このブログについて

このブログは、マダム ヴァイオラが観たお芝居、お気に入りの役者さんたち、読んだ本などについて、勝手な感想を綴ったものです。内容は基本的にマダム ヴァイオラの記憶によるものです。間違いのないように気をつけてはいますが、事実関係の正確さは保証できません。
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千葉哲也演出『寿歌』を観る

 怒濤の観劇日記第4弾。1月24日(火)マチネ、新国立劇場小ホール。


シス・カンパニー公演 『寿歌』
作・北村想 演出・千葉哲也
出演 堤真一 戸田恵梨香 橋本じゅん


 つまらなかった・・・。
 これはね、ショック。なにせ、「寿歌」という芝居は80年代の記憶に残る舞台の一本であった訳だし、『動物園物語』以来の千葉哲也と堤真一のタッグでしょう?期待して当然だもの。
 何故つまらなかったのか、一生懸命考えた。今も考え中ではあるけれど、あまり時間が経つと、感想は古びてしまうもの。書いてみることで考えがまとまることもある・・・という訳で、重い指を上げてパソコンに向かってる。
 でも、なかなか書く気が起きなくて、同じ芝居を観ているはずのマダムMに思わずメールしちゃった。そしたらね、返信にはこちらが感じているような事がそっくり書いてあったので、このもやもやはマダム一人のものじゃないのかも、と思い、ちょっとは探求してみる価値があるかもしれないと思ったの。そうじゃなくちゃ、つまらない理由を考えるのって、憂鬱だものね。
 私たちはいろいろ思ってみたのよ。これはやっぱり震災の後だからとか、自分が年取って感性鈍くなったのかもとか、時間が短い割に料金が高かったからかしらとかね。あるいは、先週観たAUNの『十二夜』が楽しすぎたからとか。またあるいは、かつての加藤健一の『寿歌』があまりにも詩のように美しくやるせなく悲しかった記憶が大きすぎるから、とか。
 まあ、全部と言えば、全部なのでしょう。
 だけれど、今言った事はやっぱり周りの状況にすぎないわ。
 つまらなかったのには、芝居そのものの中に何かわけがあるはずなのよ。

 

 役者はいい動きで、バランスのとれたアンサンブルだったわ。堤真一も橋本じゅんも芸達者な人たちだし、掛け合いも安心して観ていられる。戸田恵梨香は時々台詞がわかりづらかったけれど、キョウコの能天気さと芯の強さをちゃんと表現してた。
 だけど、会話が面白くない。退屈しちゃう。もちろん、核戦争後の、人類はほとんど死んじゃってるのにコンピューターのプログラム通りにミサイルが撃ち続けられてる場所でありながら、バカな事ばっかり言ってる会話なので、それが面白いっていうのはどういうことかをよーく考えてみなくてはいけないわ。ただ、ギャグが面白い、っていうことじゃないはずよね。
 ゲサクとキョウコがリヤカーを引いて、荒野を歩いていく。町に着く。でも人影はない。みんな死んでしまってる。誰も客がいない街角で、ゲサクとキョウコはおかしな見せ物を演じ、そしてまた次の町へ向かう。ヤスオも加わる。三人の会話はほとんど意味がなく、ずれまくり、現実味がなくてバカバカしい。ミサイルが撃ち上がる。空が明るくなる。ゲサクが「花火や〜」って嬉しそうに言う。キョウコが「綺麗やな〜」って見上げる。
 これは、やっぱり狂気なのよね。狂わずにはいられない静かな極限状態。狂っているように演じてはならないんで、そこは難しい。でも壮大な狂気が渦を巻いていないといけなかったんじゃないのかしら。具体的にどうしたらそうなったか、わからないけれど、とにかく、その渦をマダムは感じられなかった。

 
 震災後のマダムは、震災前とはもう感覚が違うのだわ。今回の舞台を観て、それを大きく感じたの。
 かつては『寿歌』という作品が、空想を遥か彼方へ広げた先にあった。今はもう、想像の射程距離内にある。
 そのことを演出家は考えずにはいられなかったはず。だけど、どう演出に反映させたのか、よくわからないままの80分だった。

