最近の読書

ミュージカル俳優浦井健治ファンのための、「ヘンリー四世」講座 その2

 配役がわかると、顔を思い浮かべながら読めるので、わかりやすいという意見があったので、主な登場人物表を作ってみました。大雑把なグループ分けしてあります。現時点で配役が発表になっているものは太字にしました。それ以外は、マダムが勝手に想像した配役なので、蓋を開けて見るまでは当たっているかはわかりません。
 
「王一家グループ」
王ヘンリー四世             中嶋しゅう
(王になる前、ボーリンブルックという名だったので、敵からはいまだにそう呼ばれることがある)                               
皇太子ヘンリー(ハリーまたはハル)   浦井健治

ランカスター公ジョン(ハルの弟)     ?                クラレンス公トマス(ハルの弟)      ?
グロスター公ハンフリー(ハルの弟)    ?       
 

「王の敵、パーシー一族とその仲間」
トマス・パーシー(ウスター伯)      勝部演之
ヘンリー・パーシー(ノーサンバランド伯) 立川三貴
 ウスター伯の弟
ヘンリー・パーシー(その息子。)     岡本健一
 
お父さんと同じ名前。ハリーとも呼ばれる。ホットスパーというあだ名がついている。
ホットスパーの夫人            松岡 依都美
モーティマー(ホットスパーの義弟)    鍛治直人


「王の味方の家臣」

ウェスモランド伯             今井朋彦
ウォリック伯                 ?              高等法院長(ハル王子を牢屋に入れたことがある)?            

 
「ハルの悪い遊び仲間とその周辺」
騎士ジョン・フォルスタッフ        佐藤B作
ポインズ                 ラサール石井
バードルフ                綾田俊樹
クイックリー(居酒屋の女将)        那須佐代子

 

4.いったい何人のヘンリーが出てくるの?

 大雑把な配役表を作ってみて、これは、大変!と思いました。だって、ヘンリーって名前の人が次々出てくるんですから。
 ここで、大事なのは、ライバル同士の二人のヘンリー(ハリーとも呼ばれる)、つまりハル王子(浦井健治)とヘンリー・パーシーまたの名ホットスパー(岡本健一)です。ここを、押さえれば、あとのごちゃごちゃはなんとかなります。
 王は、自分の息子が放蕩息子なのに比べ、パーシー家の跡取り息子が戦いに強くて頼もしいので、「あっちのハリーの方が良かったなあ」なんて、つぶやきます。確かに前半、ハル王子はフォルスタッフとつるんで遊んでばっかりなのに、ホットスパーは血気盛んで、戦う気満々です。同じ名前なので、しょっちゅう比べられてしまうハリー二人(くしくも、役者さんたちが二人とも「健ちゃん」なんですよね、これが)。
 ホットスパーは「熱い拍車」という意味だそうで、熱くなってどんどん拍車がかかっていく感じの男なわけです。マダム的には「瞬間湯沸かし器」という超訳が思い浮かびましたが、それはちょっと威厳がなさすぎな訳かもしれません。
 新国立劇場では「ヘンリー六世」→「リチャード三世」と上演してきて、今回は「ヘンリー四世」。イギリス版時代劇大河ドラマみたいになってるわけですが、そのどれもで、浦井健治VS岡本健一という対決の配役になっています。ここがマダムのメッチャ楽しみにしているポイントです。残念なのは、ホットスパーは第一部で死んじゃうこと。こればっかりは史実なので、助命嘆願してもかないませんもんね。
 
