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浦井健治の、いっちゃってるマクベス 『メタルマクベス』disc3 その2 そして日本のオリジナルミュージカルについて

 昔からこのブログを読んでる人は知ってると思うけど、実はマダムはミュージカルが苦手。日本人がやるミュージカルって、なんだか、文字通りとってつけたような感じがして、受け入れ難かったの。いろいろと凄いものに出会った今でも、その気持ちは根強くある。
 輸入物の常として、メロディと日本語の訳詞があってなかったり、役者の表現が感情を表しきれなかったりするでしょう? 最近、日本のオリジナルミュージカルもあるけど、相変わらず外国の作曲家に曲を書いてもらうことが多いし。なんで?って不思議に思ってた。
 
 でも『メタルマクベス』は完全な日本のオリジナルミュージカルだ。
 もちろん原作はシェイクスピアだし、宮藤官九郎の脚本も、ちゃんとマクベス。なんだけど、歌詞も音楽もすべて日本人スタッフなわけだし、面白いのは、場所を日本に(豊洲だよね)し、出てくるのは実はみんな日本人なのに、時代を未来に持って行ったので、ランディとかレスポールとかグレコとかいう名前にも違和感がなくて、でも別に演技は日本人のままでよくて…という、なんでもありの状態を作り出してる。無国籍状態を作り出すのは新感線の得意技だけど、ただ、宮藤官九郎は、新感線の普段の得意技に、輪をかけて上手い仕掛けを作った。それが現代(といっても1980年代)のメタルバンドが未来を予言するような歌を作っていた、っていう二重構造ね。それによって、2280年の世界のランディもエクスプローラーも王様も王子も、日本人のメンタリティのままで全然オッケーになってる。本当に上手い脚本だわ。
 
 音楽もオリジナル。歌詞は完全にクドカンワールドだし、曲はホントに歌詞にぴったりで、芝居の中に溶け込んでる。未亡人の歌(マクダフ夫人の歌)なんてサザエさんのパロディだし、そうかと思えばキャラメルの歌みたいにじんわり沁みてくる曲もあり、歌謡曲から演歌調から、そしてもちろんメタルロックまで、テイストが耳に馴染んでくるものばかり(まあ、ちょっとうるさかったり、しつこかったりするんだけどね)。

 そうそう。言い忘れてたけど、1980年代のマクベス浦井のバンドの衣装が、すごく好き。衣装の中で一番好きだ〜。
 金色の巻き髪のカツラに、金の縫い取りがキラキラのブルーのジャケットで、まるでオスカル!(でも本人がインタビューの時に「アルフィーの高見沢さんじゃん」って言ってるのを聞いたら、それ以外に考えられなくなってしまった。)で、その高見沢スタイルでギターを弾く(ふりだけど)ところが、凄くかっこいいのよ。形が、メチャクチャさまになってる!
 浦井健治はリズム感が抜群にいいよね。リズム取りながらギターを弾くシーンや、メタルに合わせて首を振るところや、殺陣のシーンまで、そのリズム感が生きてる。彼のダンスのキレの良さも。
 
 えっと、話をミュージカル問題に戻すと。
 今のところ日本のオリジナルミュージカルの真ん中辺にいるのは、浦井健治ってことになるのではないかしら?
 だって、彼の代表作には『アルジャーノンに花束を』や『デスノート』があって、今この『メタルマクベス』も加わったわけでしょ? (残念ながら『デスノート』は台本と作曲が日本人じゃないけどね。)
 別に本人が意図して選んできたわけじゃないと思うけれど、これは彼の特別な立ち位置を示している気がする…。だから、ミュージカルが苦手なマダムも、彼の舞台にはしつこく付いて行ってみようと思うわけなの。
 うわー、なんだか真面目なその2になっちゃった。
 とにかく、『メタマク3』は千秋楽にも行くので、浦井健治のひとまずの集大成を見届けてまいりまする。
 そう、ひとまずの。だって、来年は、遂に、アレだもん。

浦井健治の、いっちゃってるマクベス 『メタルマクベス』disc3 その1

 遂にやってきた。11月25日(日)マチネ、IHIステージアラウンド東京。

新感線⭐︎RS『メタルマクベス』disc3
原作/ウィリアム・シェイクスピア 脚本/宮藤官九郎
演出/いのうえひでのり
出演 浦井健治 長澤まさみ 高杉真宙 柳下大 峯村リエ 栗根まこと
   吉田メタル 冠徹弥 小沢道成 橋本じゅん ラサール石井 ほか

 

 そう。遂にやってきたの。浦井健治が、四大悲劇に挑戦する日が。
 これは、ちゃんとマクベスである。なので、「マクベス? 経験あります。」と言っていいの。
「シェイクスピア? シェイクスピアならヘンリー六世とリッチモンドとベンヴォーリオとギテリアスとトロイラスとハル王子とヘンリー五世、そしてマクベスやってますが、なにか?」
って、言っていいのよ〜!(なにか抜けていないだろうか?ちょっと心配なマダム。)
 