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大人のための『十一ぴきのネコ』

 怒濤の観劇日記第3弾。サザンシアター、1月21日(土)マチネ。

こまつ座公演『十一ぴきのネコ』
作・井上ひさし 演出・長塚圭史
出演 北村有起哉 市川しんぺー 山内圭哉
   中村まこと 勝部演之 ほか


 一緒に観に行ったマダムWは、中学生の時にこの芝居を観て演劇ファンへの道に進んだと言う。演じてたのは当時の高校生だったみたいなんだけれど、それでも凄く面白くて、インパクト十分だったらしいの。
 その話を聞いていたから、ミュージカルは苦手だけれど、ミュージカルのつもりなくチケットを買ってしまったのよね。芝居が始まってから、大丈夫なのか、北村有起哉?って心配になった。でも、まあまあ歌えていたね。いい声と演技力で、カバーできていたわ。
 しかし、和田誠が描いた色とりどりのチラシの印象とは全然違う、やけに暗い色の衣装が多くて、猫たちの区別が今ひとつはっきりしなかった。
 マダムの知らない役者さんが多かったしね。歌える人を集めたってことなのね。確かに合唱は迫力があったわ。
 お話は、十匹の野良猫たち(衣装が汚くてホームレスを彷彿させた)がくすぶっているところへ、にゃん太郎(北村有起哉)という野良猫が加わるところから始まる。何事にも前向きなにゃん太郎に誘われて、猫たちは大きな魚がいるという伝説の湖を目指す。そこで紆余曲折あって、大きな魚を遂にしとめ、この幸せの湖のほとりで暮らそう!町を作ろう!ってことになり、めでたしめでたし・・・となるはずだったんだけれども!!!

 ここからネタバレゾーンに入るので、まだ観てない人は、観てからまた読んでね。

 最後に大どんでん返しがあったの。みんなをリードしたり諌めたり励ましたりしてきたにゃん太郎は、十年二十年経っても、変わらず好青年のまま。彼と一番対立してたにゃん十一(山内圭哉)も、変わらず風来坊のまま。だけど、ほかの九匹は発展した都市の大統領とか、国防大臣とか、建設大臣とかに就任して偉くなっちゃってる。そしてその九匹が黒装束でそっと忍び寄ってきて、にゃん太郎を暗殺しちゃうのよ。
 確かにこのラストがなかったら、あまりに単純な「力を合わせてがんばりました」というだけの物語になっちゃうものね。すべてはこのラストのためだったのかー!って納得はしたの。だけど、客席にいた子供たちは凍り付いていたよー。(これ、悪いことじゃないと思うけどね。楽しいばかりの芝居は結局何も残らないもん。ただ、チラシの印象だけで来た親子は、どう思ったかしら)

 このラストから逆算したら、九匹の衣装が一様に汚いのも、それぞれのキャラが立ちすぎないように計算されていたんだ、ってわかったのよ。
 つまり、理想を語るにゃん太郎。徹底的に現実主義で個人主義のにゃん十一。そして二人の間にいる、有象無象の一般大衆。というくくりなのね。大衆は都合の良さそうな方についていき、うまく事が運べば偉そうになり、昔の仲間であっても邪魔になれば排除する。そういうもんだ、という苦いメッセージがここにはあるの。


 昔々、マダムが幼かった頃、某国営放送では『ひょっこりひょうたん島』という子供向け番組を放映してて、マダムは毎日欠かさず見ていた。大好きだった。だけど、楽しい歌に彩られたにぎやかなドラマは、一方で何故だか怖かったの。楽しい画面の向こう側に、ぽっかりと暗い穴ぼこが待ち受けているような恐怖。
 その番組の脚本を井上ひさしが書いていた事を、大人になって知ってからも、穴ぼこの正体を今日まで思い至らなかったのよ。でもこの芝居では、『ひょうたん島』では描かなかった(描けなかった?)暗い穴ぼこをラストに思いっきり描いちゃったのね、井上ひさし。
 人間の業の恐ろしさを後ろに隠してたから、怖かったんだね、『ひょうたん島』。そして、やっぱり井上ひさしは偉い。子供に対しても作家として誠実だったのよ。


 だけど、いろいろ思うところはあったわ。やっぱり書いてから40年近く経ってるから、設定やたとえ話が古くて、手垢がついてるところやピンと来ないところがあるし。言葉遊びも洗練されてなくて、笑えなかったりね。
 井上ひさしが生きてたら、再上演にあたって「直す」って言ったかも。そしたら結局ギリギリまで台本が出来なくて、稽古場は困ったことでしょう。
 演出家にとってはどっちがよかったのかしら。直す事で良くはなるけど待たされるのと、じっくり稽古できるけどいかんせん古いところがあるのと。
 究極の選択だわね。