 その3では、知っておくと理解が深まる歴史的な背景を、さくっと説明します。

ミュージカル俳優浦井健治ファンのための、「ヘンリー四世」講座 その1

 この夏、浦井健治ファンの友達と話していて、ヘェ〜と思ったことがあってね。
 彼女は、ミュージカル俳優浦井健治のファンで、もともとストレートプレイはさほど見ていない。まして、シェイクスピアとなると、本当に縁遠い。
 暮れの「ヘンリー四世」に向けて、予習しようと思ったけれど、何やらさっぱり理解できず、本が読み進まない。マダムが「予習しなくたって、いいんじゃない?」と言ったら、「でも、それだと、本番もついていけなくて、楽しめない」って言うのね。で、いくつか基本的な質問を受けているうちに、はたと気がついた。
 作品の予告ホームページを見ても、チラシの裏側を読んでも、凄く、凄〜く基本的なことを説明してくれてはいないんだ、ってことに。
 だから、今から、メッチャ基本的な予備知識をマダムが説明してみようと思って。(ほとんど、友達のため。)はっきり言って、独断と偏見に溢れてる、マダム独自の解説なので、あくまで参考にするにとどめてね。

 これは、浦井健治の事務所非公認の講座です。もちろん、新国立劇場からも非公認。シェイクスピアからも非公認ですから、あしからず。
 
1.「ヘンリー四世」って、本当にあったお話なの?
 
 シェイクスピアは、日本が安土桃山時代の頃、イギリスでお芝居を書いていた作家です。その頃のイギリスはエリザベス一世が君臨していて、シェイクスピアの芝居を女王も観劇したと言われています(でも、芝居はロンドンの庶民も見ていた。だから芝居は王侯貴族だけのものではなかった。ただ劇場のパトロンは貴族たちだったらしい)。
 ヘンリー四世は実在の王様で、エリザベス女王の時代からさかのぼること、150年くらい前の王様。
 なので、シェイクスピアは、自国の150年くらい前の史実をもとにして、芝居を書いた。ただ、史実をそのまんまやっても面白くないので、そこはいろいろ、面白くなるように、新しい人物を創作して加えてみたり、話を盛ったりしています。
 つまり、「ヘンリー四世」は、三谷幸喜が「新撰組」とか「真田丸」を書いているようなもの、なのです。
 
 
2.「ヘンリー四世」って、ヘンリー四世が主役なの?
 
 いいえ、違います。
 ヘンリー四世が王様だった頃を描いているので「ヘンリー四世」というタイトルがついているだけ。主役は王様の息子、ハル王子です(これを浦井くんがやります)。
 このハル王子、本当の名前はヘンリーです。お父さんもヘンリーなら、自分もヘンリー。だからのちに王様になったら「ヘンリー五世」になるわけ。
 でも、王子の間は、みんなからハル、と呼ばれている。これは単なる愛称です。本名が健治というところを、「健ちゃん」と呼ばれているようなものです。
 「ヘンリー四世」は、やんちゃなハル王子が、やんちゃを重ねながら、本当の王様になっていく成長物語です。
 たとえば、織田信長って、子供の頃はとんでもない「うつけ」者だったというではないですか? 家臣たちはみんな、あいつが殿様になったらおしまいだぜ、と思って見ていた。だけど、いざ殿様になったら尾張の国は、予想だにしない発展を遂げた。短い繁栄だったけど・・・というようなことは日本人ならなんとなく、知っているでしょう?
 それと同じように、ハル王子は、若いときメッチャ遊び歩いていて、周りをすごく心配させていた。父王は、自分が死んだ後、息子がちゃんと国を治めていけるのか、気が気じゃない。だけど、そんな心配をよそに、ハル王子は、やがて王になったとき、のちのちまで語り継がれるようないい王様となります。でも早死にしてしまう。イギリス人は皆その史実を知っている。私たちが織田信長の行く末を知っているように、イギリス人はヘンリー五世イコール優れた王様とわかっている。だから、ヤンチャ時代の物語を楽しく見ていられるわけなのです。
 
3.フォルスタッフって何者なの?
 