 マクベスの翻案としては超すぐれものの宮藤官九郎脚本。森で魔女に会い、王になると予言されたせいで、自分の中の隠された欲望に気がついてしまう将軍とその妻の話。ちゃんとマクベス。初演(内野聖陽と松たか子)に比べて、マクベス(ランダムスター)夫妻にぎゅっとフォーカスした演出になった。
 見れば見るほど、よくできた脚本だわ。原作にないシーンがいくつもあるけど、それは全て、原作を補い、宮藤官九郎的解釈を表すために書き加えられてる。
 例えば、王は暗殺される直前、ランダムスター(マクベス)と語らうし、殺された後も、幽霊となって何度も話しかけてくる。それによって、ランダムスターの戦い(殺戮)は、当初言っていた「王のために戦」っていたのではなく、「家族のため」でもなく、ただ「殺しが好きだからだ」という狂気の結論に至る。
 ランダムスター夫人(マクベス夫人)については、たくさんたくさん加筆されて、本当に納得するし、原作の唐突さ(途中からマクベス夫人は全く出てこなくなる)を払拭してるの。自分が煽ったせいでこんな状況になってることを後悔する台詞もあるし、ランダムスターに「ごめんね、あたしのせいで」とあやまったりする。バルコニーの欄干を乗り越え、ニヤリと笑って落ちていくシーンもちゃんとある。
 そういう、夫妻の気持ちの流れをきちんと押さえた演出だったし、浦井&長澤コンビがそれにきちんと応えた舞台だった。
 最初にマクベスが歌う歌「キレイは汚い、ただし俺以外」で、「俺は愛妻家〜」ってシャウトするけど、芝居の最後には「ほんとだ。愛妻家だ」って感じるのよ。宮藤官九郎、さすがだ。

 
 王を殺してのし上がり、自ら王となってからの狂気をはらんだ浦井ランダムスターの演技と、心が壊れてしまった夫人を慰める歌が、素晴らしい!うっとりだ〜。
 というのも、マダムの席は2列目ど真ん中でね(また?なんか最近妙に運がいい)。この大きな回る劇場で2列目は全体が見えづらいし、巨大スクリーンが近すぎて気分が悪くなりそうだったから、映像はなるべく見ないようにしてたの。disc1とdisc2観てわかってたから、そこは文字通り目をつぶって。
 その代わり、眼の前で繰り広げられる役者の演技と表情をガン見。だから、前半の、どこか不安げな、強気と弱気が交差する浦井ランダムスターの表情もよく見えたし。後半、どんどん狂気にとらわれて酔ったようになってる、白目剥いて完全にいっちゃってるところも見えたし。崩壊した夫人の肩を抱いてキャラメルの歌を歌うときの、少し涙ぐんだような優しい眼差しも見えたし。
 繰り返し出て来る殺陣のシーンでも、最初のうちは舞うようで、後半はどんどんエンジンがかかり、最後が一番キレがいいってことを、うっとりしながら見届けたし。浦井ランダムスターがギリギリまで前に出て舞台の縁に足をかけて、客席を煽りながら歌うときには、2メートルの至近距離! あんな大きな空間にいるのに、気分はスズナリなのだった。なんて贅沢。
 長澤まさみのランダムスター夫人も、期待以上だった。歌の巧さでは濱田めぐみや大原櫻子に負けてるんだけど、演じるっていう点では負けてない。なによりスタイルが美しくて、夫妻で並ぶとすごく絵になるし、似合っていたの。過去の浦井作品の中でも、こんなに似合う相手役っていなかったのでは?
 浦井健治の持つどこか中性的な佇まいと、長澤まさみの持つさっぱりした女ぶりとが、いい組み合わせなの。演技の相性も良い。何度も言うけど、夫人を慰める「キャラメルの歌」のシーンが抜群。泣けてくるよ。
 
 夫妻にフォーカスして加筆してるのに、ギャグのシーンは減らさない。それが新感線なわけだけど、その分、描ききれずにいろいろ削られてる。
 例えば。マクダフが、他国へ亡命している王子に会いに行くシーンは、本当は二人にとって最大の見せ場。王子はマクダフが罠を仕掛けに来たかもしれないと思い、戦う気がないように装うし、マクダフはその王子の態度に絶望し、激しく嘆く。
 そのシーンがまるまるカットされ、二人は会った途端に、意気投合して打倒マクベスを叫ぶので、二人とも役がすっかり軽くなってしまった。そのシーンがあるからこそ、マクダフの、妻子を殺された悲しみと恨みが倍増する。なのにそのシーンがないので、いまひとつマクダフのラスボス感が膨らまないのよ。
 妻子といえば、マクダフの殺される子供は、本当は一人じゃない。殺される時、マクダフ夫人はもう一人「生まれたばかりの赤ん坊」を抱いているはずだけど、そこはカット。
 赤ん坊といえば、原作のマクベス夫人の台詞に「私は自分の子をこの手に抱いたことがあります」というのがあって、マクベス夫人は子供を失くしたことがあるんだな、とわかるんだけど、その台詞も設定もカット(マクベス夫人の赤ん坊についての台詞と、マクダフ夫人が子供を産んだばかりなのは二つで一つの設定ーーコントラストなのだ)。若い夫妻だと、赤ん坊の存在は余計な設定になるから、カットしたのかな。
 