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マダム ヴァイオラ、安寿ミラ・ヴァイオラに会う

 怒濤の1月観劇日記第2弾。赤坂RED THEATER、15日(日)マチネ。

劇団AUN公演『十二夜』
作・シェイクスピア 演出・吉田鋼太郎
キャストB
 吉田鋼太郎 安寿ミラ 横田栄司
 大塚明夫 谷田歩 杉本政志 ほか

 

 楽しみにしていたAUNの『十二夜』公演。ただ一つ気がかりだったのは、ヴァイオラ役が安寿ミラだということ。
 別に彼女の演技力を疑ってた訳ではないのよ。そうじゃなくて、ヴァイオラはうら若き乙女という設定なので、どうなのかなあと思って、ね。
 でも、安寿ミラのヴァイオラ、凄くよかった!ホントによかった。こんなにいいヴァイオラ、なかなか観られないよ。『十二夜』はヴァイオラのお芝居といっても過言ではない。ヴァイオラよければすべてよし。
 男装したヴァイオラの(シザーリオの、というべきかしら)立ち姿が凛として美しいのは、やはり宝塚で鍛えた人ならではのものだったし、それでいて恋する乙女である部分も細やかに表現していて、ヴァイオラの気持ちにどんどん引き込まれていったわ。年齢なんか関係ないのね。女優って凄い。
 もちろんそれは吉田鋼太郎の演出の力でもある。オーシーノー公爵のひと言ひと言に揺れ動く様子が、ヴァイオラの台詞にも表情にも動きにも、一分の隙もなく詰め込まれていたわ。そして最後の双子の兄との再会シーン。ちょっと涙ぐんじゃうくらいジーンとなっちゃったマダム。ああ、ホントにいい芝居だなあ、『十二夜』は。

 そしてもう一人の主役はなんと言ってもマルボーリオよ。
 マダムはかつて一度だけ吉田鋼太郎のマルボーリオを観たことがある。シェイクスピア・シアターの客演として出たときで、今から15年くらい前かしら。そのときはまだちょっと固い感じがしてね。(そのときの話は以前書いたの。記事は→ここ
 だけど、マダムが予言した通り、吉田マルボーリオはぶっ飛んでいた。いや、予言した以上だった! 飛ぶわ、跳ねるわ、吠えるわ、ムーンウォークするわ、やれることは全部やるマルボーリオ! みんな、これは今、観た方がいいわよ。今、最高のマルボーリオだー。(だから言ったじゃないの、今ならもうカラッとしててぶっ飛んだマルボーリオをやれるに違いないって。自分の発言に鼻高々なマダム。)
 そのぶっ飛んだシーンを支えるキャストがまたいいんだな、これが。
 サー・トービーの横田栄司、サー・アンドルーの谷田歩、フェービアンの北島善紀。三人、息がぴったりで、自分と役の境目が無くなるくらい余裕綽々で、楽しげで。マルボーリオVS三人のシーンは、腹筋が痛くなる可笑しさよ。
 で、みんないい声なのよね。横田栄司も、それからアントーニオの大塚明夫も、テンションがあがる台詞でさえも耳に心地よく響く。難しい早口の台詞でも、客席でうっとりと聞くことができるの。小劇場の贅沢さ。
 どういう意味なんだろうって戸惑う演出も幾つかあったんだけど、でもぶっ飛んだシーンに沸き、ジーンとするシーンで涙ぐんだりしてたら、この舞台はこれがいいんだと素直に思ったマダムでした。

 あー、ホントに楽しかった。
 キャストAがとても気になってるんだけど・・・1月は怒濤の月なのよねえ。困っちゃう。 

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『下谷万年町物語』と火星の関係

 怒濤の1月観劇日記第一弾。シアターコクーン、1月8日(日)ソワレ。

『下谷万年町物語』
 作・唐十郎 演出・蜷川幸雄
 出演 宮沢りえ 藤原竜也 西島隆弘
    六平直政 金守珍 大門伍朗
    沢竜二 石井愃一 ほか

  かつて宮沢りえがこれほど妖しく美しく見えたことがあったかしら?
 もう十分美しいのは知っていたのだけれど、こんな輝きは初めてよ。また一段、女優の階段を昇ったのね。

