あとは俺だけなんだ」と聞いて私が思い浮かべたのは、周りが完全に出来上がっているところへ鋼太郎さんがピタリと収まる、というような図だったのですが、それは完全に裏切られました。4幕3場はタイモンのところへさまざまな人が訪れては去っていきますが、新しい相手役が現れるたびに鋼太郎さんは稽古を止めて、新しいアイデアをどんどん試すのです。相手役の役者さんたちも、受けて立ちます。
 アルシバイアディーズの一行が通過する場面も、フレヴィアスとの別れも、画家と詩人が訪ねて来る場面も、どんどん変化していきます。鋼太郎さんはまるで、たった今思いついたかのように「こうしてみよう」「ああしてみよう」と言い、やってみると俄然芝居が活気づくので、ちょっと魔法にかかったようになってしまいます。見ているスタッフや役者さんたちも固唾を飲んだり、ドッと笑ったりして、思わず引き込まれていました。
 でも、あとから思い返すと、たった今思いついた訳がないのでした。このお芝居の影の主役は「カネ」なのですね。どの演出も、それぞれの人物の「カネ」に対する態度をくっきりさせることにベクトルが向かっています。そうやってテーマに沿った人物描写をすれば、おのずと面白くなるように本ができているのです。感心して見てるのは私だけじゃなかった。「おもしろいな〜」「よくこんな本、書いたよな〜、シェイクスピア」という声がスタッフの方から漏れたのを、私は聞き逃しませんでしたよ!
 
 長い4幕3場の稽古が終わり、次のシーンに移る時、藤原くんが鋼太郎さんに「大丈夫なの?ヘロヘロに(なってるんじゃない?)」と、わざと心配していない風なそっけない言い方で、実は気遣っていました。そう、ここはタイモンが出ずっぱりなだけでなく、ご自身の演出のせいで更に膨大なエネルギーが必要になっています。で、鋼太郎さんの藤原くんへの返答は「シェイクスピアハイだ(から大丈夫)」ですって。ランニングハイならぬシェイクスピアハイについては、鋼太郎さんのインタビュー記事で見たことがあった気がしますが、こういう時に使うのかと、聞いてにやにやしてしまいました。
 主演と演出を兼ねる時の方法を整理しますと。
① 信頼できる人を代役に立てて、まず他の役者さんたちとスタッフに全体の流れをわかってもらう。
② 頃合いを見計らって、自分も役者の方に加わる。
③ そうしながら細部の演技の演出をどんどん加えていく。全体のバランスを演出補に常にチェックしてもらいながら、進める。
④ プロンプターを立てて、同時に自分の台詞の曖昧さも修正していく。
 特別に効率の良いやり方があるわけではありませんでした。全て計算があって進めているのですが、それでも凄く凄く大変。そして最後の最後にシェイクスピアハイが助けてくれる、ということでしょうか。
 
 出番が終わって、タイモンの衣装をその場で脱いで着替え、鋼太郎さんは演出の椅子に戻ります。そこからはセットの移動があるシーンをチェックしていきます。そういう場面になると、どこか蜷川演出テイストが感じられるんですね。意識してそうしている部分もあると思いますが、これはさいたま芸術劇場で作っているから、というのが大きいのではないでしょうか。ゴールドシアターの『薄い桃色のかたまり』のときも同じように感じたのですが、長く蜷川演出を支えてきたスタッフの方達が、同じように真摯に岩松演出や吉田演出を支えようとすると、おのずと芝居の隅々からそのテイストが立ちのぼってくる、そんな気がしました。
 
 稽古場見学は十分すぎるほど刺激的でした。恋愛も権力闘争も嫉妬もなく、離れ離れの家族も間違われる双子も男装する女の子も出てこないんですが、これもまた紛れもないシェイクスピアだったんです。
 来週末にはいよいよ開幕です。ワクワクする気持ちをうんと貯めて、本番を待ちたい。
 皆さんも是非、ご一緒に。予習は特に要らないです(たぶん)!

今日で10周年を迎えました。

 今日で、このブログは10周年を迎えました!
 