 一つだけ気になったのは、橋本じゅんのバンクォーの存在感がなぜか弱かったこと。出番も多いし、何も削られてないし、幽霊となって現れるシーンなんて、しつこいくらい描かれているんだけどね。
 思うに、主役の二人を見守る役目になりすぎてて、バンクォーの何パーセントかが、後輩を盛り立てる橋本じゅん、になっちゃってたのかも。
 
 まだ書き足りないことがある気がするけど、今日はもう書けないわ。思い出したら、その2を書くね。 

新派の新しい挑戦『犬神家の一族』

 滅茶苦茶なスケジュールになったけど、これは外せない。11月23日(金)ソワレ、新橋演舞場。

十一月新派特別公演『犬神家の一族』
原作/横溝正史 脚色・演出/齋藤雅文
出演 水谷八重子 波乃久里子 瀬戸摩純 河合雪之丞 浜中文一
   春本由香 喜多村緑郎 田口守 佐藤B作 ほか

 
 これについても必ず書きますので、しばしお待ちを。

やっと観られた稲垣吾郎の『No.9−不滅の旋律−』

 観られたのが奇跡。11月21日(水)ソワレ、赤坂ACTシアター。

『No.9ー不滅の旋律ー』
脚本/中島かずき 音楽監督/三宅純
演出/白井晃
出演 稲垣吾郎 剛力彩芽 片桐仁 村川絵梨 鈴木拡樹
   奥貫薫 羽場裕一 長谷川初範 ほか

 必ず書きますので、しばしお待ちください。

『The Silver Tassie 銀杯』の豊かさと足りなさについて

 世田パブ、ちょっと久しぶり。11月17日(土)マチネ、世田谷パブリックシアター。
 
『The Silver Tassie 銀杯』
作/ショーン・オケイシー 翻訳・訳詞/フジノサツコ
演出 森新太郎
出演 中山優馬 矢田悠祐 横田栄司 山本亨 青山勝 浦浜アリサ
   安田聖愛 長野里美 土屋佑壱 三田和代 ほか

 
 森新太郎演出といえば、何と言っても『ビッグ・フェラー』である。あの時の衝撃は忘れられないし、その後見た、とある舞台のがっかり度も『ビッグ・フェラー』並の衝撃を期待しちゃったから、というのがあるのね。
 『銀杯』はなかなか刺激的だった。『ビッグ・フェラー』程ではなかったけど。演出家はいろんなことを試したくて、沢山チャレンジしてる。ワクワクさせてくれるところもあれば、あんまり上手くいってないな、と首をかしげるところもあるんだけど、それでも、面白かった。なにより予定調和は嫌だし、人と同じ手法じゃつまらないし、チャレンジを歓迎するわ、マダムは。
 
 お話の舞台は、アイルランド。第一次大戦にイギリスの一部として参戦した若者をめぐる物語。ハリー(中山優馬)は美しく精悍な若者で、フットボール選手として地元の人気者だ。優勝カップ(銀杯)を掲げて、みんなに祝福され、美しい恋人もいて、前途洋々。そしてその気分のまま、戦地に出陣していく。
 が、苛烈を極めた戦闘で、ハリーは脊髄を損傷し、一生車椅子で生活しなければならなくなる。はじめは同情していた人々もやがて彼への関心は薄れ、ハリーの恋人だったジェシーも、親友バーニーに取られてしまう。盛り上がるダンスパーティの夜、絶望するハリーの車椅子を、同じく戦闘で負傷し盲目となったテディが押しながら(と同時に、ハリーの車椅子が盲目のテディの杖代わりとなって)、退場していく・・・という物語。
 なんだか不思議な芝居で、いろいろな魅力があるんだけど、以下、まとまらない感想を書き留めると。
 