 唐十郎の芝居は、その昔何度か観たことがある。一番強烈な体験は、やっぱり紅テントの時ね。新宿二丁目の花園神社というただでさえ異空間なのに、そこに真っ赤なテントを張るなんて、まさに神通力を放つための結界。観客は皆、夜の花園神社に足を踏み入れるだけで、別世界に迷い込んだよう。さらに赤いテントの幕の中へ座ったら、軽いトランス状態。そして舞台には魑魅魍魎(ちみもうりょう)が現れて、やすやすと観客を異次元へ連れて行ってしまう。
 そんな唐十郎の芝居を、パルコ劇場(当時は西武劇場)でやってしまおうと蜷川幸雄は考えた。1981年のこと。パルコ劇場はその頃『ショーガール』なんかをやってるおしゃれな劇場だったのよ。だからこそ、蜷川幸雄はそこへ100人ものオカマをこれでもかと投入して、ねじ伏せるように異空間を作り、それは凄い話題になったの。
 でもマダムはそのとき観に行かなかった。紅テント経験が、なんだか怖かったの。面白かったけど、それ以上に怖かった。だって舞台上だけじゃなく、客席も魑魅魍魎がいっぱいで。だからもう、怖いのはいいや、って思って。それで『下谷万年町物語』の初演は観てないのよ。

 時は流れて。
 今回の『下谷万年町物語』は全然怖くなかった。シアターコクーンは、結界度が低かった。花園神社もないし、赤い幕に囲まれてもいない。踊る100人のオカマたちも、魑魅魍魎の度合いが薄い人たちが何人かいて、あー、昭和って遠くなったんだーって、痛感したのよ。どんなに唐十郎や蜷川幸雄ががんばっても、やっぱり戦争直後の雰囲気を実感させることは、もう難しい。
 だけど、それでいいのよ。だって、舞台には戦後の記憶とは離れた、ある新しい世界が出来上がっていたんだもの。演出家にとっては予定外なのかもしれないけれども。
 宮沢りえ、藤原竜也、西島隆弘の若手三人組は、初日が開いてまだ3日目だけど、完璧な台詞と完璧な動きだった。まあ、威勢よく池に飛び込んでくれること!衣装から水飛ばしながら踊ってくれること! 運がいいのか悪いのか、マダムの席は前から三列目。配られたビニールシートで全身を覆って、ヒヤヒヤしつつも、ドキドキワクワクだったの。宮沢りえのキティは、マダムの観劇史上、これほど美しいものは観たことがないのでは?と思うほど白いタキシード姿が決まっていたし、寄り添う藤原竜也の洋一も黒いコート姿がりりしく、久しぶりに歌うように台詞を言うことを許されて、ここ数年で一番自由な演技だったし。初めて観る西島隆弘の文ちゃんは、初々しい少年がまたぴったりで。
 それに比べ、ベテラン勢は、まだエンジンがかかり切ってない人もいたの。テンポがちょっとずつ遅れたり、噛み合ないところがあったり。若手とベテラン勢の間にあまりにも体力差があるんじゃないかしら。
 あらすじなんて書いたってしょうがないので、書かないわね。これはもう、イメージを受け取って楽しめばいい芝居なんだから。


 そしてマダムが発見したのは・・・野田秀樹は唐十郎によく似ている、いや、そっくりだ、っていうことよ。これには心底ビックリした。でも、ホントなのよ。
 別に宮沢りえと藤原竜也が出ていたからじゃない。この二人が野田MAPの『ロープ』で共演してたことは後から思い出したくらいだもん。
 どこが似てるかっていうとね。まずイメージからイメージへの論理的じゃない飛び方がそっくりなの。こっちの穴に入ったら、あっちのゴミ箱から出てくるというような空間移動の仕方もそっくりなの。ヒロインが必ず女神的存在なところも似てるし。そして台詞のところどころに言葉遊びがあって、独白の途中から言葉が詩になっちゃうところなんか、あれ、野田秀樹の芝居観てるんだったっけ?と思うくらいよ。
 だから下谷万年町という、昔上野にあった実在の町(でも幻のような町)ではなくて、火星にシタヤマンネンチョウという町があった、って言っちゃえば、ほら、なんだかそれもありな気がしてくるでしょう?
 今回の芝居は、戦争直後の猥雑さが薄らいだことで、より火星に近づいたのかもしれない。
 変な結論でごめん。ま、これもマダムの初夢ってことで、ね。
 