 フォルスタッフという実在の人物がいたらしいのですが、シェイクスピアはこの人物を盛りに盛って、完全に想像上の面白い人物を作り上げました。あんまり面白かったので、芝居を見たエリザベス女王が「あの人物、もっと見た〜い!」とシェイクスピアにおねだりして、次の芝居をリクエストした、とも言われています。
 騎士フォルスタッフ。そう登場人物表に書いてあるんで、「騎士」なのか!と思ってしまいますが、まあ、すごく最下層の騎士だと思えばいい感じでしょうか。金も権力もなくて、いつも呑んだくれている、かなり下の方の騎士、ですね。
 ハル王子の「うつけ」時代を支えるために、シェイクスピアが作り出したフォルスタッフ。かなり下品で、遊び人で、「生きてる本音」みたいな奴です。立派な建前なんか、全く持っていません。でもそこがポイントで、ときどき、「リアリストの真理」みたいなことをポロっと口にします。「名誉なんかいくらあっても、お腹いっぱいにはならない」みたいなことを。
 予習として本を読むときは、フォルスタッフたちが馬鹿騒ぎしているシーンは、適当に斜め読みでOKです。役者さんがやってくれなきゃ、この面白さはわからないので、そんなところ熟読する必要なし! 「あ、ここは馬鹿騒ぎしてるんだな」とわかっておけば、それでOKです。
 フォルスタッフは、本音で生きてる人なので、当然下心があります。ハル王子のことを、もちろん大好きで付き合っているんだけど、王子と付き合ってれば、自分の身分は安定するぞ、という期待があります。そのうち王様になったら、自分を引き立ててくれるぞ、出世できて、安泰だぞ、と。
 その期待は、最後の最後に裏切られます。ハル王子とフォルスタッフの別れ。それがどんな風に私たちに余韻を残すのか・・・この芝居のメインテーマです。
 
 書いてみたら長くなったので、続きはその2で。
 

『ハリウッドでシェイクスピアを』を観る

 下北沢駅は、いつになったら工事が終わるんだろうか。9月10日(土)マチネ、本多劇場。

『SHAKESPEARE IN HOLLYWOOD〜ハリウッドでシェイクスピアを〜』
作/ケン・ラドウィッグ 訳/小田島恒志 小田島則子
演出/鵜山仁
出演 加藤健一 植本潤 小宮孝泰 粟野史浩 
   加藤忍 瀬戸早妃 新谷真弓  ほか

 観劇中は、笑ってばかりいたんだけれど、観終わって少し考えたら、これはなかなか難敵だぞ、と思ったの。
 シェイクスピアの「夏の夜の夢」に出てくる妖精の王オーベロン本人と妖精パック本人が、自分たちの魔法の森に帰るつもりだったのに、間違えて、「真夏の夜の夢」の映画撮影中のハリウッドに来てしまう。そこから起きる奇想天外な出来事を描く喜劇なの。そう言っちゃえば、簡単のようだけれども。
 喜劇ってもともと高度なものだと思うけれど、上質なものほど、それを支えている知識の量がハンパじゃない。この作品で言えば、

 ①当然のことながら「夏の夜の夢」のストーリーと、台詞。
 ②その他のシェイクスピア作品(特に「ヴェニスの商人」)の台詞。
 ③映画撮影中の1934年当時のハリウッドの状況。ナチスから逃れたユダヤ人の監督が多くハリウッドに流れ着き、仕事をしていたことや、厳しい検閲があったことなど。

 というような背景を共有していてこそ、面白さを堪能し尽くせるように出来ている。
 もちろん、何も知らなくても、ドタバタ喜劇として面白いので、楽しめちゃうんだけど、知っていれば尚、楽しいし、実はとても深いお芝居なのだろうと思う。
 マダムは③について勉強不足であったので、予習しておけばよかったとちょっぴり後悔したわ。
 