 2007年12月5日、専業主婦だった私はペンネームを「マダム ヴァイオラ」に決めて、ブログを書き始めました。「ヴァイオラ」は、私がシェイクスピアに開眼した『十二夜』にちなんでつけたのですが、そこに「マダム」と付け加えたのは、別に私が有閑マダムだったからでは全然なくて、「ヴァイオラの成れの果て」という意味だったんです。
 つまり、かつては私もヴァイオラのように色々夢見る乙女であった(異論のある方もおいででしょうが)けれども、時は流れて今や成れの果てだわ、と思ったので、「マダム ヴァイオラ」となった次第。
 でもこのペンネームがとてもキャッチーだったおかげで、早くから来てくださる方が出始め、私の言いたい放題に共感してくれたり反論してくれたり、コメント欄も賑やかになっていきました。ホンモノの役者さんがコメント欄に現れるというハプニングもあり、いろいろな意見に励まされて、なんだかんだ続けてきたら、10年経っちゃったというわけです。
 はじめは、ただただ、芝居の話がしたかっただけなのです。芝居の話ができる相手がまわりに誰もいなかった。納得できる批評も見当たらないことが多かった。だから、バーチャルであっても自分の意見が言いたかった。誰かと言い合いたかった。それと、本当に面白いものに出会った時には、それに見合うくらいいい文章をひねり出して伝えたかった。それが今や、コメント欄でも語り合い、ツイッターでもおしゃべりし、現実にもどんどん出会いが広がっています。私はとうとう「マダム ヴァイオラ」に乗っ取られた。そっちの方が大きくなってしまった。こんなことってあるかな、運命だったのかな、と感慨深いです。
 これからも、自分のペースで「成れの果て」を続けていきます。
 最近はツイッター上でのやり取りが便利で賑やかですが、ここぞと思ったら、是非、コメント欄へ。何年も残り、いつでも読み返すことができます。ホンモノの役者さん(あの方やこの方)のコメントも残っています。本文よりコメント欄の方が盛り上がったときもありますので、みなさん、爪痕を残すなら、コメントを是非、お寄せください。
 次の10年、とは申しません。体力とお財布の続く限り、ということで。みなさん、一緒に芝居道を進んでいきましょう。

『アテネのタイモン』稽古場見学日記 その2

 その1をアップしたらすぐ、皆さんから反応をいただきまして、記録係が演出家の隣にいるスタイルは広く行われているみたいなのですね。四季の浅利慶太さんは、そのメモを記録係の女優さんに読み上げさせた、とか。

 
 40分を越えるシーンを終えて、「ではダメだしをしよう」と言って鋼太郎さんは初めて席を立ちました。周りにびっしりと役者さんが集まって、ダメだしを聞きます。私の場所からはところどころしか聞こえなかったのですが、それは「ダメ」を「出す」という否定的なものじゃなくて、演出家のイメージを説明し、そのイメージから外れる部分を修正する、という感じでしょうか。アペマンタス役の藤原くんとは特に時間をとって話されていました。
 
 休憩のあと、同じシーンを始めから繰り返します。
 今度は、途中芝居を止めて、台詞や立ち位置を直しながら進んでいきます。アルシバイアディーズが去って、哲学者アペマンタスが登場してきました。
 藤原くんがこれまでシェイクスピアでやってきた役は、直情型で朗々と喋る役が殆どでしたが、今回の捻くれた哲学者はちょっと勝手が違います。一回目の通しの時は、まだ手探りな感じでした。でも二回目は、ときどき芝居を止めて、鋼太郎さんが自分の代役の長谷川さんの台詞まわしを直します(鋼太郎さんがタイモンの台詞を言うと、やはり全然違って、圧倒的です)。そうすると藤原くんもそれにパッと反応して口調が変わります。会話が立体的になり始める瞬間が見えて、ドキドキしました。
 だいたいこのシーンは、タイモンの長い長い台詞があって、アペマンタスがそれに茶々を入れるみたいな会話なので、はじめにタイモンありきなところがあるんですね。鋼太郎さんが長〜い台詞の、ここはこういう気持ち、これをきっかけにその気持ちが冷め、次のこの辺りから狂った状態に戻る、みたいな、タイモンの揺れ動きを一気に説明されたときには、私はもう唖然。へええええー、そうなのかー、と。小田島訳と松岡訳の両方を読んでいったのに、そんなこと何一つ読み取れない自分の凡人感にハンパなく満たされた瞬間でした。
 
 そしてシーン最後に登場するのが執事フレヴィアスです。横田さんが現れた瞬間、場の空気がガラリと変わり、もうフレヴィアスそのものでした。台詞を言い始めたら、言わずもがなです。上手いわ〜って心の中で感嘆しました(すみません。このような上から目線の言い方で。でも、本当にそう思った。うそはつけません)。そしてこのシーン、鋼太郎さんと二人でやるんだーと思ったら、ちょっともう、たまりません。稽古なのに、すでに感無量な私。
 鋼太郎さんと横田さん、そして藤原くんがシェイクスピアでがっぷり四つに組む瞬間を、私はずっと待っていましたので。共演はされていても、役によっては一緒のシーンがないことも多いし、火花散る会話のやり取りはずっと見られずにきましたが、とうとうその日が来るんです!
 
 すっかり興奮してしまいました。主演俳優が演出を兼ねる時、どんなやり方をするのか、についてちゃんと分析したかったのですが。途中から完全に観客になってしまって、冷静さは吹き飛んでしまったのでした。
 この日の稽古は、2時ごろから始まって、4時間あまり。まばたきも忘れるほど集中して見学しました。役者さんたちも、自分の出番がない時は、長机の側に座って、食い入るように稽古を見ていました。静かだけど熱と活気、そして朗らかさ溢れる稽古場でした。
 さて、鋼太郎さんはいつから役者の側に立たれるのでしょうか?「あと少し経ったらね」とおっしゃってましたが、そこをまた、見たいものです。再度、見学がかないましたら、また皆さんにご報告したいと思います。

«『アテネのタイモン』稽古場見学日記 その1

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