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初春の『十二夜』稽古場見学

 明けましておめでとうございます。今年もマダムと当ブログを、どうぞよろしくお願いいたします。


 パソコンが壊れてはや2週間。なかなかに辛い年末年始だったわ。書きたいことを書きたい時に書けないのって、こんなに辛いことだったのね・・・。まるで窓のない部屋で暮らしているよう。今日もまた知り合いの家でパソコンを借りてる。トホホなのよ。
 でもね、年明けにいきなり刺激的なことがあったからこれを書かずに入られない。劇団AUNの稽古場見学させてもらえたの。AUNの『十二夜』は赤坂RED THEATERで1月11日に幕開け。22日まで公演する。

 AUNは吉田鋼太郎が座長を務めてて、シェイクスピア上演のためにある劇団。マダムはここ数年ずっと通っているんだけど、今、シェイクスピアを楽しく観るならこの劇団がイチオシだって思っているのよ。
 しかも今回の演目はマダムが大好きな『十二夜』!!

 配役は

  ヴァイオラ    安寿ミラ
  マルボーリオ  吉田鋼太郎
  サー・トービー  横田栄司


 なのだけれど、マダムが稽古見学した日は安寿ミラはお休みで、吉田鋼太郎はずっと演出席にいて、舞台上のマルボーリオは代役だった。
 それでも芝居がだんだん出来上がっていくのを目の当たりにするのは、ホントに刺激的で、ワクワクしたわ!

 最初に観たのは、サー・トービーとサー・アンドルーのシーン。驚いたのは谷田歩がサー・アンドルー役だったこと。谷田歩と言えば、前回の『ヴェニスの商人』のときバッサーニオをやった二枚目系の人なので、意外な配役と感じたの。でも稽古が始まってみると、お馬鹿で臆病なくせにプライドとお金だけは潤沢に持ってるこの、ド三枚目な人物を、妙な味わいを持って演じてる。うーん、三枚目もいけるね、谷田歩。演技の幅が広がっていく。
 次に、全く同じシーンを、配役を入れ替えて稽古。マダムは失念してたんだけれど、メイン以外ダブルキャストだったんだね。サー・アンドルーを長谷川志に交替する。と、当たり前だけれど、全く違う世界が展開し始める。
 ここで演出家が演技の方向を変えることを提案した。長谷川アンドルーに、台詞の中で絶えず微妙に揺れ動く感情を、細かく説明する。長谷川アンドルーが試してみる。演出家が気づいたことを指摘する。また演じてみる。すると・・・さっきまでの空気がどんどん別物に変わっていく。魔法のように、会話の可笑しさが膨らんでいく。なんてスリリング。マダムは笑っちゃって、ちょっと涙が滲んでしまう。いやー、このシーン、面白いのは承知してたつもりだったけど、こんなに可笑しいシーンだったんだー!
 ずっと相手役を務めてるサー・トービーの横田栄司もさすがなの。長谷川アンドルーのセリフのニュアンスが変化するたびに、それを受け止めて自分も変化する。サー・トービーであることからはぶれずに、やるたびに毎回生き直して、面白さを探っていくのよ。
 あー、こうやって2パターンの稽古を見ちゃうと、本番も両方見たくなってしまうじゃないの。きっと両方、面白いに違いないもの。すごく困るマダムである・・・。

 吉田鋼太郎の稽古場では、怒号も飛ばないし、灰皿も飛ばなかったわ。演出はきめ細かな言葉で進められていく。セリフの後ろに隠された感情の動きを、役者に説明する。時に穏やかに、時に冷徹に。そして口立てでセリフを言ってみせるときには、吉田鋼太郎の言い回しは変幻自在に千変万化するのよ。

 吉田マルボーリオの稽古を見ることはできなかったけれど、代役で見た登場シーンは、いきなり登場の仕方がもう、メチャクチャ可笑しい。こうやって吉田マルボーリオが登場するのかと想像するだけでニヤニヤしちゃう。
 本番では、マダムの観劇史上、最高のマルボーリオと最高の『十二夜』を観ることができるかもしれない!

 という訳で、皆さん、AUNの『十二夜』は1月11日からよ。マダムは15日に観るんだけど・・・。ああ、もう一回行ける日があるかしら・・・悩む・・・。

 

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