 それは別として、とにかく笑ったー。
 最初にオーベロンが出てきたところで、場内大爆笑だったの。
 だって加藤健一、オーベロンの衣装が恐ろしく似合ってないんだもん(わざとだろうけど)。
 なんだか光り物がいっぱいくっついた深緑色の衣装で、蜘蛛の巣が連想されるようなヘンテコな王冠をかぶってて、威厳ありげに出てくるんだけど、もう全然威厳のかけらもないの。それでいて、メチャクチャ良い声でオーベロンの台詞をとうとうと語る。
 ちょっと長くなるけど、「夏の夜の夢」の中のオーベロンの台詞で、今回の芝居でもまんま使われてた長台詞を引用すると。
そのときおれは見たのだ、お前は知るまいが、
冷たい月と地球のあいだに、弓を手にした
キューピッドの姿を。その必中の矢が狙うのは、
西方の玉座につかれている美しい処女王であった。
いきおいよく弓弦より放たれたその恋の矢は、
千万の心も一気につらぬき通すかと見えたが、
さすがのキューピッドの火と燃える矢も、
水を呼ぶ月の清らかな光にうち消され、そのまま
独身を誓った女王は立ち去ったのだ、つつましい
乙女の思いに包まれて、痛ましい恋する心も抱かずに。
            (小田島雄志訳より)
 これね。何度も読めば理解できるけれど、耳から聴いて美しさをすんなり理解できることは滅多にないよ。それが、柔らかく滑らかに耳に入ってきた!加藤健一の上手さを40年前から知っているマダムでも、また驚かされた〜。こんなに心地良いオーベロンの台詞を、これまでマダムは聞いたことがない。うっとり。眼福ならぬ耳福。だけど、見かけはへんてこりん。流行りのギャップ萌えだー。
 そもそも加藤健一の力量からしたら、四大悲劇のタイトルロールを全部やっててもおかしくない人なのだけれど、どれにも挑戦していない。マダムが思うに、王だの王子だのをそのまんま演ることに対して、加藤健一は照れというか、抵抗があるのではないかしらん。(確かに、スタイルは王侯貴族っぽくはないかもしれない。確かに。)
 だから、今回のシェイクスピアのパロディ(というと少し違うような)のようなものだったら、OKなのね。
 
 オーベロンとパックが1934年のハリウッドをうろうろしても、「夏の夜」の映画撮影中だから、全然怪しまれない。オーベロンはハーミア役の女優オリヴィアに一目惚れしてしまい、彼女の目に惚れ薬をかけて自分と恋に堕ちさせようと画策し、「夏の夜」の話そのままに、パックのいたずらで、みんな次々ととんでもない相手に惚れてしまい、撮影現場はメチャクチャになってしまう・・・・。
 
 男優陣はベテランの上手い役者が揃っているんだけど、それ以上に女優たちが抜群に良かったの。加藤健一事務所の芝居に必ず出演している加藤忍のパックは、彼女のこれまでのイメージを大きく変える面白さだったし、ハーミア役をやっている映画女優オリヴィアの瀬戸早妃が、可愛くて美しくて、大胆。動きがチャーミング。オーベロンを始めとしてみんなに惚れられることが納得できる可愛さだった。そういう直球ど真ん中の可愛さを体現するのって、実はとても難しいことだと思うのよ。
 そしてマダムがすっかり気に入ってしまったのは、リディア役の新谷真弓!ナイロン100℃って観たことがなかったから、たぶん初見だと思うんだけど、彼女は上手い!
 おバカで、台詞の意味がさっぱり理解できてない女優リディア。ハリウッドのプロデューサーに色仕掛けで取り入って、「夏の夜」のヘレナの役をゲットする。可愛くエロく甘えるところと、ドスの効いた啖呵と、底抜けに明るくて憎めないところを、素早く切り替えて次々繰り出すの。こういう役を日本の女優さんがやると、どこか湿っぽくなりがちなんだけど、エロさがカラッとしてて、いいなあ、新谷真弓。(ナイロン100℃、観に行ってみようかな。)
 