 正直、出だしは退屈だった。
 幕が開くと、舞台は四角い箱のような部屋なんだけれど、床が思い切り斜めなの。なかなかインパクトあるけれど、このインパクトは最初だけで、傾斜についてはだんだん忘れる(観てる方は忘れるけど、役者はずっと大変よね)ので、あまり効果的とは思えなかった。
 ゴドーを待ってるとしか思えない二人組のおじさんシルベスター(山本亨)とサイモン(青山勝)がどうでもいいことを喋ってる出だし。おじさんたちをキツイ言葉であしらう若い娘スージー(浦浜アリサ)との掛け合いが、面白くなりそうで面白くならず、退屈なの。でも、退屈な日常を描くのが目的なのかもしれない。だから退屈でいいのかもしれない。マダムは眠気に襲われた。
 そのため、大切な台詞を聞き逃したのかもしれないのだけれど、マダムは芝居の後でパンフレットを読むまで、このおじさんの片一方が主人公ハリーの父親であることに全く気付かなかった(恥)。聞き逃したかもしれないセリフのことはともかくとして、もう少し、父親らしい振る舞いとか、妻に対する夫らしい仕草とか、家族のいるのを匂わせる態度とか、なかったもんだろうか。最初にちょっとだけ寝ちゃったマダムがすべて悪いのだろうか。それとも、シルベスターはハリーの父親らしいことは何一つしない人、として描かれているのだろうか。
 実際この二人組のおじさんの描かれ方は、実在の人物なのかも怪しむほど。まるで「不思議の国のアリス」の中のトウィドルダムとトウィドルディーみたい。服装も、行動からも、生活が全く浮かび上がって来ない。最後までよくわからない人たちのままなのが、すごく疑問なのだけれど、それが妙に面白く後を引く。一筋縄ではいかないのね。
 
 マダムの眠気が覚めたのは、DV気味のテディ(横田栄司)が舞台に登場してから。逃げる妻を追って、他人の家まで侵入し、妻の大切にしている陶器を粉々にし、怒鳴り散らす。登場が派手だから、目が覚めたというのもあるけれど、それだけじゃない理由がある。それなりに大きな世田パブという劇場で後ろの方の客(マダムは2階にいた)にまで芝居を伝えるには、空間を大きく捉えた演技が必要で、それができる人が、主要な役をやっている中に横田栄司しかいなかったのではないかしら。繰り返すけれど、大きい声が出るとか出ないとかの問題ではないのよ。
 ハリーを演じた中山優馬も、恋人を奪うバーニー役の矢田悠祐も、与えられた役をちゃんと演じてる。演じてるんだけど、遠くの観客をも巻き込むような広がりというか強さというか念というか、が足りないの。場をさらっていくような決定的な台詞の時に、さらいそこねてるのが残念よね。
 
 2幕の戦場のシーンの面白さは抜群で、唸った。このシーンを人形でやるのは、作家指定なんだよね? 人形のデザインが素晴らしい。弱って立つことさえできない兵士は、ほとんど骸骨として描かれてるし、他の兵士たちの顔は汚れて青黒くグロテスク。俳優が普通に演じたらただただ悲惨でしかないシーンを、面白く見せて更に愚かさと哀しみが増しているの(『戦火の馬』を思い出した)。負傷者を担架で運びながら歌う歌も凄く沁みて、このシーンを見られただけでも芝居を見た甲斐があった。
 人形のせいで役者の顔が見えなかった・・・という不満をネットで見かけた(主として横田ファン)のだけれど。マダムは声を聞いてすぐ一番右の人形が横田栄司だとわかったし、2階の席からは時折後ろで人形を操る姿も見えたの。そして面白いなあと思ったのは、人形の演技が操る人の演技と重なること。テディ人形が、仲間から煙草を1本もらって、かぶってるヘルメットにトントンと軽く叩きつけて落ち着かせてから火をもらう。そういう細部がいかにも横田栄司らしくって、本人の本人らしさを人形が更に抽出することもあるんだーって、感心したの。
 このシーンでただ一人、人形ではなく役者が出ていたのが、バーニーだったんだけど、存在感が人形に負けていた。上官の彼女に手を出して縛られてるっていう設定なのに、そういう浮気野郎な感じも、悲惨な感じも、全然足りなかった。一人だけ役者のままで出るってことは、ものすごく意味のあることなのにね。
 
 2幕の圧倒的な面白さに比べて、後半はちょっと凡庸だったのが残念。それは後半の主役はなんといっても車椅子のハリーだったので、ハリーの演技がもっと強かったら、と思ってしまったの。ハリーは1幕でもそれほど長く出ていないし、その短い出番で健康で精悍な青年の魅力を見せておかないと、後半の絶望とのコントラストが出ないんだよね。実は凄く難しい役なのよ。だからこそ、いい役。
 輝かしい銀杯が、潰れ、ひしゃげて打ち捨てられる。それはハリーそのものなわけよ。
 こんなに考えなくても、芝居を見終わった瞬間に、それを感じられたら、もっとよかった。ただ、こんなに考えちゃうってことは、それだけ芝居の世界が豊かだったから。一筋縄ではいかないね、ほんとに。

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