 全部予習しなおして(「夏の夜」と「ヴェニスの商人」ほかを読み直し、1934年のハリウッドの映画「夏の夜」についても勉強して)から、もう一度観たいくらい。この芝居に限っていえば、バックグラウンドを知れば知るほど味わえそうだからね。
 

新劇ってなんだ? 葛河思潮社の『浮標』

 約一ヶ月ぶりの劇場。9月3日(土)マチネ、世田谷パブリックシアター。


葛河思潮社第五回公演 『浮標』
作/三好十郎 演出/長塚圭史
出演 田中哲司 原田夏希 佐藤直子 谷田歩 木下あかり 池谷のぶえ
   山﨑薫 柳下大 長塚圭史 中別府葵 菅原永二 深貝大輔

 これまで、長塚演出であまりいい思い出のなかったマダムなのだけれど、この作品については初演、再演を観た友人からも、太鼓判を押されていたの。
 三好十郎だし。しかも、ハイバイの菅原永二、AUNの谷田歩、という注目の役者も出ているし。この二人を見るだけでもいいなあ、と思って、満を持して出かけて行ったの。
 そうしたら、ずっしりとした、充実した四時間を過ごすことができて。場面転換もほとんどなく、歌も踊りもチャンバラもない四時間、それで充実した芝居って、滅多にお目にかかれない。

 時は太平洋戦争最中の日本。画家の久我五郎(田中哲司)は、結核の妻美緒(原田夏希)の看病のため、海辺の一軒家を借りて、暮らしている。その家での、最後に美緒が亡くなるまでの、二人をめぐる物語、と言ってしまえば、それでもう終わりなくらい。それがすべて、だ。

 新劇的なリアリズムを貫いている本を上演するために、演出家が用意したセットは、黒い板で周りを囲った、巨大な砂のプール。海辺のシーンだけでなく、美緒の寝室のシーンもすべて、この砂の上で、繰り広げられる。砂はサラサラと粒が細かく、象牙色をしていて、役者の足元から弧を描いて飛び散る。美しくて、無機質で、乾ききっている。砂の乾きが、切ない物語のことさら情に流れることをきっぱりと阻止していて。この戯曲に、このセットを当てたアイデアが素晴らしい。
 
 どのシーンのどのセリフも、言葉通りの思い、言葉と裏腹の思いがたっぷりとこもっていて、引き込まれる。平易な日本語に、これほどの感情を載せられるなんて。昭和の日本語は、凄かったんだわ、と感心しながら聞き入っていたの。
 例えば、五郎が、画家仲間の尾崎(菅原永二)と交わす、画家としての矜持と金をめぐる会話の面白さ(なんだか漱石を読んでいるようだったわ)。美緒の世話をしている耳の遠い小母さん(佐藤直子)が、一方的に美緒を励ます言葉の数々の温かさと滑稽さ。戦地に向かう赤井(谷田歩)とその妻をふたりきりにしてやろうとして五郎に散歩に行けと命じる美緒の、寂しいような色香。どこまでも美緒の病気と戦おうとする五郎と、冷徹に病状を見つめている医師の比企(長塚圭史)との、激しいやりとり。メインストーリーを外れた二人の男女(美緒の弟と医師の妹)が海辺で交わす、意味がありそうで無さそうな会話。
 この戯曲の面白さ、スリリングさは、会話がお話を進めるための道具になってしまわず、喋っている人がどんな人なのかを露わにしていくところにある。演出家もそこをよーくわかっていて、実にきめ細かい演出をしてるの。(シェイクスピアを演出した長塚圭史とは、全く別人みたい、と言ったら失礼かしら。ゴメン。役者としての長塚圭史、着物を着た立ち姿が美しくて、戦前の男性らしい佇まいだった。)
 
 題名はなぜ『浮標(ぶい)』なのかしら?と、芝居を観ながら時々考えた。台詞の中には、海辺で水着姿の男女が交わす会話の中に一度だけ「ほら、あそこにあるあのブイのあたりに」と出てくるだけなの。
 だけど、ラストで、美緒が亡くなって一人砂に立ち尽くす五郎の姿を見たら、その意味がわかったように思われた。美緒は、五郎が人生の海原で漂流しないための、浮標だったのね。浮標を失って、五郎はもう漂い流されていくしかないのよ。
 
 
 マダムは高校生の時、教科書で三好十郎の『炎の人』を読み、台詞の力に圧倒されたわ。何年か後に、その台詞を滝沢修の声で聞くことになった時、それは凄い熱風となってマダムに押し寄せ、なぎ倒したの。
 それからもう30年くらい経っちゃった。けれど、戯曲は全く古びず、台詞にこもった力は全く変わらないことがわかったの。民藝、文学座、俳優座という新劇御三家は風前の灯だけれど、戯曲は今も力を失っていない。翻訳ではない、日本語で書かれた古典を新しい演出で、観る機会がもっとあっていいよね。
 今後も、三好十郎の本を上演してもらいたい。『炎の人』も、また観たいな。 

キラッキラの浦井メンフィスに会う

 なんとか夏バテを克服して、この日にこぎつけたわ。8月11日(木)ソワレ、帝国劇場。

ミュージカル『王家の紋章』
原作/細川智栄子 あんど芙〜みん
脚本・作詞・演出/荻田浩一 作曲・編曲/シルヴェスター・リーヴァイ
出演 メンフィス 浦井健治  キャロル 宮澤佐江  アイシス 濱田めぐみ
   イズミル 平方元基  ライアン 伊礼彼方  イムホテップ 山口祐一郎    ほか

 
 なんかもう、いろいろツッコミどころ満載だったんだけど、とにかく浦井メンフィスが豪華絢爛。キラッキラしてた!まばゆいばかり。これだけキラキラしてたら、光り物と間違えられて、鷲にさらわれるのもわかるわ〜(って、これは違う話だっけね〜)。
 長い髪とマントの翻し方が、すごく素敵。ここまで豪華な姿を見られただけで、ボンベイとかデスノートとかより、ずーっと楽しかった。
 それと、本筋には関係ないことだけれど、山口イムホテップが登場すると、観客なのにひれ伏したくなるのが自分で自分がほほえましかった。
 カーテンコールで、楽しくてしょうがない浦井メンフィスの笑顔が印象的だったね。
 で、ここからはツッコムので、これから観る方は、観てから読んでね。
 
 
 
 原作は長いこと連載の続く少女マンガなのだけれど、マダムは絵柄が好みでないので、読んだことがなかったの。それで今回も予習はしなかった。しなくたって、わかると思ったし、事実わかったしね。
 現代のアメリカ(だけど、内実は日本)の財閥(?)の娘キャロルは、考古学好きの女の子。エジプトのファラオの墓の発掘に付いて行き、ファラオの棺を発見したところからなぜかタイムスリップして、そのファラオ、若き王メンフィスと出会ってしまうの。
 当時のエジプトには金髪の女の子はいなくて、メンフィスははじめ、珍しい動物を見るようにキャロルを扱う。が、キャロルは民主主義の(?)現代からやってきた女の子なので、モノとして扱われることに反発し、二人は対立する。だけど、キャロルの現代から持ち込んでいる歴史や医学の知識が、なんどもメンフィスを救うことになって、二人は互いを認め合い、愛しあうようになる。
 が、そこにエジプトと対立するヒッタイトの王子イズミルが現れ、不思議な力を持つ巫女(のように思われている)キャロルをさらっていき、エジプトとヒッタイトは彼女をめぐって、戦争状態に陥っていく・・・・。
 
 というようなお話。ほかにも、キャロルの兄ライアンが妹を探し続けていたり、メンフィスの姉アイシスが弟に横恋慕していたり、というような枝葉がいっぱい付いているんだけれども、それはもうヒロインの恋を盛り上げるための飾りに過ぎない。(そんなこと言い出したら、全てが飾りであるとも言えるのね。さすが少女マンガだー。)

 まず、エジプトの発掘現場に行くのに、ミニスカートとハイヒールで現れるところから、全然ダメよね。棺に供えられたお花を素手でわしづかみにするのもダメよね。何をきっかけに古代エジプトにタイムスリップし、現代に一度戻ってまたタイムスリップするのかわかんなくて、SF的なお約束が示されないところも、ダメよね。キャロル役の子が、歌声以外全然ダメよね。ラブシーンだって、棒のように突っ立ってるだけで、いくら浦井メンフィスが頑張っても、ダメよね。
 
 それでも前半はまだよかった。メンフィスに横恋慕してる姉アイシスが脇からストーリーを支えてたから。
 後半になって、キャロルをめぐる三人の男(メンフィス、イズミル、ライアン)の話になると、もうどこに焦点が当たってるか全然わからなくなっちゃって、ストーリーがぼやーっと雲散霧消していったのだった。三人の役者がそれぞれイケメンなので、それ見ててください、ってことなのかしら?そりゃあ、見ますよ、見ますけれども、役がちゃんと描かれないと、彼らも活きないでしょ? ストーリー展開、ムリありすぎ。さらわれたキャロルを救いに、王様ひとり真っ先に何度も現れるなんて、王様感なさすぎでしょう?
 
 マダムは原作の少女マンガにケチをつけているのではないの。原作はン十年昔から連載されてきて、読者の中心は当時の小学生高学年くらいの少女たち。SF設定に無理があったり、ヒロインが理由もなくあっちこっちのイケメンに告白されるという現実世界にはあり得ないことも、いくらでもある世界なの。ご都合主義まかり通ってるの。そんなことはマダムだって百も承知(だって、マダムも通過してきてるんだもん)。

 でも、原作を3時間の舞台にするなら、大人の鑑賞に耐える補強と交通整理が必要でしょ? それが原作を選んだプロデューサーと、脚本を書いた演出家の責任よね。
 
 ちゃんとしたテーマ(現代の価値観をもった少女と出会うことによって、人を愛することを知っていく古代エジプトの若きファラオの姿を描く)に沿って、きちんとした脚本を作ってよ。メンフィスがいつ、キャロルのどこをどう思って、変化していくのか、脚本の上で明確にする。キャロルの側も、メンフィスのどこにいつ、惚れたのか、明確にする。
 筋を通し、3時間に収まらない枝葉は、交通整理し、断腸の思いで切る。(はっきり言って、ライアンのところは要らないよ。)
 ご都合主義な設定や衣装は、今、通用するように変えなければいけないでしょう?
 シーンごとにテーマが明確でないと、いい曲もできないでしょ!
 なんか、すごく基本的なことを言ってるに過ぎないわ。こんなこと、言わなくちゃいけないなんて、情けない。

 そして、日本でオリジナルのミュージカルを作るときは、作曲も日本国内の作曲家に頼んだらどうなの? その方が、綿密に打ち合わせもできるし、日本語と曲との相性もいいはずだし、途中で曲の変更も可能だし、お金を他にかけることができるし。どうして、外国の有名作曲家に、そこだけ頼むの? 箔をつけたいだけ?
 だいたい、この程度で「世界初演」とか言うのは恥ずかしいので、やめましょう。当面その四文字熟語は封印!
 
 今更、変えられないところだらけなのだろうけれども、再演のときにはせめて、タイムスリップのお約束と、メンフィスとキャロルが恋に落ちる瞬間を、納得させてほしい。マダムが観に行くかどうかは、甚だ疑問なのだけれど、ね。

«カクシンハンの『じゃじゃ馬ならし』

2016年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

関係するCD・DVD

無料ブログはココログ